umityanの日記
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2013年08月31日(土) |
臆病者ほど自己顕示欲が強いか? |
いやああ、昨夜の雨風と雷はすごかった。久しぶりに怖さで興奮した。僕は部屋の電気を真っ暗にし、パソコンのスイッチを切って、窓の外の稲光を見ていた。「ピカッ」と光る度に指を折りながら音が鳴るまで数えた。こうすると雷雲までの距離がだいたい計算できる。「ピカッ・ドン」なら確実に雷が落ちたことになる。我が頭の上に落ちはしまいかと、僕は真っ暗な書斎の椅子に腰掛け、わなわなと震えていた。日頃はジャイアンという、あだなで風を切って歩いているが、実は根っからの弱虫で臆病者である。
こんな日は寝るに限ると、早めにベッドインした。耳元にはラジオのイヤホンを置き、時折スイッチを入れて娑婆の状況に聞き耳をたてた。ラジオに雑音が入ると、「稲光のせいだ」と則、スイッチオフに。まさか、僕の耳に雷が落ちることもなかろうが、念には念を入れ用心した次第である。
いつのまにか僕は船をこいでいたようだ。朝の4時頃だったか、にわかにサイレンが2回聞こえた。僕は飛び起きた。恐らく雨で川の水位が境界線を超えたので、川近くの人たちは警戒しなさいという合図だったのだろう。僕は則、闇の中に目をこらした。何事もない。雨も小降りで遠雷が聞こえるだけ。我が家の方面はどうも安全なようだ。やれやれだ。
もう一寝しようかと思ったが、そんな気にはなれなかった。階下に降りて窓のカーテンや廊下のカーテンを開けた。外はまだ真っ暗。もうすっかり雨も止み、風も収まっていた。冷蔵庫からペットボトルの蓋をあけ、ぐっと、のどに流し込んだ。旨い。
さああーーて、こんなに朝早くから何をしようかと思案した。そうそう、昨夜パソコンで見ていたホラー映画の続きを見ようと決定。雷鳴のため見るのを中断していたのだ。誰にも邪魔されずに鑑賞できる。「これに勝る幸せがあろうか?」と、変にほくそ笑む僕がいた。人が、そんな僕の姿を見たら、「ホラー映画より、あんたの方が怖い」と、逃げ出すだろう。
うっすらと夜が明けてきた。ホラー映画を早朝から見ると、なんだか、しらじらしく思えた。やはりホラー映画は夜中に見るのが臨場感があって怖さも倍増だ。ただし、雷の恐怖に比べればホラー映画の恐怖なんて比較にならない。
雷の恐怖で思い出したが、先日の野球観戦の時、僕の席の前に一人の未亡人風女性が座っていた。雷を怖がっている様子だったので、席の後ろから僕は彼女の肩をポンポンと叩きながら言ったことよ。「ねえーーー、怖かったらいつでも僕の胸の中に飛び込んできていいよ」って。彼女はにこっと、ほほえんだ。それを見ていた、のび太君が、笑いながら「あんたの方がよっぽど怖いよ」と茶化す始末。まあーーいいか。この僕も自己顕示欲だけは人一倍強いようだ。
いよいよ八月の喧噪ともおさらばだ。よかった。よかった。もう既に蝉の鳴き声はない。いつの間にか、いなくなった感じだ。蝉君も今年の猛暑は過ごしにくかっただろう。鳴き声がいつもより弱かったぜ。「ごめん」と僕が謝っても仕方がないが、僕たち人間だって同じだ。
娑婆世界は未だに、訳の分からない異常気象に悩まされている。日本列島は縦横無尽に痛めつけられた。ニュースによると、未曾有の大雨が降ったところと、雨が降らず水不足に悩まされている地もあるようだ。当地は今のところ、ほとんど災害もなかったが、被災された地の方々に、心よりお見舞いを言いたい。
されど、今日のニュースでは、台風が近づいている由。九州上陸の兆しもある。竜巻も発生しそうな気配である。「来たらば来たれ、迎え撃ってやる」と気負っても、自然の驚異には人間の力なんて到底及ばない。ただひたすら安全な場所へ避難するしか手立てはないか。
原始時代を生きた人達は、自然の驚異は神の怒りだと考え、地にひれ伏した。祈祷やら貢ぎ物を捧げて、神の怒りを静めようとした。シャマニズムはその類いだろう。今や我々も原始の時代を見習ったが良いのではないか?。
今は宇宙の時代だ。そこで、「宇宙の絶対神よ、地球の危機を救い給え。あなたのご指示に従います」と祈願すると、「愚かな人間達よ。文明の利器を捨てなさい。知恵を持って原始の時代を模倣しながら生きなさい。さすれば、地球環境は改善されるであろう。早ければ早いほど良い」と、神がつぶやく。「ははあーーーつ」と我々は地にひれ伏す。
いやああ、まさにそうかもしれない。今の人間の知恵をもってすれば、原始の時代だって有意義に過ごせるだろう。田畑を耕し、自給自足をしながら自然と共に生きる。天災がやって来たら洞穴に隠れる。これが一番安全だ。
もう少し科学が進展すれば、宇宙の解明だって出来るだろう。137億年前に宇宙は誕生した。なんでもビッグバンという大爆発によって、微粒子が空間に広がり、いろんな結合をして、物質や塵やらが生まれた。その物質が集まって地球も45億年前に誕生したと言われている。
じゃあーー、なぜ、ビッグバンは起こったのか?。誰が仕組んだのか?。ビッグバンの前には何があったのか?。これは誰も知らない。ある科学者が言っていたが、「サムシング・グレート」。何か偉大なもの。これこそ、まさに宇宙の絶対神。神であろう。
僕は時々思うが、知的生命体は、この宇宙のどこにも存在しないのではないかと。地球だけだと。なんとなれば、これも神が仕組んだこと。神は地球に生命体を生じさせ、その生き様を観察しているのだ。他の星に生命体を生じさせていいものかどうか?を観察しているのだ。
やがて、神も結論をだすだろう。「地球を生命の星としたことは、大きな間違いだった。生命体が生きて行くには、そろそろ限界に近づいている。地球共々、生命体を消滅させようか」と、考えているに違いない。その兆候は既に始まっている。まだ、人類はそのことに気が付いていない。
あな、恐ろしである。最近、そんな夢を見る。僕の真夏最後の夢である。くれぐれも正夢とならないことを願うだけだ。
先週の土曜日は、珍しく当地へやって来た早慶戦の野球を観戦した。我が家から歩いて10分足らずの所に球場がある。のび太君が入場券を4枚買っていた。ただで良いから一緒に行こうとの誘いを受けたわけである。ネズミ男君と、スネ夫君に声を掛けると一発返事でオッケー。もう一人、僕たちも知己の、のび太君の友人が参加するらしい。総勢5名での観戦である。
雨が降ったりやんだりの空模様。「これじゃあーー、あばかんで−」と僕ジャイアンが言うと、のび太君が、「少々の雨でもやるさあーー。中止になると入場券の払い戻しをしなくちゃならないからね」と言う。なるほど、そうかあーー。納得。
我が家の駐車場へめいめい車を置いて、緑に囲まれた公園内にある球場を目指して、裏道をテクテク歩いて向かった。黒雲が頭の上を通過していく。時折雷鳴が。わおーーーーつ、怖いぜ。僕たちは、それぞれに傘を持参していた。
実のところ、プロ野球は観戦したことがあるが、早慶戦は初めてだった。午後4時から何かのイベントがあり、試合開始は午後5時半である。球場に着くなり、雨がグランドをたたきつけた。時は午後4時半。せっせとグランドの整備が行われている。雨の間隙をぬって、ライト側、レフト側の応援席から、応援合戦が行われる。チアガールの人達が太鼓やブラスバンドの音に合わせて踊る。いやああ、なかなか見応えがある。応援団長のかけ声もいい。
僕たちはライト側(早稲田陣営)の内野席に陣取った。施されている屋根の先端が丁度我々の席の真上。と言うことは、横雨なら完全にぬれる。まあ、これは仕方がない。雨が打ち込まないことを願うだけだ。
のび太君は、チアガールの一挙一動に目をこらしていた。それは僕らとて同じだ。「見て見て、早稲田側のチアガールは足を高く上げないよ。慶応側のガールは足を高く上げるているよ」とのび太君が言う。「そうかなあーーー、分かんなあーーーい」とネズミ男君が言う。紳士もどき、ジャイアンは言ったことよ。「あんたたち、どこを見てんよ。不謹慎だぜ」と。そう言う僕も目を大きく開けて観察だ。スネ夫君だけはじーーーつと、黙々と観察している由。すねているのかなあーーー?。
案の定、雨粒が落ち始めた。地ならししたグランドが台無しだ。雨が小降りになって黒雲が去って行く。再び、グランドの整備が行われ、我々はその様子を眺めたり、応援合戦に興じたりしていた。「相手チームをたたきつぶせ」という応援もあるが、敵チームに「頑張って」と、双方がエールを送る場面もある。これはいいと思った。さすがに早慶戦、伝統の一戦だ。
1時間遅れで、午後の6時半に試合開始。スポンサーの挨拶が有り、始球式があり、いよいよ試合開始。雨はすっかりやんだ。ライトが点灯された。選手達は元気な姿でグランドへ散っていった。1回の表裏が終わる頃、のび太君の友人が、急用で、この場を去らねばならなくなった。僕達もすっかり雨に打たれていたので、ここで退散することにした。得点は今のところ、慶応がリード。明日の朝刊を見れば結果は分かる。
球場を後にして、「じゃーーー飲みに行くか?」と言うことで話しがまとまったが、ネズミ男君は車で来ていた。帰りの代行車の料金が高いので、珍しく飲み会には参加しなかった。のび太君と僕ジャイアン、そしてスネ夫君の三人で、小料理屋の暖簾をくぐった次第である。
とにもかくも、悪天候ながら早慶戦はすばらしかった。新聞によると雨ながら8000人の入場者があったらしい。結果は早稲田の勝ち。まあ、勝敗は、時の運だ。ただただ、お互いのチームの健闘をたたえたい。
2013年08月22日(木) |
秋に向かって走ろう。 |
じわじわと秋の気配を感じる。良い傾向だ。盆が終わり、僕はたまった机上の仕事を連日、こなしている。やっと、めどが立った。やれやれだ。夜のネオン街が僕を呼んでいるが、とんとご無沙汰だ。
とは言いつつも、一週間前に、ネズミ男君、風来坊のタカ君と三人で小料理屋「梓」の暖簾をくぐったっけ。相変わらず「ひろこママ」さんは元気だった。「あら、いらっしゃい」と、にこにこ顔で迎えてくれたこと常のごとし。
僕は言ってやった。「実はねえー、僕も、ネズミ男君も、お盆には三途の川を渡りかけたが、途中で引きかえしたよ。ひろこさんの呼び戻す声が聞こえたんでね」と言うと、「あつはっははー。嬉しいわ」と笑いながらビールを注いでくれた。「ご苦労様」とサービスの一品でもあるかな?と思ったが、それはなかった。その後は、タカ君女房の兄たちが土産に持ってきてくれた紹興酒(10年物)を持ち込んでいたので、その栓を抜いて皆で味わった。いやああ、これは旨かった。「やはり年数だぜ」とはネズミ男君の弁。
2時間ばかりいて、酔い冷ましのため、ソフィアローレン風ママ(同郷の画家)がいるスナックへ足を運び、カラオケを興じることにした。なんでも、最近はゾロ目賞景品の品質アップ、さらには増量したとのことで、僕らの気勢が上がったことは言うまでもない。なかでも、ネズミ男君の張り切り様は人一倍だ。昔、何度か、ゾロ目賞の美酒を飲んだので、その味を覚えているのだろう。だが、しかし、ばっと、いつも柳の下にドジョウはいない。
こう書くと結論は自ずと知れている。ゾロ目賞を獲得したのは、な、な、なんとこの僕、ジャイアンである。点数は66点。曲目は、春でもないのに、「春なのに」。柏原芳恵さんの歌。僕はボタンを一つ、空に向かって投げる振りをした。と、その時、腕時計の前に装着していたブレスレットが左腕から抜け出て、カウンターの中に飛び込んでしまった。皆、驚いた。じぇじぇじぇーである。
ところで、採点は?。実は65点のところで点数が止まりそうだったが、最後にぽんと1点上がった。「いえーーーい」と僕は大はしゃぎ。しかるに、ママの言葉が憎らしい。「あんた、かわいそうだと思って、機械が同情したのよ」だって。うんんん、不愉快だーー。だが、さもありなん。まあ、それはどうでもよいが、Tシャツをゲット。タカ君の兄たちへの土産が出来た。
その後は皆、泣かず飛ばずだ。ネズミ男君は点数がいいところまで行くんだが、1点オーバーしたり届かなかったり。次第に勢いも失せて、口数も湿りがち。かたや、タカ君は最高得点は出すものの、ゾロ目にはいたらず。そんな案配で、気を良くしたのは、この僕、ジャイアンだけ。
たまにはそんな日があっていいだろう。さあ、秋に向かって走ろう。
僕の夏が終わった。猛暑よ、どんどんやって来たまえ。もう、僕の心は君にない。心はすでに数ヶ月後に迫った正月に飛んでいるからだ。別に正月が好きというわけでもないが、一年を反省し新たに出発する原点がそこにある。おっと、今年を反省するには、ちと早いか?。そこに至るまでには、まだ、いくつかの行事がある。
2〜3、列挙すれば、まずは友人、のび太君の個展。なんでも、市立図書館で九月中旬ごろ、写真と絵を展示するらしい。「ジャイアンの好きそうな絵もあるから見に来て」という。「えええつ、どんな絵?」と思ったら、フェイスブックに2枚ほど投稿されていた。その1枚は、物憂げな目をした西洋風の女性が、片方のおっぱいを出して、たたずんでいる絵だった。いやあーーー、じつに美しくて、おいしそうなおっぱいである。僕が嫌いなわけがない。まさか、彼がこんな絵を描くのかと驚きだ。じぇじぇじぇーである。当地の方言で言えば「バイイーーーーー」って表現になるか?。他の作品もみてみたいという衝動に駆られている。
次に、またまた11月に故郷で同窓会がある。今度はクラス会ではなく、同級生全員での会である。恐らく100名以上は来るだろう。僕達の同級生は、よくよく集まるのが好きなようだ。考えてみれば、当時の同級生は600名。11クラスまであった。知らない人も多いが、皆、同郷である。当時を語り尽くしても語り尽くせない話しが山とあるだろう。つい先日は、クラス会に出席したが、今回も何事もなければ出席しようと思っている。母にも会うことが出来るし一石二鳥だ。
おっと、大事な行事を忘れていた。これも11月の後半になるか?、とっちゃん坊や達5人衆の旅が待っている。今年初めにタイランドへ行ったばかりだが、紳士のび太君が、「次はどこ?どこ?」と責め立てる。「のび太ちゃんよ、マロニーちゃん、どこ?どこ?じゃないんだから、そんなに責め立てないでよ」と、どらえもん君が、その都度つぶやいている。どらえもん君と言えば、タイランドでは象に乗らなかった。図体がでかいので、「怖いゾウ」と言うことか?。笑ったぜ。
他にもいくつか、こなさなくてはならない行事と仕事があるが、時がそれを消化してくれるだろう。12月になれば、恒例の忘年会がいくつかある。飲み過ぎて反省。又飲んでは反省。今年も反省することばかりの年になりそうだ。良いことでの反省ならまだしも、好ましくないことばかりの反省が多すぎる。そのことも反省しなくちゃなるまいて。
2013年08月12日(月) |
この猛暑と大雨はもうごめんだ。 |
未だかって経験したことがないこの猛暑と大雨。「一体、地球はどうなってんの?」と言いたい。この猛暑の原因は高気圧の強い勢力によるもの。又、日本列島を通過する湿った雨雲が大雨をもたらしているという。本当にそれだけの原因なのか?。現象は確かにそうかも知れないが、その背景にあるものは何だ?。あまり大声で叫ばれていないが、「地球環境に異変あり」という事ではないのか?。大震災を機に、日本列島は今や、がたがたの状態だ。立て直しが効くのやら、定かではない。
もうしばらくすると、「全国民の皆さん、この猛暑と大雨を防ぐ方法はありません。安全な場所は山でも海でもありません。高まった平地にある頑強な建物の中に避難してください。外へ出ないでください」と、アナウンスがあるかも知れない。まさに監禁状態だ。人間はなす術がない。こうならないことを切に願いたい。
一方、経済社会に目を向けると、国の借金が1000兆円を超したと報道された。1000兆円ねえ・・・・。目がくらむどころか、目が飛び出しそうな額だ。借金は返さねばならない。これだけの額を国は返せるのか?。いや、待てよ。返すのは国ではない。国民だ。何世代にもわたって、国民が税金で返していくわけだ。これも気の遠くなるような話し。
随分前の話だが、武田鉄矢さんが、母との会話の中で、「給食費を払わんばいかん。ちょうだい」と母にいうと、「心配せんでええ。国(学校)は倒産せんたい」と母が言ったそうな。いやあ、ごもっとも。ぼくも昔はそう思っていた。今は果たしてどうなのか?。
思うに、豊かさのつけが、借金という形でかえってきたわけだ。いったん、豊かさの味を覚えると、昔の貧乏には戻れない。人間の脳には、「豊かさの源は経済発展である」と、刻み込まれている。確かにその面はある。ただ、1000兆円も借金してまで、今の豊かさが必要なんだろうか?。これには賛否両論があるだろう。
だが、「赤信号、皆で渡れば怖くない。借金、皆で払えば怖くない」と、単純に言える問題ではない。ギリシアの経済が破綻したように、日本の経済だって、いつ破綻するかもしれない。経済が破綻すれば国は呈をなさなくなる。日本国消滅だ。
友人が言っていたが、日本国を5つの国に分割して、それぞれが独立国家となる。北海道国。本州国。四国国。九州国。沖縄国。これは画期的な施策だ。面白いだろう。それぞれの国は新しい憲法を作って、生活を始める。恐らく、今のような生活は出来まい。再び、貧乏性格に舞い戻るかも知れない。それでも、借金がなければ、幸せと思う人も多いのではないか。
まあ、何はともあれ、早く健全な日本国の再建が必要だ。その前に環境汚染を何とかせねば。この猛暑と大雨は、更に地震、台風はもうごめんだ。
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