武ニュースDiary


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2009年02月16日(月) ピーター・チャン、涙を流す��

さらに続く。


ずっと大物スターと仕事
ジャッキー・チェン、チョウ・ユンファと縁がないのは残念


音楽時空 昔、UFO時代、あなたはプロデューサーもしていましたね。
プロデューサーの責務とは一体なんですか?


ピーター 当時ぼくがやっていたプロデューサーというのは、
事実上は製作業務でしたね。
UFOは19本の映画を撮りましたが、どれもぼくが出資者を探し、
資金が調達できたら1本撮る、というもので、
ぼくは出資者側を代表しなくてはならなかった。
出演者の人選と脚本選びの責任者でしたが、実はほとんどの場合、
オーナーは金がないので、まず前借りをする。
後のことは撮ってから考えるしかなかった。
5本分の資金を前借りして、目の前の1本を撮るということもありました。
資金が足りなきゃ、ぼくの責任でした。

音楽時空 借金したんですか?

ピーター ええ、ものすごくね。UFOが終息したとき、
ぼくらには約2000万元の赤字が残り、5人で割って、1人数百万元かぶりました。
その頃の数百万は、決して少ない額じゃありませんでしたよ。

音楽時空 どうやって返済したのですか?

ピーター 借金取りに追い回されることはなかったです。
ぼくはUFOで何本も映画を撮り、どれにも監督への支払い分はありましたが、
自分の会社ですからね、生活費分を少しもらう以外は、まず会社に入れましたよ。
会社が解散することになっても、ぼくの監督料はなかった。
会社は借金があったので、やめるとき、監督料は1銭ももらいませんでした。
初めから、自分の金は自分のものじゃないと思っていましたよ。

以前は、働かなくても10年ないし8年は食いつなげるだろうと思っていたんですが、
だめでしたね。仕事をしなくちゃ生きていけないので、
すぐにでも始めなくちゃならなかった(笑)。
それでアメリカに行く決心をして、部屋も売り、
その金も一部を借金の返済に当てました。

音楽時空 会社をなぜ解散したのですか? 利益の衝突ですか?

ピーター そういうことはありません。どんな会社だって、
成長後、解散という憂き目をみる可能性はあるものです。
まだみんなが一人前でないときは、集まって1つのことをするのはやりやすい。
熟練すると、必ずそれぞれ自分の方向や理念というものができてくるし、
そのときは会社に借金ができる時期にも当たっているんです。

この債務を誰が負担するのかは、実に現実的な問題ですよ。
当時はちょうど「97」(香港返還)とぶつかっていて、
ある者は中国大陸に戻って頑張ろうとし、ある者はアメリカでやろうと思い、
また、香港にとどまりたいという者もいました。
もちろん、実際もし「97」があんなに早く来なかったら、
ぼくらの解散もあんなに早くなかったかもしれません。

音楽時空 「97」の影響はそんなに大きかったんでしょうか?

ピーター 大きかったですね。当時、香港人にとって「97」は、1つの境界線でした。
あらゆることが、ぼくらにとっては未知だった。
そのころ大陸に行った人間はほとんどいませんでしたから、
状況がわからなかったんです。
ぼくらにとって、「97」は最終期限であり、それ以前に始めたことは、
「97」前に絶対終わらせなくてはならなかった。
それは企業の発展には大きな影響があるものですよ。

音楽時空 しかし、今になって見れば、「97」が
香港の発展に大きな影響を与えたことは、全然なかったんですよね。


ピーター 今になって見れば、全くありませんでしたし、何事も起こりませんでした。


ハリウッドは電影局よりもやりにくい
北京は香港の監督の希望の地だ


音楽時空 スタジオを北京に移した理由は?

ピーター どこでも同じですよ。
なぜハリウッドに行って映画を作らないのかと言われますけど、
実はハリウッドは電影局よりも、もっとつきあいにくい。
ハリウッドの制度は監督をもっとがんじがらめにしてしまう。

中国ではなぜレイティングをしないのか、と、ずっと言われているけれど、
実際は、商業的環境から、たとえレイティングがあっても、
誰も三級片(アダルト映画)は撮らないでしょう。
多分1、2年前だったら出資しようという者もいたかもしれませんが、
日がたてばたつほどわかってきたんです、三級片を撮ろうという人間なんかいないって。
というのは、それを作ったら、大勢の観客を失ってしまう、
進んで監督にそんな危険を冒させる会社はないですからね。

最初、香港で映画を撮り、それから台湾の資金で撮り、
次にアメリカに行ってハリウッド映画を撮り、
はたまた今度は北京に来て撮ろうがどうしようが、
ある制限と規範の尺度の中でできるだけのことをする、ということに変わりはない。
しかし、調整ができた後は、撮れないものなんかないことに気がつく。
100パーセントの自由が欲しいなら、絵を描くか、本を書けばよい。
映画を撮るには必ず資金が必要であり、すなわちそこには圧力があり、
100パーセントの自由は不可能です。

音楽時空 今、大勢の香港の監督が内地に来て映画を撮っています。
多くの昔ながらの香港映画のファンにとっては、
当時の嘉禾(ゴールデン・ハーベスト)や新芸城(シネマシティ)、UFOのような
質感の映画を見なくなって久しいですが。


ピーター ああいう映画は未来永劫、再び現れることないでしょう。
香港の監督のことをいうと、内地のほうが資金が多いから来るのではなく、
香港で撮るものがないからみんな来るのです。
香港というところはそもそも映画産業が立つようなところではありませんでした。
以前、香港映画が栄えた理由は、
非常に特殊な経済的、政治的、文化的雰囲気があり、
それが香港を極めて自由度の高い前衛的な都市としたからです。

音楽時空 その特殊性はどこにありますか?

ピーター 特殊性は、香港が国ではなく、都市であったことです。
大陸は香港に口出しせず、イギリスはなおさら香港にはかかわり合わなかった。
香港は植民地ですから、イギリス人は香港の文化は大したことないと思っていたし、
香港の方でも、そう思われても平気だった。
そこで香港という空間はいっそう自由なものになったのです。

その頃、ぼくらは日本や韓国、マレーシアより、ずっと前衛的だった。
ぼくらには何の悩む種もありませんでしたから。
さらに、台湾と大陸は当時、それぞれの政治背景があり、
そのため、その頃作られた映画には我々ほどの自由はありませんでした。

音楽時空 では、香港映画の没落は、国家の香港への統制が、
今、強くなってきたからなのですか?


ピーター いいえ、今だって口出しはありませんよ。そうでなくて、
問題は中国改革が始まって以降、香港の各方面における重要度が、
アジア全体の中で低くなり始めたということです。
香港映画の輸出先はもうありません。
今東南アジア各国の華僑の第2世代、第3世代は、既に現地人化していて、
もう香港映画を見る必要がなくなっているのです。

香港の600万人が列になって、全員が1回ずつ映画を見たとしても、
1本の映画の製作費を回収することはできません。
100パーセントの人間が映画を見ても元手を回収できないという事態があって、
ぼくら映画を作る人間は、どう撮ったらいいんだろう?
シンガポールに映画産業はあるでしょうか? フィリピンには?
ああいう小さな1地方が、どうして映画産業を持ちうるでしょう。
これはちょうど海水魚を淡水の湖に放つようなもので、生きていけるわけがない。

昔の中国は割に閉鎖的だったので、上海の映画人は香港にやってきたし、
また、香港は、アクション映画によって、中国に代わり
世界に文化を輸出する中継点となり得ていました。
だからこそ、香港映画はあのように、いっとき急激に花開いたのです。
去ってしまった時代は去ってしまったのであり、懐かしむすべもありません。
もう香港映画を見る人はいない。タイも今は自ら映画を作っていますし、
台湾はアメリカ映画ばかり見ている。香港にはこの600万人しかないのです。

ですから北京は、多くの香港の監督にとって発展できる希望の地だと言うのです。
が、北京が香港の市場を奪ったわけではない。
北京がなければ、ひょっとして香港の映画人は転職して
他の仕事をしていたかもしれないでしょう。  (続く)
(音楽時空 2008.12.9)



 BBS   ネタバレDiary   22:30


2009年02月15日(日) ピーター・チャン、涙を流す��

昨日の続きです。

ピーター・チャンは、映画にロマンスを作り出すことに
極めて長けた人であり、またきめ細かな感情をどのように用いれば
観客を感動させられるかを知っている。
しかし、実生活で涙を流すことはほとんどない。
金馬奨での受賞は、ここ数年間で唯一、
彼が感情をコントロールできなくなった瞬間であった。

「そのときはテレビも見ていなかった。
サンドラ・ウーがメールで『終わった、終わった』と伝えてきたので、
授賞式はもう済んだのだと思ってしまい、
そこで黄岳泰と話の続きに入ったんです。
そうしたら突然彼女から電話があり、受賞した、と言うんです。
目が……泣いたというのとは違うんですが、でも、わかりますよね、
つまり目が涙でいっぱいになってしまい、
どうのもこうにもこぼれてしまったというわけです」

「ぼくに言わせれば、『如果・愛(ウィンターソング)』は、
ぼくが最も徹底的に作った恋愛映画であり、
一番心を傾けた映画です。
ところが、なぜかわからないが、あんなに『ラヴソング』を好きな観客が
『如果・愛』を気に入らない、あるいは理解できないんです。

観客にこうこうですよと説明するなんて、当然できませんよ。
観客が映画を理解できないから、
監督が直接観客に説明しなくちゃいけないなんて、
無能の極みだと、ずっと思っていますからね。
しかし、これからも観客とはコミュニケーションがとれなくちゃならない。
『如果・愛』でわかったのは、
観客は、ぼくが好きなものを好きじゃないということでした。
だから、ほら、長年映画を撮ってきたなかで、最大の挫折が『如果・愛』なんです。
稼ぎは多かったけれど、でも僕の中では大きな失敗だと感じている。
それは嫌う人が多いからです。

金像奨では6部門で受賞したけれど、監督賞と作品賞はなかった。
けれど、今まで撮った中で一番気に入っている作品なんですよ。

金馬奨授賞式のとき、ぼくは『投名状』のことで
ものすごいプレッシャーを感じていました。
映画製作であんなにプレッシャーがあったことはなかったです。
撮影中に絶対あれこれ持ち上がるとわかっていたので、気持が大変だった。

そういう状況下で、サンドラが、受賞したよと伝えてきたんです。
以前『ラヴソング』で受賞しているし、そのときも、
今年の『投名状』の受賞のときも、感動して嬉しかった。
でも、感動のあまり泣くことはなかった。
思ってもいませんでした、授賞式の場にいないのに、
賞をくれることがあるだなんて。

後である記者が電話をしてきたんですが、
ぼくが声が出ないでいるのに気が付いて、
『監督、泣いているんですね』と言われて、慌てて否定しました。
こんなことは、本当に生まれて初めてですよ。
ジョウ・シュンに芝居をつけるとき、よく目がうるんだし、
いい映画を見ても感動します。
でも、涙があふれたのは、本当にあのときだけでしたね」  (続く)
(音楽時空 2008.12.9)



 BBS   ネタバレDiary   22:30


2009年02月14日(土) ピーター・チャン、涙を流す��

前売り券が1枚残っていた「レッドクリフPart1」に行きました。
シネマート六本木。
80数席のスクリーンでに思ったより多い人が、
いい感じに入っていました。カップルが目立ちましたねえ。
どうしようかと思ったけれど、がんばってもう一度スクリーンで
見られてよかったです。

そうなると、あと1回! 「怪人」が見たいなあ……
上映館がかなり少なくなっているし、うーん、20日までに行けるだろうか?

香港の金像奨ノミネート。納得していません。
でも、言うとつらくなりますからねえ。
ファンとしてはお利口にならざるを得ません。が、やっぱり納得はできません。

これは、もう去年の記事なのですが、ピーター・チャンの話が興味深かったので、
長いけれど、やってみます。
特に武のことを言っているわけではないんですが。
ピーターさんの作品があまり好きでない人は読んでも面白くないと思います。
私は、なんか、ああ、そうなのかとわかった気のするところもあって、
大変面白かったです。



ピーター・チャン:
「あのときは、ただ1度だけ、涙をながしたときでもありました」


ピーター・チャン、唯一度、涙を流した経験を語る

大陸の多くの監督たちのように、ピーター・チャンもスタジオを
北京、東三環の万達広場付近に置いた。
今年初め、仕事の中心はすでに大陸に移したと公言していたけれども、
スタジオで仕事が行われている景色は相変わらずない。
午後4時の取材の約束のために3時半にスタジオに着いたとき、
彼はまだ大陸のプロデューサー、黄建新と脚本会議中だった。
4時ちょうど、取材を受けるため、部屋に入ってきた。
1時間の取材が終わると、彼はまた会議室に戻り、会議を続けた。
黄建新はその間、まるまる1時間半、ピーター・チャンを待っていたのである。

「投名状」からこの1年、ピーター・チャンは
香港と北京をひんぱんに行き来していたが、
彼にとって、2008年は思索の1年であった。

「この1年の成果はどうだったかというご質問ですが、
会社の今後3〜5年のきちんとした方針を立てることに
注いだようなものでしたね――1年間本当に何もせず、
じっくり考えるなんてことはめったにありませんよ。
今年の1月から5月までは、
会社の方向を決め、脚本に目を通すことに専念していました」

そして「如果・愛(ウィンター・ソング)」と「投名状(ウォーロード)」の成功と、
さらに香港の映画産業及び映画市場がどんどん先細りになっていったことが、
彼の、北京に大本営を設ける動きを加速したのだった。
「サンドラと娘がちょうど帰ったところです。2人はここに10日間いました。
将来必要になれば、サンドラと娘さえ構わないなら、
北京に引っ越してくることを考えています」

2006年11月25日、北京に初雪が降った。
その夜、ピーター・チャンは、収集した戦争に関する資料映画を
カメラマンの黄岳泰と一緒に見ていた。
次の作品「投名状」の中の戦争の場面の撮影準備のためである。

このとき、「投名状」の製作費は、目標だった1000万米ドルから、
3000万ドルへと膨らますことがもはや既定事実となっていた。
そして彼がジェット・リーのために設定した、従来のイメージを覆す役柄に、
出資者はまだ不安を捨て切れていなかった。
外部の疑惑の目と自分自身の恐れ、これにどんなプレッシャーが加わっても、
彼を徹底的に打ちのめしかねなかった。

このとき、まさに、サンドラ・ウーは、台北のビッグエッグで
第43回金馬奨授賞式に出席中だった。
最優秀監督賞発表までに、「如果・愛」は最優秀映画音楽賞と
最優秀撮影賞の2つしか獲得していなかった。
ピーター・チャンの携帯は、サンドラ・ウーからの短いメールでびっしりだった
――「終わった、終わった、望みなし」。  

ピーター・チャンは台北の会場には行かなかったのである。
1つには仕事があったからだが、もう1つの理由は、
受賞できる自信が全くなかったためである。
だが、今回、その判断は誤っていた。
サンドラ・ウーが電話をかけてきて、監督賞を獲ったと告げたとき、
ピーター・チャンはこらえきれず、はらはらと涙を流した。  (続く)
(音楽時空 2008.12.9)



 BBS   ネタバレDiary   23:00


2009年02月12日(木) ブログ散歩(K-20&RC1)

月刊「シナリオ」誌3月号(発売中)に
「k-20 怪人二十面相・伝」についての批評が載っているというのを読み、
書店で探しました。

    HPへ

↓これですね。

●連載
柏原寛司の映画館へ行こう ―創り手たちの映画評
<ゲスト>秋山豊(監督)
〜アニメ的作品を、見事に実写化〜

脚本家と監督の対談で、最後に取り上げられていますが、冒頭、
「すごく面白かったね」
「面白かったです」
で始まります。ぜひご覧ください。


もう1つ、「黒猫亭日乗」さんのブログで、
「レッドクリフPart1」を論じていらっしゃいますが、
まあ、すごいボリューム!
でも、ものすごく面白い。
映画表現としての「レッドクリフ」論は、楽しいし、刺激的です。m(_ _)m
「赤壁はなぜ赫(あか)い」の項、4回連続。
プリントアウトしてお読みになることをおすすめします。


 BBS   ネタバレDiary  23:20


2009年02月08日(日) 最後の鑑賞?&金城孔明

「k-20 怪人二十面相・伝」、ロングランとはいえ、
昨日から上映回数が大幅に減り、どこで見ようか、映画館探しに苦労しました。
はい、1枚前売り券が残っていたのですよ。

この映画は大勢の観客と一緒にハラハラしたり、笑ったりしたくて、
すべて土日で見てきました。
ところが、どこに行こうかと調べてみると、きれいな映画館で
人が集まりそうだったところは、みなレイトショーになってるし、
日中ずっとやってくれるところは、結構寂しげなところだったり、
映画館の構造自体が、さけたいようなところだったり、で、
頭抱えてしまいました。

ローカルな話題ですみませんが、そうしたら、今まで便が悪いと思って
全くスルーだった、ユナイテッドシネマとしまえん、
これが、時間が1回のみなれど、14時半からといういい時間。
それに映画館の評判がすごくいい。
交通を調べると、なんと、1回乗り換えで1時間で行ける。
しかも駅から極近。
たとえ貸し切りでもいい、ひとつ、このいいと言われるところで
(多分)最後の鑑賞をしようと出かけて行きました。

 映画館の正面には……

112席のスクリーン、意外やほぼ埋まり(100人弱?)、
子ども連れも結構います。
地元のきれいすぎるシネコン、という感じなんですけどね。

上映が終わり、明かりがつくと、隣で見ていた若い女性2人が、早速、
「手に汗にぎったねえ」「最後、意外だった〜」「すっきりした」
「見にきてよかった」と言いあい、
前の座席では、小学生の女の子が「おもしろかった」
連れの父親が「すごかったねえ」と話していました。

売店では映画を見てきた男の子と父親がK-20グッズを物色、
私の前にチケットを買って入場した親子3人連れがパンフレットを買っていました。
もう1人、小学生の男の子が母親に「k-20のDVDないの?」と聞いて、
お母さんは「上映してるのはまだ出ないわよ」。

そういう反応を聞いているのも、本当に楽しい。
ほんとにこれで最後かな? 
大体、映画を見ている間はすべて忘れて別世界にいられるし、
その上、これは何度見ても後味いい映画なので、
ずうっと上映してくれていて、疲れたらときどき観に行っては
元気出す、というような役割をしてもらいたいくらい。


「赤壁2」のとりあえずの感想をネタバレに少し書きましたが、
「1」のとき、既に感じたのは、金城孔明は、諸葛孔明役の、
1つのスタンダードを作ったなということです。
今後、三国志の映画なりドラマなりが作られる時、
誰が諸葛亮を演じるにしても、役作りにあたって、
その路線を踏襲するのか、離れるのか、いずれであれ、
必ず避けて通れない存在になったなあと。

役者として、金城武の賢さは諸葛亮とほとんど同じだと思います。
撮影現場で、彼の役柄に対する理解度にも演技にも目を開かされました。
クランクイン前、彼は「三国志」「三国演義」を読み、
中国のドラマ「三国演義」に目を通し、大変勉強していましたね。
ただ、本人は非常に物静かでまじめな人なのですが、
私が想像する諸葛亮は活発な人なんです。
そこで、彼には特に、肩のこらないセリフやシーンを与え、
彼自身も心楽しくあってほしいと思いました。
(申江服務導報 2009.1.14より)

監督の思いと指導、金城武の個性と俳優としての力、
それが全く新しい孔明像を生みだしました。
あっぱれ、です。


 BBS   ネタバレDiary  23:30


2009年02月05日(木) 「赤壁(下)」見てきました

今日は「レッドクリフPart2」のプレミアだったのですね。
→日刊スポーツ
あちこちで写真が出始めています。
今回はたとえ当たったとしても初めからいけないのがわかっていたので、
なんだか遠い感じがします……




さて、やっと時間ができましたので、簡単にご報告を。
台湾の「赤壁/決選天下」、公開日から半月が経っていたので、
宣伝などはもう期待しないで行きましたが、
なんと! 西門町は、去年と同じくらい赤壁尽くし。

同じ場所に赤壁門が建ち、


近寄って見ると柱は船を模していて、わら人形が……


通りには、登場人物の柱(?)がずらーっと並んでいます。


のぼりも。


映画館で。


地下鉄の入口に。



ついでにオリンパス武も発見!


こんな足もとに……




写真を撮りそこないましたが、「怪人」バスを1度だけ目撃しました。
帰国の日は春節の休暇が明けて仕事始めの日でしたので、
オフィスの前にこんなようなお供えの壇がしつらえられ、
ちょうど映画のクランクインのときのように
従業員が拝み、その後爆竹が鳴らされていました。
あちこちから聞こえる爆竹の音を、初めてホテルの中で聞いたときは
シャッターを開ける音かと思いました。外に出て了解。

ここ↓はお菓子がほとんどだけど、果物のところも。




肝心の映画ですが、映画館は満員で、ときどき笑い声も起こり、楽しく鑑賞。
上映時間は1と同じくらいだと思いますが、1以上に時間を忘れました。
あっというまに終わった気がします。
ということで、まず安心して楽しめるでしょう。
ストーリーはかなりオリジナル部分が多いので、
ジョン・ウー版三国志、物語を楽しむべき映画ですね。

小喬の出番が多く比重が大きすぎるのではないか、という不安(?)も
あるかもしれませんが、多いことは多いけれど、それほど気になりませんでした。
(小喬という役そのものについては考えること少しあるけれど……
それはネタバレで)

ファンとしては当然、孔明の出番や見せ場が気になるわけですが、
何しろ、この映画で一番目立つのは何と言っても火攻めの戦いそのものですから。
矢だったり、投石だったり、次から次へと繰り出されて(敵味方ともに)、
呆然としているうちに話はどんどん進んでいきます。

この戦いに直接参加しない孔明は、
をの間は、2度ほどクローズアップがあるくらいですが、
それ以外のところでは、十分出番も見せ場もあったように感じました。
いやあ、今回も素敵です。(これもネタバレで)

とにかく安心して見に行ってください。
ネタバレで……と何度も叫びましたけれど、画像アップに手間取り、
今日は時間切れ。


 BBS   ネタバレDiary 23:30


2009年01月30日(金) 「投名状」公式サイト、オープン

お知らせいただきました。m(_ _)m
いよいよですね。
内容は、先日写真だけチラとご紹介したプレスシートと同じです。
一応、ウォーロード公式サイト


明日からごく短期間ですが、台湾に行ってきます。
15日に封切られた「赤壁2」ですが、まだまだ宣伝をしているとのことで、ほっ。
あれやこれやを忘れ、ひととき、三国志の世界に、再び遊んできます。
(このところ、気分は怪人、でしたから)


 BBS   ネタバレDiary   22:00


2009年01月29日(木) 爽やか画像

サッポロCMの写真宅配で今朝は起こしていただきました。さわやかな目覚め〜

サッポロHP→会社概要→ニュースリリース→冷製札幌新発売のお知らせ→拡大写真2
のルートで、爽やか画像が現れます。拡大するとかなり大きい!

みなさん、ご覧になったころ、ここに貼ろう!♪
(ただ、私はビール、ほとんど飲まないのよねえ…)


 BBS   ネタバレDiary    7:10


2009年01月28日(水) 新CM!

絶好のタイミングで新しいCMに出演!
今日は風邪のため早退し、湯たんぽを入れて寝ていたところに、
お友達からこのニュース速報!
というところで、確かめに起き出してしまいました。

3月25日発売のサッポロビールの新製品です。→ 日経プレスリリース
Dolphinさん情報ですので、いろいろリンクはそちらで。

いまや巷では「レッドクリフ」の金城武、ですし、
このCMもその効果の1つに違いないでしょう。
ピンチヒッターで出演することになった彼の運の強さを
お友達とも言い合いました。
(ひょっとして、日本での撮影って、このことだったとか……??
それとももっと早くに撮影するものかしら?)

確認したので、また寝ます……


 BBS   ネタバレDiary   22:50


2009年01月26日(月) ファッション誌の表紙を飾った男性スター

捜狐娯楽のサイトで、2008年の雑誌を振り返り、
誰が表紙に登場したかを見た記事があります。
男性誌では、「エスクァイア」「メンズ ウノ」「バザール」といったファッション誌が中心で、
中華芸能界の男性スターでは金城武が2008年はきわだっていた――とのこと。

こちら

金城武 2008年のファッション雑誌表紙王

単に回数だけで言うなら、金城武は、2008年のファッション雑誌の表紙を
最も多く飾った中華男性スターとは決して言えない。
しかし、もし登場した雑誌のグレードで言うと、右に出る者は一人としていない。
「VOGUE」「GQ」から「marie claire」まで、ことごとくトップクラスのファッション雑誌である。

映画では、2008年には「赤壁」「死神の精度」
「怪人二十面相・伝」など、多くの映画が公開された。
またCMキャラクターとして、エンポリオ・アルマーニの
初のアジア地区男性イメージキャラクターを務めたことで、
その名に恥じないファッション王となった。
エンポリオ・アルマーニをまとって大雑誌に登場すれば、そのままブランドの最良の宣伝だ。

雑誌の表紙への登場数がかくも少ない理由としては、
まず、金城武の雑誌グレードへの要求が非常に厳しいことがあげられる。
2つめに、専属のスタイリストとカメラマンによる日本での撮影でないと引き受けないからだ。
そのため、もし雑誌用に金城武の写真を撮りたいと思ったら、日本まで行ってやるしかない。
その費用は普通の雑誌社ではとても負担できない額である。
また、そのために毎年決まった金城武といつも仕事をしている、いくつかの雑誌だけが、
彼を表紙にすることになる。
数は多くはないが、品質は保証できる。


 BBS   ネタバレDiary   23:30


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