新世紀余話
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2002年10月24日(木) |
メロディーの独自性について |
つねに気掛りでならないのは、知らずに盗作をしでかしてるのではということだ。 つまり、自分のほうが先行者より後日に同じメロディーを発表した場合の偶然性がもたらす面倒事への危惧である。
もっとも、偶然性で片付けられない場合もあるだろう。
長年、自分で作曲したメロディーと信じていた「失われた故郷」も、根幹となるフレーズがまさに、何十年も前、あるバンドが日本で紹介し発禁となって以来、わが国では聴かれなかったはずの「イムジン河」とそっくり同じだったのだから、わかった時の打撃は大きい。
このサイトで「オリジナル作品」として公開される曲にも、こうした感じで、知らずに「盗用」してしまった曲がいくつかあるかもしれない。
「かもしれない」と推定形で書いたのは、ぼくが知りながら他人のメロディーを盗用するような確信犯でないことは確かにせよ、大昔に耳にしたCMソングなどが記憶に残り、しだいに自分流のメロディーへと洗練されていったものがないとは言いきれないからである。
まこと、音の組み合わせが使い尽くされた現代にあって、独自性を確立するのはむずかしい。 そういう次第なので、「メロディアン・カフェ」に自作曲として並べられたものの中に、あきらかに他所で聞いたメロディーがあったなら、ご教授ねがえれば幸いだ。
ただし。 「真実の証明」が映画「グラディエーター」の音楽と似ているという指摘についてだけは、的外れと申し上げる。 ぼくは「真実の証明」のメロディーを、音楽家ハンス・ジンマーよりはるか前年、二十歳の頃に口ずさんでいたのであり、あれこそ偽らざるオリジナル作品なのだから。
一九六十年代末、徒党を組んで行進し、「大人たち」に抗議する「子供たち」は、本物の子供でも見抜けるような、こじつけとしか思えぬ大義名分をがなり立てていた。
要するに、学生活動家のほとんどは、暮らしに窮したのでもなければ、圧政による迫害を被ったのでもなく、ただ腹ごなしのため機動隊を相手にゲバ棒を振りまわしていたのである。 それはまさにブームとなった現象だが、今の時代の「愛国青年」が「自虐史観」を攻撃する構図となんとよく似ていることだろう。
彼らには、それぞれにバイブルを見出せる。 安保闘争の頃の「戦争を知らない子供たち」と前世紀末の「戦争論」。
どちらも、世の中を知らない未熟者が勝手なことばかり書きまくった本にほかならず(だから、おなじような連中から受けた)、その時代の愚かしさが濃縮されたものという点で、双子のようによく似た二冊。
二人の著者は、本以外のことではけっこう社会に得をもたらしたが、本が原動力となって社会を変えるまでにはいたらなかった。 結局、北山修が数曲の美しいメロディーを残したように、小林よしのりは何人かの可愛いキャラクター(あの実物とぜんぜん違う自画像のことじゃないよ)を提供するだけで終わりとなるに違いない。
そして、「ゴーマニスト」らの極端ぶりと関わりなく、時代はバランスを保ちながら流れていき、やがて後続の世代から、若い頃のおこないについて審判を言い渡されることとなる。
「なんで、あんな馬鹿なこと言い張ってたの、お父さん?」
フランスでもイギリスでも、極右政党が政権を掌握しようと勢いこんでいる。 新世紀にもなって、右翼が時代錯誤な妄言をわめき立てるのが日本ばかりじゃなかったとは驚きだ。
それにしても。この動きを世界的な潮流と勘違いし、日本でも右翼の時代が復活だ、と言いだす馬鹿が出たりしないか気がかりでならない。 日本の国家主義者は、攘夷論調の口振りにもかかわらず、西欧人の真似ならなんでもやってきたし、西欧で成功した先例があるものは、疑うこともせず自分の国でも成功させようとするからだ。
そうやって日本人は過去に一度、国を滅ぼしている。 一九四十年代、ファシズムが地上を席捲すると誤認してしまい、ヒトラーやムッソリーニと組み、大英帝国やフランス帝国のような巨大な縄張りを同じアジアにあらしめようとすることで。
まあ、状況を見守ることにしよう。 フランスでの国民投票は五月五日。 大人の姿をしたガキどもが勝利を収めないことを祈るが。
あの羊のドリーをつくった科学者がヒューマン・クローニングは危険と警告。 動物実験で産み出されたクローンがすべて、異常をきたしたからとのこと。 なるほど、なるほど。 ま、それもいいでしょ。
現状のクローン技術はまさしく実験段階そのもので、たとえれば、大きな翼をつけて崖から飛び立とうとする水準。 航空技術の進歩がそうだったように、失敗に失敗を重ね、理想は実現していくものです。
いまは成功の望みが失われたからといって、挫けてはいけません。 いずれ、本当に理にかなったクローニングの手法が確立されるでしょうし、また、そうなることが望ましいのです。
今回の発表を受け、反対派は鬼の首でも取った気かもしれませんが、彼らの反応に論理的なところなどなく、まるで中世の人々が「やはり人間が空を飛んだら、天の神の怒りに触れるのだ」と結論付けたがるのとおなじに思えます。
ここで、「未来予測講座」冒頭の名言を再び。 「とにかく希望が持てるのは、専門家たちが行き詰まってるってことでしょう。権威筋が『不可能』と太鼓判を押した直後には必ず、素晴らしい発見や発明がもたらされます。それも若手の研究者かまったくの素人によって」
2002年04月27日(土) |
音楽の勉強、進んでます! |
「音符の長さの違いがわかるようになったよ。 それから、オーボエとかフルートとか楽器の音色が聞き分けられるようになってきた」 「すごいね」
2002年04月19日(金) |
ウインチェスター家の亡霊 |
どうも、ご無沙汰です。 MIDIの勉強に熱中していると、ホームページどころではありません。
実はいま、かなり深刻な問題に突き当たっていて、苦しんでいます。 音源ですよ、音源。 パソコンにまともな音を聞かせるはずのソフト(ヤマハのS-YXG100plus)をインストールしたら、出る音が前よりも安っぽくなってしまったのです。ストリングスの音色など、やたらシンセ臭くて聴いてられないほど。 弱りましたね。ウインドウズに組みこまれた音源を使ってた時のほうが本物らしい音がしたのに。
まあ、ともあれ。 今夜のBGMに、わが編曲技量のかぎりを尽くした「ウインチェスター家の亡霊」をお贈りしましょう。
おわかりのように、ぼくのオリジナル・メロディーではありません。 モチーフにしたのは南北戦争時代の愛唱歌「オーラ・リー」。 そう。エルヴィス・プレスリーがヒットさせた、あの「ラヴ・ミー・テンダー」の原曲です。
今回、すこぶる怪異にアレンジしたものをお聞かせいたします。 くれぐれも、夜中にひとりで聴いたりしないでくださいね(笑)。
2002年04月01日(月) |
サウンド・オブ・ヒストリー |
エイプリル・フールの一日を楽しくお過ごしになりましたか? バレンタイン・デーには世相を「愛」一色で染め上げてしまう日本なのに、なぜかエイプリル・フールとなると、いまいち盛り上がりに欠けるようです。 みなさん、面白い嘘をつく才能がないのでしょうか? なかには、馬鹿げた悪ふざけが横行する無意味な日だと非難する声さえ聞かれるほど。 たしかに。そういった人々には無意味な一日なのかもしれません。 日頃から嘘の中で暮らすような人には、大嘘が公認される日の悦びというものが全然わからないでしょうから。
さて。 今宵から明日にかけてのBGMは、「サウンド・オブ・ヒストリー」。 「スカイブルー」とおなじに、管理人が生まれて最初につくった曲のひとつ。 ドレミファソ。たった五つの音で仕組んだシンプルそのもののメロディーを、歴史映画のBGM調に仕立てたものです。 前に述べた通り、管理人には楽譜の読み書きができません。和音のつくり方もわからないため、いろんな音色を並べることで、どうにかシンフォニー風を装わせました(苦)。
2002年03月30日(土) |
「ネットアイドル総合講座」が停滞しているわけ |
ひたすら申し訳ありません。
企画をはじめた頃は、ネットアイドルとはインターネットの先行きを予兆する重大なキーワードになると思いこんでいました。 それが、しばらく実情を眺めるうちに、考えを改めなければならないと気付かされたのです。
ぼくの決めたところ、ネットアイドルは、日常のままインターネットと通じることにより、それ自体で芸能タレントに拮抗し得る存在のはずでした。
ところが、このせっかくの時代の恩寵を遊びの道具としか受け取らず、仮想世界でのタレントごっこに興じるお嬢さんがあまりにも多い様子に、彼女らを買いかぶりしていたことを認めねばならなくなりました。
対象が「芸能アイドル」であれ「隣りのお姉ちゃん」であれ、ただのミーハー的動機によるものなら、本職のタレントを特集したほうがよほどいいし、素人美女を品定めするリンク集をつくるだけというのも、つまらない気がしてなりません。 それは、みんながやっていることです。
はっきり言いましょう。
当サイトの「ネットアイドル特集」とは、ネットを介してものにできそうなB級の美女を探す手助けをするための企画などではなく、逆に、ネットアイドルをめざす浮かれた娘さんたちに真の自立をうながすような内容になるはずなので、そうしたものに期待して訪れる人たちとは動機からして相容れないものなのかもしれません。
もし管理者がフェミニストだとすれば、「オンライン・ペット」として不特定多数の男に「視姦」されることに歓びを見出す女性を応援することなど、到底できるものではないからです。
今夜のBGMは、「ネヴァー・トワイス」。
十八歳当時の曲。 管理者が恋心を抱きながら高校を卒業していった頃、心の中で流れていた旋律ですな。
これは、「ラ・ベル・エポック」という、やはり自作の叙事的なロマンの主題曲として着想されました。 1910年代。第一次大戦に翻弄される、国籍を異にした四人の男女の友情と愛と死。 まあ、そんなような筋書きのお話なんです(笑)。
何日か前にアップしたとき、編曲があまりにも聞き苦しかったので、いま一度、馴染みやすい聴き味にしたものをお贈りします。
あなたは、どんな美しい恋文よりも、あなた自身が価値をもったメッセージなのだとご存知でしょうか?
BGMとして公開している自作曲が思いのほか好評のようです。 もしかすると当サイトは、Midi音楽だけでもやっていけるかもしれません。
いまの二行は、ほぼ冗談です(笑)。 でも、トップページの「BGM選択」で並べた曲はすべて、管理者のオリジナル。 「スカイブルー」、「失われた故郷」、「真実の証明」、「なんのために?」、「戦士の休息」、そして今夜の「モーニング・スター」……いずれも、人生の折々に頭に浮かび、書きためておいたメロディーばかり。
いったいなぜ、これほどの大資源を門外不出にしていたの? と云われましょうが。 実は管理人、作曲が趣味(のひとつ)でありながら、楽譜の読み書きができない五線符文盲。そればかりか、歌を唄わせても調子ッぱずれという途方もない下手の横好きをしてるわけなんです。 学校時代の音楽なんて、「1」という落涙するような評点でしたから(実話)。
そんな大音痴なのに、なぜか美しいメロディーは頭に浮かんでくるもので、しかもハリウッドの映画音楽にもヒケを取らぬ佳曲であるように思えてならない(笑)。
それで、学校の音楽室でわざわざピアノを借り、ピン、ポ〜ン♪と鍵盤を弾いていって音のつながりを探り当て、「ドーソーファミレドレミレドレー」とか書きとめておりました。 まあ、チャップリンとおなじような作曲のやり方をしていたわけです。
チャップリンの場合は、身近に音楽の顧問がいて、思い浮かべたメロディーを楽曲に仕立ててくれたからよかったわけですが、自分の周辺ではそうしたインフラが整備されていない(笑)。 せっかくつくったメロディーなのに、オーケストラ風に編曲して演奏するなんて思いもよらず、そのまま腐らせていた次第です。
それが最近、にわかにホームページで発表できるようになったのは、「ドレミファ」とカタカナで書きこむだけで好みの音色で演奏してくれるSAKURAというフリーソフトのおかげであります。 たとえ豚に真珠を投げあたえる結果となるにせよ、開発者一同には大のつく感謝を捧げねばならないでしょう。 このソフトによって、世界でもっとも恩恵を受けるのは自分なんですから。
こうして、パソコン上で入力したメロディーがストリングス調の名旋律となって奏でられるのを聞くにおよび、自分がやっぱり、音楽の先生が評したような本物の音痴ではなかったと実感できるのはうれしいかぎりです。 管理人、いま覚悟を決め、Midiのつくり方を勉強、というか音楽を基礎の基礎から学び直しております。 まともな楽譜にして、レーモン・ルフェーブルのような本格的なポップスに仕組みたいメロディーも多数ストックしてあるんです。 より聞かせる音に仕上げ、みなさんに供したいと思っているので、(いつものことながら、)今後にご期待ください。
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