Espressoを飲みながら

2007年06月24日(日) ポッドフィルターは便利

 新しいエスプレッソマシーンと、ポッドエスプレッソカフェが家にやってきた。

今までは豆の粉を計量して、うえからぱふぱふと叩いて、スイッチをONしてエスプレッソを入れていたのだけど、これからはポッドも使える。ポッドというのは、珈琲豆の粉をパックしたもので、粉の量を測る手間が省かれる。また抽出後の後片付けも、パックごと捨てるだけなので使うのが容易。

そんな訳で、ひさしぶりにエスプレッソを自分でいれて飲んでたりする日曜日の午後。



2007年06月09日(土) 空よりももっと向こうまで、限りなく

 休日の朝、自分だけしかいないダイニングで、
本日二杯目の珈琲など飲みながら、本来そうするために設計されたわけではない西洋式の椅子の上で、半跏趺坐などして、時ならぬ時を過ごしたりするのです。

体とか心という境界がないところ、無限・・・

時空のない無限にふれて、有限なるもののところにも、やわらかな光のような癒しのような何かが訪れるのです。



2007年03月02日(金) 求めないで満たされること

 満たされるために何かを求める必要がないということを知った者は幸いなり。
それを知ったなら、不必要に疲れ果てるまで欲望に引きずられて彷徨う必要はなくなる。
生においては何が起こるか分からないから、それでも現実的なトラブルは起こるだろうが
本質的なところで、幸せになるために何も求める必要がない。

そんな人のみが、日々を幸せに生きることができる。そんな人のみが、気が狂いそうなUp&Downの波から解放されている。

物質的な次元では、相対的に豊かな者と相対的に貧しいものがいる。
内側の次元では、絶対的に豊かな者と絶対的に貧しい者しかいない。
求めるものは貧しさの中にあり続け、求めることから自由なものは豊かさの中にあり続ける。
至福は、理解に付き従う。



2006年08月13日(日) Time&Change

 あいかわらずだなあと感じることと、変わったなあと感じることと。
自分の心の中にも、そういうことってあるものです。
その中には、可逆的な変化もあるけど、不可逆的な変化もある。

何か新しいことを見つけることによってしか、解決できないこともある。
保持しつづけようと思っても、気がつくと手放している自分がいる。

動き始めた時は、止めることも戻すこともできない。



2006年08月12日(土) Life is short.

 確かに、人がよく言うように人生は短いのかもしれない。
しかし、長いとか短いとか言う基準はあくまで主体的なものだ。
私にとっては、それはとても長く感じられる。
もうすでに、主観的には十分をはるかに超える長さを生きている。
本質的には、生きることの中に含まれるほとんど全てのことに、
自分が飽きているのを感じている。

 死への衝動がさほど強くないから生きている、それだけのことだろうと思う。
さもなければ、とっくの昔に自ら死を選んでいたことだろう。



2006年07月27日(木) ある晴れた日の考察

 もともと、人間は嘘つきだった。
そんな嘘つきな人間が多種多様なメディアを持つようになったのだから、
世の中が嘘であふれかえっているのも無理はなかろう。

流通している嘘は、自分の目で嘘と見破っていかなくてはならない。
誰もそれが嘘と教えてくれないのだから。

自分の感性で生きること、それがどんなに生き辛くとも、あるいは生き易くとも、
そういったことを一切勘定に入れずに、善のレッテルを貼られようと、
悪のレッテルを貼られようと、ただ自分の感性のままに生きること。

それが人からどう見えるかとか、それで生が早く終わるとか長く続くとか、
そんなことは取るに足らないこと。

手放す者は、招かれるであろう。



2006年06月04日(日) Life is sweet

 珈琲でも、麦酒でも、良いものには独特の丸い甘味がある。
それは、砂糖などの甘さとは違い、ナチュラルな程良い甘さ。

YoutubeでMiles Davisを聴きつつ、この人のトランペットにも同じ甘さを感じる。
不思議とこの甘さは、苦味や悲しみの中にも浸透していけるのだ。

"Life is sweet",I say...
Whenever you're in trouble,
seek and find the sweetness in the bitterness...

And something will change,try it!



2006年05月24日(水) Fly high!

 適度な孤独、それがこの日記を綴るのに必要なこと。
あたかも誰も決して読むことのない、ただの一枚の白い紙に書くように。

想いを、記す。フィーリングを、記す。そこには目的なんかないのさ。
自分の、自己完結的な遊び。自己完結的であるがゆえに自由で、自発的発展性のある遊び。

Life is leela... You can see dancing Krishna...

そう、かつてこの日記は、Folding Bikeで街を彷徨うことと同じ質で書かれていた。
今日その質を思い出した私は、ひさしぶりにこの日記を更新するとしよう。

一つの時空から別の時空へ、私の「生きること」は今のところ続いている。
多くのものを失い、多くのものを得、そして何も得ることも失うこともなく。

指先すら動かすことなく、天高く羽ばたくのさっ♪



2006年01月24日(火) アクセス数

 アクセスカウンターを見たら、この日記のアクセス数は019587だった。僕が書いているはてなダイアリーは、この日記よりずっと後に始めたのだけれど、今見てみたら194507アクセス。気がつけば、はてなでつけている日記のほうが10倍近いアクセス数になっていた。はてなには、アンテナとかトラックバックとかコメントとかいろんな機能がついているし、グーグル他の検索エンジンにも有効にひっかかってくれるので、自然とそうなるのだろうと思う。
 しかしながら、えんぴつで日記を書いていると、なんだかあまり多くの人に見られていない気がして、それがかえって落ち着いて、独り言的なことを書けるという側面があるような気がする。mixi日記は半ばマイミクさんに読むようにプレッシャーがかかるような感じがあって、人の目をどうしても意識せざるを得ないようなところがある。やはりえんぴつにはえんぴつの存在理由があるのだ。



2006年01月19日(木) とても、とても個人的なことだけど

 とても個人的なことで、恋人や親友や家族にも話したくないことだけど、この日はとても大事で、記念すべき日で、きっと忘れないだろうなと思った・・・


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