■■■ ぽっちーの独り言 ■■■... pocchyland presents

 

 

変わってきたかな? - 2002年07月03日(水)

考え方を変えるには意識して取り組まないと変化は起きない。それには素直な「心」になるのが一番だと思う。まずはそこからのスタートということになる。

学ぶということはどういうことか、何の為に学ばなければならないのかを自分自身がきちんと理解できれば方法は生まれて来るはずである。多くのことを吸収するのは悪いことではないし、それをどう活かしていけば良いのかを考え、自分のものに変えていけばいいのである。

それは大きな宝となって今後のことに役立ってくると思う。そしていつの日か必ず必要になることがやって来るはずである。その時の為に今が大切なのではと思う。


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校正 - 2002年07月02日(火)

今度掲載される雑誌の原稿が届いた。4軒分の校正を行ったが、それぞれのお店に確認しながらの作業だったので思ったよりも時間が掛かってしまった。

その中でどう表記してよいのかがわからなくなったことがある。蕎麦粉のつなぎの割合で、二八とか外一とか一般的に表現されている割合はいいが、3割のつなぎはどう表現すればいいんだろうか?お店の方は七三という表現をし、原稿もそのように書かれていたが、二八はつなぎの割合が先にきているからそれを考えると三七となる。語呂も悪いしなんだか良くわからない気もして、結局は七三でも三七でもなく蕎麦という表現だけにしましょうかということに落ちついた。

それと感じたのが、それぞれのお店のつなぎの割合は皆異なるし、その理由も同じように異なっている。それを読者がどう理解出来るのであろうか、ちょっと不思議になった。だから難しいよね、こういうことを表現し理解させるのって。プロに対してだってそれぞれ自分の考えに基づいて決めているのだから難しいのに、それを素人が読んでその違いをどう自分で判断出来るのか?

二八と三七でイメージからすれば前者の方が美味しく感じる。しかし、実際はその限りではないのだから三七と表現されることによって、そこの蕎麦の品質が悪いと評価をされるのが怖かったということもある。

それと何処までを手打ちと言っていいのか、機械だから美味しくないというのも間違っているし、石臼で挽いて手打ちでもまずいところは沢山ある。手掛けてきたお店の中では手打ちでないのに「手打ち」とうたっているところはないが、巷には山ほどそういう店が点在しているのも事実である。

しかし、確固たる規約がないので店それぞれの判断というか、それがないのをいいことに嘘の表記をしているのにはがっかりさせられる。手打ちという看板で客を呼び込もうとしていたりするのは、手打ちは美味しいというマスコミ等の記述に踊らされているという部分もあると思う。

だからといってそれを批判したところで今更遅いし、ポッチーランドで手掛けるお店だけはそんな嘘はつかせたくない。手打ちであれ、機械打ちであれ、真正面から勝負してどう評価されるかで判断していきたいと思う。


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お客様のことを考えてこそ - 2002年07月01日(月)

12chの「愛の貧乏脱出大作戦」を久々に見た。

和菓子店の立て直しだったのだが、菓子を作る際に「お客様のことを考えて作りなさい」と達人と呼ばれる人が伝えていた。和菓子に限らずこれは飲食店において大切な姿勢であると思う。いくら美味しいものを作ったとしても心がこもっていなければ真の美味しさは伝わらないのではなかろうか?それが伝わってこそ本当の評価を得られるのではと感じた。

美味しいものを作るのは当たり前のことで、ただ作るだけなら機械で出来ることも山ほどある。そういう中で手作りの良さは作った人の心も伝えられるということではないのかな?だから作り手が心を伝えようとした時に目に見えない美味しさや満足感が食べ手に伝わる。

「美味しい」と「本当に美味しいね」とは価値が全然違うと思う。ご馳走様も同じことかな。本当に満足した人からはプラスαの言葉が出て来るもので、その違いがわかる経営者が成功へと歩める。それが心を伝えられているかどうかの違いでもある。

上手に作れる人は沢山いるだろうけど、心を伝えられる職人ってそうはいないんじゃないのかな。飲食店経営はそういう姿勢で取り組むことが出来るかどうかが大切だと思う。目の前の作業だけにとらわれるのではなくて、必ずそれを食べるお客様がいるということを忘れずにいて欲しい。


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