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哈台、日々の記録
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2002年10月31日(木)    今日で同僚派遣さん終了

 なんだかさんざん営業に愚痴られたようだが、それはクライアントにも責任あるよ。あんなほったらかしではねぇ。
最初の1か月、2か月は我慢出来ても、そのうち退屈で嫌になるに決まっている。
後任は誰も採らないみたい。さびしいけど、あのチームに派遣されても気の毒な結果になるのが見えているし、これでいいのかもね。
なんだか私もストレスが溜まってきたなー。



2002年10月30日(水)    めずらしく早く帰ってきたダンナ

 20時半に帰ってきたので、びっくり。
いつも23時すぎなのにね。
おかげで、大根を摺ってもらえて、おいしいみぞれ鍋が出来た。
この味は毎晩食べても飽きない味だなー。


2002年10月22日(火)    また辞める?

 相方派遣さん、先週木・金と出社拒否で来ず、今日朝連絡があり今週金曜日まで休みだそうだ。携帯に連絡があり、一応祖母が病気ってことにしてこのままフェードアウトする意向だそう。
前任者は、半年、今度は4か月弱かぁ・・派遣先の会社もたいがい気づけよ!と思うわよね。
体調不良や家庭の事情なんて9割方派遣の辞める時の言い訳だってことをね。
次はヒマに耐えられる人を希望!とかリクエスト出すのがよろしいかと・・。


2002年10月21日(月)    涙のカレーライス

http://www.geocities.co.jp/Milano-Killer/6421/
久しぶりに笑った。作曲者は、タイムボカンシリーズの唄も手がけている人らしいです。


2002年10月12日(土)    初めてのシーカヤック、シュノーケリング

 今日はロックアイランドツアーに参加する日なので、天気が心配だったが、昨日とうってかわって、すこぶるいい天気。
ダンナたっての希望でシーカヤックを組み込んだジェリーフィッシュレイクもシュノーケリングもロックアイランドも観光するという盛りだくさんのコース。
9時にホテルロビーにお迎えが来るので、例によって朝飯は、日本から持ってきた行列の出来るラーメンやシーフードヌードルと昨日買ったジュース&クッキーで済ます。水着を着て、日焼け止めを塗る。
9時でロビーで待っていると、すぐピッキングがあり、バスでエージェントの所有する船と事務所のある桟橋まで移動。約20分。参加者は、割と若者が多い感じ。でも元気なおじいさんも居る。おとつい飛行機で一緒だった若者たちとかおじさんとかをちらほら見かける。総員25人位。(みんな名古屋人?礼儀正しい感じでツアーは最後までたいしたトラブルも無く良い感じで終わった)
お金を事務所で支払うと、対応してくれた人がたまたま支配人のSさんで、これはインターネット予約した人だけの特典ですとクッキーを2箱下さった。「私がSです。インターネットでご予約いただきましてどうも。」と挨拶してくれたのでビックリ。なかなかメールをやり取りした本人と会う機会ってないのでちょっと驚いたが、他に貰っている人が居なかったのでちょっとニヤリ。
シュノーケルのマスクとひれを選んで、船に乗り込む。
ツアーガイドは日本人のYさん。名前が分からなかったが後でインターネットのホームページで名前が判明したが、その時は似ているのでアミーゴ伊藤(CXアナ)と心で呼んでいた。ボートマスターはパラオ人の苦みばしった兄さん。(名前忘れた)
パラオはロックアイランドと言われており、ロックアイランドとは石灰岩からなる島のことで、島一つ一つも指します。無数に点在している島々一帯を指してそう呼ばれます。
40分ほど船で走った浅瀬にゼロ戦が沈んでいた。水深は50cmくらいか。
コクピットなどもほとんど無傷で残っている。ガイドのYさんによると搭乗していた19歳の少年は生きて島に逃れたと仰ってましたが・・・生きていれば89歳。
ゼロ戦てこんなに小さいものだったんですね。こんな小さい機体でどうやってあれだけの飛行距離があれだけ出たのか不思議・・・。
パラオには、ここだけでなくこうした戦争の遺物があちこちに残っているそうです。

次はミルキーウェイ。潮の流れの関係で、島を構成する石灰岩が削られた細かな粒子がここミルキーウェイと呼ばれる場所に流れつくそうで、なるほど回りの透明な海とは違いバスクリンみたいな色になっています。Yさんが飛び込んで、その粘土を取ってきてくださいました。水深は約3メートルだそうです。
流れは湾内なのでほとんどないですが、足が届かないのをビビッて私たちは船から出ませんでした。泳いでたのは4,5人かな?
ダンナはライフジャケットがまだ出てこないことに非常にビビッており内心不安そう。
ところで石灰岩はお肌にすごい良いそうでこの成分を使ったパックがDFSに行くと2万位で売ってるそうです。それを聞いて女性陣は争って足や手に塗っていました。勿論私もですが・・・。(たしかにホテルに帰って夜シャワーした後観察したら、すごくつるつるになってた!)
その後15分くらいして、カヤックの置いてある場所に移動。90分くらいマングローブの森を2人乗りのシーカヤックをこぎました。ダンナは張り切って指の内側の皮がめくれてしまったそう。
マングローブの林の中に細かな魚やクマノミたちがいました。この穏やかな外敵のこない浅瀬で育つ魚たちが沢山居るそうです。そうそう、ワニの巣も教えてもらいました。夜行性なので出てはきませんが。
空には、パラオの国鳥の七色ハトが奇声を上げており、フルーツバットもひらひら飛んでいました。マングローブの種が浮いているのや発芽しているのも見ることが出来ました。
90分カヤックを堪能できてダンナは大満足したようです。私はダンナにまかせてあまりこぎませんでした。すまぬ、ダンナ。

またボートに乗って、やっとお弁当島(通称そう呼んでいるらしい)ガルメアウス島へ。
私はトイレに直行!
で和風弁当をかっこんで、ジェリーフィッシュレイク島へまた船で向かう。(体感7,8分の船移動)
ところで思いのほか弁当美味しかった。ハワイで食べた和風弁当なんかより絶対おいしかったと断言できます。
桟橋でおりて、やっとダンナ待望のライフジャケット登場。
(つづく)


2002年10月11日(金)    強風(台風?)

 起きると11時だった。
一応パラオ一デラックスなリゾートホテルなので、朝食は目が飛び出るほど高いので、小市民な私たちは日本から持参したイカヤキソバとポタチなどで小粋なブランチと部屋でしゃれ込む。(^^ゞ
水道は飲料可能だし、1.5リットルは沸かせる電動ポットが部屋にあり、また無料のネスカフェー&紅茶、クリーム、砂糖などがサービスで置いていたので滞在中これをフル活用させていただいた。
今日はなんの予定も入れてなかったので、ホテルの回りを探検した。それにしても風が強くて、プライベートビーチで泳いでいる人は皆無。だんなは丘の上まで登って写真を撮っていたが、私は足元が不安で止めておき、ヤシの木のハンモックに揺られたりしていたが、強風はすごい。
庭には、色とりどりの熱帯魚やエイを飼っている池があり私たちの滞在した部屋のテラス側からすぐだった。
ホテルはコテージ風で、2Fだての三角屋根のお家ふう。
ホテルはアラカベサン島にあり、ホテル周辺は、ほとんど何もなく、路線バスもなく、タクシーを呼ぶかしないと市街地であるコロール島まで行けない。私たちのツアーは、観光用のトロリーバス(夕方から1時間に1本走る)無料チケットがついていたので、それを使って18時すぎにご飯を食べにコロール島まで行く。
ガイドブックで見たレストランに入る。ヤシガニ時価30ドルを食すが、カニ酢がないと非常に辛くパサパサで美味しいものではなかった。話のタネだけやね、これは。空芯菜は美味しかったけど・・。ガイドブックを後で見ると、ヤシガニは美味しいものではありませんだって・・。もっと早くそこを読んでりゃ良かった。
近くのスーパーマーケットで、ジュース(350ml缶がだいたい50セントくらいだから、65円位)やお菓子を買い込んでまた同じトロリーバスに乗ってホテルに戻った。
風は相変わらず。風邪も今ひとつ治らない。


2002年10月10日(木)    パラオに出発

午後休みで、12時に会社を出てバスで京都駅に向かいダンナと待ち合わせ。新幹線のディスカウントチケットを手に入れ速攻名古屋に行く。友人の旨い物情報を頼りにJR高島屋の上階にある山本家総本家で味噌煮込みうどん。うどんの固さといい味噌のコクといい絶妙で、うまっ!お茶しに行ったカフェのピーナッツ汁粉&ライチ茶も美味しかった。ダンナのゴーヤ茶も初飲みだったが、苦くなくあっさり飲みやすいものでいけてました。高島屋は名古屋駅のランドマークと化している高層タワーの一部であり、そんなタワーが出来ているとは知らなかった。展望台があったが、有料だったので行かなかったけど。
私は風邪の具合もあまりよろしくなく、微熱がある状態。風邪薬を買って、夕方名古屋空港へ。JR名古屋駅から空港へは空港バスで40分弱。
京都駅から関空行きバスにのると、デカイ荷物は係員が載せてくれるし、引換券まで渡してくれるのに、名古屋では自分で載せなければならないし、整理券も無しで普通のバスと一緒やん!という感じで870円はちょっと高いかも。関空行きみたいに往復割引券とか一切無し。
名古屋空港はだだっぴろいけど、お店とかあまり無かったので見るものがなかった。とか言うわりに、ランコムでジューシーチューブ(限定色)や新色の口紅が売っていたので、だんなにねだり倒して買ってもらった。(もう日本円の持ち合わせが底をついていた)
パラオ行きのJALのチャーター便は満席だった。旅行代理店でほぼ1か月前に申し込んだ際、残り4席だったのは本当だったようだ。
さすがJALなので英語の放送は一切なしでアテンダントの人も日本人ばかりであたりまえだが、気楽。
パラオ国際空港は、もう本当にこれが?っていうくらい小さいイミグレーションなどがあり、写真撮っても怒られなかった。(普通入国審査の法的な場所やしアカンやろ?(笑))4時間ちょっとでついたのが深夜1時半。ホテルについてシャワーに入って寝たのが4時前。さすがに長い一日だった。疲れた。ホテルまでバスだったが、1時間位かな。風が強い。風邪もしんどい。


2002年10月08日(火)    Some things are better left unread

「読まれないままの方がよいものもある」だったそうだ。
RC-5解読成功者は、東京の男性だったそうである。
なんだかシマラナイ終わり方だったなぁ・・・。


2002年10月07日(月)    やることのない月曜日

 サーバーのWeekly codeのBuildのために何もすることがない。
毎週毎週、roll backするだけの月曜日。
仕方が無いので(?)英語の勉強をする。今日は、TeamReaderがいるのでみな大人しい。
社員のHさんが昨日、車を一人で運転中交差点で赤信号で突っ込まれて、休みだそうだ。車は後部がぺしゃんこで、廃車だそうだ。
Oさんヘルニアで手術入院。Iさん、胃潰瘍で自宅療養。派遣のTさんも体調崩し辞め、Iさん白血球の謎の減少、んで私は腰痛。
やっぱりあの職場なんかあるで。
お祓いしなあかんのと違うやろか。


2002年10月03日(木)    腰痛

 腰痛で接骨院通い・・・
今日は180円だった。いくら保険が利く(2割負担)だといっても、安すぎひん?
明日は、大丸に寸法直しのジャケット引き取りにいかな・・・。
京都は昨日今日とえらい陽気で暑いくらい。



2002年10月01日(火)    10月か・・・

 今日は腰痛だ。ギックリ腰の軽いの?って感じで腰を妙に捻ったみたい。
探しに探して7年前に制作した腰のコルセットを装着。だいぶ太ったんで、正直マジックテープがきつい。きついけど、また整形外科へ行って再作成すると今なら2割負担で、5000円弱とられそうで、嫌やし我慢、我慢。
もう年賀状の予約注文受付はがきがポストに入っていた。
雑貨屋へ行くと、来年のカレンダーが並んでいるし・・。






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