留学先での独り言

2003年07月31日(木) 引越し2日目

十分な睡眠のもと、テネシー州ノックスビル郊外のコダックを
朝8時過ぎに出発した。今日は夕方、大学時代のフットボール部
の同期2人とワシントンDCで会う約束をしていたので、その時間
に遅れないようにしたかった。

出発してわかったことだが、迷ったものの昨日コダックで宿泊
しておいてよかった。その先、山岳ステージ(アパラチア山脈)
に入って、なかなか街もなく泊まるところもなかったからだ。
テネシーをしばらく走った後、I-81に沿ってバージニアを
北上。山の間を走っているようで、アップダウンが激しく、
トレーラー付きの自分の車は早く走れず、また燃費も昨日
より落ちているのがよくわかった。

バージニアの印象?ミシシッピに負けないぐらい田舎だなぁ
と言う感じ。山間の景色はきれいだったけどね。パトロール
も地上で出来ないのか、スピード違反は空から取り締まる
という表示をいくつも見かけた。それが本物がどうか
わからないけど、確かにヘリは途中で見た。

I-81からI-66に入り、今夜一泊させてもらう友人宅(今日
会ったうちの一人)があるBethesda, MAに向かう。大都市に
は必ずあるループで帰宅ラッシュに遭い、速度の出ない
自分は他人にかなり迷惑をかけたものの、どうにか彼の家
についた。ほとんど迷わずにすみ、時間は予定通り。そこに
車を置かせてもらい、地下鉄でワシントンDCの待ち合わせ
場所に行った。

待ち合わせはうまく出来て、同期3人で夕飯。働いている
友人がお寿司をご馳走してくれた。(2人学生)こんな所で
大学の同期に会えるなんて不思議だねぇ、とお互い話して
いたけど、それはここがアメリカでも都会だからと思った。
ミシシッピに3年半いたけど、事実誰も来なかったし。

その後はその友人と一緒に彼の家に行き、休ませてもらった。
今日はテネシー→バージニア→メリーランド→(ワシントンDC)
で、走行距離は470マイルぐらいだったはず。高速を走って
いるのに何度もギアを入れ替えた大変な一日だった。



2003年07月30日(水) 簡単に現状報告

何故か昨日はインターネットに接続できず、日記も
かけなかった。後付けで何が起きていたか書こうかと
思うけど、今は眠いので今日のことを簡潔に。

友人の多大なる協力により、どうにか荷物をまとめて
ハティスバーグを出発。トレーラー牽引の難しさに
苦労しながらも、どうにか今日1日で500マイル走行。
現在テネシーのノックスビル郊外に宿をとってます。

明日友達と会うためにワシントンDCにいくけど、
その前にその友人宅に車を6時ごろまでに車を置かなく
てはいけない。残り470マイル、早くねて十分に睡眠
とって早めに出て間に合わせよう。

今日はミシシッピ→アラバマ→ジョージア→テネシー
の旅でした。



2003年07月29日(火) Hattiesburg最後の1日

昨日に引き続き、今日も文字通り朝から晩まで引越しの準備
をした。朝11時にU-Haulに行って、引っ張っていくTrailer
を装着。これがでかくてえらく思い。かなり踏み込まないと
きちんとクラッチをあわせてもエンストしてしまう。また
気をつけないといけないのがブレーキで、いつもの感覚で
ブレークを踏むと、予定のところで全くとまらない。さら
に後ろに真っ直ぐ進むのが非常に難しい。実質自分の技術
では前しか進めないことがすぐに判明した。

午後に入ってからはTrailerに荷物を入れたり、必要でも
持っていけないものは捨てたりした。結果論で言うと、
頭を下げてでも、お金を払ってでももっと人を呼ぶべき
だった。広い部屋に2年も住んでいるとこんなにも物が
たまったとはびっくりだった。

8,9時には終わって出発出来るかなぁと思っていたが、
とてもじゃないが終わらなかった。お陰で最後にお別れの
挨拶行こうとしてた所にも行くことが出来なかった。この
場を借りてごめんなさい。

結局終わったのは次の日の朝5時だった。ようやくすべてが
片付いてからは出発までつかの間の睡眠をとった。僕自身
は朝7時半に図書館に行き友人宅に行くための道路を検索、
その後朝8時に大家のところに行ってチェックアウトをする
のがここH'burgで最後にやること。

こうしてもっと余裕をもって終わるはずが、最後までばた
ばたしてH'burgの最後の日を終えた。感傷に浸っている
暇はなかったが、朝から図書館に行って帰る途中、いろ
んな建物を名残り惜しむように目に焼き付けておいた。
なんだかんだ言って3年半お世話になったところだから。



2003年07月28日(月) 引き続き引越しの準備

今日も朝から荷造り。増えた荷物にため息をつくばかり。
それでも友人の協力により、カウチを一つ処分。かなり
すっきりした。

また荷造り再開するか、でも眠くなってきた。
どうしよー。

(短くてごめんなさい。)



2003年07月27日(日) 引越し準備中

時差ぼけの中、引越しの準備に忙しい。

引越しを甘くみたわけじゃないけど、やってもやっても
物があふれてくる。必要なもの以外は思い切りよく捨て
ているが、それでもいただいたもの、どうしてももって
いきたいものを箱につめていると思いのほかあるのに
気づく。アメリカに渡る前はスーツケース1個とバッグ
1つで来たのに。

こんなんで29日遅くとも30日に出発出来るのであろうか?



2003年07月26日(土) 寝た、寝た、寝た

昨日から知人宅で寝ようと12時過ぎにベッドに入ったが、
時差ぼけのためかなかなか寝付けなかった。まだ飛行機
の移動の疲れがあるのかも知れない。本を読みながら
眠気を待ったりした。

しかし寝れず、気づいたらカーテンから光がこぼれて
きた。朝だと思った。奥の部屋でごとごと起きてきた
音が聞こえる。でもまだ寝付けない。どうせこのまま
起きるにしても、全員が起きるまで少し横になって
いようと思っていた。

するといつのまにか寝入っていた。カーテンがきちんと
締められたおかげで、全く時間の経過はわからなかった。

「佐藤さーん、もう4時ですよー。」

お世話になっているご主人の声が部屋の外で聞こえた。
4時?ぴんとこない。しかしよく考えてみる。夕方の
4時だ。慌てて飛び起きる。

何時に寝付いたかわからないが、起きたのは午後の4時
だった。少なくとも8時間は寝ていたらしい。すごく
ぐっすり眠れた気がした。こんなに深く眠れたのは
久しぶりで、寝起きはすごく気持ちがよかった。

この後お世話になった(感謝の言葉が見つからない程)
方の家を出てハティスバーグまで車で帰った。自分の
車が1ヶ月ぶりに無事走ったのがうれしい。


そして、、、


しかし今次の日の朝の8時。今日はまだ寝れていない。
完全に時差ぼけのようだ。



2003年07月25日(金) 新たな出発

午前中に忙しく荷物をまとめ、ばたばたしながら成田
空港へ。長かったしかし楽しかった日本でのバカンスも
今日で終わりで気持ち新たに飛行機に乗った。

そして取り急ぎ無事ニューオリンズに着いたことを
みなさんに報告します。ヒューストンでお約束のごとく
税関で待たされ、予定便に乗れず折角迎えに来ていた
だいた人に迷惑をかけてしまったけどね。

日本からアメリカにF-1でくる方、税関でかなり待た
されること覚悟してきて下さい。特にF-1にのってる
学校名とI-20の学校名が違う場合、話がややこしく
なります。わかれよと思うけど。



2003年07月24日(木) またアメリカへ

実質今日が日本帰国最終日となった。今回はいつもより
長くいたけど、それでもあっというまだった。結局梅雨
があけず、滞在中は本当に過ごし易い毎日だった。

滞在中は実家にいたこともあり、ずいぶんと親に甘える
ことが出来た。ご飯はあるし、家賃払わなくても寝床は
あるし、テレビも観れた。日本で学生やっていた時は
考えもしなかったが、今はこの環境に本当に感謝しなく
ちゃいけないと思う。

心残りはお風呂とジュース。向こうでシャワーに慣れて
お風呂に入れなくても大丈夫、と思っていたけどやはり
お湯に浸かれるのならそれにこしたことはない。それと
こっちの何種類もあるジュース、特にお茶、コーヒー
系の充実度は是非アメリカも取りいれて欲しい。

こっちでかなりのんびりしたので、学校モードに入る
のが少し大変そうだけど、アメリカに戻って引越しを
済ましたら、徐々にペースを戻していこうと思う。
新しい所で不安はあるけど、まぁ考えすぎずに自分の
出来る範囲でがんばっていこうかな、と思う。

ということで明日アメリカに戻ります。アメリカ人
しばくために気合入れないとね。



2003年07月23日(水) 予防接種の証明

出発前にもう一つやるべきことがあった。だがそれは面倒
くさそうで、後回しにしてた奴だ。

それとは大学の保健センターに提出する予防接種履歴や
健康診断表だ。自分では一度USMに入学しているし、
AT programに入る際にも必要なことを済ましているの
ですぐに出来るだろうと高をくくっていた。

ところがまず調べると今度の大学はUSMが要求したもの
とは少し違う。前回は経歴を書いただけだが、今回は医師の
サインを求めていた。

仕方なく保健所に電話して、英文の予防接種修了書と健康
診断をお願いしようした。しかし前者は出来ず、後者は
もうそういうサービスをしていないという。そもそも
予防接種をしたかしないかは個人で管理するもので、
公に個人個人の接種記録などのデータベースは存在せず、
確認のしようがないらしい。なんだよ、結構いい加減だな。

唯一親切だなと思ったのは、そこからやってくれそうな
区役所の担当者を紹介してくれたこと。で、そこと連絡を
とることに。連絡をとると、母子手帳に書いてあるものが
正しいという署名は出来るが、確かに接種しましたよという
ことを証明するものではないという。なんだよ、それ。
しかも自分の判子では出来ず、区長決裁なのでちょっと
時間がかかるという。こいつら母子手帳に書いてある日本語
を判断するのに、区長の判断を仰がないといけないのかと
思うと馬鹿らしくなって、この方法はあきらめることに。

結局、友人とも相談してすべて必要ならすべて予防接種を
アメリカで受けた方が早くて安い、ということになった。
でも規則のためにもうやったおたふく、風疹、はしかの
予防接種をするのかと思うと、馬鹿馬鹿しくなる。これ
以外にももう一度ツベリクリンの反応テスト受けなくては
いけないんだよね。6ヶ月以内にテストをやらなくては
いけないって書いてあるから。そんなの日本でありえない
でしょ。アメリカだとこういうのが当たり前なのかなぁ?
また予防接種の記録ってきちんととっておくのだろうか?

日本って公衆衛生については世界でも一番と思ってたけど
意外とルーズな面もあるんだね。



2003年07月22日(火) 再渡米の準備

今日も東京は涼しいです。梅雨とはいえ7月はこんなに
涼しかったっけ?と考え込んでしまいました。それと
もスーツを着なくてすむせいからなのか?

今日からいろいろと帰る準備をしてます。お陰様で
ようやくI-20が届いたので、これで必要な書類がすべて
揃いました。昼過ぎにアパートの契約書にサインして
急ぎで郵送。これで今後住むところも大丈夫でしょう。
おっと、その前に引越しがあるか。

明日は学校のヘルスセンタに提出する書類記入して、
必要なら保健所に行かないと。あとアメリカに帰る
前に髪も切りたいなぁ。少し本も買って帰ろうかな。
たまに日本語の活字が恋しくなるし。

そうそう今度は寒いところに行くので、湯沸しでその後
保存が出来るポットを欲しいと思い買いに行ったけど
いろいろな種類のがいろいろな値段であって買うのを
躊躇してしまった。備長炭で沸かすお湯はおいしいの
だろうか?

明日も雑用で忙しくなりそうだ。



2003年07月21日(月) 懐かしい面々

しばらく日記が更新されていませんでした。後付けながら
徐々に書き足していこうと思うので、興味がある方は
読んでみてください。更新できなかった理由は簡単、
普段パソコンの前にすわる時間に、テレビを観てたから
です。そう、全英オープン観てました。アメリカで観た
ときは朝早くからやるけど、日本では深夜放送となり
ぼくとしてはこっちのがいいです。もっとも生活はかなり
乱れましたが。

ただ連休と重なったので、決勝ラウンドは遅くまで観てた
人も多いのでは?

さて今日は友人がヘッドトレーナーをやっている、日本の
アメリカンフットボールチームの練習の見学に行きました。
そこは日本ではトップチームの一つだけにどんな練習を
しているのかなぁと楽しみにしてましたが、実際は選手の
疲労度合いを見て、コンディショニングと軽いポジション
別の練習に切り替えられたため観られずじまいでした。

その分母校の後輩や昔のチームメイト、そしてスタッフの
人と話してきました。アメリカと比べ、限られた環境の中
どうやったらベストの結果を出せるか模索してるようです
が、その辛辣な姿勢に好感が持てました。

みんながんばってるのね。



2003年07月20日(日) スポーツ放映のあり方

先週の木曜日から全英オープンを観てる。夜中だけに
いくら日中、人と会っていても観れるのは都合いい。

結果についてはふれない。コースも難しかったんで
しょう。でも人生で一度ぐらいああいうコースでやって
みたいな思うけど。でも何個ボールをなくすことやら。

昔イギリスに行って、Intercityでスコットランドに
向かう途中、日本人3人組にあったことを思い出した。
彼らは大学のゴルフ部で、St.Andrewsにゴルフをしに
行く途中だという。彼らがいうには、その近くの
ホテルを予約し、その際にコースの予約をしてOKなら
ば誰でもプレーが出来るのだという。帰りは一緒でな
かったので彼らがどれくらいのスコアで回ったかしら
ないが、それより本当に回れたのかなぁ、回れたの
ならうらやましいなぁと考えてしまった。

さて本題に入ると、実はぼくの家の環境で全英オープン
は3つのチャンネルで見られた。ゴルフチャンネル、
スカイA、そしてテレビ朝日だ。前者2つは映像元が
一緒に思えた。後者は明らかに日本編集のものだった。

何がいいたいかと言うと、テレ朝は何がなんでも
タイガーで観ていてあまり面白くなかった。明らかに
視聴率だけを意識したプログラム作りだった。確かに
タイガーは終盤までトップ争いをしていたが、それで
もトップに立っていたのはわずかだ。他に沢山の人が
トップ争いをしていたのに、ほとんど見れなかった。
優勝した選手が比較的前の組スタートだったとはいえ、
彼のプレーがブラウン管に移ることは稀であった。

前者2つは恐らく向こうの映像のこともあり、トップ
グループにいる選手を比較的平等に写していたと思う。
おかげでたくさんの有能な欧州の選手を知ることが
出来た。

タイガーがトップ争いをしないと視聴率が上がらない
のはアメリカでも言われているので、タイガーが
視聴率に大きく貢献しているのは言うまでもない。
しかし今回の全英で彼以上にいいゴルフをし、栄冠を
勝ち取った選手のプレーをほとんど観れなかったのは
残念でならない。実際はテレ朝ではほとんど観ず、
他局でみたので他の人よりその選手を観れたとは思うの
だが。

自国の選手を多く写すのは理解できる。しかし最後は
真剣勝負のゲーム(コンペティション?)で強くて
勝った人を多くみれる平等なテレビ放映を期待したい。



2003年07月19日(土) 高松から友人来る

金曜日の夜に電話があって、高松から友人が東京に
出てきてくれ会うことになった。彼とは予備校時代
からの付き合いで、かれこれ14年の付き合いとなる。
ぼくがアメリカに来てからは、いつのまにか家族ぐるみ
の付き合いになっていたのにはびっくりしたけど。

新宿で待ち合わせてご飯を食べ、その後スタバに行って
お茶しながら話した。ここでの話と関係ないがスタバの
数が東京で減っているのは何故だろう?不況?

地元に帰って親は喜んでいるが、自分としては東京で
やりたいことがあり、その他の理由もあっていろいろ
ともんもんとしていたという。それでも一応決心して
地元に帰ってきたので、今はむしろ落ち着きつつある
とも言う。

普段人が迷っている時、自分自身への奮起も含めて
「やらなくて後悔するよりやって後悔した方が後々
いいと思うよ。」と言うんだけど、彼の場合に限って
は彼のいろいろな身の回りの話を知っているだけに、
地元に戻って今の仕事をやるのもいいかもね、伝えた。
彼も納得してるようだった。

それにしても彼は給料が安いのに、働きすぎ。人はもう
雇えないけど、やることは山積みで土日出社してもやら
ないといけないと言う。一体どうなってるんだ?



2003年07月18日(金) 何年かぶりのカプリチョーザ再訪

今日は同じUSM出身の友達とあった。彼には渡米当時
いろいろお世話になって、今でも彼から買った物が家
の至るとこるにあります。

そんな彼と池袋で会い、食事をした。再渡米までいよ
いよ1週間となったぼくにとって、どうしても行って
おきたかったカプリチョーザに行くことを希望し、
了承してもらった。

カプリチョーザは母校の大学の近くにもあり、安くて
たくさんパスタが食べられるのでよく通った。昔は
よく食べられたので、人数分のパスタを注文したこと
もあった。(知っている人なら、これがいかに多いか
わかってもらえると思う。)通ったぐらいだから、
それほど味も悪くはなかったと思う。

しかし池袋のどこにカプリがあるかわからない。仕方
なくBicカメラに入って、インターネットで場所確認。
その後そこで調べた住所を頼りに、カプリ池袋店へ。
比較的簡単に見つかった。学生が多い感じは、今も
変わらない。

昔よく食べたものを注文した。サラダやパスタが来て
食べてみると、全く変わってないように感じられ
おいしかった。懐かしさすら感じた。

お値段の方も良心的で安心した。もっともご馳走に
なってしまったんだけども。



2003年07月17日(木) ファイアーウォールを導入して

あと1週間のみだが、日本でADSLの環境を楽しんでる。
うちは条件がいいらしく、特に何もしなくても8Mで
実測7M近く出てる。快適に尽きる。アメリカに帰って
ダイヤルアップの接続に戻らなくてはいけないことは
何よりのストレスとなろう。

ただ常時接続ということで、無料ながらよさげな
ファイヤーウォールを試験的に導入してみた。いく
つかあったが、軽そうなものを入れてみた。

やっぱり意外と攻撃って受けるんだ、というのが感想。
無差別の攻撃だとはいえ、ブロックしたというログが
結構残っている。アメリカでだって回線は遅いけれど
長いこと接続しているので、これからネットに接続
しているときはファイヤーウォールを使おうと思う。

実は今日も誰からかウイルスメールを受け取りました。
ネットの世界は危険がたくさんなので、みなさんも
お互い気をつけましょうね。



2003年07月16日(水) The pianist

題名の通りThe pianist(邦名:戦場のピアニスト)を
見た。母親が見ておきたいというので、なら自分もと
いうことに。もちろん日本でもこれは前に上映されて現在
放映されている映画館は少ない。なので自転車に乗って
江戸川区の船堀まで行って見てきた。

ちなみに言うまでもなく学割で入った。

感想はやっぱり戦争はよくないなぁと。どんな理由で
あろうとも、いかなる手段でもって戦争は回避すべき
と思った。イラクに対してアメリカがやっていることは
おかしい。パールハーバーを見て拍手した人たちは、
この映画を観ただろうか?

自分の無知をさらすが、このピアニストはショパンばかり
引いてるけど、ショパンってポーランド出身の人?

って今調べたらそうらしい。ワルシャワ出身のようだ。

映画鑑賞後、この映画館上にある展望台に行った。この
映画館は江戸川区の施設の一部であるため、上はこうな
っている。行ってみるとなかなかいい見晴らしであった。
やっぱり東京は大きい。思わずデジカメで写真をとった。
世界を知らないミシシッピの友人に送ってあげよう。



2003年07月15日(火) じゃんがらラーメン探検隊

今日も昼前に有楽町に出かけ2人の友達と会ってきました。
最初に会った人は約7年ぶり(というかいつが最後だか
忘れた)。現在お互いが海外に住んでいるので、お互い
が日本にいて、そこで会えたのは非常に偶然でした。
約7年の年月でも変わらなかったもの、変わったものが
発見出来て、楽しく時間をすごせました。

その後は同業の友達。彼もATCで、まぁアメリカでもぼく
のアパートに遊びに来たぐらいの仲なので、きどること
なく話し込みました。日本の現状を聞けたことが有意義
だったかな。

でもその後思いつきでじゃんがらラーメン(@銀座店)
を2人で食べようとしたのですが、捜し歩いた挙句なんと
珍しい休店日で食べられずじまい。ちょっとがっかりで
家に帰りました。

再渡米が見えてきたので、今食べられるものは食べて
おかないと。おっと、在米の一部の読者の方、最近日本食
の話ばかりでごめんなさい。



2003年07月14日(月) 食べ過ぎ

日本帰国中は実家に滞在。母親のおかげで三食きちんと
食べている。しかも日本はご飯がおいしいので、つい
食べ過ぎてしまう。いつもより食べてるなぁ、と思いつつ
今だけだからと自分に言い聞かせて、ここ3週間近く過ぎ
てしまった。

しかし今日悲しい現実が明らかになる。家に体重計兼
体脂肪測定器があることを発見。今まで買ったものの
説明書がなく使い方がわからず眠っていたらしい。
(かといって何もしないのがうちの親らしい。)早速
電池を入れていじくり回すと、簡単に使い方がわかった。

で測定。がーん、折角卒業後いろいろ身体動かして自分
なりに絞りつつあったのに、元に戻ってる。しかも久し
ぶりに計った体脂肪率が高い。まずいよというより
やばいよ、これ。アメ人と一緒じゃん。

ということで滞在あと1週間ほどですが、食生活を気を
つけるとともに、時間を見つけては有酸素系の運動を
することにしました。でもおいしいものは日本で食べて
いきたいなぁ。



2003年07月13日(日) 日本における少年野球とサッカー事情

江戸川区にある親戚の家に行った。どんな話をして、
どんなことをしたか書いてもいいが、実はこの従兄弟
やその子供達も自分の日記の読者であることが判明した
ため、割愛することにする。

まぁ、もったいぶってみたけど大した話はしてなくて
それより従兄弟の子供達が毎年大きくなっているのに
びっくりしている。自分も年をとったということだけど。

実はそこまで行くのに自転車で行った。それほど遠い
わけでもないし、何より荒川の土手沿いに行くと信号
もなく、非常に快適なため。イメージできない人は
金八先生のドラマでよく出てきたシーンを思い起こして
欲しい。まさにそのロケ場所を通っていったのである。

区民にとって荒川の土手は安価で利用できる貴重な運動場
が広がる。野球、サッカー、ゴルフ場があり、子供から
大人まで利用出来る。自分自身も少年野球をしていた
ころはよく利用したものだ。

今日ここを通った時も多くの人が野球、サッカーをして
いた。いくつものグランドを通り過ぎ、彼らのプレーを
横目に走った。この風景は20年前ともちっとも変わって
いない。

サッカー人気が叫ばれて久しい。野球が衰退しているとも。
ただ今日この辺りを見た印象だと、足立区、墨田区では
まだまだ野球が優勢であった。別にどっちが盛んになって
欲しいと希望はないけど、子供が一生懸命にスポーツを
している風景は見ていて気持ちいい。



2003年07月12日(土) バカンスな毎日

今日はどこにもでかけず、のんびりと1日を過ごした。
そのかわり4歳になる甥っ子が遊びに来て、少し相手
をしたり、彼の行動を見たりした。元気の塊とはまさに
彼のためにあるようで、休むことがない。あのパワー
は大人になると何故なくなってしまうんだろう?と
本気で思ったりする。

日本に帰ってきて2週間以上経った。こんなに長く日本
に滞在するのは留学後では初めてで、すっかり日本の
生活にも慣れた。多少スペースが小さいと感じても
暮らせないほどでないし、人込みだってここに住んで
いれば当たり前。今回日本の運転免許証をアメリカに
忘れてしまって全く車を運転していないが、それでも
全く不自由を感じないのがいい。夜でもお店は開いて
るし、電車も遅くまで通ってる。

親に甘えてお金払うことなく実家にいるし、ご飯も
三食ありつける。あぁ幸福かなと思う毎日。

あんまり日本にいすぎるとアメリカには戻りたくなく
なるね、やっぱし。楽で便利すぎ。



2003年07月11日(金) Yahoo BBの設定とセキュリティ

以前お知らせしたように昨日NTT内での工事が完了し、
我が家にもADSLがやってきました。申し込んだのは
8MBのもので最速ではないけど、両親向けならこれで
十分でしょう。僕の考えとして日本でのADSLは
光ファイバー普及までのつなぎだと思っているので、
モデムも買取でなくレンタルが適当かと。

夜にとりあえず接続してみる。問題なくすぐに繋がる。
どういう人が出張サービスを必要とするか、不思議に
思うくらい簡単だった。

ただまだファイアーウォールソフトもいれておらず、
Yahoo BBのシステムはDHCPでも同じIPが長い間使用
されるというのでセキュリティ面で少し不安に。また
現在は親のPCと自分のPCを接続したいこともあるので
追加でルーターを購入して、これも導入した。少し
戸惑ったところもあるが、基本的にはすべて電源を
入れなおして、始めからやり直したらうまく行った。
ただルーター側のセキュリティ設定が不完全なので
近日中に調整予定。

なんとなくの感じなんだけど、Yahoo BBは安くして
いる分、セキュリティが甘くならざる得ない感じが
してます。設定したくても対応していないものが
ありそうなので。まだただの直感なんだけど。

ちなみにここは十分な速さが出てます。さっき計った
ら下り8MBのサービスで6.7MB前後出てました。



2003年07月10日(木) 歌舞伎を観る

今日は歌舞伎を観に行きました。以前から母親に薦めら
れていたのと、日本人だから一度ぐらい日本の伝統芸を
観ておいていいかな、と思ったからです。

母親が交換チケットを持っていたので、昼の部を観ました。
自分のものはなかったんだけど、学生証を提示したら
見慣れないアメリカの大学のものだったらしくケチをつけ
られたけど無事、学割が適用されました。

昼の部は3つの劇で構成されていました。入場してすぐに
解説イヤホンが目に付き、外人ならともかくなんで日本人
がそんなものいるんだと思ったけど、一幕観てその必要性
を強く感じました。役者が何を言ってるのかさっぱり
わからないからです。日本語とはいえ、昔の言葉で歌われ
ては何もわかりません。よくよく考えたら自分は時代劇で
もたまにわからない言葉に遭遇するぐらいだから、まして
歌舞伎の歌詞なんてわかるはずがないでしょう。

早速解説イヤホンを借りました。効き目はばっちし。それ
以降は当たり前ながら完全に理解して、それなりに楽しめ
ました。

もしかしたらこれから観に行く人がいるかも知れないので
あまり詳しくは書かないけど、解説つきなら楽しめるかと
思います。ただ舞台装置を見ていて、ドリフを思い出し
てしまったのはちょっと不謹慎でしょうか?余り差がない
と思ったんだけど。



2003年07月09日(水) 親類で食事

今日は母方の兄弟が一同に集まって食事をした。たまに
会ってるみたいだけど、今回は僕が帰国中ということで
おまけで参加。久しぶりに叔父さん、叔母さんと会いま
した。

みんな多少年取ったかなと思ったもののそれでも予想
の範囲で、むしろ皆元気だったので安心しました。自分
の母親が兄弟で一番年下なこともあり、その中に入って
しまうとぼくはいつもかわいい子供。食事(おいしい
ちらし寿司でした)もご馳走になったあと、焼きたて
パンまでお土産にもらいました。

おかげで帰国して念願のメロンパン、クリームパンを
ちょっと前にほおばることが出来ました。

こんな菓子パン、アメリカでもあるといいのに。



2003年07月08日(火) 健康のために

今日は昔の会社の先輩とあった。元々はその方とだけお会い
する予定だったが、他に連絡してくれ最後は総勢4人の方と
お会いした。1人を除き全員がすでに他の会社で、以前担当
していた仕事とは違った内容の仕事をしていた。僕が会社を
辞めてから4年しか変わっていないが、皆肩書きが変わり、
厳しい環境ながらも結果を出してきたことを伺わせた。

いろんな話をしたが、自分はつくづく違う道を行ってるなぁ
というのが正直な感想だった。わかっていたけどね。

さて日記を読んでいただいている方にはわかるかと思うけど、
日本に帰って非常に恵まれた食事をしてる。母親が作って
くれる食事はもちろん、外食でもおいしいものを食べている。
そのためちょっと太った気がしていた。なので運動をしない
という衝動にかられ、時間には余裕があることから出かける
度に駅から少し歩くことにした。


昨日は新宿から上野まで歩いた。今日は日暮里から自宅ま
で歩いた。運動の強度が高くないので、実際どれほど運動
したことになるかわからないが、心地よい疲れが残ったので
しなかったよりはましであろう。

今週末はジムでも行こうかなと考えている所である。



2003年07月07日(月) 都心へ

今日は帰国後初めて都心に出て行きました。新宿を見て
思ったんだけど、アメリカの都心の風景と余り変わらない
なぁと。もちろん日本語の看板はあるけど、建物の作り
が似ているなぁと。

途中銀行に寄ってお金を引き出そうとしたらおろせない。
暗証番号が違っているみたい。そういえばアメリカで財布
盗まれてたから、再発行の際に変えられたんだと思う。
でなければカードでお金引き落とされちゃうかも知れない
もんね。でもいったい何番なんでしょ。

銀行を出るとその横で献血センターの看板が目に入った。
いいことしようか(本音はのど乾いたし、何か食べたい)
と思ったため、献血することにした。ぼくの血液型は少し
特徴があり、ある分類法でマイナスとなる。以前緊急で
依頼が来て献血したこともあるものだ。だから今回も
喜ばれるだろうと勝手に思って入室した。

受付を済ませて、問診をする。「帰国して3週間が経ちま
したか?」「いえ、経ってません。」これで献血不可と
なる。それでも心やさしい受付のお姉さんは「折角です
から奥でジュースでも飲んでいってください。」という
のでお言葉に甘えて、ジュースのみを飲んで出ていった。
最近は献血するとジュースだけでなくドーナツや高そう
なハーゲンダッツのアイスまでおいてある。今度献血した
時はどちらもいただこうと心に決めた。

ただしこれは移動車での献血では期待できないので要注意。
献血センターに行きましょう。



2003年07月06日(日) なんちゃってエンジニア

我が家でのYahoo BB開通はどうやら10日であることがわかり
ました。アメリカ帰国まで2週間程度しか使えないけど、そ
れでも時間を気にせずに高速でインターネットを利用出来る
ことが非常に待ち遠しいです。

そんなこともあって、今日は両親と安売り電器屋に行きました。
前にも言ったとおり、日本滞在中は親の専属コンピュータ
エンジニアになります。(実際はコンピュータだけではない
んだけど。)親のパソコンのメンテ、システムの更新、新しい
周辺機器導入などすべてを機器検討から見積り、導入、そして
教育に至るまでを担当させられます。

今回はYahoo BBに導入に関して、プリンタも導入することに
なりました。これを部屋のどこにおくかによって、PCに直接
繋いだり、Hubをかましたりを検討しなくてはいけないので、
ただ安い、印刷が綺麗だけでなく、どういう口をもっている
か確認する必要がありました。

かなり迷った挙句、Canonのプリンタを購入。大きな理由と
して比較的安いこと、そして今のパソコンラックの上に置ける
ので印刷したときに別の部屋まで取りに行かなくてすむこと
でした。個人的には他に気に入っていたものがあったけど、
家の大蔵省がそういうのであれば従うしかありません。ただ
Lanで繋がなくてよくなったので、楽と言えば楽ですが。

早速持ち帰り、プリンタをPCに接続してみました。写真を
一つ印刷してみたけど、なかなか綺麗です。今までモノクロ
のレーザープリンタしか買ったことのない自分にとって、
そろそろインクジェットでもカラープリンタを買いたいなぁ
と思わせるのに十分でした。



2003年07月05日(土) 氷海の伝説

今日は神保町の岩波ホールで氷海の伝説を親子3人で観ました。
岩波ホールの映画を知らない人のために行っておくと、ここ
は少し特殊な映画館で、作品そのものはマイナーでも評価は
高い、少しマニアックなものを上映しています。恐らくほと
んどの作品がここ以外では日本のどこに行っても見ることの
出来ないかと思います。

今回のはカナダで製作されたエスキモーたちの生活を描写
した作品で、母親いわくおすぎかピーコが大絶賛してたと
いうことでした。

中に入るとホールそのものもこじんまりしているのがわかり
ました。さらに部屋が寒いと感じる人に無料で毛布の貸し
出し。のんびりムード満載です。

で映画だったんですが、感想は???正直コメントに困り
ます。友達に薦めるかと聞かれたら、時間がある人なら、
と答えるでしょう。

何をかくそうこの映画は3時間を越える大作なのですが、
自分は何度も睡魔と格闘してしまいました。いかんとも
いい難い映画でした。



2003年07月04日(金) 予備校時代の友達と再会

今日は夜に予備校時代の友達と会った。彼は医学部に進学し
現在某病院の医師である。貫禄をつけるためか、不思議な
ひげをはやしていたが、それ以外は昔のままだった。

彼と会うのは非常に久しぶり。少なくともここ3,4年会って
いない。しかし几帳面な彼は毎年年賀状を送ってくれ、メイル
を送れば必ず返してくれた数少ない友達である。

話は自然と医療の話になった。日本のこと、アメリカのこと。
メディアを通じて聞く話と実際の話はやはり違いがあり、彼
が考える理想について面白い話が聞けた。

僕自身大学院でMolecular and cell biologyを専攻すること
を伝えると、そのことについてえらく興味を持ってもらえた。
彼自身臨床と基礎研究両方やり、natureやらその他の雑誌に
投稿する身分だが、違った視点からの味方、やり方に興味が
あるらしく、是非がんばるよう言ってくれた。

最後は酔っ払ったもの同士で、お互い将来一緒にやって行こう
ということになったが、これが実現するかどうかは僕次第と
いうのは言うまでもない。

それでも非常にいい刺激になったのは間違いない。
がんばろっと。



2003年07月03日(木) 日光へ

母親と日光に行ってきました。もちろんお参りではなく
歩きにです。自分にとって日光でのハイキングは小学校
の林間学校以来でした。

近くの駅から東武線快速に乗って東武日光へ。そこから
バスに乗っていろは坂を越え、赤沼で下車しました。で
そこから歩き。

景色を見ながらのんびり歩きました。中禅寺湖までは
もやっていたけど、それより上は見事に晴れていて
男体山が見事にきれいでした。歩いていると何人もの
小学生にあい、20年前の自分を思い出すことに。

光徳牧場まで行き、牛乳を飲み昼食を食べて引き返し
ました。そこでも小学生に会う会う。指導されている
のか会うたびに「こんにちは」と言われ、お返ししない
わけにもいかないので、その度に「こんにちは」を言う
はめに。何回も続くといい加減疲れてしまった。

帰りは竜頭の滝まで行き、滝を見ながらそばを食べた。
景色もよく、おいしくそばを食べました。

そこからまたバスに乗り、帰途へ。今日は15kmちょっと
歩いた計算になるはずです。少し痩せたかな。



2003年07月02日(水) NHK英語会話南部編

この日記は7月2日からかなり経って書いている。
ただ埋め合わせをした、と言われてもその通り
なので否定しない。

ただこの辺りでいいものを家で発見した。家に
帰っていろいろと自分の机やその周りを整理して
いたが、その時にこれが出てきた。

これとは昔に聞いていたNHKのラジオ英語会話の
テキストである。しかも南部特集をしていた年
のもの。

この内容を聞いて漠然とアメリカ南部に興味を
もったんだと思う。今を思えば、この内容がぼく
をミシシッピの学校に導いた一因かも知れない。

面白いので読み直してみようと思う。内容次第
ではHPで一部を紹介するかも。

このテキスト興味ある人いますか?



2003年07月01日(火) 親の世代とインターネット

今日東京は曇り勝ちで夕方から雨が降り、非常に涼しい1日と
なった。ぼくは相変わらずTシャツ1枚であったが、家族は皆
服を1枚多くはおっていた。

今日は一日家でのんびりした。新しい学校から送られてきた
書類に目を通し、その他にも雑用に時間を費やした。

すでに日記に書いたかどうか忘れたが、我が家でもADSLを
導入することにした。自分自身、時間を気にしながらネット
に接続するのは不便極まりないし、実際今はメイルしか
チェックしていない。親にしてみても使ってはみたいもの
の、申込み、導入などがさっぱりなのだ。(実際多くの
プロバイダが無料で導入支援をしてくれるらしいが、ただ
つなげるだけだろう。)

家に帰るといつもそうだが、親のPCのメンテナンスに追われる。
実際はメイル以外いじっていないので、PCそのもののスピード
やHDDの空きの問題はないが、ソフトのバージョンアップは
何度言っても自分ではやらないので前回帰国した時の状態の
ままだ。今後ネットへの接続時間が長くなるだけに、せめて
ウイルススキャンのウイルスデータやIEのパッチは最新に
しておいて欲しいと思う。

うちの親の場合、口でいってもさっぱり通じない。「スタート
から○○を開いて、、、」と言ってもスタートがどこかわから
ないのだ。必ず「左下にwindowsのマークの横にスタートと
書いてある場所があるでしょ、そこにマウスの矢印を重ねて、
一度マウスの左のボタンをカチっと押して」と言わないといけ
ない。クリックという言葉はご法度だ。これを電話でやると
非常に面倒臭いので、結局は画面入りのマニュアルを作ること
になる。今回も一つ一つの作業に画面つきマニュアルを作成
する予定。

親の世代にPCを導入するのは大変だと思う。家電としてはどう
しても高い部類に入るので、壊すのが怖いという。だから
PCがフリーズしただけで、何時間もそのままにしておき誰か
が来るのを待つという。一度こういうことを体験すると二度と
体験したくないので、余計なこと初めてのことはしたくない
という。で結局は触らなくなるという悪循環が生まれる。親
がやる程度なら物理的に壊さない限り、PCがクラッシュする
とは思えないが。

ちなみに一時帰国中は親のPCを使用している。何世代も前の
PCでスペックは全くいじってなくOSもWin98だが、体感的に
えらく早く、快適そのものである。必要なこと以外余計な
ことをしない、というのはPCを何年も使う秘訣かも知れない。


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