2003年10月30日(木) |
バイオ君が冬眠に入りました |
ウチに帰ってバイオ君の電源をつけてもうんともすんとも言わない。 裏のリセットスイッチを押しても反応する様子もない。
とうとう寿命が来たのでしょうか。 自分ではどうしようもないので、修理に出すことにします。
そういうわけで、日記の更新もままならぬことになりました。 一応、会社のノートPCにテキストは書き置きするつもりなので、記録と しては毎日残りますが、更新は週に1回程度になるでしょう。会社のPCを ウチに持ち帰った時にしかプライベートなネット接続はできませんから。
しかも会社のノートPCはADSL接続ができないのでダイヤルアップに なりますから速度が遅い遅い。なんとか設定できるようにがんばってみます。 どうなることやら・・・。
メールもOutlookでなくウェブメールで見ることになりますから、ノートPC を持ち帰る週末しか眺めることができませんのでメールへの反応が遅くなる と思います。そのあたりの事情を察して頂き、もしお急ぎの用事があれば、 携帯の方へ連絡を入れてくれるとありがたいです。
はい。今日は晴れ。(東京地方)
2003年10月29日(水) |
断られるより誘われる方がいいに決まっています |
今日は前任者がやっていた時を含めて過去の仕訳を眺めておりまして、 どうしても疑問が払拭しないところを前任者を呼んで調べていました。 現状の数字がいまひとつしっくりこないので、過去のやり方に間違いが あったのではと思ったからです。
経理処理と事業運営は表裏一体ですが、その当時はまだ事業の運営が 始まったばかりで、運用がうまくいっていなかった時期。自分が引継いで 3年ちょっとが経過しましたが、当時は仕事が定型化していなかったから 経理処理も定型化したやり方ではうまくいかないので、ひとつのモデルを 考えて、それに沿ってやっていたようですが、引継ぎをした当初はそれを 自分は理解していなかったようです。だから今ごろになって当時の書類を 眺めていても、やり方に統一性がありませんので、チェックするのに ひと苦労です。30分のつもりが1時間半も付き合わせてしまいました。
ひとまず目処がついたので帰ることにしましたが、ビルを出たところで 人事副部長にばったり会ってしまいまして、しかも彼は帰る方向が同じ なので、ひとりで帰るわけにもいかず、同じ電車に乗って帰ることに。
で、あちらさんは飲んだ帰りで(会社の食堂は夜にはパブになる)、酔った 勢いで言ったのかそうでないのかは定かでありませんが、自分が今やって いる仕事の内容を聞くやいなや、
「○○事業部の調達をしてみるつもりはないか? そこからいい人間がいないか探してくれと頼まれているんだ。 調達の仕事はしたことあるんだろう? 管理的な仕事もこなせるんだろう? なにより、英語ができるんだろう? 今日はずっとその適任者を探していたが、なかなかいなくてねぇ。 そういえば君の名前は思いつかなかった。ここで会って話が出来て良かった。」
と言いながらルンルンと電車を降りて行きました。 こちらは上司から具体的な行き先は告げられてはいませんが、とりあえず 行き先があることを告げられていましたので、はいそうですかというわけには いきませんので上司に相談して下さい、と答えるに留めました。住居を変える 必要もあるし。
この人事副部長はある意味、飲み仲間ですから気軽に声をかけられたと受け 止めるべきでしょうが、もしかしたら上司から聞いているところが同じところ なのかもしれませんし、こちらもいろいろ考えているところがあるので、今日の 自分の言葉には歯切れが悪かったかもしれません。が、シラフの時にもう一度 改めて話をしようということで別れましたので、本当に白羽の矢が飛んでくるかも しれません。
ま、そんときはそんときですか。ね。 いらないと言われるより、誘いを受ける方が気分はいいです。
というより、話の出だしは「人事に来ないか?」だったと思うけど・・・。 それはナシですか???
はい。今日は晴れ。(東京地方)
なんか没頭できることを探さなきゃいかんなぁと思う今日この頃。 いや。ヒマっちゅーわけじゃないんですよ。どうも心が落ち着かない。 かといって落ち込んでいるわけじゃない。
何事もない苛立ちというか、仕事にプライベートにモチベーションが ないというか。すっかり谷間にはまってしまったというか。
成功であれ失敗であれ、動きのないことがストレスの根源でしょう。 テレビではストレスには赤ピーマンミルクがいいと言っていますが どうなんでしょうか???
それはそうと、各政党のマニフェスト(あるいはそれ相応のもの)を 見てみようとHPにアクセスしてみますと、自民党・民主党はかなり アクセスが集中しているようで繋がりません。一方、共産党・社会党・ 公明党は同じ時間帯でも結構つながりやすい。この違いは何でしょう。
あ、ちなみに冊子を手に入れようと思ったら候補者の選挙事務所か 街頭演説の場であれば特段の手続きなしに入手できるようです。 個人情報の提供なしにもらえるわけだから、これはもらいに行くに限り ます。と、人には言っておきながら自分はまだ取りに行っていないので、 記念にもらってこようかと。
ただ、一部にはマニフェストと議員個人の主張との間には違いが見受け られますので、マニフェストが全てを物語っているとは限りません。
今回は国政選挙。この地域のことをいかにも大事にしています、なんて いう候補者は見識が小さいというか、国会議員としての姿勢を疑われる。 国会議員が自治体に関与するから、そして国民がそれに頼ってしまうから 国政がおかしくなってしまう。基本に立ち戻って、国会議員とは何ぞやと 自身に問うてみたら、自ずと候補者は絞られてくるのではないでしょか。
はい。今日は雨ときどき曇り。(東京地方)
2003年10月27日(月) |
書くことがないのでとりあえず |
とうとうダイエーが優勝しました。 気持ちとしては阪神に星野監督の最後を飾って欲しかったけど、やはり 福岡県出身の我が身がダイエーの結果を求めていたようです。
予想は4勝2敗でダイエーの勝ちとしていましたが、阪神もがんばりました。 しかし、お互いにホームでしか勝てなかったことはいただけませんでした。 ダイエーの甲子園での3連敗も情けないモノでしたが、まぁ結果が良ければ それでよしということにしましょう。
帰り道で、知らないオジサンから「ダイエー優勝したの知ってる?」なんて 声をかけられてびっくりしましたが、もし自分が阪神ファンだったら半殺し なんてことにもなりかねないことやってました。だって関東にはダイエー ファンより阪神ファンの方が圧倒的に多いからね。(でも恐らく声をかけた オジサンはダイエーファンではない。冷やかしか?)
ま、この話はこのへんにしておきましょう。
はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)
2003年10月26日(日) |
1週間遅れてF1見ました |
遅まきながら、ビデオを借りてF1日本GPを見ました。 結果はフジテレビのHPに掲載されておりますが、やっぱりコース上での 戦いを見なければ、それがどのような戦いだったのか気になってしまいます。
で、F1が好きな人がビデオを貸してくれるというので喜んで借りました。 その人曰く、「ラルフ(シューマッハ)が兄(ミハエル)を刺そうとして 散っていった姿が泣けるよ。」というのでかなり気になる展開です。
鈴鹿は最終戦なのでミハエルは8位で1ポイントを取りさえすれば、ポイント 2位につけているライコネンが1位で10ポイントを取っても、同じ93 ポイントとなり今期のチャンピオンになれます。だからがむしゃらに走って リスクの高いことをする必要はありません。
ただ、予選でマシンが不調だったのかどうなのかわかりませんが、ミハエルの 決勝グリッドは14番手。ライコネンは8番手。微妙な出だしです。
途中いろいろありましたが、ミハエルもラルフも接触でフロントウイングを 破損してしまった後遺症が残って(しかもラルフはミハエルと接触)、順位が 伸びず、ライコネンは何とか上位に食い込みましたが、バリチェロ(フェラーリ) には追いつかず、結局2位でのチェッカー。一方のミハエルは何とか8位。 弟のラルフはフロント接触が響いて12位となってしまいました。
そういうわけで、ミハエルが8位で1ポイント取りましたから、ライコネンが 1位を取らなかったことでミハエルの今期優勝となりました。
ラルフは兄ミハエルとの接触で順位が落ちたことは大きかった。 ラルフの所属するウイリアムズBMWはコンストラクターズポイントで上を 走っているフェラーリに追いつくためにモントーヤが序盤から飛び出していい 感じで走っていましたが、パワステの故障で途中リタイヤとなりラルフだけが ウイリアムズのポイント獲得対象ドライバーになりましたから、何としてでも 上位入賞、願わくばフェラーリの2台よりも上位につけたかった。だから兄より 上位にいたかったラルフの気持ちも分かります。コンストラクターズポイントの かかった大事な戦いでもあったし。
この鈴鹿での日本GPの一番大きな成果は来期のBARホンダのドライバーに 決定した佐藤琢磨が、急遽鈴鹿でドライブすることになり6位入賞したことで でしょう。来期における日本人ドライバーの操縦するホンダマシンが活躍する ことを暗示しています。BARホンダは4位にバトンも入賞していますから、 車の作り込みがうまくいっているホンダエンジンの来期の活躍に期待します。
ところで、F1とかカートなんかにはフロントとリアにウイングが付けられて いますが、あれは何のために付いていると思いますか?あれがなかった、どう なると思いますか?
車に付いているウイングはダウンフォースという役割をします。 つまり空力を利用して地面に張り付ける力を得るのです。そうすることで車が 浮いてしまうことを防ぐのです。われわれが乗っている一般の車に付いている ウイングはルックス以上の役割は果たしませんが、レースカーのような化け物 にでもなると、車が地上を安定して走ってくれないわけです。タイヤがうまく 地面をグリップしてくれないと直進の安定性が悪くなるのです。
F1は350km以上の速度でぶっ飛ばすわけだから、飛行機の離陸の時と 状況は同じです。つまり羽があったら飛んじゃうわけです。それだけ浮力が あるもんだから、タイヤと地面のグリップは極端に悪くなります。だから車を 押さえ付ける力が必要になり、あのようなウイングが前と後ろに付いています。
F1車両の製作技術は近年格段に進んで、いかに安定して進む・曲がる・止まるを 実現し、そしてそのバランスを取ることに各社とも精力を注いでいます。
かつてはいかに早い車を作るかが作る側の課題でしたが、その競争があまりに 進みすぎたために、今ではレギュレーションといってパワーの規制がなされて います。それほどエンジンの技術は上がりました。だから、そのハイパワーの エンジンを制御するボディ−、足回り、空力、タイヤ、そして何よりドライバーと ピットとの連携をサポートする通信技術が要求されています。これらのバランスが 取れて、優秀なドライバーさえいれば、レースの戦い方は見えてきますが、どの 車にもそれぞれ何がしかの問題を抱えています。その問題をいかにレース中に 発生させないか。そこが車を作る側として頭の痛いところです。
本番ではドライバーも熱くなって運転しますから、テスト走行では表われなかった 現象が本番で出てくることは良くあります。車は所詮人間が作った産物ですから 万事全て完璧ということはありません。だからたくさんのテスト走行をして 車の信頼性を上げていくのです。悪さ加減を出して本番までに解決していきます。 この段階でのデータ取りも本番で車のパフォーマンスを最大限に引き出すため、 そして戦う上で重要な作業になります。
技術的にはそういったことですが、あとはチーム同士の駆け引きです。 車は化石燃料を積んで走りますから燃費、そしてタイヤの磨耗を考えた走行をどう するかといったことで他のチームとの差別化を図り、いかに有利な環境で戦うかを 考えます。事前の策はありますが、レースの状況により、方針が変わる場合もあります。
このような色々なことを背景に、本番でどういった走りがなされるか。 走りを見ながらいろんなことを考えてしまうわけです。それが面白くてF1を見て いるわけです。
個人的にはF1よりもWRC(ラリー)の方が好きなんですが、かつて放映していた NHKがどうやら放映権を放棄したようなので、BSで見ることができなくなり ました。今は日テレが深夜にたまに放映するだけなので、留守録でもしなければ テレビで見ることはできません。まぁ、WRCの方はベース車両が一般車なので 身近に感じられるということもありますけどね。
いずれにしてもモータースポーツ、特にカーレースは車好きにとってはたまんない ぐらい楽しみな行事です。走りを見て熱くなる。そんな楽しみ方があってもいいよね。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
知っていましたか? というか気にしていた方はいらっしゃいますか? 宇多田ヒカルのHPでメッセージに書いてあったので改めて書いてみました。
それはニューヨーク・ヤンキースの「ス」。 英語表記では"New York Yankees"ですね。
発音の規則にのっとれば、当然"z"音になります。 だから日本語表記もヤンキー「ズ」。
ネット上でどのように表記されているかを調べてみると、おおかた半々。 一応、本家の公式HPになんらかのヒントがあるかなと思ってみましたが、 残念ながらそのようなことが書いてあるわけでもなく諦めました。
固有名詞の発音というのは必ずしも規則にのっとっているわけではありません。 ですから当事者がこうだと言えばその通りなんです。原則は通用しない。 身近な例でいえば、名前がそうじゃないですか。知っている限りの知識を 総動員しても読めない名前ってあるでしょ?それと同じです。
正しいとかそうでないとかでなく、こうであると言われればそれで終わりです。
考えられるのは、メジャーリーグを日本に紹介した人が聞こえるままに伝えた、 そしてその時に聞き取れた音が「ス」音であったこと。例えば明治時代に輸入 された言葉として、メリケン粉、ミシンなんかがありますが、まずメリケン粉は "american flour"で、americanがメリケンと聞こえたからそうなりましたし、 ミシンは"machine"がミシンと聞こえたからそうなりました。聞こえるままに 表記する。これって発音の観点からは大事なことです。
発音表記を日本語に置き換える作業って結構大変です。 英語の母音は日本語のそれとは微妙に違いますからね。しかもはっきりアイウエオ と発音する英語の母音って少ないですから。いわゆる曖昧音と言われるもので、 文字と発音が日本語表記とは一致しないものです。だから英語の単語にカタカナ 表記をしても不自然になってしまう、あるいは日本語英語になってしまうわけ。
まぁ、そういう細かいことはいいとして、やはりどうであったのかは公式に 知りたいので、MLBの日本語サイトで質問してみることにします。 さて、回答は来るでしょうか。
はい。今日は曇り。(東京地方)
2003年10月24日(金) |
ひとつの意見ではありますが・・・ |
街の声を紹介してみます。
「ムダな公共投資を止めて年金や医療といった福祉に回して欲しい。 そういった観点で今度の衆議院選挙は投票します。」
さて、どうでしょう。違和感なくすっと受け入れられますか? もし受け入れられるのなら自民党以外の政党を支持することになります。
どういうことかっていうと、財政は緊縮せずに使い先を変えろ、ということ。 この考えには非常に難しい問題をはらんでおりまして、前述の街の声にある、 ”年金や医療に回す”という声の意味ですが、これは受益者側に回せと言って いると考えられます。要するに負担を減らせということ。(だと思います)
もしそうではなくて、充実して欲しいということであれば、雇用の確保を 意味していますので、土木建築でなく、福祉に携わる人・企業へ補助金を 出すということになります。年金であれば、出すものは出すから給付額は 減らさず確保してくれ、ということになります。
これらのどこが問題かというと、支出を変えないということ。 つまり財政の支出面を確保することだけを要求して、収入面に触れないので、 いつまでたっても財政難は続くし、破綻のリスクを徐々に増やしていきます。
さらに”ムダな公共投資は止める”とはどういうことかというと、要するに リストラです。雇用を剥奪することです。つまり失業者を増やすことです。 そうなると必然的に失業保険は増加し、それだけで支出は増えるのです。 だから街の声が求めていたように年金や医療へ回したならば、失業保険分が 支出増になります。国の借金がますます増えていきます。
つまり、街の声はお金を使う優先順位を変えろということであって、経済を 活性化して収入を増やしてくれということではありません。インフラはもう いらないから、個人の納税・保険料が個人のフトコロに戻ってくるように してくれ、ということです。国民にやさしい路線を取ってくれということ。
本気で言っているのかと疑いたくなります。 この手の街の声が多くないことを祈るばかりです。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
2003年10月23日(木) |
単位取得をサボっている言い訳 |
帰りの電車の中でお気に入りの本を読み返すのが日課になっていますが (決して一度で頭に入らないからとは言わない(笑))、ここ数日は同じ 個所を読み直すことが多くなりました。
著書はこれで、概要はここを読んでみるといいです。
というのもボーっと眺めているだけで読み流しているので、書いてある ことが頭に入っていません。文章の流れがつかめぬまま次の文章へ目が 行っているので進めば進むほど書いてあることが分からなくなります。 だからさっき書いてあったことをもう一度読み直して頭に入れる作業を 繰り返しているので以前ほどに読み進むスピードが早くありません。
なぜボーっと眺めているかというと、どうやら他のことを考えているから。 気になることを考えながら本を読んでいるから文章を理解するだけ集中 しなくなってしまっているんですね。気楽に読める本ではないからこんな ことをしていたんじゃ、何回読んでも読んだことになりません。
というか、何回読んでも理解できない文章が多い本です。 著者はさらっと書いておりますが、高名な学者でも理解するのに時間を 要したことを短い文章で要約しているわけだから、著者の主張を理解する には余程アンテナが敏感か、そのことだけに集中して研究しているか、 どちらかのタイプの人ではないでしょうか。
亡き大塚久雄博士は著者に「日本人には資本主義というものは理解できない ものなのねぇ。」と漏らしたそうですが、自分もその日本人のひとり。 理解できない人間のひとりです。理解しようと勤めてはいるんですが、 大塚博士が言う通り、なかなかこれが難しい。理解していると豪語している 人の多くは誤解している場合が多いというのもうなずけます。
自分のような凡人が理解できないんだから、世の凡人も同様なんだろうな、 なんて勝手に思っています。そんな凡人が世論を形成してしまったら 間違った資本主義を押し進めるんだろうなという反省のもとにこの本を 読んで理解に勤めているわけです。
正直な話、大学のテキストである経済原論をしこしこ読んで覚えるよりも このような本を理解することにエネルギーを注力した方がどれだけ自分の 肥やしになるだろうかと考えている最中です。
経済原論は経済学のエッセンスだけを手短に書いてあるので、単位を取る ためには理解ではなく記憶する必要があります。経済学の基礎が足りないと 感じて経済学部の大学生になったわけですから、単位を取るために学生と 同じように記憶していてはいけない。(というか年齢的に記憶できない)
そういったわけで、今年は単位を取ることは諦めて、本質を捉えることに エネルギーを注いでいるわたくしであります。先は長いし・・・。
はい。今日は曇り一時雨。(東京地方)
今日は群馬にある自分の担当する客先へ、この3年間で初めて訪問しました。 営業が出向くまでもないほど注文のないところでした。
7月の時点で資材担当者には伝えていたのですが、そっけない返事だった ので放っておきました。注文が来た時に相談すればいいって。それが10月に 入ってしまって自分が出向く番ではなくなりました。だから10月に入って 珍しく注文が来た時に引継ぎ会社の人間が出向いて説明をしに行きましたが、 たまたま資材担当者が不在で、上司である課長に説明をして帰ってきたとの ことでしたが、そんなこととは知らない自分のところへ資材担当者から叱りの 電話が入りました。なんでオレに挨拶がないんだ、今日来た人にオレのことを 知らせていなかったのか、と。今日来た人には申し訳ないが、もう一度来社を して説明をして下さい。合わせてしむちゃん(仮称)も来て下さい、だと。
この担当者は以前は小千谷にある工場に勤めていた人で、自分は良く知って います。だからかどうかは分かりませんが、ある意味わがままとも取れる 強引なお誘いを受けたので、断るわけにはいきませんでしたから行きましたよ。
いやぁ、行ったところは邑楽郡大泉町で、東武伊勢崎線の館林で乗り換えて、 1時間に1本の小泉線に乗って18分の終点である西小泉駅の近くにある会社。 雨が降っていたからでしょうか、小泉線に乗っている時は寒かった。 同じ車両に乗っていた若い子も寒い寒いと言っていました。上着の上にもう 1枚羽織ってもいいぐらいでした。
訪問時の会話は省略しますが、行って話すと穏やかな対応でびっくり。 小千谷時代に自分が訪問した時の対応とは違うじゃん。全くもう。 まぁ主体は自分じゃなかったので気軽な気持ちで伺いましたから別に構わない ですけどね。とりあえずお昼をまたいだので社食を使わせてもらってから 昼一番に別の部門へ伺ってから、資材の担当者にもらった会社専用の送迎バス チケットを使って熊谷駅へ向かいました。これをもらえれば、訪問者はタダで 熊谷駅まで行けます。ただし1時間に1本ですけどね。
会社へ戻るのに時間が惜しいから新幹線を使って帰りました。 切符を買う際に、窓口は面倒なので自販機で切符を買いましたが、何気なく 乗車券と新幹線自由席券を東京まで買いました。なんの疑いもなく。東京まで 買えば23区内はどこでも降りれると思ってね。
会社の最寄駅は大崎駅なんですが、そこの改札に切符を通したら扉が閉じた。 何事かと思って駅員のいるところへ行って理由を聞いたら、精算金額として 170円頂きますって言うんですね。記憶では大崎−東京間は160円だった ので、なんで170円なんですかって聞くと、手持ちの乗車券は東京までで、 それ以外で降りる時は本来の料金との差額を頂くことになります、つまり、 熊谷−大崎は1280円で、ここにある乗車券には1110円と表示されて いますね。だから差額が170円ということになります。場合によっては そういう差額が出てしまうんです。100km未満の区間ですから、東京は 23区にならないんです、と。
久しぶりに切れました。 券売機のメニューの中の「新幹線特急券と乗車券」の表示には新幹線の停まる 駅しか表示しません。ということは、東京方面へ向かう場合は、東京駅と同額の 駅で降りる以外は、特急券と乗車券を別々に買うか、窓口で買うかのどちらかで 買わなきゃいけないことになります。そんなこと誰も説明してくれないし、 券売機にも注意書きもない。そんなことが予め分かっているのなら、券売機の メニュー表示の時に、うまく誘導してくれなきゃ。不親切極まりない。
もしかしたらうっかりして見逃している可能性もあるので、それを確認した上で 自分の言っていることが確かだったら、JRにご意見メールでも出すことにしよう。 こういう目に会っているのは自分ひとりではないはず。何らかの回答を得たいと 思います。
これは知っておくべき基礎知識レベルではないでしょ。と自己弁護。
はい。今日は雨のち曇り。(東京地方)
2003年10月21日(火) |
日本の常識は世界の非常識である一例 |
とある本の記述には、日本の仏教は本来の仏教の姿ではなくなってしまって いる、とあります。名付けて「日本教」。それは何かといえば、戒律を排除 してしまったことにあるといいます。
そんな本来の姿ではなくなった日本の仏教を正しい姿にすべく難破を繰り返し、 盲目になりながらも渡航を強行したのが、かの鑑真です。戒律が仏教に大切で あることを教えるために失明しても渡航するだけの大変な熱意を持っていたと いいます。日本では仏教が盛んだと最初はうれしかったらしいのですが、それが 戒律のないものと聞けばいてもたってもいられない。そんな気持ちでしょうか。
にもかかわらず、最澄(比叡山延暦寺を造った人)は戒律を全廃しています。 仏教を全くの日本風にアレンジしてしまったんですね。
そして日本にとって一番の悲劇は朝鮮半島における日本の総督府による僧侶の 結婚を許したことだといいます。俗界の政治権力が僧侶の戒律を定めるなんて いう暴挙をしでかしたのです。だから結婚した僧侶は結婚していない僧侶から もはや坊主だとは認められていない。つまり破壊僧だとだと言われているんです。
日本の総督府の命令のおかげで朝鮮半島の仏教はめちゃくちゃにされてしまった。 日本の暴政がとやかく取り質されていますが、それよりも酷いのは仏教を壊した ことの方が国民の恨みをより買っているということのようです。殺戮なんかは 中国やロシアもしていますが、宗教への暴挙は日本特有ですから、ここが日本への 恨みのポイントです。
ひとつの統一性を持った仏教が他国の権力に崩されてしまったわけですから、 そりゃ大変です。宗教破壊ですからね。ウチの仏教とおとなりの仏教が違うんです。
戒律に厳しいイスラム教が日本に入り難いのは、戒律を受け入れがたい「日本教」 のせいでもあるとの見方をしている人もいます。その点ではキリスト教は日本風に 変えられるから入り易かったのでしょうかね。キリスト教には戒律はありません。 ただ、踏み絵とかマリア像とか本来のキリスト教ではあり得ないことが存在した のは、ここでも日本風にアレンジされてしまったのかもしれません。キリスト教の 神は偶像を禁止(つまり偶像は神ではない)しているのに、日本に古来からある 偶像崇拝の精神をうまく利用したものだと考えられます。
歴史の一部分を取り上げましたが、このようなことを見逃して現在だけを見てしま うと大変危険だという事を言いたいわけです。朝鮮半島の人たちがなぜ日本に対して 批判的なのかについて、報道では見えないこともあるんです。日本の常識は世界の 非常識であることは、このようなところにも存在します。
日本流は世の中の邪道である一例を示してみました。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
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