なべて世はこともなし
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2001年07月16日(月) リーマン杯座席争奪階段ダッシュ大会の思いで

会社の同僚であり、バカ犬Taroとマークちゃんの飼い主でもあるKさんから言われてしまった。「Snigelのきのうの日記つまんない!」

…忌憚なき意見ありがとうございます。が、さすがのおいらでも毎日A級のネタを提供しつづけることは不可能です。それに、毎日A級のネタばかりだと、この日記の信憑性から疑われ始めてしまう。…というわけでたまにはつまらない日記もあるということでご了承を。ちなみに今日の日記もつまらないです(をいをい)。

なかなか月曜日というのは起きれないです。今日も6時に目覚ましをセットしておいたのに、目が覚めたのはなぜか6時30分。それからシャワーを浴びて走って5分のうちの近所のバス停へ。6時50分発のバスにぎりぎりセーフ。朝から疲れた。で、昨日のうちに作っておいたお弁当(お弁当を作ることなど滅多にないのだが…)についでに彼女とのホットラインでもあるケータイを見事に忘れてしまった。…まったく急ぐとろくなことがない。

で、いつものバスに乗るといつものメンバー。午前7時前ともなると交通渋滞も始まっておらず、バスは来るべき時刻にちゃんと来る。で、待っているのも乗っているのもいつも同じメンバー。で、すれ違うトラックなんかも同じだったりする。

で、ふっと思い出した。昔、東京は八王子で学生なぞしてた頃、週に5回、横浜までバイトに行っていた。バイトといっても週5回1回の勤務時間は最低12時間という常識では考えられないもの。午前9時30分のその店の開店に間に合うためには午前8時2分の横浜線八王子発桜木町行きに乗らねばならなかった(もしかしたら大船行きだったような…)。

で、この電車、通勤ラッシュ時間ということもあって本当に混んでいる。で、座りたかったらホームの前方の方で10分以上前からならばないとダメ。で、12時間以上の立ち仕事で万年寝不足のおいらだから、この時間、意地でも寝ていかねばならない。ちなみに横浜線は乗りとおす奴が多いので、ここで席を取り損ねると、まず菊名まで座れない。という訳で、10分前からきちんと並ぶことが日課になっていた。

で、マニアック(ローカル)な話で申し訳ないのだが、横浜線の前から2両目はラッシュ対応の6ドア、イスなし車両。てなわけで、前から2両目に並んでも座れない。なのに、その前から2両目の最前列のドアに並ぶオヤジが居たのだ。その時おいらは最前列の車両の一番後ろのドアの列の一番前に並んでた。で、つま(はしっこ)の部分の席を狙ってたわけ。

で、ドアが開く、中から学生やリーマンがどどっと降りてくる。で、八王子の駅は後方にしか階段がないから、みんな車両の後ろの方のドアから降りようとする。で、おいらが降りる客が終わるのを待っているうちにそのオヤジ、2両目の最前列のドアから貫通路を乗り越えて、一番前の車両の貫通路脇の特等席を取りやがったのだ。

それからこのオヤジの行動を注目していると、どうも毎日そうやっているようだ。…頭に来たのもそうだが、それ以上に哀れになった。

で、実は、帰りの電車も騒動。帰りは東神奈川発の横浜線八王子行きを利用。で、横浜方面から来ると、次の電車はなぜか連絡階段を上った反対側のホームに止まっているのだ。で、おいらの乗っている京浜東北線が東神奈川に着く頃、階段を上がった反対側で待機している横浜線の車両の座席はあとわずか。という訳で、


…リーマン杯座席争奪階段ダッシュ大会
(入賞記念品:八王子までの安眠)


…が始まってしまうのでした。で、そのことをよく知るおいらは、京浜東北線の前から2両目の一番前のドアのところに横浜駅で一番最後に乗って、ベストポジションから、毎日このリーマン杯ダッシュ大会の先頭を切って走って反対側のホームへダッシュしていたのでした。

…なんだか情けない話。こんな生活が嫌になってアイルランドに来てしまいました。ま、来たら来たで、別の方面からのストレスにやられているわけですが、でもこんなバカなことをしてた頃よりかははるかにシアワセです。

PS 万が一いまだに「8時2分の貫通路ダッシュオヤジ」が横浜線に生息していたら、私の代わりに笑いながらおでこをひっぱたいてやってください。


2001年07月15日(日) 選挙の投票に行ってきました

一足早く参議院の選挙に行ってきました。

おいらが住んでいるのはダブリンの北側で、投票所となっている日本大使館は市南部のダブリン一の高級住宅街Ballsbridgeの外れ。と言う訳で、大使館に行くのには結構手間がかかる。

うちからシティセンターまではよかった。そこから7番のバスに乗って大使館まで行かねばならない。7番のターミナルはEden Quay(Quayは川岸のこと。ちなみにKeyと同じ発音)。そこでバスを待とうと思ったのだが、何か様子が変。よく見ると、小さな張り紙がある。

「7番のバスは7/15(日)よりXXX(マイナーな地名なので記憶になし)まで延伸されます。また、近日中にO’Connel Street発着になります。さらに、7B、7Dを7/16(月)より新設し、8番は廃止となります。(さらにだらだら説明が続く)」

なんだかよく分からない。待機中の運ちゃんに聞いて見ることにした。

おいら:「7番のターミナル、変わったみたいだけどどこになったか分かる?」
運転手:「えー、明日からでしょ?そこで待ってりゃあ来るよ。そのうち」


待つこと10分。やはり来ない。で、そこに偶然やってきた検札の兄ちゃんに聞いてみた。

「あ、7番は今日からO’Connel Street発着だよ」

…頼むからちゃんとわかりやすくそう書いといてくれ。

と言う訳で若干の時間を無駄にしながら大使館へ。日本大使館のロビーは10畳か12畳くらいのロビーがあり、そこにいつもはソファーなどが置いてあるのだが、そのスペースが日本の投票所のようになっている。どこから持ってきたのか、日本の投票所にあるようなついたてまである。

そこには暇そうな係りの男女2名。男の方はなぜか中学3年の数学の教科書を読んでいる。歴史の教科書というなら最近話題だし分かるのだが、なぜ数学?で、受付でパスポートと「在外選挙人証」を見せ、「投票用紙請求書」を記入。それを受付まで持って行って、今度は投票用紙をもらう。で、その投票用紙を記入場所まで持って行って、自分が投票したい候補者名を記入(今回は政党名ではなく個人名で投票しました)。で、それを封筒に入れ、さらにそれを名前の書いた封筒に入れ、それを別の封筒に入れ、提出。

…お役所仕事やなー。

で、「ご苦労様でした」と、ちびまるこちゃんの付箋紙の束をもらって終了。開票は2週間後。これだけ苦労したんだから、おいらが投票した候補者は、何としてでも当選して欲しいものです。(さすがに誰に投票したかはヒミツですが、その候補者が当選したかどうかくらいは2週間後に発表したいと思います)

で、そのあとシティセンターに戻り、靴を買い友人とパブに行き、帰ってきました。すいません、オチはないっす。


2001年07月14日(土) おいらの留学体験記(その3)

本日は2001年7月14日(土曜日)です。…たぶん。何だか自信がなくなってしまう。

なんなんだよこの寒さは!

何せ夕べの最低気温は7℃!!今日も最高気温はおそらく12℃といったところではないだろうか。念のために申し上げますが、アイルランドは北半球にあります。つまり、7月は夏真っ盛りでしかるべき時期です。な・の・に、この寒さ!究極に情けない話ですが、夕べは電気毛布のお世話になりました。今月末からのホリデーはどこか暖かいビーチにでも行きたいと思っています。

ところが、人は自分にないものを求めるようです。真夏の太陽がさんさんと輝くイタリア・スペインからは多数の観光客がアイルランドに大挙して避暑に来てます。その多くはイタリア・スペインの10代のお子様で建前上は「語学研修」。でも、その実態は10人以上の仲良しグループの修学旅行の自由時間と同じ。街を歩けば聞こえてくるのはイタリア語とスペイン語ばかり(あいつら声でかいからね)。

…とまあ、今ではとってもうざいだけになってしまったイタリア・スペインのお子様方。(注意:おいらはあのラテン系の明るさのノリは大好き。ただ単に、あのお子様がグループになってるのがうざいだけ)だけど、おいらには忘れられない思い出があるのです。

この話はこの前から書いている「おいらの留学体験記」の続きにもなります。

★ ★ ★

何だかんだでダブリン空港に着いたおいら。幸い、ホストファーザーが息子を連れて迎えに来てくれた。向こうはおいらの名前を書いた札を持ってくれていた訳じゃない。1996年当時はまだアジア人が珍しかったから、おいらを見たとたんに向こうは「あれがあいつだ」と思ったらしい。

そこからClontarfのホストファミリーの家まで車で約15分。とにかくオレンジ色の街灯のことを強く覚えている。で、ついてみると、ホストマザーがキスで迎えてくれる。これには驚いた。何せ始めた会った人にキスをするなんておいらの体験上なかったもんね。

その家は両親と9歳の息子と5歳の娘の4人暮らし。家はとてもきれいに片づけられており、幸せそうな暮らし向きだった。

まず問題になったのは、英語。わからない。いや、それは適当な表現じゃない。ある程度分かるのだが、話せないのだ。一生懸命日本のこととかを話そうとするが、自分が話したいことの10パーセントも伝えられない。

で、翌日、別の部屋にイタリアはミラノから学生がやってきた。イタリア南部の血が流れていると思われる、肌の色は濃く、真っ黒な髪をした16歳の女の子。背はあまり高くない。2週間の予定で英語を勉強しに来たんだそうな。彼女の名前は、本当に偶然なのだが、今のおいらのガールフレンドと同じ名前。

で、日曜日、考えてみたら信じられないくらい親切なホストファーザーが、車でおいらが乗るべきバス停、そして、降りるべき場所、さらには徒歩での学校の道順まで教えてくれた。彼女と一緒にダブリンの始めて見る町並みに目は釘付けになった。

で、翌月曜日。緊張の初登校日。バスに乗るのにはコインがいる。で、ホストファーザーが「アイリッシュのコインは持っているか?」と聞いてくる。おいらが鼻を膨らませてホストファーザーに見せたのは…イギリスのコイン。「それじゃあ、バスには乗れないよ」と彼は2ポンド貸してくれた。ご親切にも「運転手に、シティセンタープリーズと言うんだよ」とまでアドバイスされる。

そして彼女と一緒に8時前に家を出る。学校は9時開始。当時は交通渋滞もそんなに激しくなかったので、考えてみれば早く出過ぎた。で、彼女、乗るべきバス停を通り過ぎてしまう。おいら、「ここからバスに乗るんじゃないの」と言うが、なんだか要領を得ない。情けない話だが、独りで学校に行くよりは彼女のケツについて行った方がいいと思ったおいら、彼女の後ろ姿を追う。

で、彼女、通りを渡ってこともあろうに反対方向のバス停に。「???」と思っているうちにバスは来てしまった。彼女はすでにプリペイドカードを持っているらしくさっさと乗り込んでしまう。残されたおいらは、考えてみたらアホなくらい緊張しながら、

おいら:「シティセンタープリーズ」
運転手:「このバスはシティセンターには行かないよ。反対方向のバスに乗らないと」


…てなことを言ったんだと思う。なにせおいらは彼が何を言っているか全然わからない。仕方なく彼女に助けを求めようとするが、彼女はすでにバスの後ろの方に座ってしまっている。おいらがどうすることもできず立ちすくんでいると、運転手はつきあいきれんとばかりにバスを出してしまう。

シティセンター行きのバスとは反対方向のバスに乗った当然の帰結として、バスはシティセンターからだんだん離れていく。で、あとから分かったことだが、おいらが乗ったバスは29Aというバス。St Annes Estateの中を右に曲がり左に曲がり、おいらはほとんど投げやり状態。

で、バスはRaheny駅に着。彼女が降りたのでおいらも降りる。そう、おいらのダブリンバスデビューは、お見事なただ乗りだったのです。で、そこにはイタリア人のお子様グループ10人ばかしがいた。そう、彼らはRaheny駅で待ち合わせをして、一緒に学校に行こうとしてたわけ。

それにしてもばかな話。おいらたちのホストファミリーの家はシティセンターから5キロほどのところ。そこからわざわざ5キロほどさらにシティセンターから離れた駅からわざわざ電車に乗るのだ。あとから考えればばかばかしさここに極まれり…と言う話だが、何も知らないおいらはどうすることもできなかった。

で、DARTの改札で「シティセンタープリーズ」と言い、チケットをゲット。結局学校には定時に着きました。

はい、その後の話があるんですが、今日はこの辺で。


2001年07月13日(金) ホームレスに間違えられる

5/25の日記にも登場したバカ犬Taro。訳あって、再び一晩預かることになりました。訳と言うのは意外とバカな話なんです。

この犬の飼い主カップルのアパート、よくある話ながらペット禁止(このカップルのようにダンナが奥さんのペットになる例を除く)。で、この家の洗濯機が突然壊れて大家に電話。

彼女:「洗濯機壊れちゃったんですぅ」
大家:「じゃ、明日(月曜日)、人連れて直しに行くわ」
彼女:「えええええ?」


この国では、大家自ら家賃を回収しに来たり、大家が家にやってきたりと言うことはそんなに珍しくない。あと、ベッドや洗濯機は備え付けのことも多い。で、それらが壊れたら大家の責任。で、大家は「いなくても合鍵使ってはいるからいいよ」と言うものの、犬が見つかってはまずい。で、彼女は何とバカ犬をかくまうために、月曜日会社を休んだ

で、月曜日。大家は修理の技術者を連れて登場。彼女はバカ犬をベッドルームに隠し、こともなげに対応。ちなみに洗濯機は、線が1本はずれてただけ。

で、この彼女、大家にいらんことを言う。

彼女:「ガステーブルも壊れてるんですぅ」
大家:「じゃ、明日また来るわ」


…翌日、彼女の彼がバカ犬をかくまうためだけに会社を休んだ。

で、翌火曜日、大家が再び登場。

大家:「こりゃ、ガステーブル交換だね。金曜日また来るわ」

…もうこれ以上二人ともバカ犬のために会社を休むわけにはいかないと、おいらが一晩犬を預かることになった次第。

で、困ったことにはおいらは毎日ドイツ語のコースで忙しい。で、彼女の家まで犬を取りにいくことはおろか、彼女に家に来てもらうこともできない。仕方ないので、彼女の彼と町で待ち合わせをする。

そろそろ日も暮れた(夏はアイルランドの日は長い)午後10時20分。約束の場所のO'Connel Bridgeのすぐ近所のパブの前にいくとそこにはホームレスの男が…。道端に座り込んでうつむいて何かしている。

…よく見るとそれはマークちゃん(さっきから登場してる「彼女の彼」)だった。よくよく見れば、うつむいているのはケータイで話をしてるだけなんだけど、その風景は見事にはまっていて、おいらが待ち合わせをそこでしていなかったら、おいらは彼の存在にまず気がつかなかった。

で、彼と近所のパブへ。バカ犬同伴ではアイルランドのパブへは入れない(ペット後進国)。仕方ないので、いつも通り、リュックサックの中にバカ犬を押し込んでパブへ。

テーブルについた瞬間、バーマンがやってきた。注文を取ってもらおうと思ったら…

バーマン:「そのかばんの中見はなに?」

マークは、いたずらがばれた子供のようなつぶらな瞳でバーマンに犬を見せる。

…次の瞬間、おいらたちはパブの外にいた。

マークちゃんとつもる話はあるが、場所がない。仕方なく、場末のオフライセンス(酒屋)でビールを買い、いつもジャンキーやホームレスがたむろしている階段に座り込み酒盛りを始める。なぜかホームレスの方々は犬を連れていることが多いから…

通行人:「君たち泊まるとこがないのかい?寒くないかい?」

と聞かれる。…しかもわずか30分のうちに3回も。それ以外にも、アル中が、「たばこくれ」(注:マークはたばこを止めました)とやってきたり、ゲイの兄ちゃんが、「その犬600ポンドで売ってー」と言ってきたり、もうめちゃくちゃ。

で、疲れ果ててたおいらは11時のバスで自宅へ。自宅へ帰ると、おいらはとりあえず着替えに2階の自分の部屋へ。下で「クゥーン、クゥーン」と鳴いていたと思ったら、次の瞬間、バカ犬はおいらの足元にいた。そう、何時の間にか階段を駆け上がるようになったのだ。

…仕方ないので、ベッドで一緒に寝ました。体を摺り寄せてきてなかなかかわいい奴でした。

で翌朝(つまり今日ねん)いつも通り朝時においらは起きる。バカ犬がトイレに行きたいだろうと、下に降りて台所の中庭に続くドアーを開け放しておいた。ま、いくらなんでもそこまでバカじゃないだろうから、外でちゃんとするだろうと踏んでいたのだ。で、おいらはシャワーを浴びに風呂場へ。

シャワーから出てきたおいらのとこに、バカ犬は待ってましたとばかりにまとわりついてくる。なかなか情が湧いてくる。が、次の瞬間目に入ってきたもの…。

フラットメイト(夏休みで帰省中)の部屋の真ん中に特大のウOコ

…さすがにおいらの部屋でしたらぶん殴られるのは分かってたのねん。でも、下まで行くことは思いつかなかったのね。

…犬は飼い主に似るとは本当だった。
(ちゃんとしてるようでどこか抜けている)

その事後処理をし、朝食と水の世話をして、バカ犬を台所に閉じ込めて会社に来ました。さあ、台所がどうなっているやら。

業務連絡:マークちゃんは早く犬を引き取りに来てください。


2001年07月12日(木) ダブリンバス事件簿(その6)

会社内のごたごたに関しても書きたいことは山とあるのですが、今日は明るいネタで行きましょう。今日は、「ダブリンバス事件簿その6」を日記として先行発表したいと思ってます。

おいらがドイツ語を学んでいる学校はシティセンターから南へ約1キロほど行ったところ。で、おいらの家はシティセンターから北へ6キロほど行ったところ。シティセンターまで歩いてそこから北へ行くバスに乗ることもできるが、ドイツ語を勉強し終わってへとへとのおいらはそんな面倒なことはせずに、いつも、わずか1キロほどの距離ながら、10番のバスでシティセンターへ行き、そこからおいらの家へ向かうバスへ乗りかえる。

で、10番のバスは南のUCD(大学)からLeeson St.、St Stephens Green、シティセンター、Phibsboroを経てPhonix Parkへ至るという考えてみたら、ダブリンバス内でも有数のドル箱路線。日中は8分ごとに(建前上は)運行され、いつも混んでいる。

が、夜の10時頃となると、お客がぐっと少なくなることもあって、15分ごとの控えめな運行。で、いつもおいらの学校の前を10時5分から10分にかけてバスが通過するので、おいらはいつもこれを待っている。

きのうも10番のバスをぼーっと待っていた。10番のバスはバス停から100メートルくらい離れた交差点を左折してやってくる。ところが、一台のバスが右折で(つまり、交差点の逆方向から)やってきた。よく見れば、行き先方向幕も何も書いていないし、お客も誰も乗っていないので回送だろう。…と言うわけで手を挙げることなくバスを見送ろうと思ったら(注:ダブリンバスは乗りたかったら手を挙げる。そうしないと通過しちゃう)なんとそのバス、おいらの前で止まった。バスは空。

おいら:「このバス町に行くの?」
運転手:「いくよー、のりなー」


運転手、年の頃45−50くらいの小太りハゲで、どことなくアホの坂田と谷村新司を無理矢理合成したらこんな男になるだろうという感じ。行き先方向幕をPhonix Park行き10番にして、発車!

この男、おいらの100倍落ち着きがない。ドライバーズシートの隣りに座ったおいらに

坂田(運転手):「どっからきたの?」
おいら:「日本」
坂田:「どのくらい住んでるの?」
おいら:「3年」
坂田:「学生さん?仕事?」
おいら:「仕事」


とまあ、話しかけてくる。よく考えたら、世界中のどのバス会社も

「走行中は危険防止の為、運転手には話し掛けないこと」って注意書きがあると思う。運転手の方からくだらないことを話しかけてくるこのアホの坂田って一体…。で、話しかけてくるのはまだいいとしても、このアホの坂田、人の目を見ないと話ができないタイプらしく、前を1秒、おいらの顔を3秒のサイクルで交互に見てバスを運転させるのだ。

おいらは仕方ないから、ドライバーズシートの仕切りのところに片肘をかけ(関口宏がTBS系テレビ番組「クイズ100人に聞きました」で『大手町のサラリーマン100人に聞きました』ってやってた時のポーズ…ってもわかんないか)、運転手と話し始める。

おいら:「このバス変な方から来たけど、臨時か何か?」
坂田:「いやー、UCDまで行けなくて…」


をいをい、と言うことは、何だ?お前、休憩か何かを長く取りすぎて、ターミナルまで行かずに途中から運行を始めたということか?おまえ、おいらの乗ったバス停より手前で寒い中凍えて待っている客の立場はどうなるねん?

その後も、各バス停で客を数人づつ拾い上げながら話は続く。

坂田:「でへへ。こっちのナイトクラブについてどう思う?」

…をいをいをい、お前、猥談にニヤけた谷村新司みたいな顔してナイトクラブについて語り始めるな!

おいら:「どうしようもないね。(お前みたいなのがさかってるから行きたくもないわ)」(かっこ)内はもちろん心の中でしか言わなかった。

坂田:「そうだろう?でへへへへ。日本のはいいだろ?でさあ、日本のナイトクラブってさ、床が鏡になってるってほんとかい?」
おいら:「(んなこと知らんわと思いつつ)よく知ってるねー」
坂田:「でへへ、モノの本に書いてあってん


こんな話をしている間にも、運転手はおいらの顔ばかり見て前を見ず、バス停の客を見落としかけて、(バス停を通過した時点で急ブレーキをかけて止まった)そんなこんなでシティセンター着。

…なんだかな、と思いつつ、おいらはおいらの家の前へ行くのバス停へ(ここで話が終わらないとこがさすがはダブリン)。

バスはタイミングよくやってきた。再びおいらはドライバーズシートの隣りへ。バスが動き出したかと思ったところ6才くらいの子供が2階席から降りてきて、運転席へ。そして一言、

「パパー」

…なんで夜の10時過ぎにお前のガキを自分の仕事場に連れてきてるねん!ま、こいつはいい方で、一度、自分のガキを運転席に乗せて、ガキにドアの開閉をやらせていた、クレイマー・クレイマー真っ青の運転手も昔いたなー。

数分後、突然バスがバス停でも信号待ちでもないところで止まる。「なんだろう?」と思ってドライバーズシートを覗いてみると、

「ヘエロォー」

お前、勤務中にケータイで話すんじゃねえ!

…とってもダブリンを満喫できたバスでの通学光景でした。




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