2003年11月29日(土) |
デジタル書道展・・・の話題のはずだったけど |
今日はコトウさんとムスメちゃんと一緒にYAMATが出展するデジタル書道展に 行って参りました。雨の降る中どうかなと思っていましたが、地下鉄一本と いうことで、手荷物にならない折り畳み傘と、雨ガッパというかあれは何と 言うんでしょうね、自分はみのむしルックと呼びましたが、ムスメちゃんを 抱っこしたときに濡れないように覆い被せるヤツです。
ムスメちゃんは1才2ヶ月で10kgほどあるそうで、同じ年代では小さい かもしれませんが、それにしても10kgの重量を抱っこし続けるのは結構 重労働です。コトウさん自身もちっちゃいから、抱っこはしんどいだろうな。
なんとかボチボチ歩けるようになったから、いつも抱え続けなければならない 時期は越えて、まぁそれはそれでバランスが取れてきたわけで。でも雨の日の 外出は歩きがおぼつかないから歩かせるわけにもいかず大変そうです。 (とかいうことは、本人に言った言葉をそのまま掲載。)
こういうときに旦那がいないのは変な感じですが、徹夜で疲れた旦那を引っ張り 出すわけにはいかないというコトウさんの配慮ですから何も言うまい。
でも、このような姿を見ていると、本当に子供が欲しくなります。 他人の子供でもかわいいと思いますから、自分の子供には思いっきりかわい がって甘やかしてしまうんだろうな、なんて思います。男の子だろうが女の子 だろうが。人様の子だと、いくらかわいくても自分の子供のように扱うのを どうしても遠慮してしまいます。
いや、どうしてこういうことを言うのかというと、書道展の会場に入る時には コトウ母子と一緒でしたから、そこにいた人からは自分は旦那だと思われた かもしれないのに、抱っこもしてあげない、手も引いてあげない子供に冷たい というか母親任せの旦那だなと思われたかも、と思うからです。
え?そんなこと思った人はいない? それならいいんですけど・・・。考え過ぎですか。
人様の子でも自分の子でも同じように愛情を注げることができればいいのです けどねぇ。いずれにしても自分の子を持ちたいと思っている以上は、その前に やることをやらねばなりません。そう思いつつもひとつのことにケリをつける ことができない自分がいます。人を好きになることに器用でない自分は複数の 人と同時進行で付合うことができません。一番の人はどのような状況であれ、 やっぱり一番です。ケリをつけずに勝手に諦めて他の人と付き合ったとしても 自分の中では一番の人がいるわけですから、その他の人とはうまくいくはずが ありませんし失礼ですよね。一番の人との間でとにかくケジメをつける必要が あることは良く分かっていますが、その人とのいい関係を失うかもしれないと 怯えていることも事実です。だからなかなか切り出せない。
ただ自分にとってもその人にとっても時間は限られているわけで、いつまでも 今の関係が続くわけではありません。早かれ遅かれ今のままではそのうち別れを 迎えることになるのも事実です。
まぁ色々とあって今年のウチにはどうにかしなければならない状況になって きてしまいましたから、切羽詰らないと動かない自分にとっては環境としては 整ってきたのかもそれません。結果として何にもなくなったらなくなったで そうなったときに考えるとします。
おっと。デジタル書道展の話題からすっかり外れてしまいました。 コメントするのも恐れ多いですから差し控えときますか。(なんのこっちゃ)
YAMATごめん。 そういうわけで忘年会の幹事よろしく。(脈絡なし)
はい。今日は雨。(東京地方)
2003年11月28日(金) |
他に人材はいないのかねぇ |
今日はちょっとお会いしたい人がいたんですが、都合が合わずに取り止め。 まぁ押し掛けなので、あちらの都合次第ななんですけどね。
仕方がないので、ウマイもんでも食べて帰ろうかと思いましたが、運悪く席が 一杯でひとり客が堂々と座れる状況ではなかったので、コンビニでパスタを 買って、部屋にある即席麺で済ませることに。給料が出た後の週末ぐらいは 贅沢したいよねぇ。
明日の午後にコトウさん夫婦と一緒に友人であるYAMATも出展するデジタル 書道展に顔を出すことにしました。YAMATはムスメちゃんに会うのは初めてかな。 どんな反応をするか見ものです。
今週は仕事でいろいろと変化があったので、退屈していた自分にとっては 面白かったというか、先が見えてきて精神的に落ち着いてきたというか。
それにしても社内の人事って難しいものです。 当事者である自分がこういうことを言うのもおかしいのですが、ある部門の 人材がいなくなるので、その代わりを今月になってから探していることを、 本社の人事主管から聞かされていて、考えておいてくれと言われていました。 しかし自分は既にツバが付けられていると上司から聞かされていたので、 自分がどうこうとは言えない立場だとそっけない態度をしていました。
おとといには、元上司が擦り寄ってきて、そのある部門に行ってみないかと 言われ、昨日は本社企画の事業本部担当者が上司に相談があると言って自分を そのある部門に充ててくれないかと言ってきました。(今日の昼メシの時に 上司が教えてくれました。)
いずれにしても、この時期に自分に声をかけてくるということは、ひと月が 経っても社内に適材が見つかっていないということです。おおよそ人事という ものは、それなりに適材を見つけて、それなりに事が進むもんです。それが なかなかうまくいかないのは、いい傾向ではありません。
社内の人材の流動化がうまくいかないのか、本当に人材がいないのか。 若手の採用人数が減っているのが一番大きな要因でしょうが、それにも増して、 中堅(40才前後)の社員の数が圧倒的に少ないのも要因のひとつです。 自分に声がかかったことを考えると、後者の要因なのでしょう。
会社も大きなうねりの中でもがいていますから、分社化したり子会社化したり して、本体が小さくなりつつあります。本体の社員数がそれだけ減るという ことです。ということは、それだけ選択肢が減ることになりますから、動く方も 動かす方もやすやすとは決められなくなります。それでも人材が不足すると なると放っておくわけにもいかない。
自分としては、何度も声をかけてくれていることに感謝をしていますが、 人事権は直属の上司にあるわけだから、彼が首を縦に振ってくれない限りは 自分もどうしようもありません。職場の希望は聞いてくれることにはなって いますが、サラリーマンの異動というのは希望と違うところに配属されるのが 当然の出来事になっています。できるできないは関係なく、とにかくやれと。 そうやって本人の能力を試していきながらいろんな人の目に晒していくんで しょうね。そこで潰れるかどうかを見ているのでしょうね。
仕事が沈滞しているので、考えることができて良かったと思うことにします。
はい。今日は曇り。(東京地方)
2003年11月27日(木) |
増税の流れは否定できない |
なんだか釈然としないことでイライラしています。 いつもくどい文章が尚更くどくなりそうなので、今日はちょっと簡単に。
近頃の政治の世界では税金を上げる方向で話題が持ち切り。 歳出の半分が借金で賄われている世界でも異例な日本の財政ですから 建て直しのためには必要な議論ですが、いよいよ将来に向かって個人の懐が 厳しくなりそうな流れになってきています。
増税(年金増含む)に伴って収入も増えれば異論はないのでしょうが、それが 保証されていない限りは、増税に対して賛成する人は少ないでしょう。
収入を増やすためには付加価値を上げるしか手はなく、何をもって付加価値と するかに知恵を出さなければなりません。そういう意味でも従来のやり方、 手法、頭脳では付加価値は変わらない、あるいは下がることになりますから、 より教育レベルを上げていく必要があります。(学生だけでなく社会人も)
日本は肉体労働も知的労働も、質を上げなければ生きていけない国になって きているんでしょうね。あるいはアメリカ並みに収入の格差が出てくるでしょう。 これを拒否すれば、それはまさしく社会主義国家です。
近代資本主義国家から社会主義国家になった前例がないので、もしこれが実現 すれば、経済の教科書が塗り替えられるという歴史的な出来事になります。 (個人的には決してそうなることを望んでいませんが・・・。)
はい。今日は曇り。(東京地方)
2003年11月26日(水) |
おなかの出っ張りが意味するもの |
「偉大なる」将軍の報道を見るにつけ、彼の映像も目に入ってきますが、その際に いつもそのスタイルが気になります。というのも、彼のような背格好をした国民が 他にいるのだろうか。軍服を着た取り巻きもみんな痩せこけた面構えで、一見して スリムな体型をしています。
理由が何かを知る必要性は全くありませんが、これは偶然ではないと考えるのが 自然でしょうね。多くの人がそう思っているのではないでしょうか。
国名の正式名称に「民主主義人民共和国」とありますが、これがまともな国名だと 思えないのは、そんなどうでもいいところにも表れています。
神経質な話題なので、このあたりでおしまいです。
はい。今日は曇り。(東京地方)
今日は午後から3社会議があったので、午前中の間にひと仕事してから出向く ことにしたのはいいのですが、これがなかなか進まなくて、結局昼休みは1時 からしか取ることができませんでした。それも残りモノの定食を15分でかき 込んでの忙しい昼食。胃腸には良くありません。が、そうも言っていられません。
3社会議の準備資料がありまして、これも用意しなければならないけど、ウチの 会社の人間は誰も持ってこようとしません。自分の上司も今日の大事な論点となる 資料を転送もしなくて放っておいた。そのことを詫びることもなく放っておいた。
先週の金曜日夕方に協議の相手から電話で確認があって初めてその資料の存在が 分かりました。時間が遅いから為す術もなく今日を迎えましたが、彼は送られて きたその資料は今日の会議に使われることを知ってか知らなくてか無視していた。
そのことに腹立たしさを覚えながら限られた時間の中で出来うることをして会議に 臨みまして、おいしいところだけ取って会議を締めた。自分の気持ちもすっかり 冷めてしまいました。この資料の存在を自分が知らなかったら今日の会議は成立 しなかった。知り得たから結果的にはなんとかうまくいったようですが、彼は さっさと問題を解決して手切れをしたいと思っていたのではないのか。まるで 問題がズルズルと延びてもどこ吹く風といった感じで切迫感がない。
そろそろこちらは精神的に今の仕事に我慢の限度が来ているから、さっさと終わ らせて次の職場に移りたいと考えています。目処は今年一杯。年を過ぎてまで今の 仕事をしたいとは思っていません。今でもいつまでやらせているんだって感じです。
後ろ向きなことしかやっていない今の仕事には時間的な限度っていうものがある。 他にやることがなくて今の仕事をするしか選択肢がないならまだしも、こちらは 次の職場が待っているというのに、部下を潰してしまうような取扱いをしたりして いかがなもんだろうか。といった不満が沸沸と湧き上がってきます。
緊張の糸も張り詰めっぱなしではいつかは切れてしまいます。 ただ、ここで切れたらサラリーマン生活は終わってしまうので我慢しています。 きっと20代だったら切れているんだろうなぁ。30代も後半になってしまうと 転職が難しいという現実もあり、なかなか会社を切ってしまうことに至りません。 しかも退職の理由が上司とのウマが合わなかったなんていうのは、転職には不利。
さて、これからは自分の中の限界との戦いです。 うだうだグチをスミマセン。
とりあえず今日は給料日なので、瞬間風速的にフトコロはあったかいです。 それだけが救いです。すぐに飛んでなくなりますけどね。
はい。今日は雨ときどき曇り。(東京地方)
2003年11月24日(月) |
丸山茂樹の密着取材を見ていて思い出したこと |
「努力し続けて少しずつ自分の能力を上げていく。タイガーのような天才でない自分は そうしていくのがオレが生きていくやり方。」
合理的習得と非合理的習得。 言い替えると、最初から手順を教えてあげて効果が早く表われるやり方と、熟練工の ように見よう見真似で時間をかけて体で覚えるやり方。 仕事の覚え方、教え方についての考え方です。
新入社員の時に同期のヤツと議論したことです。 同期のヤツは合理派。自分は体得派。
今に至っては、いずれも一長一短があるので二極論で結論付けるのはよくないと考えて いますが、教える相手のレベル次第といったところでしょうか。
問題は、教える側と教えられる側の認識の違いです。 教えられる方は、当然教えてくれていいと思っていても、教える方は当然知っている ことだから教える必要はないと考えている場合には、なんで教えてくれないのだろうか、 あるいはその逆の時に、なんでそこまで言われなきゃならないんだと思いますよね。
人によってそのレベルに差がありますから、誰にでも同じことが通用するわけではあり ませんが、会社の中では最低限のことを伝えるだけで、それ以外のことは自分で覚える、 勉強して知る、といったやり方が一般的です。そして繰り返し経験することで体に染み 込ませる。
機械的にやればいいことは限られていますから、それ以外は時間が解決してくれること。 与えられたことをやる立場まではそれでいいのです。
同期のヤツはそれが気に入らなかった。 時間が経てばと言うが、今教えてくれれば今分かるものを、と言うのです。 これはどういうことかというと、彼は学部を主席で卒業した優秀なヤツ。 だから一度教えてくれれば理解できる、経験なんか必要ないというプライドがあるの です。自分はそれをプライドとは言わずに思いあがりだと考えました。 学校での勉強と会社での仕事とは質が違う、とね。
でも彼がこう言う背景は分かっています。 それは職場環境が違うこと。自分の職場は事務系学卒の先輩が複数いる職場。 でも彼の方はそのような先輩はおらず、現場のオジサンたちばかり。ということは、 学卒を育てようという環境ではなくて、あくまで自分たちが教わったやり方で教えよう とするもの。つまり職人気質の古い体質ですから、効率を良くして、より多くの仕事を 片付けるというよりも、「オレの仕事」を大事にするやり方です。 「オレの仕事」とは、他の人にはできないオレ流のやり方。だからそう簡単には他の人 にはそのやり方を教えない。教えたらオレの仕事がなくなるからです。
効率を求めれば、オレの仕事は次の人に譲って、「オレ」はより高度な仕事に向かって いくはずなのですが、オレの仕事以上の仕事はないと思っていますから、そのオレの 仕事を失えば次にやることがなくなるので、自分の領域を失ってまで他人に譲るように なることを排除します。会社のためでなく「オレ」のためにね。
「オレ」と若手が圧倒的な能力の差があり、時間をかけないとどうしてもその領域まで 到達できないのとは違い、事務屋の仕事の第一段階は仕事のやり方を覚えること。 第二段階は従来のやり方での問題点を洗い出すこと。第三段階はその問題点を解決する こと。第四段階は従来以上の結果を出すことであり、いかに時間をかけずにこれらを 達成できるかです。
現場に近い職場環境にいる彼の立場では、時間の進み方が違うのです。 そのことに彼はイラだっていた。そういう背景があることも分かっていました。
能力のあるなしに関わらず、プライドのある人は自分(の仕事)以外のことを見ようと しない傾向にあります。見ても自分の方がよりいい仕事をしていると考えてしまいます。 そこに他人を吸収しようと考える余地はありません。
ひとつの形を作ってしまえば、その枠に囚われて、枠外の領域に飛び出そうという考え には至りません。同期のヤツの考えには、その枠に早く入りたいと自分には見えたもの だから、有能な人間の考えることではないと思いました。
思いもよらないこと、人が経験もしていないことを解決していく能力。 個人としてのプレミアムはここにあると思っていますから、すでに他の人がやっている ことは素直に流されるか、他の人に任せればいいだけのことであって、そこに固執する 必要は全くないと思います。
人がやっていないことは合理的に習得できない。見よう見真似でも習得できない。 だからこそKKDが大事になってくる。(K=経験、K=勘、D=度胸です。)
素直に流される一方では、なぜこうしているのかという疑問を持ち、それを理解しな がら覚えていくことが大事で、その疑問を解消するためには当然ながら勉強も必要です。 その積み上げが仕事の本質をつかむ土壌となります。
経験の積み上げが仕事の勘を養い、それが自身の度胸をつけていくことになる。 そう思っていますから、時間も当然かかります。いきなり結果を求めれば、どこかで 落とし穴にはまってしまい、それに気付かずにムダな時間が過ぎてしまうと思っています。 そのムダな時間を作ってしまうことを自分は合理的でないと考えるわけです。 能力の高い人材を作れない会社にとってもいいことではありません。
このことは恐らく時間の考え方が違っているのであって、合理的・非合理的ということ では片付けられないのでしょうね。まるで政治における経済政策のようです。つまり、 短期的に経済を復興させようとするか、長期的に経済を健全化するかの違いです。 目的はどちらも経済を復興させること。前者は将来に、後者は目先に不安が残る。 この点についても合理性だけでは説明できません。
合理性には他の観点もありますから、その点に付いてはまた別の機会に。
はい。今日は曇り。(東京地方)
今日のサンデープロジェクトで地方自治再生の第4弾として、第1弾に続いて 鳥取の片山知事のことが取り上げられました。
この片山知事は全国知事の中でも地方自治の最先端を走っている人で、縦割り 行政(つまり国との太い繋がり)を改善し、いかに地方自治を健全に独立して 運営していくかに力を注いでいます。
・事前の根回しの廃止(財務省と県財政課との議会前の調整を無くす。) ・一件審査(現場を実際に見て一件一件審査すること。知事の査定も有り。) ・議員からの口ききを文書化する ・不明瞭だった手当てを公開する
何を意味しているのかというと、地元選出の国会議員あるいは地元議員が国から 掴み上げた補助金・交付金を使わせて公共事業を促がしているということです。 議員が役人に圧力をかけて動かしているのです。根回しに追われて、現場を見て 決定をするプロセスを怠っていたことです。
だから、是は是、非は非であることをきちんとしていくことを宣言しています。 こういった当たり前のことがやられていないことが組織病だと言っています。 過去を引きずらない、そのためには政策転換も辞さないという強い信念のもとに 行なわれています。
民間企業もそうですが、より自己保身意識の強い役人にとっては、トップの意向が 自身の行動に強く反映されます。個人だけの行動ではできなかったことをトップが 守ってくれることで、本来の仕事を遂行できる環境を作ってくれるからです。
従来のやり方を変える場合には、変えることに対して従来のやり方でやってきた 人たちからの横やりが必ず入ります。それが国会議員であったり、県会議員で あったり、地元の業界団体であったり、役所内の部課長や局長であったり様々。
ですから、そのような人たちからの圧力に屈しないためにトップは強く、そして 信頼できる人でなくてはなりません。処世術がうまいとかうまくないとか、そう いったレベルの議論ではありません。余計な雑音を消せるかどうかという側面と 下の人間が安心して本来の業務を遂行できるかどうかです。
今回の話は、地方行政を正しく行うためのひとつの具体例です。 どこの自治体も同じことを適用すればいいというわけではありませんが、いずれに しても、地方自治体内部における、そして国との繋がりにおいて存在する問題を 是正していこうとする方向性は間違っていませんから、その問題の所在を明らかに できる環境を整えていくことが先決です。当事者は問題を問題と捉えていないか 捉えたくないと思いますからね。そのためには役所内部の横通しを良くしなければ なりません。まさしくこれは縦割り行政からの脱却です。意識改革です。
仕事というのは、民間も行政も同じことで、作為の契機という人為的なところから 始まっていますので、そこに関わる人の意識が変わらなければ運用も変わりません。
片山知事はそんなところに切り口を見出しているわけで、これはスピードが早いか 遅いかを別にすれば、小泉首相も同じことを唱えているわけです。片山知事はその スピードに不満があって政府に文句を言っているわけで、やっていることそのものを 否定しているわけではありません。そういう意味では、片山知事は小泉首相の支援者 とでも言えるでしょうか。地方が変わらなければ構造改革も達成されないですから。
国の構造改革のためには(住民も含めて)地方も変わらなくてはいけない。 こういった知事が日本全国にどんどん現れて欲しいもんです。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
なんでこの時期に「地獄の黙示録」なんでしょうか。 BS2で21時から完全版として放送していました。
NHKはアメリカの醜態を晒したいのでしょうか。 これは映画ですから事実ではありませんが、ベトナムにおけるアメリカの行動を モデル化した映画であることは間違いないので、必ずしも事実とかけ離れた内容 であるとはいえません。とすれば、イラクにおけるアメリカの行動への抗議とも 受け止められかねません。こう思うのは自分だけでしょうか。
この「地獄の黙示録」では変なところで日本語が使われています。 例えば、”すきやき”とか”さよなら”とか。 ベトナムも日本も所詮アメリカからすれば同じってことですか。
地獄の黙示録は70年代後半に作られたベトナム戦争映画の草分け。 その後、「プラトゥーン」「フルメタル・ジャケット」「ハンバーガー・ヒル」 などが出てきました。(というか、それぐらいしか知らない。)
ベトナムを題材とした映画は他にもたくさん作られたようですが、戦争の意味、 ベトナムの意味を知らない我々にとっては、湾岸戦争のようなバーチャルなもの としか受け止められません。イラク戦争も然りです。
でも映画では問題提起をしてくれます。 例えばこの「地獄の黙示録」での会話で、 「フランス人は自分の土地を守るために戦っているが、アメリカは何のために 戦っているのか。無意味な戦争だ。」 それなのにアメリカ人を支持する。
この「何のために」というのが重い言葉で、アメリカは今でも西部劇の世界に 浸っているのかと言っているかのようです。アメリカの言う自由主義圏の拡大を 実現したいがために、社会も思想も違う国をアメリカナイズしているかのよう。
オレを守るためにオレに介入するヤツは許さない、というのと、オレを守るために オマエのところに出向いて叩き潰す、というのでは大きな違いです。
アメリカが戦争を起こす本質は「恐怖」です。 自分を倒しかねない脅威に対する恐怖です。 カーツ大佐もウィラード大尉もセリフで言っていますが、「恐怖」です。
時代が恐怖なのではなくて、恐怖を作り出している自身が恐怖なのです。 個人レベルでも国家レベルでも。その恐怖を排除するために自身を殺してしまう わけにはいかないから、恐怖となるその相手を排除することになります。
日本のイラク戦争に対する姿勢はどうでしょうか。 アメリカと同じレベルで戦争加担の動機とできるでしょうか。 後始末だから援助すべきだと言えるでしょうか。
直接的な表現をできないNHKとしては見事と言いましょうかね。 ちょっとした災害予防ともとれなくはないですけど。テロの危険は日本にも及んで いるようですから、対岸の火事と他人事のように思っている日本人に対して意識を 植え付けるためにもね。というか、興味のない人はそもそも見ていないか。
それよりも、ラグビーのワールドカップ決勝。イングランド対オーストラリア。 今回5回目のワールドカップ。ラグビー発祥の地イングランドの優勝で幕引き。 ようやく北半球に優勝をもたらしました。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
今日のWBSを見ていて、今まで誤解していたことを発見しました。
それはイモ焼酎は鹿児島だ、ということ。 「白波」は薩摩酒造、「霧島」は霧島酒造。どちらもイモ焼酎のメーカ。 薩摩酒造は名前から明らかに鹿児島だと分かりますが、霧島酒造は宮崎だとずっと 思っていましたから、ここはソバ焼酎のメーカだとばかり思っていました。
ところが「霧島」はイモ焼酎。宮崎にイモ焼酎? 違和感を感じたので会社のHPを見て分かりました。 霧島酒造は都城に発して、現在の本社も都城。 都城は現在宮崎県ですが、都城は江戸時代の一時期薩摩藩の私領だったのです。
歴史的には島津家の発祥の地ですから、まぁ鹿児島と言ってもおかしくはありません。 地元の人から言わせると、とんでもないと言われるかもしれませんけど・・・。 (都城は廃藩置県当時には都城県となり、鹿児島県よりも石高で上回っていました。)
九州といえば焼酎だとよく言われますが、北部九州の自分にとっては今ひとつピンと きません。なぜなら焼酎は九州東部および南部のお酒。西部や北部程に水田が発達 していたわけではなかったからです。米どころはやはり日本酒です。
鹿児島のイモ、宮崎のソバ、大分のムギというのが九州における焼酎の区分けですが、 どこも酒にできるほどの余剰米がなかったからだと推測されます。酒は飲みたいけど 米が少ないから土壌に合った農作物で対応する知恵を育んだのでしょう。
どうも自分には日本酒が合っていないらしく、飲むのはビールか焼酎。焼酎とはいえ イモは匂いがきつすぎるからソバかムギです。もっぱら。もっぱらかなぁ・・・。 飲んでないし。
というか、飲みの話ではなくて誤解の話しでした。お粗末。
はい。今日は曇り。(東京地方)
少々堅い話になりますが、しばらくお付き合い下さい。
社会保障(主に年金)は、右肩上がりの経済成長と人口増を前提に組まれた仕組み。 つまり将来の保険料収入の増加を見込んだ給付体型を組んでいますから、保険料収入が減少 すれば破綻することは明白です。だから躍起になって保険料収入を確保しようとしている。
厚生労働省の試算は、ここをご覧下さい。
しかも給付対象者への給付水準は変えないとうのだから現役世代への負担が増えるのは当然。 国民のフトコロを絞っている最中にこのような問題が指摘されるのは政治的にどうだろうか。
というのが小泉内閣(というよりも坂口大臣)への疑問ですが、この問題は少子化が叫ばれて 久しいわけだしバブルの崩壊から10数年も経っているわけで、これまで手を付けてこなかった 歴代の内閣に問題があります。今に始まった問題ではありません。年金の仕組みが複雑という 背景もありますけどね。当時の大蔵省や厚生省がいかにずさんな資金活用をしていたか想像され ます。ここに郵貯も絡んでいるわけだから問題はいよいよ複雑です。(つまり財政投融資のこと)
だからこそ小泉首相は批判を敢えて受けることを承知の上で構造改革に踏み切ったわけだけど、 批判だけ受けるのはあまりに哀れとしか言いようがありません。
損切りは早めに手を打つことが一番損をしない方法です。 挽回しようと色目を使うことが過ちを犯しやすい一番の元凶です。 構造改革の一環である不良債権処理は、この損切りに当たります。これが滞留している間は、 いつまでたってもこれを穴埋めするだけの資金を投入せざるを得ないので、これに税金が使用 されることになるので我々はそれをムダ金と呼んでいるわけです。企業を潰さないために国や 地方自治体が公共投資と称して予算を付けてあげるから、これもムダ金と呼んでいます。
一方では、ムダ金をなくして効率を上げることに集中すれば、一見いいことをしているように 思えますが、これはマクロでは投資の総額を減らす、あるいは現状維持とするわけで、経済の 規模は大きくはなりません。ということは国民所得も増えないわけで、個々の所得レベルが 増える人がいる一方で、所得減少あるいは失業する人を認めることにもなります。所得格差を 認めることになるわけです。GDPが増える中でそれぞれの個人所得が増えるのが経済成長と いうのですが、GDPが変わらなければ個人所得が変わらないのが自然です。
であれば、むしろ所得が変わらない環境での制度を作り上げることにエネルギーを消費して 欲しいわけです。ミクロとマクロが混在して議論されるからこそ話が複雑になると思います。 ミクロでいいことでもマクロで悪いことであれば、まさしく合成の誤謬(ごびゅう)です。 草葉の陰でケインズがせせら笑っているかもしれません。
ケインズは公共投資で経済復興を唱えた人ですが、彼はひとつ注意をしておりまして、それは 景気対策は短期とするべし、と言っております。長期の景気対策は借金を増やすだけで、逆に 景気悪化の要因になると言っているのです。日本はバブル崩壊後、このケインズ政策に失敗 しているわけだから、これを繰り返すのは愚の骨頂です。景気が悪化した原因を問わない政策が ケインズ政策ですから、効果が現れなかった時にどうすればいいかまでは言っていません。
話を戻せば、従来の年金給付の方法を変えなければ、年金制度が崩壊することは明らかです。 社会保険庁がタレント(江角マキ子)を使って、やや高圧的なセリフで年金はきちんともらえると 言っていますが、ある意味、恐ろしいプロパガンダです。こんなもので安心して保険料を支払う ことができるでしょうか。きちんともらえるならば、公平にきちんともらえる仕組みを説明して 欲しいものです。社会保険庁のHPでは満足できる説明はなされていません。 (きちんと説明してしまうと、長たらしく、また矛盾を含んだものになるのが怖いのでしょう。)
そもそも年金制度は5年ごとの見直しがなされていますから、その度ごとに見直しはかけられて いるのでしょうが、これが改善なのか改悪なのかが見えてこないところに問題があるわけで。
増える保険料と減る給付金のことだけがクローズアップされると、そりゃもう国民は大騒ぎです。 現状の悪いところは何がどう悪いと反省し、その上でどうするかについて国民に審判を仰ぐ形が 理想的でしょう。全体像を分かりやすく説明してくれることも説明責任のひとつです。
厚生労働省が昨年12月に発表したたたき台を、東洋大学教授である駒村康平氏がまとめている レポートがあります。これなんかにざっと目を通すとそのあらましが見えてくるかもしれません。
そういったことで、国民の納得できる制度変更を望みます。 難しいから分からないと言って、勉強をせずにマスコミの発言を真に受けるなんてことはやめて おきましょうね。後になって他人のせいにしても始まりませんから。
はい。今日は雨ときどき曇り。(東京地方)
|