2005年08月18日(木) |
Won't get fooled again |
再びピートがマイクに向かう。
"This is the one from QUADROPHENIA"
大きな歓声があがるが、ピートはもう一度繰り返す。"QUADROPHENIA" もう一度、今度は御丁寧にいち、に、さんと指を折って。"QUADROPHENIA"
きた!"5:15" ピアノのイントロはブライトンの海の波打ち際の音。ピートがマイクに囁く"Why should I care?"そして大爆発。オレは大好きなこの曲でいま本当に踊っているんだなあ。続いて、ピアノの下降フレーズ、リリカルな旋律は次第に暴力的なまでに激しくなり、ブライトンの海はいまや大荒れだ。"Love reign o'er me" とてもスケールの大きな演奏。映画「さらば青春の光(QUADROPHENIA)」のエンディングシーンが脳裏をよぎる、ブライトンの崖っぷちを疾走するヴェスパ、切羽詰まった「刹那さ」で胸が締めつけられそうだ。この日、ザ・フーはこの2曲で「四重人格」の世界を表現してみせた。
三たび、ピートがマイクに向かう。と、言うか、昔からザ・フーのメイン・スピーカーはいつだってピートだったんだよな。
"We're happy to be playin' with Aerosmith. Old friends of rock'n roll. They made some space for us to play, we're very gratefull. Thank you, Aerosmith!"
個人的にはこの日のトリがザ・フーでなくエアロスミスなのは不満だった。できればピートになにか毒のあることを言って欲しかったのだが、わざわざそんなことを言わなくてもいいか、エアロ、いいバンドだしな、ピートのあまりに友好的なコメントを聞いてそう思った。got old?いやいや。
続いてピートがサポートメンバーを紹介する。キーボードはやはり彼らの古い仲間、ラビット、ジョン"ラビット"バンドリック。ベース、ジョンの代役、ピノ・パラディーノ。ギターにピートの弟、サイモン・タウンゼント(ピートは自分の手首を指差して"my real brother"と紹介)。
そして、メンバー紹介の最後にピートが箔をつけて紹介したのが「インクレディブル!ザック・スターキー!」。客席から「ザック!」「ザック!」と女性ファンの声がかかる。大人気だ、ザック。
メンバー紹介の後、ピートがつけくわえる。
"There are many ghosts in the Who"
小山さんが叫ぶ「キース!」、僕も同時に叫んだ「ジョン!」。
"They live between the notes"
素っ気ないが、感動的なコメントだった。すぐさまピートが気合いのカウントを入れる、"One two three four!"
物凄いスピードと音圧で"My generation"が投下された。突然手榴弾を投げ込まれた客席は狂乱状態だ。生で聴いてあらためて実感した、これはパンクだ。60年代なかばのロンドンにパンクはとっくに生まれていたのだ。そして「歳取る前に死んじまいたい」と60歳のクソ・オヤジがいまだに歌っているのだ。「これがオレのジェネレーションだ」と頭のハゲあがったオヤジが叫んでいるのだ。パンクだ。究極の。
ただピノ・パラディーノのベースソロはいただけなかった。この曲の言わば「キモ」である故ジョン・エントウイッスルの殺人的ゴリゴリ・パフォーマンスは再現不能だとしても、この曲の勢いに匹敵するぐらいブチ切れて欲しかった。ピノのソロから「プロ(仕事)としてのプレー」以上のものを、残念ながら僕は感じることができなかった。キースの場合と違い、ジョンという前代未聞の強力ベーシストの不在はあまりにも大きく感じられた。
などとオールドファンらしいゴタクを並べている僕の心中とは関係なく、演奏はもうひとつの新曲につながっていく。"Old red wine"。急逝してしまった(日本に来てほしかった!)ジョンのことを歌っているらしい。ラスベガスでツアー初日の前夜にホテルの部屋で「セックス、ドラッグ&ロックンロール」やってて死んじまったボリスのくも野郎を悼むにはちょっとロマンティック過ぎるかもしれないな。
ジョン、通称「The Ox」に思いを馳せる間に新曲は終わり、さらに演奏は続く。やや静かになった客席も僕も、ザ・フーのやり口に気付いていない。ここでこの日最大級の爆弾が炸裂するとは誰も予想していなかった。
"Won't get fooled again" 僕はザ・フーを「奇形」と表現した。ストレンジネスをストレンジなまま放り出して、そこで生まれる軋轢を解消しようともしていない、と。僕がピートを「天才」だと、「奇形」だと断じるのはこの曲があるからだ。いったい、こんな妙な曲があるだろうか。曲の骨組み自体はリズム&ブルースの形式を借りているように見えながら、そのバックにはシンセのフレーズが少しずつ形を変えながら、文字通り「変態的に」うねっている。天才の意図を知ってか知らずか、ボーカルはやたらと力みかえって「希望」だか「諦念」だかわからない歌詞をシャウトしている。ベースもドラムも暴れまわってはいるが、それはあくまでシンセの変態的な檻の中でのことで、イマイチ自由奔放にハジけられてはいない。後半、曲はストレンジのきわみに達する。その場面にはギターもドラムもボーカルも存在しない。それはシンセのフレーズによる「空間(ブランク)」だ。それは「空っぽの檻」だ。宇宙空間に放り出されたような、足元に確かなものがなにもない、そんな瞬間が延々と続く。そして、終わりがないように見えた空間の連続が破られるとき、ロック史上最大のカタルシスが生まれる。地表まで迫るマグマのようにドラムがそれを予兆し、地面は裂け、マグマはついに暴力的に噴出する。
「イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」
奇妙な曲だ。本当に変な曲だ。そしてこの変な曲がステージで演奏されると、とてつもない興奮状態が現出するのだ。間違いなくピートは天才であり、この曲はその天才が創りあげた最大級の爆弾、モンスターだ。そして、モンスターはこの日、横浜でも見事に大暴れした。噴出したマグマは会場全体を覆い、その熱はいっこうに冷める気配がなかった。曲が終わった時、僕はマグマを全身に浴びて呆然と立ち尽くしていた。
ザ・フーはこの日アンコールでステージに呼び戻された最初のアーティストとなった。最前列の客がピートに英語でなにか言い、ピートは大声で笑いながらマイクに向かう「いま、どこかの奴がオレにこう言ったんだ『早くやれ!』って」。
この「早くやれ!」は前述のカンボジア難民救済コンサート(79年)で観客がピートに叫んだ言葉なのだが、こんなに大受けしているところを見ると、ピートは忘れてしまっているんだろう。ちなみに79年のピートは挑戦的な口調でこう切り返している。「『早くやれ』?そんなことはこっちだってよーくわかってんだよ」。got old?いやいや。
"Pinball wizard"!「トミー」の始まりだ!ウッドストックで、ワイト島で完全演奏された「トミー」のハイライトがこれから始まるんだ!客席から期待に満ちた拍手が起こる。ロジャーのマイクアクションが一段と派手になる。"Amazing journey"、"Sparks"と、トミーの旅は続き、そのたびに観客は歓声をあげ、盛り上がる。
凄い!凄い!特にピートとザック、「超気合い」としか表現のしようのない演奏だ。ふた回りも世代の違うふたりなのにこの息の合いようはなんなんだ。ザックがキースのようなイカレたプレーをすればするほど、ピートのテンションは急上昇している。トミーのトリップが深くなるほどに、ギタープレーがますますブチ切れてくる、ピート、物凄い形相だ。鬼だ。確かにピートは鬼と化している。そんなピートを見て、とてつもない感動が体中を駆け巡るのを抑えることができない。凄い凄い凄い!!!
"See me, feel me / Listening to you" ついにこの曲を生で歌うときが来たんだ。15歳のオレ、観てるか?こんな日が来るなんて、テレビの前でザ・フーに初めて魂を奪われたあの時には想像もできなかっただろ?あれからオマエが経験するいろんなことは、ついにオレをこんなところにまで連れてきてしまったぞ。
トミーの旅も終わりに近づいて、ということはザ・フーのステージももうすぐ終わるんだ、そう感じたとき、いやだ、終わってほしくないな、という気持ちと、本当にザ・フーのステージを体験したんだ、という満足感、ふたつの感情が沸き上がってきた。どちらかというと満足感が大きかった。これ以上のものはもう経験できないだろうな、これ以上のものはないな、と思った。
甘かった。僕はこのクソ・ヤローを甘く見ていた。ピートは満足感に浸っていた我々の頭を斧でカチ割ろうと虎視眈々、狙っていたのだ。曲の最後の和音が長く引き延ばされて、このままエンディングかと思った矢先。僕は自分が目にしているものが信じられなかった。ピートはストラトキャスターを肩から外すと、そのまま大上段に振りかぶったのだ。ええ?ええ?えええええええええ?!振りかぶったギターはモニタースピーカーに叩き付けられた。
一発。このクソ・ヤローには一発でじゅうぶんだった。ギターは粉々になり、破片はまるでスローモーションのようにゆっくりと飛び散っていった。最後の和音にとてつもなく不快なフィードバックが不協和音となってかぶさっていた。その不協和音が響く中、ザックが、ロジャーが、そして世界最高のクソ・ヤロー、ピート・タウンジェントがステージから消えていった。
やられた。僕はそれまで泣かなかった自分に満足していた。「ザ・フーの現役感あふれる音楽は客を感傷とは無縁のソリッドな感動に導いた、素晴らしい!」そんな結論を得て悦に入っていた僕は、ピートがギターを振りかぶり、モニターに叩き付けた瞬間から大泣きしていた。なぜ泣いているのか自分でもよく分からなかった。ただ、大声をあげて叫び、そして泣きわめいていた。
椅子に崩れ落ちてしばらく立ち上がれなかった。周りではさらにアンコールを求める拍手が続いていたが、どうでもよかった。僕は心底会いたいと思っていたピートに念願叶って会い、そして完膚なきまでに叩きのめされたのだ。ヤツはまた僕を完全にファックしていきやがった。ヤツがギターを振りおろした、その先にはモニタースピーカーではなく僕のマヌケ頭があったのだ。
鬼と化すわけだよ 鬼と化すわけだよ 鬼と化すわけだよ
ピート・タウンジェント。間違いなく「鬼神」だった。
◇ ◇ ◇
数日後の明け方、まだショックから立ち直っていない僕に、小山さんからメールが届く。「やったぜ!すぐにこのサイト見て!」とあり、URLが記されている。なんだろう、とクリックするとピートのオフィシャル・サイトのなかの1ページ。
横浜公演のレポートが写真とともに掲載されており、そこに写っていたのは紛れもない、僕と小山さんの後ろ姿のアップ。そして僕の背中には小山さんの力作、「"M"OONEY」の文字が誇らし気に光って。
2005年08月17日(水) |
Who are you? |
ザ・フー来日前に、ある掲示板サイトで初来日に燃えるファンと、その思い入れをからかおうとする冷笑派のやりとりを読んだ。あんな年寄りの時代遅れの音楽をありがたがって聴いてうんぬんという、いわゆる「釣り」の発言に、僕のようなシンプルなファンが熱くなって見事に釣られている図式。
そんな発展性のないやりとりのなかで、こんな書き込みがあった。
「確かにな。ピートの今の風貌を見たら、なんだかどこの教頭先生だよ、って感じだろ?でもな、この教頭先生が、いったんギターを手にしたら、鬼と化すわけだよ」
鬼と化すわけだよ 鬼と化すわけだよ 鬼と化すわけだよ
◇ ◇ ◇
ステージではまだ稲葉の演奏が続いている。小山さんと僕はアリーナ最後部のスペースに座り込んで、時が経つのを待つ。客席は相変わらずの盛り上がりだが、我々の前、通路を行き交う人たちの雰囲気が、微妙に変化しはじめる。気がつくと我々の周りにも大勢の人たちが座り込んでいる。彼らに共通しているのは今ステージで何がおこなわれているか、まったく関心を払っていないということ、そしてとてつもなく重要な瞬間が紛れもなくすぐそこに近付いているという緊張ではちきれそうになっていることだ。
いやそれはもはや緊張などというものではなかった。それは「殺気」だった。いま、横国のアリーナはステージへの熱狂と、未だ見ぬものへの殺気が同居する、とてつもなく奇妙な空間となっていた。
そんななか、僕と小山さんはへらへら笑っていた。笑うしかないだろう。こんなアイロニカルな状況で我々は世界最高のバンドの登場を待っているのだ。
ステージの演奏が終わった。いよいよだ。我々は立ち上がり、アリーナ前方に向かって歩きだす。小山さんが知り合いらしきひとと挨拶を交わす声が聞こえる、おお"Cube"のReiさんとパートナーの丸さん。おふたりはフェス最初からの参加ではなく、 ザ・フーに照準を合わせて来場した、とのこと。うーむ賢い。Reiさんと握手を交わす。丸さんにはキリンジの話題をもちかけようとしてさすがに思いとどまる。
席に辿り着いた。この席に座るのは今日3回目。あらためてステージを見ると、やはりずいぶんステージに近い。チケットを取ったのはただの先行予約だったのに本当にラッキーだ。Reiさんと丸さんを探すと、我々のブロック最前列。それはそれで羨ましい。わざわざその席まで行って、いいないいなと今さら言ってもしょうがない言葉を繰り返す。Reiさんは苦笑している。
ザ・フー登場予定時刻が近づくにつれ、場内に歓声と拍手が飛び交いはじめ、それがどんどんエスカレートしてゆく。稲場のアクトから残った客、次のエアロ目当ての客もいるはずだが、ザ・フーファンの殺気がそれらの客をも巻き込んで増殖しているのだ。いいぞいいぞ。
BGMが途切れ、あとはザ・フー登場を待つばかり。期待ではち切れそう、というかもはや目眩がしそうだ。小山さんがステージ袖を指差して叫ぶ「おお、ジョーペリー御一行さまだ!」。ホントだ。この日のトリであるエアロスミスの連中がステージ袖に陣取った。いいぞいいぞ。
その瞬間はあっけないほど簡単に訪れた。ステージにピートとロジャーが颯爽と、というよりはノソノソと登場。大歓声。僕もふたりの名前を絶叫した筈だ。ピートは黒のTシャツに黒サングラス、ロジャーは長袖シャツを腕まくりして薄いサングラスをかけている。ピートが赤いストラトキャスターを手に取った!うわあ、うわあ、ザ・フーだ、本当にザ・フーだ。
ギターリフがステージから雷鳴のように鳴り響く。"I can't explain"!!!その瞬間、横国が揺れた。演奏が始まった瞬間、息を呑んだ。始まる前は泣くかと思っていたのだ。泣けなかった。その演奏の凄ましさに泣くどころではなかったのだ。もの凄い演奏だった。もの凄い「現役感」だった。僕の安っぽい思い入れやノスタルジアなど、一瞬にして吹き飛ばされてしまった。チクショー、こうでなくちゃな。
1曲目からピートは惜し気もなく風車ピッキングをカマしまくる。ぎゃー!めちゃめちゃかっちょいいぞ!名刺替わり、という感じではない。初めて演奏する場所なのに(いや、だからか)様子見をしている感じはまるでなく、エンジン全開で飛ばしまくっている。
ロジャーのボーカルが、今までレコードやビデオで聴いていたものよりはるかに伸びがあり、表現力豊かだ。ちょっとびっくり。こんな素晴らしいボーカリストだったのだな、ロジャーは。
間髪置かず、"Substitute"。イントロですぐさま反応し絶叫する観客。1曲目も2曲目も、40年(!)近く前に作られた曲なのに、このかっこ良さはいったいなんだ。まるっきり今の、最高の「ブリティッシュ・ロック」ではないか。ロッククラシックなのに全然古くない。ザ・フーがいかに時代に依らない「天才」の業によるものなのかあらためて思い知らされる2連発。途中でロジャーが叫ぶ「サキトゥミナーウ!」。おおこの叫びだけは時代がかってるぞ。
間髪置かず(まだ行くか)、"Anyway, anyhow, anywhere"。曲後半、キーボード(ラビットか?)がアルペジオのパッセージを奏で、演奏がインプロビゼーションに突入し延々続く。初期のナンバーだが、このあたりはケニー・ジョーンズ在籍時の中後期フー、"Sister disco"あたりのライブバージョンを彷佛とさせる。こういうのが好きなんだな、ピートはやはり。
それにしても、ザック・スターキーは本当に凄い。キース・ムーン以上にキースっぽいと言うか。ケニーにせよサイモン・フィリップスにせよ、キース亡き後の歴代ドラマーはキースの呪縛から逃れようとして逃れられず、自分のカラーを出せばそれはフーとは合わず、結果としてキース不在をより感じさせる悲しい結果に終わっていたのだが、ザックのドラムは、ザ・フーというバンドにキース・ムーンという素晴らしい屋台骨がいたのだということをまざまざと思い起こさせ、それが眼前に蘇る、そんなドラムなのだ。全体のコントロール度、クレバー度はキースよりはるかに上、でもそのブチ切れ度、キチガイ度はキースとまったく同じ匂いがするのだ。キースと一卵生双生児と言われたピートを俄然イキイキさせる、そんなドラマーなのだザックは。Ringo, you should be proud of your son!!
間髪置かず(まだ行くのかー!)、シンセのフレーズが響き渡る。!!!!"Baba O'Riley"!!!!
嘘だろこんな簡単にこの曲を聴けてしまっていいのかよ…。
この時は知る由もないが、小山さんとのバンド"Ni"はこの年の秋以降、レパートリに"Baba O'Riley"を加えることになる。「ロジャーのいないフーバンド」であるNiで、この曲を僕が歌うことになるのだ。この曲で綴られている言葉を、僕が自分で吐き出すことになるのだ。
"No need to fight to prove I'm right, I don't need to be forgiven"
ロジャーが雄々しく反逆の言葉を歌う。ピートがピックを持った手を高く掲げる。彼の中に未だにあるなにごとかを証明するように、何度も高く掲げる。そして一瞬の静寂のあと、ピートが叫ぶ。
"Don't cry, don't raise your eye, it's only teenage wasteland"
Fuck off!
僕はこのためにここに来たのだ。この言葉をこのフレーズを、紡いだ本人から聴くために、本人と共に叫ぶためにここに来たのだ。このクソッタレな宣言を一生自分の中に根付かせるために、来たのだ。十代は、くだらない、荒れ果てた、時間、場所。クソッタレ、クソッタレ、クソッタレ。
エンディング、シンセのシーケンスフレーズがバンドの生演奏とわずかにズれる。思わぬアンチ・クライマックスに小山さんが呟く「あー、ドンマイ、ドンマイ」。異常なテンションの中にいた僕もこの言葉に思わず弛緩して笑ってしまった。ザ・フーの登場から4曲、初めて肩の力が抜けて一息ついた一瞬だった。
続いて"Behind blue eys"のイントロ、美しいギターアルペジオが流れる。フーのフの字も知らない15歳の時、テレビで放送された「カンボジア難民救済コンサート」。ポールとクイーンを目的に見ていた僕は初めて見るザ・フーにとてつもないショックを受けた。この曲もその時初めて耳にしたのだ。ピートとロジャーのハーモニーの美しさ、静と動が交錯する構成のダイナミズム。ザ・フーの(ピートの)美学を初めて知ったのがそのテレビ放送だったのだ。この日は、激しさを幾分抑え目にしたバージョンだった。got old?いやいや。
ロジャーがアコースティックギターを持って、聴きなれない曲を歌う。新曲だ、"Real good looking boy"。「好きにならずにいられない」のフレーズが意味ありげに引用されたこの新曲、僕の英語力では歌詞が聴き取れず、何について歌っているのか、イマイチ判然としなかった。エルビスのこと?
血管ブチ切れそうだった観客(オレだー)も新曲でやや落ち着く。ピートがこの日最初のMCを叫ぶ「サンキュー」。僕は思わず「もっとしゃべれー」、小山さんも「日本語でいいからしゃべれー」。
我々の言葉に呼応して(いや)ピートがさらにマイクに向かう。
"Roger and me, Pete, the first, the first time in Japan!"
拍手が起こる。客が日本人であることを意識してかピートの話し方はゆっくりで丁寧だ。おかげで僕にも難なく聴き取れる。
"We've come as tourists?(観客笑う)We've come to play! It's been fantastic!That's fantastic!The great country"
驚いた。ピートが初めて目にする日本のフーファンを「ファンタスティック」だと評したのだ。気に入らない客には「ファック!」を連発するピートが、日本のファンのレスポンスを「素晴らしい」と讃えたのだ。とても嬉しかった。
感極まって僕は"We've been waitin'!"と叫んでしまう。前方の外人客が僕を振り向いて笑う。小山さんも叫ぶ"Waiting for…"
小山さんの叫びをかき消す大音量で始まったのは"Who are you"。うわあ…。
凄い演奏だ。レコードではやや軽めのタッチだったイントロが超ド級のヘビーロックに生まれ変わっている。その上にマジカルなコーラスがかぶさる。"Who are you?, who who,who who" ザ・フーの真骨頂だ。ピートは腕をぶんぶん振り回し、ジャンプを決めてみせる。小山さんが嬉しそうに「いよいよ教頭先生、調子出てきたね!」。中間部、ピートの見事な単音指弾きの細かいパッセージが響く、小山さん「うまい、さすが本人」。ハハハ。
曲が大団円に近付くとピートのギタープレーはより凶暴度を増してどんどんトリッキーになる。ストラトのアームを駆使したプレーが本当に凶暴で繊細で絶妙で、最高にイカしている。あの赤いストラトがピートの「ラスト・ギター」になるのではと考えてしまう、そんなプレー。ロジャーも負けじと叫ぶ、"Come on, tell me who are you?"。
それはオレがオマエらに聞きたい。Who the fuck are you? ピートは腕をブン回し続けている。
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