しむちゃんのつれづれ日記
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2003年12月09日(火) こういうときにしか憲法を考えないのは情けないかも

小泉首相は自衛隊派遣の基本計画説明に際し憲法の前文一部を読みました。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理念を深く
自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と
生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を
地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたい
と思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに
生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない
のであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国
の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」

一方、ニュースステーションにおいて久米宏は、小泉首相は憲法前文だけ読んで、
憲法9条を読まなかったのはアンフェアだ、と言いました。
(このコメントについてはいささか違和感を覚えますが。)

小泉首相の立場は非常に厳しいことを意味しています。
国家としての貢献をしたい、お金だけではない貢献をしたいとの考えから、あえて
自衛隊を選択したわけですが、政府の選択としてはこれが最大限です。国益のために
国家が指揮できる最大限の方法です。命をかけることを指揮できる最大限の方法です。
だからこそ国益とは何かをきちんと国民へ説明すべきなのです。犠牲を払う可能性を
抱えた自衛隊派遣ですから、その犠牲を超える国益を守るためであると説明をする
必要があります。そういう国益があるからこそ派遣を決めたわけだから。


それにしても求める側と与える側の認識の違いが大きそうです。
イラクは軍隊を求めていない。むしろ民間によるインフラ復興を求めています。
ジャパンマネーを求めています。日本はそんな中で自衛隊(軍隊)を治安維持、復興
のために派遣しようとしています。日本の事情を知らぬもの、日本の動きを利用しよう
とする者からすれば、日本からの自衛隊派遣は飛んで火にいるなんとやら。これ幸いに
攻撃を加える口実を作ってしまいます。軍服を着ていても攻撃を加えない軍人であるとは、
説明をしなければ相手には分からないもの。しかし世界の常識はそれを理解できないでしょう。
攻撃を加える者からすればアメリカだろうが日本だろうが相手は関係ありません。
軍隊は軍隊。目的は関係ありません。

だからこそPKOとは違い、自衛隊の活用には疑問を覚えるのであり、反対をする人も
多いのだと思います。自分もそう思います。治安維持のためには時期早尚です。
復興協力に関与する国が少なすぎます。アメリカが冷めているところが気がかりです。

そういうことが良く分かっている、それから与党保守派の反対が大きいことが具体的な
派遣日程を述べることができない理由でしょう。具体的な日程を述べる必要はないで
しょう。結果的に派遣できなくてもいいと思います。こういうことは海外各国、特に
アメリカから非難されても構わないと思います。大いに悩んで決めればいい。
突っ走って多大な犠牲が出た方が問題です。師走な時期だけにね。

国家防衛は本来は長期的な展望に立って考えるべきこと。
目先のことに小手先で対応してもそれが日本の将来を暗くしてしまうのなら止めるべき。
こういうときに中曽根元首相の言葉が思い出されるねぇ。「国家観」

平和な日本はいつまで続くのでしょうか。

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)



2003年12月08日(月) 言い渡し

いやぁ、とうとう上司に言われましたよ。
1月1日に辞令を出すって。(正確に言うと出してもらう。)
住まいは変わりませんけどね。

なんでこの今日かというと、今日は上司もその上司から彼の行き先を告げられた
から。自分の異動が決まるまでオマエには異動を告げないという嫌がらせでは
ないとは思いますが・・・。

こりゃもう、もろもろ今月中に終わらせなければ。
いつまでもタラタラやってるんじゃないよというプレッシャーかも。

でも、自分にとっての懸案事項はひとつだけ。
このひとつが片付くかどうかは事業を終わらせることができるかどうかのカギ。
これさえ片付ければ、あとは時間が解決してくれる。そう思っています。

始まる時もバランスシート。終わる時もバランスシート。
これをきれいにして終わらなければ会社の決算もできないという大事なものです。
勘定係としては頭の痛い問題ですが、とにかくこれをきれいにすること。
この2週間はこれに尽きます。それが終われば異動先の取扱い商品のことでも
勉強するとします。

というか、来年の3月までは、すっきりとは今の部門とお別れできないので
年が明けて辞令を受けてもどうなることやら。ま、なんとかなるでしょ。

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)



2003年12月07日(日) なにが大事なのかをまず考える

国であっても個人であっても、犠牲にすることと守ることと、そのバランスを
考えて物事を決める、行動することが大事でしょう。

サンデープロジェクトを始め各局でイラク派遣の是非について議論されています。
情勢で派遣すべきとするならばそれは太平洋戦争の開戦と同じことになります。
(御前会議では誰も積極的に参戦に賛成した人はいなかったのですが、情勢が
参戦を求めているとして結果的に参戦することになった。)

国際協調とか日米同盟とか言いますが、確かにそれは大事なことではありますが、
日本の国益としてイラクの安定がどのような意味を持っているのかをきちんと
国民にアメリカに国連に説明することが小泉政府には求められていると思います。
国民(自衛隊)を犠牲にする(可能性がある)ことがその国益を守るために必要
であることを説明する必要があります。精神論での議論であれば自衛隊の派遣は
まずありえません。守るものと犠牲にするものとを比較して、それでも守るものの
方が国益に叶っていると政府が判断すれば(上記の説明の後に)、犠牲を払って
でも自衛隊を派遣することになります。そのために障害となるもの(例えば憲法)
があるのなら、それらの段階を踏まえた上で憲法改正となるでしょう。

ちなみに憲法は国家に対する命令ですから、そうやすやすと改正されるものでは
ありません。してもらっては困ります。日本が国家であるための基本形ですから。
ただ、憲法9条の解釈は学者間でも意見が分かれるところで、それは第2項の
出だしの言葉に原因があると思います。


日本国憲法・第9条
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる
戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。
 2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。


ここにある通り「前項の目的を達するため」という言葉があるので自衛隊は正当化
されています。その自衛隊は海外に派遣されることを認めないわけではないが、
武力を持つことを許していません。つまり、武力を保持しない自衛隊が海外へ
派遣されることは、戦争に加担しない限りは許されることになります。これを
現実に照らしてみると、イラクにおいて武力における紛争が起きているとしても、
その紛争解決が目的でなければ丸腰でなくとも派遣できると解釈できます。

問題はこの解釈が国民の総意とみなすかどうか。
それから自衛隊の派遣が国益のために必要であると国民を納得させられるか。

今回のイラクへの自衛隊派遣は、憲法第9条を考える上でいいモデルになると
思います。ベトナム戦争や湾岸戦争で国家の命令として当地まで派遣できなかった
ことを踏まえ、今回はそれを超える行動をしようとしています。湾岸戦争の時の
ように、”後方支援”なんていう言葉はひとことも出てきません。今回は戦争後の
イラク安定化への支援ですから、当地で何をやるかが議論になっています。

ですから、自衛隊の海外派遣の是非、そしてイラクで起きていることが日本の国益
にどのような影響を及ぼしているいるのか、それを排除するために日本としては
何をすべきか。国益を守るために法整備が整っていないのならそれに手を入れる。
例えば憲法9条に記載されている文章では曖昧であるのなら、それを明確にする。
それらをすっ飛ばして行動が先走りしているからたとえやることが正しいとしても
抵抗が出るのも当然です。小泉首相が言う「備えあって憂いなし」とはそういう
ことではないのでしょうか。現実を鑑みて足元を固めておくということではないか。

いずれにしても「情勢が必要としているから」なんていう理由は理由にならない。
国権の発動ですから、国際協調の前にまず国益を考えること。それが国際協調、
それから日米同盟を鑑みて同じ方向性であるならば国権の発動もあるでしょう。

大義と言われるものが国益に叶うのならば、それをきちんと説明して欲しい。
国益に叶わない大義であるなら、自衛隊のイラク派遣は行なうべきでない。

日本の独自性とは、日本の国益を明確にさせることだと思います。
発言としては不充分ではありますが、今日はこのへんで。

はい。今日は晴れ。(東京地方)



2003年12月06日(土) バプテストだっけ?

自分が卒業した大学はバプテストの牧師が開いた大学であったことを今更知ることに
なったのは大学のクラブの同窓会をやることになって、幹事宅の教会が大学系の
バプテスト教会であることをHPで見たから。ちなみに自分は無宗教ですが、実家は
浄土真宗だと聞いています。(悲しいかな葬式仏教ですが・・・。)

カトリックとプロテスタントの名は資本主義の成立を語るにはなくてはならないもの
ですが、バプテストとは正直言って何のこっちゃという感じです。
潮来バプテスト教会のHPから引用してみました。

”バプテストとはキリスト教プロテスタントの一宗派で、アメリカでは最大の教派です。
M.L.キング牧師、カーター大統領、元アントラーズのビスマルク選手などはバプテスト
です。横浜関東学院、捜真学院、仙台尚絅女学院、福岡西南学院は同じバプテストの
伝統を持つミッション・スクールです。”

大学ではキリスト教学という授業が1年から4年まで各年度1単位ずつ4コマあります。
必須科目ですから、好き嫌いを問わず取得しなければなりません。
この単位が取れないおかげで逆恨みした学生が教授をが危ない目に会わせたことも
あると聞いています。かくいう自分もこの授業のおかげで苦労させられました。

馴染みのない人からすると、カトリックもプロテスタントも、さらにはバプテストも
メソジストもモルモン教も宗派の違いはあれ同じキリスト教です。そのやり方の違いを
理解せずに、例えばモルモン教のやり方をキリスト教の通常のやり方だと思って、
「アナタハカミヲシンジマスカ?」
とぶしつけに声をかけてくるような宗教がキリスト教だと思われている方もいるのでは。

モルモン教に対する考察は、山形浩生氏のサイトをご覧下さい。
キリスト教に関心のない人には理解するつもりもありませんから、どんなことをして
いる人たちかは関係ないっちゅーたら関係ない。単に変わった人ってだけですからね。
もっと言えば関わりたくない人ということですか。(背景には誤解があるようです。)

自分にとっての付き合いに宗教は関係しませんから、相手がどのような宗教かは問題
ではありません。宗教は個人の中での考え方、生き方に関わる問題だから、他人の
宗教がどうこうということにはなりません。その人にとってその宗教がその人を幸せに
してくれているのならそれはそれでオッケー。それ以上でもそれ以下でもありません。
議論の余地はありません。

宗教活動のあり方として、賛同して欲しいという気持ちはあっても、これが絶対的に
正しいと押しつけるのは宗教の自由に反しています。たとえばキリスト教のように
絶対神が存在するような宗教では神以外のものを崇めることを禁じていますからそれに
従うことになりますが、それを他宗教に広げてしまうこと、あるいは無宗教の人に神を
信じろといっても到底理解できるものではありません。理解できないってことは信じれ
ないことですから結局は意味のない行動です。しかも日本には日本特有の神様がいます
から、それらとキリスト教でいう神とを混同してしまうことも考えられます。
こうなってしまっては宗教ではなく「神」という言葉に煽動されているだけです。
ここから神に対する誤解が出てくるのだと思います。

宗教というと救済を目的としているかのように感じる方も多いでしょう。
実際のそのような宗教が多いのは事実。日本の仏教もそう、カトリックもそう。
でも本来の仏教やキリスト教を辿って行くと、救済ではなくて正しい行動を行なうことが
目的であって、救済することは何も言及されていないように思えてなりません。

仏教でいえば、善悪を律するために自己を厳しく正す。キリスト教でいえば、善悪は
神が決めることであって人間が決めることはできない。幸福を願うなら神が認めるで
あろう行動を人間は自ずと行なう。

日本書紀に出てくる神は、人の善悪は問わず豊かな日本という土地を与えて下さった
おおらかな神です。神を信じなければ人を殺すとか試練を与えるとかいうこともない。
いちいち細かい戒律もない。だから祈祷とか呪術とかがでてくるようになるわけです。

そんな神様は今でも生きており、苦しい時の神頼みという言葉や、神社への願掛けが
生きているのはこういうことです。こういうことをずっと受け入れてきた国民なんです。
日本という国は。助けてくれる神がいるという安心感の元に生きている国民です。
自分が何をしなきゃと考えるよりも、何かをしてくれると考えてしまう国民です。
仏教やキリスト教が本来の目的を失った形で日本で存在しているのはそのせいです。
(輸入された時点ですでに日本流になっていたわけだから、国外に出ない限りはそれが
当り前に見えてしまうのは仕方のないことですけどね。)

いずれにしても宗教とはひとつの論理で成り立っているわけではないので、それぞれの
宗教がそれぞれの存在異議を主張すればいいのであって、自分がガタガタ言うことでは
ありませんね。失礼しました。

はい。今日は曇りのち晴れ。(東京地方)



2003年12月05日(金) 消費者金融に甘えたら終わりかも

昨日の続きです。もちょっと細かいところまで言及してみました。
(ちなみに本文は消費者金融を悪いと決め付けているわけではないので念のため)

貸出額によって、100万円超を15%、10万円以上100万円未満を18%、
そして10万円未満を20%を上限とする→利息制限法(罰則無し)
29.2%を上限とする。→出資法第5条(罰則あり)

利息制限率を超える部分は違法ではあるが任意返済として貸金業規制法43条で認められ
ている。(いわゆるグレーゾーン金利)つまり任意返済だから借り手は支払超過分を返済
請求できる。一般の借り手はこのことを知らないあるいは立場が弱いので認識をしていて
も請求できないといったところが現状だろう。但し返済請求が認められない場合もある
ので注意が必要。

いずれにしても、利息制限法を越える金利は法的な支払義務は無い。

なお、貸金業法43条は,サラ金業者が厳格な要件を満たす書面を貸付時及び返済時に
欠かさず交付している場合に限り、利息制限法違反の金利を徴求する余地を認めているが、
この厳格な要件を満たした上で貸付をしているサラ金業者は極々わずか。

サラ金業者にこれまで支払ってきた金利のうち、利息制限法超過部分については、金利の
支払いとしては無効なので、遡って、元本として支払ったこととなる。
すると、次回の支払いについては、減少した元本について改めて利息制限法に基づく金利
を求め、これに違反して支払った金利部分は、やはり元本として支払ったこととなる。
これを繰り返していくと少なくとも元本は減少し、場合によっては既に支払いが終わって
いる、更には払い過ぎとなっているので返してもらわないとならないというケースさえ
あり得る。

ここで重要なことは過去の借入履歴をしっかり残しておくこと。
いつ、いくら借り、いつ、いくら返済したか。これがあれば正しい金利計算ができるが、
なければ業者に提出を開示してもらう必要がある。しかしながら自己の不利益となる開示
を拒否する可能性もあるので、契約書や領収書等は必ず保管しておくこと。

まぁこれは借りた側のみの観点なので貸した側から言わせてもらうと、借り手の低い信用
と、借り入れの利便性を考慮すると、銀行よりも高金利になると言わざるを得ない。
金利はそもそもクレジットリスクと取扱い手数料の合計を加味したものだから。
後になって泣きを入れるぐらいなら、最初から借りるなと言いたいよね。屁理屈こねて、
サービス対価を踏み倒すなと言いたい、とね。


こんな感じです。

借りる側には借りる側の事情が、貸す側には貸す側の事情があります。
しかしあまりにもの貸す側の歯止めがなかった。そのために殺人事件まで引き起こされて
しまいました。自殺者も増えました。これを社会現象だと済ませる風潮もありました。
そういったところに歯止めをかける意味で上限が設定されました。

しかし消費者金融が衰えるどころかますます栄えているのは、我々の収入が減ったにも
関わらず生活スタイルが変わらないあるいは良くしたいという欲望に起因すると思われ
ます。皆が痛みを覚えることから逃避して、自分の生活を良くしたいと思い続けるなら、
どうやって自分の生活を良くするかを自分で考え自分で行動すべきなのに、なぜか国や
自治体や政治家のせいにして自己弁護しているように思えてなりません。

もし自己努力なしに本当に国や政治家に頼ろうとするなら、それは自己の幸福を自己で
実現することを放棄していることであり、例えば所得の半分以上を税金として国家に
納めてそれを国家に広く分配してもらうということになってしまいます。大きな政府を
求めていることになってしまいます。国民が国に統制されることを望んでいるかのよう
です。役人に権益を与えても良いと言っているかのようです。それこそ税金で働いている
人間はほくそ笑むことでしょう。おかしいと思いませんか?

人にはそれぞれ分相応の生活が決められているわけで、皆が同じレベルで生活ができる
はずはありません。それが分かっているからこそより良い生活のためにがんばれる。
より良い生活をするためには努力をするしかないんです。何かを犠牲にしてね。努力を
せずに良い生活を望めば、そこには自己の肉体を犠牲にすることになる。いずれにしても
犠牲がついて回ります。その犠牲を何にするかはそれぞれの価値観によりますから、こう
あるべしということは言えません。(生まれながらに決まっている場合もありますが)

そういった犠牲を認識した上で、最大の幸福を実現するために努力する。
自己の責任で努力する。誰の命令でも指示でもなく自己の責任において。

とかいうことを自己責任放棄している人に説かなきゃならないから大変です。さて。

はい。今日は曇り。(東京地方)



2003年12月04日(木) 消費者金融の罠

親族から消費者金融の保証人について質問があったのでメールで答えました。
その一部を紹介してみます。

1.消費者金融で保証人はいるのか?
  →一般的な消費者金融では、おおよそ50万円を上限に、現在の取引状況、
   過去の取引状況を共有のデータから割り出し、ブラックリストにないことを確認後、
   本人の職業を元に過去の事例から貸出額を決める。会社によって貸出額に
   差がある。金利にも差がある。この場合は保証人不要。

2.保証人が必要な場合
  →a) ブラックリストに名前がある場合
   b) 収入が無保証下限以下の場合
   c) 職業に信用がない場合
   d) 新規取引で多額の貸出の場合

消費者金融もまがりなりにも金融業ですから、銀行と同じく信用調査を行ないます。
しかも短時間で。彼らの持っているネットワークはすごいです。個人情報氾濫です。
逆に言うと、保証人をつけているということは、本人に信用がない(職が不安定とか
過去に焦げ付かせたとかの実績あり)か、返済不能と思われる額を借りている。
だから、借りている会社を見て、その種類によって判断する必要があります。

消費者金融には大きく分けて3つあります。
1.銀行系金融会社 − 銀行より高いけどサラ金よりは低利で借りられる。
            審査はちょこっと厳しい。定職ではないが職のある人向け。
            アット○ーン・モ○ット・キャッシュ○ン、地銀系も多々あり
            おおよそ15〜18%

2.一般消費者金融 − いわゆるサラ金。パートやバイト向け。審査はそこそこ。
            ○富士・アイ○ル・レ○ク・プ○ミス・ア○ム・ノー○ーン・○イクなど
            違法限度ぎりぎりまでの金利。おおよそ20〜29%

3.高利貸し    − いわゆるマチ金。誰でも貸すけど返せなかった時は命が危ない。
            名前は地元の名前であったり個人の名前であったり。
            違法な金利です。年利1000%とか10000%とか・・・。

4.質屋      − これも金貸しの一種。モノだけが担保です。
            返済できないときは担保が押収されるだけ。金利なし。

借金も財産のウチ、とは言いますが、これは返済できての話。
返済できればそれが信用となり貸出額も増えてきます。貸す方も貸し続ければそれだけ
儲かることになりますから、信用があればそれだけ金額も増やしてきます。これに甘えて
しまえばどういうことになるかというと・・・。

金融会社の強みは、儲かった分から取り立て屋に支払う余裕があること。
だから取り立てにはとりわけ力を入れている。ここが金融会社の生命線です。

本人の返済が滞った場合、保証人がついていれば当然保証人のところへ行きますが、
保証人がなければまずは親族のところへ行きます。身元はバレているからね。
旦那が借りている場合は嫁さん、本人の親兄弟、嫁さんの親兄弟などなど。






自分で書いていて、本当に怖くなってきました。
身近な人が消費者金融に手を出していて、もし返済を滞らせてしまえば自分のところへも
手が伸びてくるからです。とはいえ他人事ではなさそうなので、近いウチに実家へ帰って
事情聴取をしなきゃ。(尚、上記メールでは基準法規は具体的に述べていません。)


くれぐれも借金は返済できる範囲で計画的に・・・。

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)



2003年12月03日(水) ちょっとホッと

帰り際に隣の職場の送別会のことを聞くやいなや、上司が自分の送別会も
しなきゃな、と言い出しました。決まってもいないのに送別会とは気が
早いと言いましたら、上司は慌てて異動届のことを忘れていたと言い出す
始末。どういうことかというと、予定していた日取りに変更がないことを
人事に連絡しなければならないんです。

ということは、自分は1月1日付けで異動です。
で、行き先の事業部門は分かっていますが、職務は何ですかと聞くと、
どこだろうねぇと、つれない返事。変更がなければ調達だろうということ
ですが、それって4月の時点のことじゃなかったっけ。そういうわけで、
明日確認してくれることになりました。

もしそこの営業であれば、今は工場にあるところを1月から本社へ移動
してくるので、今の仕事が片付かなくても兼任でできるけど、調達だと
工場勤務となり、こちらの仕事が必要になれば本社まで出向くことになり
ます。どうなることやら分かりませんが、なるようにしかなりません。
やれるように考えて動くしかありません。

とはいえ、まだ来月以降のことを考えている余裕もなく、とにかく始末を
ある程度つけてしまうことが優先します。これを今月のウチにやっておか
ないと、来月になっても今の仕事で追われることになります。

当面は大きな課題が2つあるから、同時進行でやっていかねばなりません。
どちらも歯ごたえのある事ですが、嫌だろうがきつかろうがやらなくては
なりません。8合目まで登っているけど、険しい崖が立ちはだかっていると
いった感じでしょうか。

でも、何はともあれ、ちょっとホッと。

はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)



2003年12月02日(火) 長期の展望も短期では否定すべきこともある

誰か言っていたなぁ。

「形のあるモノは変えられるけど、人の魂までは変えられない。」

職人魂のことを言ったものですが、この魂とはどこで作られるのでしょうか。
オレにしかできないというプライドなのでしょうか。もしそうだとしたら時間が
解決するものでしょうか。長い時間を要してできるようになったものでしょうから。
でもプライドと魂が同じだというのはピンときませんが。

さて話は変わりまして、今日のニュースステーションにNGO団体であるピース・
ウインズ・ジャパン代表の大西氏が出演しました。その中において彼は自衛隊の
派遣に否定的な発言をしました。時間の捉え方が問題だと言いました。つまり彼は
復興を3〜4年のスパンで考えろということであり、派遣そのものに反対している
わけではありません。派遣をする前に政府としてやることがあると言っているわけ
です。なぜなら人道的支援は経験のあるNGOが戦後ずっと活動を続けているから
です。経験の中には当然ながらテロやゲリラへの対策も含まれています。
国家が関与していないからこそ活動できた面も大きいでしょう。

ここで自衛隊が派遣されるというのは、国家の一部が関与してくることであり、その
国家の判断はアメリカの意向を汲んだものであり、そのアメリカの意向を汲んだ
自衛隊がテロのターゲットになることは明白です。だからその自衛隊が現地で民間や
政府の出先機関が行なう人道支援において安全を守るなんていうのは、逆にテロの
危険に晒すというのはその通りです。

その意味で自衛隊の皆さんは大変な任務なわけです。自らテロのターゲットになる
ために現地に赴くわけですから。本人の意思とは別のところで決められた判断により。

小泉内閣の欠点は、長期に渡って実行すべきことを短期に行なってしまおうとする
ところが見受けられることです。ただ、だから止めてしまえということではなく、
やるべきだけど、今やるべきでないということです。これは先延ばしではなく足元
固めのため。政治の悲しいところは、4年以上先のことは自身で約束できないこと。
だから在任期間中に実行できないことはやるとは言えません。

小泉首相の発言を聞いていると分かるのですが、そういった発言がありますね。
もしこれを約束してしまったら、従来の自民党と同じことになります。
政治家が約束したことは守らなければならない、とね。いつまでたっても。

小泉首相の信念を支える魂って何なのでしょうねぇ。

はい。今日は晴れ。(東京地方)



2003年12月01日(月) 夜も長くなってまいりました

自分の中では今の職場はあと1ヶ月。
今年のウチにケリのついていない仕事を片付けようと思っています。
逆に言うと、今年のウチにケリがつく見通しがなければ1月1日付けの異動に
ならないということです。異動したければ仕事を終わらせること。
終わらなくても、誰に何をやってもらうかをはっきりさせること。

業績管理の面は来年の3月分まで続きますから、いずれにしても引継ぎを
誰かにすることになりますから、その人が分かるようにしていなければなりま
せん。今はそれをシコシコとやっている最中です。

今年もあと1ヶ月ですから、今年のウチにやれることは今年のウチにやって
しまおう。これは仕事に限らないことです。踏ん切りというか区切りというか。

割りとのんびりやってきた自分にもお尻に火がついてきたんでしょうかねぇ。

はい。今日は雨のち曇り。(東京地方)



2003年11月30日(日) ラストエンペラーの弟とその妻

ただいま頂きものの長崎ミカンを食べ過ぎて肌が黄色くなっています。(笑)

『流転の王妃・最後の皇弟』がテレビ朝日開局45周年記念番組として、この
土日に放映されました。「皇弟」という言葉は造語でしょうが、音だけを聞いた
限りでは、あの「ラスト・エンペラー」を思い出してしまいます。皇帝の弟と
言えば締まりがないから漢字二字にしたのでしょうね。

兄である溥儀は満州国の最後の皇帝でしたが、日本の関東軍は満州国はあくまで
日本の支配下と考えており、皇帝とは名ばかりのものでした。日本の陸軍は当然
同じ考え。というか陸軍のタカ派が関東軍ですから、日本を離れた地で陸軍よりも
力があると勘違いしていたかもしれません。一方では、支配力を誇示する必要が
ありましたから、その象徴として皇帝を支配していることにしなければなりま
せんでした。支配するところまではいいのですが、国を治めるという考えがありま
せんから、満州国の国民から非難を受けたのは必然でした。

そういったことよりも、この放送を見ていて「中国と日本」という表現に違和感を
感じたのは自分だけでしょうか。満州=中国という等式ではないことはご承知の
如くです。誤解を承知で敢えて言わせてもらえば、満州はいわば夷狄(いてき)、
つまり華夷の弁(中国と野蛮人を区別する)からすると野蛮人です。その野蛮人を
統治して中国を統治の礎にしたと勘違いしたところが誤りだと思うんです。
(しかし華夷の弁とは抗弁で、歴史的に夷狄が中国の支配を繰り返したことは事実。)

日本の当時の統治に対して今でも恨みを持たれているのは、その統治の仕方が
あまりにも日本的であったがためです。日本的というのは、その国民の文化や
国民性(つまり生活様式)、それから宗教すら日本流に置き換えようとしたから。
中国の長い歴史を無視して日本を絶対的な力を有する国であると、日露・日清戦争の
勝利を経て勘違いしてしまったことにあります。

この根底には幕末からの倒幕思想に遡ると自分は考えていますが、そのあたりの
細かいところは別の機会に改めるとして、明治維新で天皇制が復活したことの
悪影響のひとつだと思えます。(ただ、明治維新そのものが悪かったと言っている
わけではないので念のため。明治維新が実現されたからこそ今の日本が成立して
いるわけですからね。)

なーんだか面白くない書き方になってしまいましたが、放送には感動を覚えて
しまっていたのですよ。実は。テレ朝がこのテーマを選んだ理由は知りませんが。
そこまで推測するのは野暮っていうもんですからやめときますね。

ところで、日中国交正常化を実現した時の日本の首相は誰だったでしょう?

はい。今日は雨のち曇り。(東京地方)


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