なべて世はこともなし
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2002年10月02日(水) なぜか全日空の話です

仕事やる気なしのすけ。誰じゃ11時―7時シフトなんて作ったのは。と言うわけでせっせと日記の更新です。ちなみに私、心なしか悪寒がするのですが…きっと気のせいだ。うん。


今日は11時出勤ということで、出勤途中に銀行に行ってきました。で、クレジットカード他の支払いを済ませてきました。そう、先週の金曜日は給料日。こういうことは余裕のあるうちにやっておかないとえらいことになります。


で、支払いを済ませすがすがしい気分で外に出て、もらった領収書を見て私はぎょっとしてしまいました。


Date: 01/10/2002
A/C Number: 12345678
Balance: Euro 123.45OD


なんすか、このODゆーのは?ん?


そう、ODはOver Draftの略。日本語で言えば、「貸越」、もっとわかりやすく言うと「赤字」というやつです。


私社会人を4年ほどやってますが、給料もらって3日で口座残高がマイナスになったのはこれが初めてです。…と言うか、どうやって成田から羽田まで行こう?(私の実家はQ州です)歩いて行けというのか?乗り換え時間6時間だからたぶん歩いたら間に合わないだろうなあ。だけど、電車代1560円と言うのは高い!扇さん何とかしてください。


…と言うわけで、新橋オフにご参加の皆様、「Snigelに一杯おごること」というのがかなり真顔で条件になりつつありますのであしからず。


ところで。今日から何やら日本航空とエアシステムが経営統合するそうで。確かに、日本の国内線、安くなりました。何やら全日空は12/1に「一日乗り放題」で何回乗っても1万円…という企画をしたそうで、世の中にはこんな旅行を一日でする人がいるそうで。


羽田→福岡→羽田→稚内→羽田→徳島→羽田→関西→羽田


何を考えていらっしゃるか私にはわかりかねますが、…疲れるだろうなあ。確かに一万円の元は取れるだろうけど。でも、どこかでヒコーキが遅れて乗り継ぎができなくなる…とかいう事態をこの人はちゃんと計算に入れているのだろうか。他人事ながら気になる。


かく言う私の悪いクセとして、ヒコーキに乗るのはいつも一番最後にしようというのがあります。どうもヒコーキの中でみんなが乗るのを待つのは気に入らない。一番最後に乗る方がいい。過去に乗り遅れたことがあるような気もしますが、この性格は直りそうもない。


あれは去年の話。羽田からQ州のローカル空港に向かう最終便。私は「空飛ぶでかドラ」(早い話がどら焼き)を買うために店に行き、気がつくと搭乗時刻ぎりぎりに。で、当時はさほどうるさくなかったセキュリティコントロールを抜け、私は何を血迷ったか、右に行くべきところを左に行き、乗るべき搭乗ゲートとは正反対の端まで来て


「あれ?ボクの搭乗ゲートはどこ?」


そこで空港の反対側に来たことに気がついた私。定刻まであと10分を切っている。…こんな時、あなたならどうしますか?


走る?甘い。


私は、目の前にいた全日空の別の搭乗ゲート(札幌行きだった気がする)のおねえさんを捕まえて、


「Q州のXXに行くんだけど、あと10分しかなくて、ゲートが遠い。悪いけど、ゲートに連絡してくれる?」


するとおねえさんは、笑顔を崩さずに、


「わかりました。お名前は?」
「Snigelでーす」
「わかりました。Snigelさん、急いでください」



と私は駆け足で反対側へ。で、私が反対側の搭乗ゲートに向かっていると、後ろから、ハイヒールを履いた空港職員のおねえさんが走りながらやってきて、


「XX行きのお客さまー。お急ぎくださいー」


とハイヒールを履いたおねえさんと走る羽目に。それにしても日本の特に空港職員・スッチーさんはすごいですね。どんなときにも笑顔を崩さない。このおねえさんも本気で走りながらもゲートに着いたときは、息を切らしながらも笑顔で「お気をつけてー」


蛇足になりますが、その次の羽田からQ州に行く時は、何を血迷ったか私、チケットを忘れていきました。クレジットカードで新たにチケットを買う羽目になりました。その後、525円の手数料を除いて返金されましたが。


ちなみにこれらはすべて全日空でのお話です。私は全日空のファンです。スタアラだしね。…と言うわけで、何がなんだか訳のわからん日記になりましたがご勘弁を。

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2002年09月30日(月) 日曜日のナイトクラブ。そこでの劣情の戦いとは?

昨日、「嫌だ嫌だ」と連行されたZanzibar。そこでのお話です。


午後9時、川沿いにに車を停めてH’Penny Bridgeの脇にあるZanzibarへ数年ぶりに行く。


…空いている。


いつもげろ混み状態で見えるは人の頭ばかりだったので、いったいどんな内装かも知らなかったのだが、インドかどこかのアジア風に統一してありなかなかいい感じ。


空いていると言っても空席はない。立っている人がいないというだけ。そこで自分の「サヨナラパーティー」を自分で企画したうちのフランス人住人ナディア(仮名)は、カウンターに行き胸を張り


「今日9時にテーブルを予約したナディアだけど、私の席はどこ?」


何でも日曜だというのに30人だかそれ以上の人が来ることを見込んでいるらしい。…元気すぎる。


で、バーマンは予約台帳らしきものをぱらぱらめくりひとこと。


「忘れてた。えへっ」


…お約束通りの結果。


まあ、ここで怒ったり、落ち込んだりしてはアイルランドには住めません。どうやら二階席はまだ空いていない様子だったので、急遽開けてもらう。


私、昨日の日記に書いた通り、風邪を引き、頭がぼーっとしており、かなり非友好的な態度でおりました。自分から誰かに話しかけることはせず、初めて会った人とは握手をしただけ。今ごろ「Boring Bastard」などと悪口を言われていると思いますが仕方ない。とりあえず反省してるから許してね…とここで言っても仕方ないか。


で、しばらくほとんど動かないしゃべらない置物状態になっておりますと、何時の間にかナディアは階下のダンスホールへ。


…踊っております。しかも派手に。


繰り返しますがこの日は日曜日。ダンスホールも人はまばら。そんな中で彼女はひとりで踊ってます。で、彼女、日本人にすれば当然、こっちの人にすれば激やせの体…小柄でカーリーヘアが結構かわいいです。ダンスホールで踊っていると目立ちます。そりゃもう目立ちます。


他は知りませんがアイルランドのナイトクラブという場所、


やりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたい



…というすごく人間の本能を感じるところです。だから私は嫌いなんだけどさ。ドイツ人女性の証言:


「アイルランドのディスコ(ドイツ人はこの言葉を使います)って(女性)ひとりで踊っているとすぐに男がやってきて、顔や体をひっつけんばかりにして踊るのよね。私は踊りたいだけなのに、口は臭いし、たいがいめっちゃ不細工だし嫌になる」


別のドイツ人女性の証言:


「ディスコも2時ごろになるともうめちゃくちゃ。中には固くなったXXをくっつけて踊ってくる馬鹿もいるし…」


うちはアダルトサイトではない、少年少女でも安心して読んでいただける健全サイトを目指してますので(嘘つけ)これ以上は自粛しますが、まあ、とにかく私はナイトクラブと呼ばれる場所が大嫌いです。昨日の日記と併せて、どうやら「Snigelはうるさいパブやナイトクラブが嫌いらしい」というきわめて老化した性格を読み取っていただけるかと思います。


で、話は昨日のZanzibarに戻ります。そんな人間の劣情欲望渦巻くナイトクラブも、日曜日のしかも午後11時となると実に静かです。そりゃそうです。普通の人間は月曜からの仕事に備えて家でゆっくりしてるはずですから。そんな中踊り狂うナディアと、階上のソファーで「帰りたいよー。頭重いよー」と置物化している私。まさに対照的な風景。


ナディアがしばらくして二階に戻ってきて、ソファーで置物化してる私を発見。


「Snigel!ほら!行くよ」


…ダンスホールへ連行されました。


ナディアは私の手を取って階段を降り、そのままダンスホールの中央へ。私は「♪ダーンスはうまくおどれーない」(このネタで笑ったあなたは立派なおじさんおばさん、わからないという方は健全な若者です。はい)なので、こういう状況は最悪です。彼女に合わせて踊った…というか動いた…というかなんというか…その…まあそんな感じ。


で、彼女が私の手の中で器用にまわっている間、私はなんだか背中に人の視線を感じた。私の踊りが下手だからかともろに自意識過剰に陥っていると、実は帰りの車の中でそれは自意識過剰でなかったことが判明。うちの別の住人のドイツ人女性が後部座席でころころ笑いながら言うのだ。


「Snigel。あなたたった1曲だけナディアと踊ったじゃない。あれ、大爆笑だったわよ。ナディアのことねえ、3人くらいの男が狙っていたのよ。ナディアが突然いなくなって、あなたの手を取って二階から戻ってきた時には男たちががっかりしてたよ。踊っている時もずっと見てたもの」


…あのー、私とナディアには何ら後ろ暗い関係はないのですが。で、その時は私もつられて笑っていたのだが、翌朝になってふと気がついた。


「待てよ。男たちがガッカリした理由って、『なんでおれ(たち)があんな不細工な男(←私のこと)に負けるんだ』じゃないの」


…と、その疑問をドイツ人の女性にぶつけてみた。すると彼女は再びころころ笑いながら


「大丈夫よ。その男たち不細工だったから」


…その「も」ってなんですが、「も」って。


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2002年09月29日(日) ノーベル賞ゲット確実?「アイルランドのパブの発展と低所得の因果関係における一考察」

ここ数日体調がよろしくない。27年間の人生経験を元に言わせてもらうとこれは風邪というやつ。なんとなく頭が重くのどが渇きっぱなし。のどが渇くからビールを飲み、ビールを飲むから頭はますます重くなり…という悪循環の元この週末を過ごしております。で、困ったことには今夜うちのフランス人住人のお別れパーティーが街であるとやらで、私強制参加の模様。


い、行きたくない…。


このフランス人、昨夜も朝帰りで今日の昼頃ピンクのキティちゃんのシルクのパジャマという別の意味での悩殺姿で階下の台所に降りてきて(注:繰り返しますが彼女はフランス人です)


「もう絶対飲まない」


と言っていたはずなのだがすでに回復した模様。…若いって素晴らしいねえ(はあぁ)。


だいたい彼女と私の性格は正反対といって良いくらいに違う。…少なくともパブを選ぶセンスについては。私にとってパブとは「飲みながら話をするところ」。つまり、音楽はかかっていても良いが、話に支障がないほどでなければいけない。


とにかく、なぜかは知らんがダブリンの街のパブはうるさい。いい加減にしてくれというくらいにうるさい。耳元で怒鳴り合わねば聞こえないほどのうるさい音楽がかかっている。いや、それで踊るというならまあいい。ところが客は踊るスペースがないほど詰め込まれている。東京に数年住んでいた私に言わせりゃすかすかの朝のDART(近郊列車)を「げろ混み」と文句を言うくせに、人波を掻き分けねばカウンターに近づけないげろ込みのパブをこっちの人間は好むのだから私にはまさに理解しがたい状況。


…はい。もうお分かりですね。本日の集合場所はザンジバーとかいう町の中にあるパブです。私、このパブうるさいことをよく知っているので数年前に一二度つきあいで行ったっきり近寄ってもいません。地下はナイトクラブになっているそうですが行ったことはございません。出かける前にパブの名前を暴露しましたので今晩こちらへお出かけの方は一声お声をお掛けください。


い、行きたくないよー。


今更私が言うまでのないことですがアイルランドはパブ文化の国です。「歴史は夜作られる」ならぬ「歴史はパブで作られる」と言ってもいいような国。でも、これって実はアイルランドが貧乏な国であったことと表裏一体のような気がしてならない。


「風が吹けば桶屋が儲かる」の論理と言われそうですが、アイルランドが貧乏な国であったこととパブの発展には因果関係がある。私はこの論を証明してそのうちノーベル賞を頂きます。概論をここで説明しますのでまあ聞いてくださいよ。


なぜアイルランド人は人(友人)に会うのにパブへ行くのか?


なぜだか考えたことはありますか?「そこにパブがあるから」では答えになってませんよ。それでは「ニワトリが先かタマゴが先か」の論になってしまいます。「そこに酒があるから」もダメ。酒なら買って家に持ってかえればよろしい。


私の答えは「家が狭いから」家が狭いから人を招待する場所がない(なかった)からだと思うのです。


未だにダブリンの一部の地区(ちゅうか多くの地区)では夜になると、行き場のない子供たちが夜の10時11時に住宅地の公園などに何をしているんだか知りませんが集まってます。これって、家が狭いからだと思う。4人も5人も兄弟がいてベッドが2つしかなかった…とかいうのは良く聞く話。家の中に居場所がないから外へ行く。で、大人になると(あるいは歴史的にはコドモでも)パブという場所で時間を潰すようになった。これがアイルランドのパブの起こりのような気がしてならないのです。


だって考えてみれば、自分の家にスペースがあればそこに友人を招待する方が安上がりだし、自分のやりたいことができる。パーティーの中で見つけたお気に入りの異性のお持ち帰りも階上に行けばよろしい。なんと楽な方法。わざわざパブからタクシーを使って家に帰ったり飲酒運転をする必要もない。


それができないのはまさにスペースの問題だと思う。ね、「貧乏で家が小さかったからパブが発展した」という仮説、そりゃ、比較文化論とかをまじめに勉強した方は今ごろコンピュータの前で腹を抱えて笑っているだろうけど、そうでもなければ肯けない話でもないでしょ?


実はこのアイディアを持ったのはずいぶん昔の話でして。その昔私がスウェーデンに足繁く通っていたころ。スウェーデンという国、パブの数が本当に少ない。あっても酒は新宿のアイリッシュパブ並みの「ぼったくり」に近い値段をとる。で、スウェーデンの学生はどうするかというと、自宅にみんなを招待するのです。


スウェーデンでは酒は官売。システムというお役所に行って銀行のように順番待ちのチケットを取り窓口で買う。しかも25歳以下の人間は身分証明署の提示が法律で義務づけられている。…話はそれたけど、そのシステムで買う方がパブに行くよりはるかに安い。と言うわけで飲むのは自宅で、パーティーは自宅で…というのがスウェーデン文化。


で、これがスウェーデンだけのことかと思いきや、ドイツもそれに近い。田舎の一軒家にはほぼ例外なく地下室があり、その地下室にはビールがいつもダースで保存されている。ホームバーを持っている家も多い(都会の事情は私は知りませんので異論・抗議のある方は掲示板までどうぞ)。


…うーん、今日の日記、かなりツッコミ所満載だなあ。異論反論オブジェクション歓迎ですのでどうぞ掲示板まで。ただし、あまり喧嘩腰にならないでね。また、オフ会参加のご希望の方は↓を参照の上メールをくださいませ。「男性でも参加をしてもいいのでしょうか」というお尋ねをいただきましたが、もちろんです(掲示板に「女性歓迎」としつこく書きすぎたかな)。男性女性、老若男女、みんな歓迎です。


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2002年09月28日(土) ひでかす洪水のチェコを逝く(その8)

8回にわたりだらだらと続いてきたひでかす旅行記。ついに感動の完結編。

ひできすがゆく--プラハ途中まで一人旅(7)--




―――国境、そして… (最終回)―――


 列車は2両編成のディーゼル車。定刻に出発した列車はのろのろと草原を行く。列車の中で僕らはおもむろにごそごそと食べ物や飲み物を探し始める。腹が減ってきたのだ。


 旅の伴となった二人組は、聞くとあのドレスデンから来たそうだ。家は郊外にあり無事だが、なにせ全てのドレスデン行きの列車が運休。とりあえず国境まで行き、そこで父親が車で迎えにきてくれる予定なんだそうな。「大変ですねえ」とひできす+Sがため息をつく。ドイツ語の会話に疲れたひできすは客室を出てデッキに立ち、ドアの窓をあける。風が気持ちい。窓から顔を出して前方を見ると、川があり鉄橋が大きなカーブを描いてかかっている。


「これかな、国境。」
…というのは、乗客のほとんどが一つ前の駅で降りてしまったからだ。
 橋をこえると、列車は教会のある小さな街の駅に滑り込む。ホームの向こう側にドイツ国鉄のぴかぴかの赤い新車が止まっている。まがいも無くここはドイツの街Zittau(ツィッタウ)。感無量だ。


 僕らが着いたプラットホームはまだチェコ側。その先に入国審査と思われる掘建て小屋のようなのが立っている。僕ら4人がそこへ進むと、おっさんがぼーっと立っていて実はそのひとが入国審査官。むすっとして僕のパスポートそ睨みこむ。…ずいぶん睨んだね、このひとは、と思っていると、あごをしゃくって「行け」と言う。さあドイツだ。パスポートをしまって歩き出すと、異様にフレンドリーな兄ちゃんが


「パスポート見せて、えへ。」


と言う。「ん?今見せたぞ」と思ったが、この人は見慣れたドイツ警察の制服を着ていたので、


「ははあ、さっきのはチェコの出国審査で、こちらはドイツの入国審査というわけか」と気づいた。まあEU以外の国から入国するのだから当然と言えば当然か。


 パンパカパーン。おめでとうございます。チェコ脱出及びドイツ入国達成記念。ぷかーっと記念にタバコをやりましょう(駅はもちろん喫煙可)。


 さっきの二人組とはここでお別れ。僕らはドイツ製のぴかぴか列車の車掌に列車の状況を聞く。


「このルートは、ここからあそこまで運休。そちらのルートは20分遅れ。あちらのルートは、洪水の影響のある地域を通るが、今のところ定時運行。」…実に明瞭詳細。さすがと言える。僕らは「あちらルート」をとることにし、とりあえず最短区間の切符を買って列車内で清算することにする。


 列車は2階建てで、外がぴかぴかなら車内もぴっかぴか。この手の新車は東部ドイツで多くみられる。列車は静かにZittauを出発した。車内はきれいで新しいが、どうもやはり列車の旅は、窓を開けて外の風を感じながらごとごと揺られていく方が楽しい。そういう意味ではチェコの列車は楽しかったなあ。なんてことを思いながらしばらく行くと、列車は川が線路すれすれまで増水しているところをゆっくり進んでいく。「ここもそのうち運休かなあ。」


 ここでドイツ国鉄の車掌氏登場。


 歳にして30歳くらいだろうか。わりとつくりの良い顔にご立派なヒゲ、そしてかわいらしい目が2つのっかている好男子(僕にその気はありません)。
 このヒゲ氏がとにかくすごいのなんのって。何がすごいのかって? 今にわかります。


 まずこのヒゲ氏、僕らのチケットを手に取り「どちらまで?」
Sが「ベルリンに行きたいんですが」というと、腰からぶら下げていた特製の計算機をピッポッパとやりはじめた。ヒゲ氏真剣。沈黙のひととき。時々ヒゲは「ベルリンのどの辺ですか」なんてことを言いながら一瞬にこりと微笑み、また真顔で計算機に戻る。10分くらい経ったろうか、突然ヒゲ氏「ちょいと失礼」
と言って、切符を持ったまま行ってしまった。トイレかな?


 外を見ると列車はとある駅に着いている。ヒゲは列車のドアを開けに行ったのでした。列車が動き出すとヒゲ氏はまた戻ってきて、「もうすぐだからね」とか言いながらまたピッポッパッ。


 こんな事を2度繰り返し、とうとうヒゲ氏は僕に3枚の切符を渡したのでした。僕がほけえーっとしていると、ヒゲ氏はSに


「えー、いろいろな種類の切符を検討し、可能な組み合わせを考慮した結果、普通の片道切符より5ユーロばかり安くやりくりできました。こちらがその切符達であります。まず一枚目がなんとか駅までの片道切符です。そこからはザクセン州周遊切符が使えます。これが2枚目。そして3枚目はベルリン市内フリー切符。これは路面電車も含まれているのであなたの家の前まで行けますよ。おっと、列車が次の駅に到着します。私はこれにて失礼。」


僕は目が点。ぽかんとしながら追加分の料金を払うと、自慢のヒゲをたなびかせて、風のように去っていった。


 マニアック。国鉄職員はイギリス同様、最も安いチケットを探す義務があることは知っていたが、しかしたった5ユーロの事で20分1車両に留まってピッポッパは、好きじゃないとなかなか出来ないと思う。いやあ、驚いたのなんの。しかし、文句はありません。ドイツ国鉄は高い。これくらいやらないと乗客からいいイメージを得る事が出来ないのかもしれません。


 ベルリンに行くには、GoerlitzとCottbusで列車を乗りかえる。最後のCottbusをでれば、Berlin-Alexanderplatzまで直行。やれやれ、シートに座ると安心感でどっと疲れが感じられた。一眠りしたい。


 僕が一眠りする直前、女性の車掌さんが検札にやってきた。
「これで最後だなあ」
そう思いながら僕は先ほど別の列車でヒゲ氏に渡された3枚の切符を差し出した。それを受け取るとこの女性車掌、しばらくじーっと切符を睨みこんで一言、


「あたしならもっと安くできたわ。この前の車掌はまだまだ青いわね。」


だーっ、このマニアック集団。もうほっといて(懇願)。


 僕らがベルリンに着いたのは夜の11時すぎ。プラハからここまで実に約11時間。つまり普段の2倍近くの時間がかかったわけです。いやはや短い期間にいろんな事が起こったのでくたくたになってしまいましたが、なかなかこんな経験は出来ず、忘れられない思い出の一つになった事は間違いありません。

 
 この長い物語も今終わろうとしていますが、
「洪水の写真ばかり撮って、美しいプラハの絵はないんかい?」と言う君やあなたのために1枚写真を載せておこうと思います。

 プラハは、それはいい所ですよ。

 ひできすがゆく--プラハ途中まで一人旅…(おわり)。

(写真:Snigel紛失!)

(あとがき)
昨日仕事中、プラハの旅行会社から電話。電話の先の多分絶世の美女のお姉さんに
「その後どうですか」
と聞くと、
「まだまだ大変なのよ。市内の橋は2つを除いて全て閉鎖しているし、車での市内の走行は禁止されているわ。ただ、時計台は直ったわよ。」
地下鉄はどうなったんだろう(聞くの忘れた)。おそらく他のドイツ、ハンガリーの街でも復旧には相当の時間がかかるのでしょう。あの日プラハで黙々と土嚢を積み上げつづけていたボランティアの人達の事が目に浮んできました。
ひでかす大先生8回にわたる連載お疲れ様でした。掲示板への御感想をお待ち致しております。




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2002年09月27日(金) オフ会告知

日本の奇特な「アイルランド真実紀行」読者の皆様にお知らせです。やりますよ。オフ会。詳しくはこちらへ。

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