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2004年09月23日(木) 体の不調×チャクラ×精神状態/road to kobe/お墓参りとチャート・part 2

←←←←←20040922日分からの続きです♪←←←←←

そして、今回、このお彼岸の時期に、わたしがこのお墓に導かれたのは
何故なんだろう、という問いは、おばあちゃんの亡くなられた年齢に
秘密が隠されていたようなのでした。36才の誕生日をあと数日後に
控えて亡くなったおばあちゃん。いわゆるソーラーリターンの直前の、
一年のうちでも、その人の生命レベルが一番低下するという時期に
亡くなったということになるのですが、つまり、おばあちゃんは
35才にして亡くなったという訳で。なんとそれはまさに今のわたしの
年齢で。

母が4才の時に亡くなったのですが、わたし自身の子供であるふたごの
ちび坊主たちも今4才。とっさに、もしかして、おばあちゃんも
今のわたしのように、n冥王星にt冥王星がスクエアで来ていたのかな?
と思ったのですが、後で調べたら、おばあちゃんのnatal chartに
トランジットを重ねても、冥王星同士のスクエアはできませんでした。
それにしても、です。そもそも多分、わたしが今年になって、今頃に
なって急におばあちゃんのお墓のことが気になりだしたのも、大元を
辿れば、今年に入ってから急に体調を崩すことが多くなったことが
遠因で。体調不良が、どうやらt冥王星の動きにリンクしている、と
わかってからは、冥王星からのメッセージを受け取って、自分なりに
解釈を重ねる日々だったのですが、それは、わたしにとっては精神的な
目に見えない世界と自分の体がいかに密接に関わり合っているのか、
ということを発見する日々でもあり。

そこまで考えが至った時、思わず、あ!と声が出てしまいました。
というのも、実は、お世話になっている鍼灸師さんが、ご自身の
ホームページ上に、クライアントさんの了承の元で、クライアント
さんの症状について考察なさったことを、研究発表という形で
載せていらっしゃるのです。わたしもサンプラーに協力させて
頂いたのですが、レポートがまとまりましたので、とのお知らせを
頂いて覗きに行かせていただいて驚いたのです。わたしの体調不良は
なんと、上の子の出産後の、いわゆる、産後の戻りが悪い、という
状態が事の発端だとそこに記されていたのです。

ただでさえしっかりと体調を戻していなかったところに、下に
ふたごを授かって、妊娠〜出産後とまた体調を崩してしまい、
体がガタガタになってしまっていたのに、自分ではそのことに
無自覚だった為に、体に無理をかけてしまっていたのが、
今年に入ってからの体調不良のそもそもの原因だったのでは
ないか、というのが先生の所見だったのでした。

もともと体が弱かったおばあちゃんが、4人もの子供を産んで、
徐々に生命力を消耗していってしまったのは想像に難くないこと。
母の出産後、年子で末っ子である母の妹を産んで、そして
2年後に亡くなってしまったおばあちゃん。産後の体調不良を
油断してはいけませんよ、体を大切にしなさいね、と教えて
くれたかったのかもしれないなぁ。

子供の成長半ばに、幼い子供たちを残して先行く忍びない思い。
きっと、それを伝えたくて、わたしに後悔して欲しくなくて、
おばあちゃんはわたしをこの時期に、このタイミングで呼んで
くれたのかなぁ、と思ったのでした。わたしは、わたしのだけの
意志ではなく、色んな人に守られながら、支えられながら、
子育てをさせてもらっているんだなぁ、と実感したのでした。

帰ってから改めて母に聞いてみたところ、グランパ自身も、
早くに実母を亡くしていて、母曰く、多分父親の手で育てられた
のだろう、とのこと。だから、グランパも愛情表現が下手だった
のよね、と母。そんな父に育てられ、また、自身も実母を早くに
亡くして、これまた愛情表現の下手だったわたしの母。

けれど、そんな母に育てられながら、わたしは、なんとかこの
愛情表現の下手さからくる、子供への厳しく難しい愛情表現を
次の世代に繋げてはいけない、と、強く感じていて。だから
試行錯誤して今まで子育てをしてきて。今、とあることを
きっかけに、わたしは自身の子育てに関する一つのターニング
ポイントを迎えているなぁ、と朧気ながらに自覚していて。
というのも、とある争いを通して、わたしは、自分なりの理想の
子育てというものを、ここしばらく放棄してしまっていたことを
痛感していた所だったのです。そして、もう一度、上の子を産んで
育て始めていた頃の自分の理想を取り戻さなくてはいけない、と、
旦那と二人で仕切直しを始めていたのでした。

わたしにとっての子育ては、世話をすることではなく、あくまでも
彼らが1人の人間として自立して自分の幸せを掴むことができる
ようになるまでの、サポート。そのことをはっきりと自覚し直した
時に、おばあちゃんのお墓に呼ばれたのでした。頑張りなさい、って
励ましてもらったのかもしれない。見守ってますよ、って教えて
くれたのかもしれない。

これらのことは図らずも、以前西瓜糖の深見陶湖さんのところでわたしに
メッセージを贈ってきてくれた、スペインのマダムの言ってたことにも
通じて。"あなた、子供産んだことないから、子供のことわからない
でしょ?"というメッセージ。確かに、子供をどう愛すればいいのか、
わたしは前世という観点からみても、ご先祖という血縁を辿ってみても、
分かりにくい生まれの人間なのかもしれない。けれど、あの時、陶湖さんが
受け取ってくれた、"これからはずっと一緒に側にいてくれるって"という
マダムからのメッセージ。わたし、みんなに見守られてる。もし間違えた
道順を辿ってしまったら、きっと、誰かがそう教えてくれるだろう。
戸惑うこともいっぱい、自信なんてないし、迷ってばかりの子育てだけど、
今こうして道が開けているなら、この道を歩けば大丈夫、そう思えた。

いいお墓参りだったなぁ、と何度もうっとりしながら、この機会を
作ってくれた旦那に何度もありがとうを伝えて。母に感謝して。
この世の全てに、天のいと高きところに存在する力に感謝して。
そして帰路についたのでした。

外娘(笑で、大きな末っ子でもある愛ムスメmidoriちゃんに教えてもらった、
大好きなLUSHのお店に、神戸でばったり遭遇するという嬉しい
ハプニングにも見舞われ、帰りにはちび達のお土産に楽しいお風呂グッズ
と、わたしのリラグゼイション・アイテムも袋いっぱいに買い込んで♪♪

*****

あっという間だった旅も終わり、家に戻ってからさっそくおばあちゃんの
チャートを出してみました。あぁ、わたしはこのおばあちゃんに守られて
生まれてきたんだなぁ、としみじみ。おばあちゃんの木星が、わたしの
ascendantにぴったり乗っていたのでした。ちなみにおばあちゃんの木星は
天王星とconjunction。この天王星が、わたしにどう影響しているのか?!
というより、おばあちゃん、みずがめの天王星世代の人だったんだなぁ。。
わたしのascendantがみずがめなのは、やっぱりおばあちゃんの影響なのかな。

それから、度数は違うけれど、おばあちゃんのヘッドもうおでした。
おばあちゃんの魂とわたしの魂は、ベクトルが同じ方向を向いているのかも
しれません。おばあちゃんのやぎ月oppositionかに海王は、わたしの母の
ヘッド&テイルにぴったり乗っていました。母のテイルにおばあちゃんの
やぎ月が乗っているところ辺り、なんとなく母が自分の母性というものに
やや過剰にコンプレックスを感じてしまうのを見てとれる気がしました。
度数は違いますが、月がやぎなところは、わたしの娘が引き継いだ模様(^^

おばあちゃんはうおがover loadしてます。母がうおの人と結婚したことや、
わたしが、うおの父やうおの旦那始め、うお色濃い人たちにいっぱい囲ま
れた人生を送っているのも、おばあちゃんが守っていてくれているからな
のかも?!

お墓参りに行った19日は、月がさそり座を通過中。わたしの9hでのこと。
遠く憧れを追い求めて旅に出たのはまさにその通り。けれど、このさそり
というのには、もう一つ思い入れがあって。もしかして、今回のお墓参りは
グランパが道を開いてくれたのかな、って。グランパは太陽がさそりの26'。
それはわたしの9hの海王星にぴったりconjunctionしていて。わたしの
海王星は月とopposition。そこを月が通過中だったということ。しかも、
わたしの太陽の上にはグランパの冥王星が乗っているのです。またしても
冥王星が登場しましたが。

冥王星は、生と死、死と復活を象徴するところから、どうもわたしは
ご先祖やルーツといったところにイメージが結びつく。それはさそり座の
もう一つのルーラーである火星とはまた別のイメージ。元々、わたしは
8hに、冥王星、天王星、木星、テイルといった、どれも自分のパーソ
ナリティに直結しなさそうな大きな天体&感受点が入っているので、8hや
さそり、冥王星といった力には、無自覚なんじゃないかと思っているの
ですが、それでもここまで来ると、さすが冥王星!!とでも言いたくなる
ような。

ちなみに、この世に生まれたからには、何か生きた証を残して死んで
ゆきたい、という願望はわたしにも根強く息づいていて。それこそが
わたしの5h太陽の上に乗っかってるグランパの冥王星が効いている
何よりの現れなのかな、なんて(笑

ところで、ひょんな流れで、明日は母とグランパのお墓参りに行くことに。
ちゃんとお礼参りの道も用意しておくなんて、さすがグランパです、
明日持っていくデジカメの中に、まだおばあちゃんのお墓の画像、
残してあるから、待っててね(^^*

 






2004年09月22日(水) 体の不調×チャクラ×精神状態/road to kobe/お墓参りとチャート


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 today's moon いて28'〜やぎ12 '
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   ★☆今日のbody☆★

今月は早々に3日の日に鍼灸師さんの所へ行ってきました。
って、最近、体の話はどうも鍼灸絡みになってしまってます(笑

自分自身では、少し腰が重いのが気になっていて、それに加えて
どうも、また膀胱炎を起こしてしまいそうな気配がしていて。
先生曰く、足にも軽い浮腫みが出ているとのこと。下半身の
気の流れが停滞しているんですかねぇ、、、。

東洋系の知識は全くといって程ないので、わたしがここで語るのは
控えておきますが、ここでチャクラに関連付けて今のわたしの
状態なんぞ自分で分析してみると;

まず、足の浮腫みや腰痛などといった部位の不調は第1チャクラの
滞りに原因がありそう。第1チャクラが不活性になる背景には
例えば家族や部族といった、その人が生まれたバックグラウンド
とのの軋轢があったり、生きていく基本の力としての、家庭や
所属する場に帰属するといった安心感の欠如といったことが
あげられるそう。他には社会や家庭の掟に関する何らかのトラブルを
自分自身が抱えている時なども考えられるそうです。

そして膀胱は第2チャクラの支配する部位。この第2チャクラの
支配する部位の不調は、例えば金銭だったり、セックスに関する
ことだったり、罪悪感だったり。つまり、比較的原始的な意味での
パワーゲームに関わることと言えそう。他には、人間関係での倫理や
尊厳といった問題にも関わってくるそう。

読む人が読めば、あ〜、そっかぁ、成る程ねぇ、って、まさに
今のわたしが抱えている諸問題にリンクしまくりな状態で。
けど、お恥ずかしいので敢えて一体何が起きているのかは
伏せさせて頂きます、ご勘弁。とゆーか、隠すと、いっそう
いらぬ妄想を掻き立てる結果になってしまいそうなのが
我ながらとほほな感じなんですけど(苦笑

わざわざあらぬ方向に想像を膨らませてにやりとしている方々の
笑顔が若干名浮かび上がってきますが、、、←やんわり釘刺し(笑

えーっと、この日の施術後、自覚症状があった上の部位以外では
首の冷えが気になるなぁ、との指摘を受けました。首に風が入って
いるのよねぇ〜、何だろうねぇ、という表現。この日は朝風呂に
入ってから出掛けたので、洗いざらしの髪で肩でも冷やしたのかな?
なんて思ってあまり気にかけていなかったのですが、先生からは
少し気をつけていてみてね、あまり首を冷やさないように、との
お言葉。

ところが、その数日後、先生の危惧なさっていた勘が、現実の
こととなってしまってびっくり。とある場で、人間関係の摩擦から
起きた紛争の火の粉を被ってしまい、とゆーより、なんだか訳の
わからないうちに、当事者に祭り上げられていて、えらい勢いで
ネガティブなエネルギーを浴びまくって、急速に体調を崩して、
ずるずると3週間近くも風邪を引いてしまったのでした。
同時期に、すっかり完治したはずの、歯がまた突発的に
痛み出したり。

先程のようにチャクラに対応させてみると、首も歯も、第5チャクラが
支配する部位。自分の意志だったり、選択の力だったり。広い意味で
人生を生きることに繋がる、自己表現や創造力。それに付随してくる
価値判断、決断力、批判などといった事柄が起因となっての不調
らしいです。

そして、今回の風邪は鼻風邪。鼻は第6チャクラに対応するそう。
自己評価や知性の力、人の考えを受け入れたり、経験から学ぶと
いったことに関連する事柄の不調が考えられるそう。

成る程ねぇ〜。って、自分で感心してちゃ仕方ないんですが。
体って、ほんとに正直なのねぇ、としみじみ。

ちなみに、ここ数日、どうも胸のあたりに嫌な感じが走るのです。
先程から、左肩も微妙に重い感じ。胸や肩は第4チャクラの支配してる
部位。感情面でのテーマは、愛と憎しみ、拒絶感や反感、怒りといった
自己中心性から起こる、ネガティブな感情らしいです。これをどう
転化して、ポジティブなエネルギー、つまり許しや慈しみの心、
信頼や希望といったものに変えていくのか。これがここ当分の
わたしの課題になりそうだなぁ、、、。

ふぅ。そんな訳で、まだまだいっぱい宿題抱えてますわ、な、夏休み明けの
ここ一ヶ月なのでした。折しも今日は昼ごろから月がやぎ入り。
やぎを支配するところの土星パワーを借りて、こうして宿題を日記に
落とし込むわたし、の図(笑 わたしの場合、やぎは12hなので、
まさに、整理と浄化の数日間になりそうな、、、。

 ☆★今日のmind★☆

ところで、先日、旦那と二人で神戸に一泊二日の小旅行してきました。
目的は、お墓参り。イギリス生まれ、横浜育ちなわたしなのですが、
実は戸籍は愛知県だったり、母方の実家が神戸にあったりと、
西方面にやたらとご縁の濃いわたし。関西弁を話す男性に弱かったり
します(笑 なんでかなぁ、ってずっと不思議だったんだけど、
血は争えないってヤツなんですかね?? わたし自身は関西方面で
生活してたことは全くないのですが、それでも関西弁に強く惹かれて
しまうのでした。

お酒の席に関西方面の方がいらっしゃると、酔いが回るうちに、
ついつい関西弁が移ってしまって、関西の方々に、なんか1人
怪しいヤツがいる、と煙たがれます(笑 でも、関西弁って
知らないうちに感染しません?!

って、話は逸れましたが、お墓参り。母の生みの母のお墓です。
母が4才の時に亡くなってしまった、わたしのおばあちゃん。
会ったこともない、そのおばあちゃんのお墓のことが、ここ
最近、何故かわからないけれど急に気になって気になって、
想いを募らせていたのでした。

そんな折り、先日とある方を通じて、霊能力をお持ちで強力な
ご祈祷もできるお坊さんに引き合わせて頂ける機会に恵まれました。
それで、そのお坊さんに、実はかくかくしかじかで、実家の母の
お墓のことが気になっているのです、とお話してみたところ、
是非行ってみてください、きっと色々とわかると思いますよ、
とおっしゃって頂いて。それが8月の終わりのこと。

それから旦那に相談して、機を伺っていたのですが、何度か
じゃあ明日から行こうかな、と決めた矢先にブレーキが
かかるように足止めを喰らってしまい、なかなか辿り着かない
なぁ、と気を落としていたのでした。

ところが、旦那が神戸に用事ができて、それなら一緒に行こう、
ということになり、この度目出度く20年振りのお墓参りが
実現したという訳。行ってから気づいたのですが、丁度
お彼岸のお墓参りの時期だったのですねー。なんだか、
導かれたなー、と感慨深いものがありました。

逆算していくと、20年前、当時中学3年生だったわたしが
出席したのは、おばあちゃんの35回忌の時だったようです。
けれど、その頃はまだまだ子供で、きっとあんまり深いレベルで
そのお墓参りのこと、捉えていなかったのね。お墓参りに
行ったこと自体は覚えていたのですが、ぼんやりとした記憶しか
残っていませんでした。

今回は行くにあたって、あれこれ母にリサーチをかけて
みたのですが、母も何しろ神戸に住んでいたのが小学校低学年まで。
そして、母を亡くしたのもほんの4才当時ということもあって、
あまり頼りになる記憶がないのです。そもそも、母が教えて
くれたお墓の名前からして記憶違いだったりして、目的地を
検索するのにも苦労してしまう始末(笑 でも、母が、実の
お母さんの誕生日を知らないことが発覚したり、と、ちょっと
切ない状況も目の当たりにしたり、と、今回は出掛ける前から
相当な思い入れのある旅行になったのでした。

当日はお昼過ぎに子供達を母のところに預けに行って、一度
家に戻って車を置いてから夜の新幹線に飛び乗って出発しました。
ここ何年かの仕事の流れで、旦那も神戸には何度か足を運んで
いたので、新神戸の駅についてからは、ほとんどタクシーを
使うこともなく、歩いて用事を済ませてしまいました。
タクシーを使ったのは、三宮からおばあちゃんのお墓に向かう時と、
帰る際に、三宮から新神戸の駅に戻る時だけ。あとはひたすら
神戸の街を徒歩であちこち移動していました、いやぁ、よく
歩いた二日間だった〜。

ちなみにわたしは、ビーズの刺繍の入った木製のミュールを
履いていたので、いかにも徒歩での長距離移動には向いていない
装いで(笑 というより、そんなに歩いてばかりな旅行になるとは
予想もしていなかったので荷物も例によって本なんかも入ってて
重いしで、足に妙な力がかかってしまっていたらしく、こちらに
帰ってきてからも、まだ向こう脛が痛い有様(^^;

よくよく思い返せば、二人きりで電車で小旅行などというのは、
今まで経験したことなくて、二人ともすっかりリラックスして
しまい、到着した夜は、お寿司屋さんに飛び込んで、お寿司以外の
小料理と日本酒を頂いて、その後、通りで見つけたカクテルバーに
ハシゴして、目一杯呑んでしまいました(^^)  まだ杉並にいた頃、
歩いて2分のところに美味しいバーがあって、当時はよくヘロヘロに
酔っぱらったりしたのですが、小田原に引っ越ししてからは車で
移動が多くて、なかなか二人でそこまで酔う機会もなく、カウンター席に
陣取ってバーテンさんを巻き込みつつ、久々に羽を伸ばしました(笑

お陰で翌朝はチェックアウトぎりぎりの時間になって目が覚めて、
大慌てでホテルを後にして、美味しそうなパン屋さんがあるから、
と、テクテク歩いて、パン屋さんで朝食を買って、前夜見かけた
大通りのベンチに戻って、そこに腰掛けてブランチしました(笑
ミートパイ、美味しかった〜♪

それからタクシーを拾って、お墓に向かいました。母によれば、
墓地の梺にあるお花屋さんに聞けば、おばあちゃんのお墓が
どの辺りにあるか分かるとのこと。本当かなぁ、と思いつつ、
綺麗な百合が入った花束を購入しつつ、お店の方に尋ねたところ、
その方はご存知なかったのですが、もう一件のお花屋のおばあちゃん
に聞いてくださって。有り難いことに、その可愛らしいおばあちゃんが、
一生懸命区画の道順を教えて下さったのでした、感謝感謝。

母の実家の一族の眠る区画に辿りつき、母に電話しておばあちゃんの
お墓を確認。おばあちゃんは1人カトリックの信者だったそうで、
墓石も横たわった形のもの。十字架が彫ってありました。十字架の下には
RIPと彫ってあって、母に尋ねたら、"rest in peace"の略なのだと教えて
くれました。

それからものすごいスピードで色んな情報が目に飛び込んできました。
おばあちゃんのクリスチャンネームはマリアだったということ。
そのお墓を建てたのは、グランパだったということ。亡くなったのは
1950年だったこと。そして、驚いたことに、きっとお墓に行けば
わかるはず、とわたしが思っていた通り、おばあちゃんの生年月日が
ちゃんと墓石に彫ってあったのでした。持って行っていた星暦で
調べたら、おばあちゃんはうお座の人でした。そして、36才のお誕生日を
迎える直前に亡くなったことがわかりました。

クリスチャンネームがマリアだということは母から聞いては
いたのですが、墓石に彫ってあるマリアという名前を見て改めて、
あぁ、わたしはこの方と繋がっていたんだなぁ、としみじみ。
わたしも、実は秘かに希望していたクリスチャンネームがあって、
それがマリアだったのです。もっとも、わたしの場合、聖母マリアの
マリアではなく、マグダラのマリアなんですけども。

今回のお墓参りに行くにあたり、わたしは何故急にこのおばあちゃんの
お墓が気になったのか、あれこれ自分なりに考えていました。
おばあちゃんはわたしの母を含め、4人の子供をこの世に贈ってくれ
ました。けれど、自身は決して健康な方ではなかったらしく、母が
4才の時に結核で亡くなったのだそう。わたしは、もしかしたら、
グランパと死に別れたのが寂しくて、しかも、一族の墓園とはいえ、
自分だけ嫁ぎ先の名字で、たった1人でお墓に入っているのが
寂しくて、子供達からも遠く離れた関西に1人で戻ってきてしまったのが
寂しくて、それでわたしを呼んだのかなぁ、と思っていました。

けれど、墓石にグランパの名前が刻まれているのを見て、すぐに、
あ、寂しいんじゃないんだ、って理解しました。グランパの名前に、
夫、という文字が添えてあったからです。明治生まれのグランパは、
とても苦労して立身出世した人だったそう。そしてとてもナルシスト
だったよう。1人でお洒落して写真館に出掛けて写真を撮ってもらうのが
好きだったのだとか。わたしもその中の写真を見せてもらったことが
あったけれど、キザという言葉が似合う、びっくりするくらい
ダンディな写真なので、思わず仰け反ってしまったくらいで(笑

そんなグランパは仕事柄、海外生活も長く、実際わたしの母も終戦直後の
天津で生まれて、中学からはずっとアメリカで学生生活を送っているし、
きっと当時の人としては珍しい感性も持っていたのではないかと憶測され。
墓石にあった、夫、という文字やRIPなどという文字も、そんなグランパ
ならではの亡くなった妻への哀惜と労いと愛のメッセージだったのでは
ないかとわたしは感じたのでした。そんなグランパの心に触れた気が
して、もうお二人とも、他界してしまってはいるのだけれど、わたしの
ご先祖であるこの一組の夫婦の愛の形を目の当たりにしたわたしは、
お墓の周りの雑草を抜きながら、つい感極まって泣いちゃいました。

もしかしたら誕生日がわかるかも、と思ったのも、実はグランパ自身の
お墓のことが頭にあったから。つい最近人に教えてもらうまで知らなかった
のですが、普通、墓石というのは亡くなった方の没日しか記していない
そうなのだとか。ところがグランパの墓石には、名前の下にちゃんと
生まれた日の生年月日から没日まで彫ってあるのです。どういう経緯で
そんな風に刻んであるのか、詳しい話は聞いていませんが、わたしは
多分、グランパの遺志だったのではないかと思ってます。

今回神戸のお墓に来て、その想いが強くなりました。多分グランパは
我、ここに生まれきたり、という思いが強い人だったのじゃないかな、と。
その思いを刻みたくて、墓石に生まれた日にちを記したのではないかな、
と。自分が生きた証を、この世に残したかったのだろうなぁ、とひしひしと
感じたのでした。だからこそ、亡くなった妻の誕生日も、墓石に刻んで
あげたのでしょう。君は確かにこの世に生まれ、この世に存在したのだよ、
という思いを込めて、、、。


結局お墓は別れ別れになってしまったけれど、妻のお墓に夫、と
彫り添えるような、そんな夫婦愛にふれ、あぁ、いい絆を見せて
頂いたなぁ、となんだか心が熱くなりました。おばあちゃんの墓石は、
グランパのお墓の石の形に似ていました。大きさこそ違ったけれど、
グランパのお墓もななめに切った石を横たえてあるのです。
そんなところにも、グランパの秘めた想いを見つけたような気が
したのでした。

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