ここ2日間のことなどなど・・・ - 2002年06月29日(土) 昨日、親は一日中寝ていて 「ずっと、こうやって眠っていてくれるといいんだけど」 と看護士さんと笑い話をしていた。 今日は、起き上がることはなんとかできる様子だった。 おまけに、午前中に一回電話がかかってきた。 元気になったのかと思いきや、実は全然そうではなくて、 体がなかなか思い通りに動かせずにもどかしくしてる感じだった。 僕自身はすごく体調が悪い。 あまり寝てない。 そのせいか、頭痛もするしご機嫌斜めが続く今日この頃。 と、話は変わるが、女性の看護士さんがいきなり 「○○君(僕のこと)は、やさしかねぇ〜。 そげんやさしかなら、周りにいっぱい女の子のおろう?」 訳:(○○君は、やさしいね。 そんなにやさしいなら、女友達がいっぱいいるでしょ?) というので 「全然もてないので、困ってますよ〜」 と言ったら、 「あら、そうね?」 と信用しないので、 「(看護士の)生徒さんを紹介してくださいよ」 といってみたら 「気にいった子がおったらいわんね」 って・・・(にやり) 親が入院している病院は公の施設なので、専門学校(?)の学生さんが実習によくきてるのです。 あと、大抵の看護士の人からは下の名前で呼ばれています。 親に「息子さんがきたよ〜」と言っていたのが がいつの間にか「○○君がきたよ〜」になってました。 他にはなにもなし。 僕的にここ最近の日記は納得いかない。 ... 扉のむこう - 2002年06月28日(金) 僕は毎日、病院へは車を使っている。 そして、駐車するところは病院の裏に決めている。 これは、親が見送りにしてくれるときに近いからだ。 正門までにはかなりの距離がある。 さて、裏の方に車をすすめていくと、 ある一角にすこし凹んだところがあって、その奥に扉が見える。 そこは裏の入り口とは違う。 光がさしこまずなんかほこり臭い感じで、湿気で充満している場所に思える。 その扉を使っている人間を見たことがなかった。 その日も同じ様に家をでて、いつもの道を通って、その場所を横切ろうとしたときに、僕は見てしまった。 霊柩車が止まっていたのだ。 僕はあの扉がなんのためにあるのか、誰のためにあるのかを悟って怖くなった。 扉のところになっていた人物を見て、それを自分と置き代えてしまった。 「僕もあそこの扉の前に立つことがあるのだろうか・・・」と。 両手に荷物を持って、家族らしき人たちと正門から退院していく人を見るたびにいたたまれない気持ちでいっぱいになる。 「僕はなにをすべきなのだろう。どうすべきなのだろう」と自問自答をする。 答えなんてでない。 答えがでないのは、僕が未熟なのかその問い自体が愚かなのかすらわからない。 そういうときに、最近はつくづくモノを考えることをしていないのだと気付かされる。 一つの英単語しかり 2次方程式しかり その日の食事しかり ドライブコースしかり 女性への対応しかり 自分への労わりしかり・・・ すべてを機械的に、あるときは事務的にこなしてそれで満足しきっている。 それじゃダメだ。 なぜか、あの扉のところにいかなくてはならない気がした。 「ねじまき鳥クロニクル」(村上春樹)の影響なのか、 あの場所へいけばなにか突破口が見えるかもしれない。(本では井戸だった) そういう風に思う反面、あの扉には近づいてはいけない気もする。 あの扉をくぐるのは、人間一人に対して一回なのかもしれない。 もしそうなら、僕がひとりで乗り込んで悠々とくぐってみせてやりたい。 そうすれば、僕はもう2度と「あの」扉に近づかずに済む。 また正門から顔をあげてでていけばいいのだ。 僕もいつかは「あの」扉を通る日がくるだろう。 と、言うことは2回通るかもしれないのか・・・。 うまく思考回路が働いていないみたいだ。 いや、きっと配線が違うのだろう。 自分の中の肉体的感覚と精神的感覚が合っていない様な気がして、 ここ数日はすこし変な気分だ。 -------------------------------------------------------------------- As if in a deram いとしい安らぎは夕暮れと共に失われ 静かな時間が気付かなかった隙間をひろげた 私にはそれが 今は塞げないことを知る 光の点滅が尾を引いて うしろへ流れては消えてゆき あなたの所から少しずつ遠のいているのを教える ・・・虚ろな窓には 何も出来ない私がそこにいた まどろみの午後いつものように そばに居て笑うあなたの夢を見た 窓の外を眺める私に微笑む あなたの夢を・・・ 足を止めてまだ薄暗い空を長い間見ていた ・・・どうして そうゆう時にかぎってうまく言えないのだろう まどろみの午後いつものように そばに居て笑うあなたの夢を見た 窓の外を眺める私に微笑む あなたの夢を・・・ as if in a dream 彼女はまだ眠っているのだろうか・・・ ... 願いと想いと現実 - 2002年06月26日(水) 昨日、帰宅してからまったく電話がないことが気にかかっていた。 たいてい次の日の昼までにかならず電話がくるのだけど、それすらなかった。 昼食を買って病院にいつと案の定いろいろあったらしい。 朝方、尿を出すための管を自分で引き抜いてしまっていた。 それと少しの妄想。 昼の時点で、すでにいい状態ではなかった。 午後からはせっかく横になってもすぐ起き上がろうとして、立とうとする。 「会社に行く」とか、 「帰ろう」と言う始末。 そりゃ、帰してあげたいですよ。 尿の管だって抜いてあげたいですよ。 肩に残る痛々しい注射の跡も消してあげたい。 美容室に連れて行って、白髪を黒にしてあげたい。 おいしいものも食べさせてあげたい。 会社の机に座らせてあげたい。 病院をでるときは、笑顔で歩いて正門からだしてあげたい。 でも、なにひとつ叶えてあげられない。 明日の午後、尿を出すための管を入れなおすそうだ。 もし、それが入らなければ、そのときは覚悟しなくてはいけないだろうし、 尿がでない明日の午後までに急変することも考えておかないといけないだろう。 この日記を読んでもらっている人たちから、 多くの心配・激励の声をいただいています。 ありがとうございます。 ... 泣く - 2002年06月25日(火) 僕は、感情を表に出すのが上手ではないんだと再認識した。 その場所は泣いていいはずで、 その相手は泣いてもいいと言ってくれて、 その雰囲気は泣くことを許してくれていたはずだったのに 泣けなかった。 我慢しつづけていたことが、こういうときに裏目にでるとは・・・。 正直、泣きたい。 辛いと言いたい。 でも、それを自分で認めてしまうと崩れていきそうな気もする。 ちょっと怖いのです。 今日は、病院から帰ってから親の電話がなかった。 めずらしい。 嫌な予感もする。 ... まずかったかな・・・? - 2002年06月23日(日) 日曜日は外出すると、二日前から話していたのだけど、 ちょうどそのころから調子が悪くなっていた。 約束は11時。 少し早めに行こうと思っていたのだけど、 9時半に電話がくる。 「もう、(準備)いいよ」 おいおい、そりゃないだろう・・・。 いくらなんでも早すぎます。 ちょっとムカッ。<まぁ、仕方ないんだけど すぐ病院へむかったが、ちょっとしたアクシデントでまだ外出できず。 結局、11時過ぎに出発。 カレーが食べたいというので、帰りに購入。 が、家に着いた途端寝る(汗) しばらくすると起きて3、4口食べる。 残りは僕が食べた。 で、また寝る。 1時半ごろ起きだして、出かけるという。 今回の外出の目的は散髪なのだ。 ただ、お店に行けるわけではないので、親戚の人に切ってもらうことにしていました。 それが終わったのが2時半。 そこから長距離ドライブすることになった。 と、言っても一時間半だけど。 病院に連れて帰った後、僕も疲れたので寝てしまった。 6時半ごろ起きたら、妙にイライラして調子が悪い。 8時過ぎに家に着くと、親が昼に飲み忘れた薬が2粒あった。 というわけで(?)2粒さっき飲んでみました。 まずかったですかね? 精神を落ち着かせるための薬だから平気でしょう(安易過ぎ) さて、どうなることやら。 ... 二日続けて詩(ややさぼり気味) - 2002年06月22日(土) 右手にナイフを持ってあなたの胸に飛び込んだ 涙の流れるその瞳に映っている私は悲しい目をしていたね 左手にあった少しの夢は音もなく壊れてしまった 汚れた愛で殺めてしまった罪の鎖につながれて 鳥かごに入れられた白い鳥のように飛ぶことを忘れてしまった 冷たくなったあなたの寝顔の隣で朝をむかえいつまでもその綺麗な髪をなでていたい この部屋の窓から見える月夜に手を伸ばして崩れ落ちてしまいそうな心を掴む 虚像の楽園で折れた羽を癒して失ってしまった鳥に差しだそう 君と交わした言葉は今でも苦痛となって何度も押し寄せてくる それでも私は空にあこがれて遥か彼方を夢見てる かすかな風のざわめきを忘れ舞い降りた黒雲は私から空の色を奪い取った −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 詩というか、物語っぽいですかね。 少し露骨すぎるかな。 勘弁してやってください。 昨日あたりから、また目の焦点が合わない時間が多くなってきた。 前回もそういう状態から大変な事態に陥ってしまったので、 今回はそれなりの対処をしているつもりだけど、 また朝方呼ばれる日が来るのだろうか・・・。 最新の注意は払ってるつもりです。 体力が明らかに衰えていくのを痛感する今日この頃。 そんな日に安楽死の特集記事をみちゃった日にゃ〜・・・。 とりあえず、自分の気持ちが少しずつ落ち着いてきたのでがんばれると思います。 ... ひさびさに詩でも・・・ - 2002年06月21日(金) 光を失くして立ち止まった人間に 手を差し伸べてくれる神はもういない 現在からこぼれ落ちる闇に憧れて この意識は迷い込んでいく 内に潜む傷を切り開いて 僕が僕でなくなる前に 麻薬を撃ち続けたい 誰よりも醜いこの姿を見て 誰よりも美しいこの姿を見て 否定し続けるおろかな人間に 儚い雨が降り続け 流した涙さえ洗い流してしまう 瞳を閉じて盲目な人間に 愛を与える神はもういない 意味もなく違う世界に魅せられて この存在は薄れていくばかり 生暖かい体を切り刻んで 僕が僕でなくなってしまえば 愛されると思っていた 誰よりも汚れたこの姿を見て 誰よりも綺麗なこの姿を見て 孤独に悩む悲しい人間に 冷たい風が吹きつけて 叫び声さえかき消してしまう 全身を掻きむしって 苦痛の中を逝くことしかできないのか? −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 昨日、昔のPCから見つけたやつです。 メールをいただきました。 ありがとうございます。 一通も来なかったらどうしようと思っていました。 必ず返事をさせていただきます。 まだまだ募集(おいっ!) ... 逃 - 2002年06月20日(木) 今はノートPCばっかり使っているんだけど、 以前、コンポ兼PCとして活躍してくれたディスクトップのPCがあります(部屋の片隅に・・・) ネットできる環境にはしてないですけどね。 何を思ったか、電源を入れてアウトルックを覗いてしまいました。 見ないほうがよかった(汗) 痛いメールを何通も読んでしまいました。 急にメル友が欲しくなりました。 急に人と話をしてみたくなりました。 チャットのできるサイトを見つけて飛び込みました。 メル友になってやるぞ!と言う方、メールお待ちしております。 (↑はじめてこんな募集したかも) 痛いメールといっても、大半が僕が悪いのです。 感情を抑えきらなかったり突っ走ってしまったりしたことが原因なのです。 自業自得です。 僕はもっとすべてのことに対して正面で向かいあわなければならないのに、 いつも肝心なところで逃げてしまうみたいです。 前のPC見ていると、昔書いた詩を何個か発見! なんか自分を見つけたみたいでうれしかったです。 後日、機会があれば書いてみたいと思います。 作品自体は、幼稚で変な構成なんですけどね。 あ〜、猛烈に寂しい(汗) ... 大丈夫だよ。 - 2002年06月19日(水) 最近、同じ言葉を何十回も言ってきた。 最近、同じ言葉を何百回も言い聞かせてきた。 自分自身に問うたびに、言葉の無駄遣いをしているような気がしているし、 その言葉の持つ意味を薄れさせてしまうのではないかと思う。 この言葉はこういう使い方をすべきではない。と思うのだが、 僕自身はうまく実行に移せていないらしい。 とりえず、この言葉を連呼しておこう。と決まっているようだ。 言ってしまえば楽だろうけど、 それを打ち明けた相手にそれ以上のことを求めてしまうだろうし、 完全に依存しきってしまう可能性が高い。 僕自身それをあまり望んでいない。 腕に抱かれて朝まで泣けたら、同じ言葉を繰り返しつぶやくことはなくなるだろうか。 3000を超えました。 ありがとうございます。 こんな日記ですいません。 読んでもらって本当に感謝しています。 ... ド〜〜〜〜ン!!!の翌日。 - 2002年06月18日(火) 朝、起きたら部屋中にティッシュの粉が舞っていて、 かなり気持ち悪かった。 寝る前にもう一箱ド〜〜〜〜ン!!!してしまったからだ。 おかげで、ティッシュがなくなってしまった。 どうやって鼻をかもう? 午前中、親を見てもらった精神科の先生に親のカルテを持って会いに行って欲しいといわれ会いに行く。 病院に訪れるのは3回目だが、待合室に人がいたことははじめてだ。 呼ばれて、医者と会ったわけだけど、この人と話をするとなんだか落ち着く。 いっそ、すべてぶちまけてしまいそうかと思ったがやめた。 そのおかげか、今日はあまりイライラすることもなく、 平穏な(?)午後を過ごすことができました。 明日もがんばろうと思う。 ... ド〜〜〜〜ン!!! - 2002年06月17日(月) 12時8分 12時13分 12時23分 12時27分 昼に電話ラッシュ。 すっかり病院に行く気をなくすが、しぶしぶ行く。 朝からすでにイライラ。 病院でもイライラ。 サッカー中は忘れてた。 終わってイライラ再発。 場所を変えたりして対応してみたが、一向に好転せず。 とりあえず、目の前にあったティッシュの箱をつぶす。 中にはいっていたティッシュを一枚ずつ破りだす。 まずは縦に細長く引き裂いたあとに、まとめて横にちぎります。 で、ゴミ箱にド〜〜〜〜ン!!!!(謎) 病院のテレビはスピーカーがないのでイヤホンで聞かなきゃいけないんだけど、 そのコードを小指に巻きつける。 ちょっと色の違う小指を見て、ちょっとご機嫌。 そしてそのままティッシュ破りを続ける。 「あっ!コードを外して!!」というので小指を見ていたら真っ黒に変色していた。 外したらすぐ色は戻った。 小指、無事生還! 親は泣きそうな顔をしていた。 僕って親不孝者?やっぱり?(にやり) 家に帰って、電話が10回くらい鳴った。ウザイ・・・。 家のティッシュ4箱、すべてド〜〜〜〜ン!!!(謎) ... 内なる自分。 - 2002年06月16日(日) 投票していただいてびっくりしていたり、 もうすぐ3000に届くのを楽しみしていたり、 最近、登録させていただいた方に励ましていただいたり(?)←自意識過剰? な、毎日です。 本日もイライラ全開。 昼過ぎからずっとイライラしていました。 自分の中である種の「破壊」のような衝動にかられて、 壁を蹴破ったり、頭突きしたい気持ちがでてきた。 人を殴りたい気もしたし、自らを切り付けたい気にもなった。 自分の内側に納まりきれない想いが、胸から飛び出しそうだった。 頭がどうにかなりそうで、怖くて仕方ない。 目の前の親を殴りそうで、震える体を必死にこらえていた。 どうしたんだろうか・・・。 とても不安だ。 ... 蝋人形 - 2002年06月15日(土) ひょんなところから、W杯を見るチャンスが訪れた。 問題は、親が首を縦に振るかどうかだった。 「さみしかけん・・・」 僕はW杯の熱気を体感する機会を失った。 ひさびさ会いたい!!と彼女さん 最近は親の体調が悪くて、夜遅くにしか帰らない。と言うと、 ごめんね。と言うので、 深夜ならいいよ。と言ったら、 待ってる♪だとさ・・・ 疲れてるだろうから、休んで!とは言ってくれない。 病院から帰り際に、「さみしかけん、はよきてね」といわれた。 話し合いの結果、10時に病院へ行くことに。 親は元気になったおかげで電話の回数が増えた。 以前より回数が増している気もする。 そんなに僕を拘束したいですか? そんなに僕の自由を奪いたいですか? 僕は束縛の中で生きていかなければならないですか? 僕は6ヶ月、親のために自分の時間を削ったし、 その間もできる限り彼女さんのために睡眠時間も削った。 それでも足りないですか? 僕はどれだけ自分を殺せばいいんですか? 誰か制限なく僕を受け入れてくれないですか? わがままですか? 今、抱きしめてください・・・ ・・・ごめんなさい。 ... 無題 - 2002年06月14日(金) 今日も相変わらずイライラ。 本当にイライラしていました。 日本が、もし決勝トーナメント行けなかったら爆発してたかも・・・。 本当によかった。 今日は自分自身になにやら殺気のようなものを感じてしまって、 親から「なんでにらむと?」と言われてしまった。 全然そんな気はなかったのだけど・・・。 はぁ・・・ ... 白昼夢 - 2002年06月13日(木) 昨夜はまったく眠れなかった。 横になったときに、ある画が急に頭に浮かんできて心臓の鼓動が止まらなかった。 目の前に、うつむいた男性が立っている。 両手両足、首、腰を鉄錠で拘束され、じっと立ち尽くしている。 服を着ていたかどうかは覚えていない。 すごく疲れた感じ。 顔をあげると、それは僕だった。 そして、猿轡(さるぐつわ)を噛まされていた。 その目は輝きを失っていて、焦点が合っていなかった。 その場に拘束されている苦しみ、痛み、絶望をすべて受け入れたかのような姿だった。 それぞれの鉄錠には鎖がついていて、 その鎖をもっているのは、その光景を見ている僕なのだ。 一方、僕の前にいる僕は、必死に何かを訴えかけてくる。 声がでないのは猿轡のせいではない。 皮の表面に薄い膜がはられていて、その膜のせいで動けないし感情も支配されている。 膜は本当に薄いのだけど、どうしても破ることができないらしい。 そういう状況の僕を、僕は笑って見ていた。 哀れんでいたのか、あざわらっていたのは確かではないけど・・・。 そんなこんなでほぼ無睡状態で病院へいったもんだから、 親の隣のベットで2時間ほど寝てしまった。 今日は一日、体中がイライラしていてどうしようもなかった。 気付いたら枕にこぶしをぶつけていたり、足をゆすっていたりしていた。 まぁ、一時的なものであるだろうが。 目を開けて見る夢なら、今は傷ついてもいい・・・ ... Voice - 2002年06月12日(水) 親が入院して六ヶ月になろうとしている。 そして、僕も毎日かかさず顔を出している。 今まで入院した中で最長であるし、体調の浮き沈みも激しかった。 入院時に、「心停止してもおかしくない状態」と言われ、 先日も、「このままなら数日中でもおかしくない」と言われた。 僕は絶対に泣かないと決めていた。 泣いてしまうとどうしても弱気になってしまうし、 親の目の前では弱気であってはいけない。 僕が弱気になってしまうと、他に誰も支えてくれる人がいなくなる。 そう思ったからだ。 まだまだ僕らは絶望の淵にいるわけではない。 一度は消えたようにみえた道も、徐々に見え始めてきた。 決して悲観するようなことはなにもない。 六ヶ月、振り返れば本当に長かった。 しかし、まだ終わりではないし、 まだまだ長い戦いになるだろうと思う。 そっと語り掛ける いつもと違う声 遮られていても 言葉でなくても 私の中で揺れている 遠く忘れかけていた想いが深く広がりはじめ 表れては通り過ぎる現実を 今は恐れている このまま気にも止めずにいると 何もかもが同じ様に消えてしまうから 届くまで声を伝えて 目の前の扉は開かれて 少しの未来を見せている 空よ全てうけ入れてそのままで 包んでいて 消えずにいて ... ジキルとハイド - 2002年06月11日(火) 今日は珍しく呼び出しがなかった。 少しだけ心配して行ってみると、意外と元気にしていた。 二日目の人物とはまったく別人と思われるくらい状態は回復していた。 幻覚は見ていないし、 会話がかみ合わないことはなくなったし、 目が虚ろになることもなくなった。 非常に喜ばしいことだ。 朝、暗いうちに呼び出され 15時間ほど病院に缶詰にされていた日が続いたとき、 僕は正直、「このまますべてが終わってくれたらどんなに楽だろうか」と思ったことがある。 むしろ、「このまま終わってくれ」と思ったこともあった。 非常に不謹慎なことはわかっている。 そういうことは最後まで思うべきではないこともわかっている。 でも、思ってしまった。 今では、そういう感情になってしまったことをとても申し訳なく思っているし、もうこれからはそういう感情に陥らないようにするつもりだ。 僕はまだまだがんばらなければならない。 ... サッカーという狂気 - 2002年06月10日(月) W杯歴史的初勝利を収めたサッカー日本代表。 開幕前までは、「フーリガンがやってくる!」とか「トルシエではダメだ!」みたいな論調が多かったが、実際のところはどうなんだろうか? 外国人が暴動を起こしたという報道をまだ聞いていない。 むしろ、昨日のロシア戦後の日本サポーターの方が暴れていた気がする。 TVを見る限りでは、車や電話ボックスを破壊したり、 花火をはじめた人もいるらしい。 決して、サッカーをいうスポーツが浸透していない日本人がなぜあれだけ暴れてしまったのだろうか? 僕が思うに、もともと暴れるだけの心の膨張はあって、 その思いが、サッカーという競技によって解放されたのだと思う。 今のご時世、クールさがかっこよかったり無口であることがよいといった風潮があると思う(もちろんすべてではないが) そのなかで、密かに抑えながら生きている人は少なくないだろう。 サッカーにおいての一点の喜びは、野球やバレーとか少し違う。 そして初勝利ということが重なって、感情の爆発が起こってしまったと思う。 僕は決して間違ったことではないと思う。 きっと昨夜暴れた人のほとんどが、晴れ晴れとした気持ちで起床し、 またストレスだらけの混沌とした世界を生きていくことになるわけだ。 街中で歌って騒ぐくらいいいじゃないか! 学生運動も、デモもできない世の中じゃないか! どこで自分を誇示していくんだ! カメラに映りたがる若者。 一方、急にカメラが自分のほうにきて、どういう風にアピールしていいのかわからない若者。 この国には熱気があるし、人材もいる。 表現したいと願う人々がいる。 ここのサイトの日記数でも明らかだと思う。 「だから、未来の心配なんて必要ない。」 ・・・そう言ってくれる大人はいないものか。 ... 僕はモテモテなのか? - 2002年06月09日(日) 朝7時過ぎに電話が鳴る。 またか〜ということで、病院へ向かう。 看護士の手から薬を飲むことを拒否していて、 僕の手からではないと飲まないらしい。 「お母さんが飲む前にあなたが飲みなさい」と言うので、 看護士に言って害のない(?)薬をもらって、 親の前で飲んで見せて、それでようやく薬を飲ませた。 その後はおとなしく眠ってくれた。 しばらくして起き上がって、ご飯を食べたいと言い出した。 最初は僕が少しずつ食べさせていたのだけど、 自分で食べると言って聞かないので箸を持たせた。 が、思うように箸を使えないし、思うように口にもっていけない。 もっていたブロッコリーの入った器を落としてしまった。 その後、また寝てくれたので、僕も隣のベットに寝せてもらった。 ちょうど抱き枕にいい感じのまくら(?)があったので抱いて寝ていた。 ふと気付くと、看護士が点滴のチェックに来ていた。 「これを抱き枕みたいに使ってます(照)」といたところ、 「むこう(詰め所)で、寝姿がかわいいって話してたよ」といわれ、マジで照れてしまった。 まぁ、かわいい看護士はいないに等しいですけど・・・。 午後になって、親戚一家がお見舞いに来てくれたのだけど、 親が寝ていたので待合室で応答した。 「ほら、黄疸のでとる。もうそろそろ死ぬばい」と言い出したりして、 やや弱気な発言が目立つ。 もうお別れのあいさつでもするようなそぶりをたまに見せるので気が気ではない。 8時に面会時間が終わるので、ちょうど眠っていたこともあったので帰宅してサッカー観戦していたわけだけど、 9時半前に電話が鳴って 「9時の薬を飲まないのできてもらっていいですか?」 行くしかないやん・・・。 観戦も途中に病院へ向かった。 今度はあっさり飲んでくれたので楽だった。 「またもう一回あなたと暮らしたい」 といいながら眠りについたのが印象的でした。 「あんたも隣にねらんね」と言うので、 起床時に僕がいないと機嫌が悪くなるだろうということで、 朝5時にまた病院を訪れることにした。 ふ〜・・・。 日本、おめでとう!!!(興奮) ... 束の間の休息? - 2002年06月08日(土) 今日の出勤は8時半。 8時ごろ起きて暴れたらしく、時計が壊れていました。 僕が着くと、安心したのかすぐ寝てしまった。 そのまま昼近くまで寝ていた。 昼、目を覚ましたので薬を飲ませてまた眠らせた。 看護士が「休んでていいよ」と言うので、 病院のベットで横になっていました。 時折、薄目を開けるものの起きなかった。 そして夜8時に帰宅。 8時半出勤のおかげで6時間くらい眠れたし、 起きるか起きないかの心配をせずに済んだだけでもかなり楽だった。 正直に言えば、自分の親をベットに寝せたままにしておくのは忍びない。 でも、そうしないと看護士の負担は増えるばかかりだし、 ぶっちゃけ、僕もかなりだるいので静かに寝ていて欲しい。 今夜の夜勤に婦長がいるらしいので、早朝出勤はないかな。 今日はひさびさご飯を食べたが、やはりコンビニ弁当は勘弁してほしい。 ... 今の僕にできること・・・? - 2002年06月07日(金) 連日の早朝出勤(?)ということで、 5時半に「来れますか?」と電話がくる。 今日はさらに状況は悪化していて、幻覚症状が見られた。 「私の後ろに誰かおる」 「誰かが見よる」 「火事やけん逃げやん」 「あそこにおっちゃんがおる」 「あそこにおる人が逃げろって言いよるよ」 それに、僕がうたた寝をしてしまった隙に ベットの脇の柵を越えて、床に落ちてしまった。 点滴の液がこぼれたり、管が外れたりして大騒動でした。 横になっても、すぐ起き上がって外にでようとする。 何度も看護士を呼んで、本当に申し訳なかったのだけど 今日も本当に疲れました。 午後、精神科の医者に診てもらって薬をだしてもらった。 現在の状況が少しでも改善してくれればと切に願う。 僕もかなり疲れ気味。 すさまじい一日で、昨日よりも書くことは多いのだけど 短めにここまでにしておきます。 ... 怒涛 - 2002年06月06日(木) 昨夜、ずっと眠れなくて朝方4時過ぎまで起きていた。 少し眠気が襲ってきて、数時間くらい眠れそうだなぁと思っていた。 いきなり電話が鳴った。 相手は親の入院先の看護士で、「今から来れますか?」というので すぐに病院へ向かった。 朝の4時半に病院に入るなんて滅多に経験できることではない。 病室へ向かうと、親は少し安心した様子だったけど、 「帰りたい」といったような仕草をする。 看護士とふたりで寝せようとするが、寝ない。 日勤の医者や看護婦がやってきて、 7人くらいでベットを囲んで、 「横になりましょう」とか「寝ましょうよ」と言っているのに、 断固として聞き入れず、起き上がろうとし続ける。 朝、9時前にやっと寝る。 僕は、手術に必要なものを何一つ準備していなかったので(朝するつもりだった) 急いで家に帰って準備をして、おばあちゃんを迎えに行く。 手術は、1時間ほどで終わった。 ベットに横になったまま帰ってくるとすぐに僕を探して、「お母さん、がんばったよ」と泣きながら言うので、 「うん、よくがんばったよ。僕は知ってる。よくがんばった。」と言ってあげると、 小さくうなずいて目を閉じた。 今日がやっと終わったといった感じで、やっと休めるし食事もとれると思っていた。 しばらく顔を見ていると、ふと目を覚まして起き上がろうとした。 医者も看護士も僕もあわてて横にさせようとするが、嫌がって横にならない。 「ここから出して」 「父のところに行かやん」(僕からはおじいちゃん。14年前に他界) 「もういく」 「車に乗らやん」 「触らんで!」 などと泣きながら叫ぶ姿を僕は見ていられなかったのだけど、 それを許すわけにはいかないので、なんとか落ち着かせようとしていた。 注射を打ってもらって、眠らせるようにしてもらった。 収拾がつかなくなったので、車椅子に乗せてすこし動き回ることにした。 僕は押しながら母の様子を見ていたら、ずっと泣いていてずっと手を合わせたまま何かを見ているようだった。 薬が効いてきたのか、うつらうつらしはじめたので看護士に頼んでベットに乗せてもらった。 が、横にはなろうとせずにまたどこかへ行こうとしている。 仕方なく、眠るようにさらに飲み薬を無理やり飲ませてもらった。 一旦は横になったのだけど、ちょっと目を離した隙に起き上がろうとしてしまうので、僕が横について起きないように見守っていた。 必死に上体を起こそうとしていたのだけど、薬が効いたのか崩れるように横になって眠ってしまった。 しばらくしても目が覚める気配がなかったので、 看護士に帰ることを告げて、帰宅。 家について、すぐ横になった。 目が覚めてみると、2時間ちょっとしか経っていなかった。 三日ほど食事らしい食事をとっていなくて、猛烈におなかが空いていたので、コンビニに弁当を買いに行く。 睡眠時間は少ないのに、今は全然眠くなくて不思議な感じだ。 明日はどうなるだろう。 とりあえず、朝4時に電話が鳴らないようにお願いします。 ... 壊れゆく世界 - 2002年06月05日(水) 朝10時過ぎに電話が鳴る。 返事がない。 よく聞くと「来て・・・」と細い声が聞こえる。 僕はすぐ病院へ向かった。 昨日よりは多少回復していることを期待していた・・・。 面会して最初に言われた言葉(ぼそぼそ声で) 「お母さん、狂っとらん?」 僕は唖然とした。 看護士さんに聞くところによると騒いだり大声をあげることはないが、精神的にかなり参ってるということだった。 午前中、肩口から、点滴を入れるための管を入れるために処置室へ行く。 (腕の血管は針を入れすぎて奥に入り込んでしまって点滴を打てないらしい) 午後、レントゲンを撮る。 帰ってくると急に携帯電話を握って病室から出ようとする。 「なんするとね?」と聞くと「会社に電話する」と言う。 きっと意識がもうろうとしているのだろうと思い、うまくごまかして携帯をとりあげる。 2,3分後、すっかり忘れてしまったらしく、電話に見向きもしなくなった。 また探し物を始めた。 テレビのリモコンを手に取ると、これは違うといった感じで元に戻す。 きっと財布を捜しているのだと思った(色が同じ黒) 次に、そこ奥の方にあった黒い石鹸入れを手に取った。 それをもって部屋を出ようとする。 「どこ行きよっとね?」 「バスに乗って帰らやん・・・」 泣きそうになった。 粘り強く説得し、ベットに戻した。 次はおもむろに立ち上がると、かすかに唇が動いている。 「なんね?」 「ここのお店の店員さんに聞いて・・・」 状況がまったく理解できていないらしい。 次はまた部屋を出ようとする。 「どこに行きよっとね?」 「飛行機に乗るとよ」 何も言えませんでした。 そのまま部屋を出てエスカレーターのボタンを押したところで、 婦長さんを呼んで対応してもらいました。 僕は一人で病室へ戻り、泣いていました。 やっとの思いで病室に連れ戻し、眠らせた。 しばらくすると、ぱっと起き上がり病室内を歩き出した。 着物を直すそぶりを見せたかと思った次の瞬間、肩口に入れてある管をいきなり引き抜いた。 僕は一瞬の出来事に声が出ず、ナースコールで看護士を呼び対応してもらった。 自らの体に管を入れられる苦痛を目の当たりにして、僕は呆然と立ち尽くしていた。 ちょうどこのとき、医者と明日の手術についての説明があるということだったので、僕はナースステーション(詰め所)へ向かった。 案の定というか、ある程度予測していたとはいえ、医者から発された言葉は、 目の前を真っ黒にさせてくれて、相打ちを打つのが精一杯なほど僕は高ぶっていた。 言葉のひとつひとつが僕を悲しみで包んで、 事実のひとつひとつが僕を胸を掻き回した。 説明後、僕はその場で思いっきり泣いてしまった。 病室に帰ると、薬でぐっすり眠らされていた。 2時間ほど経ったとき、目を覚ました。 僕は看護士に起きたことを告げて戻ってみると、 ベットの上に立とうとしていた。 看護士がかけつけてきて、座らせることに成功したのだけど、 今度はまた病室から出ようとした。 「どこにいきよっとね?」と看護士が尋ねる。 「ちょっと用事のある」 部屋を出ないように進路を塞ぐ看護士を払いのけ、歩き出した。 廊下の途中で立ち止まり、「会社に行かやん」と言い出す。 「ここは病院よ」と声をかけるがよくわかっていない様子。 僕はただ後ろから付いて歩いて、事の成り行きを見守るしかできなかった。 ある程度歩くと、なぜか自分で納得して岐路に付く。 話を聞きつけた主治医もかけつけた。 次は急に廊下の真ん中で立ち止まり 「○○○君(僕のこと)、この紙を上に上げといてね」というので、 「うん、わかった。あげとくけんね」 と、意味不明ながらのってあげて返事をすると、納得してまた歩き始めた。 医者3人看護士2人と僕とでやっとこさベットに連れ戻して、 また薬で眠らせた。 ここまでで6時50分くらい。 8時まで面会時間なので、そのちょっと前に帰宅。 親戚の家に直行。 今日のことをすべて話をした。 今後については、明日の手術を見てから・・・ということになったのだけど、 今後どうなるのかまったくわからない。 苦しみから解放してあげたい。と切に思うが、僕にできることはない気がする。 声をあげて泣きたい。 思いっきり抱きしめたいし、抱きしめて欲しい。 できるなら、今日起こった事実を忘れたい。 でも、本当につらいのは僕じゃない。本人だ。 ... PSYCHOSONIC SHAKE - 2002年06月04日(火) ほぼ毎日、11時過ぎると僕の携帯が鳴る。 「早く来てねぇ」 とだけ言って電話は切れる。 今日は珍しくかかってこなくて「あれ?」と思いつつ、 病院へ向かった。 その目は光を失って、焦点が定まらず その肌はツヤを失って、黒っぽくなってしまっていた。 僕の声が脳まで届いていないようだったし、 僕が目の前にいることも認識できていないような雰囲気だった。 おまけに行動パターンが数種類しかなく、 そう行動したいわけではなくてそうせざる負えない。 そうしか動けないといった感じなのだ。 僕はその姿に唖然とした。 まったく生の匂いが感じられなかったからだ。 僕は仏教徒でもキリシタンでもないのだけど、さすがに「神様・・・」と祈ってしまった。 親の会社の人がお見舞いにきていただいたのだけど、親はよく理解できていない様子。 待合室で話をしているとき、思わず涙をこぼしてしまった。 夕方近くになっても、状況は変わらず。 僕はずっと枕元に座って手を握っていたのだけど、 以前、繋いでくれたあの手とは思えないほど弱弱しい手だった。 人の老いであるとか、病であるとか、苦痛であるとか、生き様であるとかそういうことをすべて背負っているような感じが、 僕にはとても痛々しくて、見ていられなかった。 呼びかけにまともに返事できない意識レベルの中、 なにを考え、どんな言葉を発し、どれくらいの声をあげていたのか到底理解できないのだけど、 僕の内には、押さえ切れないほど感情が暴れだしてしまって、 薄くするとか壁を作るどころではなくなった。 のどがつぶれるくらい叫びたくて 体の水分が失くなるくらい泣きたくて 時間を忘れるくらい女性と抱き合いたくて ・・・なんかそんな感じです。 僕ってモロいなぁとつくづく思い直しました。 日が暮れてからは、やや落ち着いた模様。 ただ精神状態がよくないらしく、イライラしたそぶりを時折見せる。 あさって、手術をする予定だったのだけどどうなるだろうか・・・ ... 感情の行く末 - 2002年06月01日(土) 今年に入って、かなり確信的にある感情を持ち続けてきた。 「僕は人を好きになるべきではない。自分の感情を人にぶつけるべきではない」 なぜ、そういうことを思いだしたかというのは、これまでの僕の経験によるところが大きい。 高校時代に思いっきり玉砕したことだったり、 ある女性への想いを断ち切れないくせに、あまりにも思い悩みすぎたあげく自ら別れを告げたことだったりするわけで、 僕が思いを告げた相手とうまくいった試しがない。 それは、その相手との物理的距離が遠すぎたのか、想いが偽りだったのか、僕が幼すぎたのかよくわからないが、要は自分が傷つきたくないだけか? ここ最近、自分の感情がある一人の女性へと向けられていることに気付いた。 そして現段階では非常に心地のいい、楽な距離を取れている気がするのだけど、 もしこのままの関係が続けば必ず恋焦がれてしまう可能性があると思い、ちょっと焦りを感じ始めていた。 しかも、もし相手がその人だと、完全にその人に溺れてしまいそうな気がしてきた。 その人と不通になってしまうことは避けたい・・・と強く思うようになった。 今は「付き合いたい」とか「(恋愛感情として)好き」であるといったところにはないので、 今のうちに手を打とうと思っていた。 僕はそこでいったん、すべての人間的関係をやめることにした。 そうして、濃くなりすぎた感情を薄くして壁を作ろうと思う。 今は濃い過ぎて、めちゃくちゃ声をあげたくなるし、 一人の女性に対しては壁を取り払っていたので、それをもう一度構築しなおす気でいます。 そうして、声をあげることもなく声が届くこともなく、それがいいんだと思う。 誰かに対して想いをぶつけることがやめるべき。 ぶつけて受け入れてくれた人に対して、いとおしく想いはじめてしまう。 そういうバカなお思い違いは相手に迷惑をかけてしまうだろう。 小学校高学年のとき、いじめられたときに、僕は高い壁を築いた。 中学のときは、やや壁を崩したのだけど、高校にはいると次は感情を抑えていった。 そしてここ最近、かなり感情を濃く熱くしていたのです。 しばらくはひとりにさせてください。 ...
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