umityanの日記
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月下美人が純白の大きな花を咲かせた。花言葉は「はかない美、儚い恋、繊細、快楽、艶やかな美人」ということらしい。心惹かれるものばかりだ。それにしても、実に美しい。花はたくさんあれど、この花に勝る美しい花があるだろうか?。ある。いや、ない。どちらでもよいか。さして花を知らない僕の脳裏をかすめるのは「朝顔、コスモス」ぐらいである。
もう、数年前になるか?。知人から、月下美人の葉っぱを一枚もらった。「鉢に差し込んでおくと、芽が出てくるよ」と言う。半信半疑で鉢にさしていた。どれくらいの月日がたったのだろう。すっかり忘れて世事に追われていたころ、ふと鉢を眺めると、なんと、棒みたいな茎が天に向かって伸びていた。「へえーーー」と驚きながらその成長ぶりを時々観察するようになった。
それから又、何年がたったのだろう?。どんどん緑色の分厚い葉っぱが出てきて、最近では、やまんばさんの髪の毛のようにだらりと、縦横無尽に葉っぱが垂れ下がっていた。廊下の窓際に、丸太を置き、その上に鉢を乗せている。廊下を歩くたびに葉っぱが袖に触れ、「場所はここでいいのかな?」と常々、思っていた。「緑が目を楽しませるからいいか」と自らに言い聞かせて今日に至ったわけである。
「花なんか咲きっこないなーーー」と思いながら何年が経ったのか定かではない。先日何気なく、鉢を覗くと、な・な・なんと、髪飾りにしたら、きれいだろうなと思わせる大きなつぼみが一個、垂れ下がっていた。僕は即、山の神へ声をかけると、「何事よ?」と怪訝そうにやってきた。「 見て、蕾がついたよ」と言うと、小さな目を丸めて、不思議なものを発見したかのように、「一両日で花が咲くわよ」と言う。
僕は早速、ネットで月下美人を検索した。写真入りの解説がいくつもあった。「なるほど、そういうことだったのか?」と変に感心。メキシコ原産地とするサボテン科。夜に咲き始め朝にしぼむ。一夜限りの花。一夜限りの女性みたいだなーーと頭が脱線・・・。素晴らしい香りと甘い蜜を大量に含んでいるとのこと。そんな花であるならば、いとおしくないだろうか?。いや、実にいとおしい。
蕾を発見してから、僕はまさに夜の蛾になった。夜中、懐中電灯を持って、廊下に赴くこと数夜。かくして、昨夜見事に開花を見たのでありました。その時の感動をどう表現したらいいのだろう。僕は男だが、わが子の誕生の瞬間、いや、娘ならば一番輝いて嫁に行く時の姿を彷彿とさせるといっても過言ではない。僕は静まらぬ心のままベッドへ入った。朝起きたとき、まだ、花が開いていることを念じながら・・・・・・。
目がさめベッドから起き上がった。山の神はすでにお目覚めのようで。階下で、ゴトゴトと、物音がしていた。僕は階段を駆け降り、開口一番に「花はまだ咲いている?」と尋ねると、「もうしぼんだわよ」と、あっけない返事。いやーーーー、全く女性はデリカシーがないぜ、とおもいつつ鉢を覗くと、確かに花はしぼみ、つぼみの状態に戻ったかのようだった。首はうなだれて、さびしそうな光景だった。それでも、なお純白のドレスをまとい、かすかな芳香を放っていた。花の女王たる風格はまだ健在だ。僕にはそう思えた。
月下美人。なるほど、月下美人だ。満月の夜に花開き一日で、花を閉じる。美人薄命とはまさにしかり。「のうのうと鼻息を荒立てている山の神とは大違いだぜ」。うんんんん・・・・さすがに僕もそこまでは言えなかった。
とりもなおさず、今年の十代ニュースの一つとして、備忘録の一ページを飾ることに間違いない。花の命は短くて苦しきことのみ多かりき。誰かの言葉だった。あの名曲「会いたい」という歌が頭をかすめた。
最近の日課は雑草刈り。「これでもか」と伸びてくる雑草を僕の草刈り機械が払う。取り換えたばかりの機械の歯が時折、石ころに当たる。「しまった」と思うが、気にしてはいられない。作業は続行。小一時間もすれば油が切れる。小休止だ。我が家へ戻り、シャワーを浴び、冷たいウォーターでのどを潤す。至福の時だ。気分しだいで第二ラウンドへ突入することもある。
昨年までは、見知らぬ30代くらいの男が、仕事がないので手伝わせえてくれと、ひょっこりやって来ていた。草刈り機械は二基あったので、願ったりかなったりで頼むことにした。、彼と草刈り作業を始めて数年になる。今や草刈り兄弟みたいな仲になっていた。
どうしたわけか?、その彼が今年はやってこない。おそらく、何かの仕事にありついたのだろう。まあ、これは良しとしなくてはならないが、僕の作業が増えてしまった。仕方がない。
そうは言いつつも、本来、僕は草刈り作業が好きである。二つの理由がある。その一つは何といっても、日頃、これと言った運動をしていないので、草刈り作業が格好の運動になることである。最近、テレビ等で、腰を振る健康器具等が紹介されているが、僕の草刈り機械はまさにそれ。左右に機械をブンブン振り回すので、腰の運動になる。おかげで、わき腹がスマートになり、ズボンがぶかぶか。一石二鳥とはまさにこのことだ。
もう一つの理由。これは僕の打算へと連動している。作業を終え、夕方に会う約束をしていたクライアントのところへ赴く。そそくさと仕事を片つけ、さああ、僕の出番だ。刻も六時を回ったころ、和服のママが経営する小料理屋の暖簾をくぐる。「わおーー」といながら、トレードマークのハットを脱ぎ、小鳥が止まってもよさそうな、枝にハットをかける。僕の指定席みたいになった右から三番目の椅子に腰掛け、にんまりと笑っているママに、生のビールを注文。
「ママも飲んだら」という僕の声を待っていたかの様に、ママは「いただこうかしら」と嬉しそうに言う。、僕は中瓶、ママは小瓶でのビールの宴が始まる。ママはすかさず、「何にしましょうか?」と、カウンターに並べられた大小の丼蜂の中身を説明する。僕は戸惑いながら、「鍋はなに?」と尋ねると、「今日はトマトのスープよ」という。「じゃーーーそれ」と言って、スープを皮切りに、その後は丼鉢へと移行していく。
まだ、早い時間とみえて、客はいない。そんな時、決まって僕たちの会話は英語の話になる。ママはここ数年、マンツーマンで外人講師の英会話のレッスンを受けている。僕も過去、そういう経験があったので、ひやかしで英語で質問を浴びせる。正直、会話はママのほうがうまいかもしれない。ただ、発音だけは僕が上だと自負している。わからない単語があると、ママはカウンターの奥にしまっているらしい、辞書を引きだして調べ始める。僕が勝った時はくやしい顔をするが、そこがまたママの魅力なんだろう。「飲み屋へ来て英会話の勉強とはこれいかに?」。アルコールがはけますってところか。そうこうするうちに、顔見知りの一見客がやってくる。英会話は中断するが、後は、世間一般の話で盛り上がることになる。
つまりは、草刈りの作業が僕に幾多の幸せを呼び込むってわけだ。昨日はまさにそんな一日だった。今日は、さすがに小料理屋の暖簾をくぐることはないが、作業で大量の汗をかき、大量の水分を補給して、ここと良い疲れの中でこの備忘録をしたためている。草刈もほぼ終焉に差し掛かろうとしている。露が明けたら灼熱の太陽とのあらたな格闘が始まることになる。こころして、その対策を講じよう。
梅雨前線の影響で、雨が断続的に降っている。僕にとって雨は嫌いではないが、豪雨で非難されている方たちにとっては迷惑な雨である。叔父が住む家の前の川も、あやうく氾濫しそうになったと母から聞いた。今のところ何の連絡もないから、無事だったのだろう。
自然は時として、大いなる脅威をもたらすが、その恩恵に預かるものもある。雨は田畑を潤し、植物にみずみずしい息吹を与える。また、われわれ人間には貴重な水を提供してくれる。要は自然といかに共存共栄をはかるかが大事だろう。災害は忘れたころにやってくるというから、いつも用意周到な準備や対策を講じて、自然を迎えることが肝心だろう。
我が家は少々地盤が高い所に位置しているので、雨の被害はない。被害があると言えば、たっぷり栄養を吸った雑草君が縦横無尽に勢力を伸ばすことだ。今年も雑草君との戦いが始まった。厄介なのは雑草君だけではない。蔓が、雑草君に巻きつき、それでも飽き足らず、蛇みたいに、にょろにょろと地面を這ってくることである。この蔓の生命力には脱帽だ。やはり、根から絶たないとだめである。
僕は例によって、草刈りマシーンを左右に振り回しながら、雑草君や蔓を一網打尽にする。ただし根は残したままだ。根までやっつけたら、来年の楽しみがなくなる。持ちつ持たれつの関係だ。まあ、これは言い訳である。根と格闘するほどの体力と時間を今、持っていない。とりあえずは夏場をしのぐ応急処置ってところだ。
硬い内容になって眠くなりやしたん。ここでやめておこう。
無事に小旅行から帰還した。旅行の内容はほぼ予想通りの展開。霧と雨に見舞われ、小型のバスは田舎の山道をのっそり、のっそりと上った。たどり着いたホテルは霧の中にたたずんでいた。玄関では女将と、いく名かの従業員に出迎えられた。さすがにシーズンオフだ。ほかの泊り客の姿が見えない。「おれたちの貸し切りかーー」と、嬉しくもあり、悲しくもあり。
こざっぱりしたロビーのソファーに陣取ると、ここの名物という飲み物が茶代わりに出された。「へえー、サービスがいいぜ」と、恐る恐る口元に運んだ。蜜湯の味がした。「お土産にどうぞ」という女将の計らいなのだろう?。
三名、三名、四名の割り振りで和室三部屋が用意された。当然、僕たち若い者が四名の部屋となった。温泉地とくれば、まずは風呂へ行く。地下と一階に大浴場があるとのこと。「まずは一階を試すか?」と、浴衣に着替え、迷路のような通路を進むと、やがて、「男湯」と書かれた大きな暖簾に出迎えられた。そく「ぶらりん」になり、浴槽へ向かった。大きなガラス張りの壁の外では、霧にむせった緑の木々が、ざわめいている。「いやあーーー天気が良ければ絶景だぜ」と仲間の一人がつぶやいた。同感だ。
長ひょろい大浴槽を真中に、左右に円形の小浴槽があった。温度差で三つの浴槽に分けているらしい。米のとぎ汁みたいな色をした真ん中の浴槽に身を沈めた。仲間以外に他の客はいない。貸し切りみたいだから当然か?。
こうなれば、僕の天下。すかさず犬かきを披露。たゆたんだ僕のボディーは手かきを早くすることによって、かろうじて浮いた。「若いころに比べればおれの体も随分と重くなったもんだ」と変に感心。
たっぷりと温泉を楽しんだ後は、さあーーー宴会だ。いかなるコンパニオン嬢と遭遇するか、はやる心を抑え、会場へと急いだ。会場の前の通路にうら若き女性が二名立っていて挨拶をした。派遣されたコンパニオンさんたちだった。組み合わせが面白い。一人は天地真理さんタイプのこんもり型。他の一人はツイギータイプのガリガリ型。「田で食う虫も好き好き」というから、これは経営者の配慮なのかもしれない。まあ、ハートが良ければどちらでも構わないが。
長老の挨拶に始り宴は進行した。仲居さんたちが、料理を次から次へと運んできた。決まり文句のように、「お客さんたちはどちらから?」と、質問を浴びせてきた。「僕たちも近県の田舎からですたい」と言うと、同じ穴のむじなと思ったのか、機嫌よく話がはずんだ。コンパニオン嬢たちは、さすがに兵。差し出される盃を、ぐいぐいと飲みほす。「こりゃーーー末恐ろしいぜ」と、僕の目玉も、大きくなったり小さくなったり。会話もそこそこネタが尽きると次はカラオケとダンスタイムだ。洗濯機の親分みたいな装置が畳の端に置かれていた。
すかさず選曲が始まり、みな、臆面もなく日頃の美声を披露。コンパニオンお嬢さんが傍に付き添う。歌っている最中に、ボディーに両手を回し、体をぐいぐいと押しつけてくる。「うんんん、これも客をもてなすテクニックか?」と、訝しく思うが、これは嬉しくないことなんだろうか?。いや、やはり嬉しい。「男はみなそうだぜ」と納得。
僕も加山雄三さんの「君といつまでも」を披露。「七海」と名乗るツイギーの女性が傍らに寄り添った。「ぼかあーー七海といる時が一番幸せなんだ」と、セリフを言いながら、彼女の顔を見ると、にんまりとほほ笑んでいた。 「このほほ笑みは、誰に対しても同じほほ笑みなんだろうなあ?ーーー」と思うと、ふと、ビジネス社会でのほほえみを連想し苦笑いだ。
二時間ばかりの宴会の後、二次会へ行くことになった。運悪く、外の世界は雨風の洗礼を受けていた。しかたあるまい。ホテルのラウンジを利用することに決まった。決まったは良いが、まかないの女性たちが誰もいないとのこと。それもそうだよなーーーー。客のいない店に、女性がたむろしていても仕方がないしなーーー。結局、高くついたが、幹事さんの計らいで、コンパニオンお嬢さん二人を延長でチャーターすることになった。仲間たちの青ざめた顔が、ふたたび赤みを取り戻した。
例によって、またもや飲んで歌えのどんちゃん騒ぎ。10時を回ったところで、いよいよお開きとなった。三々五々と皆、部屋へ戻った。寝る者あり、テレビを見る者あり。僕は「さあ、楽しみのタイムだ」と、フロントへマッサージを依頼。若き女性の揉み手を所望したが、毎度のとおり、山姥を思わせる、髪を振り乱した?60歳代の女性が登場。(失礼しました)。「まいったぜ」と思えど後の祭り。「ご自由に揉んでたまれ」と、僕は開き直りの呈で、体を横たえた。魔法の指ならぬ鉄の棒が、僕の体に食い込んだ。
時々、唸り声をあげると、「つ・よ・す・ぎ・ま・す・か?」と、魔女のような声が耳元でささやいた。僕もさるもの、男の子。「いいや、ちょうどいいですよ」と、さりげなく応答。内心は、「明日は、さぞかし体が凝っているだろうなーーー?」と、心配したが、まさにその通りとなった。快楽を求めんとする僕の野心がいつも、こういう結果をもたらす。「心頭滅却すれば火もまた涼し」というが、まだまだ迷いの権化のなかにありということか?。
てなわけで、翌朝は再び、早朝風呂としゃれこみ、凝った体をほぐした。八時に食堂へと赴いた。な、なんと、そこには、二組の夫婦らしき客が先陣を切っていた。「客がいたんだ?」と、妙な安心感にとられた。雨風にたたられ、予定が狂い、食材があまったのか、それはそれは豪華な朝食だった。通常ならバイキングなんだろうが、こう客が少なくてはそれもできないということで、ばかでかい盆にもられて配膳された。「朝食だけで30種類の食材があるぜ」と、変に感心し、粥をお変わりして食べてしまった。
土産を買おうと思ったが、適当なものがない。女将お勧めの蜜湯は、甘すぎて候補外。結局ここではは買わずじまい。女将一党に見送らて手を振りながら、霧の山道を下山だ。昨夜の疲れか、皆、「コックリ、コックリ」やっては目覚め、また、「コックリ、コックリ」だ。
平地へ出ると、いくらか天候が回復した。仲間の一人が、「こりゃあ、天気があがるばい」と言ったので、僕は「うんん・・・まだ予断を許しませぬぞ」と言い大笑いだ。案の定、小康状態の天気が雨へと変わった。しばらくすると、また仲間が、「上がる上がる」というので、僕はすかさず、「まだまだ予断を許しませぬぞ」と逆襲。案の定また雨が・・・・。結局、この繰り返しをたどり着くまでやっていた。土産は途中で買った。今はやりの、○○館とか言う、新鮮商品の直売所を物色。巨大なスイカが千円とあり、蔓ももぎたてのごとく青かったので、買いたかったが、なにも、土産に重いスイ カを買うこともあるまいとあきらめた。仲間の一人は、袋に入った大量の「ジャガイモ」が三百円だったとのことで、バスへ持ち込んだ。女房がさぞかし喜ぶことだろう?。
事もなく出発地へ戻り、それぞれに、ストレスを解消した慰安旅行だった。 旅は、長期であれ、短期であれ良いものだ。ただ、永久の旅立ちは当分遠慮したい。
2007年07月03日(火) |
今日は午後から小旅行だ。 |
今日は午後から仲間内10人程度で、近県へ小旅行だ。昨夜の大雨で、天気を心配していたが、曇り空ながら小康状態。牛にひかれて善光寺参りではないが、貸し切りの小型バスがチャーターされている。一人でワンシートを確保し、ゆったりと旅ができるのは最高である。バスガイドさんはいないので、缶ビールを片手に、仲間内のたわいもない話を聞きながら行く。これまた楽しいものである。
行く先は温泉町。僕の生まれた故郷も温泉町だった。さほど、温泉町に興味はないが、仲間内の旅行とあらば仕方がない。昔、よく、じい様に手をひかれて、大衆浴場へ行っていた。お毛毛のないチンチンを丸出しで、浴場内を駆け回っていた。近所のオジサンたちから「転ぶぞ」と、叱られたものだ。
今はさすがにそんなこともできない。つつしめやかに、タオルでチンチンを隠し、浴槽に入ってからは、タオルを頭にのせ、湯の香りと湯のなめらかさを楽しむ。 ただ、昔の癖が残っているのか、広い浴槽をみると、つい泳ぎだしたくなる。まずは、犬かき。次に平泳ぎ、クロールとくる。バタフライはとてもとてもできない。そこまでやると、餓鬼様だ。そんな風に泳ぎながら頭の中では、「おれもまだすてたものじゃないなーーー」と考える。「昔とった杵柄は今も健在だー」とうれしくなる。
一泊小旅行の楽しみは温泉もさながら、その地での宴会もまた格別。上げ膳据え膳で、きれいどころのお酌を受け、カラオケ等に興じる。最近は盃を渡したり返したりすることは少なくなったが、お酌を受けながら、その地で 働く仲居さんや、コンパニオンレディーたちの人生話を聞くのも、これまた悦なこと。聞くも涙、語るも涙でカタルシスに落ちる。また、行きたくなると思わせるのが、観光地の目論見である。
すつかり酩酊後の最後の楽しみは何といってもマッサージ。フロントに予約を入れておく。約束の時間に、ドアを「コンコン」とたたく音が。来たか?今や遅しと、ドアを開くと、「わおーーーーつ」と驚く。小又の切れあがった30代の女性かと思いきや、な、な、なんと、70歳がらみのご婦人。「まいったなー」と思えど、後のまつり。
諦めて、だらいなく着込んだ浴衣につつまれた僕のしなやかなボディー?を横たえる。背後から、白魚ならぬ、魔法の指が肉体を突き刺す。「こりゃー年期がはいっているぜーーー」と、変に感心しながら、僕は寝息を。とある時間が過ぎて、「お時間でございます」と、耳元に山姥の叫ぶような声が・・・・。「ええつ、もう時間?」というと、「延長なさいますか?」と聞いてくる。僕はほてった首を「ゴキゴキ」と鳴らしながら、「ありがとう。結構です」と丁重にお断りを。すでに、酔いも冷め気味だ。
まあ、こういう経過をたどるのがいつものパターンである。翌朝は、早くに目がさめ、朝風呂に入り、適当な 土産を買い求む。帰りのバスでは、うたたねしながら、昨夜の夢・幻に思いをはせる。帰り地点までたどりつくと、もう、あさっての顔。さまざまなしがらみが待っているかと思うと、身震いがする。温泉ですっかり、赤と罪を洗い流して、再スタートである。
おそらく、今日の旅もそうなるだろう。
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