なべて世はこともなし
日記アーカイブ(インデックス)へ前日の日記はこちら翌日の日記はこちらアイルランド真実紀行へ


2002年09月10日(火) 車が凹めば心も凹む。玉突き事故顛末記(2)

おとといの日記の続きです)


生まれて初めて回した112番(ケータイからのGSMネットワーク共通の緊急番号)。ところが待てど暮らせどケーサツは来ません。で、保険に入っているかも謎という状態。


後続の車が好奇の目で見ていく中私は頭の中で何が起こったのかを一生懸命再構成しようとしました。覚えている限りでは、信号待ちの列の5番目から6番目になり、信号が青になり、ゆっくり進みはじめ、ちょっとCDを入れようとした瞬間にドン。…たぶん、前が止まったか何かしたんだろうけど、何せ脇見をしていたわけだから何も言えない。


保険番号や住所の交換も終わり、まさに手持ちぶさたになった私を含む3人の運転手。私はともかく外の運転手はイライラしてるのが分かる。


30分経過。さあどうしたもんかと思っているとようやく白バイ警官登場。さっそうと現れた警官は


「車移動!追越車線に車を放置しといたらさらに事故が起こるだろうが!」


…ちゅうかここ、およそ1キロにわたって直線なんだぞ。こんなとこで追突する馬鹿がいるかいな…と思ったら実はそれは自分だったのでかなり鬱になる。


そもそも日本だったら、「事故処理車」とか書いたバンがやってきて、中から数人の警官が現れておもむろにチョークや巻尺を使いながら、何やら現場検証をするというのが当たり前で、私の中にその感覚が「常識」として染みついていたのだが。そう、日本で培った常識がまた壊されて瞬間でした。


で、警官はひっきりなしにやってくる交通を遮断して、私たち3台の車を路肩に移動させ、事情聴取。


事情聴取…とかいうと響きはいいが、実際にやったのはひとりひとりの運転手の住所と名前を聞き、保険番号を控えただけ。一番前の車の運転手の事情聴取、2番目の車の運転手の事情聴取と来て、警官の到着後たった3分で私の番がやってきた。


警官:「この付近でこの1時間で3件目の事故だよ。あーあーあー、派手にやったねえ」
私:「ははは」
警官:「ええと、保険番号は…12345678、で、住所は…この免許証の住所でいいの?」
私:「いいえ。XXX…」



そこで鳴る警官のケータイ。


警官:「ああ。うん。じゃあ、今日は北京ダックとタケノコでいいや」


…こっちが事故を起こして真っ青だってのに、あんたいま今晩の出前中華料理の相談をしてたでしょ…。


このあと、数分間「立ち話」(どう考えてもあれは「事情聴取」とは呼べない)をしていたのですが、この警官、最初はもろに無愛想だと思っていたのですが、実はかなり親身に相談に乗ってくださいまして。


警官:「むろん、あなた次第だけど、これくらいの事故なら保険を使わない方がいいねえ。ところで、この保険のステッカーではなく証書の方、今度本署に持ってきてくれる?」


なぜ?と聞くと、警官、日本で言う警察手帳のようなものの中に貼り付けたたくさんの保険や税金のステッカーを見せてくれる。


警官:「これ全部ニセモノ。ニセモノが出回っているんだよ」


確かに、このステッカー、カラーコピーで一発でニセモノが作れそうな単純な造り。


警官:「では、今回の事故、行政処分もないから、気をつけて運転するように。」


…ああ、そろそろ出前の中華料理が届く頃なんだろうなあと思いつつ、私はボンネットがひしゃげたボロがますますボロになった我が愛車に乗り、黄昏を背にし自宅へ向かったのでした。トホホ。


この話、さらに続きます。




日記才人の投票ボタンです


2002年09月09日(月) ひでかす洪水のチェコを逝く(その5)

ひでかす大先生、土日に続きを書いてくださいました。ま、どぞお読みください。

ひできすがゆく--プラハ途中まで一人旅(5)--



――ひできす洪水対策本部――

 …ドレスデン中央駅、床上浸水で全滅。

 恐れていた事が起こった。ドレスデンはチェコに国境が近いドイツの古都。ほとんどの国際列車がここを通る。これが全滅。僕の予定は陸路でSとドイツへ向かい、数日そこで過ごした後Dublinへ飛ぶというもの。Sがべそをかき始めた。
「パーティーに帰れない」
「いや、道は開ける。ドイツへ帰る道はある。心配するな。」
僕はそう余り説得力の無い事を行ってみる。

この時点で、僕の脳みそは“ひできす洪水対策本部”と化し、活発な活動をし始めていた。もし列車が動かなかったら…。

対策1:もう一つの国際列車ルートを使う。これはチェコ南西部のピルゼンを経由して、ドイツはニュルンベルグへ入るルート。しかし、ニュルンベルグから僕らの向かうベルリンは遠く、運賃がかなり高くなるので出来れば避けたい。

対策2:鉄道がだめでも高速道路は大丈夫だろう。プラハにはベルリンから国際特急バスが確か二社運行している。バスは普通は列車よりかなり運賃が安い。列車の方が旅は面白いと思うけど、この状態では最も現実的対策。

 対策3:線路は続くよどこまでも。チェコ―ドイツの国境がだめなら山を越えてポーランドに入り、そこからドイツに入る路線がある。列車代が高いのはドイツに入ってからなのでポーランドの国境から近いベルリンへは、経済的には問題なさそう。けれども、こんなに回り道してその日のうちにドイツに着けるのかは疑問。

夜9時頃になって僕らは街に飲みに出た。いつものように地下鉄に乗ると、途中の駅には止まらずに、なんと街までノンストップ。途中の駅は洪水で閉鎖されたそうだ。開いてるんだかよく分からない薄暗いビルの入口の奥にひなびたバーがあって、客が結構いる。おいしいチェコのビール(チェコビールは多分世界一でしょう)を飲みながら明日の対策を練る。

「朝イチで、国際バスが出るバスセンターに行ってみよう」

それと、インターネットで情報を得ようと思ったが、どこも10時には閉まってしまうので、この夜は他には何もせず飲んだだけ。

さて、僕らは12時すぎの最終電車に間に合うように駅に向かう事にした。すると、

 (ガガーン)全線閉鎖。

恐れていた事(その2)が起こった。おいおい、どうやって帰るんだよ。

このピンチにひできすの頭に浮かんだのは“タクシー”、でSは“路面電車”。はいはい、乗りますよ路面電車。プラハはそこらじゅうに路面電車が走っていて便利。しかしこの夜、僕らは走っている路面電車を一度も見ていない。それどころか、街は明かりのついているビルも無く気味が悪ければ、タクシーなんか一台も走っていない。異様に暗く静かな通りを行くと、数人の人影が。こっ、この人達は、…やはりボランティアの人達でした。黙々と土嚢を積んでいる。表情は暗く、会話も無い。これを過ぎて橋のたもと(カレル橋より一つ下流の橋)へ行くと橋は閉まっていて、警官が立っている。

「あの、路面電車は走っていますか。」と聞くと、
「街は9時以降停電。交通機関は全てストップ。」

ひえー。こいつは歩くしかなさそうだ。足、まだ痛いのに。

 歩くにしても、僕らはどうしても橋を渡って向こう側に行かなければならない。
「次の橋なら渡れるよ」
警官氏がもう一つ下流の橋を指差してくれた。

 その橋の上では、テレビカメラを持ったおっさん達がうろうろしている。暗闇の中で、洪水中のモルダウ川はざあざあと気味の悪い音を立てている。対岸へ着いて左へ。ここからは地図を見ながら行かないといけない。が、

…真っ暗。

想像してもらいたい。一国の首都中心部が、まるっきり地図も見えないくらいに真っ暗になってしまうんです。

ライターで照らしながら、「うん、ここを多分左だ」…ありゃ、通行止め。その向こうは水。うーん、これはまるでゲームだ。“ひできす、奇跡の首都脱出!”あほなこと言ってないで、そこのガード氏に道を聞いてみよう。

「あのう、Dejvickaにはどうやって行けば良いですか。」と英語で聞くと、ガード氏、ろこつにいやそうな顔をした。はいはい、どうせ僕らは洪水のモルダウ川の橋の上でシャンペンを飲んでいた阿呆な観光客ですよ。しかしガード氏、つたない英語で懸命に説明を始めたではないか。

「ここらへんの道は、んと全て、えー(洪水ってなんて言うんだっけ)…フルート、フルート。ようするに、Close、Close。」

ひできすもSもピンときた。要するにこの人は英語で説明するのがおっくうだったらしい。Sが「ドイツ語を話されますか?」と聞くと、ガード氏急に元気になった。地図を持っていたひできす、蘇生したこのガード氏にドイツ語で

「ここをこう行くと帰れませんかね」と聞くと、
「ああ、そこなら通れますよ。それ、そこの道です。」

と、指差した。なんでい、全てClose,Closeなのじゃあなかったのかい、え?と、あごを人差し指でしゃくってやりたい気持ちをおさえて、指差した方向を見る。

道は広いが、真っ暗な上り坂がうぞぞーんと口をあけて僕らを待っている感じ。道は一つしかない。急に親切になったガード氏にお礼を言って対策本部長ひできすは「よしS、行くぞ」…ってあれ、Sは?「あ、ちょっと、待って、おいてかないでー」。

 道は急な上り坂で、暗くて長い。足取りも重くひたすら登る、登る。カーブを曲がりきると、
「おい、S。見ろ、明かりだ。」

視界の先に、信号機が懐かしく青色に輝いている。その周りには、ビルの明かりが見える。そこはまるで砂漠のオアシス、宇宙の大銀河、浅草花やしきのお化け屋敷の出口。走り出したい気持ちを押さえて坂を登りきる。二人とももうホテルに着いたような感覚。地図を見る。ここからはあと10分ほど。ひできすはもうそこのバーで一杯引っかけていく気分になっている。しかし明日は早い。ここで飲んでは本部長の名が廃る。緩やかな下り坂を下りきるとホテルに着いた。長い一日だった。


しっかしまあ、よくもここまで告ぐ次と事件が起こるもんだ。というか、こういう時期にプラハを訪れる羽目になるひでかすの人生っていったい...。




日記才人の投票ボタンです


2002年09月08日(日) 車が凹めば心も凹む。玉突き事故顛末記(1)

先週から書く書くと大騒ぎしていた「大事件」、ついに、とうとう、ようやく、書く気になったのでご報告です。


話は先週の木曜日、つまり8/29までさかのぼります。会社が終わり、ちょっとだけジムに顔をだして、いつもの通勤路を自宅に向かって走っておりました。夕方の通勤ラッシュの中、私はゆっくりと走っていました。で、Heuston Station駅近所のN4(国道4号線)のアイルランドにしては珍しく片側3車線ある大通りの追い越し車線で信号待ちをしていました。


で、信号が青に変わりゆっくりと動きはじめたのですが、なぜか次の瞬間


ドン!


というすごい衝撃。やってしまいました。追突事故。


で、私がハザードをつけて車から降りると、前の結構新しいフォードに乗ったおばさんが降りてきて、私の顔を見るやいなら


「もう一台前のにぶつかったわよ!」


車3台が絡む玉突き追突事故…というやつです。しかも突っ込んだのは私。


言い訳にもなりませんが、私、アイルランドでは日本に比べてかなり気をつけて運転しているつもりです。特にこの日は会社帰りで慌てていなかったので、かなりのんびり運転してました。事故とはそんな時に限って起こるもので…。白状するとCDを替えようとしていたんですよね。そのコンマ何秒の脇見をしたばかりに…。


車から降りると…あーあーあー、私のボロ車、バンパーは潰れ、ボンネットまで捲れあがっています。相手の車は私のほどではないにせよ、後ろのバンパーに傷がしっかり入っています。

で、一番前の車のおじさんが降りてきたところで私は…


「とりあえずケーサツを呼びましょう」


自分でも結構驚いたのですが、意外なほど落ち着いていました。自分を客観的に見ているのがよく分かります。で、アイルランドで初のエマージェンシーコール。(ちなみにケータイからは112です。)


で、とりあえずどうすべえかと思い、何はともあれ自分の保険会社に連絡。電話の向こうのおねえさんは


「保険番号12345678ですか?今探してるんですけどねえ。見つからないんですよ」


…あんたなあ、3ヶ月前から保険に入っているはずだよ?つまり私は無保険で運転していたとでも言いたいの?日本同様、無保険運行はアイルランドでも重罪です。


で、私が特攻隊した前の車、中には同乗者…子供が二名。12歳くらいの女の子と8歳くらいの女の子。なぜか自分用のケータイを持ってます。とりあえず怪我はしてなさそうなので一安心。


で、一番前の車といえば…どこに傷が入ったかわからない。たぶん触ったくらいなんだろうなあ。


で、混んだN4の追い越し車線にハザードをつけたまま放置する3台の車。3人で保険番号や住所の交換をしたものの、ケーサツはやってきません。


確かに物損のみの事故の場合、ケーサツを呼ぶ義務はありません。とはいえ、私の頭の中ではあとでのごたごたを防ぐためには「証人」としてケーサツを呼んでおいた方が賢いと思ったのです。


さあ、ケーサツは来ない。保険は入っているかどうかもわからない。このあと私はどうなるか…はその2に続く。




日記才人の投票ボタンです


2002年09月06日(金) ひでかす洪水のチェコを逝く(その4)

だらだらと続いておりますひでかす旅行記ももはやその4です。...この先どうなりますやら。

ひできすがゆく--プラハ途中まで一人旅(4)--



――プラハ、ここから二人旅。――


 キスシーンを期待していた方、紙面字数制限の関係上、残念ながらカットしました(Snigel謹告:うちはゲテモノ小説の発表の場ではありませんので当然です。)。再開した僕らは、Sが駅の売店で買ってきたというシャンペンで、夜のスッポットライトで美しく映し出されたプラハ城をバック橋の上でに乾杯をした。その時僕らの後方5mくらいの所から僕らは、いきなりライトで照らし出されて、目が慣れてくるとそれがテレビの中継だということが分かった。


15秒くらいの出来事にあっけに取られていると、ライトは消され、テレビ関係者達は一言も言わずに去っていった。ちなみにひできすはマスコミが嫌いです。街中でいきなりテレビに出てくれなんて言われた日には、思いっきり断ります。以前コメントを求められて数分間出演した時、テレビ関係者達は態度横柄、「映してやっているんだ」という態度で、終わるとテレホンカード一枚僕に渡し、「どうだ嬉しいか」という感じ。今回も、カメラに猛然と向かっていって、「やい、誰が映していいと言った?」と怒って然るべきところ。


しかし今回は雰囲気に酔いしれていたのと、中継が洪水関係と分かっていたので、悪質なものではない確信があったから放っておいた。きっと、“避難勧告が出されているプラハのカレル橋でシャンペンを飲む阿呆な観光客”とでも言われているのだろう。しかし一言もなしとは無礼な。ぶつぶつ…。この後はさっさと地下鉄に乗ってホテルに戻りました。


――二日目――


朝ニュースをつけると、プラハはまだ水位が上昇するという。ドイツではドレスデンなどがやばいらしい。ホテルは二泊とったし、1泊でこの美しいプラハを去るのはもったいない。とりあえず出かけようか。


Sが歩いて行ってみたいというので、地下鉄の駅とは逆方向に歩き出した。徒歩10分でもう昨日橋から見ていたプラハ城の反対側の入口に着いてしまった。公園を一回りして城壁の入口をくぐると、城の中庭へ。建物の内部の調度品等には興味が無かったので素通り。先へ進むと教会があり、Sが入りたそうだったけど、今日はDublinで同居人のPに会う予定なのでこれも通りすぎ、一気に反対側の出口へ向かう。


城を出るとそこはがけの上。プラハが一望できる。遠くに見える高層ビルを無視すれば、城下町はまさに中世の世界。しばらくこの美しい景色を堪能した後、坂を下って市街地へ入ってPに電話する。


「いやー、ひできす、久しぶりだねえ。いや実はね、プラハに行く列車が洪水で止まってしまって、会いに行けないんだよ。残念だねえ。」
そりゃ残念だ。ものすごく残念だぞ。Sも残念そうにしながら
「ところで私達は帰れるのかしら…」。
サーッと血の気が引いた。


 「ときにS,君はここに何泊したいんだい?」と聞いてみた。今回僕ら、本当に何も決めてこなかった。1泊って事は無いだろうから、とりあえず2泊ホテルをとっただけ。それも僕が勝手にとった。ただSはこの後ドイツで誕生日パーティーが控えている。20人ほど招待しているので、ばっくれるわけには行かない。


「明日帰るか?」
「そうね、それがいいわね。」
たった今、帰りの日取りが決まりました。


 街は昨日とはうってかわって人通りが少ない。カフェもレストランもほとんど閉まっていて、ボランティアの人達がせっせと土嚢を積み上げて洪水に備えている。「本当にこんなところまで水が来るんだろうか?」と思いながら見物する。腹が減ったので昨日目をつけておいた繁華街のMustekに向かう。ここはデパートなどが並び、地形も少し高めなのか洪水対策も必要無いらしい。店もほとんどが営業している。パスタを昼食にとった後、


「あの橋へ戻って反対側の街を見に行こう」
と言って、昨日の橋の入口へ向かう。


(ガーン)…通行止め。


あれ、Sはいずこに?ああ、いたいた。人垣にまみれて、川の様子をうかがっている。昨日は暗くてよく見えなかったが、対岸の大きなカジノの建物が2階まで埋もれていて(写真)、川の濁流には上流から流れてきたいろんな物が浮き沈みしている。対岸のカジノがかわいそうなくらいに浸水している(写真)。


 川沿いに駅に向かって歩くけど、Sは10歩歩いては立ち止まり濁流を眺める。ひできすにとって実は洪水というのはそんなに珍しいものではない。ひできすは高知県の生まれ。“土佐の高知のはりまや橋で―”のあの高知です。高知は台風銀座と呼ばれており、毎年のように近所の比島川があふれる。その為、うちの周りは道路の側溝が深い。洪水はしかし床下で終わる事が多く、台風が過ぎると少年だった僕はプールのようになった家の前の道の側溝に入って遊んでいたものだ(ばっちいなあ)。


 ともあれ、猫も飛ばされる台風銀座で生まれた僕には10歩進んで立ち止まるSの気が知れない。一度ホテルに戻り夜になったらのみに行こうということになった。ホテル着。二人ともニュースが見たい。CNN“本日の平均株価は…”「ふん、興味無いね」。ZDB(ドイツのNHK)ああやってる、やってる。…と、この時僕らの目には、とんでもない映像が飛び込んできたのだああ。

作者に起こった大事件、明日こそ書きます。気力がある限り。ははは。




日記才人の投票ボタンです


2002年09月05日(木) ひとりごと

仕事でまともな日本語を話そうとすると英語を話すときよりよほど緊張する。まともに日本語が話せない。困ったもんだ。

(↓にまともな(?)日記を更新してます。)




日記才人の投票ボタンです




Snigel |MAILアイルランド真実紀行へ掲示板へ