フォーリアの日記
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| 2002年10月02日(水) |
今日は大変でした。(食事中の方はご遠慮ください) |
2時に病院へ着いたら、父はトイレで唸っていた。 急いで行ってみると、下痢をしたらしい。 おなかをかなり痛がっている
痛いし、汚れたものをどうしたらよいかわからないし、トイレに通うのが大変だしで パニックに陥って、いろいろ叫んでいた。
なんとか、汚れ物を処理してベッドに休ませても痛いらしい。 痛みが強いと、背中をさすっていた私の手を強く握る。 しばらく休まないと今度は体力がつらいのに またすぐにトイレに行ってしまう。 しばらくトイレとベッドの往復が続いた。
今朝浣腸したのが効きすぎたのかもしれないと、看護婦さんは言っていた。 モルヒネ系の麻薬は便秘が副作用なので、量に応じて下剤を併用するのだが、 麻薬を減らしたら下剤が効きすぎたのかもしれない。 もともと、試行錯誤で量を決めるので調節が大変なのだ。
3時頃いったん落ち着いたかに見えたけど、 またしばらくトイレ通い。 お腹も痛い、痛いと苦しがる。
4時頃やっと落ち着いたのか眠りました。 その間に私は食料を買いに出ました。 6時に夕飯が来たときは寝てました。
看護婦さんが夕飯を持ってきて父を起こしました。 眠そうでしたがそんなに寝ぼけもせず起きたので 自分でゆっくり食べられそうでした。 一緒に食べると喜ぶので、私も自分の夕飯用弁当を買ってきていました。
ところが、今日の看護婦さん、ちょっと無神経な看護婦さんで 介助してスプーンでどんどん食べさせてしまって 父がもういいと言ったらさっさと片づけてしまいました。 えー、そんなスピードで食べさせるから食べられなかったんじゃないの?
あまりにも機械的であっけないので冷蔵庫からゼリーを出して 「食べる?」と聞きました。 おいしかったら食べると言うのであけてみました。 自分で3分の1ぐらい食べたけど、あんまり味がなくてうまくないと言いました。 私の弁当から何かほしいもある?と聞いたら 固そうであんまりうまくなさそうだ、と言いました。
眠いところを起こされたのでそれからまもなく寝てしまいました。 しばらく見守ってから、帰るね、明日またくるね、と声をかけたら寝ているようでしたが もう1度声をかけたら返事をしました。 それだけでそのまま眠りに入れるように静かに出てきました。
起きたら8時を過ぎていた。 え?ほんとに? 時計を何度も見直しても過ぎてる。 しまった。 のどが痛い。背中も痛い。風邪ひいたかな。
娘は?寝てる。 遅刻決定。 すぐに起こすが、「どうしよう」と歯切れが悪い。 「覚悟を決めて堂々と遅刻しなさいよ。」 そういえば、今日は球技大会らしい。 授業よりかえって遅刻しにくいか。 友達に連絡して軽く残り物で朝食を食べ、あわてて出て行った。 球技大会ならお弁当を買いに出る暇ぐらいあるだろう。
私は急いでゴミ出し。 今日は、銀行へ行かなきゃ。 通学定期代をおろして、授業料の振り込みもしなくては。 今日忘れると、また家にいなくなるのでまずい。
---- 父の様子 今日は昨日から麻薬を減らしているせいか、意識ははっきりして 自分からよく話もして、食事も自分で食べ、 病院食以外のものも食べたとのことです。 そのかわり、背中が痛いと言っていたようです。 落ち着いているようなので、私は明日長野へ出発でよさそうです。
私はやはり疲れていたのか、今日はよく寝た。
弟から聞いた今日の父の様子 午前中に意識の状態が大変悪く、病院から弟に連絡を入れたらしいのだが 番号を間違えたのか、弟に連絡がつかなかったらしい。 その時弟は、車のタイヤを替えに行っていた。 昼過ぎ、弟が病院に行ってその話を聞き 痛み止めの麻薬を減らしたということだったという。
弟が行ったころは、かえって昨日よりも状態がよく 意識もはっきりしていて話もでき、 ご飯も自分で食べたそうだ。
ベッドの縁に座っているだけではなく 自分でベッドに横になったり、 テレビをつけたらそちらを見たりできたらしい。 トイレの中でも眠ったりせず、すぐに出てきたらしい。
昨日はほとんど夢の中のような状態で、そんなこともできなかった。 でも、痛みとの兼ね合いだから、これがどのくらい続けられるかはわからない。
----- 夫が10月3日に帰国すると連絡があった。(スリランカを出るのは2日) 自宅に寄らず、直接長野の方に行くと言う。 私は2日には長野へ行っている予定。
朝(そんな早くないけど)、病院へ行こうとして車をだしたら まもなく、みょうにガタガタいうし、ハンドルがとられる。 パンク? 路肩に車をとめて見てみるとやはりパンク。
とにかくスペアタイヤに替えてから 弟の嫁さんの実家(○○モータース=自動車整備工場)に転がり込もうと思って、 後ろを探すけど、ジャッキがない。
三角の停止表示板を立てて(気休め?) 父が積んでるわけわからない荷物を道に降ろして真剣に探すが、ない。 スペアタイヤをはずしてみても、ない。
通りがかりのバイクのお兄さんが 「手伝いましょうか」と声かけてくれたけど、ジャッキがない。
確認なんかしてなかったよ。 人の車のジャッキのありかなんて知らないので見つからないだけかもしれない。 でも、出てこない。
恥ずかしながら、弟の嫁さんの実家に救援依頼することにした。 電話をしたら、まもなく駆けつけてくれた。休みなのにすみません。
そういうわけで、父の昼食前に病院に着けなかったけど 着くとちょうど、看護士さんが父を起こして食べさせようとしていた。 今日は何だか、意識が夢の中のような状態が長い気がする。 自分で食べない。 食べさせると食べる。でも、まもなくいらないと言う。 夢の中にいるようで話も通じない。
その後、車椅子に乗せて、外に散歩に行った。 このときは意識がはっきりしていて話もできた。 車の見えるところへ言ってパンクしたのにジャッキがなかったという話をしたら 「入っているはずだ、見てやろうか」と立ち上がらんばかりの様子だったけど 立つのは無理だよ。あそこまで行けないよ。 「あとで探しておくから」といってその場を去った。
でも、病室へ戻ると、半分眠っているような感じ。 何をするにも眠りながらなので時間がかかる。 今日は特別なのか、日に日にそうなっているのか。 食事も2時間がかり。 トイレに行っても中で眠っていて、なかなか出てこない。 声をかけても、眠っている間の時間は存在しないのだろうから 何でそんなにせかすのかと言う感じの返事をする。
私の帰り際も、トイレに入ってしまって1時間も出てこなかったので あとは弟にまかせて、トイレに声かけて帰ってきた。
昨日も今日も、一見したところ先日みたときと変わりありません。 昨日はベッドの縁に腰をかけていました。 あんまりちゃんと寝ていないようです。
今日もそんな感じでした。
なんだか別世界の住人になってボーッとしていますが 話しかけると時々こちらの世界へ戻ってきます。
食事の時も、ボーッとしたままほうっておくとずっと食べません。 話しかけて、こちらの世界へ帰ってくると 食事に気がつき、食べます。
足をみると かなりむくんでいました。 昨日はこれほどではなかったような。 少なくとも23日にはそんなことはありませんでした。
仙台の友人が納豆を送ってくれました。 とてもおいしいし、体にいいから是非食べてくださいということです。
今日到着したので、早速食べてみました。 本当に、おいしかった。 こんなに味のある納豆は初めて。 黒豆納豆なんていうのも入っていたけどどんな味がするんだろう? 今度食べてみよう。
おいしかったので宣伝しちゃおう。 http://www.nattou.co.jp/
今日、病院へ行くと父は先週よりボケが進んでいるようでした。 人の話の内容は理解していて、割とまともに応答するのですが 自分から話すことは少なくなっていて、また やりかけていたことがわからなくなったり 寝ようとしたのか立とうとしたのかわからなくなって ベッドの縁に腰掛けたまま、スリッパを脱いだり履いたり・・・ みたいな状態でした。
先週よりだいぶ、立つのが苦しそうになっていました。
医者の話を聞きました。 ここのところ、だいぶ衰弱が進んでいて あと1週間か2週間ぐらいなのではないか、ということです。
もちろん、だから1ヶ月生きないのかと言われば それは断言できないのだそうです。
病状が進むと言う観点、つまり 癌が大きくなったとか、 癌から出ている毒性の物質が増えたとかいう観点からすれば 徐々には悪くなっているのだけれど、そう急に変化があったわけではないそうです。 ただ、体の衰弱はそれとは別に進むのだそうです。 そして、その衰弱が あと、1週間から2週間というレベルなのだそうです。
弟と話し合って、これからは週末だけでなく 平日も交代で詰めていることにしました。
今日は帰ってきて、明日とあさっては家のことをして、 木曜日からその体制に入ります。
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