2001年09月25日(火) |
佐伯泰英「密命(見参!寒月霞斬り)」から「密命」第2弾へ |
佐伯泰英「密命(見参!寒月霞斬り)」から「密命」第2弾へ 「密命(見参!寒月霞斬り)」(祥伝社文庫1999.1)を読了。 七話からなる連作短編形式の長編で、全体を貫く大きな事件があり、それとは別に身近の市井の出来事と関わる中で主人公金杉惣三郎の人脈が形成され、やがてその大本の事件に結びついていく風の物語である。藤沢周平風と言えなくもない印象もある。はじめはなかなか大きな陰謀につながっていかない、ゆったりとした進行にややじれったくなるが、この物語の世界は結構大きいことに気がつく。後半はなんと船対船のガチンコ対決なのだ。あのホーンブロワーもかくやという器量の話になるのである。 全447ページ。もちろん、随所に剣戟の場面もあり、泣かせる場面もありで、作者の多彩さ、器量の大きさ、懐の深さを実感した。これもまた傑作であった。 そして、これも書き下ろしなのだ。 こうなると次の「密命(弦月三十二人斬り)」に行くしかなかった。 で、今、二五六ページのところである。諸般の事情から中断してこれを書いているのだが、もう本に戻りたい。前作からいつのまにか七年ほどたっているのだが、あの「伊賀の影丸」を思わせる冒頭の忍者襲来場面から目が離せない疾走感で話は進んでいく。 活劇と謀略がうまいぐあいに結びつき前作とまた一味違う傑作である。泣かせる場面は前作よりも多い。活劇も前作よりも迫力がある。 早く読みたい。 明日から一週間ほど旅に出るのでその間更新できない。 「夜のフロスト」は125ページで止まっている。これも読みたいのに。 というわけで、「弦月三十二人斬り」の方へ行く。
2001年09月24日(月) |
切通理作「宮崎駿の<世界>」期待以上の面白さ。スカパーに「風」が遂に登場! |
切通理作「宮崎駿の<世界>」期待以上の面白さ。スカパーに「風」が遂に登場! 切通理作「宮崎駿の<世界>」(ちくま新書2001.8)は、予想を越えて有意義で贅沢な読書時間を生み出してくれた。宮崎駿やその作品についての本は、その都度といった感じでよく見かけるし、読むことも多い。対象が良いためかどれも結構楽しめるし、考えさせてくれる。それらの本の最高峰に位置するのがこの本である。 もう隅々まで行き届いていて宮崎駿百科全書という趣で文句なし。全334ページ、1ページもおろそかな部分はない。批評の部分も解説の部分も引用の部分も描写の部分も的確かつ入魂の文章が見事に快適である。 この著者の本は初めて読んだ。読んでみたら快感だった。 佐伯泰英の「密命」第1弾、348ページまで読む。残りは100ページほど。 半藤一利・編の「夏目漱石 青春の旅」(文春文庫ビジュアル版)を拾い読み。愚かにも夏目影二郎と関わりがないかと。あるわけないのに。当然熟読とはいかず。何が読む動機につながるかわからないものだ。 栗塚旭がテレビに再登場した。もちろん、風の新十郎である。スカイパーフェクトテレビのホームドラマチャンネルに30何年振りかのテレビ放映となる時代活劇シリーズ「風」の話である。監督、松田定次。脚本、鈴木生朗。共演は、土田早苗、小林昭二、志村喬。今ずっと佐伯泰英の時代小説を読んでいるせいか、興味深い。 印象的だったのは、栗塚旭の鋭い眼光とかっこよさ、女忍者かがり役の土田早苗のひたむきな演技。30何年振りかの再見だったが、白黒作品にもかかわらず空間的な拡がりや殺陣のよさは十分感じることができた。面白かった。 次は同じ栗塚旭の「用心棒」シリーズが見たい。また、あの佐々木功が主演した特撮時代劇(たしか「伝奇武芸帳」とか「忍法武芸帳」というような題名で日曜日の夜7時から放映していたはず。)も見てみたいが。 「風」の最終回では「風」パート2を期待させるような予告が出ていたような気がする。暫くの間、それが楽しみでならなくて、それが楽しみで暮らしていた時期が暫く続いた気がするのだが。曖昧な記憶の一つである。
2001年09月22日(土) |
「破牢狩り」から「密命」へ。佐伯泰英の本を探す。 |
「破牢狩り」から「密命」へ。佐伯泰英の本を探す。 佐伯泰英「破牢狩り(夏目影二郎始末旅)」(光文社2001.5)読み終える。版元がなぜか日本文芸社から光文社に変わっている。解説がつき、縄田一男が的確な文章を書いている。 「八州狩り」は、25ページ。「代官狩り」は、12ページ。夏目影二郎が闘う場面の登場は早い。第3作の「破牢狩り」でも、28ページである。2回目の殺陣はどうか。「八州狩り」は38ページで「代官狩り」も30ページとやはり早いが、「破牢狩り」は86ページと遅くなっている。構成が複雑になり、登場人物も多彩になったためだろうか。前2作よりも冒険小説に近づいているので、読みどころが多い。多少ゆったりとした筋の運びになり作品としての完成度が高い。敵味方双方に忘れがたい人物も多く、良い。 次回作は何狩りだろうか。「城狩り」だろうか。「幕府狩り」?「忍者狩り」?官僚の立場を利用して私利私欲に走る者というと、何が残っているだろう。楽しみである。 夏目と言えば、夏目漱石。夏目雅子。夏目漱石につながるわけはないか。 それにしても、総兵衛の次が、この影二郎で、そして惣三郎と続く。まるで佐伯家の兄弟の物語を順番に読んでいるような気もしてくる。 というわけで、すぐに「密命」シリーズを読み始める。このシリーズは現在まで四作品が出ていてよく読まれているようだが、あまり見かけない。それでも3と4は近所ですぐに発見した。2は遠くの本屋でかろうじて。1がどうしても見つからない。比較的大きなところにもなかった。もっと大規模な書店でないとダメかなと思い始めていたのだが、たまたま入った新古書店で創元推理文庫の天藤真を6冊ほど見つけて集中力が高まった結果、祥伝社文庫をまとめてある囲いの中から「密命」第1作をも発見した。70円だった。 というわけで、「破牢狩り」からすぐに「密命(見参!寒月霞斬り)」(祥伝社文庫)にとりかかった。主人公の人物の魅力は健在で、しろも出てきてまたまた期待できる布陣である。90ページまで読んだ。 昨日までにそういうわけで何冊か購入したが、とりあえず今日購入した本は次の通り。切通理作「宮崎駿の<世界>」(ちくま新書2001.8) 宮崎駿の創出した物語を徹底的かつ網羅的に批評しているようなので思い切って購入。 隆慶一郎にはまって以来の時代活劇三昧または佐伯泰英三昧はしばらく続く。
2001年09月19日(水) |
「代官狩り」から「破牢狩り」へ。佐伯泰英は時代小説の神様だ。 |
「代官狩り」から「破牢狩り」へ。佐伯泰英は時代小説の神様だ。 佐伯泰英「代官狩り(夏目影二郎危難旅)」(日文文庫2000.9)読み終わる。野暮用を忘れて読みふけった。暗殺集団「七坊主」や私利私欲にはしる代官たちとの数々の激闘の果てに大きな陰謀をたたきつぶす主人公夏目影二郎の物語は格好よく面白い。 長編時代小説をこんなに連続して読んだのは本当に久しぶりで20年くらい前の「剣客商売」シリーズ以来ではないか。あるいは白石一郎の「SFアドヴェチャー」に連載された未完の伝奇時代小説シリーズを文庫本で読んだ時(およそ11年前)以来か。と言う先から半村良の「妖星伝」や隆慶一郎、宮本昌孝などもそうだなと思い出されるが。 すでによく読まれている評判の時代作家なのだろうが、まったく知識がないまま、たまたま題名と設定にひかれて購入し読んでみたら抜群の手練だったので、驚きは尽きない。総兵衛シリーズ以上に面白く魅力的な主人公、立ち回り、副主人公たち、そして犬のあか。良い所ばかりの時代活劇である。
クラーク・バクスターの「過ぎ去りし日々の光」(早川文庫、訳=冬川亘)を62ページまで読んだ。おもしろくないわけではないが、佐伯泰英と比べると展開が遅く感じられ、ややもどかしい感じがする。
2001年09月18日(火) |
「八州狩り」を読み終え、「代官狩り」へ。 |
「八州狩り」を読み終え、「代官狩り」へ。 佐伯泰英「八州狩り(夏目影二郎赦免旅)」(日文文庫2000.4)読み終わる。全六話からなる連作短編形式の長編で、六人の八州廻りとからむ。同時に、国定忠治が関わる大きな陰謀の存在も徐々に明らかになり、ついには影二郎も巻き込まれる。 チャンバラの場面がよいだけでなく、そこに至る経過も軽快で格好よく、すばらしい。小さかった犬のあかも成犬になる。影二郎の愛犬らしい存在感を増してゆくのも好ましい。 集団の総帥たる総兵衛と違い、影二郎は一人である。そのためか颯爽としていて爽快である。二重丸である。 勢いに乗って次作の「代官狩り(夏目影二郎危難旅)」に移った。これも勘定奉行の父に依頼された任務を遂行する物語である。ここにも国定忠治が登場して関わっていく。185ページまで一気に読み進んだ。 立派な成犬になったあかももちろん影二郎のそばにあり、時には影二郎を守って活躍する。ますます面白くなった第2作である。 佐伯泰英という作家は書き下ろしのみなのだろうか。どれもこれもそうである。しかも質は高い。総兵衛の物語ではやや息苦しい印象も受けたが、影二郎では余裕綽々の感がある。作者自身も楽しんでいる様子がうかがえる。(逆もあり得るが)
2001年09月16日(日) |
佐伯泰英「八州狩り」柄刀一「殺意は砂糖の右側に」などなど。 |
佐伯泰英「八州狩り」柄刀一「殺意は砂糖の右側に」などなど。 読書の焦点をしぼれず本屋の棚を物色する。読んではいないが「3000年の密室」という変わったミステリーのことは聞いていた。その作者の奇妙な題名が目に飛び込んできた。まず「殺意は砂糖の右側に」で横には痛快本格ミステリーとあり、さらに「天才・龍之介がゆく!」とまるで漫画のようなサブ・タイトル(?)。次のは「アリア系銀河鉄道」で「三月宇佐見のお茶の会」とある。つい買ってしまった。 「殺意は砂糖の右側に」の最初の短編「エデンは月の裏側に」を読む。語り手の光章と探偵役の天地龍之介の掛け合い漫才のようなずれた会話が楽しく読み終わったが、「痛快」とまではいかなくて残念。続きはそのうちに。 佐伯泰英の別のシリーズ、夏目影二郎ものの1作目「八州狩り」をつい読み始め、一気に73ページまで進んでしまった。旅の途中が拾った子犬を「あか」と名付けて連れて歩くのは好感度を高くした。国定忠治が登場するが、影二郎とはすれ違い同然でまだかたすかし。影二郎はとにかく強い。総兵衛とは違う強さである。それにしても人格的にもできている人間で自棄を起こして道をはずれたとは考えにくい。あの木枯らし紋次郎を率直な人柄にしたような人物である。総兵衛と比べても好感度高し。 このところ2日に1回になっている。野暮用の多さと読書欲の減退、そして掟破りで漫画もつい読んでいるのがその原因である。漫画を読むと活字を見る意欲が減っていく。何か落ち着かない気分になるのである。 今回、つい読んでしまった漫画は「最終兵器彼女」5冊。6冊目に続くのだが、読後妙に落ち着かない。SFなんだろうが奇妙な初恋物語でもある。とにかく変な話である。
2001年09月14日(金) |
「八州狩り」「夜はわが友」「林竹二 天の仕事」など拾い読み。 |
「八州狩り」「夜はわが友」「林竹二 天の仕事」など拾い読み。 佐伯泰英の別のシリーズを発見。夏目影二郎赦免旅「八州狩り」(日文文庫)である。主人公の無宿人影二郎は遠島刑を言い渡されるが、その時勘定奉行に地位に就いたばかりの実父が現れ、腐敗した八州廻りたちの処分を依頼する。これは警視総監が極道の息子に地位を悪用する警官の始末を依頼するようなものか。20ページまで読み、納得。なんとこの本も書き下ろしである。恐るべし。こういう物凄さでもかつての笹沢佐保にはかなわないのだろうか。 創元推理文庫はカバーのセンスというか色合いが魅力的で中身に関係なく手に入れたくなる。そこで、エドワード・D・ホックの短編集「夜はわが友」も購入。全21編のお買い得短編集の装いである。とりあえず、冒頭の「黄昏の雷鳴」を読む。平和で穏やかな生活や大切な家族を守るために人は脅かす者に対して殺意を抱くこともあり、それを実行に移そうとすることもあるが、実行できる者ばかりでなく実行できない者もいる。小説では実行できる者を描くことが多い。また、脅かす当人の事情も少しは考えてみてもいいように思う。うろたえあわてる主人公はホックの人物の一人にちがいない雰囲気を持ち、あるべき行動をとることはとる。 そして「天の仕事」である。放り投げないで少しずつ読んでいるが、後半はいろいろなところに発表したものを集めた文集でやはり具体的なエピソードを語っているのでわかりやすく読みやすいので、その点はいいが全体的には統一性に欠ける。 逆につまらない気がして飛ばした「その学問、その思想ー核としてのキリスト教を中心に」が気になってくるのが不思議。読みようによっては面白く読めるかもしれない。気長に読んでいこうと思う。 昨日購入した本。 「永遠に去りぬ」ロバート・ゴダード(創元推理文庫)「アーバン・ヘラクレス」久保田弥代(ソノラマ文庫)「歴史の零れもの」司馬遼太郎他(文春文庫)
2001年09月12日(水) |
それでも「林竹二 天の仕事」(日向康)を読む。 |
それでも「林竹二 天の仕事」(日向康)を読む。 「その学問、その思想ー核としてのキリスト教を中心に」の章は178ページまで続く。どうも回り道ばかりで核心に触れていない(いや、実はこの部分が核心なのかもしれないが)気がして、この賞はリタイアすることにした。次の章「教育観の根底にあったもの」へスキップした。まず「その哲学的凝縮ー”授業”を続けるなかで」(180ページから)を挑戦する気分で読み始める。話題が林竹二が行った授業のことなので具体的にわかり面白い。そのことを書いている筆者が当時あまり面白いとは思っていなかったのがさらに面白かった。 次に『教育・訓練・調教ー「その哲学的凝縮」補言』がもっと面白い。それは斉藤喜博との違いを示し、同時に林竹二の教育に対する考え方がはっきりしてゆく過程がうまく語られるからである。 「授業が子どもの中に何事もつくり出すことがないならば、どんなにうまい授業であっても、それは無意味だといふうに思います。」 「授業以前の問題、生命への畏敬の欠けたところに教育はない」 既にその分野では有名な言葉なのだろうが、やはり印象的なので引いてみた。 その立場からの「授業研究」としての「授業」がついには自身の思想・生き方そのものと結びついたところにこの林竹二の凄さがあることがわかった。 この部分がもしかしたらこの本のへそでないだろうか。核心はここに、と思った。まだ半分くらい残っているが、あとはこの部分の再生産・繰り返しかもしれない。となると、やはり面白いとは感じなかった前の部分が、今度は気になってくるから不思議だ。 何を言ってるのやら。
「駅 JR全線全駅 (下)」(文春文庫)をちらっと見てびっくり。日本の各駅紹介が手短に書かれているのだが、その駅が登場する文学作品のその部分の引用があることに気づいて俄然興味を持った。西村京太郎が多そうな気もするが。この巻のトップは城山三郎で、次に志賀直哉、北杜夫と続いている。ちらちらと気長に読んでみよう。
2001年09月11日(火) |
まだ「林竹二 天の仕事」を読んでいる。 |
まだ「林竹二 天の仕事」を読んでいる。 最初の章「ソクラテス的生の選択ー林竹二先生素描」(67ページまで)を読み、次の章「その学問、その思想ー核としてのキリスト教を中心に」に進んで82ページまで来たが、頭の中は霞に覆われているようでなんともはっきりしない。 地味な本で面白みに乏しいのは予想していたが今のところ林竹二さんの生き方や魅力が伝わって来ない。 こちらの実力不足も相当ありそうだが。
知り合いが伊藤整賞を受賞した増田みず子の作品が面白い、良いと教えてくれた。
今日もまた読めず。考えることも少なく日記も書けなくなってきた。
2001年09月10日(月) |
なぜか「林竹二 天の仕事」とちくま文庫の幸田文の巻を読み始める。 |
なぜか「林竹二 天の仕事」とちくま文庫の幸田文の巻を読み始める。 「林竹二 天の仕事」は社会思想社の現代教養文庫版。筆者は、日向康。 ほんとうに気まぐれ読書でこの本を読もうなんて全く思っていなかったのに、はじめの方を読んで興味を持ち始めている。どこに?と聞かれても満足に答えられない。あえて言うと、林竹二氏に対する筆者の熱意の強さに引かれたというところである。 もっともまだ17ページしか読んでいない。 もう一つは文庫版のちくま日本文学全集51巻「幸田文」で、こちらも最初の「勲章」に目を通しただけ。おだやかで厳かな雰囲気の随筆を予想していたが、だいぶ違っていた。歯ごたえのある強い文章というべきか。 今日は読めない一日だった。
2001年09月09日(日) |
「青木玉さんが語る幸田家三代」その他を読んだ。 |
「青木玉さんが語る幸田家三代」その他を読んだ。 講談社の文庫情報誌「イン・ポケット」1996年六月号を引っ張りだして読んだのが、「青木玉さんが語る幸田家三代」(祖父露伴を困らせた母文、母の後ろで困っている私)。幸田文のエッセイ集「季節のかたみ」が講談社文庫に入るのにちなんでのインタビューで、これから幸田文の作品も読んでいきたいので入門書として目を通してみた。 「もともとあんまり構えたところがない人なんです。だけど構えさせたら、飛び切り構えます。そのきりかえが早いのです。さんざん辛い目を見て、涙をこぼして習得したんでしょう。人の気持ちを読むのは的確でした。」(15ページ)珠玉の語りと言ったら変だろうか。 その他、増田みず子の「幸田文と日常生活」、染色家の吉岡幸雄の「鈍色とよごれ色」もよい。略年譜と中野孝次の「季節のかたみ」の書評再録もあり、貴重な資料である。 「阿川佐和子のアハハのハ(この人に会いたい2)」(文春文庫)は22人の著名人とのインタビューをまとめた本だが、宮部みゆきの部分のみ読む。「理由」が評判になっているとき、つまり1998年中頃に行われたものである。 「家族には、私の作品を一切読まないように言ってあるんです。」(219ページ) ちょっと読めない状況が続いている。 買ってあるはずの「ポストマン」が見つからない。
2001年09月08日(土) |
「あえて英語公用語論」(船橋洋一)を30分読み。 |
「あえて英語公用語論」(船橋洋一)を30分読み。 結局、エリートに英語を任せたのが日本の間違いということか。総合的に見ると政府の英語力がたいしたことがない。過去の戦争も貧弱な英語力が招いたともいえる。もちろん英語の力だけでなく交渉する力もお粗末。 こんな過激なことを言っているのかいないのか。 しかし、どんな内容と主張であれ、文藝春秋社から出た本なのだからこのくらいのことは書いても政府は痛くも痒くもないのだろう。 でも、妙な説得力を持っていた。そのうちじっくり読んでみたい。
デイヴイッド・ブリン原作の映画化「ポストマン」をテレビで見た。景色は壮大でいいのだが、感動したいところで感動できない作りで、残念。話が有機的に結びついてゆくとは言えないので一幅の「絵」としては様になっていても物語もしくは神話になっていない。少年の心に「物語」を残したと言えば、西部劇「シエーン」だが、近未来物では「マッドマックス2」がある。映画「ポストマン」はテレビで見た限りでは「惜しかった」と思う。相当カットのはさみが入っているようだが。 NHKの朝のドラマ「ちゅらさん」は面白い。沖縄を一面的にしか捉えていない、という批判もあるが、毎回読み切りのコント大会もしくはギャグ大会でこんなにふざけたドラマがNHKでかつてあっただろうか。(多分あった。) もう何かに毒されているとしか思えない。出演者の目つきがみんなその気なのである。 残念ながら来週はシリアスドラマに戻すという予告があったが、フジテレビの「できちゃった婚」よりもはるか上をいく笑い満載である。異色である。 またあまり本が読めなくなってきた。
2001年09月07日(金) |
「レベリオン(放課後の殺戮者)」を読んだ。 |
「レベリオン(放課後の殺戮者)」を読んだ。 何日か前に気分転換にと2、3ページのつもりで三雲岳斗の「レベリオン(放課後の殺戮者)」(電撃文庫2000.5)を手にとったら、三人の奇妙な死を描いた序章(25ページまで)のテンポのよさから逃れられず、第一章「殺しにきた少女」へ進んだ。傷ついた美少女と遭遇した主人公の男子高校生が自分も瀕死の重傷を負い気絶。気がつくと優れた医者である10歳年上の姉が登場して・・・と続きだいたい50ページのところで中断。 一気読み可能な展開が予想できる面白さ保証付きみたいな学園モンスター超能力アクションSFで、ジャンル(?)としては最も好きな話だったが。 間を置いたのがよかったのか、今度はノン・ストップで最後まで行った。 同じ学園ものの高瀬彼方の「カラミティ・ナイト」は文句なく激賞できるが、「レベリオン」は保留。「歌」によって襲ってきた敵を傷つけずに鎮める(泣かせる)場面はよかったが、電撃文庫という枠組みのせいなのか盛り沢山のわりに、という印象を受けた。 しかし、迷わず、一気に読んだ。作者は剛腕である。小松左京の「エスパイ」と比較する必要がある。堂々たるSFには間違いないから。
辺見庸の「ハノイ挽歌」(文春文庫)32ページまで。 「毎日僕が寝ているベッドについてもお話ししましょう。」霧雨の世界である。
2001年09月06日(木) |
今日はまた本命の一冊を決められず。ミス・マープルものなど。 |
今日はまた本命の一冊を決められず。ミス・マープルものなど。 調子がいいときは次から次へと読破してやむことを知らないが、最近は冒頭がどんなに面白くてもいったん止まることが多い。もやもやした何かが足止めをする。読みたい本がいっぱいあることが原因だろうか。いくら読んでも同じというような無意識の徒労感が踏み出す足を重くしているのだろうか。昨日までの生活の中心にあった「古着屋総兵衛影始末」にしても冒頭を読んで閉じてからもう一度開くまでに時間の経過を必要とした。 というわけで今日はいわば冒頭的読書。 河合隼雄「子どもの宇宙」(岩波新書1987.9)この筆者の考えをすべて語っていると思われる「はじめに」の部分。8ページまで。 「ひとりひとりの子どもの中に宇宙がある」 高木仁三郎「市民科学者として生きる」(岩波新書1999.9)6ページまで。 アガサ・クリスティ「ミス・マープル最初の事件(牧師館の殺人)」(創元推理文庫1976.6)20ページまで。クリスティの作品はこの20年ほど一部の例外を除いて読んでいなかった。かつての熱が嘘のようだ。ただ例外はあって、クイン氏ものはなぜか気に入っていて何年か前の「ミステリマガジン」でクリスティ特集には喜んだ。たまに読み返したいシリーズだ。 佐伯泰英「密命(残月無想斬り)」(祥伝社文庫2000.3)18ページまで。行った本屋にはこのシリーズの3と4しかなかった。1と2を読んでからと思ったが、「古着屋総兵衛影始末」の後遺症でちょっと手を出してしまった。当然のことながら総兵衛とは異なる味の主人公で、池波正太郎でいうと「剣客商売」か藤沢周平の味わいだろうか。それにしても、これもあれも「書き下ろし」である。凄い。
2001年09月05日(水) |
後悔先に立たず。「古着屋総兵衛影始末」の3・4一気読みしてしまう。 |
後悔先に立たず。「古着屋総兵衛影始末」の3・4一気読みしてしまう。 9月4日と今日の分。 結局「古着屋総兵衛影始末3 抹殺!」(徳間書店文庫2001.4)と「古着屋総兵衛影始末4 停止!」(徳間書店文庫2001.7)を続けて読んでしまった。よく考えると続編が出るのはおそらく12月。あと4カ月も総兵衛たちの物語を読めない。もっとゆっくりと読み進むのが最適だった。なんとなく4で完結と思っていたのが大きな間違い。 こんなに面白いとは、こんなに夢中になるとは思わなかった。 これで、火坂雅志の四冊まで順調に出て作者本人があとがきでしっかり予告までして結局出なかったあの伝奇小説「異神伝」と同じような目にあったら、というようなことまで考えるほどはまってしまった。 4作目は初代団十郎の死ではじまるが、この題材は10年以上前に南原幹雄が「初代団十郎暗殺事件」という短編を書いている。この解釈は新しいものなのだろうか定説なのだろうか。もちろん南原幹雄とは全然ちがう。 久しぶりに、といっても時代小説自体最近では宮部みゆきの「ぼんくら」以来だが、読みごたえのある時代小説を読んだと実感した。
三雲岳斗「レベリオン(放課後の殺戮者)」と上遠野浩平「紫骸城事件」をちょっと読んでみた。どちらも魅力的な始まり方をしているが、軽い印象を受けた。登場人物たちは真剣だが、軽い読み物漫画を読んでいるようで、重厚な描写がないのが共通している。 とはいっても、両方とも読み切るつもりである。やはり結末が気になる。
2001年09月03日(月) |
新潮社の「波」9月号届く。拾い読みした。 |
新潮社の「波」9月号届く。拾い読みした。 今日は何も読めず。「古着屋総兵衛影始末3 抹殺!」を購入したが、まだ読めない。どんなに面白い本も心理的な手続きもしくはタイミングの取り方が重要だ。読みたくて買った本なのに1ページを開いても読もうとしない自分がいるのだ。この変な癖のせいで積ん読本がいかに増えることか。時期を失って出たての魅力が褪せた本が周囲にいっぱいある。 今日は「波」9月号が届いた。今日は拾い読みがちょうどいい気分の日だ。一押しは、瀬古利彦の「内面のドラマ」ー黒井克行『駆け引きー高橋尚子とリディア・シモン』この本の紹介であり推薦だが、読んでみたくなった。他には取り立ててこれというものはなかった。 他に、今評判のデイヴィッド・ピースの「1974ジョーカー」(早川書房文庫)を購う。もちろんまだ読んでいない。
2001年09月02日(日) |
「古着屋総兵衛影始末2 異心!」読了。 |
「古着屋総兵衛影始末2 異心!」読了。 一作目と同様、最後の最後に決着をつける死闘が展開。終わるまで油断できない構成。(昼間の今はここまで) 改めて(夜のいま)書きつける。 佐伯泰英「古着屋総兵衛影始末2 異心!」(徳間書店文庫2000.12)をやっと読み終える。 元禄14年の赤穂浪士の討ち入りを物語の肝に据えて大黒屋総兵衛と柳沢吉保の対決第2章を迫力満点に描ききった。集団同士の戦闘、1対1の決闘など飽きることがない。 風格があるので鬼平や雲霧のイメージをだぶらせて読んでいるが、総兵衛は三十歳前後の若さである。鬼平以上の立ち回りを期待しても裏切られないだろう。 次のシリーズ3作目はまだ買っていない。最初の直感通り、ある分全部買っておけば、と後悔。 仕方がないので、同じ著者の現代劇(?)「ゲルニカに死す」(角川春樹事務所文庫)をちょっと読んでみた。 1937年4月のスペイン・ゲルニカ駅に最終列車が到着した場面からはじまる。画家らしき若者菊池信介が主人公のようだ。尼僧のミレイアとの出会いが描かれる。が、16ページまで読んで中断。 1冊に集中できず、次に関川夏央の「戦中派天才老人山田風太郎」(筑摩書房文庫)に手をだす。親本は1995年のマガジンハウスの単行本。その時に目を通しているが、ほとんど内容の記憶はない。18ページまで。
2001年09月01日(土) |
まだ「古着屋総兵衛影始末 異心!」、FM Air−Gに目黒考二が登場。 |
まだ「古着屋総兵衛影始末 異心!」、FM Air−Gに目黒考二が登場。 佐伯泰英の「古着屋総兵衛影始末 異心!」は224ページまで進むのが精一杯。野暮用が多過ぎる。 「鬼平」と似ているところを一つ考えついた。人と人との固い絆が総兵衛一族にもあり、それを省略せずきちっと描いているのだ。例えば、大黒屋の小僧駒吉の元服場面を丁寧にかつその場の雰囲気が伝わるようにしっかり描いている。いわばファミリーの中の結びつきをどう感動的に扱えるかが「鬼平」的かどうかの分かれ目なのである。と、書いてきて、独創的な考えではないなとは思う。 それにしても「古着屋総兵衛影始末 異心!」は面白い。面白過ぎて時々気分が虚構を受け付けなくなるという症状が現れるほどだ。ぴたっとはまる気分の時に読まないと意味がないのが娯楽小説の一つの特徴である。
車の運転中にラジオを聞いていたら本が話題である。聞き耳をたててみた。「トラベリングブックス」「旅する本屋」その次のゲストは目黒考二・・・。その次が徳間書店の・・・・。目黒考二氏は新古書店や図書館と出版の現状について述べていた。やはり出版社は目先の利益しか求めていないのか、なるほどと聞いていて思った。 声がはきはきしていて聞き取りやすかったので、あれっと思った。もう少しゆっくりしゃべる人ではなかったかと意外の感。
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