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お正月用のもろもろを買いに、デパートへ。 午前9時半という、かつての私にとっての夜中のような時間に 家族総出で出かけたのに、駐車場はすでに満車。 やはり、心がけが甘かった。
最近は、お正月も開いているお店が多く そんなに不自由するわけでもないのに 食料品売り場では誰も彼もが 「食糧を買っておかないと大変なことになる」 という強迫観念におそわれているかのごとく 必死の様相で山のような買い物をしている。 そういう私も、気がつけば ふだんなら絶対買わないような(しかもお正月に関係もない)ものまで しっかり買い込んでいた。
混み合った店内で、夫婦づれを多数見かけ こどもの助けがなかったら、荷物の重さに引っぱられるように どっぷりと暗い谷底に落ちていただろう想像する。 ありがとう、あやぽん・かずぴー。 感謝の念を表すべく、ビーズクッションを買って差し上げた。
これだって、ふだんなら唐突に買ったりはしないのに。
すっかり、デパートの商戦略に乗せられる素直な私であった。
2003年12月30日(火) |
何故に盛り上がらない? |
クリスマスから大晦日、そしてお正月。 この時期が、私は好きだ。 浮き足立って、なんだか非日常で そして、あっという間に過ぎて行く。 気がつけば、いつもの日常。
昔は、夜更かしの特権が与えられたのはこの時期だけだった。 深夜のテレビでは古い映画をやっていたりして 長い夜を楽しんだ。
夜更かしも自宅で楽しむ映画も 今では当たり前になってしまって ありがたさは半減してしまったけど それでも、私はこの時期が好きだ。
だけど。 今年はなんだか「らしくない」。 つまらないので、年賀状を書いた。 出す人がほとんどいないので、すぐ終わった。
2003年12月29日(月) |
とりあえず健康に感謝、だ。 |
福島にいる弟が来た。 母の所に来たのだが、母の所にはいづらいらしく すぐに子どもを連れて私の家へ。 明日は、もう帰るという。 何しに来たんだか。。
年の瀬に、親子喧嘩に続いて いやなことがあり、気持ちが沈む。
こんな時、お酒でも飲めればいいのだろうが お酒を飲んでも美味しいと思ったこともなければ お酒でウサを晴らしたこともない。
デパスとビデオで乗り切るしかないか。。。
2003年12月28日(日) |
『怒り納め』ならいいが |
かずぴーと言い争う。
文字に表せば、他愛のない親子喧嘩でしかないだろうが どうしても許せない暴言は、思い出しても腹が立つ。 反抗期とは言え 下から見上げるように睨んだ眼差しを、どうしても受け入れられない。 初めて「憎らしい」と思った。
なので、しばらく立腹。 気の済むまで、立腹。
あちらも「ムカついた」ままでいるのだろう。 気の済むまでムカついていればいいさ。 ふんっ。
かずぴー、テニスの試合。 先日の試合よりも、少し本格的なトーナメントだ。
朝、ちょっとしたことがあって、私は行かない!ことにしたが 登録証という、試合出場には欠かせないものを忘れ 私がそれを預かっていたことで、多少の責任も感じ 試合会場まで車を飛ばすことになってしまった。 こんなことなら、最初から行くことにしていれば良かった。
試合会場に到着したかずぴーから、電話が入る。 間に合うように届けるから、と言って、とにかく急ぐ。 初めての道を、時間に間に合うようにと焦って運転して行くのは なかなか緊張するものだ。
どうにか受付時間内に届けられて、ホッとする母に 「先に帰っていていいよ」と、用が済んだかずぴーが言う。 「帰っていいよ」というのは、「帰ってくれ」に等しい。 そう思い、来たばかりの道を戻る。 用済になった自分が、少し悲しい。
いずれ、彼にまつわる諸々のことから「用済」の印を押されるのだろう。
家に戻って、ひとり懐古にひたろうと「ありがとう」を見た。 石坂浩二さんの前髪が、どうにも気になった。
昨日の、肩透かしをくったようなクリスマスディナーのせいで 無性に食い意地が張ってしまい 今日は、仕事中から「カニを食べるぞ」と決めていた。 「タラバガニ」を、お腹いっぱい食べるのだ!
あやぽんが、お友達のライブに出かけていて留守なので かずぴーと二人のカニ鍋。 量が多すぎた。 食べている最中から、多いことに気付いていた。 でも、一日中食べたかったカニなのだ。 一生懸命食べた。
鍋の中身をやっつけて、完全な満腹状態になったのに 「鍋のシメは雑炊だ」という固定観念によってさらに雑炊を食す。 美味しいのだろうけど、とにかく「食べる」ことに執心。 そして。 苦しいほど、お腹がいっぱいになったのに カウンターの上の柿が目についてしまった。 甘いものは別腹、と、たいらげた。
やはり腹は一個だった。 苦しいのを通り越して、お腹が張り過ぎて痛くなる。 うー。。。
ようやくお腹が納まりかけた頃 鍋の味が濃かったのか、しきりに喉が乾き 冷蔵庫に常備しているお気に入りアイスティーを飲む。 飲む。そして、また飲む。 ふたたびお腹がぱんぱんになった。 うーうー。
朝。 起きて来たかずぴー、サンタについては何も言わず そのまま家族三人、テニスの試合会場に向かう。
車中で、それまで沈黙を守っていたかずぴーが 独り言のようにつぶやいた。
「サンタの野郎、裏切りやがって」 ・・・裏切ったのだとしたら、それは私だ。 「さんざん期待させといて・・・ふんっ。」 ・・・君が勝手に期待したのだ。
「でも、不思議なことがあったんだ。 ゆうべ、窓を少し開けて寝たんだけど、なんかサンタらしい音がして(ん?) 朝、起きたら開けてあった窓が閉まってたんだよ」 ・・・・・・・そ、それは。
すっかりサンタに裏切られた気分のかずぴーだったが P♪が「気」を送ってくれたおかげか、テニスの試合に勝ち 30日に本戦出場とあいなった。おめでと♪
その後、あやぽんは渋谷で友達と待ち合わせ。 私とかずぴーは、デパートで買い物をし 某シェフのお店でクリスマスディナー。 なんてものを食べたのが間違いで 大きなお皿にちょこんと乗った、ひとくちサイズの前菜は かずぴーのお口には合わないウニやフォアグラ。(美味しいのに!) 空腹には勝てず、しかも極めて少量なのでどうにか食したかずぴー メインディッシュこそはと ステーキを食べるつもりが、子牛のなんだかソテーを食べるハメに。 (今夜は、そのメニューしかないのだそうだ。) 私は子牛が嫌いなので、真鯛の香草なんとかを食べた。 メインディッシュまでがひとくちサイズ・・・だった。
昨日に続いて、今日もケーキを食べることで なんとかお腹を納得させる。 今日は、マキシムのミルフィーユだ。
ケーキ昨日・今日&ディナーのデザート
「サンタさんが、来れないといけないから早く寝よう」 そう言って、かずぴーはベッドに向かった。
どうしよう。 今年は、サンタさんに何をお願いしたのか探っておらず 従って、プレゼントの用意はない。
そろそろサンタさんは卒業だと思い 「今年は中学生だから、もうサンタさんは来ないね」 と、布石を打っておいた。(彼はそれを否定したが) もとより、彼がまだサンタさんを信じているのか怪しいとも思っていた。
しかし。 彼は信じていた。 私にもお願いしたプレゼントを明かさず 「明日の朝が楽しみだ〜♪」と言って早寝をしたのだ。 過去のプレゼントを列挙して、サンタさんを賛美しながら。。
彼にとってサンタさんは、メルヘンチックなものとも少し違う 何か不思議な力を持った存在であるという。 信じなくなる前に、来なくなってしまうなんて。。。 それが、私のせいだなんて。。。。。
「節目の時なんだよ。彼がそれで寂しい思いをしたって仕方ないよ」 と、あやぽんは言う。 「いつまでも信じているわけないし、高校生になっても信じてちゃ困るし。 ママが何かを用意すればいいって問題じゃないよ。」と言い放つ。 そういう彼女は、中学生になった途端 「今年から、サンタさんにはプレゼントを頼まない」と宣言した。 彼女なりの「もう信じていない宣言」であった。 彼女の言うとおりなのだろう。 そして 節目と言えば、私にとっての節目でもあるのだ。 もう二度と 子どものためにこっそりプレゼントを用意することはない。
明日の朝が憂鬱だ。 がっかりした彼を見るのが辛い。
そして明日は、彼のテニスの試合である。 あー。。。
ケーブルテレビで、懐かし番組を堪能中。 昨日は「ムー」を見た。 ジュリーが、私の記憶以上にかっこ良くて驚いた。 「寺貫」も放映されるといいのに。
「時間ですよ」と「寺貫」と「ムー」 同じ茶の間で展開される家族模様に、懐かしさを覚えるのは何故か? 私が育った家の茶の間とは全く似ていないのに。
きっと、「温かい家庭」を象徴する風景なのだろう。 そしてきっと、現実にはどこにも存在しない「温かい家庭」なのだろう。 TBSの古いドラマは、古き良き時代の家庭の匂いがする。
アメリカ版、古き良き時代のドラマ 「奥さまは魔女」は 幻の1stシーズンから放映されている。 約8年間にわたって放送されたシリーズの始まりだけあって サマンサもダーリンも、そしてラリーも若い。 1月から、日本版の「奥さまは魔女」が放送されるようだが 私は見たくないと思っている。 サマンサは、エリザベス・モンゴメリーなのだ! ダーリンは、ディック・ヨーク(少し譲ってもディック・サージェント)なのだ! こういうところ、私は妙に頑固なのである。 しかし これを機会に、本家の「奥さまは魔女」の人気が再燃してくれればいいと思っている。
ドラマについてこんなに語ってしまうなんて 案外、私は平和な毎日を過ごしているのかもしれない。
2003年12月21日(日) |
藤木の「卑怯」よりは |
私の常備薬、胃薬とデパス。 胃薬は、順調に減って行くが デパスは、「もしもの時」のためにと ケチケチ飲むおかげで、けっこう貯まっていた。 ここ数カ月、病院に行かなくても貯えはあったのだ。
最近、その「もしもの時」が頻繁にあったらしく 貯えておいたデパスが、底を尽いてきた。 と、あやぽんに言っていたら、そばで聞いていたかずぴーが 「ふ。『もしもの時』。。ね。。。」と自嘲気味につぶやいた。
・・・たしかに、最近の「もしもの時」は、君がらみのことが多かった。
彼のセリフ回しは、だんだん永沢くんに似てくる。 シニカルに構えることで、人より少し優位に立とうとでもいうのか。 案外、的を得た言い方だったりもするので 憎らしいけど反論できないことも多い。
だが。 そうやって、人をやり込めて来た永沢君は 高校進学時に、大どんでん返しをくらうのだ。 皮肉屋の彼にふさわしい結末、と言えるような目に合うのだ。
人間、素直が一番だよ>かずぴー
若さのおかげか、タミフルのおかげか なんとあやぽん、一日でインフルエンザから脱却。 ほぼ24時間限りの高熱だった。
すっかり平熱になった彼女は 食欲も体力も平常どおり。 すごい。。。
今日は、とても寒かった。 寒さの中を、仕事に行った。 私こそ、体に気をつけないと。 あんな回復力は、とても期待できないのだから。 はぁ。
誰だって若かったんだ、と 「時間ですよ」を見ながら、しばし懐古。 当時私は、小学生。 若かったなぁ。。。
あやぽんが、インフルエンザにかかった。 ずいぶん急激に熱が上がったので 「もしや」と思っていたら「やはり」だった。 「うちの病院の『この冬第一号』です」と ありがたくない称号をいただいた。
診察室に入る後ろ姿の、17才の乙女にあるまじき 後頭部がパカっと割れた寝グセ全開の髪の毛が 彼女の病状の辛さを物語っている。 予防接種はしていなかったが、早めの受診なので インフルエンザの薬が効くことを期待したい。 あの薬の効き目は、私に関しては実証済みだ。
あやぽんの病院を終えて家に戻ると 終業式を終えたかずぴーが帰宅。 「ショウジョウが」なんとかと言うので どんな症状が出ているのだ?と聞いてしまった。 私の頭の中では、すでにインフルエンザがまん延していたらしい。 彼の言う「ショウジョウ」は、テニスの表彰状のことだった。
午後 テレビをつけたまま、床暖房の上でうたた寝をする。 うたた寝の頭の中に、かん高い声がガンガン響く。うるさい。 と思ったら「あんぱんまん」だった。 なつかしー!恋しく切なく懐かしい。
あんぱんまんが我が家のヒーローだった頃 すべての時間は「我が家タイム」で流れていた。 あんぱんまんのストーリー同様、のどかで穏やかな日々だった。
2003年12月15日(月) |
私も数学は苦手だけど |
かずぴーのテストが続々返却。 私と一緒に勉強した科目と、そうでない科目の差が歴然としている。
数学は、私ばかりか あろうことか現役のあやぽんでさえ、教えることができないので 家庭教師第二弾を頼もうかと思っているが かずぴーは、自分でやるからいいと言う。 自分でやるって言ったって、わからないものをどうやって? 数学は、わからないところをスキップして進めないところが厄介なのだ。 スキップしたら最後、あとはつまずくしかない。
とりあえず、あやぽんが使っていた参考書を参考に 自力でできるところまで試すことにした。 が。 「この参考書、セキスウが出てないよ」 と言われては、彼の数学に対する姿勢がわかろうというものだ。 授業中、先生は「関数」と声に出して言わなかったのか? それとも、先生の話に耳を傾けたことがないのか? 「関数」と言う言葉を口にせずに、関数の授業をやったとは思えないので 後者であると判断される。
やっぱり、家庭教師が必要だろう。。。
昨日は夜の巷を少しばかり徘徊し 今日は一日寝てやる!と心に決めていたのに。
浅い眠りをさまたげる内なる声。 「ワックス・・・ワックス・・・」 今年も年末恒例、ワックスがけの時期がやって参りました と 冬の日曜日恒例、移動灯油販売の耳障りな歌声が 思い出したくもないものを思い出させてくれた。
『冬っていいな〜♪冬って、ね〜♪』とくどい。 灯油が売れていいな、ということか。 本当にうるさいのだよ、本当に。 一度そう言ってやりたいと、数年来思っているが あちらも商売なので、仕方がないのだろうと結論づけて 家の中で一人秘かに憤慨するにとどめている。
うるささに負けて お昼近くに起き出し、いきなり活動を開始する。 子ども達には、降って湧いたような迷惑だ。 にも関わらず、かれらは私が出した指示にてきぱきと従って それぞれが、相応の仕事をこなしてくれた。 特にかずぴーは、前回まではワックスがけのたびに 労力を提供しないかわりに、邪魔者に近い扱いを受けていたので 仕事をあてがわれたのが嬉しそうにさえ見える。 あと1〜2回は、この調子で手伝ってくれるかもしれない。
そんなわけで、無事にワックスがけが終了した。 年々、私の気力も体力も衰えてきているが その分、子ども達の働きぶりが立派になったので トータルでは、ずいぶん楽になった。 ありがたい話である。
ケーブルテレビをデジタル対応にし オプションンの番組も見られるようにしてもらった。
さぁ!「ありがとう」を見るぞ。 来週からは「奥さまは魔女」の1st.シーズンが放送されるし! 憩いのひとときを過ごすのだ!
ただそれだけのつもりでいたのに 工事が終わった後のテレビは いろんな機能を付加した高度な情報発信源に変貌しつつあるようで テレビを見るという、くつろぎ系単純作業が 機能を駆使して情報をキャッチするという 能力を必要とする作業に変わって行く感じがした。 使う気がなければ使わなければいいだけのこと、だとわかってはいるが 自分んちのテレビ(受信放送)に付加されている機能を 自分がわかっていないというのは、どうにも気持ちが悪い。
この感じ、自分のパソコンの機能を使いきれない経験から すでに体得済みではあるが、まだ馴れていないもよう。
私が希望したのは「ありがとう」と「奥さまは魔女」を見ることなのだ! それができれば、良いではないか。
受信機のうしろに、意味不明のコードが渦巻いていて 線が一本抜けてしまったら、カオスに陥りそうな気配がしても リモコン本体に、使途不明のボタンが並んでいて 間違って押したら、元に戻れなくなりそうに思えても なんだかわからない表示が画面に出て 「さぁ、どうする!?」と迫られるような感じがしても 数えきれないほどの番組数があって そのほとんどは、あることさえ知らないということを知ってはいても 主人は私、見たいものだけ見たい時に見たいように見ればいいのだ!
一体、誰が何のために こんなに便利を装った面倒なものを考え続けているのだ。 きっと メディア・リテラシーとやらを 真剣に学ばせようとする学者の陰謀に違いない。(そんなわけない)
どうしよう。 毎晩毎晩、夕食のたびに お腹の皮がぱんぱんに張るほど食べてしまう。 動けないぐらい苦しくなって 幼い頃に読んだ、子ヤギを食べた狼の話を思い出す。 ヤギのお母さんが、はさみで狼のお腹を裂いたっけ。 ・・・それは困る。
そして数時間後 お風呂あがりに体重計に乗り 計る前からわかっているのに「ああ。。。」と毎回思い そのあと必ず「明日からは!」と思うのだ。
そんなことを、毎日毎日繰り返し 体はどんどん膨らんで、心はどんどんしぼんで行く。
トイレットペーパーがなくなったので 夕食後に、重い腰を上げて近くのドラッグストアに行く。 寒いと、出無精に拍車がかかる。。
ドラッグストアで、4才ぐらいと2才ぐらいの女の子を連れた いわゆるヤンママを見かける。 4才ぐらいの子の方がぐずり、お菓子で釣ろうとして失敗したその母は 泣き止まない娘に、だんだんと逆上し しまいには、「コノヤロー」「ふざけんなよ」と巻舌で脅し始める。 幼い女の子はコノ『野郎』でもなく、ふざけてもいないと思う。 ことの始まりから見ていたが、そんなに怒るほどのことにも思えない。 母親に立腹。
そして、このような場面に出くわすたびに 必ず、我が身の振る舞いを思わずにはいられない。
同じようなものなのだ。 言葉が多少違っていても 怒りの対象が中学生の男の子であっても 感情を剥き出しにし とっくに『親』という立場からも『教育』という目的からも逸脱して とにかく怒りまくっているだけなのだ。 そして 頭のどこかで、自分の怒りの正当性を意識しつつ もっと奥深いところでは、その正当性のインチキも知っている。 後味が悪いのも当たり前だ。
よその母親に立腹している場合ではない。
2003年12月08日(月) |
「川流れ」か「屁」か |
明日でかずぴーの期末テストが終了。 私まで、解放された気分になる。 あやぽんは、あと三日あるらしい。 同じ日に始まったのに、さすが高校生。大変だ。 しかし、あやぽんに関しては、私が心配することはないので 「頑張ってください」と言うしかない。 心配しようにも、難し過ぎてもう手が出せないのだから。
かずぴーの心配にかまけている間に あやぽんはあやぽんで、けっこうかましてくれていた。 国語のテストで『トロッコ』と同じ作者の作品を選び その作家名を書くという問題で 『河童』を作品群から選び(根拠のない正解) 作家名を『妹尾河童』と書いたのだそうだ。 妹尾河童も、『トロッコ』という作品を書いたのか?と聞きたい。 しかも、『河童』という妹尾河童の自伝があるかもしれないと 大真面目に考えていたという。 妹尾河童の自伝『河童』・・・。
仕事が、予想外に忙しくなり、急な残業を頼まれた。 ついでに、明日の時間延長も頼まれた。 私はきっと「頼みやすい人」と思われているのだろう。 「断るのが下手な人」という自覚があるので、その判断は当たっている。
某社団法人のおつき合いで、都内某所で行われた祝賀会に出席。 朝から出かけ、夕方まで。疲労困憊。
やけに派手なばぁさんがいると思ったら ソロなんとかミストという マンガの「おにいさまへ」に出てきたソロリティのようなものの 現実版ハイソなばぁさん集団の代表者だった。 靴についていた、やけに大きなバックルが気になった。 ちょっと趣味を疑う。
家に戻ると、バルト三国がどうしたこうした 北海油田の開発が、ユーロポートはロッテルダム・・・が待っていた。 「子どもの覚えが悪いと、お母さんの方がよく覚えちゃうね」 と、ちょっと自慢気に言ったら 「お母さんが、今さら覚えてもあんまり意味ないよね」 と切り返された。 やはり、彼はただの馬鹿じゃないらしい。 「老中・・大目付け・・大老・・・」などとぶつぶつ言っていたあやぽんが 「あははは・・・」と軽快に笑う。
期末テストの最中の日曜の夜。 『なんちゃってアカデミック』な雰囲気の漂うリビング。 頭を数回降ったらこぼれ落ちてしまいそうな知識をどうにか詰め込み あやぽんもかずぴーも、今夜は頭を固定して寝た方が良さそうだ。
郵便局に払い込みに行き その後、あやぽんと、彼女の携帯を買いに行く。
あやぽんの携帯は壊れかけており 電話もメールも、受信が怪しくなっていた。 それはそうなのだが。 ちょうど、505isシリーズが出始めたら、壊れかけた。 去年、カメラ付きに買い替えた時も似たようなタイミングで壊れた。 断じて、彼女が故意に壊しているのではないことは 故障の状態を見ても明らかだ。
そう、彼女は生まれつき「運がいい」のだ。 と、私は思っている。
これまで、数多くの幸運に恵まれ、そこから生じる好影響が さらなる幸運を呼び・・・ そんな姉を目の当たりにしながら育って来たかずぴーが 「いいなぁ」→「どうせ・・・」という精神状態に陥りやすいのも 無理からぬことなのかもしれない。 私は親なので、あやぽんを見て感じる羨ましさは 嫉妬や妬みの混じらない どちらかというと誇らしくさえある羨ましさだが 弟の立場では、そうも思えないだろう。 不運を嘆き、そこから生じる悪影響がさらなる不運を呼び・・・ とならぬよう、彼にも何かで自信を持ってもらいたい。
彼の良さに、早く彼が気付きますように。
しかし。 その前に、期末テストの真っ最中に 教科書もノートも持っていないというのはどうしたことだ。 「テストの結果が悪い」→「勉強が面白くない」→「勉強をしない」 という、『馬鹿スパイラル』に陥る前に ひとつでもいいから、得意な科目を見つけてもらいたい。
「そうだよねぇ、私みたいなのは珍しいよね。 できなくても、わからなくても、授業がイヤにならないんだもん」 とあやぽんは言う。 ここでも 性格というある種の「運の良さ」が発揮されているのかもしれない。
知らず知らずのうちに 自分が思っている以上に疲れていたらしく 今日は、家庭内暴力さながら、暴れてしまった。。。 こんなときは『怒り』『悲しみ』などの マイナス系スイッチが多くなっている。 しかし 自分で散らかしたものを拾って片付けるのは なんとも間抜けだ。
お酢のびんを割ってしまい 床暖房の上でお酢がみるみるうちに乾き べたべたした床から酸っぱい匂いが漂う。 床拭き数回をくり返し、掃除機をかけた。 情けない姿であった。
その後、デパスを飲んでいつの間にか床で寝ていた。 ベッドに行けばいいのに ビデオを観るのだ!と、観る心境でもないのに 未練たらしくテレビのあるリビングから離れなかった結果 床で朝を迎えた。
ビデオを観る心境じゃないときでも 「奥さまは魔女」だけは観る気になる。 あの番組は、やさしく温かい匂いがする。 同じ虚像なら、心休まるものがいい。
2003年12月03日(水) |
知られざる『世の中の常識』 |
某社団法人の集まりに行く。 定例会の他の、臨時の集まりだ。
代々の『お歴々対策』とも言うべき話し合いであった。 なにしろ、私が生まれる前からの歴史のあるところなので 数多くの方が、ボランティア精神と自己中を発揮して いろいろなことをおっしゃってくる。 他の人と相談しなければ、私一人で対応できるものではない。 私が相手にしなければならない方々は 私の『亡くなった』父よりも年上の方だったりもするのだ・・・。
今日の話し合いで、私の風避け的存在の方を選んで頂いたので 少し肩の荷が軽くなった気がする。 気のせいじゃないといいけど。
家に戻ると、ポストの中に もの凄い達筆で書かれたお手紙を発見。 同じく某社団法人繋がりの方(らしい。会ったことはない。)からだ。 う〜ん。。。こんなおつき合いもあるのかと、肩の荷増量。
あまりの達筆ぶりで、ひらがなとおぼしき字も読めず 判読は推測の域を出ない部分もあったが それによると、どうやらお礼状らしい。 お礼を言って頂くような出来事が確かにあった。(私個人にではなく) しかし、それ以上のことを、相手の方に私どもの方がして頂いている。 「こちらこそ」なのだ。 お礼状にお礼を書くのか?へんじゃないか? でも、知らん顔もできない。 何しろ、こちらはお花を差し上げたのに対し あちらは、多額の寄附を下さったのだから。
このような どこで線を引いたらいいのかわからない「お礼」の往ったり来たり いわゆる社交辞令の加減や適切な対応は 経験と年令と常識を備えていないと判断できない。 ・・・どうしたらいいのだ。
あやぽんに頼まれて、チケット予約の電話をかける。 入手困難なチケットで 受け付け開始時間には、電話が殺到することが予想された。
そんな電話をするのはイヤだった。 人と争って何かをする状況というのは、私にとって物凄く負担だし 真面目な小心者(最近のキーワード)は そんなものにも、真剣に取り組み過ぎ 「取れるかどうか、自信がない」と言い訳しておいても 『もし取れなかったらどうしよう』とか 『どんな方法が、より効果的なんだろうか』とか 本人以上に、あれこれ考えてしまうのだ。 でも 授業をさぼってでも、自分で電話しろとは言えないし。
紆余曲折、並々ならぬ努力の賜物、子を思う親心 などなどが働いて、幸運にもどうにかチケットの予約ができた。 繋がらない電話が、ふいに繋がった途端に慌ててしまい 変なことを言ったり、言いたいことが上手く伝えられなかったりと 私の予想以上に、もの凄いプレッシャーを感じていたらしい私に 「ごくろうさま」と言ってやりたい。
早速、あやぽんに「取れたよ」のメールを送る。 休み時間か、遅くてもお昼休みには 「ありがとう」のお返事メールが来るものと期待したが そんなメールは来なかった。 帰ってから「ありがとう」と言えば済むことだと思っているのだろう とは思ったが、なんだかガッカリした。
結局「感謝されたかった」んだ。
帰宅したあやぽんに、ことの顛末を事細かく話し 「私は真面目な小心者で 頼まれたらもの凄く一生懸命にやっちゃうんだから。。 ・・・もう、頼まないでよ。」 と言うと 「そうだね、今日のことでそう思ったよ」と言われた。
「支払いは、マスタードカードでお願いします」 と言ったお客さまがいた。 「『マスター』だろう」と言えれば、大して可笑しいことでもないが そのまま真面目に会話を続け 頭の中では『違う!マスタードじゃない』と言い続ける状態が たまらなく可笑しかった。少し、声が震えた。ばれたか?
昨夜、私の教えが水泡に帰したことを知らされ 『何を聞いていたのだ!!!』と、かずぴーに激怒する。 一日経って、申し訳ないと思い 仕事中に手紙を書いて、帰宅してからかずぴーの机の上に置いた。 それについての、彼からのコメントはない。 謝るぐらいなら、最初からするなよ。 謝れば済むと思うのか。 言われる方の身になって考えろよ。 と、数々の言葉で自分を責め うっかりすると、また元気になりそうな「怒りエネルギー」を静める。 他人事のあやぽんでさえ 「あの怒り方は尋常じゃないよ。怖いよ。」と言っていた。 それほど凄いらしい。
よくよく考えれば、怒ることなどないのだ。 怒るのは、自分の勝手な感情の産物で 言いたいことは、ふつうに話せばいい。 と、反省中の私は思っている。。
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