「生きていくのに大切なこと」こころの日記 DiaryINDEX|past|will
私は今日、同僚と最近の中国と日本の関係についての話をしているとき、「私はよいところを見るのが好きだから、人々が争っていると、どうして喧嘩しているのかなぁと思う。どの国もそれぞれよいところをシェアしたらどんなにいいかなぁと思う。それが出来る大人になりたいよ」と言いました。それは私の本当の気持ち。私はプラス探しが好きです。特に、私のプラス面を探すのが好きなのです。もちろんまだまだ成長途中の部分もありますが、プラスの部分はマイナスがプラスに変わるのを手伝っていると思います。
この頃、折に触れて「将来英語の本を書くために今どうしたらいいかなぁ」と考えをめぐらせています。第一のステップは英語がよりよく学べる環境へ自分を運ぶこと。これは既に2年前から続けていることです。そして次は?第二のステップは、英語の面と生活の面を合わせて、外国でも一人で生活できる自分を育てることだと思えています。働く?今は無理だけどいつかは…。そのために今何をする?自問しながらネットでその先につながることを探しています。手探りの中であっても、未来を自分で築いていこうとしている感触は心地よいものですね。仮に、例えばそれがかなわなかったとしても、そのことに取り組んだ自分を嬉しく思います。
ジョギングと一緒に英語を楽しむために、Blue Tooth というワイヤレスイヤホンを買いました。Blue Tooth 搭載の機器ならパソコン、携帯その他何にでも接続して音楽や英語読本を楽しむことが出来る優れものなのです。前から欲しいと思っていたので、喜んでいます...。
一週間連日勤務が終わりました。人数が足らないのでお助け人のような形で働きました。仕事に出ると、社会と関わる自分を楽しむことが出来ますね。それから、毎日少しずつ何かを学ぶことも出来ますね。今まで気づかなかった自分を発見することも出来ますね。メリットがたくさんありますね。ちなみに、一人で居るということにもメリットがありますね。私は、自分自身との対話を楽しむこと、自分と向き合うことが出来る分だけ人々との対話、社会参加する自分を楽しむことが出来ると思います。
今朝、出勤前に興味深い英文を作りました。それは「I like interacting with people who around me even if/when it is work.」という文章で、意味は「仕事中も人々と触れ合う自分を楽しみたい」というような感じです。仕事中に何度かその文章を思い出してそうできるように意識しました。
今日、語学スクールを全て終了しました。昨年十月末にこちらに来たので約一年の通学です。途中に一度帰国もしましたが最後まで通えてよかった。そして私の頭は、「何が一番思い出になっていますか?」と最終クラスで尋ねられても何も浮かばなかったくらいに速いスピードで、次のことへ進んでいます。来週からはカレッジが待っているからです。語学スクールはカレッジに編入するための入り口のようなものだったのでここからが本番なのかな。明日は、語学スクールの何十倍もある広さのカレッジへ、教室探しに行く予定です。楽しみにしています。英語も少し上達したように思います。よかったよかった…。
今日は、おそらく 60 歳前後の女性の職場の同僚と話をしました。私は「どれくらいこの病院で働いているの?」と尋ねたので、彼女は「12年も働いているのよ」と言いました。それから「だけど、他の人のようにプロになりきれていないような気がするの。だってね、一生懸命働くのは好きじゃないの。もし私が頑張って働いたら、仕事が出来ることを威張っている人になってしまうかもしれないでしょう。それよりも楽しみたいの」と付け加えました。私も彼女の共感しました。私も仕事を楽しみたいのです。そして実際に、楽しんでいます。ということで、今日もいい日でした。皆さんはどんな一日を過ごされましたか?
今勉強しているテキストの中に次の問題がありました。
今日大学受験を受ける女の子が朝、電話をしてきて、「緊張してる!」と言いました。電話の向こうからその様子が明確に伝わってきました。私は「深呼吸してね。腹式呼吸でリラックスできるよ。面接の人には"緊張しています"と伝えるといいよ。すると彼らはあなたが緊張していることを理解してくれるだろうし、自分に素直に生きているということも伝わると思うよ」と伝えました。
一昨日、イワシの煮つけとおからの煮物をたくさん作りました。私の部屋は、キッチンが狭く、ガスコンロも一つしかないので時間がかかりました。それに、おからを混ぜているときは、床におからの粉がたくさん落ちて、踏まないようにするのに大変でした。しかし、どちらもおいしくできたので満足しています。料理も楽しいですね。
今日、以前の同僚が参加している英会話の会に初めて参加しました。私以外のメンバーはみなさん65歳前後の年齢で英語の勉強をしたくて集まっている方々でした。失礼な表現かもしれないのですが、日本で、私よりも年齢の高い方が英語を上達させようとして集まっているということを興味深く思いました。何歳になっても何か新しいことを学ぶことが出来るのですよね。
名城公園へジョギングに行きました。今は腹式呼吸で走ることになれるように取り組んでいるのですが、日一日とその心地よさが増してくるので本当に楽しいです。私の話を聞いた友人から「腹式呼吸の仕方なんてわからない。どうするの?」と尋ねられました。私は「子どもの頃、グランドや公園を走り回って遊んでいた頃のことを思い出すと出来るような気がするよ」と言いました。本当にそうだと思います。
腹式呼吸を思い切り意識してジョギングをしてみました。そうしたら、20分走った頃から胃が痛くなり、休み休みでも走れなくなりました。それで、歩いて帰ることにしましたが、運動になる歩き方をしたいと思い、つま先歩きをしてみました。そうしたら、おしりの筋肉を使ってるのが分かり、背中もしゃんと伸びて気持ちよかったのです。とうとう家まで40分、その歩き方を続けました。帰り着く頃には、"人間は歩行するとき付け根から足を前に運ぶ"ということを知りました。それからお店のウィンドウに映った私の歩き姿がロボットの「アシモ」と同じだったので「面白い!」と思いました。私とアシモ君はもうお友達です(笑)
ジョギングに行きました。走りながら呼吸について考えました。足が疲れてきた後、走り方を呼吸に合わせたら長く走ることが出来ました。その走りは、早くないですが快適でした。
今日、職場で雑談をして居る時、「私は毎日ワクワクしています」と言って両腕をわきに添わせ、マラソンランナーがゴールに到達したときにするような仕草をして嬉しさを表現しました。私はそうしている自分がうれしかった。人々と同じよう方法で暮らすと人々と同じ生き方をした自分が残り、人々と違う方法で暮らすと、人々とは違う生き方をした自分が残りますね。私の生き方は一般的ではありません。しかし私はそんな私にワクワクしています。
今日は、以前一緒に仕事をした医師と会いました。目的は英語の勉強でした。彼は英語の文法をよく知っていて、私は彼よりも少しよく話せます。彼は私に「英語を教えてほしい」と言いました。私は「とんでもありません!私のほうこそ文法を教えてください!」と返事をしました。彼は哲学に興味があり、それは私との共通点でもありました。私は彼が読んだ哲学者の話を聞きました。私にとって彼の意見が混ざっている語りは興味深く、いつかその人たちの本を原書で読みたいと思いました。
たいていの方は、もし大災害時に自分だけ助かろうとすることは人として恥ずかしいことのように感じていますよね。しかし本日のNHKニュースによると、和歌山の小学校で「防災に関するある取り組みが行われているそうです。ニュースでは、教師が「津波が来たら、お父さんやお母さんのことを考えずに一人で逃げる」と語りました。授業を受けていた9歳の女の子は「最初戸惑いを感じた。しかし自分で逃げる方が家族が助かる確率も大きいと思った」と答えていました。又、別の中学生の男の子は「自分の命は自分で守れると思う」と言いました。ニュースキャスターは最後に「大人の意識を変えるのは子ども」と言いました。私はみんなの意見に賛成しました。しかし、過去の習慣からそこに戸惑いを覚える方も居ると思います。そんな時は「自分から先に逃げる」という捉え方をしてはどうでしょうか?その私の次にまた自ら逃げる人が続くのです。災害だけではなく日常でも、まず自分を守れるように意識して生きたい。それは他者を助ける自分につながっていると思います。
娘の一人に「心の架け橋って何?」と尋ねられたので「通常、人は人気のテレビドラマやファッション、おいしいレストランや楽しい音楽などの共通項を持って人間関係を広げていくよね。これは心の架け橋とは言わないでしょう? 私の思う心の架け橋とは、"お金や物を媒介にせず、心を語り合うことで出来た橋だよ。テレビやお金がなくても、ただ自分に素直な自分がそこに居れば自然に出来る橋だよ。すてきな橋だね" と返答しました。本当に素敵な橋ですねぇ。
午後、久しぶりにバッティングセンターへ行きました。前回よりも少しよい当たりが出ましたよ。今は、腰(下半身)を使ってバットを振ることを練習しているところです。チームに入っていないので実際にゲームに出れる確率はゼロに近いのにね。でも、楽しいからよいのです。運動は楽しくて健康にもよいですね。
この頃は、英検の為の勉強をしているのですが、テキストを順番に進めていると、自分はどこを知っていてどこを知らないのかがよくわかって楽しくなります。知らないことがあるということは、これからそのことを知るということなのですから、そう考えるともっと嬉しくなるのです。いいことですね。
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