今日のプロジェクトXはソニーのAIBOの製作秘話でした。 巨大化したソニーにも創業時の開発魂が残っていたんですね。 これも井深大氏の存在があったからこそです。
20人で開始したソニーも今では11万人が勤める大企業。 人が多くなれば組織は硬直してきます。意思決定が様々なエゴにより、 つまり多くの抵抗に合い、阻止されて陽の目を見ないことも多くなる。 こういった硬直さを持ち合わせてしまったソニーは他の大企業と同じ 大企業病にかかっていたのは報じられた通り。自分の会社にも同じ ことが言えますが、この場では言及しません。思うところはありますが。
製造業に従事している身としては、いかに熱い思いを持って製品を 作り上げるか、ここにかかっていると思います。これは事務屋も 技術屋も同じこと。人がやっていることを同じやり方で流すように 繰り返しても、なんの面白味を感じようか。買う立場になってみても、 なにかワクワクするとか、優位性を感じるとかいうものがないと、 お金を払ってもいいという決断には至りません。
このお金を払ってでも手にいれたいと思わせることが製造業にとって 大事なことで、他を犠牲にしてでもこれが買いたいと思わせる優位性。 選択と集中が叫ばれたのもこれが背景にあるからです。2番手3番手 ではなく、他がやっていないことをいち早く察知して作り上げる。 マーケティングや技術屋の感性が問われるところです。
ある意味ではそこに何らかの偶然と運が重なるからこそできあがるの でしょうか。論理的に作り上げたものには従来の考えが踏襲されて いますから、「新しさ」という観点では劣ります。新しいものだから こそ社内の抵抗にあいます。誰も経験したことではないからリスクを 感じます。そこで大事なのは責任を取れるリーダーの存在です。この 組み合わせをうまくこなしたからこそAIBOが作り上げられたと 思います。
もうひとつ大事なことは、「危機感」。 大きくなりすぎて硬直した組織の中で優秀な人材が他へ流出してしまう という危機感。安定指向の中でリスクを取ることを忘れた危機感。 これらを感じることのできる人がいたというのも成功した要因だと 思います。創業時にはあり得なかったこと。戦後に創業した企業で あるからこそ、当時を知る人(第一世代)を知る今の幹部(第二世代) がそれを思い起こせるかどうか。そういう意味でも、戦後に創業した 企業で現在停滞しているところは、うまくやれば復活する可能性は あります。戦前に創業した企業で歴史を誇りにしているところは難しい かもしれません。(でも環境によっては無理ではない)
就職する時はそんなことも考えた方がいいかもしれませんね。
はい。今日は曇り。(東京地方)
2003年07月21日(月) |
たまには日曜日に夜更かし |
昨晩は夜更かしして全英オープンとイギリスGPを見ていました。 古いテレビですから同時に見ることはできませんので、CMになると チャンネルを替えることの繰り返し。F1の方が先に終わったから その後はタイガーが挽回するかどうかが興味のポイント。
ただ、終盤の3ホールあたりで優勝スコアまで縮まらないことが予想 されたので、半ば諦めてウトウトしていたらそのまま寝てしまいました。
この2週間はツールドフランスもやっていますが、自分は自転車には あまり興味がないし、時間帯がさらに遅い時間帯なので、睡眠時間を 削って見るにはちょっと・・・。
でも今回のイギリスGPでは、恐らくめったに見られない観客の乱入が あって、これによりペースカーが入ることになりました。カメラは コースを直線方向から撮影しており、その観客は進路を逆走し、そして 後姿を捉えていました。すると向かっている方向から車が向かってきて いるじゃありませんか。ぞろぞろと。幸い、彼の走るところはラインを 外したところだったから、真正面から彼をはねてしまうなんていう映像 は映されませんでしたが、ドライバーの視野は狭いから一歩間違えると 最悪のことが起きてしまいます。
何台かの車は、観客がコース上にいるとは思わないから前の車を抜こう としてラインを外すも、まさかのことが起きていることを瞬時に察して ラインを急いで戻す作業をしていました。さぞやびっくりしていたこと でしょう。こんなアクシデントでもある意味ではチャンスであり、数台 の車はすかさずピットインしていました。ペースカーが入ると稼いだ 時間がムダになるからね。ここで予定外ではありますがルーティーンを 済ますことで、ピットイン時間を効率よく使うことを考えます。
F1ではあまりありませんが、CARTやIRL(いわゆるインディ) ではこのようなピットインの取り方がよくあります。特に円周のオーバル では、このピットインの取り方が勝敗を左右します。
ま、話は変わってしまいましたが、イギリスGPの行なわれたシルバー ストーンサーキットは、厳重な警備で有名なサーキットであるにもかか わらずこのようなことが起きました。施設の問題なのか警備の問題なの かは分かりませんが、少なからずいる心無いものの対処をきちんとできる 体制が欲しいですね。
はい、今日は曇り。(東京地方)
2003年07月20日(日) |
相談する相手を間違えていないか? |
6:4ぐらいであちらが気になっているのに、4のこちらと付き合い始めた のはどうなんでしょうか。うまいこと両立できる人間ではないので、あちら のことをきちんと整理した上でこちらと付き合うのが筋なんでしょうか。
そういうことを言われても困るんだよね。 自分はそういった状況を経験してきていないからさ。
そこを敢えて言わせてもらうならば、 たとえ4でも付合い始めることを決めたのならそちらに集中できる環境を作り 上げることが大事だと思います。6の方に行けなかった何かがあるからこそ 4の方を取ったんだろうと言いたい。そこで決めきれないから悩んでいると いうのなら、どちらも手放す覚悟で6の方へ行ってみたらどうかと思います。
6の方に未練が残っている以上、自分の中では整理できないでいるわけだから 4の方に失礼だし、もし6の方がそんな状況を知っていたならば尚更です。 6の方に気があるかどうかを確認しなきゃと思います。そんなところでフラ フラするぐらいだったら、白黒はっきりしろと言いたいです。こういうものは 両方を得ることはできないんだから、自分の態度をはっきりとさせるべきです。
と、自分で無い人であればこういうことを言えますが、これが自分のことに なってしまうと同じ状況になってしまうのがこれまた・・・。人のことは言え ないんですが、自戒の念を込めて言わせてもらいます。後ろめたいようなこと はするな、と。
まぁ正直言ってそういう状況は今となっては羨ましいとしか言えません。 できるものならそんな環境になってみたいものだ。その時に自分がどう対応 するか自分でも知りたい。今まで多かったのが、好きになるべき人が近くに いるにもかかわらず別の人を好きになるっちゅーパターンでしたから、今回の この話には経験上のことはほとんど伝えることはできないけどね。いずれに しても、自分でよく考えろってことだ。いやはや。
はい。今日は曇り。(東京地方)
ハウスの意味ではなくて、ルーツです。家系のことです。
自分の苗字(名字でもどっちでもいいんですが)について調べてみると、 いろいろとおもしろいことが分かってきます。日本の苗字はその数が 膨大ですから、正確な由来は分かりづらいものが多いのですが、もしも ご自分の苗字が特徴のある(逆に言えば珍しい)ものであれば、色々な 苗字を紹介しているサイトで出ているかもしれませんよ。
今では苗字の順位を出しているサイトもあったりなんかして、自分の苗字は どれぐらいの比率(あくまで抽出データですので正確に測定したらその 数値は変わるんでしょうが、ひとつの目安にはなるでしょう)で存在して いるのかが分かります。
順位を紹介しているサイトがいくつかありますが、抽出しているデータに 違いがあれば、当然ながらその結果も違ってきます。自分の苗字も同様で、 順位は大きく変わっています。ただ、大きな目で見ればどちらにしても 自分の苗字は少数派であることには違いなく、珍しい部類に属することは 変わりません。
インターネットで苗字の由来でも出ていないかと探していますが、どうも これといった文書が見つかりません。というのも、どの地域が発祥なのかが 分からないからです。推測としては恐らく佐賀東部か二日市あたり。地名と しては二日市の東にその村が位置していたという史誌の記録もありますが、 そのようなことは親から聞いたこともなく、自分の中ではいまだに謎です。 親から聞いた以上の知識が無いからね。
やはり地元に帰って、そこから地道に追っていくことでしょうか。 今となれば、まずは親の記憶から辿っていくしかありません。そこに関係 する人々に尋ねていく中で、話を整理していくことになるでしょう。これも 時間が過ぎれば記憶もなくなっていきますし、所詮記憶ですから曖昧になっ てしまって正確性が落ちてしまいます。まだ親の頭が鈍る前に聞き取り調査 をするべきでしょう。気になることは気になっているうちにスッキリとした いものです。例え答えが出てこないとしてもね。
苗字もそうですが、家紋も謎ですね。ていうか、家紋は何だったのかすら 記憶もしていません。そのあたりは親も多くは語ってくれませんでしたし、 自分も問うたことはありませんでした。確か桐が三つだったかな、三つと いうことは分家だったのかもしれないな、なんてことしか覚えていません。
最近は、なんとなくですが、「家」というものに感じるものがあります。 ひとりものなんですが、なぜなんでしょうね。
はい。今日は曇り。(東京地方)
すっごいヒマな1日で、ウトウトとすること数えきれず。 席向かいのオジサンもヒマそうでヒマそうで・・・。
まぁ、ヒマになてきたってことは、引継ぎが順調に進んでいると考えた方が 良さそう。今まで自分たちがやってきた仕事を引継ぎ先に移しているその 結果が出てきたということ。引継ぎがうまくいっていないと、当然のこと ながら、客先から対応の悪さを指摘され、それこそ改善命令が出ます。
仕事を渡しているのですから、自分たちが客先と約束をすることはできま せん。責任が取れませんから。だから全面に立って客先と接する場面は 無くしていかなければなりません。あくまで引継ぎに伴う不完全な部分を 埋めるべくサポートしていくに留めることになります。もちろん、以前に 客先と約束していたことは自分たちの義務が残っている期間中は履行する 必要はありますが、その期間が過ぎれば手を出すことができないので、 完結できないものは引継ぎをすることになります。仕事を任せるわけです から、それなりの対価を支払って、代わりにやってもらうことになります。
全ての受注業務は9月までで終わります。10月からは引継ぎ会社が全面的 に契約当事者となり、我々は引渡しの済んだ案件の代金回収だけになります。 そんな事務的なことはやり方さえ覚えれば誰でもできることですから、特定 の担当者をつけなくても、その時期にいる人間がやればいいようにしておく ことが必要です。自分でなくてもできるようにしておく。こうしておくこと で、いつでも自分は異動できる状態にしておくつもりです。
自分の行き先が決まっているのかそうでないかは上司のみぞ知ることですが、 もし行き先が無いとしたらその時には会社を辞めてプータロになるしかありま せん。今のところは楽観的ですけどね。ここまでやってきて失業してたまるか ってな感じでもあります。
この9月までに業務を完全移管するのが我々に与えられたミッションです から、毎日を忙しく過ごすことの方がおかしい状況です。隣に座っている 同僚は、すっかりやる気を失って頭が痛い病の再発です。仕方がないといえば それまでなんですが、それはそれとして何か資料作りでも勉強でもすれば いいんでしょうけどね。
かくいう自分は後処理に出てくる始末をつけなければならないので、それらを 整理したり、抜けていたりしないかをチェックする役目。事業終了時には BSやPLをきれいにしなくてはならないので、これから数字の見直しです。 実はここが一番頭が痛いところなので、自分一人だけではなくて、専門の 人間を巻き込んでやることになるでしょう。そのための足場作りだけはして おかなければなりません。
そんなこんなですが、あれこれ考えずにヒマにする時もあっていいかと。 ヒマにしてても、仕事をサボっているわけではないんだよー。さてさて。
もしかして、これって「グチ」?
はい。今日は曇りときどき雨。(東京地方)
2003年07月17日(木) |
年を感じたり・・・。 |
昨年からなんですが、会社で成人病検診(35才以上)を受けるようになり、 とうとう自分もオジサンの仲間入りかと感じます。周りは年配のオジサンたち ばかりで、レントゲン車の中なんかはオジサン臭で充満しています。自分も そろそろこんな臭いを発するのかといささかがっかりです。
というのは午前中で、昼から横須賀で3社の打ち合わせ。 相手は引継ぎ会社とアメリカ人。アメリカ人とはいっても中国系。 見た感じは日焼けしたにーちゃんという感じ。でも学歴があるからでしょうか 洗練された英語をしゃべります。とても怪しい中国人といった感じではありま せん。スマートさを感じました。
まぁ引継ぎ会社の人間が何をどうしたらいいのかがピンと来ていなかったから こちらがどう進めていくべきかをレクチャーして、それに即した形で進めて いってもらうことになります。子供じゃないから余計な心配は不要ですが、 客先に迷惑をかけるわけにはいかないから、客先に根回しして、あらかじめ お断りをしながらスケジューリングをしてあげる。引継ぎ期間である9月まで は仕方がありません。案件の進め方を勉強してもらいましょ。
打ち合わせが終わって、しばらくダラダラしていたら終業時間になり、その後 横須賀の職場の面々と飲みに行って、電車の時間を気にしながら帰ってきま した。なにせ2時間半コースですから。10時にお開きして12時半前に辿り つきました。乗り継ぎが良ければ2時間で帰ることができるんでしょうが、 少しでも座って帰りたかったので、ちょこちょこ時間調整をして電車を選んで 帰りましたので、やっぱり2時間半かかりました。
というわけで、睡眠時間もなくなってきましたので寝ることにします。
はい。今日は曇りときどき晴れ。(横須賀方面)
2003年07月16日(水) |
桃太郎は怖い人だった? |
カラッと晴れることもなく、ザーっと雨が降ることもなく、なんとも すっきりとしない梅雨時ですが、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。
さて今日の「トリビアの泉」で低得点だったものの中に、
”童謡の「桃太郎」。この歌の中で桃太郎は鬼に容赦しなかった。”
歌詞を見てみましょう。
「桃太郎」 作詞:不詳 作曲:岡野貞一
桃太郎さん 桃太郎さん お腰(こし)につけた 黍団子(きびだんご) ひとつわたしに くださいな
やりましょう やりましょう これから鬼(おに)の 征伐(せいばつ)に ついて行くなら あげましょう
行き(いき)ましょう 行きましょう あなたについて どこまでも 家来(けらい)になって 行きましょう
そりゃ進め そりゃ進め 一度に攻めて(せめて) 攻めやぶり つぶしてしまえ 鬼が島(おにがしま)
おもしろい おもしろい のこらず鬼を 攻め(せめ)ふせて 分捕物(ぶんどりもの)を えんやらや
万々歳(ばんばんざい) 万々歳 お伴(おとも)の犬や猿雉子(さるきじ)は 勇んで(いさんで)車(くるま)を えんやらや
これは略奪の典型ですね。鬼よりも鬼らしい桃太郎でした。 もしかして桃太郎は海賊だったのかも。島へ向かいますからね。 瀬戸内らしい歌詞とでもいいましょうか。海賊が横行していましたから。
でも歌詞としてここまではっきりと略奪を歌っているとは知りません でした。よく見ると童謡には不思議な歌詞がたくさんありますよね。 「かごめかごめ」なんかもそうです。
「かごめかごめ」 作詞/作曲 不詳
かごめ かごめ かごのなかの鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に つるとかめと すべった うしろの正面だーれ
言葉の繋がりが理解できませんね。 「かごめ」って篭目ですか?「かこめ」ですか? 「夜明けの晩」っていつの時間帯でしょうか? 「つるとかめと」すべった? 「うしろの正面」って真後ろのこと?取り様によっては自分のこと?
どうやら「つるとかめと」は鶴と亀ではなさそうです。 ミステリアスな歌詞ですが、それもどうやら違うようです。 意味の合わない言葉で遊んだようです。もともと意味に整合性のない 歌詞であると理解した方が良さそうです。
あるテレビ番組では日光東照宮に関連するコメントがありましたが、 想像の域も見方によっては幅が広がります。でも意味も分からずただ 覚えただけの歌詞だからこそ童謡として長く伝えられるんじゃないで しょうか?理解しようとしたら、通じる言葉に直してしまうかもしれま せんからね。
地方によっては歌詞が違っているかも。
はい。今日は曇り。(東京地方)
2003年07月15日(火) |
小さい頃の記憶と豊かさ |
いつの時代でも生活を良くしたいという思いで熱意を持った人たちが いるからこそ成し遂げられることが多いものです。もちろんそこには 国や自治体のバックアップがあってこそできるという側面もあります。
戦後の日本は敗戦国であり、また途上国でした。 財政も貧弱で、世銀の融資がなければ国家プロジェクトが遂行される ことすらできませんでした。今日のプロジェクトXをご覧になった方は お気づきになったでしょうが、東京オリンピックが行なわれる前まで、 高速道路すらできていなかった現実があります。自分のかすかな記憶を 辿ると、昭和40年代の地方の国道はまだまだ砂利道でした。
自分の家は国道に面した家でしたが、当時の道には雨が降れば穴ぼこが あき、晴れれば砂埃の立つ未舗装道路で、今を考えると想像ができない ぐらいに車にも人にも劣悪な環境でした。小さい頃はそんな環境であっ ても、その環境しか知らないわけだから、それが悪いとは思いませんで した。むしろその環境に合わせて暮らしていたんでしょうね。
やはり生活範囲が狭いということは、外の世界を知らないことによる 不利益を被っていることです。しかし歳を重ねて情報量が増えてくると 自然と外の世界が見えてきます。そうなると今まで変わらなくてもいいと 考えていた今の環境に不満が募ってきて、こうありたいと思うように なります。それをどこに求めるか。他人に求めるのか自分でやるのか。 やはり地域の行政に求めることになりますね。この流れが大きくなると 世論となります。地域をより良くすることは国を良くすることに繋がり ます。ここに政治家の活躍する場ができます。
どん底の生活から這い上がってきた日本も、今では豊かさが飽和してきた 感じがあります。経済成長の底流には、より良くしていきたい、より良く ありたいという熱意から来ると思います。モノがなかった時代からモノが 飽和して、次に来るのはモノが要らない世界になるのでしょうか。モノが なくても充分生活していける暮らし。想像できますか?
武蔵は五輪書の中で、多すぎると思えるぐらいの道具を使える方が、使え る道具が少ないよりは遥かにいいと言っていますが、これは個人の力量の ことを言っているわけで、道具の多さを勧めているわけではありません。 物量が増えたからこそ、より個人の力量を上げろということを言っている ものだと理解します。
モノが増えたから生活が豊かになったというのは早計であり、そこに人間 そのものがついていかなかったら、それこそモノに振りまわされることに なりますので必要悪になります。人間も変化を求められる、つまり柔軟に 対応することが求められるということです。豊かさも時間が経過すれば 陳腐化していくのは世の常です。戦後から20年は物量が豊かさの証明 でしたが、今ではそれが時間に置き換わっていると思います。この次は 何になるのでしょうね。
まぁ色々と書いてきましたが、これは「豊かさとは何か」という問いに 繋がってくることですから皆さんもいろいろとお考えをお持ちでしょう。 物質からのアプローチと心からのアプローチではその方法が違いますから それぞれについて考えてみることにしましょうかね。いつかまた。
はい。今日は曇り。(東京地方)
2003年07月14日(月) |
区別のつかない官僚たち |
TVタックルで取り上げられておりましたが、財務省の地下にあるコンビニで 売られている商品のお値段は、我々が購入している値段の11%引きだそうな。 その値引きの原資は、取るはずのテナント料を徴収しないことで実現していると。
これは勘違いもはなはだしい一例。 国民の税金はオレのものと勘違いしているということです。
所有権について、今読んでいる本の文章から引用すると、
”わが国においては資本主義的所有概念は今に至るも確立されていない。 占有(occupation)と保有(possession)が不可分という中世の考え方。理非は 論ぜず、現実的支配が即所有であるのが日本における所有である。” 「数学嫌いな人のための数学」小室直樹 東洋経済新報社 2001年10月初版
厚生労働省の坂口大臣も認識はしているものの、厚生年金保険料で建築した いわゆる「箱もの」に代表される保有物を、小学生でも買えるような破格の 値段で売りに出している物件に対して、「平成17年度までに売らなければ」 などという言い訳をして、投入資金を無視した売値の設定はいかがなものか。
不良債権と化した保有物を構造改革の一環と称して常識ハズレな価格で売りに 出すことも、厚生年金保険料はだれが支出したものなのかを全くもって認識 していないことの表われです。これも占有と保有の分離ができていないことの 証明です。国民のお金を預かっているだけの身であるにも関わらず、国の所持金 であるかの如く扱うこの神経が疑われます。
お前のものはオレのもの、オレのものはオレのもの。 これがまかり通っているのが国家財政の運用だと知れば、誰でも黙っている ことはできないでしょう。だからこそ、両親は自分に対して公務員になれと 学生時代に言っていたのでしょうか。特に国家公務員にね。
基準内賃金は公務員も民間も大した差はないのですが、手当てや福利厚生に 大きな差があります。あの手この手で手当てを付けたり、遥かに条件のいい 住居に安価で住むことができたり、天下りによって幾重にも支払われる退職金 なんかは周知の事実でしょうから、この場で詳しくするまでもないでしょう。
これは公務員だけが悪いということではなくて、日本の法制度自身に資本主義 の考え方がまだまだ導入しきっていないことの表れですが、いわば官僚はこれを 悪用しているという言い方が馴染むかもしれません。
たとえば、オーナーに口を出させないコンビニの店長とか、自社株を保有しない 役員による企業経営とか。身近なところでは賃借している部屋の使用とか。長年 使用していると既得権ができたりとか。所有者と使用者の区別がつかないという ことです。こういった区別のないのは宗教の違いによるというのが前出の小室氏 の考えです。詳細は前出の著書を読んでね。
まぁ、会社の事務用品やパソコンを適当に使い散らかしている自分たちですから とやかく他人のことはいえませんが、少なくとも会社勤めであれば期間損益と して収益に計上されるわけですから、そりゃ個人的な物品使用に関しては厳しい 罰則があるわけで、より公的と私的の区別はきちんとされていると思います。
そういうわけで、借りたお金や借りた本はきちんと所有者へ返しましょうね。
はい。今日は曇り。(東京地方)
やっぱり時々会っていないと顔って忘れられるもんだなぁ、と。 逆に、顔は覚えられていないけど、名前は知られているっていうのも なんだかむずがゆいというかなんというか。というか、お祝いを差し 出した時に書いている名前を見て、東京から来た人間だということが 分かっただけでも事前の連絡が行き届いているというか。>受付にて (あ、でもお祝いは差し返されました。ご親族以外は受け取らないって いうお二人の配慮だそうです。)
「しむちゃん(仮称)、わざわざ東京からお越し頂きありがとうござい ます。控え室でお休み下さい。」
と、受付で言われたので休憩していましたが、周りはどうやら親族の 人たちで一杯。場違いのような気もしましたが、入ってしまったから ここで出て行くのも変だと思ってそのままテーブルにいましたが、 時間になって呼び出しの時の言い方が、
「ご親族の皆様、お時間ですのでチャベルの方へお越し下さい。」
やっぱり親族の待合室じゃん。ここ。 お友だち風の人やら劇団員の人がいなかったから、そうかもしらんとは 思っていましたが・・・。通されたのだから仕方がないですね。
自分は新婦の姿を見に行ったのですが、新郎も存じ上げていました。 同じ劇団員とは聞いていましたが、数少ない顔を覚えている彼だった。 新婦からはきっと見覚えあるよと言われていましたが、本人の顔を 見てようやく分かりました。
そうか、この彼が「エンピツ」に自分の日記をお気に入りで登録して くれている彼だったのか。申し訳ないことに、彼の名前と顔が一致して いなかったのね。いやいや申し訳ない。遅まきながら彼の日記をお気に 入りに入れておこう。どうりで各地の旅レポートになっていたわけだ。
式は人前式で行われ、名(?)司会のおかげで粛々と進行されました。 司会の兼松さんも、新郎新婦も役者であるからか、声の通りも良く、 マイクも不要な素晴らしい活舌だった、かな?
結局タイミングを損なって本人たちに声をかけることはできませんでし たが、幸せそうなお二人の姿を見れただけでも充分です。自分が現地に 来ていたことをお知らせできなかったことは残念ですけど。
早々においとまして、夕方には自宅へ無事到着しました。 行きも帰りもそうでしたが東京から静岡までは雨。名古屋の近所だけが なんとか雨も降らずにいましたから、これもお二人の日頃の行ないが いいからなのか。それにしても良かったね。おめでとう。
はい。今日は曇り。(名古屋地方)
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