umityanの日記
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2002年02月28日(木) 太陽とカラスーー一体どういう関係?

早、二月の末日。つい先日、正月を迎えたばかりなのに、月日だけは無常にどんどん過ぎていく。中国のことわざで、鳥兎匆匆(うとそうそう)というのがある。鳥は太陽で兎は月を指し、月日のたつのは早いという意味だそうだ。早く大人になりたかった幼年期とは違い、今は「うらむべき日月なり」、である。今日は雨混じりのどんよりした天気だ。温かい。なんでも四月上旬の気温らしい。春の憂鬱というには早すぎるか?。新聞を広げた。どこを見ても心打たれる記事はなさそうだ。不景気の話と、事件で埋め尽くされている。そんな中で、おや、おもしろい記事が一つあった。さすがに、こういう論説やコラムを書く人の視点はすばらしい。カラスと関係がある話だ。あの、憎まれっ子のカラスが、奈良県明日香村のキトラ古墳の壁画に描かれていたらしい。キトラ古墳には東西南北に、それぞれ、青竜、白虎、玄武、朱雀、と、四つの神が描かれているという。神に守られて安眠したいと思うのは現代も古代も同じなんだろう。今度は黒いカラスの絵が見つかり、なんでも、三本足らしい。古代中国では、太陽に三本足のカラスがいると、信じられており、黒点をあらわしていたと言う。又、カラスを金鳥、陽鳥とか呼んで、慕われていたと同時に、空を飛ぶ鳥は霊魂であるとして、尊重されていたようだ。驚いた。さらに、記事は面白く続く。
日本にも三本足のカラスの民話があり、もともと犬も三本足だったが、歩くのに不便なので、権現様に願をかけたところ、カラスの足を一本とって、犬に与えたとのこと。そうして、カラスは足が二本、犬は四本になったと言う。犬が小便をするとき、片足を上げるのは授かった足を汚さないためとか。笑ってしまった。よくできた民話だ。今から1000年たてば、今の時代のことがどう描かれているだろうか?。「超ウルトラ不景気が続き、動物虐待、幼児虐待が日常茶飯事に行われていた、疎ましい時代」と、書かれるかもしれない。地球がそれまでもてればの話だが。


2002年02月26日(火) 鶏が鳴かないうちに、そろそろ休もうか。

今日は弟の加入している団体主催の講演会があった。是非、たくさんの人をつれてきて欲しいとの弟からの要請。以前も参加したことがあるが、それはそれはひどいものだった。まああ、弟が精一杯やっているので、悪口もいえないが。とりあえず、義兄弟のよしみで、今回も参加することにした。以前より話はよかったと思うが、僕には、もう一つなじめない。団体の宣伝ばかりは、もう結構といいたい。もちろん、いい団体ではあると思っているが。それはいいとして、講演会の後、行きつけの小料理屋でいっぱいやって帰ることにした。口直しというわけでもないが、食事をしていなかったので、雨宿りだ。まずは、一人でやっているママさんの店。常連客で結構にぎわっていた。僕は、いつも頼む焼酎をやめて、今日はお酒だ。何故って?その理由は簡単。最近見たテレビで、お酒は美肌に効果があると言っていたからである。僕は実に乗りやすいタイプ。お酒にはそういう効果があったのかと、すかさず酒を注文。ママさんが持ってきた徳利は、なんと、二合入り。まあ、二合なら飲みすぎることもあるまいと、飲んだが、さすがに、久しぶりに飲む酒はうまいと同時に、酔いも早いようだ。かわいいお猪口で、お酌を受けながら飲む酒もまた格別だ。グラスでのむ焼酎とは趣が違う。おやあああ、二合でほろ酔い加減。酒はきついぜ。さああ、帰ろうか思ったが、いつもの悪い癖。昔馴染みの、小料理屋へはしごだ。なんと、そこで、一年ぶりに、懐かしい人と出会ってしまった。英語の教師で、面白い人だ。僕も結構、珍しい苗字を持っているが、彼も僕と同年輩で、また、珍しい苗字の持ち主。苗字が取り持つ縁か、意気投合して教育論を戦わせてしまった。楽しい一時を過ごして今ご帰還である。今日は酩酊はしていない。自分で言うからまちがいはない。かつ、酩酊していたら、こんな日記も書けない。おおおおっつ、言い訳はいらないか。鶏が鳴かないうちに、そろそろ休もうか。


2002年02月24日(日) エレガントな宇宙は僕の恋人か?

今、ブライアン・グリーン著の「エレガントな宇宙」という本を読んでいる。まだ、500ページのうち、40ページしか読んでいないが、超ひも理論について書いてある。アインシュタインにもできなかった、宇宙の統一理論というか、統一原理を説明できる唯一の理論がこの超ひも理論だそうである。最初、「ひも」という言葉を見たとき、少なからずいやな印象を持った。何故って、僕の脳裏には、「僕は、あの子のひもなんだああ。うっしっし」とか言うように、好ましからぬ言葉としてインプットされていたからだ。もっと適切な言葉はなかったものか。むしろ「超ムチ理論」のほうが、痛くてよい。これは冗談。
アインシュタインの一般相対性理論、及び特殊相対性理論、更に量子力学、これらの理論が合致しない点を、見事に統一して、宇宙を説明しようという試みから、この超ひもの理論が考えられたらしい。まだ、ほんの入り口しか読んでいないので、僕は間違ったことを言っているかもしれない。それにしても面白い。宇宙の構成要素、原子、それよりも、もっともっと、小さい構成要素、クオーク、ニュートリノ、ミューオン、タウ粒子とかが発見された。陽子、中性子、電子なら聞いたことがあるが、これらは聞きなれない言葉ばかりだ。これらが複雑に組み合わさって、いろんな型の輪ゴム状のひもができる。すべての物質とすべての力が、この微細なひもの振動に起因する、ということに統一され、宇宙が説明できると言うわけだ。
「なんのこっちゃ、まったく分かりません。僕は文系でした」なんていってはいられない。すばらしいことだ。秋の夜長なら一気に読み干すところだが、あれやり、これやりで読んでいるので、いつになったら読み終えるのかまだ分からない。勉強することがありすぎて、一つのことばかりに集中できないのが悲しい。「ああああ、永遠の命が欲しい。それが無理なら、もっともっと若さと時間を」と言いたい。
近未来に、研究が進んで、宇宙生成の秘密や、宇宙の未来が解き明かされるだろう。願わくば、僕の存命中であってほしいものだ。


2002年02月23日(土) まだあげ初めし前髪の・・・・・。

「初恋」という詩がある。先日、ラジオを聴いていたら、この詩を朗読していた。あまりにも有名な詩だ。「まだあげ初めし前髪の、林檎のもとに見えしとき、前にさしたる花櫛の、花ある君とおもひけり・・・・」。いやあ、すばらしい。ふっと、昔にかえるとき、この詩を思い出すのだ。島崎藤村の作品で「若菜集」という詩集に納まっている。最初、誰の書いた詩だったかなーーと忘れていた。「若菜集」は明治30年に発表された藤村の処女詩集である。明治浪漫主義の時代とあいまって、多くの青年男女に愛されたそうだ。文学青年を自称していた僕も、学生時代、何を血迷ったか、かぶれたか、この詩を広用紙にマジックで書きとめ、壁に貼って観賞したものだ。同級生に絵を描く奴がいて、彼が描いた漫画チックな女性の画を詩集の下に貼りつけていた。女性にふられたり、むなしくなったとき、しげしげと、この理想の女性像を眺め、「わおん、わおん」と泣きたかったのだろう。「おおおおっつ、幼いこと」と笑わないでちょうだい。それにしても、あの頃は純粋だったと思う。この純粋さはいまだに尾を引いていると思うが、自分で言うのもおかしいか?。
最近は、まだあげ初めし前髪の女性が少なくなり、あげ初めないカラフルな前髪を持った女性が多くなってきた。これも時代の流れ、価値観の多様化といったところだろう。ただ、中年のおじんたちは、いまだに黒髪のあげ初めし前髪にあこがれをもっていることだけは事実だ。たとえ、あげ初めなくても、999のメーテルのように、長い黒髪が好きなようだ。
最近は世の中がせわしく、詩を読み、思いを馳せるゆとりなんてなくなった。今日、ふと、こういう詩にふれるチャンスにめぐまれたことは幸せである。


2002年02月17日(日) 年末以来の大掃除は大成功。

何もない日曜日。来客もない。いかにして過ごすか?。外は昨日とは、うって変わって、どんよりした曇り空。時々、小ぬか雨がしとしと降ちてくる。出かけるには忍びない。こういう日は、部屋でじっとしているか、もしくは日ごろ、やっていない掃除なんかするのもいいだろう。僕は本来、じっとしているのが嫌いなので、掃除に励むことにした。いやああ、僕ってまめなんですね。バケツにお湯を汲んで、さああ、雑巾がけだ。その前に掃除機で埃を一網打尽だ。二階から下まで。それにしても、廊下は結構、汚れているものだ。それもそのはず。スリッパをはいたまま、どらネコを外まで追いかけ、そのまま廊下にあがっていることがあるからだ。いやはや、困ったものだ。ネコの挙動に、頭が真っ白になるくらい興奮するなんて。というわけで、今日の大掃除は、年末以来となり、大成功だった。休憩がてら、久しぶりに二階のベランダから娑婆世界を見渡すと、「うんんん平和で静かだ。どこに人がいるのだろう?」って感じだ。ふと、瓦に目が行った、なんと、瓦の間をぬっている雨どいに、枯れた杉の葉が、たんまりと詰まっているではないか。一瞬、瓦に上って、杉を一掃しようかと思ったが、「屋根から落ちたら、もとこうもない」と思い直して、そのまましばらく放っておくことにした。心残りではあったが、部屋は見違えるようにきれいになった。やはり、清潔って気持ちがよい。
いつもこうありたいものだ。


2002年02月16日(土) 海中レストランは母のおっぱい。

久々に、快晴のよい天気。家で仕事をするにはもったいない。おまけに土曜日だ。この陽気に、つい誘われて海を見に行った。今住んでいるところは平野なので、海まで行くには1時間ちょっとのドライブが必要だ。やけに車が多いと思ったら、家族連れやら、カップルやらで一杯。皆、気持ちは一緒なんだと変に納得した。僕は海のすぐ近くで育ったので、海は見すぎるほど見てきた。ただ、何度見ても、一度も飽きたことがない。やはり、海は生命の源であり、母なる存在だからであろうか。やさしく何かを語り、心を癒してくれる海。そんな海の中に海中レストランがある。14−15メーターはあろうかと思われる、ゆらゆら揺れる長い桟橋を渡らねばならない。太い縄で海底に固定されている。何だか酒に酔ったみたいな気分になる。いけない、いけない。海に落ち込んだら大変だ。いくら水泳が達者とはいえ、まだ寒い冬の海だ。僕の心臓もいてつくに違いない。そうこう考えながら歩いていると、やがてレストランの入り口にたどり着く。地階に案内された。こぎれいな座敷があり、ふと、壁に埋め込まれたガラスの窓を見ると、外は海だ。ワカメが縁に付着している。時々、変わった魚が横切っていく。「あれ、何の魚?」「わからない」。うんん、なかなかしゃれている。まさに海中レストランだ。僕はイカ御膳に、うに飯をつけた。昼間からビールは不謹慎。ウーロン茶にした。生きたイカが足を動かしている。透き通ったイカの身は最高だ。甘くて、こりこりした舌触りはなんとも言えない。。ぺろりと平らげた。午後の2時近くだったが、店内は労若男女でにぎわっていた。ここはまさに娑婆世界から隔絶された別天地。不景気もリストラも円安も金融不安もない。あるのは母なる海と、そこで、栄養を補給されている赤ちゃんたちだ。海中レストランは、まさに母のおっぱいみたいなもの。ふうーーっと、そう考えてしまった。あああ、ぼくもまだアダルトチルドレンの域を脱していないようだ。



2002年02月14日(木) 昨夜は返り討ちにあったぜ。おお、酒は怖い。

昨夜は不景気を吹っ飛ばすべく出陣したはよいが、見事に返り討ちにあってしまった。大学時代の友人からテルがあり、ホテルで待ち合わせた。ビールを飲みながら話に興じたが、それにしても、ホテルのビールは高いものだ。まああ彼のおごりだったので、幸いだったが。小一時間ほど話して、いつものごとく、小料理屋へ直行した。ここも彼の行きつけで、こぎれいな店である。以前、日記にも紹介したことがあるが、それはそれは美人ママがひとりで経営していて、カウンターに6人、部屋に4人くらいしか座れない小さなお店である。ママひとりでやるなら十分かもしれない。
まさにSOHOといった所だ。ママさんはとても勉強家で、先日は僕の迷講義にいたく感心していたようだ。彼と僕はこれから先の仕事の話とかで意見交換などやり、焼酎でたっぷり胃を洗った。よく考えてみると、これがいけなかったか。ずいぶんと酩酊したようだ。その時は酔っていることに気がつかなかった。いやはや、僕も弱くなったぜ。ここにも1時間ばかりいて、更に、彼と僕は共通のお店である、しゃなりしゃなりのママさんの所へ行った。何故かここのお店は好きである。20歳過ぎのかわいい女性ばかり数十名もいて、僕たちはいつも、もてもて。「あら、先生たち、いらっしゃいませ。お待ちしておりましたわ」。こう上品に言われると悪い気がしない。僕たちはすぐ、鼻の下を長くしてしまうのだ。真っ白いソファーに腰掛け、彼女たちが横に座る。ここでも、焼酎を飲みながらたわいもない世間話に興じるのだ。彼女たちはコーラとか、ウーロン茶とかビールを飲む。「故郷はどこ?」。この言葉から、話はどんどん進展する。「あああああそこね。僕は何回も行ったよ。いいところだね。」とかなんとか言いながら、僕たちの手は、彼女たちの手を握っている。「きれいな手!!。ほらこれが生命線」とかなんとか言って触っている。これはもうオールドテクニックで、見え見え。あな、恥ずかしである。「本当に中年男って、スケベーでいやらしいんだから」と彼女たちは思っているだろう。いやああ、実はそうなんです。僕の若さの秘訣は・・・・ストレスをもたず、若い人をどんどん愛せるというか、好きになるというか、恋することなんです。こここまではよかった。その後は記憶がはっきりしない。店を出て、それから先の足取りがさだかではない。多分、車を置いていた別の行きつけの小料理屋へ行って、代行車で帰ったのだと思う。それほどに酩酊していたわけである。こうやって日記を書いている今でも、頭が少しくらくらする。酒は避けなくてもよいが、ほどほどにしなくちゃと、大いに反省。反省だけなら猿でもするというから、要は有言実行だ。さああ、今日からさっそく・・・やるで。


2002年02月13日(水) 清水選手、ご苦労様。

清水宏保さん、スピードスケート500メートルの銀メダルおめでとう。長野についでの二連覇にはならなかったが、心よりご苦労様と言いたい。前のめりになるかと思えるくらい姿勢を低くして、僕の胴体ほどもある、モモ肉を前後させ、弾丸のように、氷のリンクを走り抜く姿は、豹が獲物を追っている姿に似ていた。愛称を考えてみた。「和製ポパイちゃん」なんかどうだろう。里谷選手と同じく4年を経て、二大会でメダル獲得することは至難の業である。腰痛に悩まされ、追いかぶさるプレッシャーに、じっと耐えながら精進してきた姿に、涙を禁じえない。再度、4年後の五輪で、活躍してくれることを切に望みたい。
不景気、デフレ、企業倒産、リストラといった社会不安が渦巻く中で、懸命に自己研鑽しながら、夢を追い続けて来た幾多の五輪選手たち。彼らのたゆまない努力の姿を垣間見た今、日本の未来もまだ、捨てた物ではないように思える。今朝は、ただただ敬虔な気持で五輪の報道に耳を傾けていた。早朝5時ごろから、ラジオ聞いていたのである。さああ、今日も不景気を吹っ飛ばすべく出陣だ。


2002年02月12日(火) 里谷多英さん、おめでとう

ソルトレーク冬季オリンピックで里谷多英さんがフリースタイル女子モーグルで銅メダルを獲得した。心からおめでとうと言いたい。長野五輪では金メダルだったから、二大会連続のメダル獲得である。二人三脚で歩んできた父親を亡くし、スランプもあったが、めげず、黙々と精進してきた姿には本当に心を打たれた。また、あっけらかんとしたしゃべりと笑顔がじつにかわいい。彼女の飾らない素朴な姿は好感度120パーセントだ。ここで、勝利の雄たけびを。狼の遠吠えではないが、「わおーーーーー」。もう一発。「わおーーーっつ」。
モーグルという競技があることを僕が知ったのは長野五輪の時が初めてであった。雪の障害物、まるでらくだの背中のこぶみたいな、でこぼこの斜面を巧みにスキーを操り滑る。断崖絶壁にさしかかると、華麗にジャンプして、腰を二・三回、横に振り、さらにスキー靴をはいた両足を180度になるくらいに開脚して着地する。いやあああ、まるで、空を飛ぶ芸術作品といったところである。モーグルという言葉を聴いたとき連想したものは「モグラ」であった。ゲームで「もぐらたたき」というのがあるが、まさにそれである。モグラが頭を出したところが雪のでこぼこ。そこをスキーが頭をたたくように滑る。次から次へとモグラの頭をたたきながら滑る。面白い競技だと思った。見るものにとっては、こんな風に簡単に言えるが、実際は相当に高いレベルの技術が必要なのだろう。里谷さんにニックネームをつけた。「モグラーちゃん」なんてどうだろう?いつまでも、里谷スマイルで世界を魅了し、がんばって欲しいと思う。


2002年02月11日(月) 一人、車で走りながら思うこと。

今日も寒い一日だった。建国記念日ということで、土曜日から三連休になる。めでたくもあり、めでたくもなし。ただ、休みはゆっくりできるから好きである。といいながら、実は今日は仕事で遠出した。いやはや、車が混んでいていやになった。皆、お互いに、そう思っているのだろう。車のすれ違いざま、相手車のドライバーの顔をチラッとみると、相手もこちらを見ている。僕と同様、誰もかれも、苦虫をつぶした顔をしているではないか。小雪交じりの空を眺めながら、一人で走るドライブもつまらないものだ。彼女を助手席に乗せて、意気揚々と走っている若者たちがいる。「ばかやろう・・・事故起こすなよ」と言いたくなる。時々、サングラスをかけて、髪をなでなで走っている粋な女性とすれ違うことがある。おっとあぶない。長い時間、目で追うのは禁物だ。「目の毒だから、もっと地味な姿で走ってね」と言えば、「ふん、余計なお世話よ」と、切返えされそうだ。
ラジオのスイッチをいれた。日本の農業と林業と水と稲作とかについて、大学の先生がしゃべっていた。どれも、独立しては存在せず、林業も農業も一体であるという考えはおもしろかった。何でも、日本は世界一の緑の国らしい。外国から日本に帰ってくるとそれが分かるそうだ。日本は太古より木を植えてきた。外国では伐採して荒らしてきた。緑の国、日本を生んだのは、その違いだそうだ。稲作が伝来し、日本の棚田には水が必要だった。水を引くためには灌漑土木作業も必要だ。そこから考えると、川・・・材木・・・森林・・・植樹・・・手入れ・・農業も林業も一体という構想が成り立つ。この構想がぴたりとはまってきたのが、日本型農林水産業だろう。今はその型も崩れつつあり、食料需給率だって40パーセント弱で、世界の中でも低い位置にある。「悲しいぜ、緑の国、日本」と言いたくなる。
索漠と混沌が同居し、どこへ向かおうとしているのか分からない21世紀。「あなたの夢はなんですか」と問いたい。その前に僕の夢は?。「僕の夢?何だろう?分かりません。」ああああ、悲しいかな僕。


2002年02月10日(日) 愛犬エルではなく愛鳥エル君との遭遇

愛犬、エルが亡くなって、裏玄関が淋しくなった。今は、あちこちから色とりどりの猫たちが我が物顔で、えさを食べにくる。図体のでかい、たらふくまんまの、百戦錬磨のボスネコみたいな奴が、我が家にいついた白猫を無視して、堂々とえさをむさぼっているではないか。僕が遠くから「しーーーっつ」と叫んでも効き目なし。さすがに僕も怒ったぜ。僕は部屋のスリッパをはいたまま、「わおーーーーーー」と叫んで、そのどらネコを追いかけた。逃げ足の速いこと、速いこと。僕だって負けずにしっこく追い回してやった。ドラは一目散に逃げて、やがて、田んぼの中に消えていった。おそらくしばらくはやって来ないだろう。「あそこの家には、わおーーーーっつと叫ぶ変人がいるぞ」とネコ仲間に情報が伝達されることだろう。それが僕のねらいでもある。僕の目玉が黒いうちは好き勝手はさせないぞ。こんなことを書くと動物愛護協会から怒られそうであるが、僕は礼儀を知らない奴らは大嫌いである。たとえ、ネコであっても、恥じらいや遠慮というものがあってもよいだろう。遠巻きに淋しそうにしている姿をみれば僕だって、「おおおい、ここに来いよ」と、声をかけるくらいの情は持っているつもりだ。ところが、驚いたことに、最近はネコだけではなく、すずめ君やカラスまでがネコのえさを食べにきはじめた。不景気は人間の世界ばかりかと思っていたが、どうも違うようだ。他の哺乳動物や、鳥類までが、食糧難であえいでいる。由々しいことだ。実は、今日、一心不乱にえさを食べているすずめ君を捕獲した。いつも、裏玄関で、ピーチクパーチクやっていて、僕たちが出入りしても、まったく警戒心のないようなすずめ君であった。さすがに冷え込んだ今日は、娑婆のえさが不足していたのか、それはもう「ガッツガッツ」とやっていた。そっと静かに背中から、とらえると、何の抵抗もなく、僕のグローブみたいな手の中に納まってしまった。つぶらな瞳が、エルの目に似て、かわいいではないか。「うんんん、どうしようかと」迷ったが、鳥かごが空いていたので、とりあえず、預かることにした。できれば、早く娑婆に戻してあげたい。
今、鳥かごの中で、静かにしているようだ。明日は娑婆にかえそう。それが一番良いことのように思える。えさがなくなったら、裏玄関にくればいいことだから。
できれば長生きして欲しいものだ。くれぐれも、どらネコに牙をむかれないように注意して欲しい。


2002年02月07日(木) キリリッツとした梅の花。いやああ気高い。

二月は一番寒い時期なのに、暖かい日が続いている。北海道では、雪祭りの雪像が溶け出して、修復に大変だそうだ。異常気象なのだろう。ここ、我が住まいの近辺でも、温かさに誘われて、いまや遅しと、血気盛んな若芽たちが、成長への息吹ををあげている。庭の梅の花はすでに咲き誇っている。きれいだ。梅の花が人間であれば、僕は叫ぶだろう。「お慕い申し上げていました。以前から」ということになるだろう。これは飛躍しすぎか?。僕が好きな花の一つである。キリリッツとした花びらは、まさに貴婦人のごとく、気高い感じがする。昨夜、友人と、梅の話をしていたら、「木瓜(ぼけ)の花」が話題になった。僕は「木瓜の花」って、どんなのか知らなかった。何でも、とげがあり、バラ科の落葉潅木らしい。花びらは紅色で見事だそうな。又、桜の花びらよりは少し大きいらしい。へええ、木瓜(ぼけ)ねーーー。少し興味があったので、早速、インターネットで検索をかけたら、それはそれは美しい花が現れた。なるほど。感心した。だが、やはり、梅の花の気高さには劣るようだ。そういえば、正月過ぎた頃、稲荷神社に参拝した。道すがら、植木が売ってあった。そこに、梅の香りによく似た「蝋梅」があった。黄色の光沢のある花びらは、これまた見事。一目で気に入ってしまった。今頃が満開のようだ。2500円で苗木を買い、早速、植えている。今からその成長が楽しみだ。二月、三月は新しい命がいっせいに産声を上げる季節。何故か新鮮でみずみずしい。いつも思うことだが、今の心を持ったまま、僕も生まれ変れたらなあーーと。かなわぬ夢である。「かなわぬ夢としりつつ、エステで磨きをかける中年かな」。なんのこっちゃ。そそろそろお休みしよう。


2002年02月06日(水) 進化の担い手

今日は久しぶりに4時に目が覚めた。しばらくうつろんで、起きたのは5時である。まわりはまだ闇に包まれている。僕はいつものごとく洗面をして、やかんで湯をわかす。もちろん温かいコーヒーを飲むためだ。自分で入れて飲むコーヒーって最高。ミルクや砂糖の加減がよく分かっているからだ。人に入れてもらうと、おいしいときもあるが、結構、不満な味の時が多い。まあ、贅沢も言えないが。誰かが言っていたが、うまいコーヒーを飲みながら夜中か早朝に仕事をするのが一番いいって。確かにそう思う。僕は今、こうやってキーボードをたたいている。頭は冴え渡っているようだ。アルコールはないが絶好調と言いたい。言葉がぽんぽん飛び出す。静寂のなかで、僕の部屋だけが、きんきらきんと明るい。やがて、カーテンの外がまどろみはじめ、景色が見えてくるのだ。いまはまだ、街灯の薄ぼんやりした明かりだけが点々と見える。生活の明かりはほとんど灯っていない。小さい頃は、こんな静寂が嫌いだった。意外と臆病で、ちょっとしたことで、びくっつとするような、怖がりやだった。おどおどしながら夜が明けるのを待っていたものだ。それはそうと、こうやって一人で静かにいると、いろんなことを考えてしまう。生、死、愛、憎しみ、経済、不況、親、兄弟、・・・・・・・。
それぞれの、いろんな思いが浮かんでは消え、複雑な心境になる。最近、愛犬、エルが死んだ。朝、新聞がまだかなと、裏玄関を覗くと、やわらかい布でできた丸い布団のなかで、端っこに首をちょこんとのせて、小さな目で僕の姿を追ったエルはもういない。何だか変な感じだ。エルが死んでも世の中はちっとも変わらない。僕の心がちょっと変化しただけだ。僕が死んだときも、おそらくそうだろう。何事もなかったかのように、時は正確に刻まれ、世の中は淡々としているだろう。ただ、僕の死を悲しんでくれる人は何人かはいるかもしれない。僕がエルの死を悲しんでいるように。いずれにしても、僕たち生きとし生けるものは、進化を担う旅人だ。エルが与えてくれたいつわざる愛情は僕の心に刻まれ、僕の心はまた、次の世代に、より昇華されて引き継がれて欲しいものだ。死が避けられないものであればあるほど、「進化を担う旅人」という言葉が慰めになるというか、安心感を与えてくれる。何度も書くが、よりよい進化の担い手になりたいものだ。


2002年02月01日(金) おいしい般若湯はいかが?

早、二月。後11ヶ月でまた正月だ。いまから待ち遠しくて仕方がない。僕は年末から正月を迎える頃が何故か好きである。人生のきりかえができるからかも知れない。どっぷりと体に染み付いた穢れを、除夜の鐘とともに払拭し、「我がもろもろの罪をお許しください」と、ひたすら懺悔する。かくして新鮮な細胞を持った肉体とともに新年を迎え、人生を謳歌したいではないか。・・・・・・。「わおーーーっつ」。
それはそうと、一月が過ぎた今、世の中が面白く感じられない。右を向いても左を向いても、暗い話ばかりだ。世の中全体が、ピリピリしていて、笑顔がない。覇気がない。皆、我が生きることで精一杯なのかもしれない。高度成長の時代がとっくに去り、超ウルトラ不景気の時代をまっしぐら進んでいる日本。明日はわが身がリストラ、企業倒産の憂き目を見るかもしれない。笑って、のほほんとしている暇など、とても、もてないのが現実だ。そういえば、僕自信も、のほほんと、般若湯でうつつを抜かす機会がかなり減ってきた。昔は知恵の水が悪魔の水にたびたび変化し、口がよく滑り、人生が面白くて絶好調だった。今は、無口で、おりこうさんの僕になっている。世の中が暗いと、僕の心まで湿っぽくなってしまい、般若湯がおいしくないのだ。こう言っても誰も信じてくれそうにないので、般若湯の話は止めておこう。
そうそう、あるメル友さんが、「あなたは今、恋していますか」と聞いてきたことがある。ぼくはすかさず答えた。「もちろんです。僕から恋をとったら何がのこるでしょう。生ける屍と一緒じゃないですか。メル友さん、あなたも僕のキューピットの一人なんですよ」と。メル友さんが書いていた最後の言葉が「ざくっ」と僕の心に刺さった。「風邪がはやっているので、気をつけてくださいな。特にトラになったときはね」。うんんん、「トラ」ねえーーーー。最近「トラ」にはなりませんよ。せいぜい、三毛猫程度でしょうか?
あああ、また、おいしい般若湯が飲みたいなあーー。


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