2015年05月24日(日) |
僕はこれから何度名前を書くだろう |
稲葉 馨の名前で日記を書いているが、本名は「大野仁志」という。
この「仁志」という名をくれたのは祖父である。
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もともとは祖父が自分の子供(つまり僕の父ですね)に付けようとしていたのだが、曽祖父が急きょ名付けたために、「仁志」の名は浮いてしまった。 そして孫が生まれたとき、祖父は四半世紀以上もあたためていた名前を与えた。
数年後、祖父は何行にもわたって「大野仁志」と書かれたプリントをくれた。 名前の漢字練習帳である。 幼稚園児の僕はそれを何度も書きなぞった。 物心の始まりで、ひらがなを覚えるよりも先に、漢字の練習をしていた。
数ある漢字の中から自分に与えられた四文字を愛おしく思い、この名前が大好きになった。
幼稚園や小学校初期のころ「おおのひとし」と書かれるのが幼く感じたものだ。 いや、実際幼かったのだけれども。 漢字で書けるのに、なんとなく空気を読んでひらがなで自分の名を書いてフッとため息を吐く、そんなイヤなガキだったかもしれない。
そういったわけで、大人になる今も、名前を書くたびに祖父を思う。 感謝であるとか、いちいちそんなことまで感じるわけではないが、しかし一瞬、確実に頭をよぎる。 今後も、おそらく一生、ちょくちょく祖父を感じるのだろう。
孫として、少し、嬉しい。
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今日、その祖父を抱きかかえた。 あれほどしっかりと抱きかかえたのは、たぶん初めてのことだと思う。 非力な僕には重かったけれど、まあ、ほとんど箱と壺の重さであろう。
祖父が自分で建てた墓石に掘られた漢字は「安寧」であった。
四十九日。 前日までの予報では雨も考えられたが、見事に晴れた。 それが本当に良かった。
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