■■■ ぽっちーの独り言 ■■■... pocchyland presents

 

 

旧態依然な浦島太郎 - 2006年03月14日(火)

未だにこんなやり方が通用しているのか・・・?と、全く持って不思議で堪らない。もっともっと世の中の変遷を身を持って体験しないと大変なことになるよ!典型的な御用聞き営業のスタイルには呆れ果ててしまった。

私が普段接している世界では私語に近いスタイルであるが、未だにこういう手法しか知らない性というか、それが真っ当な方法と思い込んでいる考え方は到底理解に苦しむ。

仕事の中身も分かり易く例えれば微分積分の理論を語っている時に加減乗除を語られても困ってしまう・・・ということである。


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【yanai ism】・・・いつまで経っても忘れぬ思い - 2006年03月13日(月)

昨晩は最初に勤務した設計事務所の恒例のOB会が浜松・館山寺温泉に於いて行われた。参加者は22名だったが予想通り今回も私が一番年下であった。入社前に既に退職されていた先輩もいれば、一緒に仕事をさせて頂いた先輩、本当に雲の上の存在だった怖くて声も掛けられなかった先輩・・・。そういうメンバーの中に参加させて頂ける喜びを感じると共に、その会社の一番いい時期を過ごせた誇りと感謝の気持ちを忘れてはいけない。

ここでも何度か綴ったことがあるが、その会社は普通では考えられないような発想で独特のスタイルを構築し、人材育成に於いては非常に秀でた企業であったと思う。とにかく全て出来て一人前で、今でこそ分業制となっているが先発してマウンドに上がったらゲームセットのコールを聞くまではマウンドを降りることは許されない。万が一降りてしまったら半人前という評価が当たり前。みんな必死だし、厳しい規則や決まり事の中で本当に一生懸命に頑張った。

まあ怖いもの知らずというのが分かり易い例えかもしれないね。若くして支店を任されとにかくやるしかない。当時は競ってその立場になることを目標に寝る間も惜しんで一心不乱に仕事をしていた先輩方を見て育っていったものである。只、そういう風潮も私が入社する数年前位から次第に変化し、守りに入る社員が目に付くようになってしまった。そんな中で私は恵まれていたのかなと思っているが、本当にギリギリというか既に風潮が変わりつつある中での入社だったが、いろんな意味で多くの先輩方と接する機会が多く、その方々の姿勢や思いを見ながら年月を費やしていくことが出来たのである。

私の入社後何年かすると当時の先輩方がドタバタと辞めて行ってしまった。今から思えばその社内の変化に気付き去って行ったのかなと・・・。でも、残った先輩方の多くはその更に先輩方の思いを継承し【yanai ism】を守り抜いていったのだと思う。そういう良き伝統を見て学んで実行出来た最後の世代が私であり、これからもそれを忘れることなく自分自身の誇りとして守り通していきたい。

当時は雲の上の存在で話なんかしたことなかった大先輩が「参加してもらって本当に嬉しいよ!」って声を掛けて下さった時は嬉しくて堪らなかった・・・。その会社で学んだ人間は大抵のところで通用すると言われた位にいろいろなことを実戦で経験し、失敗しながらも育てて上げられていったのだと思うが、経営者からすれば一種の冒険でもあっただろう。だって物凄いリスクを背負っている訳だからね。そういうことって中々出来ることではないと今の年齢といろいろな経験を重ねてきた中で感じるのである。

しかし、私が辞めた14年前には新たにその思いを継承する人間はいなかった。いわゆるサラリーマン技術者だよね。私が見てきたのはそういう人達ではなかった。文句を言いながらもとにかく我武者羅に目の前の仕事を片付けていったし、【yanai ism】というものを守り抜くことが生き様とも思えるくらいだったと思っている。ここ1〜2年で最後まで残っていた先輩方が一気に辞めてしまい、今や何の魅力も興味を感じなくなってしまったのはそこから巣立った者としては寂しい限りである。

とある先輩が言っていたが「誰も皆、当時のまま変わらず年だけ取ったんだよ」って。将にその通りかもしれないね。髪の毛が薄くなったり白髪が増えたりしているが私が記憶している当時のままだったし、変わらずそのまま年輪を重ねてきたんだなと・・・。今回も参加したのは熱い人間ばかり・・・冷めた人間なんていない。その思いがあるから参加しようという意識が働くのだろうし、私も予定が入っていたが何とか調整して参加することが出来たのである。

仙台から参加した先輩と共に地元の先輩の車に便乗し3時にはチェックイン。風呂に入るにも早過ぎるし、とりあえず飲もうかということで冷蔵庫の缶ビールで久々の再会を祝して乾杯。既に私は朝の車中で缶ビールを飲み、島田のお店で日本酒を飲んでいるので半分出来上がっている状態。6時半からの宴会では流石にそれほど飲まずに大人しくしていたが、9時からは部屋に集まりいつもお世話になっている酒屋さんに手配した焼酎と日本酒を飲みながら当時の話や近況報告などをし、熱い激論を語る先輩や既にヘロヘロになった先輩もいたりしながら時計は12時を廻っていた。

何人かは自分の部屋に戻って床に就いたが、残った6〜7人は3時まで熱く語り合ったのである。一番の年長者である当時の専務。今でもみんなは名前ではなく専務と言っているが、自ら宴会の司会を買って出てパワー全開!大丈夫なの?ってみんなが驚くほど元気だった方も3時まで全開モードでした・・・。それにしても凄いパワーである。当時は専務が支店に来た際、5時過ぎると同時に「お〜い、誰か缶チューハイ買って来〜い」と。その当時は私は今からは想像も出来ないが酒を口にすることは殆どなかったのである。だから買いに行けと言われても半ば嫌々状態であった・・・。

そういう思い出も蘇り名残惜しいが各部屋に戻って寝ることにしたのであったが、3人で部屋へ戻ると布団が二つしか空いてない・・・。アレ?一人多いぞ!5人部屋で二人が先に戻っているので布団は三つ空いていなければならないのだが、酔っ払ったのかどうか他の部屋の先輩が寝ていたのである。どうしよう・・・?じゃあ飲む?って感じで更に飲み続けることにしたが冷蔵庫には酒が残っていない。財布を片手にフロントまで行きベルを鳴らすと奥の事務所ではなく、ロビーの方から「何ですか〜」とあきらかに不機嫌そうな声がし、「館内で何処かお酒売っているところないですか?」と聞くと「酒はないがビールならある」だってさ。なんじゃそれ!って昼間なら突っ掛かっていたが流石に夜中の3時に起こしてしまったんだからグッと堪えて自販機の場所を教えて頂き缶ビールを抱えて部屋に戻り、小さなコタツを囲んで3人で先ほどの続きを・・・。

このとき既に私は6次会・・・。

1次会  朝から車中で・・・
2次会  島田のお店で・・・
3次会  部屋で先輩と・・・
4次会  メインの宴会・・・
5次会  専務の部屋で・・・
6次会  部屋に戻って・・・

朝7時45分に缶ビールのプルトップを開けて、最後にアルコールを口にしたのが翌朝6時過ぎ・・・。一体何時間飲んでいたんだい?7時半には起きて朝飯の為に大広間へ集合である。その後はそれぞれ現地解散となり車で浜松駅まで送って頂き、仙台から来た先輩と10時の新幹線に乗ったのである。


在籍中に貰った辞令が9枚。その内の一枚は激怒してその場で破り捨てしまったこともあったが、5と6の頃は蟄居幽閉の不遇の時代でもあった・・・。

1 仙台生産事業部
2 本社企画室
3 金沢設計室
4 東京設計室
5 浜松設計室
6 本社企画室
7 東京設計室
8 長野設計室
9 横浜設計室

普通の企業は何かをしでかすと地方へ飛ばされるのであるが、この会社は本社か名古屋へ飛ばされるのである。そこで一から叩き直され支店へ戻されるという一種独特のシステムである。ご多分に漏れず私も社長と仲良く?なり過ぎてしまい、更に仲良くなりたいが為に社長の目の届く範囲に置かれ辛い日々を送ったものである。まあ、今から思えばその時代があったからこそ今があるとも思っているのだが、そういう小生意気な若造だったからいろいろな先輩方との接点が出来て違った意味での有名人となった。

社長から「なんでお前はそんなに石頭なんだ!」って言われ続けた日々。諸先輩からは「八角形の石川」と呼ばれ、当時のことを思い出すと恥ずかしくなるくらいに偏屈な人間であった。大分丸くはなったが、今でも絶対に変えたくない点は意地でも変えないとか、強い拘りとかというのは当時の性格を引き摺っているとのだと思う。

本当にいい会社に入ったな・・・と思っている。全ての基礎はそこからスタートしているし、厳しく半ば理不尽な言い付けもあった?かもしれない社長の教えも、今では感謝の気持ちしか残っていない。最後の【yanai ism】の世代として決して忘れてはいけないと教えだと思う。でも、私の後から入社した後輩たちは可哀相だったかもしれない。一番いい時代のあの会社の良さを知らぬままに只単に流された中での仕事しかしていないのだから・・・。辞めた人間の殆どが独立開業しているが、今残っている人達の中にはそういう度胸も思いもないのだろうと思う。

今日集まった先輩方がまだ残っていたらどういう会社になっていただろうか?とふと考えてみたりもしたが、多分収拾つかないくらいに大変な状況になっていたかもしれないね。【yanai ism】を守りながらも個性が強過ぎてまとまりがつかなくなっていたかもしれない。ある意味組織には属せないタイプだから独立するんだろうし・・・。


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島田のお店で昼酒を! - 2006年03月12日(日)

今日は最初に勤務した設計事務所のOB会が浜松の館山寺温泉で行われるので朝一番にて横浜を出発し、島田にて途中下車して以前手掛けたお店へ行くことにしたが、本当は夕べの内に移動して夜に行きたかったのだが打ち合わせが長引きそれが叶わなかったのである。

ネットで調べたら新横浜まで移動し新幹線に乗るのと、横浜から在来線の特急列車で行くのとで島田に着くのは同じで、それなら新横浜までの移動等や乗換えを考えたら在来線の特急の方がいいと思い7時41分横浜発の「ワイドビュー・東海1号」に乗ることにした。週刊誌(袋綴じのないやつです)とお弁当と缶ビールを買い乗車。最後尾の席が空いており、そこに座ることにしたがこの一番後ろの席が一番落ち着くのである。

缶ビールをプシュッて開けてまずは一気にグビグビと!朝一番のビールって久し振りであるが旨いもんである。喉を擦り抜けるときの爽快感は夜に一日の疲れを癒すための最初の一杯とは異なる良さがるね。お弁当のおかずを肴に少し曇りがちな空を眺めながらのんびりと静岡までの約2時間の旅がスタート。流石に朝なのでロング缶一本だけにしたが気分は爽快である。静岡に定刻通り9時35分に着き、次は各駅停車に乗り換えです。反対側のホームなので乗り換え時間1分でも大丈夫で、ここから島田までは約30分である。

地方へ来ていつも思うのは中吊り広告の少なさである。都心にいれば沢山の中吊り広告が当たり前で、それを見ながら時間を潰すことも出来るし、車内が華やかに感じるのであるが、それらが疎らに吊り下げられているとちょっと寂しさも感じてしまう。それだけ都会と地方の格差があるということなのだろうか?人が少ないから広告費を掛けるのも躊躇してしまうだろうし、費用対効果ということを考えたら当然なのかもしれない。

島田に10時3分に着き、そのまま真っ直ぐお店へ行こうと思ったが、久し振りの島田なので少し近隣を散策することにした。新しいお店も数軒出来ていたし、更地になっている場所もかなりあったのでこれから開発が進むのであろう。静岡と浜松という地方では大きな商圏に挟まれている町なのでどうしても空洞化が目立ってしまうのは否めないが、駅からちょっと離れた再開発の街づくりが行われた区域もイマイチ活気はないし、これから残された開発が進んでも実際にどれだけの効果があるのだろうかと少し疑問に感じてしまう・・・。

散策後にお店へ向かい店頭付近をウロウロしているとご主人に見つかってしまったのである。いきなり入って驚かそうと思ったのだが気付かれてしまってはお終い・・・。スゴスゴと店内に入りご挨拶。ご夫妻とは一昨年秋の会合の際にお会いしたが、お母様とは4年振りくらいの再会である。そうなるとお店に来るのも4年振りくらいになるということで、その歳月を経て来た店内はいい感じに味が出て来ていた。床材は昔の学校の校舎の床をイメージしたもので、段々と照かり具合がいい味わいになっている。

暫くお店の状況やこれからの方向性などを話し、11時半の営業時間になったので席に座り一杯やることにした。車中で缶ビール1本飲んでいるが不思議と酔いは消えている。最初はビールかなと思ったが時間もないので「人肌恋し」という山廃仕込みの酒をぬる燗で頼んだ。肴は「鴨和さ」と「桜海老のかき揚げ」。お酒は木の箱にお湯を張った特製の酒燗器で出されたが昼からこういうのっていいね!昼酒万歳である!

お酒はいい具合の燗である。流石にお酒に関して勉強も努力もされているのでこういう点に於いては安心感がある。続いて「初亀・純米吟醸チタンタンク仕込み」という一風変わったものを飲んでみることにしたがこれもまたいい味わいである。暫くすると奥の方から奥様が一升瓶を抱えてやって来てグラスにそれを注いで下さった。一口飲むとこれまで味わったとのない感じの酒である。大阪の「秋鹿」の酒であるが市販はされていないようで、特別に限定で仕込んだものを分けて頂いたらしいが、秋鹿のイメージからは掛け離れた面白い酒であった。

こういう美味しい酒を飲ませてくれる店は飲兵衛からすれば本当に有難い。酒を分かる人だから出来るセレクトだし、定期的に行われている日本酒の会も美味しいお酒を数種類用意し、それに合わせたお料理と共にコース仕立てで順番に楽しんでいくのである。何とか一度参加してみたいと思っている。そろそろ時間も迫ってきたので〆は「三種盛り」を頼んだ。「生粉打ち」「手挽き」「変わり蕎麦(更科)」の三種であるが、嬉しいのが順番に出してくれるということである。丁度いいタイミングで順番に茹でて提供してくれるので伸びた蕎麦を手繰るということはない。

ここは「天せいろ」の天ぷらは順番に揚げたてのものを出してくれるし、アツアツのうちに食べることが出来るのである。本来は面倒くさいと思われることをやるのがお客様の方を向いたサービスということである。実際には「おもてなし」という飲食店として大切なものをしっかりと考えたサービスが如何に疎かにしているところが多いか・・・

町自体の地盤沈下が著しい厳しい立地条件ではあるが、こういう基本的でありながら忘れ掛けている本当に大切な「おもてなし」をしっかりと続けることによって店が維持されていくものだと思う。今回は昼だったが極力外光が入らないようなつくりになっているのでいい感じの中で究極の昼酒を堪能できたが、今度はやはり夜に来て奥にある妖艶な灯火に照らされている「秘密の個室」で堪能したいと思う。

名残惜しかったが時間もきたのでお別れして駅へと向かったのである・・・。


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