詩的エッセイ、つづっています。...笑 満ちる

 

 

移ろい - 2001年10月15日(月)

人の気持ちは、時の経過とともに移ろいゆく。
今、むしょうに切なさが込みあげてくる。
空しさが頭をもたげてくる。


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よく眠る - 2001年10月14日(日)

よく眠る。
さらに、よく眠る。
9時半には横になった。
こんな日を、週に一度はつくりたいなぁ。。。

早々と用事を片付け、お茶を一杯入れて、
お気に入りの本を眠たくなるまで読んでいる。
もちろん、携帯はオフ。

素敵だ。。。


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踊る女は美しい・・・/何に命を使うのか - 2001年10月12日(金)

「女って、もともとエロスを内包して生まれてくる生き物じゃない?」
「そう、命ということですね、
 (踊るときに身に付けた)鈴や声といったものも、その音で生命を讃えているんです--------。」
(中略)
私も踊った。踊っているうちに疲れが消え、新しいエネルギーがよみがえってきた。
まわりを見渡すと、いつも仕事をしている姿しか見たことがない人たちが踊っていた。踊らないではいられない、といった顔つきで楽しんでいた。その姿もまた、ミッシェルのダンスに負けずおとらずエロティックだった。
ミッシェルって、アマノウズメノミコトみたい・・・・。生きる喜びを呼び起こすために、かつて人々は踊ったのだ。鈴を携え、声を上げて、足を踏み鳴らし、宇宙を掴み取ろうと腕を伸ばしながら。
古代人の踊る魂は、国境も人種もなかったに違いない。大地のエネルギーを汲み上げ、点へと投げ返す。事前と交信できる存在であった太古の女。できることなら私もそこに戻りたい。貧弱な、浮遊する、寄る辺のない現代人の性ではなく、大地に根差した女性性に。(中略)
ときとしてしこってしまう、冷えてしまう女の部分を解き放ち、情熱的に踊れたら------。
踊る女は、みな、輝かしく美しいに違いない。

光野桃著 スランプサーフィン より引用

・・・
夢中になって踊るとき、疲れがふわりと消えてなくなり、エナジーフローを感じる。
それは、生物として、生命として、正しい反応だったんだ、と知る。

・・・生命を讃えるうたを、歌いたい。
そこに命を、使いたい。


「締め切り」、と題する詩を友人からきいた。
こんな内容だったかな、
学校、仕事と、いろんな形の締め切りに追われる。
何かをいついつまでに、と、仕上げる時間。
私たちは、誰もが締め切りを持っている。
紫式部ももっていた。
命、という締め切りを。

限りあるこの命を、何のために使っていくのか。
そこに、人間としての価値があり、最大の「仕事」があるように思う。
何かが見えなくなったとき、この「何のため」という原点に戻る、素直さが持てたなら、人生に行き止まりはないだろう。



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ジンマシン - 2001年10月11日(木)

今朝、体中にかゆみを覚えて目がさめた。
夕べ寒くて引っ張り出したフリースの毛布に変な虫でもついてたかな?
なんて、軽く考えてたら、午後の会議の途中から顔や首にいっぱい発疹。
夜までやってるお医者さんをテレフォンサービスで探して
大久保駅前の病院へ。採血をして、お薬をその場で飲んだ。
会社に帰って、トイレで全身に軟膏を塗った。
だいぶかゆみや腫れは治まってきた。

奇遇なことに、さっきドイツに住む友人からもらったメールに、
「〜最近、彼、夜中にジンマシンが出て・・・」なんて。

その友人がきいたところによるとそうしたジンマシン等は、
『何かの抑圧やそういうものによって崩れた生命のバランスを保とうとして出てくるんです。調和を保つためにね。病気っていうのはみんなそういうものです。」
と。深いなぁ。。
私にとっての『抑圧』って、なんだろう?

あと、毎日届くお気に入りのCafe globeのメルマガで、
今日の一言英会話フレーズが it itches...(かゆいっ!)!

一体、何の因果なんだろう??




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眠れ、ねむれ〜 - 2001年10月10日(水)

ここのところ、午後から仕事の日には、いっつまでも寝ている。
必ず、目覚ましよりも前に目覚めて、1時間半後にもう一度セットして、
また1時間と10分くらいで目がさめて、を2度、3度と繰り返す。

贅沢だけど、カラダが求めてるとしかいいようがない、生理的現象。

ちょっと前なら、「さぼってるぅ〜!!」と、自己嫌悪に陥ってたかな?

今日は友達の誕生日なんだ〜!
i am very good at remembering friends' birthday!





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帰り際に - 2001年10月09日(火)

現場での不安を、希望を、要請を、
これでもか、これでもか、と話してくれた、ふたり。

このモラルの高さに、誇らしい気持ちで、いっぱいになった。
それは、今抱える仕事の話。
一緒に働く女の子たちが、既存の枠を越え、
汗だくになって築く、分厚い信頼感。

感謝の二字に尽きる。


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人と知り合う、ということ - 2001年10月08日(月)

ロスから帰って、早、5年強。
すっかり、英語の感覚が薄れている。

新しい友達と、互いに生まれてから今までの話をし合う。
鈍った英語でのやりとりは、もどかしくてしかたなかった。

今は会社に勤めてるよね、そのあとはどうするつもり??
とか、
歌ったり働いたり以外で、どんなことするのが好きなの?
とか、
これまで付き合った人はどんな人?どうして別れてしまったの?
とか、
アメリカでよかったことは?
とか、
するのが「嫌い」なことは?
とか、
外人の男とつきあったことは?
とか。。。
さまざまなことに、
ここ数年、改めて考えたこともなかったような角度で切り込む。

そうだよね、
こんなこと、語りあわなきゃね。
友達なら。



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思い出の手紙 - 2001年10月07日(日)

元恋人のアパートをひとり、訪れた。
そう、地方へ数日出かける間、飼っている猫の世話を頼まれたから。
水を取り替えて、ドライキャットフードをあげた。

部屋を見渡す。
まだ私の荷物が少し残っている。
雑誌や小物の整理をしていたら、
手紙が出てきた。
であった頃の、ものだった。

また明日も水をとりかえ、
ドライをあげに、来るだろう。




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憧れていたあの子 - 2001年10月06日(土)

出身の小学校で、16年前に埋めたタイムカプセルを開く会。
4年のときに埋めたので、5年から転校してきた私の分はないけれど、
みんなに会いたいような気がして足を運んでみた。
昔、すっごくおてんばだった頃(今もか!?)の仲間が
集まって、思い出話で盛り上がる。
印象的だったことがひとつ。
私はどちらかというと小学校ではいじめられっ子だった。
男の子にはからかわれて毎日のように泣かされてたし、
華やかな女の子グループに無視されたり。
今思えば多分に思い込みや被害妄想が入ってるかもしれないけど、
当時の私にとってはでっかい問題だった。
あの頃、性格が合わずにうまく付き合えなかった子が来ていた。
うちらの学年だけでも数十人きていたけど、
彼女の風貌が一番変わってしまったように思えた。
どこかやつれた感じ。メイクも濃かった。
一言二言私の方から話し掛けてみたけど、
私のことなんてなんとも思ってない感じが伝わってきて
寂しい気持になったから、その場を急いで退いた。
二人の間を、冷たい風がシュビュッ。。
他の友達とかわるがわる話す中でも、遠巻きにその子のことを、
「なんだか変わっちゃったね〜・・・」という声をそこここで聞いた。
大人っぽくて、かわいくて、雰囲気があって、人気者だったあの子。
いつもみんなの輪の中心にいた、あの子。
時の経過と、そのすごし方が一人ひとりみんな違っていたんだな、と、
卒業からの13年を思った。


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眠れない夜は・・・ - 2001年10月05日(金)

どうしよう。
気持ちいい朝にめぐり合うためには、
心地よい眠りが必要なのに。。。


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