stray notes

氷砂糖

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吉祥寺
2002年11月30日(土)

最近よく読んでいる作家の作品に、吉祥寺がときどき出て来る。作者はそのあたりのひとなのかな? 詳しいことは知らないのだけれど、まあともかく。吉祥寺は、学生の頃何度か行ったことがあるので、雰囲気を思い出しながら読んでいた。

なぜ吉祥寺に行っていたかというと、当時その場所に、同人作家が集まって同人誌を売っている、直営店のようなものがあったのだ。本屋で買った雑誌に、場所や行き方が書いてあったので、ふーんどんな感じなんだろ、と行ってみたら、感じがよかったのだと思う。その場所がなくなるまで、半年に1回くらい通っていたのではないだろうか。

あと、広い公園も好きなので、リフレッシュしたいときにふらりと行ったりもしていた。そこはカップルで行くとよくないと聞いていたので、ほとんどひとりで行っていたような気がする。全体に、緑が豊かで、ひともまちもお洒落で、でもどこかひなびたあたたかさもあって..というイメージがある(少し遠い記憶なので、細かいところはぼやけているけれど)。

それにしても。吉祥寺を思うと、どことなくしあわせそうな自分が思い浮かぶのがなんだか可笑しい。学生時代、というのは、面倒くさがりの自分にしては、比較的人付き合いをしていた時期で、男の子とデートしたり、女友達と遊びに行ったりと、それなりに楽しんでいたつもりだったけれど。しあわせ、というのとはどこか違っていたらしい。

日の光が窓から入る時間、あまり込んでいない電車に座り、のんびりと揺られながら、買ったばかりの同人誌をぱらぱらと眺め、ひとり自足して家に向かっている。あの時間は、やはり至福としか言いようがなく。根本的に、わたしってオタクなんだなー、と。変なことまで思い出してしまった。


吹き抜け
2002年11月26日(火)

最近気付いた。わたしはどうも吹き抜けの場所が好きらしい。身長がこの年齢の女性にしては高めのせいか、天井の低い場所は圧迫を感じるし、多少猫背気味でもあるので、上を見上げるのは背筋が伸びて気持ちいいのかもしれない。

幸い、かはわからないが、今の職場がある建物も、職場近くのお店も、吹き抜けになっている場所がある。休み時間などは、つい立ち止まり、1階から2〜3階上の天井を眺めてしまう。片方には窓があり、ちいさく空が見えるのもいい。しかしどうも上を見ていると、口がパカーと開いてしまうのが難点だ。同僚に見られたら少し恥ずかしいだろうと思う(ちなみに上を見る場合、口は閉じてるより開けてるほうが楽)。

もともと緑の豊かな場所や、広々とした場所が好きなのだが、あまり頻繁にそういう場所へはいけないので、こういうところでリフレッシュしているのかな、と思う。そういえば、上を向いていると、涙がこぼれないものなんでしたっけ? 泣くときには泣いてしまうほうなので、試したことはないのだけれども。上を向いて、もしそこが吹き抜けになっている場所なら、泣きやめる気もするなぁと思う。

話は飛ぶけれど、わたしはネットサーフィンしているときにも、ときどき口をぽかーんとあけていることがあるらしい(夫にときどき注意される)。素敵な文や綺麗な写真を見ているときなのだろうから、本人はしあわせなのだけれど、端から見ると、やはり馬鹿っぽいのかもしれない。


ライトアップ
2002年11月25日(月)

クリスマスまで1ヶ月、電飾があちこちで光って点滅しているなーと思う。べつだん雑誌の夜景スポットに載るような場所のことではなく、近隣の民家を見ているのだが。皆そういうのが好きなんだねぇ、と思う。

夜、歩いているときなどに見かけると、まずはああ、綺麗だなと思う。しかし次の瞬間、すこし首を傾げてしまう。電気代大丈夫なのかな。マンションのエントランスについてるのとかは、やっぱり共益費とかから出てるのかな? でも、ごく普通のアパートの一室の窓や、一軒家の壁などについているのは、そのおうちのひとがつけたり消したりしてるんですよね? たぶん。ブレーカーが落ちたりしないのだろうか。必ずしも豊かそうな家ばかりが、電飾をつけてるとは限らないのだが。

疑問が浮かばないでもないけれど、しばらくするとやはり、綺麗には違いないな、と思う。寒いせいもあって、暖かな気持ちになるし。暗いところで見れば、明るい感じがするし。結局ありがたいなぁ、とだけ思って、心楽しく見ていればいいだけなのかもしれない。


車違いです
2002年11月23日(土)

少し前の話。わたしが何か忘れたか、あるいは夫が単独で用をすませていたときのこと。夫は家の近くの道路に一時停車して、家にいたわたしを待っていた。わたしは急いで車に駆け寄ったが、夫の停めている場所から少し離れた場所で、数人の女性が車を眺めていることに気付いた。

なんだろー、と思いながら車に乗り込んだら、夫が「失敗した!」と言う。「はい? 何が?」と聞くと、「ここの近くにさ、いつも路駐してるセレスがいるじゃん。あれ、この車と同じ色なんだよ。絶対間違われてるよー」
「あー。いたね、そういえば。でも、何か言われたら違うって言えばいいんじゃない?」

何か言われたりはしなかったが、ずうっと睨まれていた。「うーん。うちはちゃんと駐車場使ってるのにね。路駐もそんなにしないし..」「でもまあ普通、マリノとセレスじゃ見分けつかないだろうしなー」「そうだねぇ、うちじゃないんだけどねぇ..」

あれ以来、相変わらず路駐しているセレスを見かけると、複雑な気分になる。確かにわたしも、違いがよくわかっているわけではないのだが。


気合と根性
2002年11月20日(水)

12月下旬並みの気温です、と言われても、あまり厚着はできずにいる。厚手のニットやコートはまだ出していないせいもあるし、今年まだ着ていない薄手のニットやジャケットも使いたいせいもある。朝や夕方、すこし冷えるかなー? と思うこともあるが、そこは「気合と根性!」と内心で唱えて乗り切っている。

この「気合と根性」は、実家にいた頃、今のような時期に、弟がよく使っていた言葉だ。うちはあまり裕福な家ではなかったけれど、お洒落な弟は、あれこれ工夫して服を着ていた。安物も、人にもらったものも、彼が着るとそうは見えないので、常々凄いなぁ、と思っていた。が、彼は言っていた。「実はこれ、あったかそーにみえて結構寒いんだよねー」と。「でも、そこは気合と根性で行ってきます」と笑っていた。

当時のわたしは、服装や外見などにかまわず生きていたので、ふーんそういうものかな、でも風邪ひかないように気をつけるんだよ、と送り出していたが。最近、これでは少し寒いかなー? と思っても、彼とあのことばを思い出し、縮こまることなく、仕事や買い物に出かけている。

勿論、本格的に寒くなり、気合と根性だけではもたなくなったら、ちゃんと防寒するつもりですが。



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