読書日記

2002年08月31日(土) 日垣隆『エースを出せ!(脱「言論の不自由宣言」)』(文藝春秋2002/8/30)をほぼ読む。

日垣隆『エースを出せ!(脱「言論の不自由宣言」)』(文藝春秋2002/8/30)をほぼ読む。
第一 <朝日>の章 が一番面白い。ここまで鋭く深く突っ込みを入れることに意味があるのか迷うにしてもとにかく面白い。著者の面目躍如と評価するのは紋切り型か。
この章の小見出しは以下の通り。
ひきこもる「天声人語」の断末魔、「天声人語」パワーダウンの歩み、新聞の漢字表記法に困惑、新聞が記事にしないこと、朝日新聞「紙面批評」追悼
朝日新聞の反撃を期待したい。
新聞記事やテレビのニュースなどに対する「読み方」や「突っ込み方」を教える指南役としてもこの筆者の存在意義は大きくなっている。
この本も文藝春秋社の本として出ている。立花隆の新著もそうだった。
どちらも良い本だが、同じ大出版社からというのがちょっと気にかかる。
この本は久しぶりに旭屋書店まで出かけて買った。
まだ本棚に出ていなかったので奥から持ってきてもらった。



2002年08月30日(金) 日垣隆『学問のヒント』(講談社現代新書)を発見。

 日垣隆『学問のヒント』(講談社現代新書)を発見。
この数年その前は車で通っても一度も入らなかった本屋に今日はたまたま寄った。日垣隆の新刊を買うためだった。自宅付近の本屋よりも置いてある可能性が高いと判断したのである。
入ってすぐないなと思った。
雑誌とCDが中心で文庫やコミックスの棚が奥の方に見えたからである。
単行本などどこにもないように見えた。
それでも文庫本の近くに新刊コーナーに立花隆の新刊があった。
ちょっと期待したが10冊程度のちょっと前に出た本しかない。隣の新書の棚をチェックして帰ることにした。
これまた10冊程度の講談社現代新書が並んでいたの眼を凝らすと、あった!
長らく売り切れだったのを最近増刷したと聞いていたのでそれだろうと思いながら裏を見ると「1997年」版だったのである。
ここまでに何十件の本屋で確認しただろうか。行ける限りの本屋はすべて回ったはずだった。それがこんなところに最初からあったのだ。
思わず笑ってしまった。
なんとまあ、個人的に失せ物と捜し物は忘れた頃諦めた頃に現れるものだと信じてはいたが、『学問のヒント』はその「頃」はもうすでに過ぎていたと思い、此度は当てはまらなかったなと増刷版をそのうち手に入れることになるのだな、と完全に諦め、完全に失念していたというのに、不意打ちを食らってしまった。
しかも同じ著者の新刊を買おうとしての「邂逅」だから面白い。
それからもう1冊。
城山三郎のエッセイ集は全部チェック済みと思っていたのでこちらも不意打ちだった。
文春文庫の『湘南(海光る窓)』の発見である。
他の文庫よりも大きな活字がゆったりと読めそうな気分を誘う。
これは著者の要望によるものだろうか。
他に東京創元社の新しいシリーズ、創元コンテンポラリを三冊購入。
さらに村上龍のサッカーエッセイ集も。



2002年08月28日(水) 立花隆『「田中真紀子」研究』(文藝春秋2002/08/10)を138ページまで読んだ。

立花隆『「田中真紀子」研究』(文藝春秋2002/08/10)を138ページまで読んだ。
現首相の評価についてはどうかと思うが文章・内容ともにはわかりやすく心地よい。現在の日本政治・政界についてこれほどの材料と説得力をもって解説できるのは希有だろう。
ここまで書いても出版されるのは所詮は大勢に影響はないという判断もあるのだろうか。
夜、また「マイ・リトル・シェフ」「ミュータントX」を観る。



2002年08月22日(木) 『スラムダンク』第九巻を再読。

『スラムダンク』第九巻を再読。
全体を通して家族が出てくるのはキャプテンの赤木のところだけだが、この巻では復活した三ポイントシューター三井寿の不良仲間との一瞬の再会があってそこに家族的な「こころ」の交流を感じた。
寂しさが人間的パワーの源であってもいいではないか、と思った。
ありがちな場面で独創的なものではない。
それでも記憶に残る場面だ。
『イン・ポケット八月号』の拾い読み。原田宗典と阿部和重のシネマ対談、目新しさはない。
夜、「マイリトルシェフ」「ミュータントX」を観て寝る。




2002年08月20日(火) 齋藤孝『子どもたちはなぜキレるのか』(ちくま新書)『「ムカツク」構造』(世織書房)を拾い読みする。

齋藤孝『子どもたちはなぜキレるのか』(ちくま新書)『「ムカツク」構造』(世織書房)を拾い読みする。「スラムダンク」の文字に目が吸いついていく。
『スラムダンク』は凄い。印象が強く、影響圏内から脱出不可状態が続いている。
最近、三色ボールペンで線を引きながら読んでみている。
集中力が持続する。
多少固い本でも読めそうな気がしてきた。



2002年08月19日(月) 東野圭吾『トキオ』(講談社2002/07/18)読了す。

東野圭吾『トキオ』(講談社2002/07/18)読了す。
一種のタイムスリップもので筆者独特の現代劇ファンタジィに仕上がっている。ロバート・ネイサンの『ジェニーの肖像』風である。
大部分を占める活劇風ドラマは、結構ドタバタで楽しい。
感動するまではいかなかったのはそれほど奇想天外ではなかったからにちがいない。



2002年08月15日(木) 井上雄彦『スラムダンク』(集英社ジャンプ・コミックス)を19巻まで読む(但し9巻を除く)。

井上雄彦『スラムダンク』(集英社ジャンプ・コミックス)を19巻まで読む(但し9巻を除く)。
湘北対陵南、ラスト8分。
赤木の「みんなすべてを賭けてくれ!!」のセリフで20巻目へ続く。早く読みたい。

齋藤孝『三色ボールペンで読む日本語』(角川書店2002/03/30)を読み終える。
青・赤・緑で本を汚すことに抵抗がありで、これを実行するのは結構難しい。
しかし、巻末の小学生や大学生の感想を信じるならばすばらしい方法なのかもしれない。線を引いた本を後で見直した時にどんな気持ちになるかが鍵だ。
線を引きながら読むこと自体には以前からあこがれ(?)はあったから。
この方法は現代文の入試対策から生まれたものだろうか。

昨日観たテレビ、『マイ・リトル・シェフ』『ミュータントX』
レンタルビデオで『千と千尋の神隠し』



2002年08月12日(月) 茅田砂胡『神々の憂鬱(暁の天使たち2)』(中央公論社2002/07/25)を読了。

茅田砂胡『神々の憂鬱(暁の天使たち2)』(中央公論社2002/07/25)を読了。
どんな展開になるのか楽しみだったが、今回は過去の整理と次回へのつなぎにすぎなかった。945円も出しているのに11月まで待たねばならない。
シリーズものの嫌なところはこういうところだ。

齋藤孝氏の著書の影響で『スラムダンク』を読んでいる。8巻まで来た。結局30巻全部読むことになるのだ。残り22冊誰かポンとくれないだろうか。

『ピンポン』は既に読んでいたのでよかった、よかった。

齋藤孝『「できる人」はどこがちがうのか』(ちくま新書)を拾い読みしていたら、「卓球」という言葉が目に飛び込んできたので錯覚かと思いつつその当たりを熟読して確認。54ページから60ページまでは元「卓球」選手の話題だった。齋藤孝、恐るべし。

北杜夫の兄上でいらっしゃる斎藤茂太氏の『頭は刺激しないと鈍くなる(脳細胞がどんどん動き出す刺激法』(青春文庫1994/09/15)を拾い読み。
脳のためにしてはいけないことの第1番目に休日に家でごろごろしないことが来ている。最近そういうごろごろしていたいという願望が結構強い。要注意だ。
実際にゴロゴロしていなくても願望があるだけでも相当脳が老化してきているそうだあ。
テレビ『ランチの女王』を見る。テレビを見るのも老化につながるそうだ。



2002年08月10日(土) 茅田砂胡『スカーレット・ウイザード外伝』(中央公論社2001/11/25)を読む。

茅田砂胡『スカーレット・ウイザード外伝』(中央公論社2001/11/25)を読む。
『暁の天使たち』の前にこれが出ていたのを知らなかった。
あとがきにあるように「エピローグ・アンド・プロローグ」の巻であった。
リィがジャスミンの生まれ変わりでなんとかかんとかでとかあれこれ想像していた自分がバカ。
リィとルウに加えて生まれ変わった殺人機械三人衆が登場して、ケリーとジャスミンのいない未来世界で何をするのか。
『デルフィニア戦記』十八巻と『スカーレット・ウイザード』六巻、合計二十四巻に足すところの『暁の天使たち』二巻(今のところ、今日二巻目を入手)で現在二十六巻の大河小説が進行中。
まさか『桐原家の人々』にまでつながる?
無国籍漫画風荒唐無稽ファンタジィ増殖中である。

今日ははるばる丸善ラガール店に出かけた。行くたびに縮小していたノヴェルスの棚が見つからず店員さんに尋ねたら「なくなりました」とのこと。
『神々の憂鬱(暁の天使たち2)』(中央公論社2002/07/25)は別の本屋さんで買うことになった。
齋藤孝著のちくま新書二冊は丸善で購入でこれはめでたい。



2002年08月09日(金) 齋藤孝『スラムダンクを読み返せ!!(仲間がいるからパワーが出せる)』(パラダイム2000/11/09)を読む。

齋藤孝『スラムダンクを読み返せ!!(仲間がいるからパワーが出せる)』(パラダイム2000/11/09)を読む。
アイデンティティを話題にしながら仲間とは「お互いのアイデンティティを磨き合う」関係だと主張する筆者の意見は新しいだけでなく、核心を衝いている。
僅か110ペ−ジの薄い本は筆者のエッセンスを濃厚に伝えている。
『子どもに伝えたい<三つの力>(生きる力を鍛える)』(NHKブックス2001/11/20)の親本の一冊と言える重要な作品だ。

茅田砂胡『暁の天使たち』(中央公論社2002/03/25)を一気に読み果たす。
『デルフィニア戦記』と『スカーレット・ウイザード』の続編。いつものように筆者はあとがきでおおぼけでどうにもならない人だが、登場人物たちが相変わらずの活躍(?)でそれはどうにも隠しようがない。
冒頭しばらくは話が掴めず多少混乱するのもいつもの通り。
我慢していると『デルフィニア戦記』の危険人物が四人ほど『スカーレット・ウイザード』から約五〇年後ほど過ぎた時代に転移して来ていることが分かってくる。
話の筋はやはり荒唐無稽。細かいことは気にしない天才にしか書けないようなもの。
アクションの場面もいつも通りうまい。

黒崎裕一郎『はぐれ柳生殺人剣』(徳間文庫2002/04/15)を44ページまで読んでみた。
解説の菊池仁氏が破格の推薦文を書いているので読んでみる気になった。漢語の使い方と剣戟場面が印象に残った。

青山光二『極道者(アウトロー小説集)』(ちくま文庫2002/3/6)と齋藤孝『声に出して読みたい日本語』(草思社2001/09/18)を入手。
齋藤孝氏のちくま新書を探したが近くの本屋さんにはなし。文春新書は結構あったが意味がなし。



2002年08月07日(水) 茅田砂胡『スカーレット・ウイザード』全5巻(中央公論社1999/07/25〜2001/04/06)を一気に読む。

茅田砂胡『スカーレット・ウイザード』全5巻(中央公論社1999/07/25〜2001/04/06)を一気に読む。
前作の『デルフィニア戦記』を思い出す。奇想天外常識破りの主人公にそこの全世界が振り回される設定は同じ。SFであるにしてもやっていることは『デルフィニア戦記』そのもので今回はたまたま3分の1以下の長さで終わっただけ。最後の辻褄合わせはいつ思いついたのかという疑問がどうしても浮かんでくる。もっと壮大な辻褄合わせも計画しているとすると作者ははり日本人離れした天才なのだ。
可愛らしいイラストのせいでコミック的なイメージがつきまとうのはむしろ損であの『銀河英雄伝』と肩を並べる面白さ。

我孫子武丸・牧野修・田中啓文『三人のゴーストハンター(国枝特殊警備ファイル)』(集英社2001/05/30)はゆるゆると読んだ。
全十二編からなる連作集。競作なので三人三様の特色が出ている異色作と言うべきか。共通の設定で自由に遊んでいる風だが、短編としての枠内での完成度がいずれも高い。
三人とも確かな腕前を持っていることを証明した画期的企画。

若桜木虔『プロ作家養成塾(小説の書き方すべて教えます)』(ベスト新書2002/04/01)を一気読み。
前作の『作家養成講座』を面白く読んだのでまた買ってみた。
この著者の文章力と構成力は確かで内容がわかりやくすいすい読める。実際の小説の方はあまり読む気が起きないのも不思議だが、この「作家養成もの」は作家の裏側がわかるので有意義な感じもして熟読している。
解説が鈴木輝一郎氏で短いがこちらも本気で読ませる。

佐野眞一『旅する巨人(渋沢敬三と宮本常一)』(文藝春秋1996/11/30)をやっと読み上げる。
渋沢敬三のことに興味がわかないせいかその話題になると読書ペースがぐっと落ちるので一気には読めなかった。宮本常一の部分はすっと頭に入ってくるので終盤は調子よく読めた。そろそろと続編の『宮本常一が見た日本』を読み始めている。
宮本常一の文章も読んでみたい。

齋藤孝『子どもに伝えたい<三つの力>(生きる力を鍛える)』(NHKブックス2001/11/20)は「当たり」
近所の本屋さんは大量の雑誌・大量のコミックス・そこそこの文庫本・少量の単行本プラスαで「本との出会い」は経験しにくい。昔の文房具屋を兼ねる薄暗い小さな本屋でもなにかしらの「出会い」はあった。今は店内は明るいがよく売れているような本しか揃えていないからないものはない。どこの本屋も同じような「品揃え」だからどこに行ってもないものはない。
多少図書館に頼るのも仕方がない。
「出会い」を求めるには本の数が多過ぎるが。
先だって市立の上のランクの図書館で日垣隆『学問のヒント』を借りようとしたが、蔵書になかった。このランクの図書館なら講談社現代新書はすべてそろっているはずというのは幻想だった。隣の市の図書館にあることはつきとめてくれたのは流石だったが、ちょっと失望した。
それにしても『学問のヒント』は見つからなかった。近在の本屋さん、古本屋さん、新古書店、図書館など出来うる限りのことはしたが、まったく存在していなかった。普通これだけ(自分でそう思う「これだけ」)探していると天の配剤かひょっとした感じで見つけることがあるのにこの本だけは「皆無」だった。
忘れた頃に見つかるという法則も当てはまらなかった。
そして、反則だなと思いつつ上位図書館に頼ったらそこにもないと分かった時は複雑な心境だった。
さて、齋藤孝氏は最近『声に出して読みたい日本語』がベストセラーになっている。そういう著者にはあまり近づかない傾向が自分にはあるのでしばらく縁がなかった。
最近、苅谷剛彦『教育改革の幻想』(ちくま新書)を読んだせいかもしれない。
住んでいる街から百七十キロほど離れた本屋さんで何気なく手にとって(こういう本はわが街には置いていない)目次を見て惑わされてしまった。
具体的で話の展開がよさそうだ。
10分程迷って決めた。
読んだ。
読みやすい。やはり具体的で実践がある。
ベストセラーになった著書があることによって食わず嫌いや誤解、偏見があるかもしれないが、この著者がやっていることは面白そうだし、やってみたくなるところがある。
なによりも考えていることが独創的な気がする。検証は出来ないが「本物」の実践研究家(こんな言葉はないか)として認めておきたい。
一種の文化的総合格闘家。
他の著書も読んでみたくなった。

牧野修『傀儡后』(早川書房)ちょっと脇にどけてある。
この新しいシリーズの読破は楽しそうなので忘れないようにしよう。

高橋英夫『友情の文学誌』(岩波新書)の「漱石と子規」の章を読了。感心まではゆかず。

小松成美『ビートルズが愛した女(アストリット・Kの存在)』(幻冬舎文庫)を42頁まで読んでみた。
スチュアート・サトクリフの存在を初めて知った。昔、もっとビートルズが好きだった時には知っていた事柄かもしれないが。



2002年08月01日(木) 橋本治『「わからない」という方法』(集英社新書2001/04/22)と苅谷剛彦『教育改革の幻想』(ちくま新書2002/01/20)を読んだ。

橋本治『「わからない」という方法』(集英社新書2001/04/22)と苅谷剛彦『教育改革の幻想』(ちくま新書2002/01/20)を読んだ。
二冊ともに明確な問題意識と明解な文章からなる優れた本だ。
前者は、筆者自身が自分自身のことを語る、いわば伝記のような解説書で「そうだったのか」と感動寸前まで行った。勉強になることばかりだった。
後者は、日本の教育についてがんがんと具体的に提示し、今まで隔靴掻痒だった教育論議を何段階か上へ押し上げた。もっとも文部科学省の人たちがいくら熟読しても上があれだからとため息をついて「終り」かな。
膨大な新書が新刊として毎月発進を続けている中で、この二冊は光り輝く。

SFマガジンとミステリマガジン、波、ちくま、本を適宜第一回拾い読み。
牧野修『傀儡后』を40ページほど読む。小道具的なものに満ちた世界像が掴めず。右往左往しつつ筋を追っている。


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