xxxxxx 表面張力(仮)

虚実入り乱れても記録
20010802--



2003年11月27日(木)

大捜索

 年賀状の宛名リストを作るため、住所が書いてあるモノありったけを捜索。
 なんていうか、ここ数年は全く書いていなかったために「去年の(返事で届いた)年賀状をそのまま書けばいいか」という素敵な行動に出られない。大昔の研究室の連絡表を発見。ちょっと前の研究室の場合はそんなものはないので研究室宛に出すことにする。高校の友人関係は発掘できず。おそらく実家。けれど取りに行く時間はない。どうするんだワタシ。
 大学時代の友人が今年の正月にくれた年賀状が見つからない。これもおそらく実家。確か「早く住所教えろてめぇ」と書かれていたような気が。しかし既に更に新しい住所に。どうしよう。

 どうして今年はこんなに真面目に書かねばならないのかと言うと、結婚の報告をしなければならないからである。大事な報告先はお互いの親族と夫の上司。さすがにもう報告しないとまずいだろうとの配慮…て、早めに結婚式の準備なり何なりをしていればこんなことにはなっていない。
 結婚式は結局しないことになった。写真だけとってそれを使って報告する。写真は当然、思い出でも何でもなく報告目的。多少は気分も華やいでいるが、あくまで目的はビジネスライクに。多少、けじめの目的あり。

 掃除をしながら、天袋の奥にしまい込んでいた段ボール箱から、ようやく大学院時代からお世話になっていた先輩からの年賀状をようやく発見。ちゃんと新住所。よかったよ。これがなかったら職場に出すしかなかったよ。
 それにしても。
 この段ボールの中は今だに引っ越し当初のまま保存されている。ていうか、かつての独り暮らしのアパートで詰めたそのまま。


 ちゃんと片付けて整理しましょう。
 住所録くらい作りましょう。


2003年11月25日(火)

冷蔵庫に備蓄

 ボツの日。
 今週はかなりすることがあるだけに、自己嫌悪と自棄の居直りでよろしくない状態。よくないなあと思いつつ、こうして日記を書いているのだから始末が悪い。
 一昨日くらいから落ち込みやすいので、どうも周期的なホルモンバランスの崩れだろうと思う。毎月こんなことに振り回されるから…と考え出すと落ち込みが激しくなるので思考を止める。無駄としか言いようがない。
 外から雨の音。だから余計に落ち込むのだろう。元気なときには雨はとても好きだと感じ、落ち着いていいのだけれど、こういう状況では晴れてくれていると助かる。まだマシだから。
 幸い、冷蔵庫に備蓄があるので買い物に行かずにすむ。今日と明日の弁当はどうにかなりそうだ。ああ本当にヒキコモリ。


 ノートに手書きで書き散らかす。そういう心境なのだろう。過去と現在の繋がりが感じられないことについて。数日経てば、ナニを思い煩っていたのだろうと思うに違いない。
 とにかく夫が帰宅する前にきちんとした日常を。これは彼にぶつけることでもなく、見せることでもない。くだらない、思春期レベルのこと。つまり成長していないということか。まさにその通り。


2003年11月20日(木)

記憶違い

 大昔の幼い頃に読んだ本が印象的で、頭のどこかに引っかかっている、ということがよくある。ふと思い出して、面白かったようなどうなんだ、と記憶の中の本を思い浮かべる。そのぼやけた映像。最近、そのうちの一冊をふと思いだし、そうだ図書館で借りようということに。
 現在はとても便利な世の中。うろ覚えの題名と、印象的な作家名で検索してみること数十分。どうしてもその作家の著作リストに出てこない。どうしてかしら。児童文学だから?でも他の児童文学作品は載っているんだけど。なぜなぜ。
 Enterキーを押す指の動きも止まり考え込むこと数十秒。うろ覚えだった題名から、本専用検索エンジンを使用して検索開始。なんとなく記憶にある題名発見。著者名全然記憶なし。
 …記憶違いをしていたのでしょうか。すごくすごく、この作家の作品だと十数年間、思い続けていたのですけれど。


 その本は
  『ココの詩』 高楼方子・作 千葉史子・画
 読んでいて、最後で思い切り「そうなるんですか!」と驚かされた。寂しくなって、その後味の悪さ?がとても印象的。年をとった現在でも、多分その感覚は変わらないのではないかとは思う。けれど、多分かつての自分よりかは分かるようになっているのだろうとも。
 小学生の頃に読んだはずだけれど、その年頃よりもっと上になってから読む方がしっくりくるのではないかと思う一冊。でも児童文学。
 ちなみに、激しく勘違いしていた作者名は川西蘭氏でしたことですよ。どうしてそんなに激しく間違っていたのか、全くもって不明。
 何かと混同しているのか。でも川西蘭氏の児童文学は読んでいなかったと思うのだけれど。


2003年11月19日(水)

近い近い人の孤独を

 朝のニュースで、デビューしたての兄弟ユニット『平川地一丁目』を観た。なんて可愛い。弟の方は、最初観たときには女の子かと思いましたよ。ああ徐々に声変わりしているんだ。でもなんか切ない声だね。フォークソングはこれまでそんなに聴いてこなかったけれど、ちょっと聴いてみようか。
 一回り以上も違うので、微笑ましい雰囲気。にやにやしながらテレビ画面を眺めていて、その弟君の風貌から、ふと彼を思い出す。

 会いたいなあと素直に思う。現状に不満があるわけではないのだけれど、彼と仲良く喋りたい。大学時代の、それなりに多感なはずの時期に奇跡のようにナニもなく、ただ仲良くいられたあの空気が懐かしい。いや、奇跡ではなくてお互いの意識によることはきちんと分かっているけれど。でもとても懐かしい。
 今はどうしているんだろう。初夏の頃に数人で会って、でもそのときにはあまり話せなかった。この間の会合では彼が仕事で来られなかったし。どうしているんだろう。元気なのだろうか。

 昨日のように、彼を孤独と思うのは私の傲慢だと後から厳しく反省。多分、彼は楽しくやっているのだ。ただ、大学時代にはそれでも透けて見えていたモノがあったけれど、けれど今もそうだとは限らない。
 当時、授業のない時間に部室に行くと彼がいたりして、そこで手の甲の傷に気づいてよく悲しくなっていたことを思い出す。壁を殴った痕。殴る理由は聞かないままに、よく撫でていた。今はもうその傷もないだろう。大学を卒業してから、そんな傷は見なくなったように思う。


 今から考えると、あそこまで甘えた相手は他にいなかったのではないだろうか。多分、(当時はいなくなっていたが)恋人以上に甘えていただろう。どうしてなのだろう。恋人には、どこか「嫌われる」と思っていて、色々なことを抑えていた。彼に対してはそんなことはなかったのではないか。それは嫌われることなどない、という思い上がりではなかった。でも、なんだったのかと問うと、それはよく分からない。
 いや、もしかするとやはり思い上がっていたのではないだろうか。それは同類として。特殊ではあったが、かなりの好意と仲間意識を持っているという、確信に近いモノがなかっただろうか。
 大事だった。とても頼っていたし、ある部分で頼られていたとも思わなくはない。親兄弟とはまた別の、あの近さ。

 今、とても会いたいと思うのは確認をしたいのではないか。今の距離を。関係性を。私が結婚し、もう男女の関係の可能性はなくなった時に、あの距離はどうなったのだろうか、と。
 私の方は、今でも大事に考えている。では、彼の方は?


 本当は、私ではなくてもっと大事な人が彼に現れるべきなのだ。おそらく現在でも、彼の最深の心境を聞いたのは私だけではないか。そういう状況ではだめだと思う。この考えもとても傲慢なのだけれど。それでも。
 彼と私はとても近しいが、けれどこの関係はこれ以上距離を詰めることはないのだから。

 彼が独りで壁を殴るような夜に、誰か傍にいないだろうか。いて欲しい。とてもいて欲しい。でもその誰かは私ではない。昔も、今も。
 この考えはとても傲っているのかもしれない。けれど願わずにいられない。
 そして今の彼の傍に、それが物理的な距離ではなく心理的な距離でもいいからとても近い位置に、誰か近しい人がいたらとても嬉しく思う。
 ああ、いるかもしれないよね。そうしたら、いいなあ。と、心から。


2003年11月18日(火)

教訓/切実に祈ることは

 昨夜、夫が「そろそろコートを出して欲しい」と仰る。ええ確かに、私もそろそろこのジャンパーとマフラーでは寒くなって参りましたよ。私の目当ては別のジャンパー。これよりかは風を通さず、かつ格好がマシ。天気はまだ良いみたいだし、出しましょう出しましょう。
 そんな本日。暖かいねと二人で仲良くぬくまっていたところ見事に寝坊。見事に半休。仲良くいるにも程がある。
 昼ご飯を一緒に食べて夫を見送り、さあ衣替え(冬)と振り返ると窓の外には曇り空。かすかにかすかに雲の向こうに太陽が。


 本日の教訓。
 物事は早め早めにやりましょう。

 毎日毎日、教訓があるような日々もどうかと思う。








 と、書いてから数時間。モードチェンジには十分の時間。
 夏物をしまい込んでいて考え込む。なんていうか、こうして夫と一緒に暮らしていられることを本当に不思議に思う。
 あのとき、夫が私のことを好きだと気づいておきながら彼を求めていたらどうなっただろう。どうにもならなかっただろうか。何か変わっただろうか。そもそも、彼が私とどうこうなろうとは思っていなかっただろうけれど。
 彼は私に恋をしたことはなく、私も彼に恋をしたことはなく。ただそれでも特別で、それはとてもとても近しいから。

 切実に、それは夫とも違う、そして奴とも違う地点で切実に彼のシアワセを願ってやまない。それは憐憫でも同情でもなく、同病相憐れむでもなく。一時期の私を本当に救っていてくれた彼に、多分、私よりずっと深く深く孤独の中にいた彼にどうかシアワセが訪れないかと、心から願うだけで。
 そのシアワセの形は何でもいいから、どうか、孤独ではないように。彼の孤独はどうしても、辛そうで切なくて堪らないから。充足した独りではないから。
 そう願うことすら、余計なことなのだろうけれど。
 少なくとも、夫と共にいる私には願うことすらできないのかもしれないけれど。


2003年11月17日(月)

傾いだ襟元

 朝、着替えていた夫が微妙に不機嫌に急変。顔が微妙に無表情気味なときの夫は微妙に恐い。無意識に感情を抑えているのかもしれないのだけれど、でもその顔が恐いので逆効果。結局ばればれ。
 まあとにかく不機嫌な夫。「ワイシャツをしまうときには丁寧にしてね、襟が全部同じ方向に曲がっちゃってるよ」と襟をくいと曲げてみせる。ああごめんよ夫。ついつい適当に入れていたのね。なんでこんなに不機嫌オーラが、と思いつつも私の不始末なので素直に謝る。
 無表情のまま愛情表現をする夫を見送り、部屋に戻るとそこには夫の脱いだ洗濯物がそのままに。洗濯かごにいれることなくそのままに。
 何となくむきーとなって洗濯物を乱暴にかごに入れる素敵な朝。


2003年11月14日(金)

10年前の自分達は思い浮かべもしない未来に

 『スクランブル』(若竹七海)を久々に読み返した。
 読んだのは確か大学生の頃だったと思う。この作者に姉がはまっていて購入したり図書館から借りたりしていた。姉の本棚から出してきて、他の本も読んでいて、ある本のある場面に出てくる場所を知っていた。そこは懐かしい場所で、なんとなく感傷的になった自分を思い出すからだ。多分、その頃に集中的に読んでいたはず。もうそんな気分になることはない、それくらいの過去。
 あの頃は高校を卒業して数年で、まだそれほどこの本(『スクランブル』)に流れる空気が分からなかったように思う。いや、当時は当時の感じ方がある。多分、タイムリーになったのだろう。この本では登場人物達は15年前の高校時代を思い出している。そういう時期なのだ、今は。


 先日、いいタイミングで高校時代の友人が家に遊びに来てくれた。彼女は働いているけれど、会社が休みだったのだそうだ。勿論、数日前に連絡をくれ、当日は少し遅刻をしてやってきた。
 高校1年生からの友人だ。もう10年以上の付き合いになった。一昔と数える単位にすらなってしまう時間。この間に、色々あった。多分、お互いに。
 クラスでもトップで結婚は遅いだろうと(もしくはしないだろうと)思われていた私が彼女らより早く結婚をし、しかも希望通りに順調に進んでいた道から降りた。主婦をしているのが不思議、と友人は私に言う。そんな彼女は当時の希望からは離れた職種に携わり、それなりに不満を抱えながらも社会人をしている。
 10年前の自分達は思い浮かべもしない未来に、今の私達はいる。日常はとても地道で、希望通りでもそうでなくても生活をしていくということは我慢と諦めが層のように重なってできていくことだ。そのところどころに、綺麗な色の層がある。そういうことなのだろう、と少しずつ分かってくる。

 高校生の頃は、厄介な自意識や背伸びしてみせる心持ち、そしてそれらを馬鹿にする矛盾にぐるぐるとなりながら過ごしていたように思う。考えを素直に話すことはできても、弱い部分を話すことはなかなかできなかった。どこか格好つけたかったし、それはくだらないとも思っていた。
 当時に比べて、とても楽になった。弱いところは当然あるのだ、という認識が出来てきたからか、人の話も聞けるし、自分の話もまま出来るようになった。それは友人も同じようで、当時より不器用な鎧がなくなったように感じる。
 それでも私はなかなか自分の弱点は話せない。現在進行形の弱点は、ただひたすら自分の中で抱え込む。それが重くなくなるまで。
 そんな重しを、もしかすると…多分、目の前の友人も抱えているのだろう。そうすると年をとってどうなったかというと、それなりにある重しをさりげなく保つことが出来るようになって、かつ他人も持っていることが分かるようになった、というところか。
 まとまらないまま、本日は終了。


2003年11月13日(木)

デートスポットでデートをしてみよう

 そういえば先日、六本木ヒルズに夫と出かけた。なんていうかデート。流行のというか既に定番になっているであろうデートスポット。
 そんな二人は六本木なんて恐ろしく久しぶり。ていうか私は二回目。夫も片手で足りるはずの回数。だって遊ばないし。映画館くらいしか魅力的な場所はなかったし(私にとって)。これまでの人生でのデートなんて…貧乏暇なしで地元デートっつうの?いやホントにそんな感じだし。大学周辺とか下宿周辺とか公園とか。わー。甘酸っぱいぞ思い出!ていうか酸っぱい!ハイテンションのふりをしていないと恥ずかしいぞ!


 とにかく六本木ヒルズ。着いてみたら広い広い。前後左右上下に。案内所で配られている地図を片手に歩かないと、目当ての店がどこにあるのか分からない。はいオノボリサンですよー初めてですよーとばかりに迷ってみたり。
 それにしても買い物する場所だねと二人で感心する。我々の買い物は主にパソコン関係やゲーム関係や家具小物食い物に殆ど限られているので、どうもこの場所は合わないらしいと気づき始める。見渡すとそこは洋服。自らを装うためのモノモノモノ。「傘が欲しかったよね」と唯一の傘屋に行くも、とてもとてもいい傘なのに金額が身分に合わず、さっくり諦める。

 結局、お金を払ったのは食べ物屋のみ。ナニしに行ったんだ俺達。いや、美味しかったけどね!楽しかったけどね!華やかな場所を歩いてるってだけで満足したけどね!



 …どうしてこんなにハイテンションで書いているんだろうと思わず省みてみたり。


2003年11月11日(火)

家族愛

 右手の湿疹がどうにか治ってきたかと思ったら左顎の激痛(以前の虫歯治療跡)がありそれが良くなりつつあると安心したら口内炎で下唇まで腫れている、そんな今日この頃。
 先日、母と姉に会ったときに笑いながら状況を伝えたところ、しみじみと言いました。
「よく結婚してくれたねえ…こんなに細々と何かしら不調の子と」
「いい旦那さんだねえ…」
 全くもってその通りだと思います思いますともだけどね!その前に心配しようよ。ね。顎の激痛は酷かったんだよ!リンパ腺が腫れに腫れて首まで太かったよ!顔が変形していたよ!痛くて眠れないし痛み止めが切れると泣いていたよ!
「離婚されても絶対に文句言えないわよねえ」
「だって絶対にこっちが悪いよ」

 お母様、お姉様、離婚原因は分からないよっつうか、そんな話はやめましょう。


2003年11月06日(木)

個人的に御礼とお詫びを申し上げております

 先日、落ち込み気味の日記を御覧になって励ましのメールを下さいました読者様。
 誠にありがとうございました。とてもとても嬉しかったのです。
 感情移入の激しいヒトであることは自覚しているので普段は気をつけているのですが、不調なときに悲しいでもなく切ないでもなく「最悪でぇっす」と笑ってしまうようなニュースを観ると、急降下でホントに落ち込んでしまうのですね。そういうときに、暖かいメールを頂けてとても嬉しかったのです。

 そしてどうしてこの場でこのように申し上げているのかと申しますと。
 メールが全て吹っ飛んでしまったのでございます。ええ全て。
 夫も時々そうなるので、メールソフトが悪いのではないかと考えておりますが、夫のだし、夫のパソコンだし、借りているんだし、と、とにかく早く返信差し上げなかった自分が悪かった、ということですので。

 本当にありがとうございました。
 そしてこのような形でお礼申し上げますこと、何よりメールをなくしてしまったこと、本当に申し訳ありませんでした。
 今後とも、何卒よろしくお願い申し上げます。



2003年11月05日(水)

元気に生きています

 歯を磨こうと思ってハブラシにチューブからうにうにとつけて口の中に入れたら、変な味がした。
 どうしたんだろう。何か変になったんかな。そういえば顎が痛いし、以前治療した箇所がまたおかしくなったんかな。どきどきどき。…とくしゅくしゅ磨いて途中で気づく愚かな自分。
 漫画のようでナニですが、本気で洗顔料で歯を磨いていました数十秒。

 一生懸命に口を濯ぎ、とにかく夫に報告。報告する口の中は洗顔料の変な味。それでもいいの。だってこんなこと、一生に一度するかしないかでしょう?
「聞いて聞いて、とうとう歯磨き粉と洗顔料を間違えたよ!」
「口の中に入れちゃった?」
「うん!」
「…不憫な子だね……いつかすると思っていたよ…」

 不憫って?不憫ってどういうこと?
 そして不安に思っていたってどういうこと?



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