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2005年02月17日(木) 『親』修行中

あやぽんの試験も、終盤戦に入る。

18年余り彼女を育てて来て
この一ヶ月ほど『無償の愛』という言葉を意識したことはない。

18年の間には、それなりにいろいろなことがあった。
悩んだ事も辛かった事もあるが
『子どものために』ということを、それほど意識したこともなかった。

この一ヶ月。
慰め、励まし、黙り
苦しんでいる彼女のために、自分ができることは何だろうと考えて来た。
何度も「自分で選んだことだろう!今さら何を弱音を吐いているんだ!」
と言いたいのを我慢して、良かれと思うことをし、言って来た。

私は受験には反対だったのだ。
今でも、受験が意義のあるものだとは思っていない。
でも、そんなことを今さら言っても仕方がない。

彼女の人生なのだから、彼女のしたいようにしてもらうしかない。
彼女が苦しんでいたら、私の考えとは関係なく
その苦しみを、少しでも和らげてあげたいと思うのは当然だ。
だけど。
その考えの甘さにも精神的な弱さにも、うんざりしてしまうことがある。
「あなたがそんなことを言ってどうするのよ」と言いたくなる。
今はとても言えない。

受かって欲しいから、というわけではない。
とにかく、我が子が苦しんでいる姿を見るのが辛いのだ。

予備校で知り合った友達の学校名をあげて
「ああいう進学校に行っている子は、学校からも親からも
 いい大学に行くのが当たり前だと思われているから辛いよね。
 その点、私は気楽だよね」と言うので
「そうそう、気楽にやればいいのよ」と言うと
「あー、やっぱり、ママも私に期待してないんだね。はぁぁ。」と落ち込む。

慰めることも励ますことも難しい。
何も言わないでいるのは、もっと難しい。

あと半月だ。




2005年02月13日(日) 頑張れ

あやぽん、今日から三日連続試験。

いくら行く気がない大学とは言え
過去問のひとつも見ないでいくとは大胆不敵。
それで「できなかった」と言って落ち込んではいけない。

そのくせ
明日のお弁当は牛丼だと聞いて
お弁当ケースの中にいつの間にか
卓上用の一味唐辛子をしのばせている。

へんなところに用意周到
そんな娘が私は好きだ。



2005年02月12日(土) ごめんね

今日は朝から晴れていた。
物置から、ほこりまみれの箱を担ぎ出し
ひな人形達を和室に並べた。

こんな風に並べるぐらいなら
いっそ、段をだして飾った方がいいんじゃないのか
と、何度か思ったが
大きな段を組み立てるのも五人囃子に細かい楽器を持たせるのも
あれもこれも、どう考えても面倒くさい。
片付けることを考えたら、もっと面倒くさい。
きっと、私のことだから
飾っている間中、片付けが気になってしょうがないだろう。

そんなわけで、ごめん。

ついでに屏風と雪洞を飾る。
これだけで、ずいぶんと雰囲気が違うものだ。



手をかけたらかけただけのことはあるんだなぁ。



2005年02月11日(金) くさい人形

昨日出したおひな様が臭い。
あまりにも臭い。

長年、防虫剤を放り込むだけという怠惰な行いを続けてきた報いだ。
防虫剤のニオイばかりか、すっかりカビ臭くなっている。

これはいけない
残りの人形&お道具類も出さないと。
とにかく箱から出して、風に当てないと。
あぁ、めんどくさい。

そう思いながら、朝、目をさますと曇っていた。
カラッと晴れた日に出した方がいいだろう。
ほっとして、予定を先に延ばす。

ナツヨさんの家では
クリスマスのデコレーションに始まって
おひな様、五月人形、と
一年のうち、半分近くは何かが飾られているのだそうだ。

出したり入れたりの作業なんて無駄で面倒だ
と思っていた自分が、どこか間違っている気にさせられた。

でも
こういうものは楽しめなくては意味がないのではないか。
往生際悪くそう思う。
娯楽の少なかった時代の年中行事は
今となっては「楽しみ」よりも単なる儀式の色合いが濃く・・・云々。

どうも言い訳がましい。

晴れたら、さっさと人形達を風に当てよう。





2005年02月10日(木) 気は心

おひな様を出した。
お内裏様だけだ。

お内裏様の入っていた箱だけ開けたので
そこに入っていなかった屏風と雪洞は出していない。
なんだか寂しいお飾りになってしまった。




ま、いっか。
気分気分。
白酒でも買って来よう。

おひな様を買いに、岩槻まで行った日のことを思い出す。
もう18年も前だ。
あの日あやぽんは、おひな様を見ている最中にウ●チをした。
おむつ替えも今は昔・・・・。

ひな祭りの日
あやぽんの受験の結果がすべて出揃う。





2005年02月09日(水) ささやかにダイエット宣言

傘を買った。
ローズヒップティとハチミツも買った。
少し贅沢な気分になった。

夕食時、お腹が空いていないのに
きちんと食べる自分を発見。
ダイエットに挑戦しようと思い始めたところなのに
どうして、食べたくもないのに食べるのだ。
謎だ。

前回のダイエットは3年前。
8キロ減らしたが、3年弱の間に6キロ復活させてしまった。
せめて3年前のところまでは戻したい。
それでも、若い頃より8キロ多いのだ。

さて
若い頃は、今より何キロ少なかったでしょう。



2005年02月05日(土) わけがわからない

なんだか、二日分、同じ日記がアップされていた。
どうなってるんだか。
あやぽん並に意味不明。

本日の、試験第一回目は
「簡単な問題だってことはわかったんだけど答えがわからなかった」
のだそうだ。
・・・やっぱりよくわからない。

明日からかずぴーはスキー学校。
あやぽんと二人きりかぁ。。。



2005年02月04日(金) 全国的に暗いのか

あやぽん、絶不調。

自分の出来なさ加減に嫌気がさし
焦る気持ちとは裏腹に
勉強ばかりか、他の何をもする気がせず
試験を受けるのもうイヤだが受けないのもイヤで
時間が経って欲しい反面、悪い結果を迎えるのもイヤだ
というわけで
とうとう『この世の終わりが来ればいい』とまで言い放つ。

言わせてもらえば
「今さら、何を言っておるのだ。甘ったれるな。」
ということなのだが。

私は、かなり前から、彼女の勉強量が足りないと思っていた。
真剣味にも欠けていると思っていた。
本人は、それなりに一生懸命だったことはわかっているが
いわゆる一般の受験生とは、雰囲気が違っていた。
それとなく、そんな感じのことを口にすると
痛い所をつかれたとばかりに、ムキになって反論するので
ある時期からは、そのことは言わないことにした。

彼女は、これまで一度も受験をしたことがなく
そればかりか、中学に入るまでは成績表の存在すら知らずにいたので
あるいは、仕方のないことなのかもしれない。
それでも、自分で選んだことなのだ。
受験の何たるかを、私からも先生からも聞かされて
その上で、内部進学はイヤだと言って決めたことなのだ。
こんなものだとは思っていなかったとしても
そのケリは、自分でつけるしかないではないか。

受験なんてこんなものだ。

などという正論を言っても、何の助けにもならない。
「あ〜あ〜、何にもする気がしないや」と暗い顔で言われて
「困ったねぇ」などと情けない相づちをうつ。
ああ。

明日は、一回目の試験だ。
『受かっても絶対行かない』大学だそうだが、そこを落ちたらどうなるのか。
ああぁ。

これから一ヶ月、こんな状態が続くのか。
いやだなぁ。



2005年02月03日(木) しあわせ

家族三人で、西南西を向き黙々と巻き寿司を食べた。
それぞれの思いを胸に。

私は、どこへお参りする時でも
心の中で祈願する言葉は決まっている。

「家族みんなが、健康で平穏無事に過ごせますように」

これだけの言葉だが
なかなか盛りだくさんの内容を含んだ欲張り祈願である。
今日も、同じことを心の中で願っていたが
ふと
家族揃って過ごしているこの瞬間こそが幸せなのかもしれない
と、巻き寿司にかぶりつきながら思う。

あやぽんは、午前中、部屋で暴れていたが
(音だけで何をしていたのかは知らない)
ぷいと出て行って数時間後、スター●ックスとソニー●ラザの袋を下げて
いつもと変わらぬ様子で帰って来た。
帰って来なかったらどうしよう、という不安がよぎったりしていたので
彼女の帰宅に一安心。
今日は調子が良さそうだ。

全員揃って(3人だけだが)各部屋を周り
それぞれ豆を手に、少し照れながら、それでも福は逃すまいと豆をまく。
恥ずかしくたって「鬼はそとーっ、福はうち〜。」と言うことは怠らない。
それで福が来るなら、照れたり躊躇してなんかいられないのだ。

あと何回、こうして節分を過ごすことができるのだろうか。
今ある幸せに気がつかないと、いつまでたっても幸せにはなれない。
いろいろあっても、私は今、幸せなんだとしみじみ思う。



2005年02月02日(水) 恋人はばふぁりん

母の移動、無事完了。

そんなに簡単ではなかったのだけど
一時は手に汗かいて受話器を握りしめ
電話の向こうの相手に向かい
見えもしないのに頭を下げてお願いする事態に陥ったのだけど
とにかく、無事に移動が完了した。

その後、新しいホームと以前のホームの両方に出かけ
書類を整え、支払いをし、お願いをし、お詫びをし
夕方、偏頭痛が訪れる頃には用事が終わった。
とりあえず、良かった。

そして。
あやぽんがごはんを食べなくなった。
なんとか、夕食だけは食べてもらったが
ほとんど口もきかず、無愛想ですらなくなった。
今週末から試験が始まる。

昨日は、かずぴーまでが反抗的で
もうなんだかすっかり
どうにも言葉にできないほどの気持ちになったが
今日の彼は上機嫌で、姉を気遣う余裕すらあるので助かった。

ああ。。。

暖かくなる頃には、私にも春が訪れて欲しいものだ。



2005年02月01日(火) 母のこと

明日は、いよいよ母の移動の日だ。
12月に、自宅を出ているので
ホームからホームへの移動なのだがそれでも大変だ。

いろいろな所を見て回り
母の現状を考えて、お金の都合も考えて
その他、もろもろの事情を合わせた上での選択ではあるが
それでも「本当にこれでいいのだろうか」という思いは拭えない。

何より、母を騙すようで辛い。
それを埋め合わせるべく母に尽くすことができない自分が辛い。
お金を出せば出すほど、お金で済まそうとしている気がしてしまう。

「おばあちゃんは、いいよ。自分では何も残さなかったのに
 ママがみんな面倒を見てくれるんだから。」
私の気持ちを慮ってか、いつかあやぽんがそう言ったが
私には、そこまで簡単には割り切れない。
「私の勝手で、母の残りの人生を決めた」
という気がしてならない。

下着や洋服をあらためて用意し、全てにフルネームで記名した。
母は、まだ知らないのだろう。
新しいホームに移ることも
これからは、そこが自分の家になるのだということも。
そんなことを思いながら、持ち物の用意をする。

正直に言うと、ホームに近寄りたくない。
何もなかったように、離れた所で過ごしたい。
母に会わずにいることは可能だが(実際、会わないのだが)
だからと言って、私の頭から母がいなくなることはない。

もともと上手くいってなかった親子関係が
母が痴呆になったからと言って、良好になるわけがない。
事情を知らない人は(ほとんどそうだが)
「お母様が言ってるんじゃなくて、病気が言わせているだけですよ」
と、母の言葉に凹む私を慰めようとするが
痴呆になる前から、似たようなものだった。
ただ、違うのは
周りの人が『痴呆のせい』だと思ってくれるおかげで
母のことを『ひどい母親』だと思わないでいてくれることだけだ。

痴呆の症状が進んで
私の母は、やっと世間並の母親になったのかもしれない。



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