しむちゃんのつれづれ日記
文字サイズは「中」が最適なようです。

2003年08月11日(月) 世界最速の歩道

ひさびさに時間をかけて近くを歩いてみました。
いつもはプラプラと車で回っているルートです。

歩いてみると結構な距離と時間がかかります。
でも、いつもは車で通っていると見えてこない部分が、意外な部分が、
見落としている部分が見えてきます。車であれば15分程度である
ところを徒歩で1時間かけるんだから当然と言えば当然です。

近所の取引銀行は、残念ながら駐車場がないので歩いていくか近くに
車をおいてそこから歩いていくかどちらか。でも近くに公共の駐車場
がないんですよ。駅に近いとはいえ、駅の反対側の西友駐車場にしか
ないんですね。北口なんですが、こちらは諸事情により再開発が行な
われたわけで、結果的には車の通行がスムーズになりましたが、一方
南口は昔ながらのまんまで、車の乗り入れが難しい。

自分が転勤してきた10年前は、この駅の北口はバスが乗り入れる
のも難しかったぐらい。西友なんてなかったから買い物はとなりの
駅か、池袋や所沢へ行ってしまうことになっていました。もちろん
駅前の商店街にも個人スーパーや大型スーパーもありましたが、時代
の流れにはついて行けなくなっています。西友ができてからは大型
スーパーはマンションに建ち変わっています。駐車場も狭かったし。

あとは開かずの踏み切りと乗り入れ不能な道路整備ができればね。
この駅の南口はね。

ところでテレビ東京のWBSの中のコーナー「トレたま」で紹介され
ていましたが、パリのモンパルナス駅にある世界最高速の動く歩道。
モンパルナス駅はフランス国鉄のTGVが発着する駅です。この国鉄
と地下鉄を結ぶ通路に設置されています。増える通行人をさばくため
高速の動く歩道が必要になるとの見込みで開発したようです。

これは2002年7月に約5億円をかけてパリ市交通公団が開発した
ものですが、4日目にはケガ人続出で運行中止になったことで有名に
なりました。紹介されたということは復活したわけですね。

日本でも新宿で大騒ぎになったあの動く歩道も、空港なんかで導入が
進められ、あちこちで見かけるようになったんじゃないでしょうか。
通常我々が使用している動く歩道は、時速3km程度。これは早歩き
するぐらいの速さです。これに比べパリの動く歩道は最速11km。
入口と出口は9kmで、それ以外は11km。これは駆け足の早さ。

これはせっかちの日本人であっても面食らう速さだと思います。
特に、ご老人、子供、そしてハイヒールを履いた女性。パリのものは
ハイヒールを履いた女性の怪我人が多かったという事実からも、この
高速動く歩道の導入には使用場所の検討が必要です。つまり使用者を
限定せざるを得ないことになります。

ただ技術的には、歩道の速度を一定ではなく入出口と本道に速度差を
持たせるのは簡単ではありません。どうやら変速させるために、複数
のベルトを使っているようです。入口で乗り込む時よりも変速する時
のベルトの移動の地点で足をすくわれて転倒するようです。

まぁ問題こそあれ、全世界的に注目されている移動方法ですから、
もしこれが日本だったらどこに使えばいいのか考えてしまいます。
50年後の山手線といった具合。(当面は使われないでしょう)

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)



2003年08月10日(日) 帰省しないって

回復力は決して早い方ではありませんが、今回の風邪はどうやら
治りが早いです。セキはまだ出ていますが、調子は悪くありません。
タバコの味も悪くありません。

タバコはいずれ止めるつもりですが、今は健康のバロメーターと
して重宝しています。調子が悪い時には吸ってもマズイですしね。
体がニコチンを欲しませんから。

それはそうと、今日は帰省しないことを地元の友人、義姉、母親へ
連絡をしました。友人と義姉へはメールで済ませましたが、母親へは
電話をして声の具合を聞いてみました。こちらの声の様子を聞かせる
意図もありますし。

半年に一度会うか会わないかですから、1時間以上は話していたかな。
いろいろと話すことがありましたから。こちらもあるし、あちらもある。
特別話すことはなくとも、普段思っていることなんかを話すことが大事。

自分には自分に、母親には母親に、お互い話したいことがあるもんです。
でもやはり母親は歳を取りました。自分の体に自身が持てなくなった
ことをつらづらと言うようになりました。それでも息子の体の具合を
心配するのは親子の間の会話でしか成立しないからでしょうね。親で
あることを自覚しているんでしょうね。(息子にしか言えないこと故)

オヤジはどうかっていうと、それなりに健康みたいなので話はしません
でした。話をすると、少々ケンカ腰になりそうだったので、あえてね。

ウチの家族の男どもはあんまり関係が良くないから、女性を間に立てて
話をしないとスムーズにいきません。親父の場合は母親と、兄貴の場合は
義姉と。直接話をするとギスギスしてしまう。いつからそうなったのかは
よく分かりませんが、それぞれが自立してからでしょうか。ま、色々と
歴史があるからそれほど単純じゃないけどね。

そう言っている間に義姉からメールの返事が返ってきました。
なんだかまた夫婦間の関係がよろしくないようで・・・。
そちらの返事を書くことにします。

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)



2003年08月09日(土) 帰省しないからいいんだけど

静かにしています。
じっとしてろのひとことを言われて、本当にじっとしています。

熱が出ているわけではないので頭はしっかりしています。
熱っぽいのはエアコンをつけていないからでしょう。

おなかの具合とノド・鼻の調子が良くなくセキをするのは多分寝冷えです。
暑さに負けてエアコンを付けっ放しで寝たから体が冷えてしまったのかも
しれません。エアコンは体が起きている時だけにしておいて方がいいようです。

それにしても今年は初っ端から激しい天気です。
新幹線はそれなりに運転しているようですが、その他の交通機関は天候不純
で様子見を強いられているようです。飛行機はもちろん、高速道路も一部は
通行止めになっているようです。

いつぞやに自分が車で帰省した時に、ちょうど台風とかち合って、東名高速の
清水の先では海岸際で「波注意」の文字盤にあったように、海の波が高速まで
押し寄せていて、どうか自分が通る時は車が塩水のシャワーを浴びないようにと
祈って通ったし、関門大橋では強風のために通行止めになり、全ての自動車が
下に降ろされ関門トンネルを通行させられました。そのときはまぁ久しぶりだから
と思い直して、北九州からは高速に乗らずに国道3号線から冷水峠を通るルートで
久留米に向かいました。つまり福岡市を通るルートではなく、昔なら久留米から
北九州の最短ルートとして使われたルートです。地元の人なら知っているよね。
(山越えになり冬場は辛いですが、夏場は面白い)

夕方になりました。水平線際から太陽が現れてきました。→部屋からの画像
明日は天候が回復するといいですね。まだまだ風は強いです。

はい。今日は雨ときどき曇り。(東京地方)



2003年08月08日(金) なんとか持った

非常に気だるい日が続きます。

今日は特に風邪薬を飲んだから、昼からうつらうつら。
どうやら風邪を引いてしまって、鼻水は出るわノドは痛いわ
頭は痛いわ節々は痛いわセキは出るわ、全くもって風邪の症状。

高熱が出ない分だけまだマシですが、土日はゆっくり寝てるとしよう。
明日から1週間は夏休みです。帰省はしません。東京でのんびり。

もしかすると様子を見て軽井沢へジョッキ牛乳を飲みに行くかも。
天気が良ければいいんだけど。

んじゃ調子が悪いんでこのあたりで。

はい。今日は曇り一時雨。(東京地方)



2003年08月07日(木) 久しぶりの国際電話

いやぁ、何年振りでしょうか。
国際電話というものをかけてみました。
つーか、かけざるを得ない状況になりました。

時代遅れになっていました。
かけ方が変わっていました。
001の次に010が加わったんですね。
会社の電話からは000に続いて国番号だから面食らいました。

ようやくかかりましたが、相手から「もしもし」と出られた時には
またしも面食らいました。アメリカの会社にかけたのだからハロー
と言ってくるかと思ったら・・・。

思わず言っちゃいましたよ。”ラーメンの出前をお願いしたいんです
けど。”意外な人間から電話がかかってきたからびっくりしたみたい。
かけた先はアメリカの会社ですが、相手は日本人。電話をかけたことは
この3年間ありませんでした。結構音質はクリアで良かったですね。

切羽詰って電話をかけたのですが、結論としてはこちらが考えていた
通りになりました。つまりいい結論ではなかったということ。相手から
判断を引き出すことができず、こちら側で努力するしかないという結論
になりました。細かい内容は申し上げられませんが。

その話の後は、工場の管理部門の人間と予算数値の相談。
日付け変更線を越えても帰れないと言ってたな。電話が終わったのも
23時のことだったし。日付け変更線を過ぎても帰りの電車があると
いうのも考えものですねぇ。

さて、そろそろ賞味期限の過ぎたアリナミン・ダイナミックでも飲んで
寝るとしますかね。(なんだか苦いんですけど・・・)

夏休み前最後の明日は、かなり忙しい1日になりそうです。

はい。今日は曇り。(東京地方)



2003年08月06日(水) 北条政子のイデオロギー

日本史もただ年代と出来事だけを覚えていたんじゃイカンね。

1192年は源頼朝が鎌倉幕府を起こしたことは誰もが知っています。
でもその後の承久の乱で日本の思想が180度転換したことはあまり
知られていません。(自分も気に止めていませんでした)

承久の乱を振り返りましょう。
承久元年(1219年)後鳥羽上皇に従順であった三代将軍源実朝が暗殺
されて源氏の正統が消滅しました。北条氏は藤原氏を迎えて将軍として、
実権は執権の北条氏が握りました。

後鳥羽上皇に従順でなかった執権北条義時に対し、上皇は幕府征伐を決意
しました。後鳥羽上皇は承久三年に兵を動員して討伐計画を発動しました。

ここまでは歴史の教科書通り。

鎌倉幕府の創始者源頼朝は天皇信奉者。天皇の勅命にはひざまずいてうや
うやしく承る姿勢を取りました。この頼朝の権威とともに世の武士たちは
同じく天皇信奉の考えであったと考えられます。従って、幕府のトップで
ある泰時をはじめ鎌倉の武士たちは朝廷へ弓を引くことは心理的に困難で
ありました。

この状況を打ち破ったのが頼朝の妻である北条政子。義時の姉でもあります。
この人の力は絶大でしたから、関東の武士を呼び集め、そして言いました。

「一同の者、よくよく承れ。汝ら、今日の収入といい、官位といい、すべて
頼朝公のおかげではないか。その御恩は山よりも高く海よりも深いであろう。
それを忘れて京へ参り官軍につくか、それとも頼朝公への御恩を考えて鎌倉
方として御奉公するか、態度をはっきり決めて、ただ今ここで申し切れ。」

その結果、

「並びいる大名小名、これを聞いて涙を流し鎌倉への忠誠を誓います。」

そうです。天皇に弓を引いて戦争をすることを納得したのです。源頼朝の
天皇信奉の考えはここに転換を向かえるのです。

専門用語で「予定説」という言葉があります。これは神が決めたことはその
善し悪しに関わらず正しいことであり、人はそれに従うことになるという
考え。その善し悪しは神が決めることであって臣下が決めることではない。
神が正しいことを決めるのではなく、神が決めたことだからこそ正しい。
故に神は絶対的な存在であるというのがキリスト教の考え。かつての日本は
(鎌倉以前の日本は)キリスト教と同じ予定説に従った考えが支配的でした。

その日本を支配してきた予定説をくつがえしたのが北条政子の考え、言い替
えれば彼女のイデオロギーでした。このイデオロギーはその後約600年に
渡って武家政治の基本思想となりました。つまり明治維新まで続いたという
ことです。ご存知の通り、明治になってからは天皇は全てにおいて絶対的な
存在になりましたから、形式上は元に戻ったことになります。なにせ天皇は
教育勅語に見られるように「朕」でしたからね。

イデオロギーの転換は急速に行なわれるものではないと言われていますが、
その点については今回は省略します。泰時は承久の乱の後に苦しんだそう
ですよ。人間はそう簡単には変われないのは昔も今も同じこと。

さて、今日は58回目の広島原爆投下日。
犠牲者の皆様にご冥福をお祈りするとともに、今尚続く被害者のご苦労に
対して、何もできない自分の無能さを感じています。国連の常任理事国は
すべて核保有国であることに疑問の念を感じながら。

はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)



2003年08月05日(火) ひがみ、か?

官僚が腐敗しているのはナゼかという疑問に対するひとつの答えが、今
読んでいる本に書いてあります。それは「私的な利害というものが存在
しないということは、私的なものと公的なものが無制限に結び合っている」
ということ。これは丸山真男教授が論じた、いわゆる「丸山モデル」の
ひとつです。平たく言えば、公私混同のことです。

※ちなみに「モデル」とは必ずしも現実に即したものではありません。
 モデルを実践して初めて現実になるのです。

丸山モデルでは日本の腐敗はどこから起きているのかを分析してますが、
丸山教授のゼミ卒業生である東大法学部卒の上級官僚は、そのモデルの
意味を理解できずに卒業したようです。あるいは自分だけは例外と勝手に
考えてしまっているようです。(一流企業や有名企業の社員の一部にも
この手の勘違いを犯しているものもいますけどね)

こんなことを書くと、自分があたかも丸山モデルを理解しているかの様に
見えますが、解説本を見ているからこそこう言えるのであって、原本だけ
ではそうはいかなかったでしょう。というのも、丸山真男教授の著書は
非常に難しい。そもそも彼の著書は大学で講義用に作られたもので、彼の
死後に講義集とか著作集が発表されることによって世に広まったわけで、
世に広がったおかげで彼のモデルがどういうものであったのか、彼がどう
いうモデルで考えているのかがはっきりしたという背景があります。

実はちょっとした丸山アレルギーが自分の中にはあります。
というのも、自分が大学受験の時に現代国語の試験で引用されたのが彼の
文章。特にいわゆる一流私立大といわれる大学の政経学部系でよく出題され
ていました。

自分は一浪しましたが、予備校の授業の中で、丸山真男の文章を読めない
人間は一流大学には通らないとまで言われており、予備校生内でも彼の
文章が読めないヤツは頭が悪いとまで言われました。かくいう自分はその
頭の悪いヤツの部類でした。これが非常に悔しかった。

でも今思えば、その読解問題とは国語問題であって、その意味するところ
を出題するところまでは至っていなかったと思います。というのも、出題
する側も彼の意図するところを理解していなかったと思われるからです。
仮に理解していたとしても、東大の学生ですら理解できないことを受験生
に試すなんてことをする方が間違っています。出題の適正の観点からね。

ま、それはいいとして、ちょっと彼の著書をいくつか読んでみようかと
思います。なんで彼の文章が理解できなかったのかという理由は自分では
分かっています。テクニックではなく本質で読もうとしていたからです。

負け犬の遠吠えに聞こえますからこれ以上言いません。
丸山教授の思想は経済を学ぶ上で必要だと感じるので、研究課題として
位置付けようと思います。ただいま大学生もやっているんでね。

はい。今日は曇りのち一時雨。(東京地方)



2003年08月04日(月) 何かが動き出した

何とかしなきゃと思っていることがあります。

長い間放ったらかしにしておいたこと。
実現できずに悩んでいたこと。
強い思いが湧かずに見逃してきたこと。
本当にそうするつもりがあるのかと疑われてきたこと。

これだけ言えば分かる人には分かるでしょう。
このままでいいのかと考えると自分を放っておけなくなりました。
すっかり冷めてしまった時期もありましたが、自分を盛り上げる
ことをようやく思い出しました。誰かに触発されたわけではありま
せんが、自分のためにもこのままじゃイカンと思ってね。

今年は動きますよ。

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)



2003年08月03日(日) 富士重工業の社長は分かっている

どこかで見たような名前がテレビで流れていたのでしばらく眺めていましたが、
やっぱりそうでした。スバル360を開発した百瀬晋六氏でした。

確か以前見たのはNHKのプロジェクトXでの開発物語でした。
今回はテレビ朝日の「企業サムライ伝」という番組。最後には新型レガシーの
紹介も忘れていません。スバリストとしては見逃してはならない番組。

スバル360の誕生物語はプロジェクトXで既に見ていたのであらかた知って
いましたが、今回良かったと思うのは、現在の社長である竹中恭二氏の口から
「レガシ−病」という言葉を聞けたこと。

これはつまり初代レガシ−で成功してから技術者の驕りが始まったということ。
これが一番、オレが一番という技術者特有の罠に陥ってしまったことです。

技術者のプライドは自分の技術ですが、それが一番だと思ってしまった瞬間に
技術の進歩が止まってしまうということです。これはサンロク(スバル360)
を作り出した時や、初代レガシ−を作り出した時のエネルギーや情熱が失われて
しまったことを意味します。現状維持で満足している、あるいは現状を失いたく
ないといった、まるで官僚思考と同じです。現状を変えていく、壊してしまう
ことに抵抗していく考えです。

製造業に必要なのは、ひた向きな姿勢と情熱(もちろんそこには才能がついて
くれば言うことなし)ですが、これを失ってしまった瞬間に企業は衰退の道を
辿る運命にあるということを誰もが分かっていながら、現状を変えたくないと
いう心をどこかに持っています。

「絶え間なき挑戦を続けます」

なんてスローガンを掲げているのも、それを実行することが難しいからです。
失敗を許さない企業風土ではこれは実現できません。失敗をした人はその時点で
その人の会社におけるサラリーマン人生は終わりです。敗者復活のチャンスが
与えられないからです。失敗の経験も次に生かせることができません。こういう
環境では、いかに失敗しないかが評価対象になってしまい、思いきったことを
やろうという人がでにくいものです。

これを社会に広げてみると、倒産した会社の経営者は再び起業することが難しい
という環境が日本にはあります。環境とは法制度のこともあるし、社会的な認知
として、失敗者は所詮敗者であるというレッテルを貼り、信用がおけないと見な
してしまうこともあります。個人保証や担保の観点からも、中小企業の経営者は
失敗後のやり直しが非常に難しい。会社のために個人の財産を差し押さえられて
次のチャンスがないからです。失敗した人に銀行はお金を貸さないからです。

つまり失敗=倒産であり、失敗した後の再生という制度も思想もない日本では
企業再生の環境が整うのに長い時間がかかるんでしょうね。だからこそ小泉首相
が在任するこの厳しい時期に、立て直しを是とする議論の中で、この再生という
考えを現実とするためには、ひとつの例として、再生ビジネスを育てることが
あると思います。ハゲタカファンドは必ずしも買い叩きだけではありません。
買って儲けることが使命ですから、彼らは再生ビジネスにも力を入れています。

このような再生ビジネスが日本で堂々とできる法制度を作ってあげることも必要
です。灰色な場合は監督官庁に確認をするわけですが、全ての責任は相談をする
個人や企業側に押し付けて、事前相談に対する責任を取ることをしないことも
問題で、これは少しずつですが「ノン・アクション・レター」(事前に法律上の
取扱いを行政当局に相談し、その判断を示した文書。事後の判断変更はない。)を
取り入れている行政当局もあるようで改善しつつありますが、それでも大勢として
役人は責任を取らないことが原則。これじゃ不安を持たざるをえないことになり、
前向きに商売を始めることを阻害してしまいます。特に従来の手法では扱って
いなかった新しい金融商品を取り扱う場合、売り手も買い手も行政当局の判断が
どうなるのか分からないから取り扱いに躊躇します。商品としての汎用性がなけ
れば、特殊な商品として消えてしまうことになります。不安が大きければリスクを
最大限に見るしかないから魅力のある商品なんか作れませんよね。

とまぁお堅いことを少々書きましたが、正直な思いとして新型レガシ−欲しい。
それを言いたかっただけ。

でも今年は残念ながら社会人になって初めての車検を受ける覚悟。もし来年の
給料が以前の水準にまで戻ればまた考えよう。車の他にもお金がいるかもしれ
ないしね。排気量がそのままなのに3ナンバーになったのは気になる点だし。

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)



2003年08月02日(土) 朝寝も当然だね

今日は久しぶりに晴れたので、そろそろ汗臭くなってきた毛布を洗濯。
ウチの洗濯機は洗濯漕が結構大きいタイプだから毛布も洗濯できるのね。
一人暮らしなのに4人家族用の贅沢さ。日干しもして完璧です。

さて、昨日の朝まで生テレビは久しぶりに最後まで起きて見てました。
タイトルは「若者の暴走・獣性と無責任大人で日本沈没?」。

刑事罰に対する年齢の仕切りだとか、教育法だとか、団塊の世代とか、
モデルの喪失だとか、少年に対する大人の論理が飛び交っていました。

極めてまれな事件を社会現象として捉えるのは構わないのですが、そ
れがあたかも世の少年たちの標準がごとく論じられるのは暴論です。

ただ、そのあたりは冷静に発言している人もいて、議論としてはまあ
それなりに聞けたのですが、自分が注目したのは次期総裁選候補の
熊代昭彦議員の発言。どうやら彼は他人の発言を冷静に聞く姿勢に
欠けています。自己主張が強いのは政治家の性ですが、それにしても
国民受けしない人ですね。少なくとも自分にはそう思えます。

橋本派3人衆のひとりですが、小泉首相の対抗馬にはなりませんね。
他の橋本派の二人も同じこと。永田町の論理、ことさら自民党の論理は
全く分かりません。誰の方に向かって物事を決めているんでしょうね。

ま、そんな中での出演でしたが、反って彼の印象を悪くしたのではない
でしょうか。そもそも対抗馬にはなりえないのだからどうでもいいの
ですけどね。なんで彼に出演依頼を出したのか、テレ朝の意図が不明。
ってか、田原総一郎の希望なんだろうね。

最後まで見たんですが、あんまり記憶に残る番組にはなりませんでした。
というのも、どこに結論付けていくのかが分からなかったから。そも
そも、結論の出ない話題をガタガタ議論しているんだから結論なんて
ないのかもしれませんけどね。だから1時間枠では話せないようなこと
を敢えて話題にしている。わかっててもテレビなんだからひとつの結論を
出してくれてもいいんじゃないかと思うのは自分だけでしょうか。

そういえば、評論家の宮崎哲弥昭和37年生まれというのを始めて知り
ました。結構自分と年が近いと分かって親密感を覚えたりして。(笑)

はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)


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