日英双語育児日記
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Tと話していて、「謝恩会」の話になった。
「しゃおんかい」ってなに?というので、「保育園の卒園式のあと、みんなでパーティしたやんか、あれ」と説明する。
「ふーん、あれ、しゃおんかい、っていうの。しゃおん、ってなに?なんか中国語みたいやなあ」
中国語みたい、というのに笑った。
ときどき、国の名前や食べ物の名前を中国語では何と言うかというような話をしていることがあるので、知らない音読みの語が中国語ぽく聞こえるらしい。いや、中国語を教えようとしているわけではなくて、日本語とも英語とも違う抑揚や音をおもしろがっていろいろ尋ねてくるので。
「しゃおん」が中国語っぽいという語感は間違ってないよなあ。なるほど。
Sが、国旗図鑑を毎日読み暮らしているうちに、「自分も字が読めるんだ」ということがわかってきたらしく、このところ、絵本を読んだり、書いてあるものを読んだりすることが増えてきました。よかった、よかった。
その一環としてなのか、これまで興味を示さなかった将棋も、やりたがるようになりました。保育園でも、山崩しやはさみ将棋はやっているらしい。
そういえば、Tも年長クラスの後半に将棋を覚えたのでした。
週末、Tと私が何回か相手をしてやりました。Tの宿題の日記にも、おとうとのしょうぎ、が登場した模様。
この数日、にわか手芸ブーム到来で、夜になると、ぬいぐるみの服を作っています。いや、子供たちが、作ってーというので。そして、作ってやると喜ぶので。
私は、手芸・裁縫は苦手だし特に好きということもないので、神様もほとんどやってきてくれません。今回も、新聞紙で型紙をとって、フェルトを切って、最小限のブランケットステッチをして、縫い合わせて、あとボタンやポケットでそれらしくするくらい。
でもまあ、男の子ふたりが、くまちゃんだのかめちゃんだのの服を作って作ってと熱くリクエストしてくれて、下手なりに作ってやると、大喜びしてくれるというのも、まあ、うれしいことなので。
そういえば、小さいころに母がせっせと人形の服や布団を作ってくれたのも、子供たちが大喜びしたからなんだろうなーと思ったりしています。
それにしても、めずらしくこういうことをすると、なんだか、お母さんごっこしているみたいな気がしてきます。
Sが保育園から借りてきた絵本『くまのオルソン』。
寝る前に読んでやっていて、最後、冬眠に入っていくところでじわじわと涙がこみあげてきました。読みながら涙声に。
Tは「とちゅうでおわったなあ」とちょっと不思議そう。
「オルソンが冬眠終わったら、また一緒に遊べるなあ」と私がいうと、Tは「いや、一緒に冬眠するやろ、そら」と解説。なるほど、もっともです。
Sのもっている明るい色の熊のぬいぐるみが、オルソンのくまちゃんと似ているので余計に親しみがわきます。
いい絵本でした。
Sのマイブームは「国旗」を描くこと。
保育園の運動会準備のときにいろいろな国旗を描いたことがきっかけらしいです。子供用の国旗図鑑を買ってやったところ、運動会が終わってからも、あちこちのページを眺めては、いろいろな国の旗を書いています。
ドミニカ共和国のオウムのついた旗とか。
「あらぶしゅちょうこくれんぽう」という長い国名がなかなか言えなかったりとか。
そういえば私自身は、パナマの国旗を、幼稚園の運動会で書きました。赤と青と星があって、かわいいと思っていたのでした。
(緒形拳の突然の訃報を知って)
十三、四年前の一時期、排他的に盲目的にどっぷりはまっていました。
きっかけは、平日夕方の再放送で見た 二時間ドラマ「名無しの探偵シリーズ」のなかのひとつでした。 うらぶれた事務所の探偵さんで、 とくにすごいストーリーでもなくて、 二時間サスペンス枠の佳作、というくらいなのだけれど。 表情から目が離せなくて、えー、このひと誰ーと思いました。
もちろん、それ以前にも、大河ドラマ (最初に見たのは「峠の群像」)や映画(「華の乱」など) で、何度も目にしていて、 よーく顔は知っていたはずなのだけれど。
緒形拳ファン多しといえども、あのどうみても マイナーな「その他」作品としかいえないシリーズで はまったひとはあまり多くないかも。
そのあと『ぴあシネマクラブ 邦画編』をたよりに 過去の出演作をレンタルビデオで借りたり、中古ビデオを買ったりしながら 出演作つぶしていく、という感じで見ていました。 特に好きだったのが「激突」。
そのころの緒形拳は、ちょうど五十代後半から 六十歳前後というころで。映画でいうと「国会へ行こう」のあとくらい。 三十代、四十代の鬼気迫る演技を 初めてみたときには、私の好きな緒形拳とは違うなあと なんとなく思っていたのだけれど。 (なんといっても「名無しの探偵」から入っているので)
六十代、七十代とだんだん、温厚な調和的な役が増えてきたわけで。 そうすると、ああ、「復讐するは我にあり」の頃の緒形拳は もう見られないのだなあと思い、 ああ、同時代で見たかったなあと あらためて思うようにもなりました。 本当に、あのころの作品を同時代的に追っていたら また違う緒形拳像を描いたことでしょう。
DVDやビデオでさかのぼって堪能することはもちろんできるのだけれど、 でも、俳優本人の「今」と「これから」は、 そのときそのときにしか感じられないので。 そういう意味で、私が出会った緒形拳の 「今」と「これから」は、 六十歳前後からのそれだったなあ、と思います。 だからいいとか、悪いとかいうのでは決してなくて そういうご縁だったのよねー、ということ。
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舞台は1997年の「スカイライト」と、2004年の「子供騙し」を 最前列で見ました。 「ゴドーを待ちながら」や「信濃の一茶」が見たかった。
「白野」の公演が昨秋あったとき、なんとなく、既視感があるような 気がして行かなかったこととか。 映画「長い散歩」公開時に、舞台挨拶が近隣であったのに 行かなかったこととか。
最近の不義理が、 ああ、いまさらながら悔やまれます。
だけど。 こんなに、突然いなくなっちゃうと思ってなかったのですよ。
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このほかに特に好きだったのは (選ぶのも難しいですが 今一番何を見たいかと考えてみたときにー)
「魚影の群れ」(1983)相米慎二監督 「翔ぶ男」(1998)NHKドラマ 池端俊策脚本
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