umityanの日記
DiaryINDEXpastwill


2008年01月31日(木) 日々をひょうひょうと生きる。

一月も今日まで。僕はやっと、深い眠りから覚めた。楽しくもあり、悲しくもあった。激しくもあり、穏やかでもあった。そんな日々を過ごしながら昨年が終わった。人生・・・人が生きるとはそんな生活の繰り返しに違いない。

さて、今年はどんな年になるのだろう?。見回せば、暗い世相に充ち満ちた、今日この頃。明るい話題がとんと少ない。環境は悪化の傾向を辿り、人心の荒廃も顕著だ。数少ない子供達が事故に巻き込まれ、貴い命が犠牲になっている。ゆゆしいことだ。

暗い話しは止めにしよう。僕の今年のスタンスは、「日々をひょうひょう」と過ごすことだ。これがなかなか出来ないんだよなあーー。人間関係のしがらみが、ずしんと肩にのしかかり、荷は下りることがない。無人島にでも行って、一人で暮らそうかと思っても、三日も持たないだろう。そそくさと島を逃げ出すだろう。しがらみはあっても、やはり、人がいるところがいいと思うに違いない。

要するに人間はわがままなのだ。思い通りにならないと苛立ち、思う通りになると、さらなる欲を求めていく。分かったようで分からないのが人間の心。永遠に不可思議なるかな人間。てな訳で、僕は、「ひょうひょうと生きる」事を、念頭に置き、そう生きたいと願っている。

今年は「とつちゃん坊や達の旅」、第二弾が計画されている。正月早々、スネ夫君がパンフレットを持ってきた。五人のメンバーに声をかけ、さらなる同士を募っているとのこと。広い世界を知るのも良い。健康で生きていればこその冒険である。色んな人たちと遭遇し、笑いと涙で知己を温めあう。そんな中で知るだろう。「ひょうひょうと生きる」とはどういう事なのかを。

僕のあらたなる旅は今日からスタートだ。


2008年01月03日(木) 僕らの旅エピローグ。

僕の旅日記もとうとう越年してしまった。いよいよ、今日がエピローグとなる。僕はキングサイズのベッドをころころと転がりながら、寝心地の良い場所を探した。悲しい宿命なのか?。やはり、ベッドの隅っこが一番安住の場所のようだ。テレビを見ることもなく、すやすやと寝むりに落ちたようだ。

朝5時に目が覚めた。うっすらと明けゆく外の風景を眺めた。田舎では見ることのないビルの群れが、天に向かってそびえたっていた。まだ人影もまばらだ。異境の地とも今日でお別れかと思うと、一抹の寂しさを覚えた。荷物の整理やら出立の準備をした。6時にのび太君の扉をノックした。彼も目覚めている様子。7時にホテルを出る旨を告げた。

無事にチェックアウトをして、最寄りの駅へ向かった。今までと違う駅で、勝手が分からない。、僕はすかさず、ブロンドヘアーの若い女性へ乗り場のホームを聞いた。方角を指さしながら、「エクスキューズ・ミ。エアポート・ディスウエイ・オッケー?」と聞くと、「イエス」と返答があり、終点の一つ前の駅で降りれば良いと教えてくれた。僕たちは「ありがとう」と言って、程なくやってきた電車に乗り込んだ。彼女は僕たちの姿が見える位置に腰掛けて、降りミスがないに気を配ってくいるようだった。多分オフィスレディーの人だろう。きれいな人だった。僕達より一つ前の駅で、「ネクスト」と言って、にっこり笑い降りていった。

いつも思うことだが、こんなちょっとした親切・心配りがどんなに人の心を嬉しくさせてくれるかと。「お友だちになりたい」と思えど、既に遅し。人生とはすれ違いの連続だ。多少の縁はあっても、継続はかなわじ。ふと、「あのとき、一便遅らせて、彼女の後を追ったとしたら、恋いの花が咲いたかも知れない?」と思った。それはまさに絵に描いた餅。あんぽんたん、おめでたい人的発想だ。僕は何でも自分本位に解釈する癖があり、それが長所でもあり短所でもある。

見事、迷うこともなく、エアポートへ降り立った。のび太君と僕は荷物をガタゴトガタゴトと引きずりながら、空港カウンターを探した。来るときはエコノミー席で10時間。帰りは12時間かかるという。もう、エコノミー席はこりごりと、ビジネスクラスへの変更を申し出た。な・なんと、追加料金で一人30万円かかるという。そうだよなああーーー。僕たちの航空券は格安航空券だし。あきらめたところ、カウンター女性が、一万円ちょっと出すと、前後の間隔がちょっと広い席へ替われるという。のび太君も賛成だ。これで、少しは楽になるだろう。

搭乗まで2時間近くあった。僕たちは朝食をとるべく、レストランを探した。日本食がある店があった。当地で食べる最後の食事だ。僕は至ってシンプルな卵うどん。のび太君は天ぷらうどんを注文。美味しかった。早めに免税店へ行こうと、僕たちはまず、荷物検査を受けた。なななんと、ここでは履いている靴まで脱がされた。これにはびっくり。ジーパンは脱がなくて良かったから幸いだ。事もなく通過だ。搭乗ロビーまでの両サイトに多々の免税店がある。特に土産を買っていなかったので、ここで買うことにした。「おやっ」と眺めると、「土佐の高知ならぬコーチの店が」あった。ブランドには縁遠い僕だが、のび太君も買っていることだ。僕もここで奮発し、一品、多目的バッグを購入。残りのドルとカードで支払った。後は定番のチョコレートを大量に購入。これで万事オッケー。

定刻通りに機内へ乗り込む。3列・4列・3列での横10列。真ん中の4列の席だった。確かに前後の間隔がちょっと広かった。これなら、僕の短い足でも楽に伸ばせた。なんとか我慢できそうだ。後は、機が無事に日本へ到着することを願うのみだ。例によって、数回食事が運ばれた。そのときは目をぱっちり。後は浅い眠りに終始した。ふと、時計を見やると、翌日の午後3時を回っている。機内放送でやがて、機が着陸するという。着くのだ。なだらかに、機が滑走路を滑った。僕たちの長いようで短かった旅が終わる。アシスタントパーサーの人たちに微笑みながら、僕たちは安堵の表情で機を降りた。日本の空はどんよりとしていて、空気が重い。同じ空でもこんなに違うんだと、改めて、旅先での空の青さを思い出した。

感慨に浸っている場合ではない。僕たちは国内線へ乗り継ぎ、故郷の飛行場へ向かった。もう、周りは日本人ばかり。一夜にして大陸を飛び越えた。この不思議さに驚く。一時間ばかりで機は到着。のび太君はレンタルの携帯電話で即、家へ連絡。帰還の旨を告げたようだ。僕の携帯は?。残念ながら電池切れ。のび太君より借用し家へコールしたが、誰も出てこない。一体、どうなっているんだあーーーー?。空港バスにのり、無事に我が家へ帰還した。時はすでに午後9時を回っていた。久しぶりにみる我が家は、何の変化もない。冷たくよどんだ僕の書斎が待っていた。山のようにこずまれた書類に、僕の頭は現実に戻る。「あああつ、いやだなあーーー」という思いが頭を走る。又、何の変わりもない現実が始まるのだ。

僕らの旅は終わった。スネ夫君、ネズ君、ドラえもん君は一日遅れで帰ってくる。帰ったら、旅の反省会をすることになっている。旅慣れた人たちにとって外国は、さほど珍しくもないだろうが、僕ら田舎者、とっちゃん坊や達にとっては、人生の一大事だ。「うひゃあーーーー」と驚くことばかり。テレビ等でみる外国の姿と違い、自らの足でみた世界は、これまた広く、新鮮だった。何よりも、色んな人たちが、懸命に生業を行っている姿は世界共通。どうして、戦争なんかが起きるのか不思議である。いきとし生ける者、いかでか歌をうたわざらん。あの、ブラウンヘアーの女性の賛美歌が今でも耳について離れない。

「僕らの旅日記」を、これにて閉じよう。又、新たなる旅が待っている。(完)


umityan |MAILHomePage

My追加