なべて世はこともなし
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2006年05月30日(火) 誰も知らない合法的ダブリンバスただ乗り方、教えます。

ダブリン市民のあてにならない足、ダブリンバスですが、合法的にただ乗りができることをご存知でしょうか。むろんご存じないと思います。なにせ、地元のダブリン市民のほとんども知らないらしいですから。むろん、ただ乗りという以上は、老人や福祉関係でもらえるパスのことじゃありません。そんなもんをガイジンである私がもらえるようになるまで、果たして何年かかるやら。


今度機会があったら運転手さんの近所に陣取ってみてください。結構多くの人がただ乗りしてますよ。特に老人。老人パスが支給されているらしいのですが、パスをちゃんと提示してる人のほうが珍しいくらい。中には胸ポケットに手を突っ込んで老人パスを出す振りをして通り過ぎるじーさんとか、ひどいのになると、"I have a pass."と言ってそのまま通り過ぎるばーさんまでいます。


運転手さんのほうもなあなあで済ませているのがアイルランド的というか…呆れるくらいいい加減。「オトナが駄目だからコドモが駄目になった」と日本で嘆いている人がいるみたいですが、このずるい老人たちから見ると、アイルランドも同じような気がする。


私が言ってるのはこの方法じゃあありません。別の方法です。あ、実は、この方法、私は何年かかっても使えません。実は使えるのは、女性のみなのです。私は男ですから、無理。しかも、ある一定の時間のみ。


うーん、これ以上引っ張るのは無理ですね。じゃあ、書きましょう。


ダブリンバスは、終バスに限り、女性は無料で乗車できます。


はぁ…という女性の皆様、やり方は簡単です。終バスに乗るとき、運賃を払うかわりに運転手さんに


「私、お金ないの」


と言ってみましょう。運転手さんはそれ以上追求してきません。文句も言ってきません。


推定ですが、これ、本当にお金がないとかなにかで困っている女性の救済策なのでしょう。ばか面して市中心部をちょっと外れた危ない地域を歩いていて犯罪にでも巻き込まれてはいけないという配慮なのだと思います。この紳士的ともいえる配慮を踏みにじってお金を持っているくせに「私、お金ないの」といえる厚顔無恥な女性はぜひ試してみてください。まあ、そんなことをせずとも、運賃はせいぜい2ユーロ程度。ちゃんと払ってくださいませ。


なお、この情報、正しいという自信はありますが、万が一トラブってもわたしゃ知りません。


というわけで、次回はダブリンバスつながりでダブリンバスギャラリーへ。と言っても、もちろんバスヲタのダブリンバスの写真集じゃありません。なにやら変なものを入手した模様です(邪笑)。あ、その前に小ネタを二つばかし挟むことにしよう。


2006年05月28日(日) Snigelは会社を辞めるんじゃなかったっけ?という方へ

今年の2月の日記で会社を辞める辞めると大騒ぎしてました。昨日の日記にも書いた通り、かなり本気で辞めるつもりで、会社よりも早めに辞める意思表示をしなければいけなかった会社のとなりにあるジムは本当に辞めてしまいました。


当初の予定ではこうでした。


3月の終わりに勤続4年ボーナスをもらう。

その日に辞表を出す。

4/1より3週間日本に行く

日本から帰ってきて1週間テキトーに働いて退職
(引継ぎなんて知ったことじゃねえ)

(゚Д゚)ウマー



2月の時点では本気でキレてました。たとえプーになってもヒッキーになっても向こう見ずに会社を辞める覚悟でした。何、人間ケツに火がつきゃなんとかなるもんです(そうなのか?)。


この会社を辞める気になったのは、ひとえにひでー上司とかち合ったからです。この上司のどこかの国の偉大なる首領様並みの傍若無人ぶりは枚挙にいとまがないのですが、ひとつだけ武勇伝を紹介しましょう。


ある日、この上司、社員にとってあまりに不当な提案を会議上でしました。あまりに不当なのですが、偉大なる首領様に逆らえる人はいませんから、誰も文句は言いません。ただのひとりを除いて。実は、私とかなり仲の良かったドイツ人が公然と反対しました。その結果がどうなったかでこの偉大なる首領様の本性が分かります。


翌日、偶然休みだった彼の机はこの部長の隣の席に勝手に移動(しかもこのアホ上司が彼を背中から 四六時中監視する形になる)。で、この勇気ある同僚は翌週辞めていきました。こうして、まともな神経を持つ、まともな人たちがどんどん粛清されていきました。 私が辞めなかった理由は、そう。当時、まだ転職自由なビザを もっていなかったからです。


で、この上司は長くだらだらいるだけの私が目の上のタンコブだったのでしょう。いろいろな方法で私に嫌がらせをしてきまして、ちょっとやそっとのことではめげない私をして会社に愛想を尽かすまでに至ったのです。


で、Xデー(辞表提出日)としていた3月27日のぴったし1週間前に思わぬ大逆転劇が起こりました。


このくされアホバカ人間のクズ上司(そこまで言うか)が私より一歩先んじ手辞表を提出しやがったのです。


…こうして私は直接の会社を辞める理由をなくしてしまいました。


実際日本から帰ってくるとこの上司は会社から消え去っており。その後私は実に平穏無事にスチャラカ社員(死語)してます。というわけで、現状、確かに何も得るものはないものの、テキトーにやってりゃテキトーな金が入ってくるという実にぬるま湯的なテキトー状態になってしまったわけです。それはエノキダ!の高木君状態ですね(この意味が分かる1万人に一人の人は作者までメールください。分からない方はスルーしてください)。


この上司が辞めたときに、寄せ書きのカードが社内を回ったらしいです。思いきり笑わせていただいたことに、社員の多くがこのカードへの寄せ書きを拒否。カードの多くが空白のままという異常事態になったそうです。そんな中、アイロニーという言葉が何かをよく知っている別のドイツ人の同僚はこんな言葉を書いたそうです。


「新しいスタートはいつでも素晴らしいことです。一からやり直すことができるのですから」


私がこの同僚を見直したことは言うまでもありません。



次回予告。


次回は、ダブリンバスに合法的にただ乗りする方法をお教えします。そんな方法があるんかい…という方。あるんですよ。乞うご期待。


2006年05月27日(土) 3年ごしに懲りもせずダイエットに再挑戦します

もう当時から読者さんは完全に入れ替わってしまっているでしょうが、私、2003年1月から2月の初めにかけて、ダイエットの実証実験をしたことがあります。いや、実証実験というのは嘘で、当時の同居人Samanthaを巻き込んで、新年早々ダイエット勝負をしたのです。


当時のルール:一か月に6キロの減量に挑戦する。もしどちらかが成功してどちらかが失敗したら失敗者は成功者に50ユーロ払う。ただし、どちらも成功あるいは失敗した場合、引き分け。


これ、Samanthaはある意味被害者でした。要はね、自分ひとりでやると挫折することが目に見えているので、50ユーロを賭けることで途中で「やーめた」となるのを意地でも防ごうとしたわけ。さらに、このホムペで読者さんに宣言することで、退路を完全に塞いだのです。その方法を今また繰り替えそうとしている自分がここにいます。


で、ダイエット方なんて何も知らない私は、「食べなきゃ痩せるだろう」という、当たり前といえば当たり前、原始的といえば原始的な理論で、ダイエットに挑戦。結果1ヶ月で8キロ痩せました


当時掲示板などで、「そういうやり方じゃあリバウンドするよ」とか「体壊すよ」とかありがたい警告をいただいたのですが、意外にも体を壊すことなく、あっという間にリバウンドすることもありませんでした。


…そう、「あっという間」にはリバウンドしませんでした。だけどあれから3年以上が経ち、8キロ痩せた最痩時(勝手に言葉を作りました)に比べると5キロ太りました。中年太りなんですか。


まあ、この事実は敢えて見て見ぬふりをしていたのですが、数年ぶり、つまり、私がもっとも痩せていた頃から会ってなかった人に会ったときに開口一番


「あれー、Snigelさん太りました?最初わかんなかったですよ」


まあ、「なんでそんなことを言うねん」と怒る人も世の中にはいるでしょうが、私の場合(あるいはこの場合)「良くぞ言ってくれた」と思いました。そう、誰も言わないから何もしない。裸の王様状態。そう言ってくれる人がいたので、再び、ダイエットすることにしました。


今回の目標。2003年の水準に戻す。つまり5キロ減らす。


というわけで、実は月曜日から既に始めてます。友人からは「男のくせになんでこんなに安易にダイエットするんだか」と呆れられてますが、いいんです。このままアイルランドで堕落人生を送ってたら、体重は雪ダルマ式に増えていくことは必定です。だから一定の期間で歯止めをかけることは重要なのです。


で、今回も前回同様不必要なものを食べないことが基本。で、ある程度は運動もしなければ…と思ってます。


運動。そう、これが問題。2月の時点で、会社を辞めることを決意し、ジムを3月末で辞めてしまいました。というのも、ジムは会社のとなりにあり、つまり、家から15キロも離れたところにあるジムは会社を辞める以上メンバーである必然性がなかったわけ。そして、会社が一月の通知期間が必要だったのに対し、ジムは2ヶ月の通知期間が必要だったので、会社よりも一月早く退会届けを出したわけ。


ところが、その後の1ヶ月に紆余曲折というか大逆転劇があり、会社は当座は辞めないことになり、ジムだけ辞めてしまったのです(この「大逆転劇」は翌日の日記に掲載)。


というわけで、歩くのは家から車までの10歩。車から会社までの50歩…。これを運動不足と言わずに何と言う…というわけで、とりあえず「歩こう!」と思ったわけ。…ま、走ろうとか思わないとこに私の限界が垣間見えるわけですが。


まずは手始めに、用事があったので町まで歩くことに。片道5キロは軽くあるはず。この距離を歩くというのは私にとってはなかなかの決意です。アイルランドに来てだいぶ改善されたのですが、私の人生の中に「歩く」という選択肢は少なくとも大学に入るまでありませんでした。Q州の片田舎で育った私。100メートル離れた場所にすら車で行く親の背中を見て育ちましたから、移動の手段といえば車だったのです。車の免許を持っていなかった当時は妥協しても自転車。


このQ州の片田舎において、公共交通機関といえばバスだけ。そのバスも1時間に1本とかの世界でしたから、公共交通機関を使うという概念もありません。この点は、東京の片隅の某三流私大に来て改善されたものの、それでも歩くという選択肢はなかったのです。こう書くと、5キロを歩くというのは私にとっては大変な決意であることが分かってくれるかと(え?わからんて?)。


かくして、となりのトロロのメーのごとく、両手を振って元気に歩きはじめました。


今日の天気は、珍しく晴れ。風は強いものの快適。「おお、歩くのも悪くないなあ」と元気に歩く。日本で買ってきたMP3プレイヤーからはさだまさしの「最終案内」が聞こえ(マテ)、らんらんらんと鼻歌を歌いながら歩いていた。


…が、そんな小さなシアワセは長くは続かなかった。


突然、顔から背中にかけてのすべての毛穴がかゆくなった。そう、花粉症。今年は、なぜか目や鼻からではなく皮膚から来ました。


それからはまさに苦行。「線香花火」も耳に届かなくなり(ダカラマテ)、ひたすらに、かゆい。風に向かって歩くから悪いのかと、地面を見て歩きはじめると、それまでの楽しい気持ちはどこへやら。もう、とことん嫌になりました。結局、町にはたどり着かず40分ほど歩いて帰ってきました。


こうして、痩せたいけれども屋外での運動はあまりできないという事実に気がついた私。ジムに再入会してもいいけど、今の会社は腰掛けだから長くいるつもりはないし…というわけで、今回のダイエットもやはり食べないだけになりそうな気配。


ちなみに、1週間で2キロ減りました。あと3キロ。目標達成は簡単なような気もするし、その2キロは最初の3日間で減っただけで現状頭打ち。かなり無理な目標な気もする。とりあえず、続く。


2006年05月22日(月) 時間にルーズな人とは行きたくないぞ。Saturday Night Fever

彼女といっしょにミュージカルSaturday Night Feverを見に行きたいなあと思いました。この70年代のヒット曲満載のミュージカル、きっと楽しめるに違いない。…そうは思ったものの、チケットはすでに完売に近い状態で残っていたのは一番高い50ユーロの席のみ。給料日前で金欠だった私は素直に諦めました。


ところが、金曜日になって会社の同僚が…


同僚:「Saturday Night Feverのチケットがあるんだけど、行く?」
私:「へっ?どしたの?」
同僚:「Sports and Socials Clubのチケットがあまってる」
私:「いくら?」
同僚:「タダでいいよ」
私:「のった♪」



ああ、会社のSports and Socials Club。会社の福利厚生のための会。入社と同時に強制入会させられ、月に10ユーロ超を天引きされていたものの、全く参加したいような企画がない。入会後1年をしてはじめて参加した企画はとんでもないものに成り果てて(詳細はここここ)、結局お金の無駄だと判断して、総務にものすごい嫌味を言われつつ(というかケンカしつつ)退会したのです。


それ以来、案の定といえば案の定、何の興味のあるイベントもないまま。で、今回、Sports and Socials ClubでこのSaturday Night Feverの鑑賞券を共同購入したらしい。なんでも32.5ユーロの券を希望者は10ユーロで買ったらしい(22.5ユーロはSports and Socials Clubの積立金で負担)。全額積立金が出ないところにこのSports and Socials Clubの限界を感じるわけですが。


で、おそらく誰かキャンセルが出たのでしょう。その分を会員でもない私がタダでもらえることとなったわけ。得をしたというか、Sports and Socials Clubなんて入っている意味がやっぱりないと感じたというか。


で、この同僚が入場券を持っているために、私は彼女と開演15分前の8時15分に劇場前で待ち合わせることに。この彼女、約束の時間に来たことがないというまー実に時間にルーズな方でして。調子のいいときだけ日本人になる私としては、こういう時間にルーズな人というのが嫌いなのです。ミュージカルは待ってくれません。だから彼女に「間違いなく約束の時間に来るように」と頼みました。


彼女が息を切らせてやってきたのは、開演10分後の8時40分。


幸いというか、意外というか、この劇場、遅れてきた私たちを中に入れてくれました。フツー遅れてきたら休憩までは入れてくれないんじゃないだろうか。このへんがアイルランドのいい加減さがいい方向に働いた…という事例になるのだろうか。


私はトイレに行くからと彼女たちとは別の入口から二階席へ。もうショーは始まっているから私は自分の席を探そうとはせずに他の人の視界の邪魔にならない場所で立ち見を始める。


しばらくすると、係の人が来て


係:「だいじょうぶですか?」
私:「ああ、自分の席が見つからないので。おかまいなく」
係:「だったら、そこの通路際の空いている席へどうぞ」
私:「え?いいの?」



と…私は会社の同僚から遠く離れた二階席のほぼ最前列で鑑賞することに。ちなみに同僚は一番後ろの席だったようです。


いいショーでした。お客もノリがいいし、何より生まれて初めての経験でした。やってるほとんどすべての曲を知っているというミュージカルは。だからこそ最初の10分を見逃したことはイコンとして残りそうです。


そりゃタダでもらったチケットで文句を言うなと言われりゃそれまでですが、やはり時間を守らない人とはあまりつきあいたくありません。で、この時間にルーズな同僚はアイルランド人だった...というオチをご期待の方。残念でした。この同僚はドイツ人。何事にも例外というものがあるようで。


2006年05月18日(木) 迷惑電話?人の話は最後まで聞きましょう。

おとといの日記を書いた後、さっそく電話がかかってきました。


それは午後8時。なかなか良くできた和風パスタを食べ終わって皿を洗っているときにケータイが鳴りました。蛇足ながら最近のマイブームは和風パスタ。母が隠し味にと持たせてくれた昆布茶。なるほど、隠し味として使うといい味が出るんだわ。鮭フレークでおいしい和風パスタになりました。…以上で脱線終わり。


で、皿を洗っていて手が濡れていたので、同居人ひでばかすに電話に出るよう頼む。


ひでばかす:「もしもーし。はい?はあ、はあ。ちょっとお待ちを。…おーい、Snigel、Bank of Irelandだってよ」


迷惑電話by Bank of Irelandキター━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!


このくされBank of Ireland、いりもしないカーローンだとか、住宅ローンだとかを盛んに勧めてくるんですよ。3ヶ月に1度くらいの割で電話が鳴るでしょうか。タチが悪いのは、こういう時間帯にも電話をかけてくるんですよね。


先日の件でキレてた私、ひでかすからケータイを受け取るなりに


ぶちっ


と切ってしまいました。


スッキリー


ところが、ひでばかすは


ひでばかす:「いいの?50ユーロがどうこう言ってたよ。今の電話はセールスじゃないよ」
私:「え゛?」



しでかした?と思い、今かかってきた電話番号を見ると…うーん、基本ですね。番号非通知。


うーんと思っていると、ありがたいことにBank of Ireland様はもう一度電話をかけてきてくれた(おいおい、「くされ」が「様」になるんかい)。


相手:「去年の7月3日に弊社空港支店で50ユーロを拾われましたよね?」


ん?


ここで話は、去年の7月3日に戻る。


「一度は行きたいマルタ旅行記」に書いた通り、私、1週間ほどマルタに行きました。で、マルタはEUについ最近参加したものの、未だにマルタリラなるマイナー通貨を使ってます。それを両替するためにBank of Irelandの空港支店でマルタリラを手に入れようと思ったわけ(この話、日記に書いたつもりなのにどうやら書き落としていることに今気がついた)。


で、カウンターで順番待ちをしてました。列の二番目。一番前(つまり私の前)はおばちゃんと5歳くらいのコドモ。私は信じられないものを見ます。


50ユーロ札がカウンター脇の床に落ちている。


目の前にいたクソガキもこれに気がつきまして、母親の腕をつかんで


クソガキ:「ママ、あそこ、見てみて」


などと言い出すので、私はクソガキに先んじてさっとこの50ユーロを拾いました。


で、ここで、悪魔の囁き。


悪魔:「そのまま、ポケットに入れちゃいな。大丈夫だよ。アイルランドだし」(意味不明)


それに対し天使が…


天使:「駄目よ。そんなことしたら。正直に生きないと」


そんな悪魔と天使のせめぎあいを耳にしつつ私は至極まっとうな結論に至りました。


私:「監視カメラが2台もあるところでお金をポケットに入れるのは無理」


かくして、カウンターに


私:「床に50ユーロ落ちてました」


すると、係のおねえさんは…


係:「あら。じゃあここに名前と電話番号書いて。もし1ヶ月誰も申し出なかったらあなたのものになるから」


で、それっきりでした。この話を友人にしたら、


友人:「んなもん、Bank of Idiotの係がガメるに決まってんじゃん」


…そうだよなあ。正直者が馬鹿を見るのがこの世の中の基本か。


それからほぼ1年。そんなことなどすっかりと忘れてました。で、今日になって電話がかかってきたのです。


相手:「去年の7月3日に弊社空港支店で50ユーロを拾われましたよね?」
私:「そういえばそんなことがありましたよね」
相手:「誰も取りに来ないので、あなたに差し上げます」



えっ?


これには正直驚きました。まさかそんなことになるとは夢にも思ってませんでしたから。


相手:「Bank of Irelandに口座はお持ちですか」
私:「はい。12345768です」



慌てて間違えました。12345678でした。


かくして、今日電話したら、ちゃんと50ユーロ入金されました。これにはさすがの私も驚きました。ちょっと得した気分です。なんで1ヶ月のはずがほぼ1年かかるのか問い詰めたい気がせんでもないけど。


今日の教訓:セールス電話とは決めてかかれない。とりあえず話を聞こう。




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