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2005年03月24日(木) 三日前の話

かねてよりの約束で、あやぽんとドライブに出かけた。

なんだかんだと、諸問題を抱えたままかずぴーは部活の合宿へ。

ドライブ当日の朝。
「どこに行く?」
「どこでもいいよ」
「どこがいいか?」
「そうだねぇ」
なんとも気乗りのしない会話が展開され、私はかなり面倒くさい気分になっていたが
それを口にしてはいけない雰囲気があり
ネットで検索した近場の観光地に行くことを提案。

あやぽんのリクエストは「海が見たい」であったし
日米和親条約も記憶に新しい親子2人は「ペリー来航の地、浦賀へ行こう」と
とにかく浦賀あるいは久里浜を目指そうということに。

だが。
東名高速の出口を降り損ね
あ、間違ったよね、行き過ぎだよね、と言いつつも
あれよあれよと言う間に、前方に見え隠れする富士山はどんどん大きくなり
思い切って静岡まで行ってしまおうかという思いつき案も浮上したが
静岡まで132キロという標識を見て、私はすっかり怖じ気づき
わけがわからないまま、御殿場あたりで手を打とうということになった。
御殿場・・・何もないかもね。でもいいよね。

でも海もないよね・・・・・。

しかし。
御殿場には、海よりもあやぽんを魅了するアウトレットモールがあった。

洋服を買い、アメリカのアウトレットさながらの雰囲気を満喫し
ここでもまた富士山に感嘆しドライブは無事に終わる。

「楽しかったねー。」とすっかり満足したあやぽんを尻目に
私は疲れきり、我が子の満足をどうにか自分の満足に充てようと頑張る。
「ママはいいもの買えた?」と聞かれても
「私が何も買わなかったことは、あなたもよくご存知じゃないか」としか言いようがない。
広いショッピングモールを移動ATMさながらに我が娘の横をついて回っただけだ。
おまけに、連休最後の日の東名高速は
1時間少しで行った往路を、6時間かけて戻るほどの渋滞だったのだ。

それでもやっぱり行って良かったと思う、春の一日だった。



2005年03月19日(土) 本を探す

探している本がある。

一度読んだ本なのでストーリーは覚えているが
それ以外、題名も著者も出版社も覚えていない。

本屋さんで、沢山の本の背表紙を睨むよりはと
内容に関するキーワードを頼りにネットで検索したがヒットなし。
次に
ミステリー・外国の著者
という検索方法で、2000〜3000冊の本のタイトルをブラウズし
これはと思うものだけ、レヴューを見てチェックするという地道な作業を続けたが
これも徒労に終わる。

場所はニューヨーク、親から譲り受けた土地で駐車場を経営するかたわら
地味な探偵業を営んでいる主人公の話だ。
独身・思春期の子ども二人と同居・お料理が得意。
ブティックのマネキンの一つが死体だったというところから始まり
死体の少女の弟を探す、というストーリー。
ソーホー地区の、画廊やその他の商店が主な舞台だ。

どなたか知りませんか。




2005年03月18日(金) 涙目は、花粉のせいです。

いろいろあった。
考えることも感じることも沢山あった。

先月の今頃は、あやぽんの受験の真っ最中で
親子で地獄の日々を送っていた。

悲喜こもごもの卒業式も終わり
幼い頃からの友達とも別れ
しばしの休息。

かずぴーは、唯一のよりどころであった部活動が上手くいかず
退部するだのなんだのと泣き(本当に泣いたのだ。母は戸惑った。)
顧問の先生に見放されつつある現状を知った私も
彼と同様に切なくなり
詳細は省くが、端的に言って
勉強が上手くいかないことが多岐に与える影響の大きさを
今さら思い知る。

そして今日。
かずぴーの学校に呼ばれて
進級に関する警告とやらを受けた。

このままでは高校への推薦が困難と判定されました。
来年度の学習生活の充実と成績の向上を期待します。
・・・・・・。

その高校を、今年卒業した面々を見て
果たしてかずぴーが
必死になって進むことがいいのかどうか、思うところも多い。
本人の希望が何よりなのだが
別の道があっても良いのではないかと、母は秘かに思っている。

先月
自分の言いたいことをぐっとこらえ
とにかくあやぽんを応援し続けたように
しばらく
かずぴーのことも見守ろうと心に誓う。
言われることは、本人が一番よくわかっているはず。






2005年03月09日(水) 卒業式

明日はあやぽんの卒業式だ。

あやぽんは三学期に入ってから学校に行っていなかったので
今さら卒業の実感がないと言う。
もう卒業してしまった感じだとか。
そうかもしれない。

私はと言えば、長年お世話になった学校とお別れするのがなんとも寂しい。
華々しく卒業して行く旧知のお嬢さん達を見ながら
めでたいめでたいと卒業式を迎えることに複雑な思いもある。

私の胸中を察してか
モモコさんが、一緒に卒業式に行こうと誘ってくれた。
彼女がくれたメールには思わず涙がこぼれた。
「幼稚園の窮屈な椅子に座って謝恩会をしてからもう12年だね。
 一緒に式典に出るのも、これが最後だね・・・。」
彼女とは、日常はもちろんのこと
節目ごとに、一緒に過ごした沢山の思い出がある。

あやぽんよりも、私の方がすっかり卒業式気分でいるのかもしれない。

まだかずぴーが通っているが
彼の方では何かと学校との接触を避ける傾向にあるので
学校への愛着は少ない。
同じ学校なのに、な。



2005年03月03日(木) 涙のひな祭り

あやぽん、次々と試験に落ち続け
今日、最後の発表があり、浪人が決定した。

まだ、受験できる大学もあるのだが
本人の意思により、今から受験できる大学には行きたくないとのことで
進学先は代々●ゼミナールである。

この一ヶ月弱
いろんなことがあった。
親というのは、子どもに泣かれるのが何より辛いらしい。
『泣く子と地頭には・・・』と言われた時代もその前も
親というのは、そういうものなのだろう。

試験の結果を聞いても
彼女が案外平気な時は私も平気なのだ。
彼女が落ち込み、途方に暮れていると
私もどうしていいかわからなくなる。

昨日は、ほぼ全滅が決定していたので
予備校の授業料を払いに行き
帰りには、卒業式用の服を買い、春からの私服も若干買った。
「こんなにしてもらって申し訳ないね」そう言うあやぽんが、また不憫に思え
「なんだか虚しいよね」などと言われて私も落ち込み
それでも、なんとか気に入った服を買った頃には
春からの生活に向けて、気分が上向いた。

が。
万が一、という期待が
今朝、ものの見事に崩れ落ち
暗い気持ちを抱えたまま、あやぽんは
以前から約束してあったお友達との待ち合わせ場所に出かけて行った。
「がっかりして、車にぶつかったりしないように、気をつけて行きなさいよ」
と、声をかけたが、その後ろ姿が、どうにも切なかった。

私にとっても試練の数日だった。
幼稚園から一緒だったお友達は、すんなり内部進学をし
お化粧の練習や車の免許取得など、大学生活に向けての準備に余念がない。
あやぽんだって、なんの無理もなく、ああできたのに・・・とは
思っても口にはできない。
もう、動き出してしまったのだから、前に進むしかないのだ。

どんなに苦しくても、とにかく進むしかない。
進まないことには、苦しい状況から抜け出せない。
本当に辛くて苦しいのはよくわかるが、もう、後戻りはできないのだ。
そう、娘にいい聞かせながら、出産の時を思い出した。

陣痛が始まって、もう産むしかないのに、あまりの苦しさに
「家に帰る!!!もう、いやだ!!!」と叫んだ25の私・・・。
その結果、世に生まれ出た我が娘と、今こうして苦楽を共にする。
なんだかなぁ。



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