マーケティングの必要性は・・・? - 2005年11月08日(火) 大手の飲食店や量販店などはマーケティングに結構なお金を掛けている。それは必要性があっての投資であるし、規模が大きくなればなるほどマーケティングの重要性というものが大切になってくる。しかし、ご夫婦で営むような小規模の個人店では現実的にそれが何処までの必要性があるか? たまに開業希望者の方でマーケティングを専門業者に頼もうと思うが・・・という話しを聞くことがあるが、実際に何処までの金額が掛かるかにもよるが、何十万も掛けての調査は必要ないと思っている。50坪60坪とそれなりの規模での開業や出店ならいざ知らず、10数坪で15〜6席しかないような規模でマーケティングしたところでどれほどの重要なる調査結果が得られるかということである。 以前、マーケティングを勉強したことがあるが、あくまでもあれはデータの集積であり、その数値を言葉に置き換えただけの調査結果が多い。ましてや蕎麦屋なんかはそのお店の個性が重要なのであって、近隣に競合店があろうが気にせず頑張っているお店は多い。マーケティングの理論には勿論「個性」などという評価項目なんて存在し得ないし、そういう理屈でいけば例えば山の中での出店など絶対に在り得ないことになる。しかし、現実的にそういうお店は存在している。 そして、一等地ではなく裏路地の隠れ家的なお店などは出店不可能という答えしか返って来ないだろう。簡単な市場調査や競合店調査は自分でも出来るはずだし、あえて多額の投資をしてまで専門業者に頼む必要性はないと思っている。 - 「確認」という意識と「想像」という無意識 - 2005年11月07日(月) 物事で分からない点があれば何らかの手段を取って確認するのが常識ある行為であると思う。しかし、それを確認と言う行為を怠り想像の中で勝手な判断をして先に進んだとしたらどういう結果を招くことになるか?答えは明白であろう・・・。 これまでの経験値から言えることは店舗専門の施工業者さんは不明点があれば設計事務所への確認をした上で進めていくが、工務店さんや大工さんは自分自身の判断により勝手に解釈して進めてしまうというケースが多かった。結果的にそれはやり直しとなったり、現場に嫌な空気が流れてしまったりとあまり良い状況を招くことはない。普通に考えれば分からない点は「確認」という行為をすることによって改善することが出来るのであるが、その行為を考えず、自らの判断によって「想像」だけの解釈で進めてしまう行為は言葉は悪いが、私には愚かなるものとしか思えない。 どうして確認しないんだろうか? 分からないから勝手に判断してどうするの? 私にはどう考えても理解できない行為である・・・ 特に緻密な納まりや詳細を求めるデザイナーズショップに於いては「確認」という行為は最優先事項として考えなければならないことである。そういう仕事に慣れているか、慣れていないかが最終的な仕上がりにも影響してくるものである。それを嫌というほど経験してきているので業者選択に関してはシビアに見るし、そういう経験値というものも重要なる要素となる。 例えば料理人が分量をしっかりと計量(確認)して作るタイプと、目分量(想像)で作るタイプとがいると思う。後者でも経験豊富な人ならある程度の精度で完成させることが出来るであろうが、それほどの経験がない場合はやはり完成度は低くなるのではなかろうか?現場での実績は豊富でも内容が異なると、これまでの経験値だけでは判断付かないことが出て来るものである。そこで迷った際にどういう行動に出るかが重要なのである。経験値だけでの判断は結果的に誤った判断となるなることが多いし、多くの無駄を発生させてしまうことにもなってしまう。 「想像」での判断が仕様変更をせざるを得ない結果となることに何処まで理解しているのだろうか?また意識しているのだろうか?でも、こういうことって必ずと言って良いほど、こういうケースに於いては起こってしまうんだよね。 「モノづくり」の意識の違いと言うか、「拘り」を求める場所の違いでもあろうか・・・?こういうことが起こる確率が高くなるから今回の決定となったんだけどね。完全なる線引きが難しいから取り合いが出て来てしまうし、こういう結果となるのである。 それと言えることは「確認」は意識して行う行為で、「想像」は無意識で行う行為あるということ。無意識というのは極普通の業務の流れの中で深く考えずに行っている場合が殆どなので、決して悪気があって行っている行為ではないし、残念ながら追求したところで本質の改善も問題の解決も出来ないのである。 でも、たった1本の電話で済むことなのにね・・・ - 「気持ち」で仕事をする - 2005年11月05日(土) 私は仕事と割り切って何でもかんでもするのは性に合わない。そこにあるのは意気に感じてのものだったり、気持ちがそうさせたりという何か自分自身を動かすものがあるから行動に移せる。サラリーマンではないので自分の責任に於いて自分の判断でそれを自由気儘に出来るのがフリーな立場の特権でもある。 しかし、その「気持ち」が何らかの障害で目の前に立ちはだかったりすると中々先に進むことが出来なくなってしまう。とあるお店に於いての数々の問題は正直言ってその気持ちを分断させる要因として大きく立ちはだかっている。図面を描こうにも気持ちが入らない・・・。気持ちが入らなければ良い案など出て来るはずもない。 本当に大きな壁として大きな障害となっている・・・。理解出来ないことがあまりにも多過ぎるのは何故なの?原因として考えられるのはほぼ特定は出来ているが、それが事実だとしたら許し難いことである。一般的に考えてその溝というのは確かに存在しているのは事実であるが、私はそれを埋める為に、またそれを発生させない為の努力を惜しまない心算であるし、双方を対等に置くことで一つのプロジェクトが完成するものと思っている。 しかし、今回起こっている問題の根本的なる要因は悲しいかなそこにある「溝」なのである・・・。 「建築」と「店舗」・・・まだまだ店舗設計が甘く見られているということである。そして「店」というものがどういうものかを上っ面からでしか見ていないからこそ起こる問題でもあると思う。 -
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