しむちゃんのつれづれ日記
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2003年08月31日(日) 小泉再選支持

今日はとりあえず近づいてきた自民党総裁選挙について。

小泉再選。

候補者が揃っていないので何とも言えませんが、立候補を宣言している
亀さん印が対抗馬としては有力でしょうが、彼が総裁になったら自民党を
ますます悲劇的にすると思うので、個人的には亀さんに対しては否定的。

真面目で堅そうで一本気な人もいそうですが、それで国民が支持するとは
言えません。政治家としては信頼性も重要ですが、より政治を身近にする
には、わかりやすい言動や行動も必要です。要するに説明責任なんですが、
これをストレートに伝えるだけではなく、知的なユーモアのある説明が、
そして普段の行動がより身近に感じさせる手法だと思います。

国民を動かす何かがないと政治家としてはその役割をまっとうすることが
できませんから、それをカネではなく言動から動かしていける人が政治家
としては正しい方向だと思います。

ただ、大きな観点でいえば、少々の裏金とか闇ルートだとかいった方法は
目的が全体を良くするためのものであるならば、個人に入るお金のことに
ついてとやかく言う必要も無いと思っています。法的な観点ではなくて、
世論としてはね。悪いことを悪いと言って全てを封じ込めてしまえば、
正面からでは動かせなかったことに別の方法を考え出さねばならない。
このエネルギーに費やすコストや時間のことを考えると、必ずしも封じる
ことが正しい行動だとは思いません。

こういうと悪いこと(だと思われていること)を支持しているんじゃないか
と思われるかもしれませんが、そのことに全面的には否定しません。対案が
ないから肯定はしないけど否定はしないということです。否定をするためには
その対案を示す必要がありますから。ただ否定するだけでは問題の解決には
決してなりません。言いっぱなしではダメなんです。

今の政権は、従来のようにやりっぱなしではなくて、かならずチェック機能が
働いています。だからこそできていること、そうでないことが問題視されるん
です。従来であれば闇に葬られていたようなことも、問題点として表に出て
きていますからね。問題点を隠そうとしないところが小泉内閣のいいところ
です。きちんとやっているところ、そうでないところが明確になることが、
政治に対しての信頼感に繋がると思います。残念ながら、従来は都合の悪い
ことは伏せられてきました。

政治が身近になることは必ずしも正しいとは思いませんが、政治に対する
感心が遠ざかって久しいこの世の中では、将来の政治が正しく行なわれるとは
これも必ずしも言いがたい。自分が生きているこの世の中に感心がなくなれば、
いったい政治って何なんだと問うことすらできなくなります。これが一番怖い。

無関心でも誰かがやってくれる政治に安住している日本は本当の意味で平和と
言えるのでしょうか?自身や子孫の生命と財産を守ることを政治に託すだけで
いいのでしょうか?政治が歪んだ場合の防衛策は国民側だけでできるでしょうか?

自身の生命や財産を将来に渡って守っていける国を作るのは国民の義務です。
政治家に責任を転嫁しても何にも返ってきません。国民が賢くなることで、
政治家はもっと賢くなるようにがんばるのです。官僚を動かせるようにがんばる
のです。これらは全てが対立軸にあるのではなくて、共存すべきなのです。
その中で、あるべき目標に向かって進むのです。

あるべき姿を見失って自己防衛、自己満足を求めるようになってしまうことは
国の没落に繋がる行動です。そういったものがはびこったいろんな組織を
改めていこうとするのが小泉内閣です。困難はまだまだたくさんありますから
結果もなかなか出てこないでしょう。でもここで止める訳にはいかないんです。

今回のバブルとその崩壊によりいろんな問題が出てきました。
その中でキーワードとなるのは「先送り」です。別の言葉では「甘え」とか
「保身」と言い替えることができます。これらをなくしていこうとするのが
構造改革です。右肩上がりの経済の中でできあがってしまった日本の構造です。
これを改善しなければ、いくらじゃぶじゃぶカネを注ぎ込んでも消えていくのみ。
まったくもって税金のムダ使い、民間にとっては投資のムダです。

効率的な投資をするのが優先事項ではなくて、こういったムダを省くことが
優先事項なのです。金の使い方が問題の全てではなくて、組織のあり方と、
そこに在籍する人の意識の問題なんです。だからこそ構造改革は難しい。

このような困難な問題は継続性が必要です。人が代われば方針も変わるから、
今までやってきたことが一瞬のうちに消えてなくなるかもしれません。
少なくとも、総理大臣であり、自民党総裁である人間を再選後にこき下ろす
ぐらいの気持ちがわれわれにあれば、抵抗勢力もそれを放って置くわけには
いきませんから動かざるを得ません。他の人間を自民党総裁にしてしまっては、
今までと違った政策をまた検証しなければなりません。そこでまた数年経過
してしまいます。この方がムダではないでしょうか。

そういったわけで小泉再選は後ろ向きではなくて前向きなんです。

はい。今日は曇りところにより一時雨。(東京地方)



2003年08月30日(土) 個人的なサイン会?

昨夜は朝まで生テレビを最後まで見たので、今日は昼までゆっくり寝て、昼過ぎに
起きてからシャワーを浴び、その後首の牽引と薬をもらいに医者へ、そして夕方
から新宿で友人に会うために出掛けました。

こちらから待ち合わせ時間に南口を指定して、すごい喧騒の中待っていましたが、
予定時刻を過ぎてからメールが入ってきまして、東南口で待ってると。えー?
そりゃ東南口の方が人の数が少ないのは分かってはいたけど、南口って言った
じゃん!と言ったところで仕方がないので東南口へ向かうことに。

ま、それはさておき、南口で15分ぐらいキョロキョロしておりますと、色んな
人たちが目の前を通り過ぎて行きました。老若男女、人種も様々。さすが新宿。
多くの人が待ち合わせだったようで、

「あーらひさしぶりー」「まったぁ?」「元気だった?」

なんて声があちらからこちらから。
夕方6時だったので、待ち合わせとしては集中していたんでしょう。
10分過ぎぐらいから波が引いたように人がいなくなった。予定されていたかの
ように。ということは、待ち合わせ時間をちょっとずらせば探しやすいわけだ。
次からはそうしよう。

さて今日友人と会ったのは、彼が訳している本にサインをもらうため。
実は2冊目です。1冊目は自分用に買ったものですが、今回は知人のため。
どういう理由で欲しいのかは詳しくは聞いていませんが、メジャーかどうかは
別にして、一般的にサイン本はなかなか手に入らないから、もらえるものは
もらっておけってことかな。でもロードオブザリングは何回か見たとは言って
いましたから、興味がなくて欲しいと言っている訳ではなさそう。というか、
興味がなくて欲しいと言うだけならば自分もわざわざサインをもらうために
友人に足を運んでもらうことはしません。失礼だから。

彼は、早めに言ってくれれば本を用意したと言ってくれましたが、出版物は
買ってなんぼのものですから、タダでもらうわけにはいきません。お金は
流通して初めて価値が出るものですから。というところから話は始まりました。

話の中で「予定説」とか「カルヴァン」の残した言葉とかいう、キリスト教の
醍醐味に言及することになりました。そりゃあちらはクリスチャンですから、
わたくしめのいう言葉なんか見透かしているでしょうが、お互いに社会人として
学問をしている者同志ですから、筋が通らない話はしたくない。当然ながら
会話の中で衝突する場面もありました。

でもそれはお互いに考えを持っての衝突ですから、いい刺激にはなりました。
こういった熱い思いの衝突は学生時代にはあってしかりですが、社会人になると
なかなかそういったぶつかりはなくなります。衝突はなるだけ避けたいからね。
でも、仲がいいからこそ言えるってものです。衝突したから関係が壊れるなんて
ことはありません。同じ思想、同じ考えだから仲がいいというわけではありま
せんしね。

今度はご自宅へご招待をお受けしましたが、次は成田有里恵さんのライブを
見に行こうオフをコトウさんと約束していますので、その旨を伝えてから別れ
ました。9月の下旬か10月になって。もちろん、お宅訪問はするつもり。
奥様にもお会いしたいし。

そういったわけで、今日は飲んで帰っていい気分で寝るとします。

はい。今日は曇り。(東京地方)



2003年08月29日(金) 愛国心と国益

今日の「朝まで生テレビ」のテーマです。

さて、みなさんは「国」「国家」とはどういうイメージを持っていますか?
恐らく一言では言い表せないと思いますが、誤解を恐れず言わせてもらうと、

「個人に介入しない形式的な絶対的権力」

こう言いたいと思います。これは実は近代国家のモデルだと言われています。
そういう意味では日本は近代国家になり切れなかった。日本は近代国家では
ないんです。国家が個人に介入するものは古代国家、つまり専制国家です。
封建制度を引きずった国家です。日本においては明治維新においてもこれは
崩れなかった。個人の生き方にまで国家が口を出していた。教育勅語以降の
文部省なんかは最たるものです。年少期の育成を国家が定めていた。これは
今でも続いています。「ゆとり」なんてふざけるなと言いたい。

国は枠組みを作り強制力を持つけども、個人の自由までは拘束するもんじゃない。
国民の行動規範を国が定める(あれはいい、これはいけないとか)のは、これは
徳川時代と何ら変わらぬ支配制であり、自由主義でも民主主義でもない。
でも我々の中には支配されてきた歴史が脈々と精神の根底に流れているんです。

だから国を愛すると言うと、ある意味権力の肩を持つというイメージで極力
避けてきたようですが、本来愛国心とは素直で純粋な意味であると思います。
純粋というのは、キリストに忠実であることを意味していると思います。だから、
日本には愛国心の精神が生まれなかった。少なくとも馴染まない精神である。
こう理解しています。戦時中のナショナリズムは誤解の最たるものでした。

繰り返しますが、日本はキリスト教を背景に生きてきた国ではありませんから、
決して近代国家ではありません。天皇制を廃止し象徴にして、国家の骨格を
アメリカに作られて表面的には近代国家のように振舞っていても、精神的には
封建制の名残を引きずった古代国家です。ここに愛国心を語るだけの環境が
あるとは思えません。

オレは愛国心を持っていると胸を張って主張する人もいますが、何を根拠にそう
言っているのか自身でも整理できていない人が多いんじゃないでしょうか。
それは単にナショナリズムのことを指しているんじゃないでしょうか。あるいは
日本の四季、つまり自然を愛する心のことを指しているんじゃないでしょうか。

国とは何なのか、国を愛するとはどういうことか。
みなさんも一緒に考えてみましょう。

はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)



2003年08月28日(木) しわ寄せ

今日の仕事は一点集中。
昨日依頼されていて、今日中に提出してくれというもの。

実は昨日、自分は会社を休んでおりましたが、関係部門の誰もが
昨日のうちにやれるであろうことを何にもしないで放置。

今朝、会社に出てきてからそのことを知った自分と上司は、事の
重大さを担当部門の責任者と担当者に伝えましたが、動く気配が
なく、仕方がないので、午前中やることがあった自分に代わり、
上司が作業をやるとは言ってくれたものの、そのやり方もネタの
収拾の仕方もわからず、やったとしてもアナログな人ですから
作業効率がすこぶる悪い。結局、自分がネタを集めて作業をする
ことにしました。

他の仕事をやりながらですから、ちょっと手のかかる作業ならば
通常2〜3日はかかるところを、この件に関しては急を要していた
ので、他の仕事はそこそこに、昼前から本件に没頭することに
しました。今日中に終える自信はありませんでしたけど。

9月末の調査をもって精査をすればいいのだから、今回はとにかく
8月末の最新版を作って出すことが大事で、きちんと正確に作ることが
大事ではない。とにかく時間との闘いだ、と上司は言いますが、資料の
作り方が問題なんですと言うと、その作り方をメモして置けと言いますが、
そんなメモをする余裕なんてない。結果を出すことが優先です。

※何を作るのかは言及を控えます。ごめんなさい。

今日、今、この時にやるべきことじゃないと考え、上司の指示は無視。
上司もあきらめたか、定時が過ぎたらいつもの通りさっさと帰って
しまいました。少々後ろめたさはあったようですけどね。

5時ごろにはある程度目処がついてきていたから、そんなことはどうでも
よかった。結局8時前に何とか作り上げ、メールをしてから帰りました。

明日の会議では、それを見た交渉相手がどういう顔で出てくるのか、
すごく興味があります。なにせ5千万円以上のカネを引き出すための
資料ですから。渋い顔をしてくるのか、明るい顔をしてくるのか。
こちらとしては約束通り、合意した計算式で算出した金額を提示して
いるんだから、受けて当然という考えです。

以前から、この交渉相手には物騒な脅しを冗談交じりに投げかけて
いましたが(自分がね)、あまりに情けないことを言い出したら、
もしかしたらわたくし、お縄頂戴になっているかもしれません。
マジで腹が立つことがあるんですよね。この交渉相手。

ま、そういう熱い思いは明日に持ち越すとしよう。
今日はとにかく疲れました。いろいろと考えることもあるし。
ほんじゃまた。

はい。今日は曇り。(東京地方)



2003年08月27日(水) 残りわずか

下手に切られた髪の毛が伸びてくると、いつもは伸びると鬱陶しいと
思っているのが逆にうれしくなるね。まだまだ短いんですけどね。

さて、今月もそろそろ終わりに近づいてきました。
ウチの職場の存続もあとひとつきとなってしまったわけですが、
10月以降の運営をどうしていいのかは正直言ってまだイメージが
沸きません。数人が残って残務処理をすることになりますが、実務を
誰から誰に引継ぐかといった問題は切実です。なにせ地域をまたいで
いるし、派遣さんにもやってもらっていることがるし、残る社員だけで
こなしていくには相当苦労することが予想されます。

残ることが決まっているのは自分を含めて4人。
担当職が2人で管理職が2人。
9月一杯で仕事を終えるのですから、そのうち残務もなくなるのですが、
当分は従来の仕事をやらざるを得ないので、仕事の減り具合を見ながら
残る人間の異動も考えなければなりません。

昨年度末までは社員18人と派遣さん3人の21人体制で運営していた
ところを、受注業務がなくなるとはいえ、4人(派遣さんが1人いるかも)
体制になるのは諸々負荷が高くなるし、書類の所在すらわからなくなる
かもしれません。まぁとにかく事業の終了にはいろいろと細かいものが
残りますので、従来の仕事にはなかったことが都度出てきます。

これらをこなしていくことが10月以降の我々のミッションですから、
誰でもいいっていうわけではありません。こういう仕事は知識と経験が
モノを言いますから、新入社員にはできない仕事ではあります。しかし
前向きではないのでやりがいはあんまりないですよね。ただ、ひとつの
区切りをつけて、次の職場へスッキリとした気分で異動することにしたい
ので、これはこれで与えられた使命を全うするのみ。

この1ヶ月は、なにかと動くことになりそうだなぁ。頭も身体も。
バテている場合ではなさそうです。

はい。今日は曇り一時晴れ。(東京地方)



2003年08月26日(火) ちょっとイライラしているかも

明日は秋雨前線の停滞でお天気が良くないから火星が見られるのも
限られますね、だと。火星が6万年ぶりに大接近するらしい。

というか、自分にとっては火星のことよりも、「秋雨前線」という
表現が天気図に表われたことが驚きです。まだ8月だよ。とはいえ、
立秋を過ぎているから表現としては正しいんだけど。

さて今日はどうしても確認したいことがあったけど、都合が悪くて
できませんでした。今日確認したいことは今日のうちに確認したい。
それができない時は精神的によろしくないね。でも自分の生活リズムも
崩したくないから、そのあたりは深く追求しないお約束。

だからというわけではありませんが、飲みに行こうと誘ったこと3件。
1日のうちに誘いをかけた件数としては過去最高。(笑)
3件とも3週間のうちには実行できそうです。あわよくばもう1件。
予算の山場が過ぎたから気が抜けたか。

職場のみんなが恐らく9月一杯をもって他の職場へ異動していくことに
なります。自分はといえば、恐らく12月までは引っ張られそうです。
みんなが動いていく中で取り残されるのはある意味辛いものがあります。
動くことにはなっていますが、自分がどこへ動かされるのかはまだ告げ
られていません。あまりに早過ぎる通告はよろしくないという上司の
判断なのでしょうか。もし自分が上司の立場でも、やはり早過ぎる通告は
避けると思います。次の職場が気になって仕事に身が入らないかもしれ
ないから。そういう意味では銀行のように通告されて1週間以内に異動
させられる方が、考える余裕もなくていいのかもしれません。そのあたりは
組合が強いかそうでないかでしょうね。組合が強いところは家族を理由に
本人の合意だけではいけないとクレームしますからね。

要するに家族にとって異動が幸せかどうかという評価になるんです。
異動はサラリーマンにとって一概に出世への階段とは言えないからです。
家族を持たぬ自分は自分の価値観だけでモノ申していますけどね。でも
結局毎度のことですが、その時々の上司から説得されて受け入れているん
ですが、結果的には正解だったと後から思います。たまたま悪い上司に
当たらなかったと言うべきでしょうかねぇ。

でもまぁ今回は役割がはっきりしているから、生殺しではありません。
周りから見るとそう見えるかもしれませんけど、本人がそう思っていないの
だからそれでいい。流れに身を任せるのみ。そう考えましょう。

ウチの会社は来年度から給与体系が変わるようです。
とはいっても、世間の動きについていっているというだけかも。
まだ決まっていることではないので、このあたりは別の機会ということで。

はい。今日は曇り。(東京地方)



2003年08月25日(月) 資本主義の精神

キリスト教における「予定説」の本質。資本主義の精神を生み出すに当たって最も
決定的な役割を果たしたもの。ちょっと引用させていただきますと、

”「神は己が栄光を顕わさんとして、世界の礎が据えられる前に、自らの決意に
よってある人々を永遠の生命に預定し、他の人々を永遠の死滅に預定し給うた。」
ある人々の選ばれたのは、決して彼らの「信仰、あるいは善行為、あるいはその他
被造物のもついかなるものも条件あるいは原因とし」てではなく、すべて神の
「自由な恩恵と愛」に基づくものである。(大塚久雄『宗教改革と近代社会』
みすず書房 71頁)”

恐るべき説教です。
自分は救われる側なのか、救われない側なのか、そのいずれかを知りたくても
人間の知力ではそれを知ることができない。ここにカルバンの一言が救いとなった。

「神に救われる予定の人は、そのことを証明するように振舞うであろう」

キリスト教では何が正しいのかを言っていませんし、正しいことをしたからといって
神が救うとも書いていません。ですが、神が救うと予定した人は何が正しいかを
教えられなくても自分では分かるはずであって、絶対にそれを行うはずであるという
気持ちになる、と。ここにはカトリックにある懺悔は存在しません。

ここから目的合理的精神が生まれました。
伝統主義的エトス(行動様式)の変換が行なわれたのです。
目的合理的とは、ある目的を達成するために全ての手段を整合するという意味。
伝統主義ではあり得なかった利潤の最大がここに成立できるようになったのです。
伝統だとかしきたりだとか掟だとか、そんなことには構っていられなくなったのです。

これが資本主義の精神です。何が何でも効用を最大化すると考えるのです。
資本主義的人間というのは、伝統主義を打破するという意味で、ものすごく特殊な
人間であると言う人もいます。この目的合理性の意識こそが中産的生産者層に
属する人々を伝統主義とそれにまつわる様々な非合理性から離脱させ、近代の
合理的産業経営の建設に適合的な思想と行動の様式を身に付けさせる方向に作用
したと言えるということです。

資本主義の根源を調べてみると、キリスト教のエトスの転換にぶち当たる。
誤解を恐れずに申しますと、カトリックの教えをプロテスタントが追い払ったから
こそ、資本主義が作られました。伝統や儀式を絶対的なものとしたカトリックを
否定し、本来のキリスト教に立ち戻らせた、この「予定説」こそが資本主義の根源
であると言えるでしょう。そういう意味では、本来の資本主義は日本には馴染んで
いないかもしれません。

とはいえ、仏教はもはや「葬式仏教」に落ちぶれてしまった感がありますから、
そのあたりは現在の方が臨機応変に対応できるのかもしれません。そもそも仏教は
日本に存在していた宗教ではありませんしね。聖徳太子まで遡る歴史はあるとはいえ
脈々と受け継がれてきたのは「神」の存在。つまり天皇の存在です。アメリカは
この「神」の存在を否定しなかった。日本を再建する際に、国民の心の拠り所と
考えたからでしょう。現人神ではあるけど、神には違いない。日本の歴史をよく
知り尽くしていたと言ってもいいでしょう。

ただ、これが行き過ぎると原理主義に陥ってしまうわけで、日本では右翼になって
しまうわけで、民主主義の世の中では融合できません。資本主義と民主主義は必ず
しも一致しないんです。これがまた。

日本の場合でいうと、やはり戦後は「一生懸命に働くこと」がひとつのエトスと
なっていたんでしょう。家族のために汗をかいて働くことが、たとえ家族を犠牲に
したとしても美徳とされていたんでしょう。生活の向上のためにね。

さて、生活が向上した今となっては、何が今の日本にとってエトスとなるのか。
少なくとも自分の中にはそんなものないんですよ。おほほ。

はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)



2003年08月24日(日) 今日は軽く読み流してください

やっぱり早めに手を打って良かったと思います。
以前の自分だったら、痛いところを放って置いて「痛い痛い」と
グチっていただけだったから。もちろん、放って置いたとしても、
そのうち治ってしまう回復力もありましたけどね。

実は今でも回復力はあると思っています。
でも今回のことで普段の手入れが大事だとわかりました。
放って置くと、積もり積もって手のかかることになってしまったから。
自分の身体にあまりに無頓着だったと反省しています。
小さい頃から壊れにくい身体だったから、少々のことでは医者にかから
なかった。生活パターンが変わったんだから身体も変わったようです。

今日から当分は毎週、整体に行くことにしました。
身体中のアンバランスを一気に治してしまうと、それがかえって
疲れや痛みを生じさせてしまうそうですから、少しずつになります。

これはどういうことかというと、脳が身体のバランスを覚えてしまって、
今の姿を元に戻すことは、脳が覚えているバランスを崩してしまうことに
なるそうです。だから、一気に元に戻してしまうと脳がついていかなくて
頭痛になってしまったりするそうです。そういう意味でも身体はいろんな
ネットワークで守られていると感じます。生活病というのは、少しずつ
悪いことをしているのにそれに気付かずに少しずつ悪い方向にバランス
していった結果であると言えるでしょう。身体が許容の限界に耐える
ことができなくなった結果です。

幸い、今回は環境が良かった。
1.主治医のいる医者へ行く時間が取れて、原因が判明した。
2.土日もやっている整体(カイロプラクテイック)が近くにあった。
3.その整体はリーズナブルな治療費だった。
4.土曜日もやっている整形外科が近所にあった。
5.その整形外科はリハビリ施設が充実している。
  トレーナーは不在ですが、自分の症状には必要ない。
6.仕事の種類が減ってきて、重なってパンク状態になっていない。

どれひとつ抜けても治療にかける意気込みがなくなります。
環境が悪ければ、途中で放り出してしまうことにもなります。

知っているつもりでも結構知らない自分の身体。
だからこういったことがきっかけで自分の身体を知ることになります。
近くに誰も身体のことを心配する人がいないから、こうやって自己防衛して
いくしかありません。とりあえず、その手段を知ることができただけでも
良かったと言うべきだと思っています。

まぁ、こういうことは他人に言っても仕方のないことですが、自分がいかに
自分の身体に無頓着であったかを知らしめるために記録に残しておきたいと
思いました。

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)



2003年08月23日(土) もう50代の身体なのか

今日は久しぶりにお日様が出て暑い一日になりました。

さて、月曜日に書いた頚椎の話の続き。
面倒くさがりの自分ですが、やはり自分の身体のことですから、
せっかくネットで探した近所の整形外科へ行きました。これは、
先日、主治医に告げられた、近所で首を牽引をしてくれる医者を
探せ、という指示によるものです。

幸い最寄駅のすぐ近くにありまして、そこはまだ新しいんですが、
リハビリ用の治療用具も充実しているようです。車でも行くことが
できますから、近いとはいえ歩いて20分ぐらいかかるところ。
車もたまには動かす必要があったので、車で向かいました。

自覚症状を伝え、同じくレントゲンを撮りました。
結果は主治医に告げられた時と同じ。第三頚椎が少し前にズレている
症状が確認できました。今回は主治医の病院で撮影した時よりも
ズレ具合が少なめでした。もしかしたら整体に行って周囲の筋肉や
筋がほぐされたのかもしれません。それによって、無理してバランス
していた骨や筋肉が、本来あるべき姿に戻ったから、骨ももとのサヤに
戻ろうとしているかも。そういえば、昨日今日は少しばかり痛みが
緩和しています。

そこで、治療に関して、主治医の言う牽引のことを尋ねてみましたが、
ここの先生曰く、牽引はやってみないと効果が分からないから(つまり
逆効果の場合もある)、当面は軽めの重さで引っ張ってみて、調子が
良ければやや重めに引っ張ってみようとのこと。痛みが出てくれば、即
取り止めということでね。

今日生まれて初めて牽引というものをしてみましたが、確か以前は砂の
入ったオモシの袋をぶら下げて、それで引っ張っていたと記憶していますが、
ここの牽引はデジタル機器。つまり、張力を電気で制御する機械です。
シンプルな仕組みではありますが、一定時間が過ぎると一旦緩める動作を
します。これは従来のオモシ式では味わえない感覚ですね。

どうやら自分の場合、牽引は悪くはなさそうです。引っ張られても痛くも
かゆくもない。むしろ気持ちよく、眠気さえ覚えました。

特段処置が必要なわけではないそうですが、やはり日常生活の姿勢として
頭をガクっと前に倒すことは止めろと。会社で席に座っている時も、電車で
眠っている時も、それから部屋で寝る時も、頭を前に倒すのは敢えて自分の
首を自分でいじめていることになるので、気を遣うように、と。

でも前に倒すのはあまり痛くないんだよね。むしろ後ろに倒す方が痛い。
ブリッジするほど曲げると良くないけど、上を向く程度であれば大した
問題じゃないと医者は言うんだけど、そう言われても上を向いただけで
痛いのにー。痛い動きは良くない動きらしいけど、それって論理的に
おかしいんじゃないかと思いつつも、ま、素直に聞くとしよう。

この医者曰く、この症状は40代か50代の症状だ、30代にしては早い、
だと。ムッときたね。これは生活病じゃないって。10数年前に食らった
車の追突か、ラグビーしてた頃の衝撃かどっちかだって。きっと。

当時はそんなに気にならなかったので調べなかったけど、今ごろになって
痛みを覚えるとは。もし追突事故に会った方は、その時には痛くなくても
必ず病院でレントゲンを撮ってもらうようにして下さい。後から来ます。
原因が分からずに困りますから。

処方薬として治療の後に薬をもらってきましたが、それが2種類。
ひとつは痛み止め、もうひとつはビタミンB12。ビタミンB12がどんな効用か
知りませんでしたのでネットで調べてみました。

【主な働き】
● 神経の機能維持に関与し、肩こり・腰痛の緩和に役立ちます。
● 赤血球の形成に役立ち、貧血に効果があります。

【補給を特に心がけた方がよい人】
● 貧血ぎみの人
● 妊婦・授乳婦
● 野菜だけの食事に偏りがちな人

だそうな。一般薬では「神経痛、腰痛、手足のしびれに」という文句で
謳っているものがあります。これらを緩和する専門薬だそうです。
末梢神経障害の治療薬だそうです。貧血だけではないのね。

とにかく、他のことは犠牲にしても自分の身体は自分で大事にしないと。
誰から言われるまでもなく・・・。

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)



2003年08月22日(金) 待ちぼうけ(本文とはあまり関係なし)

待っているものが来ないって、寂しさを越えて苛立ちを覚えて来たり。
それでも救いがひとつあるのは他言無用ってことで。

さて、今日は予算書提出日。BSを残し、他の数字は作り上げていたし、
課題方策書は上司にお願いしてあったし、後ははちまき巻いて仕上げる
のみでした。「でした」と書くと出せなかったように見えますが、書式は
定時には間に合いませんでしたが、とにかく出しました。

本来、予算書とは事業部内の責任者を呼び集めて、各々の立場のネタを
出させて、業績管理をしている側の都合を合わせて無理やり合意を取って
いく合議という手続きを行ないます。管理側の都合とはまさしく会社側の
都合を反映しているから、各々の責任者も真っ向から対立してすべての
数字を否定するわけにはいきません。なぜなら、責任者は管理職という
会社側の人間なので、会社の命令には背けないからです。

会社の命令ですが、誰が会社なのかという問題もはらんでおりますので
詳しくはまた別途ということで。

ウチの職場の場合は、今年度には店をたたむことになっておりますので、
業界の環境がどうだとか、利益を上積みするとかいったことはなく、
ただただ撤退コストのミニマム化を続けることが命題です。とはいえ、
閉めた時の結果は出ますから、それがどれだけなのかを予測することは
求められます。その予測値を最小限にするために何をやればどれだけ
少なくなるのかといったことを抽出して数字目標を作り、実行する。

そういうことをやっていますから、毎月報告する数字が変わります。
ですが会社としてはそうコロコロ数字が変わっては困るので、どこかに
ターゲットを置き、それを守らせる方向で指示をしてきます。会社と
いうのは、事業の数字責任をもつ部門の責任者のことです。ウチの事業の
場合は、本来事業本部にあったのですが、新規事業として本社が4年前に
立ち上げた部門ですから、事業本部に組織変更した今でも、その数字責任
は本社が持つことになっています。そういうわけで本社の事業管理部門長
が責任を取ることになります。(疑わしいですけど)

とはいえ、今日提出する約束だった書式は2種類でしたが、その2つとも
出してしまったので、土日に仕事をすることは避けられました。ホッとして
ついウダウダ書いてしまいました。スンマセン。

さて、明日は首の牽引にでも行ってこようかな。
明後日は整体が待っているし。

はい。今日は曇り。(東京地方)


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