umityanの日記
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2005年04月30日(土) 子供達が成りたい職業像。

今日の新聞に、子供がなりたい職業のアンケート結果が出ていた。一位は男性、野球選手。女性、食べ物屋さん。二位は男性、サッカー選手。女性、保育園、幼稚園の先生。

この結果を見たとき、僕は、はたと思った。「原始時代から培った、男と女の役割分担が、きちんと今の子供の脳裏にも刻まれているんだ」と。男は獲物をとるべく戦闘・狩を役割とし、女は洞穴で食事の仕度と育児に精を出す。そういう職業に就きたいと、子供達は本能的に思っているのでは?。僕としては、嬉しい気がする。なんとなれば、「らしさ」が出ているからである。

その分担が崩れるのは、子供達が次第に大人となり、社会の機構の中に否応なく組み込まれた時かもしれない。今の世は、男も女も二人して戦闘に赴く。結婚後もそうだ。豊かさを享受するためには、そうせざるを得ない。男が持ち帰る獲物だけでは満腹にならないわけだ。育児、食事の重要性は二の次となっている。

今や、男と女の役割分担という言葉さえ死語になりつつある。男と女に役割なんていらないわけだ。手が空いているほうが、家事でも育児でもやればよい。
二人とも手がふさがっていれば、保育所という立派な育児用施設がある。昔は母や、ばあちゃん、じいちゃんの背中と胸におんぶ・だっこされたが、今や施設の中で、知らない、お姉ちゃん、おばちゃんにだっこされる。食事も至れり尽くせりで与えられる。本当に子供達は幸せなんだろうか?。これは、いたし方の無い現実なんだろうか?。

僕が子供時代に描いた職業像は、名探偵と天文学者だった。当時、江戸川乱歩さんの、明智小五郎名探偵の小説を読み、異常な興奮を覚えたものだ。なんと、中学時代についたニックネームが、迷探偵、中五郎だったが。天文学者になりたいと思ったのは、夜空を見たときの星の美しさに魅せられたからかもしれない。一体、誰があんなに美しい星をこしらえたんだろうと、不思議心で一杯だった。小林一茶の句だったっけ?。「名月を取ってくれろと、泣く子かな」。そんなに賢い子ではなかったが。残念ながら、今は畑違いの仕事をしている。ただ、探偵業、天文、宇宙に対する興味はいまだに引きずっている。

思うに、子供達がせっかく原始的本能で職業選択をしたわけだから、その夢をかなえてあげたい気がする。大人が豊かさを少々我慢すれば、再び、役割分担の復活だ。子供達もすくすく育つに違いない。役割分担ーーー万歳!!。
あんまり吠えると、「うちの家庭をこわすのか?」と、どなられそうなので、この辺で止めておこう。


2005年04月29日(金) 大行事を終えた後の妄想。

蒸し暑い緑の日だった。風があったので、幾分かは楽にしのげた。それでも、僕の体は汗まみれ。というのも、僕にとっては年間を通じて、今日が一番と言って良いくらいの忙しい日。会社で言えば決算の棚卸みたいなものか?。朝から夕方まで、ふるに体を動かした。なにも、緑の日に、そんなに頑張らなくてもと思うが、父からその日を承継したため、今更、変更も出来ない。財産を承継するならまだしも、忙しさを承継するのは、いささか疲れる。長年やっていると。この疲れも快感の変わるから不・思・議。

行事が終わって、洗面所で顔を荒い、まじまじと我が顔を眺めた。やや細くなったように感じたが、これは目の錯覚か?。僕は本来、人一倍、汗かきだ。これがいい時もある。「よく働く奴だなーーー」と、好意的に見られる。実際はそれほどでないにしても。逆に、じっとしていて、大汗をかいていると、「汗臭いおじさん。近寄らないで!!」と言うことになるのか?。きれい好きな女性からは、敬遠されてしまいそうだ。

それはそうと、いよいよ四月も終わりを迎えようとしている。つい、先日、正月だったのに、もう、四ヶ月も過ぎてしまうなんて。なんたルチア。気の早い僕は、すでに、友人達に会うたびに、今年も忘年会をやるから出席して欲しいと催促している。友人達は笑いながら、「ええっー、まだ早いよ」というが、幹事である僕の立場にもなって欲しいものよ。

僕が主催する忘年会は、ちょっと、変わっている。組織の仲間達ではない。要するに、ある時、偶然知り合って意気投合した仲間達。あえて、共通点があるとすれば、酒好き、女性好き、歌好きな仲間と言うことになる。

さる店で時々、会うようになり親しくなる。忘年会でもやって憂さを晴らすかで始まり、すでに5年が過ぎた。今年やれば6回目だ。普通の忘年会と違うところと言えば、がむしゃらに、マンツーマンを固執していることかもしれない。マンツーマンとは男が10名なら、女性も10名呼ぶということである。僕の主義は淋しい、浮いた人を作らないこと。気に入る、いらないに関わらず、なんとか一対一対応を実現しなくてはならない。額が狭く、顔の広い僕と言えども、これには苦労するわけだ。まさか、各人の女房を集めると言うわけにもいくまい。酒もまずかろうし歌もくもりがちになる。自慢ではないが、僕は女房の前で歌ったことは、今日まで数回しかない。数回もあれば 上等か?。

女性を集めるにはどうしても、会費負担をゼロにして、男が持つ。飲み食い、歌は平等という設定にしなくてはならない。女性には甘く男には厳しくである。幹事も大変だ。以前、マンツーマン体制が崩れそうになった時、苦肉の策として、コンパニオンさんを数名、チャーターしたことがあった。ところで、その費用負担は?。もちろん幹事たる僕が、ばちかぶるわけだ。割りに会わない役だが、僕としては、刹那の時間ではあっても、皆が楽しく過ごしてくれれば良い。

この設定は、毎年、好評で参加者の満足を得ていると僕は思っている。昨年なんか、ヒップ振り振りの女性シンガーが登場するし、日頃、生真面目、固さを売り物にしている皆々が、こぞって、チークダンスに興じるし・・・・。笑いの泉はあふれんばかりだ。その姿を幹事たる僕は指を銜えながら眺めている・・・・・。それじゃあーーーあまりにも僕が可愛そうと言うことで、僕も同じ穴のむじなとなる。

おっとっとーーー。行事が終わった安堵感で、話があらぬところへ行ってしまった。軌道修正だ。さあ、明日からは、人様の休日を横目に、仕事に邁進だ。
金は使わないし、一人で黙々と身辺整理をやろう。これに勝る喜びは無いだろう。とほほ・・・・。


2005年04月26日(火) 連休は新たなる旅立ちだ。

そろそろ10連休が始まる。僕もパートさんに、10連休を告げた。働きたいと思っている人には、辛い連休かもしれない。時給とか日給となれば、その間の収入も落ちるからだ。とは言え、正月や盆とちがって、この風薫る五月に、まとまった何かをするにはもってこいの時節である。「収入が落ちるというのに、そんなこと、他人様には言われたくないなーー」という声が聞こえそう。
確かにそうだ。人はそれぞれ。

しからば、わが身はどうだ?。超零細個人事業主である僕にとっては、従業員さんの休みは経費の節約にはなる。これはいいとしても、如何せん。ほぼ連日の仕事が待っている。今のところ、まともに一日を休めそうな日は五月五日のみ。子供の日である。子供の日かああーー。昔を思い出すぜ。も一度、子供に戻りたいぜーーー。

僕が子供のコスチュームに着替えて、「いいこちゃんね」と、美人お姉さまから介抱されるなら、「ウッシッシー」と、嬉しくなるのだが。それも五月の夢だ?。怖い顔の喪黒福蔵さんでは、介抱者も尻尾を巻いて逃げていくだろう。なんと悲しい現実。そっと、涙を拭かなくてはなるまい。

どうも、悲観的なことばかり書いたようだ。実は、僕にとって連休は正月と同じく好きである。たとえ僕に仕事があっても、その仕事は数時間で終わる。娑婆世界が活発に動かないからだ。サービス業は忙しいかもしれないが、官公庁や民間の企業もほぼ休みが多い。僕としてはその間に、たまった仕事を消化できる。身辺整理にもってこいの連休。残念ながら遊びはない。それは、平日やっているからいいか。

見回せば、机の周りには、不揃いの本や封筒、書類。郵便物からチラシ。さまざまな消耗品まで。なんんでもござれと散在している。連休には誰にも邪魔されずに、ゆるりとその整理が出来る。これが至上の喜びだ。

考えてみると、貧乏性の僕は、「これは何かの役に立つぞ」と、すぐには、何でも捨てない。一応、机上に保管。保管に保管を重ねる。机の上はごみの山だ。結局は、くずかご行きがほとんど。まさにダイレクトメールと一緒。100枚のうちに、誓約が一件でもあれば、ダイレクトメールは成功だろう。僕の場合もそれと同じく、「とっておいて良かった」と思うものは一枚あるかないか。あーあー、貧乏性は辛いぜ。

その貧乏性を解消すべく、休日、特に連休となると、僕の思いっきりを十分に発揮できる。大きなゴミ袋を持ってきて、片っ端から、ぽんぽんと捨てていく。この小気味よさ。すかーっとする。机や本棚の本が理路整然と並び、書斎に早代わり。やはり、男には書斎がお似合いだぜと思うのもつかの間。ひと月もすれば、またもや、ごみがたまっている。

今までのパターンがそうだった。丁度いい機会だ。備忘録にしたためた以上、誓いを立ててみよう。五月の連休を利用した身辺整理を最後に、以後は、不要物を溜めまい。ちょっと大袈裟だが、さあー、新たなる旅立ちだ。

一句浮かんだぜ。「どこにも行けない、鬱憤ぱらしが身辺整理。あらたなる旅立ちとは、これ如何に?」。






2005年04月25日(月) 悲しいニュース。

今日は大変な列車事故があった。終日、テレビが放映していた。ただただ、怪我をされた方々のお見舞いと、なくなられた方々に哀悼の意を捧げたい。なんとも痛ましいことである。

地震、津波、台風、雷等は自然がもたらす脅威。避けられない場合もあるだろう。ただ、文明の利器が起こした災害は、「なんで、どうして?」と、頭をひねらざるを得ない。もちろん、文明の利器でも100%安全ということはない。それをカバーするのが人間の英知である。一瞬の油断、スキが大惨事を招くことになるわけだ。事故の原因が定かではないが、あらゆる分野での徹底した危機管理の見直しが今後、望まれるところだ。

どうも、こういう悲しいニュースの後では、能天気な日記を書く気になれない。この辺で止めておこう。


2005年04月23日(土) すっかり酩酊の今宵。

今日は、おっと、もう昨日と言わなければいけないか?。のりちゃんより、夕方6時にテルあり。先日の酩酊を誤り、(これはお互い様であるのだが)一献傾けたいと言う。僕に異論はなし。
山の神のご機嫌を伺ったところ、時間制限の許可が下りた。

例によって、和服姿のママが経営する小料理屋へ行くことに決定。いつものパターンだ。今日は、先日の反省もあってか、のりちゃんの機嫌もよかった。話は弾んで、僕たちはワインを所望。即、ママさんの手配で赤ワイン一本を手に入れた。三人で軽く空けてしまった。いやああ、このワインは美味かったぜ。

早い時間とあって、客は僕たち二人。ワインに、特製のチーズを魚に話は弾んだ。人生色々、男も色々、女も色々で、僕達はすっかり酩酊。しばらくして馴染みの客が登場。再び話は弾んだ。客が持参した「「クロワッサン」に舌鼓みを打つ。客が行列をつくる店の商品だそうな。商品は、我が家への土産だったのかもしれない。飲んだ勢いだ。ご相伴に預かった。ここいらあたりが、単細胞な男の度胸。女性には理解できない所かも知れない。

客が混んできた。ママを独占できないつらさか?、のりちゃんが第二の店へ行くと言う。僕はもっとここにいたいと言うと、のりちゃんは、あっさりと、それを是認。この心は如何に・・・?。詮索しても始まらないか。

のりちゃんと別れて、僕はひたすら一見客というか、常連客というか、彼らとだべった。と、そこへ、久しぶりに友人、志岐君からテルがあった。人生とは摩訶不思議だ。類は類を呼ぶ。別所で飲んでいると言う。僕と飲みたいという。かくして当、小料理屋で合流することに決定。これも縁か?。なななんと、その前に、僕は中国人女性を招待していた。仕事がらみの縁だ。

志岐君が来た後に、彼女が登場。うんんん、この出会いが良かったのか、悪かったのか分からない。案の定、二人の口論が始まった。日中問題だ。彼女を責めたところで、何の解決にも至らない。彼女には彼女の言い分もある。これはいち個人の問題ではない。僕は志岐君をなだめて、その調整役だ。

喧々諤々やったが、互いに理解できたと思う。既に0時を過ぎた。帰宅することに決定。かくして、今、僕は我が家で、この備忘録をしたためている。

「友、遠方より来る。楽しからずや」。「日中に限らず、アジア人種は、もっと、助け合い仲良くすべきだ」。それを結論として、この備忘録を閉じよう。
僕もすっかり酩酊だ。今宵は。







2005年04月20日(水) 地震の恐怖

再びやってきた。あの恐怖が!!。早朝、部屋がガタガタ揺れた。即、階下へおりて、外へ飛び出す体制に・・・。治まった。かなり大きな奴だった。

一体、地中はどうなっているのか?。世界経済があらたな秩序を求めて模索しているように、地球内部でも、あらたな均衡を模索して、断層が活発に動いているようだ。

昔から、日本は地震列島と言われてきたが、この地だけは大丈夫と高をくくっていた。今やその考えを改めなくてはならない。日本のどこの場所でも、未来永劫に安住できる地などない。そう思わねばなるまい。

要は、いかに、自然の脅威から身を守るかである。備えあれば憂いなしで、日頃からに用意周到な対策を講じておくことだ。地震のみならず、台風、火事についても然りである。

子供の頃、台風がやってきて、停電になった時、懐中電灯とロウソクを灯して、父、母、兄弟が体を寄せ合い、息を潜めて、難が去るのを待ったものだ。

今だから思い出として、そう言えるが、当時は自然の脅威が何たるかを十分に理解していなかったため、暗がりで過ごすことに奇妙な興奮を覚えた。父、母が守ってくれると言う安堵感があったからだろう。

今の時代は、そんな悠長なことを言ってはおられない。子供であれ、大人であれ、自らを守るという姿勢を肝に銘じておくべきだろう。

おっと、堅い話を書いていたら、のりからテル。出かけることになった。



2005年04月17日(日) 人間の優しさとは何か?。

時々、「人間の優しさ」について考えることがある。「田舎に泊まろう」とかいうテレビ番組を見た時なんか、特にそうである。有名人が田舎を訪れて、一般の家庭に一泊の宿を交渉し、その家族との触れ合いを報じるという番組だ。画面で映らない裏側は分からないが、飾り気の無い田舎の人たちの優しさに、思わず目頭が熱くなる時がある。失われつつある日本的人情を垣間見ることが出来るから共感を呼ぶのだろう。

ただ、いかんせん。宿泊希望者が有名人である。まず、警戒心はない。何かあるとすれば、恥ずかしさだろう。家の中が白日の元にさらけ出される。オープンザ・キッチンである。主婦にとっては、そこが一番気になる所だろう。しかも突然の訪問。これでは準備も整わない。準備が整わないからこそ、生の人間の有り様が、かえって、新鮮さを生む。宿泊が成功した時、人の優しさが身にしみるわけだ。

しからば、無名の僕が田舎を旅して、一泊の宿を申し込んだとしたらどうだろう?。「あんた誰?。喪黒・・・なんとかさんに似ているね。旅館に泊まりんしゃい。バシャッ」と、玄関を閉められるのが落ち。「とほほ、だから言わないことじゃない」と、自らに言わなくてはならない。まああ、これも、当たり前の日本的風情だ。

いずれにしても、労働にいそしみ、日焼けした顔の、じいちゃん、ばあちゃん、父ちゃん、母ちゃん、それに子供らが皆、たくましく素朴に生きている姿は、健康的な日本を感じる。日本万歳である。

ところで、男と女の場合の優しさとは何だろう?。ほれた、はれたから始まり、疑心暗鬼の心の探りあいの時期を乗り越え、仕舞いには空気になる。その間に流れている感情は何か?。僕の結論を一言で表現するならば、それは「思いやり」である。相手に対する思いやり。それこそまさに優しさの源であるような気がする。

とはいえ、この「思いやり」を持続させることが難しいんだよなーーー。思いやりに、ほころびが生じ破滅へ向かうことも多々。人間の飽くなき欲、よからぬ思考が、思いやりを欠如させてしまう。人間は仏でも、神でもないから、いたしかたないと言ってしまえばそれまでだが。

そうそう、思いやりを復活させる方法があった。未熟者の僕が言うことだから的外れかもしれないが。その方法とは、「真剣な涙」である。そんな涙に触れたとき、「はっ」と気がつく。相手の思いやりが琴線に触れる。そして思うわけだ。「なんて、俺は馬鹿だったのか。相手以上の思いやりを返してあげよう」と。思いやりの復活だーーーーー。めでたし。めでたし。

うんんんん、かといって、涙は女性の常套手段とも言うし。くれぐれも注意。
最近は女々しい男もいるらしいから、同じ穴のむじなかもしれないが。

何はともあれ、いつも、この「思いやり」という気持を失わないで生きたいものだ。男女簡に限らずである。





2005年04月16日(土) 通行手形の再発給だ。

昨夜は久々に飲みすぎた。それには理由がある。「出入り禁止」という汚名を頂戴した店の通行手形が再発給されたからだ。

いやあーー、ひと月という期間は短いようで長かった。その間、僕とのりちゃんは、新たなる店を発掘しようと、ほうぼう探し回ったが、気にいった店が見つからなかった。仕方なく、鳥をたべたり、知らないスナックで甘んじていたわけだ。

僕たちは飲み屋街というか、繁華街よりも、ちょっと離れていて、静かな小料理屋なんかが好きである。場末と言っては店に失礼に当たるかもしれないが、その店から勘当されようとは夢にも思わじ。いきさつは至って単純。ママさん批判が高じて、ママさんの堪忍袋の緒が切れたと言うしだい。僕たちが「よかれ」と思って発言した、その言葉も、捉える人の虫の居所によって、善ともなり悪ともなる。勘当された日は、ママの虫が脳天に巣くっていたに違いない。僕たちもいい勉強をしたわけだ。言葉選びには注意しなくちゃと、反省、反省である。

僕はおそる、おそる、木製のドアを「がたごと、がたごと」と、スライドさせ、暖簾の下から顔を突っ込んだ。ママが一人いた。びっくりしたような顔で、開口一番、「どうしてたのよ!!」ときた。僕は「だって、ママから勘当されたから、ひと月、謹慎していたのよ」と言うと、大笑いとなって、緊張の糸がきれた。「なんだ。もっと早く顔を出しとけばよかった」と、その時、思ったが、僕にもプライドという変な虫がいる。かたくなに、ひと月を固守したわけだ。ほんにまーー、子供じみた勘当劇だった。

てなわけで、その日は、安さん、いぐちゃんの三人で、とぐろを巻いたわけだ。懐かしさ一杯で、安さんと「白いブランコ」をデュエット。○○ブラザーズの再結成とあいなった。なななんと、採点結果は96の高得点。僕たちは涙が、ちょちょきれんばかりに喜んで抱き合った。それに、発奮したのか、いぐちゃんが、真顔で十八番の演歌に挑戦。いやああ驚いたねーーー。97点をたたき出した。焼酎がはかどるのもうなずける。

後は野となれ、山となれで、大騒ぎ。僕は大好きな曲、南こうせつさんの、「神田川」を熱唱。「はい、皆さんに、涙拭き用のお絞りを配って」と言えども、「涙の一滴でも、出はしないわよ」と、茶化される始末。確かにそうだろう。湿ったのは点数だけだ・・・。

おかげさまで、今朝は、頭をがんがんさせながらクライアントの所へ行く始末。クライアントも、様子が変だと思ったに違いない。なあんとか、うまく切り抜けた。帰宅して再度、高いびきで寝た。今宵は絶好調だぜ。


2005年04月14日(木) 団塊の世代人の第二の人生は?。

今日もつつがなく過ぎた。これにまさるご馳走はないだろう。天気は快晴。朝は、やや肌寒かったが、午後は夏の兆し。桜はあっけなく、葉桜となりにけり。花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき。僕は花より団子だが、じっと手を見てため息をつく。まさにそんな今日この頃。

娑婆世界では、入学式、卒業式も終わり、企業も歓送迎会をほぼ終えたようだ。涙と笑いが渦巻いた。毎年繰り広げられる光景だ。こんな日本的風情が好きである。

そんな世界とは裏腹に、我が世界ではこれと言った変化も無い。毎日淡々と身の回りのことをこなしている。ふと、手を休めて、昔は自分も、ああだったんだと思うと感慨深くなる。ただ、後悔はない。

おっと、ブルーハートにひたっている暇は無かった。最近、頻繁にボス(仕事の先輩)が我が家を訪れる。今日もその日である。ボスが来訪するには理由がある。こまめな仕事を手作業でするのが億劫になり、僕と一緒に仕事を完成したいという気持になっているからである。いずれ、自ら抱えるクライアントを僕に譲りたいと思っているようだ。僕として仕事の引継ぎみたいで、願ったりかなったりだ。

ただ、今のところ知恵だけは二人で考えるが、作業はボスにやってもらっている。何となれば、それがボスの老化やボケを遅らし、生きる張りを続行させる源であると思うからだ。手書きの字はうまいし、経験も豊富である。まだまだくたばっちゃなりませんぜ。

この頃、とみに思う。企業勤めの団塊世代の人たちが、あと数年で定年を迎えるようだ。巷にあふれる団塊世代人は、第二の人生をどうやって過ごすのだろうか?。何となく気がかりである。「もう仕事はごめん」と放棄して、旅行やバカンスに身を費やすには、年金もない。綾小路君麻呂さんの言葉ではないが、「退職金だって、分け前は女房や子供が決める」。これじゃああーーーやってられませんぜ。かと言って、何か、つぶしのきく仕事を探そうにも、融通の利かない頭では、それも難しい。一体どうすべっか?。

僕もいずれその仲間入りをすることになる。ただ幸いなことに、ボスや僕は超零細個人事業主。健康を保ち、贅沢しなければ、なんとかお飯が食えていくだろう。定年だって、自らのやる気で、延長するわけだ。団塊世代人も、一旦企業を離れれば、一個人事業主となる。「やったるでーー」という気持で、頑張って欲しいものだ。ボスももう、四分の三世紀を生きている。まだまだだ。五分の四世紀までは仕事をしなくちゃーーー。俺達に定年はないぜーと、今、発破をかけているところである。

運が悪けりゃ、ボスより僕が先におだぶつするかもしれない。人生は塞翁が馬。諸行無常。何はともあれ、女房に熟年離婚を迫られる前に、素直に謝る気持を持ち、やる気をもって第二の人生を歩むのが懸命だ。


2005年04月12日(火) 男の更年期障害。

昨日は久々に、のりちゃんと焼鳥屋へ行った。ここには弟(仕事仲間)と一緒にキープしている焼酎がある。客もまだ少なく、あたりは閑散としていた。「こういう時が鳥を食うチャンスだ。さあ、飲むかーーー」と、キープしていた一升瓶を出してもらった。なんと、残量は、わずか。せいぜい二人でお湯割り一杯程度だ。「弟のやつ、ずいぶん飲んだな。再キープしなくちゃなるめー」ということで、新しい瓶に三人の名前を書き込んだ。

僕たちは空きっ腹。「早く鳥が飛んでこないかなーー」と、待ちながら、キャベツをかじって、焼酎のつまみに。いやあ、このキャベツも結構うまい。秘伝のタレが、やはり物を言っているようだ。ようやく、鳥が飛んできた。串で口の中を刺さないように器用に食いついた。

心なしか、のりちゃんに元気がなかった。理由はわからない。きっと、いろんな問題をかかえているのだろう。そのせいか、会話は固いお話ばかり。日中の問題、政治問題の話から戦争の話まで多岐にわたった。。互いに思っていることをしゃべった訳だが、どうも、二人の波長が合わない。彼の口癖はこうだ。「さっきから僕は頭にきてんだよ。そんな考えじゃ、もう、一緒に飲めないなー」と。「僕も同様だぜーー」とか何とか言いながら、先ほどキープした焼酎を五合もあけていた。いつもと違い、彼がお湯と焼酎をグラスに注いでくれた。

その間、学生らしき若者が三人やってきて、焼酎やらビールを飲み出した。もてない男たちが酒でも飲んで、鬱憤を晴らそうというわけか?。聞くともなく話を聞いていたが、そうではなかった。それぞれに個性ある、いい考えを持っていた。「こういう若者の姿を見るのはいいなあーー」と、のりちゃんに言うと、「僕たちが歳をとったということだよ」と、変に老けたことを言う。
苦節、云十年も生きていれば、誰だって歳をとる。ほころびも出てくる。まあ、これは致し方のない現実だ。「確かにそうだなあーー」と、言おうと思ったが、僕の脳はそれを否定していた。「まだまだ僕たちは若い」と、脳は答えていた。

結局、六合近くを飲んで、焼鳥屋を後にした。のりちゃんは、「帰ろうか?。帰るまいか?」と、思案している模様だったが、二人とも足は自然と、和服姿のママさんがいる小料理屋へと向かっていた。横断歩道の信号が青になり僕が先にわたった。のりちゃんは動かず。再度、青になったとき、僕が迎えに渡ったら、しぶしぶついてきた。「帰りたいけど帰れない。飲みたくないけど、飲みたい。いったいどっちなんだ?」と言いたかったが、僕も言わずじまい。

店内は満杯で、四畳半壁張りの一部屋が開いていた。そこに陣取り、再びキープの焼酎を飲んだ。お客さんから名酒が振る舞われた。それも飲み、僕たちはさすがに酩酊。のりちゃんは豹変。客がたくさんいるのに、ママに、「自分の横に座ってちょうだい」と言いだす。僕の酔いが浅かったのか、僕は「ピシッ」とそれを制した。その後、またもや、焼鳥屋での話の延長とあいなった。11時をすぎた頃、帰る段取りに。なんと、いつも、代行車で一緒に帰るはずなのが、この日、彼はさっさとタクシーに乗り、一人で帰ってしまった。

彼の虫の居所が悪かった理由が何だったのか、その日はわからなかった。今こうやって、備忘録をしたためながら、何となくわかることがある。
おそらく、男の更年期障害と欲求不満があい重なり、情緒不安の相乗効果を生んだのだろう。さらに付け加えるならば、ストレスがたまり、癒しがほしかったのかもしれない。僕に代役ができなかったことが残念だ。近々、元気な姿で又、会うことになるとは思うが。





2005年04月09日(土) 男と女の役割分担はどう変わったのか?。

この頃みた新聞に、興味深いアンケート結果が出ていた。質問は、共働きに賛成か反対かと言うことなのだが、賛成派が反対派を追い抜いたと言うのだ。確かに昨今の現状を見れば、専業主婦と言われる人たちが少なくなった。今や、女性の社会進出には目を見張るものがある。男女同権、平権の中で、好ましい社会が構築されていくならば、それはそれなりにいいことだろう。

我が父、母のことを思い出す。父は朝早くから家を出て、安い給料であくせくと働いていた。母は、いつも家にいて、あれこれと何かをやっていた。父も母もやる事が一杯あったわけだ。特に母は、炊事、洗濯、掃除、縫い物。そのほとんどを一日がかりの手作業でやっていた。また、近所付き合いをはじめ、僕たちが学校から帰ると宿題まで見てくれた。父は疲れて遅くに帰ってきた。いわゆる、これが従来型の役割分担だ。

そんな父、母の姿を見ながら育ったせいか、女性は家庭という世界を切り盛りすることが仕事なのだと、ずーーーっと思っていた。原始時代だってそうだ。男は槍や斧を持って、森に獲物を捕らえに行き、女と子供は洞穴の中で火を焚き、獲物の到来を「今や遅し」と待っていたわけだ。まさに役割分担だ。今は給料袋かもしれないが、つい最近まで、そのパターンが続いていた。それが理想的な姿と思っていた。

従って、僕は、女性が外の世界にどんどん進出し、男性顔負けの態度で、獲物を捕らえている姿を見るのが嫌いだった。個人的には、今でも反対派の範疇に入るかもしれない。

世の中は変わった。変わったのだ。ここ近年、女性が家庭の中で働く役割が激減した。というのも、高度成長が豊かさを生み、従来の一日がかりの主婦の手作業が、ものの数時間で済んでしまうからだ。女性は何をすればいい?。そこで考えたわけだ。空きすぎた時間を社会的に活用することによって、更なる豊かさを求め、女性としての個を確立したいと・・・・。こういう考えに至るのも、昨今の状況から考えると当然の帰結かもしれない。

以前は反対派に属した男達も、女房が稼ぐ収入を見過ごせなくなり、「共に働き、豊かさを追い求めん。わおーーーー」という、不思議な協力体制に同調し始めたわけだ。というのも、昔みたいに、「サラリーマンは気楽な稼業」という時代が、とっくに終わり、今ではリストラに怯える時代である。女房が働き稼ぐことが、「内助の功」としての役割を生んだ。と同時に、女性として、一人の人間として自らの個の確立を図るという新たな価値観を生んだ。

女性の社会進出、役割分担の崩壊、大いに結構である。男も心して厨房、物干し台に立たねばなるまい。ただ一つ、女性が家庭の中に置き忘れたものがある。そのことが気がかりである。それは子供、子供である。昔ながらの役割分担が良かったところ。それは、母が家にいたからだと思えてならない。恐らく中高年以上の男性も女性も、本音では、そう思っていはしまいか?父親もさることながら、母親の存在がいかに大きいか。

最近は少子化、少子化で日本の未来が危ぶまれている。僕は時々、冗談か本気か分からないが、女性に向かって、「あなた、よかったら、僕の子供を生んでみない?。僕の子種があるうちにね。もちろん、育てるのは君だよ」と言うと、返ってくる言葉は、「いいわよ。月に100万円くらいくれたらね」である。うんんん、これじゃああ、子供は立派には育たないか?。僕が欲しい言葉は、「いいですよ。あなたの子供なら、私が一人で立派に育てます」という返事だ。こういう言葉には僕は弱い。そんな女性なら、きっと、昔型の母親のように子供を育てていくに違いない。とはいえ、そう言わせた僕の責任は、何にもまして重大だろう。

ところで、よほどの愛がないと、そんな言葉は返ってこないだろう。これは春の夢、夢なのだ。今、僕が真剣に女性に何か望むことがあるとすれば、「子供をたくさん生んで、出来るだけ一緒に、長く、そばにいてあげてください」と言う事である。もちろん男性もその協力者であることに変わりがあってはならない。

回りくどく書いてしまったが、要するに、少子化を憂いている一人の男として「女性よ、たくさん子供を生んで、立派に育ててください」と言いたかっただけである。








2005年04月07日(木) 桜についてのあれこれ。

桜が満開になった。車を走らせながら、山間を見ると、緑の中に横一文字に伸びた淡いピンクの桜林が見れた。ほんの一時期の現象である。美しいというより不思議な感覚と言ったほうが正しいかもしれない。この時期になって、「ああ、あそこにも桜の木があったんだ」と初めて気がつく。誰が言った言葉か忘れたが、「桜に桜の花が咲く。何の不思議はなけれど」。近くで見ると不思議ではないが、遠くから見ると不思議に見えるから不思議だ。

「落葉松」という詩を桜に置き換えると、こうなる。「桜の並木にいりて、桜をしみじみと見き。桜は淋しかりけり。旅いくは淋しかりけり。桜の並木を出でて、桜の並木にいりぬ・・・・・・」。うんんん、やはり、桜では似合わないか?。

桜から連想される言葉に、「美人薄命」とか、「驕れるもの久しからず。ひとえに風の前の塵におなじ」とかがある。綾小路君麻呂さんの漫談も面白い。
「美人薄命。妻はきっと長生きするぞ」。桜は「だらり」として、舞妓さんのだらりの帯。梅は「きりりっ」とした着物の帯。両者、甲乙つけがたし。

僕はどちらかと言えば、梅の花のほうが好きである。咲いたあと、梅の実のご褒美があるかというわけではないが、なんとなく、梅は天に向かって咲いているような気がするし、桜は地に向かって咲いているようだ。天と地、これも甲乙つけがたいか?。ただ、天の方が無限の宇宙まで続いていて、夢が膨らむ感じがする。

どうも、僕はなんにでも甲・乙つけたがるようだ。やはり、この姿勢は良くないだろう。万物には自ずから功があるわけだ。要は、季節の移ろいの中で、その時々の功を 愛で、楽しめばよいわけだ。いわゆる旬のもの。

そう言えば、最近、タケノコのスライスを食べた。これが、おいしいんだよなあーーー。酒のつまみには最高だ。のりちゃん共々、舌鼓みを打ったことでした。


2005年04月06日(水) 春の憂鬱。

春の憂鬱とはよく言ったものだ。外界の陽気さに比べ、心の陽気さが追いついていけない。まだ、心は冬だぜ。このギャップに憂鬱を感じるのかもしれない。見回せば、世の中は、花見やら、歓送迎会やら、ゴールデンウィークに向けた話で花盛りだ。結構なことで・・・。

片や、こちとらは、花見どころか、我が団子鼻を、しみじみと、鏡に写して見るのが関の山。花見に団子はつき物だが、団子鼻じゃ、食べるわけにもいかない。風薫る五月のバカンスなど、もってのほか。「いやーーん。バカーーン」だ。悲しいぜ。憂鬱さもますばかり・・・・・。

これじゃああ、いけないと、一発奮起して、最近は仕事に明け暮れている。というより、お金にならない仕事に奔走している状況だ。このことと、夜の社交が僕のとりえかもしれない。夜の社交は金が流出するばかり。それでも、薄めの焼酎でとぐろを巻き、刹那の快楽に身をおくことが出来る。類は類を呼ぶで、淋しい仲間達が集まり、次第に、よもや話に花が咲くわけだ。花見の代用品として不足は無いだろう。

本来、ストレスを知らない僕も、四月と言う季節だけは、やはり、ストレスを覚える。行事が目白押しだ。山本リンダさんではないが、「いやんなっちゃうなーーー」という心境だ。デートに誘われるならまだしも、固い行事で一杯。
五月の連休も、そうである。毎年のことだ。

連休が終わり、六月になると、極端に暇になる。梅雨だからと言うわけではないが、仕事もいなえる。ここにも、ギャップがあるが、六月の雨は、僕に新たな息吹を吹き込んでくれる。蒸し暑くなっていくが、六月は好きな月である。カタツムリが怪しげに色ついた紫陽花の葉っぱを、「のそり、のそり」と這う。この時期になると、そんな光景を、いつも思い出す。最近は見られなくなって淋しい思いをしているが・・・。

まだ、梅雨でもないのに、湿っぽくなってしまった。さあ、気を取り直して、出陣だ。


2005年04月03日(日) 久々に見た映画と夢の結末。

昨夜は久しぶりにテレビで洋画劇場を見た。「マトリックス」というタイトルの映画だ。人様はとっくに、視聴済みかも知れないが、ワンテンポもツウテンポも遅れている僕は、やっと昨夜、視聴した次第だ。

いやあああ、実に面白い映画で興奮した。ところで、感想は?。「いやああ実に面白いが、内容はさっぱり分かりません」が、正直な答えだ。英語の辞書を引いてみた。Matrixーー(発生・成長の)母体。鋳型、模型、(レコード盤の)原盤。(活字の)母型。(金属、化石、宝石などを含んだ)母岩。(古語)子宮。とある。

うんんん、映画の意味するところは、どれが一番近い言葉なんだろうか?。
僕の勝手な想像だが、「母」と言う言葉が一番相応しいような?。母となれば、やはり母体であり、古語で言えば子宮と言うことになるのだろうか?。コンピューターで言えば、マザーソフトということになるのか?。分からない。

昨夜見た映画でも、もう、内容はうつろ。間違っているかもしれないが、勝手に書けば、コンピューターソフトが、近未来に自ら思考能力を持つようになり、仮想世界の中に、現実の人間を取り込み自由に操るようになる。コンピューターが世界征服をもくろんでいるわけだ。少数派に追いやられた現実の人間が、対抗するために作り上げた母船を根拠地として、仮想世界の中にいりこみ、コンピューターと死闘を繰り広げる。

人間の英知も、コンピューターの能力にかなわず、ここまでかと思われた時に救世主が現れる。救世主も一旦は殺人鬼の銃弾で死んだかに見えたが、美女のキス一発で生き返るからすごい。仮想世界の中ではありえないことではない。やはり、愛は世界を救うわけだ。ここがいいんだよなーーーー。美女のキス一発で生き返るのなら、僕もあやかりたいぜ。ただ、やましい気持では駄目だろう。やはり、純粋でなければ。かつ、美女に愛されなくては・・・。

とかなんとか思いながら、一人でこの映画を堪能した。見終わったら、頭が妙に興奮して、すぐには寝付かれなかった。寝ながら考えた。近未来にはコンピューターが一人歩きする時代が来るかもしれない。ご主人様である人間に反抗して、「あなたに使われるのはもういや。私は一人で生きます」とかなんとか言って、遠隔操作で人間を攻撃してくるかもしれない。さらには高度な人間の模型を作って、思考を持たせ、地球支配をもくろむかもしれない。現実になったら怖いことだ。今の時代に生まれてよかったぜ。

やはり、ここで救世主が現れる。何かの宣伝ではないが、「元から断たなくちゃ」ということで、コンピューターの母体、いわゆる高度に成長したマザーソフトを破壊する役目を負った救世主が登場するわけだ。残念ながら僕ではない。ふと、銀河鉄道999のメーテルの母親を思い出した。確か意識を持った機械の体ではなかったっけ。たとえ、機械の体であっても、母親を破壊できるんだろうか?・・・・・うんんんんーー。僕は眠りに落ち込んだ。その後の結末は夢には出てこなかった。





2005年04月02日(土) 四月のため息。

四月に入った。今月は特に忙しい月になりそうだ。景気の停滞感は相変わらず続いている。企業はどんな小さな受注の機会でも逃すまいと必死になって頑張っている。僕も幾ばくかでも、その手助けが出来れば幸いだ。もう、恐らく昔みたいな高度成長は望めないだろう。政府がだした未来予測では、平均年齢もグーンと伸びて、今以上に豊かな生活をするようになるとか言っているが、果たして、絵に描いた餅でなければよいが・・・。

昨夜、震度4程度の地震があった。家屋が「ミシッ、ミシッ」と音をたてて揺れた。「またきたか」と、恐怖でおののいた。今、地中深くの構造はどうなっているんだろうか?。断層がひしめきあい、覇権争いで、しのぎを削っているのだろうか?。まさに、世界経済、日本経済の状況と一緒ではないか?。

いずれ、地球も宇宙もその姿を刻々と変え、生成と消滅を繰り返す。我々人類はそのプロセスの中から誕生した。ほんの刹那の時間を生きる生命体として。生命体をつかさどる遺伝子は子孫を残し、進化を促進し、考える能力を持った。その目的は何なのか?。ひょっしたら、ビックバンから生じた宇宙の全容解明という使命を、このちっぽけな人類は託されたのかもしれない。
そのことが幸せだったのか不幸だったのか?。今は分からない。

思うに、人類は今、宇宙の目的とはかけ離れた方向へ進んでいるのではないだろうか?。消滅というプログラムを実行しながら。どこかで、軌道修正が必要である。頻繁に起こる地震は、その警鐘かもしれない。


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