2006年03月24日(金)- 骨董記 - こんばんは。minetです。 私の23歳も、残すところ2日となりました。 近況を。 春になり、仕事の量は一段落。 先日、父の高校時代の親友で、 私の福岡での後見人でもあった方が逝去されました。 人が死ぬのは、悲しいことです。 27日から、毎年恒例春キャンプです。 心理療法のトレーナとして、4月2日まで行ってきます。 ----- 皆さん、骨董は好きですか? 西洋のもの、日本のものなど様々ありますが、 私は縁あって、骨董を趣味の一つとしています。 最近はデパートや骨董店で手にすることができますが、 骨董を真剣に「見る」ということは、実は生き方その物に近い。 やれ本物だ、贋作だということばかりが強調されますが、 ほんとうに優れた骨董とは何なのか。 真に最も優れた骨董とは、貴方の目にこびり付いて離れようとしないモノです。 それ以上でも以下でもない。 値段など論外。他者の評価など、紙切れ以外の何者でもありません。 骨董の価値は貴方にそれがどう映ったか、それが全てです。 骨董における玄人と素人の違いは、 骨董を見る「眼」のキレにあります。 骨董の放つより深い真実に、気付くことができる。 玄人は、その感覚が圧倒的に研ぎ澄まされている。 素人には見えない「美」が見える。 むしろ、骨董を通してこの世の真実を見ていると言っても良い。 正直、真作だろうと贋作だろうと、どうだっていいのです。 「私」を虜にさせる骨董だけが本物で、後は全部偽物です。 「眼」を磨くには、どうすればいいか。 それは、自分の気に入った骨董を見て触って、四六時中見つめ抜くことです。 そうすれば、段々とわかってくる。 偽物は早晩輝きを失い、只のがらくたにしか見えなくなる。 眼が、骨董の美を味わい尽くして仕舞うわけです。 これを繰り返せば、徐々に目が磨かれてくる。 いつまで見ていても飽きない物だけが本物です。 実際、美術や恋と非常によく似たところがあります。 実は、この前萩焼のぐい呑みを買ったんです。 それがもう、見ていてたまらなく美味しくて。 それで、こんなことを書いてみたわけです。 -
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