合羽橋 - 2001年07月14日(土) 今日はお客様と合羽橋まで器等を買いに行って来た。 いつもながら思うことは、閉店時間が早すぎる!別に夜中までやる必要はないが、せめてもう少し延ばして欲しいと思う。一つのことだけで行くというよりは、器・食材・器具・ユニフォーム等様々な目的を持って行く場合が多いのだから、全ての目的を達成しようとするには無理がある。ましてや遠方から来る人もいるであろうし、休みを利用してくる人にしても限りある時間を調整しながらわざわざ行くのだから・・・ 街自体が衰退しているという話しも聞く。もう少しニーズに敏感になり、それに応えようとする努力をすればそんな声は聞こえなくなるのではないかと思う。これはこの街だけに言えることではないし、全ての地域、また店や企業にも同じことが言えるのでは・・・ 要はそれに気が付くかどうかということ。 これに気が付くところは業績を伸ばし、そうでないところは逆になる。結果が悪くなるのは全て自分たちに原因があるわけであり、それに気付かずにいれば当然ながら悪くなっても良くはならないということ。 商売の成功不成功はそういうところの大切さを本当に理解出来るかどうかということになる。 - 江の浦のお店 - 2001年07月13日(金) 昨晩は島田に泊まり、午前中に残りの打合せを済ませてから真鶴・江の浦のお店へと向かったのだが、ここはサラリーマン時代に企画担当として携わったお店であり、約4年振りの訪問であった。久し振りに若き主と対面し、約6時間いろいろな話をしたのだが、複雑な心境にならざるを得なかった。 企画と言っても当時の仕事内容と、今のものでは全てに於いて数段の違いがある。所詮サラリーマンである以上会社の方針にはある程度従わなければならないし、やれることには限度がある。それが嫌で独立した訳だが、今このお店を企画プロデュースしたらどうなっていたのだろうか? 若き主の苦しみを感じると共に、当時の私の「仕事」は本当に正解であったのであろうかと・・・。悔しいけれども今のポッチーランドとしての企画提案内容と比べた場合、ありとあらゆる面で数段劣っていたと思う。それは言い訳になってしまう部分もあるかもしれないが、所詮サラリーマン的仕事であったということ。 サラリーマン時代に手掛けたお店の方には「申し訳ない」と言うしかない・・・。今とは立場もスタンスも大きく異なるのだから・・・。お叱りを受ける場合もあるかもしれない。でも、ご理解頂くしかないと言うのも事実である。 - 島田の繁盛店 - 2001年07月12日(木) 今日は島田の現場に行って来た・・・というより、まだ島田である。 打合せが長引いたのと、明日に真鶴で打合せがあるので移動等を考えたら泊まった方が良いと思い、結局島田泊ということに。 で、夜に島田で繁盛している和食屋さんに行ってみた。宿泊するホテルでおすすめのお店は何処?と聞いても一番に挙げるお店である。私も以前から気になっていたお店であるが、時間の都合でなかなか行く機会がなかった。 印象は?というと、何とも複雑な感想である・・・。理解出来る部分とそうでない部分が私の中で複雑に入り乱れている。デザイナーとして見たその店は、なんじゃあこりゃ・・・であるが、地域性を考えたらそれなりのものかもしれない。それはそれで良いのではあるが、「和食店」というより「居酒屋?・・・」。メニュー構成や店づくりを見たら「和食店」。でも、プライスラインや客層は「居酒屋」。 首都圏では考えられないアンバランスさであった。頭にタオルを巻いたおにいちゃんがいたり、後ろでは若干1歳強のうら若きお嬢様がダンスを?踊っている? そこで、ふと浮かんだことなのだが、最初からこういうターゲットであったのか、売上を重視してこういう形態になってしまったのか・・・。島田という街は飲食店の数は商業集積から考えたら結構多いと思う。でも、まともな店はあまりない・・・。だから、首都圏で考えたら普通の居酒屋として利用される店でも、和食店の看板を挙げても許されるというか、存在してしまうのかもしれない。 地方都市というのはそういうものかもしれない・・・。でも、地方だからといってその立地に染まりすぎて良いのだろうか?ある程度の妥協は必要であろうが、全てがそれに染まる必要はないのではないかと思う。 -
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