2013年01月26日(土) |
Lavazzaが好き |
時々家でエスプレッソをいれて飲むんだけど、illyの豆は外で飲むときに結構飲めるから、どちらかというとLavazzaのQualita Oroを選ぶことが多い。酸味が苦手な人には全くお勧めしない豆だけれども、やや苦味抑え目+強めの酸味を味わいたい人にはとてもお勧め。世間の評価は知らないけど、個人的には(良い意味で)かなり癖のある豆だと思う。
2011年05月26日(木) |
バグワン、怠け者の世界を語る |
別冊宝島16 精神世界マップ を久しぶりに読んでいた。
高校生の頃、なぜか興味をひかれ、大阪の旭屋か紀伊国屋書店かで、 購入して読んでいたのだ。一度紛失して、 その後2冊目を買ったくらいのお気に入り。
この本は、いろんな素晴らしくスピリチュアルな人々の 言葉が載ってる本なのだけど、 OSHOの言葉ももちろん多数掲載されていて、 そのうちの一つがダルシャン・ダイアリー 「生命の歓喜」なのだ。 そのなかで、OSHOは怠け者についてこんなことを言っている・・・
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・・・・・・それに、じきに怠け者の世界がやって来るだろう。なぜならば、だんだんとテクノロジーが人々を仕事から解放して行くだろうからだ。次の世紀は、まったく新しいはじまりになるだろう。怠け者が一番賞賛されるに違いない。だから、来世では・・・・・・今日から準備するがいい! 怠け者になりなさい。来世では世界は怠け者のものになるだろう。実際、科学者たちによれば、テクノロジーがあらゆる仕事をひき受けてしまう二一世紀には、活動的な連中をおとなしくハッピーに、健康にしておくのが難しくなるだろうと言う。彼らはトラブルを持ち上げるだろう。彼らは仕事を要求するだろう。彼らは災いをもたらすだろう。
怠け者は、この上もなくもてはやされるようになるだろう。怠け者はどんな仕事も要求したりしないからだ。
バグワンは、世界がこれほど繁栄するように なる前の過去においては、活動的な人々が必要 とされ、頼りにされ、それに対して怠け者は非 難されたのだと述べた・・・・・・
しかし、じきに車輪がぐるりと一まわりして、怠け者のスポークがてっぺんに来る時代がやって来るだろう。怠け者がノーベル賞をもらうようになるに違いない。何もしないことに対するノーベル賞、何も仕事を求めないことに対するノーベル賞―――。それは、いまはまだ想像しにくい。が、確実にやって来つつある。 だから、活動的な人間が正常で、非活動的な人間が異常だというような問題はない。そんなことはないのだ。ただただ自分自身の実存をのぞき込んでごらん。何であれ気持ちが良く、健康的で、お前をより全体的にしてくれるもの―――、それを楽しみなさい。それがお前にとっては正常なのだ。ほかに物差しになるようなもの、基準になるようなものは何もない。それぞれの個人が、自分自身の基準なのだ。
だから、非難というものを忘れなさい。誰もが自分自身のモーゼになって、自分自身の戒律を探して来なくてはいけない。十五日間、とにかく怠けて、見守ってごらん。―――それも、ごく客観的な観察者になること。
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これを読んだときは、なんだかとても安心したものだよ・・・(笑)
2010年01月02日(土) |
ムジカのアップルパイが好き |
いろんなお店でケーキを食べたことがあるけど、 「今まで食べたケーキの中でどこが一番おいしかった?」とたずねられると困ってしまう。
しかし、「今まで食べたアップルパイの中でどこが一番おいしかった?」ときかれたなら、Tea House Musicaだと答えるだろう。ティーハウス ムジカと呼ぶ人もいるし、堂島ムジカと呼ぶ人もいる。関西で紅茶好きなら、知らない人のほうが少ないのではないだろうか。地方の紅茶専門店でもここから茶葉を仕入れているお店があるので、あなたも知らないうちにムジカの紅茶を飲んでいるかもしれない。
当たり前のことだけど、生の林檎がそのまま丁寧にパイとして焼かれていて、香りからも味からも、それが伝わってくる。たとえば、それだけで今日堂島に行く目的に成ってしまうような、本格的なアップルパイ。もちろん、好きな紅茶を合わせて…先日いただいたときは、ヴィンテージ・ウヴァでいただいた。
テーブルから漂うウヴァとアップルパイの香りのハーモニーは、およそ食物の発する香りとしては、最も音楽に近いものだったと思う…
image...語れば崩れてしまうそれは、あまりにも脆く 脆さゆえに他のすべてを確固なものと誤解させてしまう
惑星といえど夏の蜃気楼のように形を滅していくというのに
何かについて語ることはたやすく、 何かを語ることはあまりにも難しい
夢を夢と意識してしまえば夢の先は見られない 知った後はただただ壊れていくのみ
爆破された塔が倒れるまでの一瞬に、 万華鏡のように見せる幾千の表情
塔であり、砂塵であり、風であるような、 そんなあいまいな何か、それをあなたは見ている
2009年02月18日(水) |
コメント欄のない日記は楽 |
mixiとか、はてなダイアリーとか、いわゆるコメント欄のある日記やブログで書き続けていて、たまにえんぴつ日記みたいにコメント欄のない日記に戻ってくると、なんだかとても楽なのである。もちろんはてなダイアリーにだって、コメント欄を表示させないことはできるのだけど、コメントが付けられるサービスだと、なんだかコメントを付けられる状態にしておいたほうがいいような気がしてしまって、結局コメント欄のある日記になって、時々コメントがつくとチェックして、またレスを返してということをしてしまうのであった。
段々、日記と掲示板の境目がどこかよくわからなくなってきてしまうように思う。また、コメント欄は往々にして炎上しがちであるし、自分の知っていることと違うとすぐさま訂正したがる人達がweb上にはごまんといるのだから、下手をすると書く前に書いてることの内容が正しいかどうかチェックしたりとか、いらぬ気苦労まで背負いこんでしまうことにもなりかねない。物を書いて出版して金を稼いでるような人々ならまだしも、書いても特に普通は金になるわけでもないweb上の日記にそんなことしたくもないのである。
反対意見ではなく、同意や応援のコメントがくることもあるが、これはこれで無視しにくいのでやはり日記を書く側からすると嬉しくもあるが手間は増える。やっぱり書きっ放しの楽な日記で書きっ放しにしておくほうがいい。えんぴつのシステム経由でメッセージがメールアドレスまで送られてくることはあるが、それくらいは許容する。レスの義務はないし、実際読んだだけで返してないことも多いし、ずいぶんと距離があるから。
そんなわけで、はっきり言って現在では機能が充実しているとはとても言えなくなったえんぴつ日記だけど、逆にそこが良くて使い続けていて、ここも滅多に更新するわけではないとはいえ、保持しておくことは私にとって大事なことだったりするのである。るるる。
2008年10月13日(月) |
生成と消滅あるいは還元 |
そこから全ては生じ、全てはそこに還って行く。
神々も如来も菩薩も、例外ではないのだ。
体も心も言葉も、やはり同じなのだ。
また、悪霊や悪人も、このことに関する限りちがいはないのだ。
宇宙の全てが0から始まり、
宇宙の全てが0へと還っていく。
君や僕の番が来るのも、そんなに遠い話とはいえないかもね。
特にバッグにこだわりがあるわけじゃないけど、 良いバッグが店頭にあったりすると気になってしまう。 バッグとは、ただ物を入れて運ぶためだけにあるのではない、 ような気がする。ハンズに行ってもバッグから見てしまう。
バッグというのはバッグの中身以上に持ち主を語ることすら あるのではないか。そう言う私は鞄メーカーに勤務するサラリーマン、 ではない。もちろん鞄職人でもないし、個人商店でバッグを扱ってる というわけでもない。
あくまで、一人のユーザーとして、バッグが気になるのだ。 機能性も気になるけど、デザインのバランスとか、 その背景にある思想とか、一目みた時のインパクトとか。
当たり前だけど、他にはない魅力を持ってるバッグは魅力的だ。 フライターグとか、カルトバッグとか、Timbuk2のブロガーとか。 ブログのためにノートPCのみならずメッセンジャーバッグまで買うような、 そんな人のためだけに作られたかのような、不思議な商品名。
もしかしたら、バッグは中身を限定しないからこそ、そこに未知の可能性を 見て、魅力を持つのかもしれない。当たり前だけど中に何を入れても自由。 だってただのいれものだから。バッグを手に入れる。 後は何が入るかわからない。何が起こるかわからない。 そのようにして未来に開かれていることにより、限定することのできない広がり、 それがこれからバッグを買おうとする人に示されるのである。
中身も、シチュエーションも、意志次第。全てのカバンは、 アレイスター・クローリーのように語りだすのだ。
「汝の欲することをなせ!それが法のすべてとならん!」
そう思うと、バッグとは極めて魔術的な何かである。
そんなことを、さっきからヤフオクでバッグを見てることの言い訳にしてみる(笑)
2008年04月05日(土) |
麒麟に似てると言われたそうな |
先日、王子公園から阪急電車に乗って梅田駅で降りた後のこと。 連れが言うには、隣に座っていた女子高生3人組が、 「横の人(私)キリンに似てる」と言っていたそうな。 一つのものから何を感じ取るか、それは感性の多様性なので 何に似ていると言おうと彼女達の勝手なのだけど。
伝説上の動物の麒麟なのか、動物園のキリンなのか、キリンビールなのか、漫才の麒麟なのか、そこは気になる・・・
特に、漫才の麒麟の場合、どっちに似ているのか、そこだけははっきり聞いておきたい!!!
動物のキリンに似てると言われたことはある・・・ しかし六甲道駅近くのマンションのエレベーターで小学生数人から突然 「ドラクエの竜王に似てる」と言われたことすらあるので伝説の麒麟の線も捨てきれない。
あ、そうだ、ドラクエの竜王って言った子供達に、 「最初の姿か、一回倒した後の竜王か、どっちやねん?」 それだけは、聞いておくべきだったと、今頃になって気になる・・・(笑)
(注:筆者は普通の人間です&ホームレス経験はありません)
2008年02月06日(水) |
no mission |
あえて何かを実現しようと試みることも、今後はなかろう。 何かを維持しようとがんばることも、破壊しようと努力することも、同じく。
猫がお手玉をじゃらして遊ぶような、単純でありながら不定形な動きのような 子犬三匹を幼児用すべり台から滑らして、くるんくるんころんころんと回る動きのような 意図的とも、自然発生的とも、誰にも判別することができないような・・・ 円にして、円に非ず。しかし直線でないことは、まちがいがない。
そのような名づけられない活動の中にあり、そのフォースに乗っ取られ、 コンマ一秒未満の一瞬の中にも、天地開闢以来の永遠の中にも平気で 入ったり出たりするような。
そして、すでに虚空。
2007年06月24日(日) |
ポッドフィルターは便利 |
新しいエスプレッソマシーンと、ポッドエスプレッソカフェが家にやってきた。
今までは豆の粉を計量して、うえからぱふぱふと叩いて、スイッチをONしてエスプレッソを入れていたのだけど、これからはポッドも使える。ポッドというのは、珈琲豆の粉をパックしたもので、粉の量を測る手間が省かれる。また抽出後の後片付けも、パックごと捨てるだけなので使うのが容易。
そんな訳で、ひさしぶりにエスプレッソを自分でいれて飲んでたりする日曜日の午後。
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