新世紀余話
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米英軍はイラク全土を掌握した。 ヒトゲノムの解読が完了した。 なにかが一段落した気がする。
バクダッドはまもなく、陥落する。 今回の戦争は、旧世紀の民族主義を新世紀の電子計算力が圧倒し、駆逐してしまった戦いだろう。 それは、戦力の差というものにおいて、ドイツのポーランド作戦よりも十九世紀末のオムダーマンの戦いに近い様相をさらすこととなった。 ブッシュの強引さが各方面からかまびすしく非難される現状だが、米国はまぎれもなく、グローバリゼーションを代表し、イラク攻撃を遂行している。 ほとんど一国による行動であり、なおかつ国連という多国家の寄り合いとも袂を分かちながら、人類の新しい価値観によって足場を支えられたものなのだ。
たしかに「歴史は勝者によってつくられ」はするが、時は適性を備えた者だけを勝者に選ぶという、ずっと大きな真理を見落としてはならない。 時は今度も、アメリカを利便にかなった道具として用いたのである。
米英軍はバグダッドに迫りつつあるが、イラク側の抵抗は予期以上に激しく、戦争をイースターまでに片付けるという希望は遠のいてしまったようだ。
ある新聞によれば、 「定見がなく、勢力の強い者に従うことを事大という」
この新聞の編集指針がまさにその「事大」なのだが、本当に勢力の強い者がなにか識別できず「事大」にさえならないのはいつものこと。 人気球団の尻馬に乗って売り上げを伸ばしただけの定見なき三流紙なのに、日本をリードするような顔をされるのは困ったものだ。 もっとも、定見のある者はこんな新聞の言うことなど真には受けない。
戦争はスポーツとは別次元の出来事である。 われわれの生活や人生に実際の影響をおよぼすだけに、観客席からの声援(と野次)だけで済ませられるものではない。
今回の戦争は、日本も組み込まれている「パックス・アメリカーナ」の行き着いた先だろう。 アメリカの参戦は日本の参戦なのだと自覚することが重要だ。 それは、良きにせよ悪しきにせよ、アメリカ軍の行動を自分たちの行動として受け入れることを意味する。 それができる者にだけ「パックス・アメリカーナ」による恩恵を享受することが許されるのだ。
そうは言っても、アメリカの強引なやり方に反発を感じる日本人も多いだろう。 国連のやり方を取るかアメリカのやり方を取るか、どちらにせよあなたはこの戦争を眺めるだけの立場ではなくなっている。 もはや、観客席やテレビの前で強いチームを応援するような気分のままではいられない。
2003年01月13日(月) |
ネオジャップは北朝鮮の工作員か? |
私が「頭のいかれた愛国者気取りの妄想集団」と評価したネオジャップ。
2ちゃんねるを拠点としてネット界全体で暴れまわっている彼らは、人種的偏見がみなぎる荒れた投稿を繰り返し、ひとりでも多くの日本人が、韓国人や中国人、アメリカ人に悪い印象を抱くようにと必死である。
だが、それで得する人間は………………ひとりだけ、いたよ。
見渡した極東情勢のもと、日本と韓国、日本と中国、日本と米国を仲たがいさせて喜ぶ日本人がいるとすれば、それは愛国者でも右翼でもなく、北朝鮮側の工作員なんじゃないかと、かなり深刻に疑いを強めてきた昨今である(笑)。
いや、やはり違うだろう。 いくら北朝鮮がああいう国だとはいえ、こんな頭の悪そうな奴らを工作活動に使うとも思えんから(哄笑)。
わが「新世紀サロン」が、「出会いサイト開設支援」でinfoseekの検索にかけると、624件中のなんと第三位で出るんだそうだ。
いや、光栄(大爆笑)。 それにしても、なんでだろうね? ちなみに、Lycosで検索すると、百位中にも顔出ししない。
2003年01月04日(土) |
ネオジャップにご注意を |
お気を付けください。 気に食わない発言をする者はすべて日本人に成りすました韓国人や中国人だと思いこみ、不快な罵詈を浴びせるという、幼児じみた愛国者きどりの妄想集団「ネオジャップ」(←管理者による命名)がネットで暴れています。 もしも、彼らがあなたの掲示板を荒らしに訪れ、支離滅裂な言葉を書き込んだとしても取り合わず、ただちに削除することで対処してください。
本当は、新年早々こんなこと書きたくないんだが、今のうちに誰かが言っておかないと。
2003年01月01日(水) |
2003年になりましたね |
とりあえず。 明けましておめでとうございます。
まるで魔女裁判だね。 クローン誕生の報道が引き起こした政治家、宗教家、マスコミの反発ぶりときたら。
2002年12月07日(土) |
現代日本人のクリスマス信仰 |
ネット界は早々とクリスマス色に染まった模様。 まったく、近頃の日本人のクリスマスに対する情熱って、凄いものがありますよね。 「イヴには、彼氏(彼女)とあそこへ行き、あれを食べ、あんなことをして、それから……」 なんとしても美しき想い出を残さねばと、まるで教条にこだわるかのような執着ぶりは、まるで宗教的呪縛そのもの! これを信仰と呼ばずして、なんと呼びましょう? まさしく、クリスマスへの信仰だ。 足りないものは神への愛だけか……(笑)。
一句できました。
巷では 親が死んでもクリスマス
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