xxxxxx 表面張力(仮)

虚実入り乱れても記録
20010802--



2004年02月25日(水)

林檎ジャム

 自分がこういうことをするようになるとは思いもしていなかった。
 そう考えながら、林檎を煮詰めている。甘い香りが台所を満たしていく。砂糖を大量に入れた、大量の林檎ジャム。かなり煮詰まっている。あと少しで出来上がりになるだろう。私は小瓶を幾つか取り出すと、それらを鍋に入れて水から煮始める。短期間で食べきれる量ではないから、煮沸消毒して長期保存しないといけない。
 少し手が空いて、廊下の段ボールに目を向ける。まだ林檎は残っている。あと一回はジャムを作らないとなくならないだろう。

 単に林檎が傷みそう、というか既に傷んできていたので必要に迫られてジャムを作り出した。林檎のコンポートも考えたけれど私達夫婦はそれほど食べない。だいたい果物をあまり食べないからこんな事態になっているのだ。
 これまでお菓子作りを全くしてこなかったわけではないし、母親がお菓子を作らなかったわけではないけれど、美味いモノを食いたければ美味い店に行け、という思考をしている私にとってお菓子作りは「作るのが好きな人がすること」だと思っている。作りたては確かに美味いだろうが、私はプロの味が好きなのだ。そして自分の腕を信用していないということも大きい。
 専業主婦をし、加えてお菓子らしきものも作っている。人生、どうなるかわからないもんだと本当に思う。


 これまで、自分の力(能力や根性や努力)でどうにかなる範囲では自分の思うとおりにしてきた方だと思う。挫折もあるが、それでも自分で納得できることしかしてきてこなかった。
 けれど、何か大きな流れというものはあるのだ。自分の意志だけでは動かない流れ。勢い、と言ってもいい。それは全て納得できるものではなく、皮肉なものであったり痛みを伴うものであったりもする。流れは自分に都合の良い方向に流れてくれるわけではない。けれどそれは私を浚っていく。
 勿論、私は今の自分をとてもシアワセだと思っているけれど。

 先日、夫と家庭の経済を話し合った結果、やはり共働きになりましょうという結論を得た。もう研究関係に戻るつもりはないし、好きなだけで仕事を選ぶこともないだろう。夫と生活していくための仕事を選ぶことになると思う。
 色々と変わるものだ、としみじみ感じる。そしてその変化は決して嫌なモノではないのだ。


2004年02月18日(水)

私という存在の意義、理由、目的。なんてややこしい。

 人は、というか、私は、具体的に分かりやすく他人からもしくは何かから必要とされたいのだ。その実感が欲しいのだ。

 会社であれば、自分に割り当てられた仕事がある。別に自分が会社を辞めたって会社そのものはさして困らず、代わりの人がそれをするだけであることは分かっていても、その時点では自分はこの仕事を終わらせる人として必要とされているように思えるだろう(実際に身近な人は困るし)。仕事は分かりやすい。見える形で必要が提示されている。
 家庭では少しわかりにくいように思う。子供がいれば当然ながら必要とされているだろうけれど、そうでない場合は見えにくい。自分がまさにそうだが、専業で主婦をしていて子供がいない場合、そして外で全く活動をしていない場合、自分が必要とされていると思える時というのは抽象的で掴みにくく、簡単に勘違いできそうな無形のものではないだろうか。

 人に認知される、必要とされる、求められる。存在意義。理由。目的。
 どうしてこうややこしいのだろう。けれど、そうしないと自分に対する自信のなさにぐらぐらと揺れているような気がする。なんて弱い。そして愚かな。
 自信が無くて弱くて愚かだから、短絡的な方法で認知されることを妄想するけれど、そのための道程をすっ飛ばしているからまた簡単に自信を喪失する。愚かしい悪循環。本当は、地道な足場固めと遅くても確かな歩みが必要なのに。


 そういうわけで。
 昨夜、夫と夫婦の約束を交わす。夫にも私にも、それぞれ「これをこなしましょう」という事を設定し、守っていこうという約束。
 夫に感謝。


2004年02月16日(月)

見たこともない数値

 月に一度は決心しているような気はするが。
 痩せよう。これは誓わないとならない事態と相成った。体脂肪が見たこともない数値になっている。
 体重はそうでもないので、純粋に筋肉が脂肪になり加えて脂肪そのものも増加しているに違いないああ違いないともこの生活だとな!自暴自棄!
 生活が元凶であることは重々承知しているので、とにかく動く!働く!食わない!元々お菓子はそんなに食べてないけどそれでも間食一切禁止!
 これくらい「!」マークを使わないと、やる気がでない気がするよ。
 あと、炭水化物を主とするモノが好きなのだが、それらを微妙に減らす方向で。
 風邪は無視して行きましょう!病院にも行きましょう!


 でも基本姿勢は無気力。でもさすがにそろそろ活字と物語に飢えてきた。


2004年02月13日(金)

快楽主義

 風邪悪化。
 夫はバレンタインデーには手作りのチョコレートが欲しいと言う人なので、簡単なモノではあるけれど準備はしていた。していたが、できるのか?という咳とくしゃみっぷり。風邪菌だらけのトリュフの予定。
 加えて午前中は寝込んでいたので時間もない。明日だから明日に作るか?でも目の前で…
 去年は失敗したので、頑張ってみたいと考えているのだが。微妙。

 人様のサイトの読み物で色々と考え込んでみていたのだが、振り返ると最近はあまり物事を考えていないことに気づく。それは、頭の中真っ白というワケではなく、何かについて深く掘り下げて自分なりに考えてみる、ということが少ない、ということだ。
 結構最近まで、悪く言えば子供の私は青臭いようなことをよく考えていたように思う。それはそれで別に実生活に役に立つとは思わないのだけれど、頭の体操としてはいいし、何より「物事全てを特に深く考えなくなる」ことを防げるように思う。
 やろうと思えば「人生の意味」とか「意義」とかなんて、意識せずにいたって有意義に(もしかするとある意味では意識しない方が有意義に?豊かに?)生きられると思う。でもそれができるのは、意識しないままでもきちんと自分で生きていかれるヒトのような気がしているし、現状の自分がどうかというと、全くもって生きていかれないだろう…多分。

 …なんか、少なくとも表面だけを滑るように何も考えずにいたくはない、というだけなんだけど。なんつーか、意味とか意義を持ち出すと、どうにもこうにも捉えにくくなる。
 あー。多分、根っこは快楽主義なんだろうな、私。その方がしっくりくるぞ。


2004年02月11日(水)

戦国の世を10時間ほど

 ゲーム日記化しそうな勢い。夫婦でゲームを楽しんでいた。
 そのゲームの名は『戦国無双』。発売当日。すぐに購入したというのは、実は珍しい。夫もゲーマーという程ではないからなのだけれど…それでもそろそろゲーマーの域か?
 私自身は殆どゲームはしないのだけれど、残念ながら真田幸村が出ているので致し方あるまい、と諦めた。だってユッキーのことは小学生の頃から溢れるラヴ。パパさんもラヴの仲間入り(使用できないけど)。知将って感じが私の中でメガヒット。
 ゲームのユッキーは妙に熱血漢な人だけれど、まあ良しとしよう。夫は前田慶次がお気に入りらしく、溢れんばかりのパワーで敵を吹き飛ばしておりました。
 途中からは幸村ストーリーの事情のために、信玄と幸村でコンビを組んで2時まで楽しく信玄ストーリープレイ。
「お館様ぁ。ちょっと生きててー。ユッキー迷ってるよ」
「早くしてくれぇ。やばいやばいやばい弱ぇよ信玄。使いづれぇよ」
「あ、半蔵発見。はははははははは死ねえ半蔵まだまだ若い若いぃぃ!甘い甘いぃぃ!」
「…死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ信玄死ぬ!いいから早く来いって」
 合計で10時間近く、こんなことをしていたような気がする。
 いいのか新婚夫婦!


2004年02月09日(月)

世界は平らで化け物だらけで

 週末に夫とぬるく楽しくプレイしているのは『NEO ATLAS』。
 このゲームについては夫がずっと前から「こういう面白いゲームが以前あってね」と話していた。ただし夫が遊んでいたのはPC版。少し勝手が違うのか記憶を取り戻せないのか、「あれ? あれあれ?」と私の手からコントローラーを奪って操作している。がんばれ夫。そういう私は何か決定しなければならない場面になる度に「どうかな?」と夫任せ。主体性?何ソレ。

 このゲームは大航海時代(だと思う)の頃のお話で、プレイヤーはリスボンの商館経営者として国王の命を受けて色々な探索を命じられるのだけれど、あの当時はまだ世界の全貌は見えていないわけで。幾人もの提督に船を与えて「探検じゃあ」とか「調査してこい」とか「大陸を見つけろや」とか任せるのだけれど、自分が行くわけではないから、帰ってきた提督の言葉しか信じるモノはなく。
「クラーケンがいてこれ以上は進めない」「海の司教が以下略」と言われたり、そんな場所に大陸があるのかよという場所に大陸があったり…というのを信じるか否か、で世界地図が作られていく。世界を平らにできるし。
 今のところ我が家の世界は丸いのですが、化け物だらけで大変です。妙に近い場所に南米があるような気がするし。
 さあとりあえずは喜望峰へ。あるのか?



2004年02月04日(水)

夢の中で彼は全く笑うことはなく

 夢を見た。
 それはかつての恋の相手の夢で、船上での実験室や通常の分析室のイメージがごっちゃになったような部屋にいた。他の人もいたようなのだけれど記憶にはない。ただ研究関係ではない友人の名前が出ていたりもして、整理していた幾つかの引き出しを床にばらまいたような雰囲気。でも明るかった。そして何故か泊まる場所もあった。
 かつての相手は全く笑うことがなかった。分析室を仕切るビニルのカーテンに、何故か英語でその部屋の説明を書いていた。マッキーのマジック。そして英語の単語を何故か日本語で繋いでいる。そして私にその説明をしている。
「明日はもう来ないの?」
 彼が出国することを知っていて、私はそう尋ねる。
「来ないよ」
 彼はにこりともせずに答える。泊まる場所もあるし、まだ一緒にいたいけれど、相手はそう思ってはいないし私もできるともしようとも思っていない。そうだよな、もうそうなんだよな。そう思って帰ろうとして
 目が覚めた。


 弁当作成のために目覚まし時計をセットしていたのだけれど、それを止めてから「ちょっとだけ」とお布団に潜り込んだら、そんな夢。寝たのは20分くらいだったのだけれど、これで完っ全に目が覚めた。今の私がそんな夢をみたことに驚いたよう。
 きちんと弁当を作れたので、ありがたいと言えばありがたいが。

 よしもとばななの作品中のような夢の見方はしたことがないし、そういう夢だとも思ったことがないけれど、それなりに夢は自分の現状を表していると思う。それはかなり直球勝負なことが多いし、わかりにくい場合はそれほど差し迫っていない現実であることが殆どだ。
 今回の夢の原因は全く分からないけれど、自分で現状は把握しているのだろうと思うことにした。
 もしかして彼と再会することがあったとしたら、彼は喜ぶなり懐かしがるなり(そしてちょっとは私を惜しいと思ってくれたり(浅ましいとは自覚しているが、ちょっとかつての自分を否定したくはないので))などしないかと妄想したりもしなくはないのだが、奥の奥ではきちんと「奴はそういうことはしねえよ」と認識しているのだろう。これで安心した。

 それにしても彼の書いていた英語だけれど、それはもうめちゃくちゃ。向こうで生活していた人間があれはあるはずないだろう。
 やはり、頭の中にないものは夢の中でも無理なのか。自分の英語力を目の当たりにしてしまって少しショック。



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