フォーリアの日記
目次|過去の日記|未来の日記
今日はムンバイ近郊、大変沢山あちこちに行きました。 こんなにあちこち行くと、頭の中が整理しきれないので それぞれが貴重な体験のはずなのでもったいないけれど、わからなくなってしまっています。
まず、タクシーでVSNLという会社に行って 夫の会社がお世話になっているVSNLの方に最後のご挨拶。 次にガネーシュの祀られているヒンズー寺院へ。 その次に、ハジアリ(固有名詞)というダルガー(イスラムの聖堂)へ。 陸続きですが湾内に島状に出っ張っているところにあります。 普通のイスラム寺院はイスラム教信者以外は入れませんが、 ここは寺院ではなく聖職者の墓なので、一般人も入れるようです。 途中の道はかなり貧しい人たちがまわりにいて厳しい雰囲気です。
次に、ラクシュミという女神が祭られている寺院へ。 ここの参拝者は圧倒的に女性で、参拝のために並ぶ列は男女別なのですが 女性の列が圧倒的に長いのです。 知らないで列の外側を歩いていたら、警備の人が列の途中へ入れてくれましたが、 参拝に上がらないことにして列から抜けました。
昼食はザフランというレストラン。 庶民が行く店ということなのですが、立派なレストランで大変美味しいカレーを食べました。
その次がクロフォード・マーケット。 大変混雑して活気に溢れているが雑然として密集している、庶民のマーケットです。 地元に住んでいる夫がいないとまずここへは来ないと思いますが、 なんとなくタイの雑然とした商業地区にも雰囲気が似ています。
その次が、ビクトリアターミナス。 世界遺産になっている駅です。 改札などなくホームへ入れるので、電車のそばまでちょっと入りました。
駅から歩いて、ジニーさんというムンバイチェンバーオーケストラの代表者で 夫がお世話になった方のところへ挨拶に行きました。 今までの雑踏から急にハイ・ソサイアティの中に飛び込んだ感じです。 ジニーさんの話もいろいろ興味深いのですが、 いかんせん、いろいろなことが一日にありすぎてあとからまとめられません。
ここでレジデンスに戻って休憩。 夜はディナーに招かれているのでここでお風呂に入ってしまいました。 タクシーに乗って風に吹かれていくとほこりっぽくなりますが、 (たいていのタクシーは窓開けっ放しです。) ニューデリーほどではないし、多少は仕方ないでしょう。
さて、この日最後はお世話になった会計士のビルモーリアさんというかたに招かれてディナーでした。 このかたはジャイナ教徒で、肉や魚だけでなく、根菜も食べません。 ベジタリアンレストランに招かれてのディナーなので、完全なベジ・ディナーです。 インド式に遅いディナーで8時からです。
ベジ・メニューは乳製品や豆や野菜のカレーが中心で、食べにくいものでもなかったのですが 毎日それでは寂しいかもしれません。 ウェイターがおかわりを持って常に回っていて 油断して断り損ねるとわんこそばのように注がれるので参りました。
ビルモーリアさんご夫妻にはジャイナ教についていろいろうかがいましたが 前から気になっていたサリーとパンジャビについての疑問も聞いてみました。 日本語で検索すると「サリーは未婚女性、パンジャビは既婚女性が着るもの。」 という話が1件ならず引っかかってくるのですが、それが本当かどうかです。 スリランカでもまったくそんな話も聞いたことがないし見たこともなかったのですが インドでも、見ている限り、夫婦子供づれの女性も普通にサリーを着ているし、 そんな話はまったくでたらめにしか思えなかったのです。
ビルモーリアさんの話では、サリーもパンジャビも未婚でも既婚でもどちらでも着るが インドの伝統的な衣装はサリーなので、年寄りはサリーしか着ない人も多いし 若い人はパンジャビの方が動きやすいのでパンジャビを着ることが多くなってきているといいます。 フォーマルな場合にはサリーだそうです。 ただし、パンジャビはパンジャブ地方では伝統的な衣装なので パンジャブ地方ではパンジャビがフォーマルだそうです。
インドは本当にいろいろなものが混ざり合っている国で、 貧しい人たちは本当に貧しいし、とんでもないお金持ちもいます。 賢い人たち文化的な人たちもたくさんいます。 とても不思議な国です。
朝、近所の公園を散歩しました。 ジョギングや健康のために歩く人々など大勢が散歩しています。 そのご夫の在庫の日本食のそーめんで朝食。
昼から業者が来て引越し荷物のパッキング。 昼と言っても業者はちゃんと少し前にきて時間に正確です。 その作業も、素晴らしい手際のよさにびっくり。 日本ではアルバイトがたくさんきて、 かなりうまい引っ越し業者でも誰もが手際がよいとはあまりいえないので こんなに全員すばらしい手際でやってのけるとびっくりです。 インドの人はカースト制度で縛られてはいても、生まれついての職業に熟達していて 「これをやらせれば俺が一番」のような自信を持っていると夫が言っていましたが、 その典型を見たようです。
その後オフィスへよってから街中のショッピングセンターでお土産を買いました。 娘用に綿の普段着パンジャビなど。 しかし引き上げの引越しなので手荷物も多く、そんなには買えません。 船便の荷物が日本に着くまでには2ヶ月はかかるので、 すぐに使いたいものは手荷物で持っていかなければならないからです。
夜、オーナーへ電気料金の支払い。 またもめたのですが、最後には昨日決めた支払額を払ってまあ終了です。 明日にはインターネット接続のためのCDMAカードを返すのでインドからの接続は今日まで。 (と思ったら返すのは30日でしたが、実際につないだのはこの日までです。)
早朝からムンバイへ移動しました。 4時半ホテルを出発。 ホテルは朝食つきなのに、朝食を食べたのは2日目だけです。 この日も朝食時間にはもう出発しているので食べられません。 空港で飛行機会社の違う窓口へ行って誰もいないのに寒い中待っていたというハプニングはありましたが 6時10分の飛行機は特に遅れることなく(インドでは珍しい?)ムンバイへ。 8時ごろ定刻にムンバイ着。 夫の住んでいるレジデンスへ。 朝食を食べ損ねたので、そこでラーメンを食べたような気がします。(記憶があいまい) すこしのんびりして、その後ムンバイのオフィスへ。 昼食はオフィス近くのビルでサンドイッチ。 その後そのビルで買い物。カバンを買いました。
夜、電気料金のトラブルでオーナーと交渉。 電力公社がこう言っているとオーナーが主張するおかしな話が通用することに はたで聞いていた私まで納得いかず、 夜になってもなかなか眠れませんでした。
ニューデリー2日目といっても、丸一日ニューデリーにいたのはこの日が初めてです。
夫はニューデリーのオフィスへ最後の仕事へ。 私はその間大きな道をはさんでむかいの国営のemporium(百貨店)へ。 パンジャビを着るとポケットがないので、 ハンカチちり紙携帯程度が入る(財布も?)ポシェットのようなものが欲しかったのです。 中をさんざん歩き回った末、やっと一角の革製品の店で手頃なポシェットを見つけました。 清算と品物受け取りは全部一階なので、下りて行きかけた所、夫から電話で まもなくこちらへ向かうとの事。 夫が着てから支払いを済ませました。
昼食は夫の同僚と中華。 中華と言っても、インド風で、麺でもご飯でもなんとなくどろっとした辛い物をかけてまぜて食べないと インド人は落ち着かないのかもしれません。 シュウマイとか餃子のようなものは普通でしたが、全体にインド化しています。 その後買い物。 夜、寒いので近くのごちゃごちゃしたマーケットでショールを買いました。 こういうごちゃごちゃした露店が出ているところは主に地元の人が買うような所に思えますが 街中なので観光客も来ることはあるようで、売り込みも激しいです。 パンジャビと着てきた洋服どちらにも合うように薄いクリーム色のカシミヤ混のショールを買いました。 これはその後インドにいる間ずっと愛用することになりました。 巻きつける文化の国インドでは、こういうものを羽織っていてもまったく違和感ないので 大変重宝しました。
夕食は、外へ出て徒歩圏のレストランでインド料理でした。 ちょっとレストランに入るとたいていインド料理なのでまたカレーです。 北インド風はそんなに辛くないものがあるので大丈夫です。
ニューデリーのインペリアルホテルは立派なので、中でゆっくりしたいところですが 早起きしてアグラへ行ってきました。 朝6時半出発です。 日本時間に慣れているので早起きするのはそんなに辛くありません。 アグラまでは230キロぐらいの距離があるそうで、 車で朝早く出発して観光して、帰ってくると夜になります。
かなり寒いのには困りました。 スリランカで作ったパンジャビスーツを着ていったのですが、半袖なので 上にカーディガンを着て、マフラーを巻いて、それでもひざが寒いのです。 インドの人は寒いと色々な布を首やからだに巻きつけていますが 何でもありのようで無造作に見えるのですが、なかなか決まっています。 マフラーは置いてこようかと思ったのですが、巻きつける文化の国インドでは持ってきて正解でした。
昨日まで長時間飛行機に座っていたので また今日も長時間車に乗って座っていることになります。
現地でガイドについてもらって、まずタージマハールへ行きました。 門にある装飾は遠くから見ると描いてあるように見えましたが、 近くへ行ってみると、石や宝石が埋め込まれて絵や文字になっているのです。 文字の書いてある幅も下から見たときに一定に見えるように、上に行くほど幅広なのだそうです。 タージマハールはまず手前の門を通して見た姿が美しかったのですが、そこをすぎ、 敷地内へ入ると雄大な姿が広がっています。
タージマハールはムガール帝国のある王が王妃のために立てた巨大な墓で、 後に王も隣へ葬られています。 真っ白な大理石の建物の中へ入ると、王と王妃の墓が並んで祀られています。 実際に葬られているのは地下だそうです。
そのあと行ったのは、アグラ・フォート。 フォートとは城というか、居住もしていたけれど戦いの拠点ともなった砦のようなものでもあったそうです。 入り口の石畳の通路は象が歩いたそうです。 象は一種の戦車のようなものだったようです。
それらを見た後、アグラを後にしてまた車で帰ったのですが、 出発してまもなく車のフロントの下のほうでカタカタ音がするのです。 軽い段差を超える時はそのカタカタ言うものがひっかかってギギッと引きずるような音がします。 何か音がすると運転手に言っても「ノー プロブレム」と言って走り続けます。 いやしかし、これは大丈夫じゃないでしょ、これから何100キロも走るのに。 少し道路が広くなったところへ出てまもなく、ガタンと激しく衝撃があり、 道路へ何かが転がり落ち、さすがの運転手も車を止めました。
拾ってきたものは・・・どうもエアコンのコンプレッサーらしい。 エアコンなら走行には支障はないか? さすがインドというか怖いと言うか。
帰りに道沿いのマクドナルドでノンベジのチキンティッカバーガーを昼食に食べました。 あまり遅くならないうちにホテルに帰りつけました。
夜はまたインド料理で、殆どカレーですが、北インド風は辛くないものもあるので美味しいので 2日続くぐらいなら十分大丈夫です。 しかし、体がまだ日本時間なので眠くなってしまいます。
シンガポールのチャンギ空港のトランジットホテルをチェックアウトして 空港の到着ロビーのほうへ降りていくと、無料のインターネットスペースがありました。 PCに触ってみると、日本語表示可能になっています。 日本語の書き込みはできませんが、読むことはできました。 前にチャンギ空港のPCから書き込んだときは日本語表示できず、 勝手にインストールしようとしたらアクセス権が無くてできなかったので 色々進歩しているようです。
今度乗るエアサハラのチケットをまだ搭乗チケットに交換していなかったので、 まずはホテルのフロントで構内の地図をもらって、交換場所を探しにいきました。 最寄のインフォーメーションへ行ったら、まだ早朝は人が居なくて、随分歩いて遠くのインフォーメーションに行って聞きました。 場所を聞いて地図上でも示してもらうと、元来たインフォーメーションの近くでした。 そこで搭乗券に替えて、乗り場のほうへ行きました。
インドへ向かう飛行機はエアサハラというインドでも最大手ではない航空会社です。 飛行機が小さいので、待合室にそんなに人が居たようには思えなかったのですが、中へ入ると満員でした。 通路も狭く、荷物がやっと通る幅です。 エコノミーの座席には、私はおさまりますが、隣の縦横ともに大きなインド人は収まりきらず、 私のほうに常にはみ出ています。 乗っているのはインド人多少と中国人たくさん、あとは中国系のシンガポール人っぽい人たち。 日本人は見かけませんでした。
飛行機の中で朝食を食べ、昼食も小さなハンバーガー1個みたいなものが出たらしいのですが 寝ていたのでもらえませんでした。
到着予定は12:10とのことですが、着陸したのは12:30頃。 入国審査で延々と並び、出口へ出られたのは1時半頃でした。
出口で夫が待っているはずですが、いませんでした。 ムンバイから来る夫の飛行機が遅れるかもしれないので、いない時はそこで待っているように言われていたので その辺の椅子に座ってそのまま待っていました。
出口でいきなりタクシーの客引きが声をかけてくるのですが 夫が来るので待っていると言うと、外から来るならあっちだと外で大勢迎えやタクシーが待っている場所を教えてくれます。 私は夫がどういう便で来るか知らず、国内線の発着場所が国際線とは違ったら外から来るかもしれないとそちらも見ていましたが、 外は寒いので、見えやすそうな位置に座って、建物の中にいました。
2時間ぐらい待ってもムンバイからの飛行機が到着するようなアナウンスは無いので 国際線とは別の場所に着くか、たまにしか便が無いものだと思っていたら、 そのころから急にムンバイからの便が着きだしました。 こんなに便があるのなら、今まで着かなかったのはおかしいのでこれから来るのかもしれません。
そう思って立って出てくる人を眺めていたら、また何人かタクシーの客引きに声をかけられました。 夫が来るので待っていると言うと、先にタクシーに乗ってホテルへ行っちゃえ、という人とか 随分長いこと待っているが、電話してみたらどうだ、電話はあそこにあると教えてくれる人とかいろいろいます。 インドルピーがないのと、飛行機に乗っているなら電話は通じないと思ったので直ぐには電話はかけませんでした。 乗らないといってもだまって去るわけでもないのが面白い。
電話するにも何か飲み物を買うにも、インドルピーを持っていないので両替しなくてはならないのですが インドルピーは夫がくればたくさん持っているので、今ここで両替しても仕方が無いかと思ってしていなかったのです。 小銭があれば飲み物やジュースでも買っているのですが、空腹を手持ちのあめ1個なめてしのいでいました。
さすがに3時間も待ったころ、円を多少インドルピーに替えて電話をかけてみようと思いました。 exchangeのカウンターに並んでいると前の人がやけに手間取っていて進みません。 その間にまた飛行機が着いたようなので、そこを離れて出口に見に行きました。 来ないようなのでまたexchangeに行こうとした所、夫が現れました。
夫が国内線の空港から乗ってきたタクシーでそのままニューデリー市内のホテルに行きました。 どこに泊まるか知らなかったのですが、行ったのはインペリアルホテル。 かなり立派なホテルで、シンガポールからラフな服を着てきたのはまずかったかと思いました。 厳寒の日本からは厚着して出てきたのですが、シンガポールで軽装に着替えたのです。
夜はホテル内のインディアンレストランでクリスマススペシャルメニューのコース(要はカレーのバリエーションですが)を食べました。 すきっ腹にビールを飲んだので、グラス1杯(ボトル半分?)でかなり酔ってしまいました。
| 2005年12月23日(金) |
Arriving at Changi |
I leaved from Narita at 17:20. This time, my seet is business class, and I was afread that if I'd feel very lonely with wide seet. Fortunately a gentleman next to my seat is very friendly. He came form Washington and would going to Indnesia.(I could not hear the city name.) He came to Japan just for transit and Singapole too. His wife is in Indnesia for some project and his children are living with her.
After 7 hours flight, I arrived at Changi airport at about 23:30. I stayed at Changi Transit Hotel. I was tired and just slept.
|