フォーリアの日記
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昨日お葬式も終わり、帰ってきました。 詳しくはまた明日(以降)書きます。
弟のお嫁さん、さきほど11時56分亡くなりました。 長野のほうへつれて帰ってお通夜もお葬式もするそうです。
なんだか、明日の朝までもたない状況だということで 今から病院に行ってきます。 18:28
| 2003年05月20日(火) |
なんだかややこしくて |
お嫁さんの肉親と弟の間に いろいろ考え方の相違や対立点があるようで なかなか大変です。 そうなってしまうと、もはや両親もなく 叔父叔母といっても○○姓のものは一人しかいない弟は 大勢いるお嫁さんの肉親に囲まれて 圧倒的につらい立場に立たされます。
今日は弟の相談に乗るために横浜までいってきました。
私に話したところで立派なアドバイスができるわけではありませんが 話をしたことで弟も考えがまとまったようです。
大変なことです。
---------- 帰ってきて駅についたら外は土砂降りでした。 うちのマンションの地下駐車場は水はけが悪く、 (排水ポンプの能力が低い?) ある程度まとまった雨が降るとすぐに満水警報がなります。 そうなると、最下段の車が水に浸からないように 駐車場の段を上げておかなければなりません。
理事なのでそういう作業をしなければならないのです。 帰り着いた時はまだ誰も出ていませんでしたが ずぶ濡れになって家に帰り着いたので着替えてからカッパを着て外に出ると 理事長と旧理事長などが外へ出て駐車場の段を上げていました。
警報の音もうるさいので止めたいのですが、 止まるボタンを押しても止まりません。 それでだめなら、ほかの止め方はわかりません。 水が引かない限り止まらないのでしょうか。
そのうちに通報がいっている警備会社の警備員がきたけれどわかりません。
その後、前に操作をしたことがある元の理事長が帰ってきて 操作を聞いたらさっきやったとおりでいいようです。 この時は大分水が引いていたせいか、警報は止まりました。
管理会社の設備管理の人が来たので見てもらって 操作を聞くとやはりそれで音は止まるそうです。 しかし水位がさがっていなくても止まるはずだというのです。 その後、排水ポンプのほうも見てくれていましたが あまり調子がよくないらしい。
どうも点検の必要があるようです。
長野から叔父が見舞いにきたので 私が案内して(といえるほど横浜に詳しくないが) 病院に行きました。
行きは、埼京線で渋谷へ。渋谷から田園都市線であざみ野。 あざみ野から横浜市営地下鉄でセンター南というルートで行きました。 しかし、埼京線が信号故障でダイヤが乱れ 快速がなくなったり行き先変更になったり 前の電車がつかえているといって各駅の手前で長く停車したりして えらく時間がかかってしまいました。
弟のお嫁さんの状態は、おとといよりむくんだように見えましたが 全体にはほとんど変化はないようです。
面会後、その場をお嫁さんの弟さんに任せて弟も席をはずし、 昼食を食べに出て、現在の状況を話しました。
このままの状態が1週間続くか2週間続くかわかりませんが 今の状態が続くうちは 子供たちはお嫁さんのお母さんが弟の家で見てくれて 弟とお嫁さんの弟で交代で休みをとりながら付き添うという体制で行くようです。
叔父は夕方に仕事上の用事があるといって 早めに帰っていきました。
帰りは急ぐということもあって 新横浜から東京へ新幹線、東京で長野新幹線へのりかえというルートで行きました。 私は新横浜から東京へ同乗し、長野新幹線の入り口に送り届けて見送りました。
弟のお嫁さんが脳に腫瘍があることがわかり、13日(火)に手術をしました。 その時は意識も回復して話もできていたそうです。 でも実は、悪性であることがわかり、かなり状態が悪かったのだそうです。
その後金曜日から容態が悪化して意識がないとのことで 私は連絡を受けて、仕事先から早退して直接病院へいきました。
着くとすぐに次の日の運動会に子供たちを連れて行って欲しいと言われました。
「土曜日に運動会だから子供たちを連れて行ってほしい」と 手術後麻酔が覚めてからも何度も念を押していたという話なのです。
そのまま運動できる衣類を買い揃えて弟の家へ行きました。
弟の家から病院までは1時間以上かかるので、 今夜が山といわれたその晩は、 それまで子供たちの面倒を見ていたお嫁さんのお母さんも病院のそばにいたほうがいいということで 私が運動会に連れて行ったのです。 容態に変化がなければ、弟も朝駆けつけるとのことでした。
その晩はそのまま変化がなく(といっても悪いまま)、弟も学校に駆けつけ(子供たちは喜びました)、 運動会が終わって子供たちを連れて病院へ行きました。
しかし、その日にもう医師から回復の見込みがない(助からない)ことを告げられたのです。
ご両親やご兄弟は激しく動転して、尋常ではありません。 私は子供たちを連れて、自宅で見ていようかと思っていましたが 慣れない伯母さんに任せるのは向こうのお母さんも心配らしく、 その晩は弟の家で面倒を見るというので 私は、あまりご両親を刺激しないように帰ることにしました。
今日も急に何かあったら飛んでいきますが、何もないなら行かないほうがいいようなので 家にいることにしました。
なんだかいろいろあって何日たったかわからない感じです。
胃が痛い。
いって来ました、伊豆高原。
昨日出発した頃にはまだ雨は降っていなかったのですが 林間劇場に着いた頃に、ポツポツ雨が降り出しました。
時間に余裕があるので有志で大室山へ行ってきました。 http://www.i-younet.ne.jp/~oh-murol/
夕食前にミニコンサート。(観客はひとり) 食堂兼用のホールは2階まで吹き抜けになっているので天井が高く 音がよく響いて伸びていきます。 みんな気持ちよく歌えました。
屋外観客席にもなる庭は、あいにくの雨で窓を開けることはできません。 庭に面した窓は天井までガラス張りで、雨の当たる音の伴奏がバラバラと入ります。
聞いてくださったご勇退なさる先生は、思い出すことも多いのでしょう。 泣いていました。
宿の展望風呂はこの大人数には狭いし、まさかここまで来て部屋のユニットバスに入るわけもないので 有志でタクシー2台で温泉に行きました。
高原の湯 http://www.suiransou.com/
露天風呂があってさらに歩いて上段に行くともうひとつ露天風呂があります。 雨なので頭に雨があたるのがちょっと難点ですが、 平日の夜遅めの時刻のせいか、すいていて ぬるめのお湯にゆっくりつかって、ポカポカにあったまりました。
夜は自然に夜更かし組と早寝組(70歳以上?)に分かれて 飲んでしゃべって1時半ごろまで起きていました。
次の朝なぜか早寝組(=早起き)に早朝(6時前)起こされて 朝風呂に入ってきました。
朝食後、宿のオーナーご夫妻のために歌を歌って その後一応解散。
雨が激しいので、観光に意欲を燃やしていた人も大部分はあきらめて 1ヶ所ぐらいどこかを見ていくだけで帰ろうということになり テディベア館へ行きたい人と、ねこの博物館に行きたい人に分かれました。
それぞれタクシーに分乗することにして、宿を後にしました。
猫の博物館 http://www1.ocn.ne.jp/~nekohaku/
猫の博物館にはいると、いきなり入り口にねこのケージがあり、紐でつながれたねこが外に出ています。 さわろうとすると、人なれはしているけれど、初めはちょっとこわごわ近づいてきます。
ここは1階がトラ、ライオンを始めとする、動物園にいるようなネコ科の動物の剥製、 二階に行くと、たくさんのケージが並んでいていろいろな種類のネコがいます。 空いているゲージに紐でつながれた猫がいて、さわったりできます。
私はだいたい、犬にも猫にも好かれるので かまうと、ひざに乗ってきたりするのもいます。 ひっくり返っておなかを出すのもいます。 かと思えば、気が向いた時だけよってきて、去ろうとする時にさわると猫パンチを食らわすのもいます。 台の上でまるまっていたでかいロシアンブルーは大きくてすましているように見えますが かまうと肩に乗ってきて首の後ろで座り込みました。
仲間に手伝ってもらってそれをおろし、ほかの猫を見ていましたが 首の周りがかゆくなりました。 しまった、毛が着いたに違いないと、上着の首の周りをよく見て毛をとりましたが 色がまだらなジーンズ生地で、見落としがあってなかなか全部取れません。 それでも何回か上着を脱いでかゆくなくなるまでとりました。
そしたら今度はくしゃみが出だしました。 強烈に猫の毛アレルギー?
それから猫の博物館を後にして、バスで伊豆高原駅まで行きました。 何人かは駅で降りず、そのまま海洋公園へ行きました。
駅へ着いてもまだくしゃみがでるので 駅の外で上着を脱いでパタパタ払ったらやっとましになりました。
駅で特急券を買い、それから構内のそば屋で昼食を食べました。
雨はその頃は伊豆高原ではやみかけていましたが 雨を追うように東京へ向かったのでずっと雨に降られていました。
天気がよかったらもっといろいろ素敵に思えたと思いますが 初めてきたので何でも新鮮でした。
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