武ニュースDiary
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2020年07月28日(火) |
「南方人物周刊2017-4-24」金城武インタビュー・3(完) |
撮影が中断したら、待ちます
――あなたが20代のとき撮った南極ドキュメンタリーを見ましたが、 非常に悟ったような感じを受けました。 普通の人なら、おそらく50代でようやくそうなるのでしょうが、 あなたは20代でもう物事がわかってしまっている。なぜでしょう。
金城武 本当ですか? それは南極だったからなんじゃないかなあ。 あの死骸のところのことを言ってるんですか?
――あれだけではありませんよ。 あなたは動物たちの生きている様を観察して、すごくいいと思い、 そこから自身の生活に思いをはせて、万物を傍観する感じがあります。
武 なぜと聞かれても、ぼくもわかりません。 ぼくがものぐさで、あまり積極的ではないからかもしれませんね。 仕事を何年間に何本やるか、これも全部、 そうしようと思ってそうなったわけではない。 ちょうどそのときに、チャンスをくれる人がいて、 内容も面白そうだと思えるもので、時間的にもうまく合って、 そして出演したものばかりです。 決して自分が1年に何本出ようと決めたわけではない。 決めたいと思っても、そんなこと無理です。
――つまり、意識して、仕事間隔をあけているわけではないと?
武 掛け持ちはしたくありませんけど。 前は掛け持ちがとても多くて、すごく疲れました。 あの頃は、それがあまり多いものだから、 今自分が何を演じているのかわからなくなるほどでしたよ。 この現場が終わったら、別の現場に行くというのは、お金をもらえるから、 ここではこの衣装を着て、このせりふを言う、という感じでした。 そういうのはしたくない。1つのことに専念したい。
だから、今は、やるときは1つだけ。 その仕事が中断することもあるけれど、そうしたら、待つ。 でも、そういう中断のとき、他の人は別の仕事に行ってしまうことが多いので、 撮影が遅れて、待つ時間が長くなることもあります。 ぼくは多分、そんなに積極的じゃないんだと思います。
――待つのが長くなっても焦りませんか。
武 もちろん、あまり長くなるのはいやですよ、かなりきついので。 というのは、役の状態をその間キープしないといけないからです。
――例えば「太平輪(ザ・クロッシング)」は何年もかかりましたよね?
武 「太平輪」は本当にくたびれましたね、気持ちがくたびれた。 ああいう悲しい状態をずっと維持しなくちゃいけなかったんですから。 あるとき、泣く芝居をすることになってる日があったんですけど、 携帯に、台湾の台風で金城武の木が倒れたとかいうニュースが次々表示され、 笑ってしまうような写真も次々に目に入てくるわけです。 今日は泣く芝居をしなきゃいけないのに。 あのとき、ああ、自分はずっと厳澤坤(ザークン)の状態でいたんだなと、 初めて気が付きましたよ。
――テレビ番組で、あなたは何かするとき、考えすぎてしまうので、 荷物をまとめるときも、迷いに迷って最後の最後でスーツケースに入れるんだと、話していましたね。 自分ではそういうところを変えたいと思っていますか。
武 変えたいけれど、変えられない。 変えられないことはないのかもしれませんね、でも相変わらずこうなんです。 たくさん物を持っていきたいんだけど、もうじき家を出る時間で、 時間がなくなってるのに、床は入れようと思って出してきたものでいっぱい。 で、持っていったら、現地で簡単に手に入るものだったりして、 ほんとに時間を浪費しているんだけど、どうしていいかわからない。
――ずうっと前のインタビュー動画で見ましたが、 子どもの頃、日本人からは台湾の人間だと見られ、台湾の人からは日本人だと見なされて、 ずいぶん困惑したと話していました。 その後、いつ頃からこだわらなくなりましたか。
武 いつのまにかですね。 実は誰かが君は何人だといっても、多分どれも正しいんですよ。 ならば、あれこれ考えることはないのじゃないかと。
今は、生き物として、でもいいし、1人の人間としてでもいいけれど、 自分の仕事をしっかりやる、 映画を好きな人に、ぼくらが作った作品が見られるようにする、というだけです。 どんな役をもらっても、目標は1つ、その役を生き生きと演じだすことだけ。 映画の出来はぼくにも決めることができないけれど、 人物が描き出せるかどうかは、ぼくにとって重要です。
ぼくは今はやはり「金城武」という俳優に過ぎなくて、 この作品の中では、つまり路晋(ルー・ジン)という人物を演じ切ること。 もし良かったと言ってくれれば、ありがとうと言います。 良くなかったって? そしたらもっと研究して……いや、放っときます(笑)。 だって、審美眼は人によってみんな違いますからね。 (完)
やっと終わりました。ちょっと最後が空き過ぎましたね。 インタビュアーが「台湾の人」と言っているのは、原文では「台湾地区の人」で、 そこは、台湾は別、と認めない中国の雑誌だなと感じさせるところです。
記者は、失敗したインタビューの1つ、と書いていましたが、 どうでしたでしょうか。 (ちなみに写真は、撮りおろしは表紙と最初に挙げた1枚だけで、 あとはスチール写真とか、既出のものの流用ばかりでした)
思い出しましたが、明後日、7月31日は、武ニュースDiary主催の ただ一度のオフ会を開いた日から10年です! 出席・不在参加含めて100人の方が集ってくださいました。 このとき知り合って、今も交流のある方もいらっしゃいます。 当時制作したみなさんのメッセージ集を見直すと、今どうしていらっしゃるかなあと懐かしく思います。
このオフ会は”夜明け前のオフ会“と称し、なかなか次の仕事の話が聞こえてこない武さんを待ちながら、 みんなで元気を分け合おうというものでしたが、 ちょうど、この直後、リプトンのCMや「捜査官X」出演など情報が届き、 本当に夜明け前だったね、と言い合ったものですが、しかし。
氷河期とは言いながら、振り返れば、2009年までは、 年に1回はほぼ公開されていたではないですか(時に複数)。 今は氷河期という言葉も死語になりました。
ファンももうほとんどいないのかなと思いつつ、 ツイッターなど見てみると、案外いらして、ちょっと心強くなったりもします。 ひたすら静かに待つ、という心境にみなさん、なっているのかな。(私もそうです) 頼みの「風林火山」は、監督がもうちょっと頑張って早くに公開してくれてたらなあ。 いろいろ事情があったのでしょうが、 もしもコロナと香港情勢が予知出来ていたら、万難を排してでもやったかもしれませんね。
BBS ネタバレDiary 12:10
2020年07月16日(木) |
「南方人物周刊2017-4-24」金城武インタビュー・2 |
たくさんの喜怒哀楽が引き出しに
――映画以外に出演することは考えませんか?
金城武 基本的に映画ですね。
――以前、映画の道に進むと決めたとき、歌は自分からやめたのですか?
武 はい、あの頃は映画の方がもっと面白いと感じていました。 音楽も、演技も、ぼくはできない、勉強したことがないんです。 チャンスをもらっただけで、人が、多分、顔がよければOK、 この仕事はできる、と考えて、それで始まった。
その頃は映画が面白いと思っていて、 演技がすごく面白いというわけではなかった。 演技をすることで、ぼくは映像制作の過程に参加できるチャンスが もらえるわけなんです。 そしてウォン・カーウァイに出会い、よけい面白くなったんだと思う。 現場で起こることは何でもすごく興味がありました。 監督でも、カメラマンでも、道具係でも、美術でも、録音技師でもなんでもいい、 映像制作ってどうしてこんなに面白いんだろうと思いました。
――そういう人たちと話をして、いろいろ理解したのですか。
武 そうですね。 若かったので、好奇心旺盛だったというのもあるかもしれません。 本当に楽しかった。 ただ観客として見ていた頃には、 その裏側でこんなに様々なことがあるというのは知りませんでした。
CDを作るのが面白くないというのではないんです。 でも、ぼくが本当に得意なものでもないし、 それにみんなで一緒につくりあげるものではない。 当時は両方並行してやっていたので、くたびれてしまって。 例えば、1日に2本の映画の撮影をして、 その後CDの宣伝に行かなくてはならなかったりして、ああ、もうだめだと。
――あなたは、かなり初期の頃に、演劇学校に行って 気持ちや表情のコントロールを勉強しようとは思わない、と言っていますね。 基本的な技術をつかんだら、あとは自分自身の具体的な感覚で演じたいと。 今でもそう考えていますか?
武 ぼくは現場で経験する中で技法を学びました。 そのうち、やっぱり俳優1人1人の違いが見えてくる。 すると、あの人はどうしてこんなにうまくできるのだろうと考えるようになり、 観察するようになります。
演技の先生や学生と話をして、彼らの方法や理論を聞くと、 わあ、すごい、と羨ましくなりますよ。 もし、こういうしっかりした基礎があれば、どんないいいだろうとも考えます。 けれども、ぼくにはそれがないからこそ、今の自分があると思うんです。 それが悪いことともあまり思えないんです。
正直言って、ぼくには人生経験も多くない。 例えば、様々な感情、ぼくらはたくさんの喜怒哀楽の引き出しが必要で、 どの引き出しも更に何層にも分かれている。 自分の記憶をその中に収めていて、 これを演じる、というときに、引き出しを開けてそれを取り出してくる
でも、ぼくの人生がそんなに豊富なわけがないでしょう。 そこで、家族が死ぬこととか思い浮かべたりする。 後で、思うんです、どうして家族の死なんか考えなきゃいけないんだろう、 呪ってるような感じじゃないですか。
あるいは、辛かったことを思い浮かべる。 でも、ぼくは性格的にそういうことはほじくり返したくないし、 忘れたいと思っていることを仕事のために使いたくもない。 やっと心の奥にしまい込んだものを、なんで又出してこなきゃならないのって。 (続く)
BBS ネタバレDiary 21:00
2020年07月14日(火) |
「南方人物周刊2017-4-24」金城武インタビュー・1 |
ぼくは、金城武という俳優であるだけ ――金城武との対話
女の子のこと、全然わからないわけじゃないよな
ーピーター・チャン監督は、3回あなたにオファーして、3回断られたと言っています。 4回目もまず断ったのですか。
金城武 そうではなかったと思います。 なぜかというと、ピーター監督は今回はプロデュースで、 一緒に長く仕事をしてきた優秀な編集者が監督をするのだと、 はっきり言ってくれていましたから。
また、脚本家にも非常にいい人たちが見つかって、若い人たちで、 要するに「七月与安生」の脚本家だと。 彼はこういう陣容で映画を作りたくて、ぼくに来てくれないかと言ったんです。 そのときは、自分が参加することで ピーターの助けになるなら、いいなと思いました。
ーー3本の映画を断ったときは、何かぴったりしないものがあったからですか。
武 1本目のときは、ぼくにはとてもできない、 なんでぼくを選んだんだろうという感じでした。
―――当時は、既に大監督たちといくつも仕事をしていたでしょう?
武 そんなことない、そうでしたか? (マネジャー:チャン・イーモウ監督とか) ああ、チャン監督のときもそうでしたよ。 どうして、ぼくなんだろう、人を間違えてるんじゃないだろうかって。 そのときは、そういう気持ちでした。
ピーター監督のオファーをどうして断ったか、実はもう覚えてないんです。 それに謝絶であって、拒絶じゃないですよ。 彼には本当に感謝しています、ずっと機会を与えてくれて、 本当に申し訳なくなるくらい。
ーーいろんなところで、喜劇が一番好きだとおっしゃてますが、それはなぜですか?
武 喜劇は人を笑わせ、幸せにすることができますよね。 ぼくは喜劇はすごく難しいと思っているんです。 アクションとはまた別の難しさで、アクションは割と物理的な難しさだけど、 喜劇はたくさんのアイディアが必要で、 それを見える形で表現しなくてはならない。
喜劇はいくつかのレベルに分けられるかもしれませんね。 レベルが低いものは良くない、ということではなく、 低いレベルのものには、それなりの作り方があって、それもすごい。 パッと見るとめちゃくちゃだけど、みんな笑い転げるように作ることもできる。 それもすごく難しい。 それから、普通に演じているのに、見る人は大笑いするというのがあって、 それが高いレベルですね。
喜劇がやりたいなと思ったのは、 ぼくは最初の頃、台湾のチュー・イエンピン(朱延平)監督の映画に いくつも出演してるんですけど、とても気楽に見られて笑えるという作品です。 監督はずっと冗談を言っているんですよ。 撮影中は出演者を誰彼となく笑わせていて、とても楽しい現場でした。 だから、あの頃は、喜劇ってどうしてこんなに面白いんだろう、 監督もなんていい人なんだろうと思っていました。 けれども、本当にちゃんと作ろうとしたら、難度はとても高いです。
――それなら、その後10年以上喜劇に出なかったのはどうして?
武 それは、実はマーケットの事情なんです。 喜劇がたくさん製作されているときは、喜劇のオファーが来ます。 中国が市場を解放した時代は、みんな一斉に大作映画や、軍隊物、 時代劇ばかり作ったので、受けるオファーもこうしたジャンルになる。 当時はライト・コメディは撮れなかったんでしょうね。
ーー今回、若い監督や脚本家と一緒位ラブ・コメディを撮った感想は?
武 みんなでわいわい楽しくやっていたという感じかな。 監督も脚本家もそれぞれ自分の考えがあり、もちろん、ぼくにもある。 ピーター監督は、みんなで自由にやりなさい、と言い、 たまに、これはダメだというときだけ、そう言った。 それなら、まあ、ぼくも俳優としての立場は越えないようにやりましょうと。
ーー意見がぶつかることもありましたか?
武 例えば(と、若い女の子の声音で)、 「こうなの! 私たちの年頃はこうなんです!」 (本来の声に戻り)「ああ、わかりましたよ、あなたには勝てないよ」 (また女の子の声になり)「これ、とっても萌える、女の子ならきっとそう感じる」 (元の声に戻り)許監督とぼくは、「ぼくらだって女の子のこと、 わからないわけじゃないよな、北京の子たちだからなのかなあ」 と、よく思いましたよ。 脚本家の彼女たち同士も、ときどき言い争いしたりしてて、面白かったですよ。 (続く)
BBS ネタバレDiary 11:30
2020年07月05日(日) |
「南方人物周刊2017-4-24」 金城武の隠れ身の術・5 |
みんな地球という星で一生懸命生きている
「よく聞かれるんだよ、君と金城武は本当に親しいのか、と」 ピーター・チャンは、目の前の金城武に言った。 「ぼくはこう答えるさ。イエスと答えて、彼がそうじゃないと言ったら、 メンツがないよね、って」 「イエスですよ、イエス。ただ、しょっちゅうは会わないだけで」と金城武は答えた。
こんな長い付き合いでも、金城武が自分との関係をどうとらえているのか わからない、という困惑は、呉里璐も経験している。 以前は映画撮影のとき、今のようにスターが 大勢のスタッフに取り囲まれているということはなかった。
金城武はアシスタントを連れず、撮影の合間には、 腰を下ろして呉里璐とよくおしゃべりしたし、 ネットゲームのやり方を教えてくれたりもした。 2人は共に恥ずかしがり屋で内にこもるタイプであり、 時にはただ何もせずただ座って、ずっとしゃべらないままでも、 気まずくなることなく、心地よくいられた。
その後、何年かは顔を合わす機会がなく、 オンラインゲームの中で出会うと挨拶を交わすぐらいだった。 再び一緒に仕事をしたのは「喜歓你(恋するシェフの最強レシピ)」の 衣装決定の日である。 呉里璐はスタッフルームで準備をしながら、 そうだ、金城武と会うのだと思った。 嬉しくもあり、少し心配でもあった―― 彼は自分のことを親しい人間と思ってくれているだろうか?
結果は――金城武は部屋に入ってくるや、 呉里璐をお姫様抱っこしたのである。 これは全く金城武らしからぬ気持の表現方法だった。 「大勢人がいたけど、みんなびっくりしていました」 呉里璐は今も印象深く思い起こす。
ピーター・チャンと呉里璐が抱いたような心配が、的中した例もある。 1990年代の末近く、金城武は香港で「心動(君のいた永遠)」に出演し、 制作会社は記者たちを伴って、現場訪問をした。 金城武は取材を受けたくなく、気まずい雰囲気であった。
王雅蘭も記者の1人だったが、彼女は金城武とは デビュー作のテレビドラマ「草地状元」のときに早くも知り合っており、 その後も何度か交流があった。 あるとき、王雅蘭が日本にいる金城武を訪ねてインタビューしたとき、 合間を見て、こっそりデパートにウィンドウショッピングに行った。 すると、金城武もこっそり彼女の後をついて階段を上ってきて、 驚かせたこともある。
このとき、王雅蘭は場をとりなそうと、 「大丈夫よ、みんな古いお馴染みばかりじゃないですか」と言った。 金城武が「誰が古いお馴染みだって?」とピシャリと返したので、 一同は静まり返り、気まずさはいや増したのである。
しかし、機嫌のよいときには、 彼は記者会見で会った王雅蘭に自分から挨拶をし、 「雅蘭さん、お久しぶり。 うわあ、スニーカーにショートパンツなんですね」と声をかけてきた。
金城武がしまい込んでいる小さな世界は、 時たまその断片が洩れてくるだけである。 例えば、何かをする前には、あれこれ考えて長いこと迷うとか、 出かける直前まで、まだ荷造りをしているとか。 たあらかじめ時間はたっぷりあったとしても、スーツケースに入れられない。 どの服を入れたらいいかわからないからだ。
また、例えば、ゲームが好きで、「投名状(ウォーロード)」の撮影中、 ピーター・チャンが明日の夜一緒に夕食をしようと誘うと、 約束があるから行けないと言う。 こんな山奥で誰と会うというのか、ピーター・チャンが不思議がると、 オンライン・ゲームを一緒にやる約束をしているのだと答える。
彼の小さな世界は、友人たちの目にはもう少し多く触れるが、 それでもはっきりとした限界がある。 「彼が変わり者だという理由は、 彼には小さな、人に入ってきてほしくない部分があるからです。 でも、そこから出てきたときは、裏表なく、怒るときは怒るし、 喜ぶときは喜びます」 プロデューサーの許月珍は言う。
「ときどき、とてもおかしな風になることがあって、 私たちは、あ、また来た、と思います。 でも、私には彼の感じ方を守ってあげたいという気持ちがあります。 彼のことを知れば、自ずと守ろうとするようになるんです」 この保護しようという気持ちは、50歳を過ぎたピーター・チャンと、 30代の許依萌にも生じている。
2000年に日本のNHKテレビが、 金城武の11日間の南極の旅をカメラに収めた。 これは金城武としては稀に見る、 普段の彼に深く切り込んだものであった。 フィルムの中の彼は時に子ども、時に哲学者のようだ。
様々な動物を見かけると、金城武はいつも興奮して大声をあげる。 匍匐前進でアザラシに近づき、アザラシが横たわったまま、 大きな口を開けて氷をかじるのを見ると、 自分も雪を掘って、塊を口にしながら、こう言う。 「アザラシの気持ちがわかったような気がする。 うまい、ほんと、ほんと」 そして、カメラマンにもどうぞと差し出す。
死んだアザラシを見つけ、長いこと黙って見つめながら、 昔、映画撮影のとき、1羽の小鳥が急に死んでしまったときのことを思い起こす。 「助けなくちゃ」と言うと、 スタッフは、大丈夫、まだあと5羽いるから、と答えた。 動物病院も見つからず、彼はただ、小鳥をずっと掌に乗せているしかなく、 温かかったものが冷たく、柔らかかったものが硬くなるのを感じていた。 奇跡が起きるのを期待したが、結局は、その小鳥を埋めてやった。 「こういう仕事は、本当にやりたくない」と彼は言う。
「生きている、人間として。 この仕事が一番成功する、現状態で一番想像できる ステートメントって何だろう。 ハリウッドの映画スターになって、アカデミー取って、 映画がみんな売れて大金持ちになって、自分の飛行機を持って、 自分の土地を持って、 結婚してもいいし、しなくてもいいし、彼女がいっぱいいてもいいし、 車が10台くらいあって。
で、気が付いたら、50歳とか、60歳とかになり、 それでも、いや、俺は一番有名な俳優なんだよ、とかってなったときに、 どうなんだろうって思うんですよね。 生きているってことを実感したのかなあ、って思っちゃうんですよ」 と金城武は言う。
「動物の生態とか見てみると、生きているんだな、と、思うんですよ。 目的は生きているだけ、一緒に。 ペンギンが山の上から、一生懸命海に行って、魚を獲って食べるのは、 多分幸せじゃないんだけど、幸せだなと思っちゃうんですよね。 みんな、この地球という星に、一生懸命生きているだけなんだなと思う」
金城武は、おそらく、南極で感じたことを実践しているのだろう。 地球という星で一生懸命生きることを。(完)
(ピーター・チャン、リー・チーガイ、呉里璐、許宏宇、許依萌、許月珍、 チュー・イエンピン、そして「一条視頻」に感謝の意を表します)
やっとこの項、終わりました。 最後に謝辞があるのって、珍しいです。特に中国の記事では。 直接、これらの人に取材したんだぞということを示しているんですね。 まともな記事の作り方をしていると思います。
BBS ネタバレDiary 20:30
2020年06月29日(月) |
「南方人物周刊2017-4-24」 金城武の隠れ身の術・4 |
パリだからって、何なの?
許依萌が初めて金城武を目にしたとき、彼はちょうどスタッフで一杯の部屋で、 衣装の試着をしたり、撮影をしたりしている最中だった。 許依萌は黙って離れたところに立ってて見ていた。 撮影が半ばを過ぎた頃、金城武が許依萌の方を向いて言った。 「誰か紹介してくれない? あそこにいるのは誰なの?」
こんなざわざわとした環境にあっても、 金城武は見知らぬ人の視線を敏感に感じとり、気にする。 とても20年以上スターの座にある人間らしくない。 スターというのは普通、人から見られることを喜ぶものであり、 少なくとも気にしない修練は積んでいる。 ところが金城武は逆の方向に修練を積んだようだ。
10代でデビューした頃は、努力して適応しようとしていた。 21歳のときのインタビューで、 「ファンが写真やサインを望むときは、 できるだけ叶えてあげるようにしています」と話している。 数年後、彼は修練を積み、 いやだと思うことを直接表現できるようになっていた。 写真を撮ろうとする人がいると、 スターは通常、自分自身は微笑みをたやさず、マネジャーに対処を求める。 金城武はマネジャーが口を開く前に自分で、撮らないでと言うのである。
「スターが、こうしたファンに関わる困った問題を 自身で解決しようとするのは見たことがない。 おそらく気分を損ねることになるだろうから。 彼は真っすぐな人だ」とピーター・チャンは言う。 「気持ちに偽りがないのはとてもいいと思う。 表と裏が違う俳優は多いが、君はまったく同じだ」と、 直接金城武に言ったこともある。
だが、金城武は、そういう褒め言葉は辞退する。 「ぼくだって、そういうとき、ありますよ。 特にこの仕事を始めたばかりの頃は、どうすることもできず、 巻き込まれて、そういう状態になっていました」
良く知られるように、彼はオタクである。 撮影時には、ほとんどホテルの部屋を出ない。 ホテルのスタッフが掃除に来ると、アシスタントの部屋に移り、 終わると戻ってくる。 プロモーションのときの撮影は、スタジオではなく、 泊まっているホテルで行うことを望む。外に出なくていいからだ。
ずっと以前には、彼も外食をし、ナイトクラブで酒を楽しんだ。 しかし、この金城武が、あの”金城武“のイメージを守らなければならないと 意識するようになってからは、あまり食事や飲みに行くことがなくなった。
時には、親戚や友人の強い抗議に会うこともあった。 彼を連れて出かけると、サインや写真をねだる人々が ひっきりなしにやってくるのだ。 友人は機嫌悪くなり、そうした人々と、 「ぼくらは食事してるんだ」と言い争うことになる。 誰もが不機嫌になるが、金城武はそういうとき、うまく収めることが苦手だ。 仕方なく、ますます出かけなくなる。
正月の親戚の集まりも、彼は参加しない。 初めは年長者に叱られたが、やがて理解して、 彼らの方から、来なくていいよと言ってくれるようになった。 もしも、今も映画製作が好きでなかったら、 公衆の面前から姿を消してしまっていたのではないだろうか。
しかし映画も、2つの部分に分かれている。 楽しい撮影と、辛い宣伝だ。 芸能人は普通、マイナス面の報道、 あるいは恋愛・結婚などのプライバシーに触れられるのを気にする。 金城武は、この気にする範囲が非常に広くなってしまい、 私生活のこと、映画に関係のないことを聞かれるのは、ことごとく気にする。 たとえ、それが彼のイメージをあげるような話題であっても。
彼は、真の金城武を取り出して人に見せることは、本当にしたくないのだ。 役を作り上げること以外に、世間と公の場で話しなどしたくないのである。 あの“金城武”は殻を支えて、本物の金城武を中に入らせ大声で叫ばせる。、 「僕が誰だか知ろうとしないで。知って、どうするの。 ぼくは絶対あの金城武なんかじゃない。 ぼくはあなたたちのために彼を守ってあげるんだよ」 これが30歳を過ぎて達した修練の結果なのである。
「金城武はおそらく、一生暮らす分の倍のお金を 早くに稼いでしまっていると思う。 彼のようにお金を使わないスターを見たことがない。 高い服は買わない、食べ物への要求も低い。 人気者にもなりたくないし、注目を集めるのが嫌なんだ」 とピーター・チャンは言い、 「もし、喜びがなければ、彼は映画に出る必要がないのさ」と、まとめる。
高暁松は「喜歓你(恋するシェフの最強レシピ)」に客演しているが、 出品の阿里娯楽委員会の首席でもある。 金城武が、彼に、こう言った。 「状況をちょっと報告させてもらっていいですか? 弁当は確かにまずいです」 高暁松は、心底驚いた。なんと金城武はスタッフと一緒の弁当を食べていたのだ。
金城武は服装に構わない。あるものを着るという、本当の構わなさで、 本当は念入りに考えた、お洒落としての構わなさとは違う。 ピーター・チャンは、それを「枝葉にこだわらない」と 婉曲に表現したことがあるが、時にははっきりと、 「実はあまり清潔な人じゃない」「少々薄汚れている。 おそらく、今日着たものは、明日も着るだろう」と言っている。 朱延平(チュー・イエンピン)監督の用語はもう少し聞こえがいい。 「身なりに構わないね」 髪はぼさぼさで、ヒゲも剃らず、「無骨な男だよ」
著名なファッションデザイナーの呉里璐(ご・りろ)が覚えているのは、 金城武と一緒に「ラベンダー」のロケで、フランスに行ったときのことだ。 当時はまだ気ままなリラックスしたスタイルは流行しておらず、 アイドルスターならなおさら、どこに行くにも服装に気を遣っていた。
一日の撮影が終わり、彼女が金城武の部屋のドアをたたいて、 食事に行こうと誘うと、彼はTシャツにサンダル、 七分丈のズボンという姿で出てきた。
何度かこれが続くと、呉里璐はさすがに我慢できなくなり、 「ねえ、ここはパリなのよ!」と注意すると、金城武は反問した。 「パリにいるからって、何なの?」
「姿を現すや、さっと光が差し込める」とと言われる金城武が、 こういう服装で身を覆うと、本当に光が消え失せてしまう。 朱延平はこれを、”変装術“と呼ぶ。 許依萌があるときモニターのそばに座っていると、 金城武が出番を終え、自分の服に着替えて、彼女の後方に腰かけた。 その場所は普段スタッフは座らないところだったので、 ちらっと眼をやり、思った。 「誰? ここに座ってるのは」
たった今までカメラの前にいた、あの350億ドルの財産を持つ 覇道総裁だとは、まったく気付かなかったのだ。 ピーター・チャンは、「芸能人はよく写真に撮られるが、 それは、一目見ればすぐ芸能人だとわかるからさ。 金城武は街に出ても、本当に周りの人たちとおんなじようなんだよ」 (続く)
フルマラソン気分ですが、ようやくあと1回で、この項完結です♪
BBS ネタバレDiary 16:10
2020年06月25日(木) |
「南方人物周刊2017-4-24」 金城武の隠れ身の術・3 |
ミスターはてな
ピーター・チャンが、「如果・愛」で、初めて自分の映画に 金城武の出演を依頼したとき、 彼は驚き、身に余る光栄だというふうだった。 「とんでもない、なんでぼくに?」 しかし、喜びは喜びとして、彼はやはりお断りをした。
(この話をしたとき)彼は私に礼儀正しく注釈を入れた。 「謝絶です、拒絶じゃなく」 ”謝絶“の理由を、彼はもうはっきり覚えていない。 覚えているのは、今も解決していない戸惑いだ。 つまり、主人公の林見東(リン・ジエンドン)はどうしてあんなにまで 孫納(スン・ナー)のことを愛しているのか、ということである。
ピーター・チャンは、「愛に理由はないんだよ」と何度も答えた。 猛反撃で攻め立てたことさえある。 「君は、訳も分からず好きになった人っていないのか? その人のこと、全部わかってるの? 何で好きなのか、みんなわかっていたのかい?」 金城武は口ごもりながら、 「おっしゃること、わかりますよ、でも、ぼくが心配してるのは、 スクリーンではそれがわかってもらえないのじゃないかと」と言った。
2回目のオファーは「投名状(ウォーロード)だったが、これも謝絶された。 ピーター・チャンは一度ならず日本に飛んで、説得しようとした。 その最後のとき、金城武は彼を高級なカフェに連れていった。 以前ピータ・チャンが日本に行った折、 金城武に最高の料理をご馳走したことがあり、 金城武がそのお返しに、別の店にピータ・チャンを連れていき、 ここも同じくらい美味しいのだと言ったが、 ピーター・チャンが勘定書きを見たら、遥かに安かった。
今回、ピーター・チャンは、これはまずい、と思った。 彼の方からこんないいカフェに連れてくるだなんて、 おそらく断るつもりだろうと考えたからだ。 ところが食事が終わると、なんと彼は承諾したのである。
この戦争映画の大作の撮影は、極めて苦しいものだった。 ピーター・チャンが各方面に対応しなくてはならず、 散々な目にあっているというのに、金城武はやはり彼の傍で 「この論理はおかしい」と言っているのだ。
ピーター・チャンは内心では、 「私があの2人の兄貴たちに対応しているのが見えないのか、 こんなときに、論理がどうのこうの、言いに来るなんて!」と、うめいていたが、 口では「映画が面白いのは、論理がないからさ」と言った。
その後、長いこと、撮影現場でピーター・チャンが 他の俳優に演技を付けているのを目にした金城武は、飛び出していっては、 「話は聞かなくてもいいよ、ピーター監督の映画には論理はないと、 監督自身が言っていたからね」 と一太刀浴びせていたらしい。
「投名状」の現場はほこりだらけで、みな、ずっと咳をしていた。 ピーター・チャンは特にひどく、心配事も多くて病気になってしまい、 香港に治療に戻らざるを得なくなった。 金城武は監督のことを心配し、論理への疑問は飲み込んで、口にしなくなった。 その中国医学の知識から、 「悩みは肺を侵すから、悩みを増やすようなことはやめなくては」と考えたのだった。
3作目の「武侠(捜査官X)」になると、 金城武は脚本を読み終え、こう返事をした。 「徐百九という人物を削った方が作品がよくなりますね」 徐百九こそ、ピーター・チャンが彼にオファーした役であった。
「彼がよく私の映画に出るのは、 私を特別に信頼してくれているということだろうか? 私は、私が特別忍耐心があるからだと思う。 なぜなら、彼は何でも断る。誰がオファーしても。 断られた監督は大勢いる。それも何度も断るんだ。 もう一度考え直して、とずっと言い続け、待つ。 すると、やっと彼が軟化する」 インタビュー番組でピーター・チャンはこう語っている。
4度目にピーター・チャンが金城武にオファーしたのは、 大作ではない、ラブ・コメディ「喜歓你(恋するシェフの最強レシピ)」で、 一見、俳優の気をそれほどそそるタイプの作品ではなかった。 しかもピーター・チャンはプロデューサーで、監督はしない。 彼は弱気だったが、なんと金城武は快諾した。 4回の中で、一番順調だった。
なぜ、今回はすぐ引き受けたのか、金城武はこう答えている。 「チャン監督が、優秀な編集技師が監督で、 2人の優秀な若い人が脚本担当だと言いました。 そのとき、もし自分が参加することで、 チャン監督を助けられるならいいなと思ったんです」
ピーター・チャンは、彼が知らない人の前では不安になることを知っていたので、 「私は毎日いるから、どんなことでも私に話してくれ」と言い、 少しでも安心感を持たせようとした。 しかし、金城武は早くから直接監督のところに行って コミュニケーションをとるようになったので、 ピーター・チャンが間に立つ必要はなかった。
脚本についての話し合いに初めて金城武が参加したとき、 2人の若い女性脚本家、許依萌と李媛は、まだちょっとバラ色の心地の中にいた。 彼が1枚の紙を取り出し、質問を山ほど提出し始めた。 苦難の道は始まった。
2カ月近くの撮影の間、許依萌と李媛は毎朝起きると、 まず金城武の撮影が何時からかをチェックしに行く。 2人は早めに現場に行き、彼とその日の撮影について討論するのである。
普通、“覇道総裁”物の作品は、主にヒロインの視点から描かれ、 総裁は神様のような存在として、ヒロインと観客を振り回し、 リアルさはそんなに要求されない。 だが、金城武は賛成しない。
映画は主人公、路晋(ルー・ジン)が、ホテル買収を検討する過程で 美食を楽しみ、恋をするのを描くが、 金城武にとっては、主人公が具体的に何を観察するのか、 その過程はどうなているのか、知らねばならず、 ただ、それらしいポーズをとってすませるわけにはいかなかった。
ルー・ジンがビーフ・ウェリントンを試食するとき、 「牛肉とパイ皮の間のキノコソースは、ポルタベラ・マッシュルームではなく、 ブラウン・マッシュルームを使うべきだ」という台詞がある。 金城武はブラウン・マッシュルームとポルタベラ・マッシュルームは どこが違うのか、知りたがっているので、 2人は出まかせを言うわけにはいかず、マッシュルームの写真を探し出して、 比べながら彼に説明せねばならなかった。
頭では、こういう彼の要求は正しいと、2人はわかっていたが、 毎日このような苦難が続くと、パンクしそうになった。 同じような苦しさは「擺渡人」の監督、張嘉佳も体験している。 「こんなに大勢の出演者の中で、一番恐ろしいのが金城武だった。 毎日大きな目を見開いて、なぜ、と尋ねてくるんだよ。 とうとうある日、彼はぼくのところに駆けてきて、こう言った。 ぼくを怖がらないでください、ただ真面目にやってるだけですから、とね」
ここ10年ほど、金城武は、ほぼ、以前仕事をしたことのある 監督の映画にしか出演していない。 彼は、意識的にそうしているわけではない、 ただ、一緒に仕事をしたことのある監督から、また依頼があると、 こう考えて、うれしくなるのだと言う。 「あんなに面倒をかけたのに、またオファーしてくれる。 ということは、ぼくのやり方を受けて入れてくれたってことだ」
高暁松は金城武と一日、あるシーンで共演してから、 彼を自分が以前仕事をしたことのある陳道明(チェン・ダオミン)と並ぶ “芝居を知り尽くしたベテラン俳優”と言うようになった。 撮影開始の前、金城武は、よく、このカメラは何ミリかと尋ね、 演技に入るときには自分が画面のどの位置に来るのか、 前景の様子、背景の様子を、知り尽くしていた。
サングラスをかけて演技するシーンで、 金城武は演じるときに、わずかに首を傾けていた。 高暁松はどうしてそんな風にするのかわからなかったが、 カメラマンの方を見ると、そばで親指を立てていた。 実は、金城武は、現場のライトや機器やスタッフがサングラスに映り込み、 カメラがそれを拾ってしまわないようにしていたのである。 (続く)
時間がとれずに、少し空いてしまいました。 文中の「覇道総裁」は、前にも出てきたことがありますが、 ネットドラマによく登場する人物のタイプで、 “背が高くハンサムで、クールで傲慢で、実は情の深い、 大企業の要職についている男性”といったところで、 そんな人物が、ヒロインには最後に心を開く、みたいな、 ハーレクインなんかにも出てきそうですね。
高暁松のコメントとか、ピータ・チャンや張嘉佳とのやりとりなどは、 以前にもご紹介したことがあると思います。
BBS ネタバレDiary 22:00
2020年06月21日(日) |
「南方人物周刊2017-4-24」 金城武の隠れ身の術・2 |
スターとは一個の経済体
ひょっとして後のイメージがあまりに輝かしいものだったからか、 金城武が歌手としてデビューしたことを覚えている人は少ない。 10代のまだぼうっとした高校生は、歌を歌うということがどういうことかも、 演技とは何かということも知らなかった。 彼が芸能界に入った理由は、 欲しがっていたバイクを買う金を稼げると説得されたからである。 当時は、火鍋店でアルバイトをしていた。 鍋の食べ方を説明しても、耳を傾ける客はほとんどいなかった。 1本のCMでもらった出演料は、 そのアルバイト1か月分の給料より多かったのだ。
芸能界の生態は日々変わっている。 その後、多くのスターが自身の事務所を設立したり、 親しい監督の会社と契約したりするようになっていったが、 金城武は、デビュー時に契約した老舗の芸能事務所フーロンに、 20年間、ずっと籍を置いたままである。 彼を誘惑して芸能界に入らせた、あのバイクは、 とっくに盗まれてなくなってしまったが。
アイドル歌手は1990年代初頭にあって、芸能界の最もきらきらした存在だった。 事務所は金城武を陳昇(ボビー・チェン)に師事させ、助手として送り込み、 発声の基礎から始めて、楽器演奏や作曲を学ばせた。 「ぼくは、見かけを売り物にするアイドル歌手にはなりたくない。 シンガー・ソングライターになりたい」 彼は当時、取材に対し、こう語っている。
ずっと後、彼がいつも監督たちに言っていたこと―― 自分はただの俳優というより、フィルム・メーカー、映画人だととらえており、 俳優は映画製作に関わる1つの身分に過ぎないと考えている―― とよく似ているではないか。
先輩弟子のレネ・リウ(劉若英)の話によれば、陳昇の弟子になったら、 ビンロウ買いやトイレ掃除をやらねばならなかった。 「公平でしたよ、金城武もやったんですから」 毎週月水金がレネ・リウ、火木土は金城武の当番だった。 トイレのドアにはチェック表があり、掃除が終わるとサインをする。 金城武は自画像を描いて、掃除が済んだ印にした。
陳昇の話すところによると、 「誰もあいつのことを気にしてなかった。 ある日、奴はA4の紙に自分の顔を描いて、 『ぼくは金城武だ』と書き添え、便器の上の方に貼った。 用を足しに行くと、必ず奴の顔を目にするというわけだ」
金城武は歌を作ることに喜びを覚えていたが、ウォン・カーウァイの撮影を見て、 その面白さを目の当たりにしてからは、 少しずつ歌はやめようという気持ちになっていった。 「CD制作が面白くないと言うのじゃないんです、 でもあれはみんなで一緒になって作るものじゃないですから」 これは、金城武が「なぜ」という質問にはっきりと答えた、珍しい例である。 オタクで知られる金城武が「みんなで作る」ことを重要視しているとは、 予想外だ。
ウォン・カーウァイの「恋する惑星」の撮影現場は、ぶっ飛んでいた。 監督は台本を用意しないし、それを自分の特徴としているぐらいだ。 カメラマンのクリストファー・ドイルは、撮る画面が揺れているだけでなく、 彼自身も揺れているように見えた。 金城武が観察すると、傍らにはビール瓶があった。
「この空間にいる人たちはコミュニケーションなしで、 でも、一緒に1つのことをしている。 自分の技術を駆使して楽しんでいる」 「現場で起きることは何でもものすごく面白かった。 監督でも、カメラマンでも、道具作りでも、美術でも、録音技師でも、 映像制作というのは、どうしてこんなに面白いんだろうと思いました」 彼は、どの仕事もやってみたかった。
リー・チーガイ(李志毅)監督の回想によると、 「世界の涯てに」は、スコットランドで屋外ロケをした。 金城武の出演場面は1シーンしかなかったが、 彼は全工程を撮影班と行動を共にし、片隅に座って静かに見ていたという。 ニューヨークに留学したとき、学んだのは映画科であり、俳優科ではなかった。
今日に至っても、彼はまだ演技にあまり慣れていない。 ピーター・チャンが、カメラが回る前で話そうとすると、 すごく不自然になってしまうとこぼしたとき、 金城武は思わず手を広げ、 「ぼくらだって不自然になりますよ! ぼくらはやらされて、仕方ないからやるだけで。 ぼくはそう感じてます」
彼は「ぼく」と言うべきところを、よく「ぼくたち」と言い換える。 まるで人々の後ろに隠れていれば、少しは楽になるかのように。 彼が普段、より、隠れようとするのは、”金城武“の後ろである。 彼自身は、”彼“と呼ぶ。 「彼はみんなが作り出した1つのイメージだと思うんです。 当時ぼくは、その殻の中に訳も分からず入り込んで、 彼と一緒に今日まで来ました」
“彼”は決して自分ではないが、しかし、自分が”彼“に背くこともできない。 こちらの金城武は、5場面しか出番のない脇役がやりたい、 なぜなら人物が生き生きしているが、主役の方はありきたりだから。 しかし、あの”金城武“は主役をやらなくてはならない。
こちらの金城武は、あの”金城武“のために、 やりたくはないがやる必要のあることを、数多くやってきた。 ピーター・チャンの言い方によれば、スター自身が1つの会社であり、 1個の経済体であって、たとえスター本人はあまり金を使わないとしても、 芸能事務所を動かし、映画の普及を動かす。 「このことは、変えようがないんだよ」 (続く)
BBS ネタバレDiary 23:00
2020年06月18日(木) |
「南方人物周刊2017-4-24」 金城武の隠れ身の術・1 |
ここから、本文に入ります。 この部分は長いの……。 劉記者が、金城武の来し方をどのようにとらえ、 どのように書いたか、少しずつ見ていって下さい。
金城武の隠れ身の術
宇宙人が降りてきた
金城武と言えば、まずは非常な容姿の良さだ。 蔡康永は、「彼が姿を現すと、宇宙人が降臨してきたように、光を放つ」と言い、 リン・チーリンは、「嘘みたいにかっこいい。 どうしてこんなに、と思うくらいで、完璧」と語る。
小Sの言い方はもっと豪放だ。 「あるとき、楽屋に彼が入ってきた。 言っとくけど、私、おしっこが洩れそうになったわよ。 ほんとなの、あんなにかっこいい男性は見たことがない。 たとえ普段は特に彼のこと好きではないひとでも、そう思うでしょう」
映画で共演した李小冉(リー・シャオラン)は、 彼とツーショットをとても撮りたかったが、顔を合わせると、口に出せない。 プレミアのときまでずっと我慢して、ようやくサインをしてもらったが、 ベテランの人気女優が、このときはファンの女の子のように、 はにかみながら大喜びだった。
顔の良い男は大勢いるが、他の男たちには嫌われる。 「だが、金城武のかっこよさには誰も何も言わない」 とピーター・チャンは言う。 さらにはこんな話まである。
2013年、金城武は航空会社のために撮ったCMで、 台東・池上の水田地帯にある、1本の普通のアカギの木の下でお茶を飲んだ。 わずか数秒間のシーンだったが、なんとこの木が人気沸騰し、 「金城武の木」と呼ばれるようになって、 年間5億台湾ドルの観光収入をこの地域にもたらした。
2014年に「金城武の木」は台風で根こそぎ倒れてしまった。 この件に関し報道が相次ぎ、現地の役所が乗り出して植え直して、 この木は「池上郷にとって金の卵を産む鶏だ、全力で救う」と表明した。 後にまた強い台風に襲われたときには倒れなかったが、 それがまたニュースになったのである。
時はさかのぼって20数年前、少年時代の金城武は、 まだこのような賛美は受けていなかった。 初期の番組動画で、彼は、日本人学校に通っていたときのことについて、 「どうしたら人に好きになってもらえるのかもわからなかった。 多分ぼくの表現の仕方があまり上手でなかったのだろう。 おしゃれをする勇気もなかった」と語っている。
もちろん容姿は良かった。 そうでなければ、同級生の母親の知り合いが CMに出演させることもなかっただろうし、 事務所が彼と契約してCDを出させることもなかった。 しかし、その綺麗さは、芸能人ならそうだろうという程度だった。
初期に彼を何本かの映画に出演させた監督朱延平(チュー・イエンピン)はこう語った。 「要するに、なかなかいいねという感じで、息をのむほどではなかった。 それは多分ジミー・リンの方だったと思う」 当時は活発で可愛い男の子が流行だった。 「台湾四小天王」の内では、金城武は2番目に年若だったが、 顔つきは一番大人びており、その上内向的で朴訥だった。 朱延平は彼のことを“若年寄”と呼んだ。
「ジミー・リンもニッキー・ウーも、とんぼ返りやダンスができたが、 金城武は踊りもそんなにうまくないので、ちょっと損をしていた。 演技の幅もあまりなかったし」
初め、金城武は朱延平のコメディ映画で“アイドル”役を演じた。 つまり、お笑いをやれず、クールさ担当といった役回りだ。 コメディの中でアイドルだというのは、あまり良いことではない。 活発で人を笑わせる者こそメインだからだ。
「金城武は『報告班長3』に出演したが、 ジミー・リンと一緒だと完全に食われてしまった。 ジミー・リンは元気で明るいが、彼の方は表情がない」 と、朱延平はある番組で振り返っている。
2人が少しずつ親しくなっていって、やっと、朱延平は、 この恥ずかしがり屋の少年もまた、 おどけてみせることができるのだと突然発見したのである。
当時の映画撮影は資金がなく、撮影現場にはおいしい飲み物などなかった。 あるのはお湯だけで、コップが並べられており、のどが渇けばそれで飲む。 監督にはささやかな特権があった。 協賛の缶コーヒー会社が缶コーヒーを20箱ほど、 撮影チームに提供してくれたのである。 これは監督用と言ってよく、朱延平は毎日水代わりに飲んでいた。
金城武が朱延平の椅子の脇に来てしゃがむと、言った。 「社長さん、コーヒーご馳走してくださいよ」 朱延平は喜んだ。この子にこんなユーモアがあったなんて。 (訳注:これがなぜユーモアかと言うと、社長さん、仕事を下さい、という意味で、 ご飯をご馳走してください、という言い方があるのですが、 武はこれをもじって監督にコーヒーをご馳走してください、 と言ったというわけなんです)
「いいよ、ひと缶ご馳走しよう、どうだい?」 缶コーヒーは20台湾元で安い。 「20元の問題じゃない、気持ちの問題だ。 後になって、彼は台湾に戻ってくるたび、 私に2万元の鉄板焼きをごちそうしてくれた。 私の投資は大変価値があったと言うわけだ。 20元のコーヒーが2万元の鉄板焼きに変わったのだからな」 と朱延平は笑う。
金城武が冗談を言う範囲は、親しい人間に限られているが、 彼と親しくなるのは生易しいことではない。 ヒロインとして金城武と恋人同士を演じたことのある葉全真は 「ほんとに変な人だった。何を考えているのかわからないので、 私もあまり近づかなかった」と話している。
撮影チームの中で、彼のことを面白いと思っていたのは、 朱延平の他は、おそらく5歳のハオ・シャオウェンだったろう。 2人はいつも一緒に蟻を捕まえたり、ままごとをしたりして、 1時間も2時間も遊んだ。
ずっと後、「LOVERS」の撮影現場で、記録映画の監督が 同じような情景をカメラに収めている。 金城武は赤褐色の小さな蛙を見つけると、興奮して掌にのせたり、 小さなカメラ、あるいはビデオカメラを構えて森の中の小動物を、 しゃがみこんで、あるいは高みに向けて撮ったりしている。 このとき、5歳の子は一緒ではなかった。
朱延平はだんだんと、お笑い担当の役を金城武に振るようになった。 「危険な天使たち」で、金城は人のまねをして粋がり、女性に無視され、 隣のニッキー・ウーはいつでも大もてだ。 後に、これは当時金城武の地位が低かったことを表していると、 分析した者がいる。 しかし朱延平の考えでは、コメディにあっては、 おかしいことこそが何よりも重要なのである。
上映当時、金城武は何度も見に行っている、それも友人たちを連れて。 見終わった後、朱延平に、本当におかしかったと電話をかけた。 「自分のコメディの演技に満足していたね」と朱延平は言う。 「私も大したものだよ、彼の喜劇の天分を最初に見出したんだからな」
後に、ウォン・カーウァイは「天使の涙」を撮ったとき、こう語った。 「金城武には特質があって、喜劇のリズム感がいい。 だから、わざと難題を与えて、口のきけない役を与え、 仕草だけで表現するようにさせたのだ」
自分のかたわらにしゃがみこんでコーヒーをおねだりした少年が、 成長して光り輝くような美しさになるとは、朱延平は思ってもみなかった。 朱延平がそれに気づいたとき、金城武は既にアジア全体の人気者になっていた。 「正直に言うと、彼が後にこんなにかっこよくなるとは思わなかった。 少年から男に成長した。本当に驚いたよ」 (続く)
BBS ネタバレDiary 22:00
2020年06月16日(火) |
「南方人物周刊2017-4-24」記者の眼 |
「人物周刊」の記事は、3つの部分に分かれていると書きましたが、 公式HPには、前回ご紹介した導入部と、もう1つ、 本誌にはない、「記者の眼」という文章が載っています。
この特集は1人の記者(劉珏欣 りゅうかくきん)によって書かれていて、 その記者が取材をして感じたことを率直に書いているのですが、 先にそれを読んでからの方が面白いと思いますので、以下に。
記者の眼 なぜ金城武を守ろうとするのか?
まだインタビューが始まる前から、 あの一分の隙もなく待ち構える態勢が、私に気を揉ませた。 護衛が多かったというわけではない。 金城武のスタッフ・チームは、インタビュールームに入ってくるや、 インタビューとは直接関係のない人間を1人1人、 断固としてお引き取り願った。 その中には映画の宣伝担当者までいた。
それなのに、宣伝担当者はさらにお咎めにあっていた。 「関係の無い人はいないようにとお願いしなかったですか?」 「ええ、ほんの数人ですよ、それにあなた方がいらしたら、すぐに出ますから」 「いやいや、そうではなく、あらかじめお願いしていたのは、 私どもが来る以前に、引き取っていてくださいということだったんです」 理由は、金城武が、人が少しでも多くいると、落ち着かなくなるからなのだ。
たとえ私がずっと金城武を好きだったとしても、 大スターにはおかしな癖を持つ人が大勢いるのを見てきていたとしても、 流石にこのときは思った。 これはちょっとわざとらしすぎるんじゃないか? まさかあの伝説の中の素晴らしい金城武は、 実はお高い人間だったとでもいうのだろうか?
しかし、彼と面と向かって腰を下ろすと、 このような考えはまた消えていくのだった。 以前、こんな記事があった。 金城武と対面で取材するときは、間隔を2メートル開けなければならない。 記者が少しでも近づこうとしたら、制止される、というのである。 そのようなことは、今回は起こらなかった。 彼の方から、話しやすいように近寄ってきてくれたし、 私がICレコーダーを置けるように、 近くのテーブルを自分で動かしてきてくれたりさえしたのだった。
今回のインタビューは成功したとは言えない。 私が前に読んだり見たりしたことのある彼のインタビューが ほとんどそうであったように、成功しなかった。 唯一成功したと言えるのは、 NHKが制作した南極旅行のドキュメンタリーである。 しかしあれは南極という環境のもとでリラックスした11日の間の撮影で、 旅行する前に撮ったものではない。 同じような条件を再現するのはほとんど不可能だろう。
私は数えきれないほど多くの人のインタビューをしてきた。 昔語りが上手な人、撮影時のことをよく覚えている人、 考えをまとめるのがうまい人、また、ユーモアたっぷりの人も、 自分をよく分析できる者もいた。 だが、金城武はどれもこれも不得意だ。
あいにく彼は極めてまじめで、ほんの軽い質問にも、眼を閉じ、 傍らを向いて、長いこと考え込む。 その姿はこの上なく美しく、時間を止めたいと思わせるほどだ。 そして目を開くと、誠実にこう言うのだ、 「本当に覚えてないんです」
もし、この覚えていない、あるいはあまり役に立たないような答えが 続いたようなときには、彼はこう言う。 「ごめんなさい。ほんと、申し訳ないです」 そこで、私はインタビューのときにはめったにならない気持ちになる。 一方では、参った参った、使える内容がほとんどないと思い、 一方では、なんていい人なんだと感嘆しているのだ。
こうなれば、周囲の取材に精を出すしかない。 私は彼と仕事をしたことのある人間を訪ねて回った。 そして2つの面白いことに気が付いた。
1つは、仕事をしたことのある人たちの多くが、 自身と金城武との関係を定めかねているということだ。 仲がいいのか? そのはずだ。 だが金城武の方もそう思っているのかは断言できない。
このつかず離れずの関係は、公の人物が公に語るときにはめったに見られない。 公の人間は普通の人よりも、もっと仲の良さを楽しそうに語ったり、 時には友情を誇張したりするものだ。 こういうつかず離れずの表現がされるとすれば、 それは特に親しくはないということを意味する。 しかし、金城武の場合は、彼自身が認めた友人であっても、 このような言い方になる。
2つめの興味深い点は、一緒に仕事をした多くの人が、彼に対し、 端から見てもすぐそれとわかる保護者的気持ちを持っていることである。
例をあげよう。 映画館で金城武が質問に答えているとする。 相変わらず答えるのが下手だ。 すると、ピータ・チャンがすぐに助け舟を出す。 「彼の言葉を翻訳しましょう」 他人に理解されないのが心配なのである。 金城武のスタッフ・チームが彼を守ろうとする感じと、大変良く似ている。
プロデューサーの許月珍はこう話す。 「彼のことを良く知ると、自然と守ろうとするようになるんですよ」 私は頷いた。 なぜなら、数日取材しただけで、その保護しようとする気持ちが 私にも芽生えてしまったからである。
よくよく考えると、43歳の男性なら、 たとえあまりハンサムすぎて宇宙人みたいになっていようと、 人の心に生まれるものは、憧れのような気持であるはずで、 守ろうとする気持ちではないのではないか?
一体その気持ちはどこから来るのだろう? 浅い結論にならざるを得ないが、 彼は一見してデリケートであるが、時代の大きな潮流に抗って流されず、 ただ良い仕事をしたいだけで、 自分について人には一切知られたくないという生き方を貫いている。 ひ弱だが、強靭で、人に尊敬の気持ちを起こさせ、 少しでも助力してやりたいと思わせてしまう。
このような俳優は損をする、とピーター・チャンは話す。 彼は今回金城武に「恋するシェフ〜」への出演を勧めたとき、こう言った。 「やってみてごらんよ。撮影からプロモーションまで。 今の世界がどんなふうなのか、見てみたらいい。 君は気に入らないと思うが、しかし、ぶつかってみてごらん。 世界を変えることができないなら、 その世界と共存することはできないかどうか、見てみたらどうだい? もう2度とやらないかどうかは、その後で選べばいい」
今回の試みで、金城武が喜びを感じられたのだったらいいと思う。 私たちは、やはりこれからも、 大スクリーンでの彼をたくさん観たいと思うから。 (この項終わり)
BBS ネタバレDiary 19:00
2020年06月14日(日) |
「南方人物周刊2017-4-24」 2人の金城武 |
「恋するシェフの最強レシピ」公開時に、 中国の週刊誌「南方人物周刊」が金城武を表紙に載せ、 12ページの特集を組みました。 リクエストを頂いたので、これを今度はご紹介します。
3つの部分に分かれています。 今日はまず、特集巻頭の文章を。
2人の金城武 本誌編集部
「うわあ、今日は随分話をしているなあ」 2017年3月15日、映画「喜歓你(恋するシェフの最強レシピ)」の記者発表会で、 ピーター・チャンは台上の金城武を見上げ、 驚いたというように隣席のプロデューサー、許月珍に声をかけた。
このときの金城武は、ただ普通に司会者の質問に答えていただけで、 軽やかに話に花を咲かせているとはとても言えなかったが、 10数年の付き合いのあるピーター・チャンから見ると、 これはもうめったに見ることのできない金城の状態で、 自分のチャンネルを頑張って切り替えないとできないことだった。
果たして、台から降りた金城武は、ややぼんやりとした様子で、 「台の上にいたのは、あれは誰だったんだ?」と自身に問いかけていた。
このような戸惑いは、デビュー20周年の年にもあった。 所属事務所が1枚のDVDを贈ってくれたのである。 中には全出演CMとテレビ番組が収められていた。 家に帰って昔の番組を再生し、金城武は飛び上がった。
1990年代、台湾のバラエティ番組は、大勢で賑やかに騒ぐのが主流だった。 彼は他の若手タレントと一緒に、番組でバスケットのシュートをしたり、 料理をしたり、クイズに答えたりしていた。 また、司会者が手に騒音測定器を持ち、 スタジオ内のファンたちに大声で応援するよう促し、 どのスターのファンの声がより大きいか競わせたりすることもあった。
これらを見直した金城武は、「こいつ、誰?」と自問した。 その人物の表情も仕草も話していることも、まったく記憶になかったのだ。
デビューして20年余りたっても、 金城武は芸能界の歯車の一つであることに慣れ切っていない。 彼は自分を“2人の金城武”に分けて考えている。
1人は、彼自身である。 ほとんど物欲がなく、普通の服装をし、プライバシ―を非常に大事にし、 一般の人々とは映画だけで繋がっている。 もう1人の“金城武”は、人々が作り出したイメージで、 人によってそこに投影するものが違う。
「ぼくは、絶対あの金城武ではないんです」 彼はあの”金城武“のことを「彼」と呼ぶ。 「ぼくはただ、当時、その殻の中に訳も分からず入って、彼についてきた。 今までずっと」 ピーター・チャンとの対談で、彼はこのように語っている。
新時代のスターは、自分の中に人に受けそうな属性を見つけて、それを強調する。 例えばダジャレの名手とか、気の強い女王タイプとか、 禁欲系とか、家庭円満とかだ。 時には、それまでの固有のイメージを壊して全く違うものに換え、 コントラストを作り出すこともする。 つまり、「こんな人だったのか」という驚きが、 スターの魅力を高める上で重要なカギにもなれるということだ。
だが、昔気質の金城武は、このような時代の潮流には無関心だ。 彼は人々が20年以上にわたって作り上げてきた、 あの”金城武“をひっくり返すことはしたくない。 ”彼“は守りたい。
或いはこうも言える、あの”金城武“が彼を守っていて、 本物の金城武から何かを取り出して 人々に見せなくてもいいようにさせているのだと。 役の人物を作り上げること以外に、 世間と公におしゃべりをしたいことは、彼には何もないのである。 (この項終わり)
BBS ネタバレDiary 23:00
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