ひとりごと

2003年12月31日(水) 子供の頃の年末は・・・

とても楽しかった。

毎年12月30日はお餅つきだった。
父の会社の主だった人たちが集まって、玄関で餅つきをした。
その場でどんどんあんや黄な粉にまぶして食べた。

男の人たちがどんどんついていったものを女の人たちが伸し餅にしていった。
たくさんたくさんできて、みんなでわけて、それでも、何十枚も残った。
それが我が家の分になる。

それから、12月31日は紅白を見るために、私たちはお菓子を買いに行った。
商売人の家は・・・結構、けちだ(苦笑
特に、私が小さい頃は祖母が台所を握っていたため、私はお味噌汁かけご飯くらいしか食べなかった。
子供の好きなものなんて作ってもらえなかった。嫌いなものは食べない・・・
そのころからわがままの片鱗を見せる私でもある(爆

でも31日だけは別。妹と二人で、好きなだけお菓子を買ってもいいことになっていた。
すき焼きを食べて(すき焼きも嫌いだった)、紅白歌合戦を見て、お菓子を食べて・・・
普段は絶対に包丁なんて握らない父が、お餅を切っているのを見るのも楽しかった。
そうそう、紅白を見ながら、トランプをしたりもしたなぁ〜

ただ・・・母は違った。
30日から母は立ちっぱなし、働きっぱなし・・・これが1日まで続く。
31日の夜中には美容院に行って、1日に年始の挨拶に来る会社の人のために
おせちだけではなく、いろいろな料理を作っていた。いつも徹夜仕事。
綺麗な着物の上はいつも割烹着だった・・・
わたしたちは会社の人が何十人もくるので、お年玉がものすごく多くて、うれしかったけれど、
使わせてもらえるわけもなく、全部、貯金させられた。
商売人は子供が贅沢するのをとても嫌がる。
母の妹はわたしにたくさんお年玉を渡したと父に教育的指導を受けたと憤慨していた(笑

今の私は母と同じことを要求されたら、考えただけで貧血になりそう・・・
確かにあの頃は羽振りがよかった。母はお金に苦労をしたことがない。
教育費だ、ローンだ・・・なんて何一つ考えることもなかったけれど、
あの壮絶な嫁いびりとこの年末年始の重労働を考えただけで・・・あぅ(ノ≧ρ≦)ノ
わたしは間違いなく、今の学費地獄にローン地獄を選んじゃう(笑
地獄の中にのんびり流れる時間・・・これは天国です(なに言ってんだぁ〜^^;)

祖母の力の衰退とともに、母の傍若無人ぶりがいかんなく発揮されることになるのだけど・・・
まっ、あの20歳の前半から40過ぎまでの生活を考えると、なんでも許されるだろうと
思うわたしであります・・・

今ですかぁ〜
お茶の先生だ、お華の先生だ、懐石料理の先生だと・・・先生、先生とちやほやされ
快適な老後を送っている模様です・・・
そんな母の目の上のたんこぶ・・・それは私です(〃^。^;〃)

わたしって、正直だからなぁ〜かっこつけたことをするとすぐ笑っちゃうから・・・
【すごいねぇ〜すごいねぇ〜】って言ってあげる親孝行・・・
来年からはちょっと考えよう・・・(≧∇≦)



2003年12月30日(火) おばあちゃんの味覚障害

この日記にもたびたび登場のおちゃめなお義母さん・・・
実は数年前・・・もう、5年くらい前から、風邪のウィルスが鼻の神経を
駄目にしてしまって、嗅覚を失って、食べ物が美味しくなくなってしまいました。

でも、ほら、そこは明るいお義母さんのこと。
しっかり、乗り切って、前ほどは美味しく感じられないけれど、
【まずい、まずい】といいながらも、楽しく食事をしていました。

それがね、先月、狭心症の薬を出されて、それを飲んでから、本物の味覚障害に
なってしまって、なにを食べても美味しくないどころか、吐くほどまずく感じる
ようになってしまったそうで・・・おかゆしか食べられないから元気もなく・・・
人が集まるのが好きなお義母さんが、元気になるまで来ないでね・・・って(T_T)

狭心症も・・・もっと大きな病院に検査入院をして調べてもらったら、誤診だった。
かかりつけの医者がお休みで、仕方なく、どこだかの大学病院の循環器科のえらい先生が
開業した病院に行ってみて、この結果だ!もう、訴えてやりたい!

で、何度か電話でご機嫌伺いをしていたんだけれど、
今朝、電話をしたら、お義父さんが寂しがっているからお正月に来て
自分でお料理して、食べていって・・・と言われた。

お義母さんはしんどそうだったので、大丈夫ですかと言ったんだけど、
お義父さんが待っているからって・・・
じゃぁ、お昼に少し…と思ったら、もう、すき焼き用のお肉だけあるから
他の材料を買ってきて、みんなですき焼きをしてねということで・・・
(義母はいま体力がなくて、お買い物もいけない状態。
 普段は義母の妹が毎日お買い物をして届けている。)

もうっ!おじいちゃんったら、わがままなんだから・・・と思いながら、
やっぱり、夫がイギリスに戻ったら、すぐには会えないし、心細いのかもなぁ〜
と気を取り直し・・・

それじゃぁ、せめて、かねてから友達から試してみたらと言われていた
栄養ドリンクを持っていくことにした。
どこででも買えるものではないらしいし、まずくて飲めないかもしれないので
とりあえず、お試しということで、友達のお義母さんのストックを分けてもらうことに。

朝の電話で急にばたばたと決まってしまい、掃除機をかけていたものを放り出したまま
電車にのって、ドリンクを取りに行った。

電車・・・びっくりするほど空いていたのに、街は人が溢れていた・・・
すごぉ〜い・・・さすが年末だわぁ〜と変に感動してしまいました。

友達曰く
【変な話ね、死にかかっていた人もこのドリンクで元気になるくらい、完全栄養ドリンクなんだよ】って。

お義母さん、このドリンク、飲めるといいな。そして、元気になってもらわなくちゃ。

掃除機・お台所の後始末はお嬢がしてくれてありました。
いざというときは役にたってくれるから・・・
まっ、最近のテイタラクは許してあげよう・・・(*^.^*)



2003年12月25日(木) 21年前のクリスマス

一人目の赤ちゃんを流産した日。
親孝行って言うか、甘えん坊って言うか・・・
絶対に忘れられない日に、天に昇っていっちゃったね。

10月に夫が中南米に3ヶ月の長期出張にでかけ、
妊娠がわかったのが、11月。
電話がかかってきたときに報告をして
あちらの人たちにも大喜びで言ったらしい。
で、たくさんのお祝いをいただいて、帰ってきて…

帰国の前日、流産が決まり、帰国の日に手術ということになっていた。
私は実家に三重にいたから、ひとりぼっちでは
なかったけれど、
夫に連絡のつけようもなかったのが辛かった。

「今到着したよ」という成田からの早朝の電話で
今日の午後、手術を受けると言った。

夫はそのまま家に戻らず、三重の病院まで来てくれて
夫の顔を見てから手術を受けることができた。

私はすっかり麻酔が効いていたから、全然覚えていないけど

軽い手術だから、本格的な手術室でなかったこともあり、
廊下に【やめてぇ〜】という私の叫び声が響いたそうです^^;
そのうえ、吐いたらしくて・・・

そういえば、麻酔から覚めたら、喉がひりひりしていたような…

今は夫や二人のかわいいお子がそばにいてくれて
幸せなクリスマスを毎年迎えられることに感謝しながら、
今年はなぜか強烈に思い出してしまいました。

・・・メリークリスマス・・・=*^-^*=



2003年12月15日(月) 寒いねぇ〜

今日のお掃除は気合がはいっていました。

なぜって・・・明後日からはお天気が崩れるというから、
なるべく今日、明日で、大掃除を終わりたい(^^ゞ

寒い日はカーペットの上でにゃんこ化するのじゃ。

一昨日で、お風呂は完璧。
今日は2回目のワックスを床にかけて、
キッチンの拭き掃除に、換気扇もOK!
それから、掃除機も分解して、フィルターをざばざば洗い、
もう一度、床にワックス(笑

先週の土曜日に窓ガラスも拭いてみたけれど、この才能はないらしい。
どうやってみても、窓にムラが残る・・・いらいらいらいらいら・・・
ってことで、この大役は夫に残しておこう。

それから、歯医者さんに行った。
ブリッジの色合わせをした・・・【これ、結構いいと思いますけど、どうします?】
どうしますと言われましても・・・
「いやぁ〜素人で、歯の色なんてわかりませんので先生にお任せします・・・」

義歯をいれる人たちは言いたい放題の注文をつけるそうです(笑
だから、好みを言っていいんだよぉ〜と先生は仰るけれど・・・
好みと言われましても・・・(^^ゞ

そうそう、さんまさんの歯は、不自然な白人さん用の色なのだそうで
あれは失敗例なんだって。
えぇぇぇ〜あの歯は義歯なんですかぁ〜!とびっくりでしたぁ〜

うちには芸能人はいないけれど、オペラ歌手がいるよ!って・・・
ひょっとして・・・akilinaさん、あなたのことですよねぇ〜(o^-^o)
思わず、その人、知っていますぅ〜!と叫びそうになりましたが・・・
我慢しました・・・今にしても思えば・・・言ってみればよかったかなぁ〜(゚m゚*)

ということで・・・

長い長い歯医者さん通いも、12月24日、クリスマスイブをもって、終了しそうです。
あのユニークな先生と当分お会いできないとなると・・・ちょっと寂しかったり(^^ゞ
でも、やっぱり、一時卒業はうれしい・・・♪



2003年12月09日(火) 恥だってしのんでいますわ♪

うちの父が昔こぼしていたことがある。

母がいないと、必ず
【おかあさんは?】と私や妹が聞くって。

そういえば、父がいなくても、【おとうさんは?】とは聞かないかったかも。

父親は忙しくて家にいなくても当たり前みたいなところがあったからで
反対に母親は家にいて当たり前だっただけのこと。
子供たちに他意はなかったのに、父はさみしかったみたいだ(笑

母親っていうのは、家の、その中心にいるんだなぁ〜としみじみ思う。
その吸引力たるものや、まさに、存在価値そのもの。

まだ夫の弟が高校生だった頃、そうとうやんちゃをしていたらしい。
その彼が【これをやっちゃうと、あの楽しい家に戻れない】と
いきつくところまではいかなかったと話していた。

彼を一歩踏み出させなかったのは、絶対、あの義母の明るさだと思う。
笑いを絶やさない義母の作り上げた家庭なんだと思う。
そして、どんなにやんちゃをしようが彼の居場所を確保してきた義母の技量はすごい。
そのころ、義父は長期駐在であっちゃこっちゃに行っていたので、今のうちと同じような状態。
東京のやんちゃは半端じゃないから(笑)おかあさんも大変だっただろうなぁ〜

そんなわけで、私の理想のおかあさん像はお茶目なお義母さん。

だからねぇ〜少々息子が恥ずかしいからやめて欲しいと言っても・・・・・

踊っちゃうんだよねぇ〜・・・シカゴ見ながら・・・・おほほほ・・・
あっ、モーニング娘。だって、上手だよぉ〜

【あっぱれ、あっぱれ、なんとか、かんとか・・・】って。
ちゃんと歌詞を覚えていないところが、哀愁をそそる・・・けど・・・



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