umityanの日記
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海・・・・七月になると「海」を思い出す。いわずもがな、海水浴のことが頭をもたげるからである。確か「へこ」とか言ったかなあーー?。女性が身につけるTバックみたいな物で、小さな「おちんちん」を隠し、堂々と町中を裸で、海水浴場まで歩いたものだ。とがめる人は誰もいない。なんとなれば、田舎であり、海水浴場まで近くもあり、子供の心にわいせつ性等が全くないからだ。「かわいいい坊や」と思われたか、「ガキ大将」と思われたかのどちらかだろう。
「海は広いな、大きいなーー、海に小舟を浮かべて、行ってみたい、よその国ーーーー」。昔、こんな唱歌があったっけ。確かに海は広くて偉大だった。僕たちガキ大将はそんな海が大好きで、子供心に畏敬の念を抱いていたように思う。めいめいが水中めがねを持っていた。海の中へ潜り、海底を探索するのが特に好きだった。面白い石ころや貝殻があると、それを拾い、友に見せびらかしたものだ。まさに、海は僕らと一体だった。
時々、白い二本の大根があちこち海中にただよっていた。なにかと思えば、浮き袋にしがみついた女の子達の足が海中で見えたわけだ。さすがに、いたずらする気にはならなかったが、おいしそうに思えた。そう言えば、かなり深く潜って、息が続かなくなり、急浮上したおり、頭が何かにぶつかった。なんと、同級生の女の子のお腹に頭をぶつけたわけだ。「ごめん、ごめん」と誤り、何事もなかったように、照れながらその場を離れた。
時が流れた。思えばもう、何十年も海で泳いでない。今や、娑婆世界の雑踏の中を泳ぐのが精一杯。物心がつき、以来、娑婆世界の中で、酒の海におぼれ、焼酎の海におぼれつつある。とは言え、根っからのアルコール好きというわけでもない。ただひたすら、雰囲気で飲む方だ。これが良くないのだろう。雰囲気の波にのまれて、つい羽目を外してしまう。「ごめん、ごめん」で事なきを得れば良いのだが、つい、売り言葉、買い言葉で、エスカレートしてしまう。小波が来ると、大波で返し、大波が来るとさらなる大波で返す。かくして、「はい、勘当よ」と言うことなる。「勘当か?。大いに結構。感動しましたよ」と言って、先日、小料理屋の暖簾を後にした。
翌日、小料理屋のママさんからメールがあった。本人も随分酔っていたとのこと。丁重な謝りと、懲りずにまた来てくださいとの内容だった。僕はすかさず返信のメールを送った。もちろん、謝りの言葉を述べ、しばらく謹慎、自重する旨を伝えた。翌日またメールが届き、謹慎が終わったら、いつでも来てください。待っています、とあった。僕は「年内はいくものか」と胸に言い聞かせた。
ああああつ・・・・、いかんせん。時はこんな誓いを、いとも簡単に流し去ってしまう。一週間で僕の誓いは海へ流された。僕は元気よく、小料理屋の暖簾をくぐった。れいのごとく、おどけた調子で、笑うセールスマン調のハットを止まり木へ掛け、「にっこり」笑うと、相手もにっこりと笑い返してきた。あの、一週間前の出来事は「真夏の夜の夢」だったのか?。何事もなく、淡々と時が流れていった。もちろん、互いに謝りの言葉を述べあったことは言うまでもない。「鰯のさしみができるのよ」とママが言う。鰯かあ、ーーーー、核酸が大量に含まれていて、健康にもいいんだよなあーーー。そんなことを思いながら、「はい、いただきます」と言って食したが、いやはや、これが実に美味かった。
かくして、相手の暖簾か、僕の暖簾か分からないが、暖簾が海に流されることもなく、入り口扉につるされている姿を今後も見ることになるだろう。海の話しが陸の海へとかわり、はたまた、僕のニックネームも「うみちゃん」。海三昧だ。僕はやはり、海に縁があるのだろう。「海の日」も間近だ。海・・・・・万歳。僕は陸の梅から、海に思いを馳せることにしよう。
2008年07月14日(月) |
嬉しかったこと三点。悲しかったこと一点。 |
最近の僕の近況を書いておこう。嬉しかったことが三点。悲しかったことが1点。まずは嬉しかったことから書こう。待ちに待った月下美人が花を咲かせた。一個のみである。茎が頑丈なら、年に二回は咲くことがあるそうな。昨年も二回咲いた。今年も。それを期待している。なんと言っても、月下美人は純白のドレスをまとった花嫁と言っても過言ではない。あまりの美しさに僕は「ぼーーーーつ」と眺めるのみ。
嬉しかったことの第二点は、これも花である。朝顔が、かれんな 花を咲かせていることだ。格子戸にツルをのばして、赤、ピンク、紫の花を咲か玄関横を彩っている。月下美人は一夜にしてしぼんでしまうが、朝顔は当分、僕の心をいやしてくれるだろう。
第三点は、久しぶりに弟(仕事仲間)と、異業種交流会へ参加して、のんべーの知人達と再会できたことだ。以前は亡くなったボスとよく同伴していたが、ボスの亡き後は、ほとんど出席していなかった。ボスの指定席は今や他人が座っている。一抹の寂しさを覚えたが、時の流は人を待たない。仕方がないことだ。僕は中ジョッキ腕ビールを4杯も飲んだ。ボスへの供養だ。すつかり酩酊。
悲しかったこと。うんんんん・・・、これはあまりにも悲しくて書けないか?、というと、そうでもないか。まさに、僕の不徳の致すところだ。 何かと言えば、行きつけの小料理屋のママさんに、感動・・・ではない。勘当されてしまった。出入り禁止だ。振り返ればここ二十年間に、4回くらい勘当されたことになるか。親しき仲にも礼儀ありと言うが、その礼儀を超えて、僕の口が滑ってしまったのだろう。「口は災いの元」と言うがまさにしかり。純粋のみではこの世を渡ってはいけないのか?。ふと、そんなことを思った僕の失態だった。これ以上の言及はやめよう。
いずれにせよ、当分は謹慎して、お天道様と共に日々を過ごしていこうと思っっている。まだ、今年を反省するには早いが、遅きに失するよりはましだろう。
2008年07月08日(火) |
月下美人が鎌首をもたげた。 |
今日もつつがなく一日が過ぎようとしている。と言ってもまだ午後4時過ぎだ。一応、一仕事を終えた。外はムンムンと蒸し暑い。昨年と同様、今年も嫌いな夏がやってくる。何しろ、僕はよく汗をかく。汗が濃いやつは色濃いとよく言われるが、当たらずといえども遠からずだ。
今オレンジジュースに氷を入れて、のどを潤しながらこの備忘録をしたためている。しばらくしたら、植物にえさをやろう。朝、一度やったが、この炎天下。植物たちも、新たなえさを欲しているだろう。
朝顔も、どんどんツルを伸ばして、雨樋やら屋根まで登ろうとしている。屋根の上で花が咲くのも又面白いかもしれない。そうそう、葉っぱ一枚から育てた月下美人が今年もつぼみをつけた。今、鎌首をもたげている。開花の準備中だ。夜に咲き、朝にはしぼむ。はかないものだ。シャッターチャンスを逃さないように注意深く観察したい。
月下美人は、まさに美しい女性の代名詞。「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」と、誰かが言った。人間でも本当に美しい人はそうなのかもしれない。一瞬の輝きの中に、その人の人生が刻まれる。残念ながらまだ出会ったことはないが・・・。それほど、僕にとっては貴重な花なのだ。花がしぼんだら、天ぷらにして食したら美味いと、何かの本に書いてあった。どうして、そんなことが出来よう。ただただ、僕を裏切らずに咲いてくれる君に感謝するのみだ。
ところで、最近、色んな人の日記や詩などを読んでいて、気がついたことがある。世の中には変わった人がいるんだなあーーーということだ。そりゃあーーー、一億数千万の人がいれば、確かに変わった人もいるだろう。ふと、そう言う人の日記や詩に触れると、衝撃を受ける。どういう人なのかと知りたくもなる。相手が女性だったら、まさか、月下美人みたいな人ではないか?と、思わず想像してしまう。もちろん、はかない命であって欲しくはない。ただただ、その人の感性に驚嘆するばかりだ。
「一目会ったその日から、恋いの虜になりました。何とかで何とか」というテレビ番組が昔あったが、色濃く、ほれっぽい僕には毒だぜ。
おっと、浮いたことばかり考えていては時間の浪費だ。花たちが呼んでいる。そろそろ食事を与えよう。
今日、梅雨が明けたらしいと新聞で見た。嬉しくもあり、嬉しくもなし。嬉しいことと言えば、大雨の心配がややなくなり、災害も減るだろう。嬉しくないことと言えば、また、あの灼熱の夏がやってくることだ。温暖化の勢いは留まることを知らない。「オー・マイ・ゴッド!!」
我々の地球はどうなってしまうのだろう?。豊かさが生み出した温暖化。昔の貧しい時代に戻れば温暖化も防げるだろう。だが、悲しいかな。一度味わった豊かさを昔に戻すことは、人間、不得手である。その心配はないか?。このまま行けば、遅かれ早かれ、地球崩壊は目に見えている。
まもなく、洞爺湖サミットが開かれる。先進諸国の首脳が集い、世界問題について話し合うわけだ。石油問題、食糧問題、環境問題等、いずれもゆゆしい問題ばかり。いずれの国も自国のみを有利に導くべく方策に奔走する。これじゃあーーー、地球環境は良くならないだろう。議長国たる日本の役割は重大だ。少なくとも、前進した妥協点で合意できれば良いのだが・・・。手遅れにならないうちに。
昨夜は、深夜をいとわず、オンラインシアターを見た。「コンタクト」というタイトル。人間の永遠の課題とも言える宇宙人とのコンタクトに奔走する科学者の姿を描いたものである。その根本とするテーマは「我々は一体何ものなのか?。我々は なぜ ここにいるのか?」と言うことである。
村上和雄という先生が著書に書かれていた言葉思い出した。「Something Great 偉大なる何か」。そうなんだよなあーーー。宇宙のあらゆるものは、まさにこの偉大なる何かに導かれているのかもしれない。
映画の中で語られた言葉が面白い。「広い宇宙にだれもいなかったらさびしいじゃん」。同感だ。だから宇宙人探しをするわけだ。ただ、色んな問題もはらんでいるようだ。まず、ほとんど、可能性が薄いと言われている宇宙人探しにも莫大な資金が必要だ。また、万が一知的生命体が見つかったとしても、善か悪かが分からない。さらに、宗教的問題もある。神が否定されるやも知れない。これに、政治が関与すると、ますますややこしくなる。
僕は小さい頃から、宇宙のことを考えることが好きだった。そのことは今でも変わらない。僕の愚かな頭が考えていたこと(今も考えているが)はこうだ。こんなに宇宙に夢を馳せているんだから、それを理解した宇宙人がきっと僕を迎えに来るはずだと。そう思い続けて云十年。未だにその夢は実現せず。あり得ないこととは知りつつ、死ぬまでその思いは変わらないだろう。
真夏の夜の夢を語る仁は、まだ時期尚早か?。いずれにせよ、今世紀中に僕は「偉大なる何か」に導かれて宇宙に帰って行くことだけは確かだ。
2008年07月04日(金) |
ここ数日は乱れの日々だった。 |
7月になった。梅雨明けも間近と聞く。再び、あの灼熱の夏がやってくるかと思うと、既にうんざりの感がある。ただ、何となく思うのだが、去年と違い、今年は気温が穏やかな気がしている。去年の今頃、どんな日記を書いていたのか、ひもとけば状況も分かる。何故かそれをしたくない。よくもまあ、歯の浮くような事を、ぬけぬけと書いている自分と遭遇することに、気が引けるのだ。
過去は過去。前だけを向いて行こう。ここ数日、仕事と夜遊びを交互に繰り返してきた。今一つ調子があがらない。そん中、熱中したことが一つある。韓国の大河歴史ドラマを見ることだ。仕事を放り、見あさった。権謀術数渦巻く戦乱の中。そこに生きる主人公や取り巻く諸々の人たちの生き様に、いたく感動を覚えた。ひらひらと舞うロングドレスに身を包んだアガシー(お嬢さん・娘さん)達の美しいこと。PC出見る世界は僕一人の世界。誰にも邪魔されないから、涙だって平気で流せる。そんな世界に数日はまった。
そうそう、昨夜はのび太君(仕事仲間で弟みたいな男)の誘いで、クライマーズ・ハイの試写会に行った。彼がペア券を一枚、もらっていた。男二人ずれとは情けないが、仕方がないと笑ったことだ。映画館で見る映画は久しく新鮮さを感じた。さすがに会場は女性客が目立った。入場する際に、記念品が手渡された。中を確認すると、ティッシュ、ボールペン、メモ帳、アンケート用紙、パンフレットが入っていた。物をもらうのも悪くはない。ただし、いつも記念品が家までたどり着くことはほとんど無い。どこか立ち寄った先へのプレゼントと化すからだ。
席は全席指定で前の方だった。広い画面を見るのに、首をあげなければならない。「こりゃーーーちと、きついぜ」と思ったが、その心配は無かった。と言うのも、開宴1時間後には見事に首をうなだれて、船をこいでいたからだ。 いびきを警戒したのか、のび太君が「でるか」と、僕の袖に触れた。僕は「はっ」と我にかえり、素直に彼の言に従った。
中途半端な映画鑑賞となったが、金を払わずに見る映画等には、さすがに真剣になれない。良しにつけ、悪しきにつけ、のび太君にも、僕にもどうもその傾向があるようだ。又いつか見ることもあるだろう。後悔もなしだ。
映画館を抜け出した僕たちは、自然とネオン街へと足が向かった。のび太君の遠縁が営んでいる焼鳥屋で、腹ごしらえをした。その後、数件、はしごをしたようだ。家にたどり着いたのは、午前0時をとっくに回っていた。例外に洩れず、手ぶらの帰還と相成った。どこへ、記念品を渡したのか定かでない。
かくして、今日は午前中、気分がすぐれず。仕事も手に付かず。情けない日となった。反省、反省で、「もう、飲むのは止めよう」と思うが、「のど元過ぎれば熱さも忘る」で、先のことは分からない。
昨日が終わり既に今日は0時を過ぎ1時になりつつある。朝寝が睡魔を遠ざけている。早くこの悪循環を断ち切ろう。そう、心に決めて、コのペンを置こう。
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