古畑亜紀の日記
日々の雑記帳です。思い付いた時に
気分にまかせて書きます。

2003年11月12日(水) アントンセン

昨日はアントンセンのオルガンデュオリサイタルみにいって
きました。とてもよかったです!!

しかし極度に早起きしてすでに眠くなっていたせいか、
あまりにも安定した演奏のせいか私は、名手から学ぶ
というより安らかに気持ちにさせられてうっかり眠る
ところだった。(退屈だったわけではないよ〜)。

積極的で、安定していて、遠くで聞いた時の音の輪郭を
意識した(いしきしてるんじゃなくて、そういう風に
「できちゃう」のかもしれないけど)演奏だな〜と
思いました。

達人というか、とにかく「できちゃう」ので難しいこと
も簡単そうにきこえます。さっそく、だったらできるかも
と思って家にかえってまねしてみた(できるわけないじゃん)。
あれ〜、同じ楽器のはずなんだけどどうしてこんなに
ふけてないの(爆笑)。あれがラッパだったら自分は
なんなんだ...
考えすぎると落ち込むので明るく憧れることにしようと
思います。

慎重、かつ大胆。客観的だけどクールな「寒さ」がない!!
芸をみせても「消費物」みたいな弱さをみせて飽きられたり
はしない。音とセンスがよくてうまいからだ。自然な
フレージングはクラシックだけでなくジャズの曲をとり
あげる時も発揮されていた。
すごいぞアントンセン。

オルガンとピアノを弾いたラスロさんも激うま(ラーメン
みたいないいかたですみません)で、よい意味で若い
敏しょうさがあって、いつもキタラのオルガンがこのくらい
弾いてもらえたらいいのに...と正直いって思った。
はつらつとしていて、オルガンソロの曲を聞いた時は
「生きているってすばらしい」という、生命への強い
肯定を感じさせられた。ん〜すばらしい!!

今日から東京。ハ−セスきけるかなあ〜。
ちゃんとふけるまでがんばるぞ!



2003年11月05日(水) 誰がなんといおうと

先日、非常に近しい人がこの世をさりました。

おわかれもしてきましたけれど、実感がわきません。
私は一度も泣いていません。いなくなった気がしない
からです。

学生だったころ、「福祉施設を演奏して巡回したい」
という希望をだしたとき、多数決で、それは却下
されました。ほかにすることがたくさんあるとか
いう理由だったかもしれません。演奏回数をふやす
には全体の状態が不安定であるという理由もあった
ような気がします。でも、
私は、十分にお金を準備できないとか、自分で
好きなように出かけられない人々のところへいって、
世界一の演奏をすることが夢で、そのために日々の
練習をしていました。
圧倒的多数でそれは却下されたので、「誰も自分の
気持ちをわかってくれない」と思って私は、世界
でひとりぼっちのような気がして、いつまでも
ずっと泣いていました。

その時、その人は私の真正面にたって、
「誰がなんといおうと、おまえはおまえだ。自分の
やりたいことを信じろ。」
と言いました。そのとき、その意見に対して反対
しなかったのはその人だけだったのです。

あれから十年以上の月日がたって、施設関連の仕事を
すると、すぐに「慰問」とよばれ、ある種、音楽会と
は別物あつかいされることに強い反感をもちながらも
自分なりに信念をもって活動を続けています。
私はそのたびに、その人の言葉を思い出して、
音楽家としての誇り、誠実さを胸に焼きつけて
人の前にでて演奏してきました。

「わからない人の前で、何をやっても大差がない」
「誰が何をやってもよろこんでもらえる」
と思われることもある。
わからないなんてあるか?
何をやっても、とはどういうつもりだ。
......私はそういう人間蔑視が大嫌いだし、おおげさ
じゃなく、キタラやサントリーで吹くぐらいつもりで、
ベストをつくすことが自分のプロとしてのプライドだと
思っています。
でかけられない、というのは、こばめないという
こと。そんな人達の前で、汚いものがだせるだろうか。
純粋でなければいけない。
磨きたてられてなくてはいけない。
そういうプライドは口にだして語る必要はないけれど、
けっしてひとりで育てたものではありません。
私も人に助けられてそう信じられるようになったの
です。

よーく思い出すと、当時の自分にとって、どんなステイタス
よりもそれが憧れであったことが思い出されます。

当時から、決して天才タイプではなかった私でした
けれども、熱い信念があって、それにエネルギーを
えて練習していました。

正直いって、これまでのあいだ時々それをわすれた時も
あったかもしれません。私も必死だったから。でも、
これからはいつも忘れないでいようと思う。
その知らせをきいてまっ先に思い出したのはその場面
だったからです。

まだ新婚の若い奥様を残して、勝手な人だと思う。
でも、絶対私はわすれません。
それにいなくなったとも、思わない。
だから、一滴の涙も流すつもりはない。
私が泣いていた時、味方になってくれたその人の顔、
姿、トランペットを楽しそうに吹いていた音、
それは絶対に消えません。

だれがなんといおうと、私はそう信じています。



2003年11月04日(火) 連休あけ

さーてみなさん待ちに待った連休あけです(笑)。
この連休は天気も空気もすっきりと気持ちがよくて
よかったですよね。おひさまぴっかぴかであったかい
し、さぞリフレッシュされたことだろうと思います。

私は、すでにちぎれました...。ちぎってはなげ、
ちぎってはなげ...。うう。もっとまっとうに
きちんとした生活がしたい。今日も大変。普通の
人は大変と思わないかも知れないけど、私は
処理能力が低いのですぐに容量オーバーします。

でも、秋になってうれしいのはいつでも干し芋が食べられる
こと!大好物なんです。



2003年11月01日(土) 夜よさよなら

今日はひさしぶりに「夜よさよなら」読みました。
いい話しだやっぱり。

あと、すっごくいい友だちができた!!ひじょーに
妙ちきりん、というか、偶然といえば偶然なんです
けど、こんなこともあるんだなあ。て感じ。

私もともとそういうの多いのね。。
なんか、どうしてそういう縁があるんだろうみたいな、
偶然とか通りすがりに近いうす〜いチャンスから
突然濃いものがうまれてくるような。

また不思議なことにそういう縁はこわれないし
けっこうしぶとく続くのだ。そういうのってお互いが
無条件なのである。しかし、無条件からはじまって
いるので逆にかけがえのない報酬もあるのですね。

ひとつ、自分には、すべての精神的不調の根源となる
ような未解決事件(10年くらい前から続いている)
ものがあったんですけど、今日それが解決したような
気がします。立ち直っているつもりだったけどまだ
傷付いていたんだなあみたいな(?)発見があった。
自分が思っていたよりデリケートな自分もいたらしい(笑)。
ひょっとしたら「自分は繊細なんじゃないか」と妙な
かんちがいをしつつある今日。
でも楽になったなあ〜。
ていうか一人じゃこうは思えなかったな。

今日は類い稀れな友情に心から感謝します。という
のは「他意のない博愛」に感動したということです。
というか、「しぶとい人」に出会った。まけたぜ!!
こういうまけ方は気持ちがいいぞ。

しかし、咳もしぶとく残っており無理なブレスで
運ぼうと思うとむせ返ったりしてます。
でも、咳でてるときってほんとはコンディション
悪いはずなのに、何もかも慎重になってくるから
案外演奏が堅実だったりする...。なぜなんだ。


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