フォーリアの日記
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2003年06月04日(水) 埼京線よく止まる

今日はコーラスへ行ってきました。
3週前は伊豆旅行だったし、その後2週も休んだので久しぶりです。

(ここからかなりローカルな話。路線を知らない方ごめんなさい)
駅へついたら、埼京線がとまっていました。
大崎駅でポイント故障とかいうことです。
まもなく動き始めたようですが、これに乗ってしまうと
数珠繋ぎに前の電車がつかえているので、たびたび停車する上に混んでいて
疲れきってしまう上に、着くのもどうせ大幅に遅くなるので
ためしに別の路線を回っていくことにしました。

武蔵野線で東川口まで行って埼玉高速鉄道に乗り換えると
埼玉高速鉄道→営団地下鉄南北線→東急目黒線・・と相互乗り入れしていて
こんな辺鄙なところではすいているので
目黒線西小山まで(時間はかかるけど)座っていけます。
3路線を一気に走る電車はないのですが、2路線ずつで乗り換えても
乗り換えは同じホームで1回で済みます。

初めて乗る埼玉高速鉄道。深い階段をおりて地下です。
値段は高い!(目黒まで690円、内地下鉄270円)

東川口から赤羽岩淵までは埼玉高速鉄道、そこからは地下鉄南北線。
ずっと地下です。

こんなに長く地下鉄に乗るもんじゃありませんね。
閉塞感で気持ち悪くなってきました。
寝てたらわからないだろうと寝ようとしました。
とりあえず少しはうとうとしました。
でも、乗り換えもあるし、起きてしまいました。

目黒駅を出て地上に出たら、本当にホッとしました。

今、東急目黒線の目黒−洗足間も地下化工事をしています。
ここも地下になったらもう救いがありませんね。

南北線で行こうなんてこれからは考えるのはやめようと思いました。

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帰りも高田の馬場で人身事故とかで、埼京線、山手線遅れてました。


2003年06月03日(火) 眠かった

今日は一日眠い日でした。
なんだか連日の疲れが出たようで。(←何というほどのこともしてないのに)

朝から、ゴミを捨てる前にダウンしていました。
ゴミを捨てた夢を見たので安心していましたが、すてていないことに気づき
あわてて起きました。

いろいろなことがありすぎて
5月半ばだと思っていたらあっという間に6月になってしまったという感じです。

朝からうたた寝しても洗濯したし掃除もしたし買い物も行ったし・・なんてのんきな日は
ほんとに久しぶりな気がします。


話は違いますが、もう蚊がいます。すでに刺されました。


2003年05月31日(土) 五月祭

今日は午前中マンションの理事会があり雨の中出かけてました。

息子の大学の大学祭が今日、明日なのですが
この雨の中出かけるのはどうかと少し迷いました。

明日もあるんだし、今日は午前中も用事でつぶれてて出足が遅くなったし
この雨の中わざわざ行くことはないと普通なら思うんでしょうが
なんとなく今日は、急用ができて明日いけなくなるかもしれないので
行けるときに行っておこうという気分でした。(←いろんな出来事に影響受けてる人生観?)

H三丁目駅の出口は広い道路に面していないのでいつも出てから戸惑います。
何通り方面などと書いてあるけど、通りの名前なんか覚えていないし。
とりあえず広い道路へ出て、近い交差点に行けばだいたい当たりだと思うのですが
そこまできても方向がすぐにはつかめず、一通りあたりを見回してしまいます。
あたりを見回すと見たような交番があって、
その前を通った覚えがあるのでやっとだいたい方向がわかります。

この頃雨はかなり激しく、歩道を水がザーザー流れています。
傘は差しているのですが足元や袖口がずぶ濡れになって到着しました。

会場になっている教室に着くと、娘が来ていました。
部活をサボって友達ときたらしい。
他にも兄がこの大学にいるという友達が何人かいて
行ってみようかと話題になったらしい。

この雨の中ですから、本当ならデジカメでも持ってでかけたかったのですがやめたので
本当に息子のコンサートだけ見てさっさと帰ってきてしまいました。
明日の方が出番が多いそうなので、余裕があったら明日も行こうかな。


2003年05月29日(木) 弟、横浜へ

さきほど弟からメールがあり
明日、子供たちを連れて横浜へ戻るらしい。
詳しいことはわからないけど。

これからが大変だけど、なんとか道をみつけて
がんばって暮らしていってほしい。


2003年05月28日(水) 車のエアコン

車のエアコンが効かず、長野から汗びっしょりで帰って来る羽目になったので
故障かガスチャージが必要かと見てもらうことにしました。

近所のオートナウというカー用品店は整備もやっています。
車を持っていってみてもらいました。
「ガスチャージなら20分くらいかかるので待合室でお待ちください」といわれたので
待合室で待つことにして缶コーヒーを買ったら、開けた途端に呼ばれました。

ガスがまったく全部抜けているとのことです。
それだけでは急に抜けたか徐々に抜けたかはわからないそうです。
「寒冷地へよく行きますか?」と聞かれました。
ラジエーターのあたりに融雪剤の塩化カルシウムが付着して腐食しているようなので
どこかに穴があいて漏れている可能性もあるとのことです。

ガスの密閉性を確かめるため、中の空気を抜いてしばらく置いて確かめてもらうことにしました。
真空にして一晩車を置いておいて様子を見るということです。

車を預けて家に帰っていたのですが、そのうち電話がありました。
3時間様子をみただけでも明らかに真空状態が保てなくなっているとのことです。
それでも、一応一晩置いておきました。

一晩置いて車を取りに行ってみると
3時間でも真空が保てなくなっていたけれど、一晩置いたらまったく外気と同じになっていたそうです。
これではガスチャージしてもまったく無駄です。

部品を取りかえるとなると大きなものを換えることになりそうなので
15万くらいかかるだろうとのことです。
修理は保留にして車を引き取ってきました。


2003年05月27日(火) 経過2 葬儀

23日(金)に夫の実家に到着した後、あちこち電話して場所、時間などを確認しました。
義母は義弟の家に電話して叔父の死を知らせました。
2つの葬式に混乱した義母は連絡する先を考えるのも苦労していました。
勤務先の義弟から折り返し電話があり、翌日こちらに向かって葬儀には参列するとのことです。

お通夜の時刻は双方でずれていたのですが、弟の嫁さんのほうが先だったので
夕方義母を車に乗せてまず叔父の家へ行って、私もお参りさせていただいて
その後義母をそこにおいて息子を連れて弟の嫁さんのお通夜にいきました。

私にはI家の親戚はほとんどわからないので、どういうふるまいをしたらよいかわからず
かなり気を使いました。

適当な時刻に退席して帰ってきました。
義母はすでに徒歩で帰っていました。

翌24日(土)、朝から納棺・出棺ですがこれも双方微妙に時間がずれています。
私は、用があるので帰るという息子を駅まで送り、先にI家のほうへ行きましたが、叔父のほうが時刻があとなので
早朝に車で小田原を発って駆けつけた義弟が間に合い、
義母を連れていってくれました。

出棺し火葬場へつくと、I家の隣には○○家と義母の実家の名前。
ここでもしかしたらかち合うかもしれないと思いましたがかち合いませんでした。

そこから葬祭場へ行ってしばらく時間があったので軽く昼食におにぎりが出され
そのあと1時から葬儀が始まりました。

若い人の葬儀は参列者が多く、弟夫婦が住んでいた横浜からもたくさんの人が駆けつけてくれました。

葬儀の後のお斎(おとき)(長野では葬儀の後のふるまいの席をそう呼ぶ)に参加して
主な流れが終了してまだ完全にお開きにならない頃、
今度は4時からの叔父の葬儀に参列するために退出しました。

叔父の葬儀に駆けつけてびっくり。
お経を上げているお寺さんが同じです。
道理で重ならないわけです。

葬儀が終わると、お斎に出るはずだった義母は疲れて具合が悪いというので私がつれて帰り、
代わりに義弟がお斎にでることになりました。

帰ると義母はそのまま休み、私も少し休みました。
2つの葬式はあまりにもあわただしくてわけもわからない気分です。

そのうち義弟が帰ってきてお斎で夕飯を食べるほどはおなかもすいていないので
おつまみ程度でビールを飲んで休憩し、そのうち解散して休みました。

次の日25日早朝、仕事を残してきたという義弟は帰っていきました。
私は昼頃出るつもりでしたが、弟に連絡すると昼頃衣類を取りに実家によっているらしいので
少しぐらい話ができれば、と実家のほうへ行ってみました。

衣類をとりに着たものの洗濯しないと衣類がなかった弟は洗濯していました。
すこし話をすることができました。
洗濯が終わると弟はI家のほうへまた行きましたが
私は郵便物など整理してから実家を出ました。

夫の実家へもどると、まもなく義姉夫婦が来るというので
では会ってから帰ろうということでもうすこしいることにしました。

義姉は看護婦らしいするどい洞察力でいろんなことを見抜いていました。
話ができてよかったです。

義母と義姉夫婦が叔父の家へお参りに行くというころ
私も帰路に着きました。

帰りの高速道路は渋滞しているところもあり
5時間ぐらいかかって家に着きました。

実はその間、車の冷房が効かなくて汗びっしょりでした。
これまで寒かったので暖まればよかったので気づかなかったのです。

エアコン問題は今日の話題なのですが、
長くなるのでやめておきます。
気が向いたらまたのちほど書くかもしれません。


2003年05月26日(月) 経過

22日(木)に死亡した弟の嫁さん(Yさん)はそのまま長野(須坂市)へ搬送されました。
葬儀はYさんのお父さんのたっての希望で、Yさんの実家のI家で行われることになったとのことです。
23日(金)にお通夜、24日(土)にお葬式とのことで
22日中には弟親子と、I家のかたがたは須坂へ行きました。

私は、23日の朝長野へ出発しました。

早く行きたかったので新幹線で出ましたが
実は荷物がいろいろありました。
スリランカから夫が駆けつけるというので
喪服一式持っていってくれというのです。
息子は私が出かける時はまだ寝ていたのですが
あとから夫の喪服を持って車で来てくれました。

交通が不便なところなので、車があると大変助かりました。

家を出る前に夫から電話があり、飛行機が飛ばなくなったので
遅い飛行機で出るとのこと。お通夜には間に合わないという話です。

行きがけに何度か夫の実家に電話したのですが
なぜか義母が出ません。
おかしいなとは思っていたのですが
須坂に着いた頃、弟からメールが入りました。

偶然夫の実家に電話をかけた弟が、
義母の弟に当たる叔父が亡くなったことを聞いたのです。
なんとYさんと同じ日に亡くなったとのことです。

留守だった理由がわかりました。

その直後、夫から電話があり、遅い飛行機も飛ばなくなってしまったそうです。
もう間に合わないので今回は行けなくなったとのこと。
向こうも大混乱のようです。

Kenの日記
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=85567&pg=20030523

まず夫の実家によって留守だったら実家のほうへ行こうと
駅前でタクシーにそう告げました。
夫の実家に着くと義母は帰っていましたので
こちらに落ち着くことにしました。

つづく(つづきは明日以降)


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